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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2018年2月

2018年2月25日 (日)

レディチャペル2018。

ギリシャの時代から女の世界には「恋話」「男らしさを語り合う論壇」そして「仕事」の三つはあった。
すべて「女は間違いを犯さない」ということを基本にしながらも、上司がいる世界もあった。
よく勉強して男らしい人を「上司」と呼んだ。
他の女に譲りたくない上司もいた。
勉強したことを教えてくれる上司の前では女はまるで処女のようだった。
上司に「今夜は私に何でもしていいわ?」と言った時、上司は完璧な男を演じてみせた。
女には「恋の経験」が増えたが、恋話だけでは言論は成り立たないことを知った。
「男らしさ」を語り合うことも必要だったのだ。
女は「経験だけで生きていきたい」ものだ。
マニュアルなど読みたくはなかった。
「汝は嘘をついてはならない」とは男に与えられた命令であった。
上司とセックスをするたびに仕事を覚えていった。
男の「意思」や「趣味」をひたすら感じればよかったのだ。
処女は確かに仲間が多かった。
彼女たちなりの論壇もあった。
しかし、処女は「目で見たものはどこに行くんだろう」と思っていた。
上司にからだを売れば何でも解説してくれることを知らなかったのだ。
聞いたことを人に話すだけで仲間ができた。
上司がお金を持っている限り、部下の女は生活に不自由しなかった。
男社会の話は上司からすべて聞いた。
権力、お金、名誉、健康の話がそこにはあった。
「性行為非公然性の原則」(私有財産)がなくなるだけですべてを失うことも分かった。
上司次第で、他の男も蹴散らした。
他の男たちも私を抱こうと必死になっているのが分かった。
三浦瑠麗。

上司のおかげで私は宝石を手にした。
女のからだに「意思」が身についたからだ。
隣で飲んでいる人が大企業の社長さんだった時もからだを売った。
今の世界でいったい何が支配しているのかをすべて聞かされた。
私のからだに意思が宿るのを感じながらオーガズムに達した。
幸せとは何か?
処女には分からないと思う。
あの仕事はあいつがやった、この仕事はこいつがやったなどの話も聞くことができたので、世の中を生きて行きやすくなった。
業績を成し遂げる男は妻への義務を果たしていたので、私の上司も私も「評論家」に過ぎなかった。
でも「興味がある」んだからいいでしょう?
チームの状態もファンの女が一番詳しかった。
彼が楽しんでいることを私も楽しんだだけ。
妻への義務を果たす「プレイヤー」だけが何も知らなかった。
妻への義務を果たすことは女たちの支持を集めるのに必要なことだった。
そうでなければ「男らしさ」を語り合う対象にはならなかった。
「プレイヤー」と「評論家」の違いはここにある。
酒井法子 イヴの卵。

「結果」が怖いのならば野球なんて見に来ないわ。
私はファンとして、そして評論家として勝つのを見に来ただけ。
一人の「野球好きの女」の方がそこいらの政治評論家よりもいろんなことを知っているの。
私のからだは嘘をつくことがあるのかしら?
それだけが怖かった。
野球を見ることはセックスをするのと同じぐらい気持ちよかった。
「ホームランが出る予感がする」などという専門家の言うこともバカげていると思うこともあった。
栄光が誰のものになるのかは私の方が詳しかったの。
女たちはこんなことを考えながら球場に足を運んだ。

【ファンレターに自分には分からない「政局」が書いてあるのならばこちらから連絡したい】

処女たちには彼女たちなりの論壇があることは知っていた。
でも「大人の女になるとはどういうことか」を教えたかった。
夫への義務とは素晴らしいものよ?
しかし、「業界通」でなければ独身のプレイヤーも相手にしないでしょう?
丸腰の処女を妻にする野球選手などいなかった。
プレイヤーも「支えとなる女」を必要としていた。
複雑な知識の世界をよりシンプルにしてくれる女が必要だったのだ。
「セックスと食事」
これがプレイヤーに出された答えだった。
これをうまくコントロールできる女を嫁にすれば引退後も困らなかった。
「世の中を生きていく術」は女の方が詳しかったからだ。
「男女に人気があればなんでもできる」それだけだった。
男がプロポーズした時に「この男はどうにでもなる」と女は思った。
だから「食事」を任されたのだ。
あとは「夫への義務」を果たすだけだった。
「結婚する前は前、あとはあとでしょ?」
これが夫の口癖だった。
夫の良いところは妻が一番よく知っていたので「論壇」に情報を率直に流した。
夫はやがて生活が快適なことを知った。
有頂天になった時は「他人への同情ができるかどうか」の重要性を教えた。
レギュラー定着も心の問題だったのだ。
やがて「筋肉バカ」も「女心」を知るようになっていた。
三人祭 チュッ! 夏パーティー。

