最近のトラックバック

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

« 国津神。 | トップページ | 男道(革命)。 »

2018年2月15日 (木)

天津神。

仲間が多い、そして人生が楽しいと言えるためには「教義」が必要だ。
キツネのおちんちんはハリネズミに比べてはるかに大きい。
しかし、ハリネズミは「おちんちんを触っただけで射精する」ものだ。
そんなに気持ちのいいことをハリネズミは知っている。
いったいハリネズミたちの仲間づくりや生き方の何がそんなに気持ちいいのだろうか?
より多くの男女をその「気持ちのいい世界」に巻き込んでいかなければならない。
芸術作品を解釈したり、都会に出て何かを学ぶことの意味、つまり東京大学に合格すると若い女の子が芸能界デビューをするというようなことからより多くの男女に囲まれた男は生まれるものだ。
高井麻巳子 約束。

女性の局部の価値を高めていく、それは「真実」によって行わなければならない。
女を風俗で買うというよりは、よく話し合って二人の真実を見つけ出し、気持ち良さを高めていかなければならない。
より快楽を与えてくれた人(ジョーンズ)のために私たちは投票するだろう。
その美女の子供の気持ちが味わいたいからセックスするのに「幼児虐待」をするとは何事か!
虐待は常に間違いである。
虐待をするものは遅漏なのだろうか?というぐらいセックスに快楽を感じないものだ。
人生を楽しんでおらず、仲間もいない、読書もしない。そのような「セックスが気持ちよくなくなる」ことから虐待というものは否定せざるを得ない。
人を虐げるものに果たして女が愛せるのであろうか?
我々の子供の気持ちが非常に不愉快なものになるのではないか?
そのような指摘が可能である。
一方で、裁判官のように人間社会の問題で悩みに悩んだものは妻への愛情がずば抜けているとも言われる。
その場を治めるというのは気持ちのいいものだ。
争いごとを治めることを知っている人は気持ちのいいセックスを知っている。
このことが分かったから「より複雑な快楽」「高度な学問」とセックスの気持ち良さを結びつけるキリスト教は一気に発展した。
なぜ男同士で認め合うのかという友情の問題も、彼女との気持ちいいセックスのためであった。
ふたつにひとつ 瀬能あづさ。

女性の局部について語り合うことは、どのように他人を扱ったのかという問題である。
可愛い奥さんや彼女と円満な関係を築いている男が何を語るのかをよく聞いてごらん?
何に悩み、何を楽しんでいるのかというのはもはや「哲学のデパート」だよ。
キツネのずる賢さは、デカいおちんちんに鈍さをもたらしている。
「仕事をする」
これが夜の夫婦生活には欠かせないものなのだ。
仲間が多い、率直さを持っている、そのような男はストイックなのではないか?と勘違いされるほどセックスに感じやすい。
可愛い女の子が好きな人はそのような意味では案外、善良さを持っているものだ。
AKB48 好きなんだ。

男女の人気のある解釈というのは、女子の群れの中での噂話の中で、面白おかしいことをした男の話題を見つけると、その男に残虐なことをするところにある。
それもまた女子たちにウケる。
しかし、それでは「神の小説」は死んでしまうではないか?
自分にとって楽しいことをする。
それが男というものだ。
まるで、一人の女を目指しているようなものだが、時には「どうしてもその女でなければならないのか?」と周囲の女たちを見回す必要がある。
自分にとってそれが楽しい営みであるということが大事であり、女からもたらされる快楽と同じだけの快楽を一人の女を目指すことによって経験するだろう。
仲間は必要だ。
しかし「認め合う」ということが必要だ。
人生のために忠誠を尽くす人もいるだろうが、それは認めたことにはならない。
自分にとって楽しい営みを行うことは女とセックスする快楽と同じであり、自ずと破廉恥な者をも認められるのが学問というものだ。
子孫が残った以上、人間には「幸せの歴史」がある。
しかし、快楽の経験の仕方の違いから「命令の歴史」もあったことを知らないといけない。
学問をやれば「神を見失う」ようなこともない。
イエスキリストのサクセスストーリーに説教されることもないだろう。
ribbon サイレントサマー。

