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2018年2月 8日 (木)

日蓮の師匠。

スリーハーサが12世紀のインドにいて、日蓮の師匠と位置づけられている。
アーリマン(悪の神)ではなくブラフマン(善の神)にだけ目を向けて、ヴェーダ聖典にしたがって、悪からの「あまい拒絶」を行うことがその教えだ。
ブラフマンにしたがっていれば癲癇の治療にもなるし、「お天道様の下を歩ける」と考えられたのだ。
善の研究であるアドヴァイタベダンタと悪の研究であるニャーナバイセシカを基本にその哲学は完成に向かった。
悪のシステムはニャーナシステムと呼ばれて体系化されていた。
あとはそれに対して「あまい拒絶」をすればいいだけだ。
「良いもん」にしたがっていれば知ることができる、モテることができる、逃げることのない強い男を作ることができる。
ニャーナシステムは「悪役も必要」という思い込みを年寄りにもたらしてもいた。
嫌われる方法など山ほどシステムとして存在したのだ。
悪役商会。

【知ることを許されたものを定義する】
この作業は9世紀からインドで進んでいた。
とにかく「勃起」の仕方とか色々なものから判断するしかない。
女に対して抱いているイメージを見ながら、その男の才能を見た。
CoCo メロディー。

男女を多数、交えた激戦区で勝つことは信仰にとって必要なことであった。
「良いもんが勝つと信じている」からだ。
必要なのは「入り口」を作ることだった。
勝ったものが自由に教えを描くことができるからだ。
多くの女たちの祝福を受けた男の発言に耳をすませていた。
【祝福】
それだけで教団での影響力は約束されるのだ。
「勝ったものが強いんだ」とも言われた。
勝ったあとに人間というものは化けるものなのだ。
運の良さなんて考えてはいないよ。
「知ることに目覚めたのか?」だけを見て判断しているんだ。
知ることに目覚めていないのならば、ニャーナバイセシカのシステムに乗せて振るい落として行くだけだ。
勝手に腐っていくもんだよ。
【勝つことは人にチャンスを与えること】
そのためだけに応援していたのだ。
ウマはキャスターから情報をもらっていたし、ウナはポラックスから情報をもらっていた。
あとは二人に問題に直面してもらうだけだろう。
どっちがより「大人の対応をするのか」だけ見ていればいい。
【知識のないものはすぐに怒鳴るのがわかる】
怒らない奴には何も教えることはないという六道の教えはここにも生かされた。
CoCo 優しさの法則。

女に対しても「あまい拒絶」というものを行う男がいい。
男の伸ばし方も潰し方もニャーナバイセシカに書いてあったので、本当に見込みのない男は容赦なく潰せた。
女への人当たりで判断するのがいちばん「勘違い度」を判断するのに都合がいい。
要するに「勉強するつもりはあるのかな?」というあたりで女への態度は決まっているからだ。
「この男は却下」と判断したらニャーナバイセシカの路線に乗せて潰していった。
ニャーナバイセシカの罠にはまって立ち直る兆しがなければ放っておくしかない。
必ず自分を見つめ直す機会が設けられているのだ。
「誰よりも男らしい瞬間」を見せるようにできている。
女たちには分からない「器」があったのかもね。
そう思われた時に何かが許された。
「勝ちたい人は大勢いるでしょう?」という問題と直面したが、「勝った人の話をよく聞いてもらう」しかないでしょうね。
キャスターからの情報は役に立つということさえ分かっていればいい。
自分をとにかく低く低く見せて、勝ち続けてもらいたいわ。
女を怒らせたらニャーナバイセシカが待ってるわよ。

16世紀にルクレツィア・マリネラは、「女の方が団結力がある」とし、「女の強さ」を指摘した。
Melody Let me cry.

