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2018年2月12日 (月)

組織の序列。

基本的に、組織というものは「勉強により序列を決めている」とされ、その勉強とは「文学の素養」である。
子供のことや、妻のこと、職員のこと、活動家のこと、組織全体のこと、悪口を言わないこと、環境がいいこと、見た目がいいことなどから序列というものは決まる。
恋した従姉妹がいるなどの「詩ごころ」などからも序列は決まる。
下っ端からトップになるまでの「偉大なる若さ」というものはだいたい想像がつくものだ。
ウォークマンやiPodが好きで好きでというのであればトップにはなるだろう。
当意即妙の答えをすることが必要だね。
音楽作品の真の意図を探っていく作業は組織の全体を見渡す営みだ。
乙女心の自由形 おニャン子クラブ。

音楽作品を聞くとスタイルが良くなるし、組織というものを分析できる。
大事なのはYouTubeなどのレイヤーケーキを作ることだったし、メカニックを整備することだった。
バカをやらかしているようでいて「大人たち」が作り出している仕事なんだよ。
ケメニー・オッペンハイムが構築した世界だ。
職場の人間(女たち)の怒りはすべて詩にしてある。
「ああ、あの詩のことか」と思えるようになれば、ワンレベルからツーレベルまで職場の理解度が高まる。
あとはサードレベルと呼ばれる「仕事」をするだけだ。
何が成功で何が失敗か分からない職場では鼻歌でも歌いながら仕事をするしかないだろ。
YouTubeというレイヤーケーキだけはどんな災害があっても死守しなければならないね。
垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。



このようにして都会というものはできた。

レイヤーケーキによって人類が発展したのかどうかは実は分からないのだ。
昔の方がうまくいっていたのになという側面もある。
性の描写が露骨になったために、女たちがよく喋るようにはなったね。
AV女優とは区別してもらいたかったのだろう。
その言葉に耳を傾ける必要がある。
ロバート・マックロイのようなニューウェーブは「女たちが組織の序列を決めている」とした。
しかし、教団のトップのいうことを聞くものは少ないね。
あまり統制が担保されていないことが多い。
まあ、しかし「自由に研究できる環境」に感謝するしかないね。
天皇の仕事の現状なんてそんなものなんだ。

マケドニアが、ローマ帝国にギリシャの領土を譲って、ローマ帝国はかなり広範囲の普遍性をもった国家になろうとしていた。
紀元前1世紀のことだ。
エジプトの牧師であるマネトが「出エジプト記」を書いて、ローマ帝国の無知と悪意をイスラエルという理想郷で撲滅しようとした。
ギリシャはローマ帝国のもとで「我々はアレキサンドリアの者だ」というアイデンティティのもとで地方自治を委ねられたに過ぎなかったが、エジプトもギリシャも「イスラエル」という「思いやりに満ちた海岸線」を見ていた。
国づくりのプログラムが39編書かれ、法律が12編書かれ、なぜ思いやりに満ちた海岸線が必要だったのかが6編書かれ、歴史が4編書かれ、哲学が5編書かれた。
アレキサンドリアのキャンパスのユダヤの若者から見れば壮大すぎる課題であり、ストイックなモーゼからプラトンは詩を学んだとも位置付けられた。
ユダヤ学生の代表格であるモーゼのために詩は書かれていた。
ギリシャ哲学もいつしか「思いやりに満ちた海岸線」であるエルサレムを見るようになっていた。
しかし、お行儀のいい学生にはない野蛮さと暴力はエジプトから持ち込むしかなかった。
ローマ帝国が普遍性をもった広域支配を望んでいたので、ギリシャとエジプトはこのような「ヘレニズム」を作り上げてイスラエルを完成させた。
「神が見える街」とも呼ばれた。
聖書を完成させるためにはローマ帝国の誕生が必要であったし、ギリシャ哲学がその存続を望む必要があったし、エジプトの政治力が必要だった。
何事も存続をかけるためには「女たちの支持」が必要だった。
女のからだのことを「ロゴス」と呼び、のちの哲学者はロゴスのことを「理性」と呼んだ。
ローマ帝国の勃興により存続をかけたギリシャ哲学とエジプトの関係はプルタークを読まなければ分からないだろう。
街を作る上では「神の宿る場所」の存在は必要不可欠であり、アダムとエヴァのような男女をそれぞれ祀らなければならないとされる。
ホメーロスもヘシオドスも男女を詩にしたことから、聖地巡礼は「詩を心に秘めながら」行うものだった。
また、「パンドラ」と呼ばれる大学も必要だった。
サラと呼ばれる女の指導者と、ハパックスと呼ばれる金庫番が必要とされた。
モーゼのような修行者は歓迎されたが、それ以外のものは非常に統治者としては批判的に見られるのが男というものだった。
ストイックな男は「何かやってくれる」という期待感を持たせたし、女のからだは魅力的だったのでこの二つを祀らない街はなかった。
この「男」「女」をより複雑な形で祀る必要があったのだ。
神が愛するのは女たちであったが、その法則を勉強するのは男たちであった。
5日目に神は人間や鳥、動物を作ったが、6日目に「人間だけは神に似せて作ろう」と言った。
アダムの帰る場所に女を作り、子孫を残させた。
女のからだはこの時に魅力的なものになっている。
トーラーはアブラハムの父であったが、天国と地獄の他に常に六つ進むべき方向を示していた。
思い込みによってがんじがらめになることは人間にはなくなったのだ。
ストイックな男に「タコの足を忘れるな」といって回った。
なぜ、創世記で神はエラを殺したのだろうか?
童貞のまま殺したのは「女心そのものだから」だとも言われている。
勉強しすぎたら「セックスしたのと同じ」状態になる。
フロイトを知っている時点で女を知らないとは思われなかった。
モーゼはストイックに生きて、途中でやる気をなくしている。
先生を見失ったらかなり破廉恥な生き方をするようになる。
モーゼがどこでやる気を失うかで一神教の限界も見えるのだ。
街が破壊されても復旧させる力量を持つものはモーゼしかいなかった。
エラのように「女心に詳しい男」を神が殺したのは街を二度と復活させないためであったことを思い知ったのだ。
固体、液体、肉体を自在に操るのは「女心」だと思い知ったよ。