男らしさを語り合う女(立法)とそれを聞いて実践する男(行政)と、それらの議論を聞いて学習する司法、さらには「男らしさってのはな」と男の側から押し付ける政治があるとすると、政治家を助けようなどとは誰も思っていない。
新入社員や異動してきた男は常に政治家だからだ。
しかし、もしその「政治家」が有名なミュージシャンだったとするのならばみんな命を助けようと思うだろう。
自己完結した組織において、他のグループにも「法律」を押し付ける力量があることを政治力と呼び、普通の新参とは異なる扱いを受ける。
それほど各グループは閉鎖的なのだ。
新参やよそ者はそれほど「外の世界への影響力」を必要としている。
そうでないと誰も自己完結した「政府の仕組み」において助けようとは思っていない。
紛争解決をした実績が現場の女たちの議論の土台である以上、ミュージシャンですら「仮説に過ぎない」と扱われる。
トマス・アクィナスだろうと誰だろうと、「今まで一緒に仕事をした人」が大事なのは変わらない。
トトカルチョや野球賭博をやらない限り、戦場の兵士や民間人にすら同情できない。
そのために戦争ギャンブル(資金集めの仕事)というのはあるのだ。
ゲームの腐敗に渋い表情をするのはお金を集めた人なのだ。
ネイマールよりも大事な人が職場にいる。

人間の命ってのは民間人も兵士も同じだからね。
でも、民間人はその地域に仲間をいっぱい持っているでしょう。
つまり、その地域の「政府の仕組み」のメンバーであり兵士は政治家の役割を果たしている。
兵士なんてのはよそ者だから誰も助けようなどと思われていない。
命のギャンブルなんてのは八百長なんだよ。
死んで欲しい人に死んでもらうものだ。
だから千本針でも縫うしかないんじゃない?
それほど、グループというのは閉鎖的だし強いものなのだ。
「立法」つまり男らしさを女たちが語り合うことがどれほどの巨大ビジネスになるのかを知っているだろうか?
しかも、経験を共にし、必要な時にいてくれた人に影響を与える議論であり、行政に優越するものだ。
女たちは実際に守ってもらった男でなければ、それほどまでに「男を認めることはできない」ものなのだ。
一人を殺すよりも五人殺すことの方が「その夜のセックスが気持ちいい」ことはある。
溺れても泳げる人と泳げない人がいると思うけど「妻が溺れたらどうする」という問題は「妻のことは私が一番詳しい」と思って夫は行動するだろう(保証人的地位)。
酒井法子 All right.

子供の教育で悩むことがあるだろう。まだ「政府の仕組み」に組み込まれていない存在だ。
しかも、夫婦のセックスの気持ち良さを決めてしまう「悔いが一人歩きしている」存在なのだ。
大英帝国は両親にとって有害な子供だったらオーストラリアに送った。
日本では赤紙が届いただろう。
戦争というのは世界の偉大な発見だった。
それも「政府の仕組み」だったのだ。
一方で「親に甘えることを知っている男の子」もいる。
親不孝として生きないことも戦争での生き死にを決めるのだ。
でも、子供にとってはそのどちらになるのかはコイントスみたいなものだよね。
マイノリティーの優遇(アファーマティブアクション)は、親に甘えられる子供を増やし、マイノリティーの戦争での絶滅を防ぐという意味合いがある。
なぜマイノリティーを絶滅させたくないのだろうか?
それは「男の重大な決意」と女が偶然に出くわして恋に落ちることがあるからだ。
たとえ信じているものが悪だと思っても、彼は自分の国では「赤紙」が来ないほど親に愛されているのでしょう?
そんな男には誤魔化しはないはずだった。
韓国軍は28000人だとされている。果たしてすべての若者なのかはしっかりと見極めなければならない。
戦争と恋愛はこれほどまでに深く関わっていた。
冬のソナタ。