ルクレツィアは、ベネチアアカデミーで知性に満ちた男たちと接する機会があったために、若者の可能性を見極めることもできたのだ。
中世のベネチアやミラノは「女の街」だった。
女たちの支持がなければ村八分にされるのが若者の宿命だったのだ。
もちろん、あくまでもキリスト教の街だったので、散々苦労した若者の「復活を待つ」という発想はあった。
散々、無礼を働いた若者でも復活したのならばメディチ家と引き合わせた。
メディチ家にはアグリッパのように、若者の苦労を知り尽くしているものがいたのだ。
過酷な修行と荒れた日々、そのあとに復活があることはベネチアアカデミーもよく理解していたのだ。
ルクレツィア(レディマクベス)の男遍歴とは、どれほど多くの若者をメディチ家に引き合わせたのかを語っているのである。
このような「女ネットワーク」が張り巡らされなければ、女は強いとは言えなかったし、かつては男子と同じ勉強をしていた女たちに救いが与えられることもなかったのだ。
女たちからの村八分はすべての若者の「復活」を女たちのものにするためのものであった。
おばさん連中の中には「温かさ」を若者に与える人もいた。
救いのない若者にとって女の「温かさ」が「美しさ」に勝る時があった。
「苦しまない男は醜い」
彼女たちはキリスト教徒だったのだろう。
昔の男女共学の世界での出来事を考えると貴方ははるかに上等な男よ?
権威とはそのように女たちが生み出すものだった。
マグダラのマリアとマリアたちと呼ばれた。
Melody.

男女の世界は国づくりの後に作られたものだ。
最初に国家を作り、その後に男女を作った。
年寄りも生まれ、病人も出た。
男女、そして年寄り、病人によって国家を運営することになったのだ。
これをプラトンは「ユートピア」と呼んだ。
松田聖子 小さなラブソング。

病人を「法」に当てはめていく、これが重要だった。
男にも女にも年寄りにもなれない人間は確実にいた。
病人を「男か女か年寄りか」のどれかに含めていかなければ戦争には勝てないことがわかっていた。
そのために「法」というものはあったのだ。
ゼウスの寺には病人しかおらず、ゼウスは医者として常に戦争について考えていた。
ゼウスはあることに気がついた。
「最高の快楽が病気を作っているのではないだろうか?」
痛みに逆らうように快楽というものは追究されたものだ。
痛みと快楽のバランスが必要なのだ。
二つの頭を持った野獣は快楽だけを求めて生きるだろう。
痛みを与えないと人間は伸びない。
医師免許をもらって「先生」と呼ばれた人が二度と勉強しないのをゼウスは目撃した。
「病人をなくす営みが法である」ことを知っていたアテネのゼウスがスパルタやアルゴス、エッセネを滅ぼした。
アテネは「男と女と年寄りの国」を目指し、病人をなくす、つまり法の奴隷となることによってペルシャも支配することになったのだ。
痛みと快楽の調和を取るために法律書を難しくしたが、快楽を想定して書き記していたため、ストイックな者は成績が悪かった。
ピーチシャーベット 松田聖子。

脳が苦痛をこれ以上、受け付けないほどストイックな男は法を学ぶことが極めて困難であった。
「男と女と年寄り」と世界を作りたいという法の世界から放逐されて病人になったのだ。
自分は男なのか、女なのかを確立していないとすぐに学業不振という形で表現されたのだ。
国家を強くするために「法」が必要と考えたのがプラトンであり、それは病人をなくす営みだった。
松田聖子 マイアミ午前5時。

マグネシアでは、医者がだんだん「男と女と年寄り」を作るための教育を受け始めた。
医者といってもミュージシャンのことだった。
これが法律の世界の序章となっている。
天国のキッス 松田聖子。

法律、そして医学の精鋭たちは「ノクターンカウンシル」を作ってセックスというものを変えてしまった。
男女ともに合体しながら動かずに1時間ノクターンを聞いた。
ショパン ノクターン。

男になること、女になることという法の世界がこれで一気に開かれたのだ。
自分の属する「性」が気持ちよくなければ「神・男」はクリエイトできなかったのだ。
これがユートピアというものだった。
健康や美しさ、富が生まれたのも「法」があったからだ。
「お嫁に行く」という信仰もこのことから生まれた。
松田聖子 ハートをロック。

いずれにせよ「男と女と年寄り」の国を作ることが「法」の目的であり、ゼウスの寺で病人たちが「男か女か」に戻っていくために非常にパワフルな役割を果たしたのがノクターンカウンシルであった。

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