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2018年2月13日 (火)

ブラックホールとホワイトホール。

女には現実の局部と、想像上の局部の二つがある。
二つの局部はイコールであり、同じ快楽を男にもたらす。
議論するための局部、後悔するための局部、仲間を作るための局部など議論が多様であるために、ブラックホールではなくホワイトホールであっても十分に気持ちのいいものなのだ。
CoCo メロディー。

ホワイトホールを見にきたのに「四文字」をアイドルに叫んだらみんなでボコボコにした。
ブラックホールとホワイトホールについてどのように向き合うかは人生の方向性をも決めてしまう。
「もう、アイドルは愛せない」と言い出す者もいた。
おニャン子クラブ じゃあね。

男にとって最も理想的な「ホール」の使い方の研究はすでにアメリカに存在する。
しかし、この議論をする上では「どの立場にも中立的に」振舞わなければならない。
そもそも「ブラックホールとホワイトホール」という議論が存在しない国もある。
ジャービス・トンプソンは「その女の子の子供を讃える」議論であるとしている。
それだったら、その子供が読む「本は素晴らしいね」と言っているのと同じだろう。
このことから「勉強しすぎたらセックスしたのと同じ」だとされたのだ。
誰と愛し合い、どんな友情を作り上げるのかも「読書」にかかっているだろう。
ホワイトホールは、より複雑な快楽を意味するのは事実だ。
ブラックホールと関わって強烈な悔いを残すことがあるのも事実である。
CoCo 優しさに帰れない。

複雑な人間模様を知り尽くしている「いとこ同士」が気持ちいいのも事実だ。
属する階級やメンバーが決まっているということも指摘できる。
そこで「女性の局部」のことを日本国では「価値」と翻訳した。
さらに「快楽」とは「複雑すぎてよくわからない」ものとされた。
ダイアナとセックスしたい奴はウイリアムの発言を聞けとも言われた。
ウイリアムの言葉に複雑性を期待しているのだ。
人間というものは不幸な男よりも幸福な豚が好きなものだ。
不幸な男は読書をするかもしれないが、幸福な豚は本など読まない。
このあたりに「セックスへの後悔」の秘密がありそうだ。
意思が弱い幸福な豚の気持ちを味わったことがあるだろう?
ribbon さよなら。

女性の局部と向き合う時には「意志の弱い幸福な豚」の気持ちを経験させられるということをどんな強靭な男も理解しておく必要がある。
世の中は男だけの世界ではなかったことを思い知るのだ。
この議論が展開されると、一神教の立場から「こんな議論はメチャクチャにしてやれ」という動きが起きた。
祝福を受ける男の子とそうでない男の子がいるだろう。
女性の胸に刻まれる男の子とそうでない男の子がいるだろう。
このように語られ、どうしても「我々の神は特別だ」という主張がなされるに至った。
セックスで悔いが残るのは「幸福な豚」のせいではなく「残念な男」のせいだと言われたのだ。
ribbon Virgin snow.

また、絵を描けば美しいものとそうではないものがあるし、知識においては知っているものと知らないものがあるとされた。
言論界だけではどうにもならない「子供の美しさ」が語られ始めたのだ。
しかし、どちらも「作り出すことが可能である」とされている。
結果として「自分にないものが欲しければ女を抱け」と突き放される羽目になった。
どの女から最も快楽を得たのか?と言われると困るが、「盲目に突き進んだ」女とのセックスだけは気持ちよかった。
それしか明確ではない。
「説明しきれない複雑性」が快楽につながったのだろう。
工藤静香 奇跡の肖像。

しかし、「気の合う人」としか女はセックスをさせないだろうと批判されている。
「処女の知恵」というものも考えられた。
黒い瞳でじっと見つめるだけで男は「比較される」対象と化してしまうとされたのだ。
一方で、処女の方も「あまり男に多くは望んでいない」とも言われた。
処女には「知らない経験はない」とされているが、男がどのような快楽を経験するのかまでは分からないという現状がある。

これらの議論を踏まえて、どの女を「チェンジ」してどの女に金を与えるのかという議論が生じる。
これを語るためには「お金というものはどのように生まれたのか?」を語らなければならない。
テーマは「グローバル化」である。
お金を払うのならば自分の部屋をグローバル化したいという願いが男にはあり、「自分にはないものを持った女」を買いたいというのはお金の起源にも沿ったものとなる。
白人がヒスパニックを買う比率はかつての5:3から6:2に減っている。
アメリカ合衆国全体の人口変動の中で、国そのものがグローバル化すればお金を払ってまで買おうとは思わないものだ。
グローバル化が見つける結論のことわ「ベースライン」と呼ぶ。
子育てやマーケット、金融政策、公的資金の投入などに用いられる議論がベースラインであるが、女の子供の気持ちとか「残念な男」「幸福な豚」などの議論がさほど必要ないのが女を買う行為である。
ここから、売春のマーケットは「性欲を満たせる」というだけでなく、何らかの話のネタになるという側面も入り込むことになった。
ゲームが成立するのならばチェンジはしないだろう。
税金のないデリヘルの世界でこそベースラインは見いだせるのであり、デリヘルの世界では日経平均株価より高めの価格設定がなされている。
お金があるのならば世界を広げたいとどの男も思っていた。
お金が絡むとどうしても「グローバル化」というものを考えなければならないのだ。
しかも、税金がかからないのならば、日本政府が取るべき様々な政策の「ホンネ」があぶり出されるのだ。
税金がなければこそ見えるホンネをベンチマークとも呼んだ。
デリヘル。