このような「政府の仕組み」の全体像のことを「権威」と呼ぶ。
権威を用いて、毎日、女の子に新しい話題を提供したり(物理学)、今までの歴史を振り返ってみたり(化学)、出世につなげたり(生物学)するのだ。
そうすると壮大な世界が自分の前に開かれるのがわかる。
「国という巨大組織を跨いでしまう」ことの魅力も理解できるようになる。
仲間づくりに奇跡は必要ない。
勉強と共に歩んだものだけが好感を持たれるのが現状だ。
スマホだけで生きていけるはずだというネオダーウィン主義がどこまで有効なのかは「仲間というものがどういうものなのか?」から遡って考えなければならないだろう。
哲学も細かい論点を詰めて行ったら何ができるのかを知る必要がある。
しかし、我々はいつでも「電話だけの関係」を拒否できることも知らなければならない。
高橋愛 電話でね。

そもそも、セックスってそんなに大事なものなのだろうか?
そのような問いかけがなされた。
レディマクベスは「この男は女を知らないね」というところしか見ていなかったとも言われ、その復活を知っていたとされる。
「男、女、年寄り、病人」という構図があるのならば、年寄りと病人はセックスをさほど大事だとは思っていないことになる。
それでも「セックスのように気持ちのいい生き方」は年寄りにも病人にも存在する。
「もはや神経の問題である」と割り切るような境地になることがあるのだ。
女にとっては「お金の返事」が返ってこないだけだろう。
しかし、ワインを飲ませれば「お金の返事」が返ってくる。
セックスとワイン、それはドナルド・バッジとデビット・ベッカムを比べ、マルクス・アウレリウスとウィンストン・チャーチルを比べ、ピカソとベートーベンを比べるほどセンスのいいものだった。
「お金の返事」さえ返ってくれば「男らしさ」は議論できるのだろうか?
この問いかけには実はうまく答えられないのだ。
女たちは「セックス」を念頭に置きながら法律を作っているようだ。
しかし、枯れたおばあさんでも「初期の聖子ちゃん」を歌いながら掃除をすることもある。
プラックはピカソと同一人物であるが、ピカソよりもイカれていた。
イカれたものを愛するのがキュービズムの世界だっただろう。
セックスはイカれている、という意味ではよりその世界を愛する人がいてもいいだろう。
サバイビング・ピカソ。

女を愛するためには苦労が必要(決定論)と考えている男はとにかく人気がある。
どれだけ無様に歩いていても女たちは尊敬の念を忘れなかった。
遺伝や家族や文化のことを彼と語り合いたかったのだろう。
遺伝というのは親が子を愛する口実に過ぎないとか、すべての家族が改革を望んでいて「情け」でごまかしているとか、テレビのニュースをあの人はどう思っているのだろうとかを「決定論」の立場に立つ男に聞きに来た。
彼は「苦労して学んだこと」が女たちに認められることを生き甲斐にしていた。
女たちがその男の発言を重く見て語り合うことが大事であったが、それは政治家の仕事だった。
とにかく彼の話を喫茶店で女同士で話していると「不可能なことはない男」が現れて来た。
マザーテレサが味わったような快楽をコーヒーで味わったのだ。
松田聖子 雨のコニーアイランド。

病人は男でも女でもないから恋愛対象からハブりにするわ。
女たちはそのようなことも語り合ったが、病気というものを熟知していて、妻を愛することをためらわない男も尊敬された。
浮気という問題は案外、そのようなことに根ざしていたからだ。
落ち着かない子供の病気も語り合ったが、その親の夫婦生活を台無しにしてやろうと思って語り合った。
女たちの「喫茶店」にまったく動じなければナポレオンか神だろうとも語り合った。
女を愛するのに苦労が必要と考えている男をわざわざ苦しめるようなことを話し合ったのだ。
あの男はカントを知っていて、若い女を夏の海に送り出しているらしいということも語り合った。
海というのは「法の起源」と呼ばれるほど、カントを知っている男の話し合いのネタだった。
SPEED I remember.