有頂天に待ち受けているものは「他人の悪意」しかない。
一度、女たちの拍手喝采を浴びれば「男らしさ」の論壇に名を残すことになる。
しかし、その時ほど「他者への同情」が必要な時はない。
強烈なパワーを手にした時こそ、周囲を思いやるべきであり、それは妻の力量にかかっていた。
世論が彼のキャリア続行を望んでいるのかどうか?
そのようにしてプロスポーツの世界は「法律の王国」となった。
有頂天になった男も市民だということを悟った。
常にお客さんが来たが、「論点整理」できない妻はいなかった。
彼の力の何が必要とされているかを明らかにする必要があった。
それは司法試験に合格するよりもよっぽど大事なことだった。
みんな妻子もちの男に「金目当て」で寄って来たのではなかった。
有頂天になった時の政治力を必要としていたのだ。
電話一本で「私の記憶も証拠ですから」と言って欲しいだけだったりするのだ。
細かい事情までは分からなくていい。
それが分からないから「限界説」が出る人もいるのだ。
篠原涼子 愛しさとせつなさと心強さと。

無法地帯と化した外国人をこの国で使うことも重要な発想だ。
彼らは「日本の論理」にうまく適応している。
その外国人の「働き」にも注目しなければならない。
「自由」というものは不安なものであり、しかも「譲れないこと」が多く起きる。
「男らしい人」という噂があるのならば「ダメ外人」などとは報じられないだろう。
外国人が、異国で力で上回らないわけがない。
すべて「自分のことを語り合う論壇がない」ことから力が出ないのだ。
奥さんの方が「適応能力の高さ」を見せなければ、キャリアも続かないだろう。
なにしろ「枠」は限られているのだ。

【ファンレターの例】
羽生結弦さま。
足のお加減はいかがでしょうか。
私の職場のドクターが、足の脱臼は「心電図を見ればわかる」と言っていました。
プロ野球の世界では肘の脱臼に「トミージョン手術」というものが知られていて、手首の腱を肘に移植することが知られていますが、私が知っているドクターは高度先端医療として、手首の腱を足首に移植することができます。
保険は効かないのですが、私がドクターにお願いして無料で手術してもらえるようにお願いすることが可能です。
もしご興味があれば連絡ください。
(あくまでも具体例です)



【つづく】

2018年2月22日 (木)

喫茶店経営について。

もし、街ですれ違っただけの男女がカップルになるのならば、それはそれぞれの男女の今までの付き合いや、組織に影響を与える。
簡単に成立する効率的な男女の関係が、今までの「私の法」とどのような関係があるだろうか?
瀬能あづさ 土曜の夜にレインボー。

街でのナンパが一気に広まったのは1970年代のことだ。
「かわいいな」と思ってしまうという点では、法に嘘をつくのが街でのナンパだ。
アメリカ合衆国の民法が、そのようなカップルにも居場所を作り始めた。
宗教や社会の慣習が、このことをまちづくりの一つとして街を開放したのだ。
ドォーキンは、今まで属していた組織における長い付き合いから「プロポーズ」に至ると考えていたが、背景には「女のからだは皆同じ」という発想があったし、女が他の女のからだに吐き気を感じないための恋愛フォーラムが好ましいと考えていたということが指摘できる。
藤本美貴 銀色の永遠。

学校や会社の「ルール」ってなんだったのかなという思いもある。
モーゼ五書の戒律の伝統はどうなるのだろうとも思った。
「街に可愛い子ならばいっぱいいるじゃない?」という考えが学校や会社組織を強いものにしていた。
街とイエの「プライベートの違い」も理解しなければならない。
「女を連れ込む」という急進的思想がどれほど危険なものなのかをしっかり研究しなければ街は作れなかった。
【街でのナンパは難しくないか?】
これが議論の核心部分である。
男が使ってきたお金は今までの組織の女の方がはるかに多い。
女が男に求めるものが多いから組織というものを作ったのではなかったか?
女の快感の値段と、男の収入をしっかりと安定化させるためにも組織というものは必要だったのだ。
カップルというものは「男が稼いだお金の結論」だったのではなかったのか。
キスから胸に進み、セックスして結婚に至るという道のりが街でのナンパでは困難なのではないだろうか。
MajiでKoiする5秒前 広末涼子。

「お金は女のために使うものだ」という発想を忘れないで「街」に出なければならないね。
今までの交友関係のルールを「コモンロー」と呼ぶ。
その方が男は金を払うだろ。
しかし、街ですれ違った女の子をナンパしたら「お金がドッと出る」だろ。
お金を喫茶店などのアリーナに解放するためには女の子が必要なのだ。
パートナーを連れているのに、すれ違った女の子を見る男、それはもはや裁判の世界なのだ。
街というフォーラムを前向きに考えるか、コモンローを大事にするかの問題だ。
男は市民であり、時には政府の高官であることもある。
戸塚のトンタン茶房。