ジョン・オースティンは、民法のパンデクテン方式や刑法など、今の日本の法学部で教えているものを大学で講義していたが、学生がやる気を失うのを見た。
法律というものがあるとすれば、彼らに学ばせるのにお金を払わなければならず、その上で義務を果たさせ、妥当な結論を模索していく、これをHLAハートから学んだ。
貧乏な苦学生には法律学は向いていないとしたのだ。
社会で常に多数派に身を置き、トップダウン式に「見解」を書いていく学生が力をつけていった。
常に国会の情報を法学教室やジュリストから得ている学生が「見解」を書いていく作業をリーガルポジテイビズムと呼んだのだ。
法律は常に命令を含んでいたし、男らしくなければ書けなかった。
女たちの略奪愛の対象になるほどモテた。
金と女をふんだんに使わないと法律学の成績は伸びていかないだろうと考えたのがジョン・オースティンであり、パンデクテン方式や刑法と言ったお固い学問の別の側面を明らかにした。
人を従わせる男を女たちが奪い合うのは当然であったが、それは国会という権威に限りなく近くなければならず、情報源を選ぶ必要があった。
常に行政や実務家に対して「彼らがほとんど接する機会のない権威」を語る必要があり、そのような男に金と女が与えられなければ「法律家」というものは育たなかった。
あなたにホームシック 酒井法子。

そういう意味ではフェイバーシャムのシモンのように、法学部に入る前から「勉強ってのは常に仕事なんだよ」と語る論客は昔からいた。
実務家や行政に「見解」を示すようになるのは法学部に入ってからであるけれども、それ以前の「勉強」の段階から周囲に「正解」を語り続ける必要があった。
マグヌスとアクィナスは何が違ったのだろうか?
「人々の噂」が違ったのだ。
大人たちに通じる「権威」というわけではない「勉強」でも「あいつは手強い」という噂になって女の子の取り巻きに囲まれていたのだ。
そこで「いずれは立派な見解を書くようになるんでしょうね」と思われたし、実際に「学校知」の世界ではすでに見解を書いていたのだ。
絶対解ける問題 松浦亜弥。

アンスコムのように、広島や長崎への原子爆弾投下を「無防守都市への無差別攻撃である」としながらも「敗戦国としてと立場上、損害賠償請求は放棄される宿命にある」という見解を書いてトルーマンの行為を論評する者もいた。
こんな基本も人々は知らなかったのだ。
アンスコムは「常に悪には二重の説明が必要」と語った。
見解が採用されるというのはそのようなものだった。

若者にとっては偶然起きることでも、大人の側としてはそれは若者のチャンスではなく大人がそのような方向に誘導したものであることがある。
不確実な要素は若者がこなしていかなければならないが、大雑把な方向性は大人が見ている。
この世の中に「バックのいない丸裸の若者はいない」と言ってもいい。
一人で抱え込む必要はない。
たとえバックの大人が死んでしまっても「噂」など様々な仕掛けを作って守ってくれている。
有名になるというのはそういうことだ。
時間が経つにつれコイントスが当たらなくなることはあるだろう。
それでも「時間」が与えられるだけでもありがたいではないか。
下痢をするだけでも若者には可能性がある。
有名になったときのことを思い出してみればいい。
自分を祝福してくれた人が自分のバックなのだ。
たとえ年寄りで見た目が冴えなくてもどんな力量を持っているかわからないよ。
かつての自分を取り戻そうと思うのであれば、自分を祝福してくれた人について研究してみるといい。
自分に起きた「偶然」はもはや偶然ではなくなることがあるのだ。
苦労が必要なのは事実だけど、それだけでは今の自分はないよ。
誰だって似たような苦労はしているからね。
100%の恋人 酒井法子。

カントは頭が良かったし、ヘーゲルはイケメンだった。
この二つが合わさった時に、バトラーやヒュームやリードと言った敵ができた。
敵のいない人などいない。
しかし、みんな「大人のやり方」をしたから歴史に名が残った。
頭のいいイケメンが「女の落とし穴にはまらない」ことを知っていたから、彼の敵は本当の意味で哲学を発展させた。
「僕はより完璧な人間を目指す」などという頭のいいイケメンに周囲は何を語っただろうか?
「人を愛するのには苦労が必要だね」という決定論を主張するのは基本だった。
「机上の理論だけではどうにもならないことがある」という人生の含蓄を語るのも基本だった。
いずれにせよ、頭のいいイケメンが快楽をより複雑な形で求めたことに周囲は好感を持っていたのだ。
「仲間を作ることを忘れないでね」
それだけ言いたかったのだろう。
自分以外の人間は勝手な動きをするけど、自分以外の人間を大事にしなさいとしか言えないのだ。
みんな「いい友達」を演じてくれるものだよ。
カントが「どの女でも落とせる」学問を完成させたら、女たちが踊り始めた。
若い世代にメッセージを送ったのだ。
学問ってのは素晴らしいものよ?
「人を愛するのには苦労が必要」
女たちもそのように考えて、ロマン派の時代に突入した。
恋するフォーチュンクッキー。

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