なぜ決定論に立つほど「譲れない女なのか?」も語り合った。
その話題はまるでパワフルコンピューターのように女たちを盛り上げた。
マザーテレサとスターリンの関係を語り合うようなものであり、どんな悩みも解決できるパートナーだったのだ。
女たちは「楽しいことはなんでも成功する」と信じていた。
スターリンは喫茶店でマスターに「他の客と話をしたら出入り禁止だよ」と言われた。
喫茶店には本物のスターリンは必要なかったのだ。
犯罪を犯して塀の向こうに行った男のように「愛の世界から追放された男」の話題はしたくなかった。
塀の向こうの話は、関係者も「面白い話題ではない」として口を閉ざしていたのだ。
「人生は想像以上に安全だ」ということを語り合ったから「法」と呼ばれたのだ。
CoCo 冬の微粒子。

「義務」というものは「いざという時に助けてもらうために」果たすものだ。
約束というものが義務を生み出すが、女の側から男に約束を求めるという点は「男らしさ」を語り合う法の世界とも関わる。
選択肢を多く与えて「あっち」の方向に行動するのならば私も「このような」行動をとる、それが約束というものだ。
仲間の多さとつながる考えである。
約束を守る人は「周囲の行動が手に取るようにわかる」時期がある。
周囲の人は「自分の命を守るために」女たちの声を聞いているからだ。
女が「ハァ?」と言ったらいざという時に痛みにすら同情してくれないだろう。
女たちが「男らしい」と考える行いは、その男が助けられるために必要なものであり、法律を守る義務というのは行政として当然であるが、実際は「義務を守るから法律が生まれている」と言っていい。
その場で誰も痛まない行動をとることが「お約束」の基本である。
性的親密さをともなう世界では、誰も痛まない行動とは何かを深く掘り下げて考えないと、街を歩いただけでぶん殴られたりするだろう。
高橋由美子 Will you marry me.

人々が日常的に聞いている音楽作品(成文法)と、職場などで語り合っている「男らしさ」という慣習法に、習律という解釈を男が与えることは可能だ。
習律についていつも男同士は話をしている。
「仕事の話」とはそういうものだ。
習律の話に詳しいことが「政治的義務」となって政治コミュニティで「助けてもらえる」ということが明らかになっている。
「爆破テロ」というものはその地域の習律を憎んで行うものだろう。
「真面目に考えろ!」というメッセージが込められている。
成文法が嫌いな人はいないし、女たちがその職場で語り合う男らしさ(慣習法)は、いい行政を生み出す。
しかし、習律だけは男たちが「政治家」として議論を競い合うので、不満があれば爆破テロの対象になる。
渡辺満里奈 月の裏側。

ノンケかヘンタイかという憲法の議論も成文法から行うことが可能だ。
女はヘンタイプレイが嫌いなものだ。
国や政党や政治哲学者が習律に関しては見解を出すだろう。
しかし、ナチスもスターリニズムも「相対主義」の立場を全体主義と考えて、ゲイカルチャーから多くの「不幸な結婚」を生み出している。
「人気のある成文法」の間違いは指摘しておいていい。
竹原ピストル よーそこの若いの。

ユダヤ人は多くの歌を詩篇に残しただろ。
若さというものだろうね。
政治とはお金の世界だ。
食事を共にして、食費以上のものを与えるために詩の解釈論(習律)について語らずに何を語るというのだろうか?
個人の集まりである世の中でなぜその政治家だけが特別なのだろうか?
より良い生き方を知っていて、しかもお金がある、それは習律を知っているからであるとしか言いようがない。
「女が好き」というお約束があるそもそも政治家にとっては救いになるだろう。
食事を共にして、それ以上のものを相手に与える力量は「見た目がいい」という基本よりもはるかに上を行くものだ。
「政府の仕組み」がどの職場にもあって、どの女たちも「男らしさ」を語り合っているが、その「政治力」は当然、話し合いの対象になっている。
ここに「政治」という世界が開かれた理由がある。
「男にしか分からない女心」というものが存在したのだ。
政治の世界では実は女たちは「持論のある男」しか救っていなかったのだ。
女にだらしないというのはリベラルとは呼ばない。
幅広い習律の「広さ」を持った人をリベラルと呼んだのだ。
ribbon Lady love.