ギリシャ哲学というものは、ペロポネソス戦争やペルシャによる侵略との戦いをアテネが経験したことから、「セックスとは奴隷のもの」という発想を脱して、歩兵であったソクラテスの恋愛経験を詩にすることから「やはり民主主義は素晴らしい」という共通認識を作っていく物語である。
いずれにせよ今日の日本の歌謡曲のように「セックス」をテレビでオンエアできるようになったのもギリシャ哲学の恩恵であると言える。
顔が赤く酒焼けした年寄りであるソクラテスを、人々は避けて通った。
かつてアテネを帝国に導いた一兵卒であり、民主主義を定着させた男だったからだ。
「人間は見た目ではなく内面である」という考えはアテネが発見したものである。
哲学の誕生であり、キリスト教の誕生の秘密はここにある。
藤本美貴 大切。

このことからキリスト教社会にビッグマネーがもたらされた。
セックスについて赤裸々に表現すると男同士が喧嘩したり、女同士が譲れないものがあることがわかり、フィヒテはribbonというユニットをプロデュースしたのだ。
コンセプトは「女を知らない従兄弟」と「男を知らない従姉妹」の二つを「出発点」にすることだった。
ribbon 愛してジャスティス。

ひたすら「純粋な私」を表現することが大事だった。
それは家庭内に「恋愛対象」を持ち込むための教義であり、どの男女も経験することだった。
男の子や女の子が「私」に目覚めるのは親戚が遊びに来た時だ。
彼や彼女とセックスをしないことが「私」をなくすことであり仏の心とも言えた。
「どの女も口説き落とせる」という「悟り」に対して従姉妹の女の子は「簡単すぎる答え」だったのでセックスはしなかった。
しかし、いい「心の風景」を作るためには可愛い従姉妹は必要だったのだ。
ribbon 3つの願い。

いとこ同士でセックスしたら何が起きるかは知っておいて貰う必要がある(必要性)。
「簡単な関係」に危険性はあるし、そこには「どの女も口説き落とせる」という悟りの境地はなかった。

コーヘン・スペッカー理論というものがある。
子供と親との類似性はベルの不等式のようにほとんど成立せず、親が周囲に「贈り物をする」ということ以外に子供の成功は見込めないというものだ。
「愛情というものは財産である」とも言われる。
それはもはや「好き嫌い」を超えた感情である。
適当に子供の向き不向きを見て応援してやることしかできない。
応援してやる側も「いつか何か分かってもらえれば」と思って応援する。
自分の生活空間(ヒルベルト空間)で行った悪事などすべてが許される気がするのだ。
応援する側とされる側にはほとんど勝ち負けのない日常だけがある。
しかし「私は突出してしまった」という罪の意識がのちの世代への応援につながっているのだろう。
どうにかして身内のバランスをとらなければならない。
このことから自然に身内の幸福に「おめでとう」と言えたのだ。
コーヘン・スペッカー理論はこのことから「あの人のお孫さん、あの人の息子さん」という形でその人の力量を見ることを約束させたのだ。
酒井法子 エアー〜サラダデイズ。

恋を追い越すという行為はそれほど傑出したものをもたらすんだ。
イギリスでこのことをアンソニー・レ・グランドは明らかにした。
フランシスコ修道院の面目躍如たるものがあったのだ。
オックスフォードやケンブリッジは彼らが作ったものである。
恋を知らずに何かに熱中した者たちに与えられる教育がそこにはあった。
若者の世界にもいじめというものがあった。
恋を追い越す奴はいじめられて潰された。なぜ君が物事に熱中できたかは大人の側も本当は理解できないんだと周囲は語り合った。
そういう奴とは「心と心」で語り合いたいというのがオックスフォードやケンブリッジの考えだった。
しかも、多くの「専門職」を用意していた。
酒井法子 恋と愛のニュアンス。

デカルトの「恋の発見」は、女の子たちのセールスにつながったことから株式市場もできたが、一方で、そのことと男の子がどう向き合うかが問われ、エリートというものをごく一部の者たちの集団としていた。
6+4=10だとしたら、恋は4の意味をもった。
4の楽しみってなんだったんだい?それをオックスフォードやケンブリッジは聞いてまわったのだ。
デスガベッツは、恋の見方は遺伝しないとしている。
親が熱中したことに子供は熱中したくないと考えていたし、それは親の性の問題から目を背けたいという子供の心理と同じであった。
「頑張りすぎない親」がいちばん強い子供を作った。
好きになってもくれない。

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