女たちが語り合う男らしさから生み出される富(法律によるお金)と、男が女心を定義することによる富(政治によるお金)は明確に区別される。
法廷では常に「女のリリースポイントで」(法)裁くものだ。
しかし、女のリリースポイントがアメリカ合衆国で「富」と認定されたのは2010年のことだ。
1948年にヨーロッパや国連、カイロ宣言で「お金ってなんだろう?」という議論はなされた。
スターリンの影響力が強く、ゲイカルチャーが議論を困難にさせた。
しかし、ウェストファリア条約の時に語られていた主権(ヘンタイプレイをやられたらどうしよう?)というものが思い出されて、幸福な豚や、ダメな男などのようなセックスの後の後悔や、お前の国はヘンタイばかりだなという軍事行動の研究がなされた。
政治家と法律家は明確に区別されたし、政治家は「自分はどの女の影響も受けていない」と公然と語り、行政とは一線を画した。
「野蛮」とは政治の誕生からもたらされたのではないか?
CoCo 優しさに帰れない。

しかし、法律が「女たちが語る男らしさ」であり、政治が「女心を男が定義する」ものであったとしても、「男が女を愛する気持ちを利用する」という「経済」がなければこの世界からははじき出されてしまうだろう。
「女嫌いとは神への失望」であるとはこのことを言っている。
なぜ、世界経済はNYダウの影響を受けたり、日本がいまだ世界経済を支える力を持っているのだろうか。
西田幾多郎が「女性皇族や女性芸能人は処女」と言った時にかなり残虐な軍事行動が日本国から引き起こされただろう。
法律も政治も「永遠とは言い難い宗教」であって、永遠が約束されている哲学も「真の理解者」がいない限り宗教にならざるを得ない。
CoCo ミスロンリー。

ジョージ・W・ブッシュが、「自由と不安は神が人々に約束した宗教だ」と発言した時に小泉首相もこれに賛同している。
しかし、イスラムのシャリーア25条の「民はシャリーアにのみ縛られている」という条文によってどれほど多くの男を女たちがクリエイトしてきたのか?という論争になり、ブッシュも小泉も「行政を機能不全にする」と批判された。
この批判はもはや世界レベルの支持を得るに至った。
インターネットが瞬間的には「男らしさとは何か?」を見失っていたのだ。
インターネットの世界では「神、神」と言って男らしさを模索したのは事実だ。
「世界がどこに向かっているのか」を政治家が分からなくなったのだ。
女が男らしさを決めるという法律の世界も、「男が男らしさを自分で決める」という政治の世界もインターネットの登場ですべて見失った。
そこから「女心を定義するのが政治だ」という発想の切り替えが必要だった。
CoCo 君を行く。

政治家は女の子と話すのが仕事だ。
しかも、「この習律は本当だな」ということを肌で感じながら話すのだ。
HIVというものが考えられて、グリーウィッチ村で大量虐殺が起きたが、HIVってのは「人をいじめた」ことが嫌われたんだろうということを見極めて、陽性を陰性に変えてもらうための賄賂を用意するのが政治だとも言われる。
検査元を調べたりお金を集めたり、とにかくHIV陽性というのは「政治家として成功しろ」というメッセージだったのだ。
しかし、今、「女心の定義」は男に委ねられただろう?
「汗を流すだけでもHIVは陽性から陰性に変わる」というメッセージも出された。
「賄賂」の立場に立つにせよ「汗を流す」という立場にせよ、最大の政治がHIVにまとわりついた。
人間にとって「楽しいこと」は色々あるだろうけど「いじめは違うんじゃないか?」という指導を仰ぐ形となっている。
とにかく「男に話を聞いてもらってセックスしてお金をもらう」という女の基本から排除できるのだ。
「いい男だね」という論壇からも排除できる。
少なくとも日本国ではHIV陽性を理由とした警察官内定取り消しは認められた。
「いじめを否定する他の手段はもはやなかった」と言ってもいい。
SPEED 蒼いリグレット。

「能力主義」という発想は人気があるが、「天変地異」をやたら持ち出してくる連中が出てくるから気をつけたほうがいい。
女の子と話すことすら「能力主義」というと「形だけ演じる」連中も出てくる。
ゴーストライターというやつだ。
あるいは「もっと不幸な人間はいる」という論法で国が財産を没収することもある。
それでも政治とは「女の子と話すこと」だというのがヒュームの原則であり、いまだ誰にもその地位は譲っていない。
船が島に漂着したとしよう。
みんな食べられる貝殻を一斉に集め始めるだろう。
それはキャンパスや職場での女のようなものだ。
しかし「誰が」いちばん多く集めた人に給料をやるんだ?
それが「戦前戦後問題」なのである。
昭和天皇は戦後に生活保護になっている。
しかし「才能」だけは残っただろう。
「人の良さそうなおじいさん」として生きればいい。
戦争というものはそのようなものなのだ。
それでも「複数の男とセックスする」ということの意味を考えてごらん?
「男心の定義」は政治ではないよね。
Bz Blowin'

そうだ、組織論上は政治とは「女心を定義する」ものだった。
しかし、「女に男はかくあるべし」と主張する方向に言論の自由は向かったのだ。
女が「セックスをすると男心を見失う」ことからこの必要性が生じた。
カトリック国でも左翼的だ。
魔女狩りの時代からJSミルは、世界を解き放ったのだ。
それは言論の自由と共になされた。
男二人は争わなければならないのか?
「女心の定義を争う」という意味では旧来の政治が発展するだけだ。
そうでなければ国津神が腐るだろう、
ドイツのベルリンはそのようにして金融の力を蓄えた。
「女心の定義」で負けた男が豊かな文化を作り出したのだ。
国津神が腐るというよりは「男が腐る」からそのような言論が広まったのだろう。
「その歳だと一通りのことは知ってるわね?」
Bz もう一度キスしたかった。

この人の子供は堕ろす。
このことはルネッサンスの頃から検閲がかけられていた話なのだ。
「男らしくない人」と語られる男がいると「法」が死文化するからだ。
無神論の勝利など誰も望んでいなかった。
KKKは特にそうだった。
ユダヤや黒人を憎んだのだ。
「男の失恋から税収が生まれた」というニュースが飛び込んできた。
これだけでも黒人差別、ユダヤ人差別を無くすのには十分すぎる理由だった。
そのようにしてロー対ウェイドにおいて堕胎が認められたのだ。
気持ちのいいセックスを知っている、ということから男女は「認め合う」ということを知った。
分け前を求めない戦争などあったであろうか?
「代表なくして課税なし」とは「男の失恋ソングを聴いたのならば戦争は終わる」という意味だ。
国家レベルで敗北を経験したのだ。
金が戦争でモノを言うのならば、敗北した側にも戦争が終わった後に豊かさがもたらされることがわかった。
複数の男とセックスする女がいなければこれは分からなかっただろう。
そのようにして「敗戦国」なりに「政治」は成立したが、「立法」つまり「男らしさを語り合う」ことや「行政」つまり「女の言う通りに振る舞う」と言う議論の真実を見失った。
政治が女心を定義し合うものであると言うことも見失ったんじゃないかな。
「敵国条項」とも言われる。
戦争がフェアではないとされる理由はここにある。
Bz さよなら傷だらけの日々よ。

政治は三つ「平等に」与えられた。
「大人はみんなセックスできる」「子供でも男らしいわねと褒めてもらえる」「習律というテキストを学ぶ力量が人それぞれの経験値に委ねられている」という三つだ。
思った通り、知っている通りに発言すれば影響力を増す。
フランスの大統領は左翼ばかりだ。しかし、議会までもが左派になったのは極めて珍しい。
資金力で「女心の定義」よりも「男の失恋」の方が優ったのだろう。
「女心の定義」にせよ「男の失恋」にせよ、より詳しいものが選挙で有権者にお金を配り、「我々が知らない心の風景」を「政府の仕組み」で共有するのは政治家が体を売る行為に似ている。
お金を集めて「教育、保育、光熱費などの」無償化などの政策を高らかに掲げ、自分の実績とするのだ。
医者には分からないことが多すぎる。
柳田國男の全集を所持していて、その人のルーツを教えてあげ、社会から必要とされていないからガンになった人に「自分の本来いるべき居場所」を教えてあげたり「自分の価値」を明らかにしてやるだけでガンは治る。
つまり、政治と言っても集まらない金が宗教と言えば集まる。
このような「宗教」から生み出されるお金が、「女心の定義」「男の失恋」から生み出されるお金に勝ってしまったら政治の世界にとんでもない番狂わせが起きるだろう。
そのような「医学の隙間」「宗教」が支配してしまった政府の仕組みのためにレファレンダムというものがある。
ビラを撒いたり右翼を動員したりするのだろう。
海部俊樹は勃起しない男にバイアグラをばら撒き、首相になったが「すべて自分の胸に秘めておきます」と語った。
これも「医学の隙間」へのレファレンダムが起きたと言っていい。
「女心の定義」「男の失恋」以外に女たちは「心の風景」を何も望んでいなかったのだ。
USAもUKも、「心の風景」以外の金儲けのポテンシャルをまだまだ持っている。
しかし、それは政治にとっては迷惑というものだろう。
本当にガンに効くシャクティバッド。

そもそも、なぜ「法律」を「女たちが語り合う男らしさ」だと呼んだのだろうか?
男は「男らしい」とさえ言ってくれれば学ぶものだからだ。
知らないということは仲間を失うことを意味する。
同じものを共有した仲間がいて、細かい条文はあるだろうけど「男らしい」と全体的に表現するしかないのだ。
たとえ、法律や仲間が実際は男の手で作られたものであっても法律とは「女たちが語り合う男らしさ」だと表現したほうがいい。
多数派工作に成功しないと法律というものは作れない。
その背景に「女心の定義」が上手い人がいるのは事実であるし、男女の間の意思の疎通が抜群に上手い人なのだろう。
「合法的」というものの対象には当然、女も含まれる。
しかし、男社会で実践した多数派工作の方法を教えてくれるものだ。
一人の男にはおちんちんは一つしかない。それでも仲間が必要なのは「やる気」が試されているからだろう。
大勢の男に支持された女の存在が、他の女の価値も高める。
男らしさというものが「仲間が多い」ということも含むとなると「習律を語り合った」などの政治家も「男らしい」ということになるだろう。
政治家は本来、「女のリリースポイント」に対して「男のリリースポイント」を示すものだったはずだ。
「名目」と「実質」の違いがここで生じる。
名目は常に実質を上回っている。
そこで「政治家は男らしい」ということの限界も見られるだろう。
「家族の約束を守る」というのも実質であり、女たちの「名目」を上回ることはない。
結局、女たちが語り合う「男らしさ」というのは、実質の男にとっては有害だったのかな?という指摘も可能ではある。
松田聖子 マリオネットの涙。


大祓詞。

【壮大なテーマとしてつづく】

« 国津神。 | トップページ | 男道(革命)。 »

スタンフォード哲学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 天津神。:

« 国津神。 | トップページ | 男道(革命)。 »