女は「ナンパをされても振り向かない」という基本を理解している。
男を判断する材料に乏しいからだ。
企業が「効率性を求める」とは、街に可愛い女の子を歩かせることによって「自分の会社の女の子を可愛くする」という意味である。
1930年代から1940年代に起きたことが70年代から80年代にかけて再び引き起こされた。
国が今までの組織に大量にお金を流すというニューディール政策であり、女の子は街で男に振り向かなくなった。
これが法律の伝統だったのだ。

しかし、いまや国家のまちづくりとして、そして政治フォーラムとして、さらには今までの人間関係を大事にしつつも女の子と話せる場として喫茶店は利用されることになった。
ナンパの正当化の論陣は非常に強い。
政治家が喫茶店を「裁判所」とみなすようになったのだ。
社会経験を背景に影響力を高めるために「ちょっと喫茶店に行ってくる」と言われるようになった。
政府高官が普通にコーヒーを飲んでいる店、それだけでもよくなった。
政府高官は飛び交う言葉を黙って聞いていて色々考えたり新聞を読んだりしていた。
女性たちに囲まれたかったのだろう。
それが男の出世だったし、休息でもあった。
飛び交う女たちの言葉を聞いているだけで富のパレートが移動するのを感じるのだ。
家庭を持っている男が女性たちの話を聞くことができる。
それがコモンローの結論であり、悩みを抱えた女性たちが「政府高官という裁判官」に話を聞かれているのを知りながら集う場所となった。
男を勃起させるのが女たちの目的だったからだ。
「私たちの興味のある話題で男を勃起させるの」
喫茶店では「騙された話」ばかりしているのが女たちの本音だった。
仕事や家事、子育てがあるから「騙される」のだ。
その経験を政府高官に聞こえるように話した。
政府高官は「あの問題か」「いつか話さなければいけないかな」と思いながら新聞を読んでいた。
高橋由美子 コートダジュールで逢いましょう。

家庭を持った男は女の話を聞く機会が減る。
それが法律というものだった。
そのために街に可愛い女の子をたくさん歩かせた。
あるいは仕事をしていたり家庭を持っている女性たちに街を開放したのだ。
家庭内では話したくない、外で話したいと言っていろんな善後策をコーヒーを飲みながら話した。
まるで「何かを守りたい」かのようだった。
社会経験に満ちた喫茶店はまるで私たちの悩みの答えを知っているようだった。
想像で男は勃起する側面がある。
想像力を磨くためにはコーヒー代は、コンビニに比べて安いぐらいだった。
裁判では悩んでいる人を誰もバカにはしないだろ。
政府高官も表情を変えなかった。
ヘンリー二世が街を開放的にしたのだ。
法律事務所よりも解決能力があるようだった。
男はみんな喫茶店では「男らしく」振舞っていたからだ。
女の子を街でナンパして喫茶店に誘うのも、店がこのような文化を持っているからだ。
「私たちの出会いに無関心ではない人たちがいる」
中には恋愛作家も喫茶店にいた。
宇田川光代。

「みんな家庭を守りたいんだよ」
客の男がそう言っているように思えた。
カリフォルニア州最高裁は、喫茶店の椅子を「女王の椅子」とまで表現した。
私たちの話し合いは一面トップに来るのかしら。
そのために新聞というものは置いてあった。
女たちは「セックス」を語り合っていたが、言葉にはしなかった。
プラベートを楽しむとはそういうものだったのだ。
うまく言葉にはできなかったので話は長くなった。
安倍なつみ 男友達。

ナンパして「お茶しない?」というのはみんなが通ってきた道だった。
今まで属していた人間関係より優れた経験というのはこれほど成熟した喫茶店というものがなければ成り立たなかった。
「お茶の作法」とはこのような政治フォーラムをいうのだ。
千利休は、信長様を理解していない。秀吉はそれを知って激怒した。
法律学というものは非常に混乱しているんだよね。
必要なのは「やる気」だけなんだ。
女たちの議論が聞きたい。それだけだよ。
どんな仲間がいて、どんな宗教を信じていて、何を強制されているのかな?
男は口出しできないので黙って聞いていた。
喫茶店という文化を作っただけで国の税収は増えたのだ。
家庭というものがあり、税金というものがあり、うわさ話というものがある。
文化ではあるけれども政治の側が「計算した」ものでもあった。
すべてが無駄には用いられないことが分かっていたのだ。
話し合った悩みは社会の共有財産になる。
松浦亜弥 S君。

家庭を守るために語り合うことは敵を作らない。
いろんな人が話題に共感しているのだ。
自分が一番大事だということを巧みに用いている。
政治家は「喫茶店で世論を拾った方が安上がりなんだよ」と言った。
「女のルール」を知ることもできる。
人と向き合わなければ罰が与えられてしまうのが世の中なんだ。
まず「空気に馴染む」こと、そして「自分の方向性を決める」こと、「役割を明確にする」こと、これができなければ「罰が待っている」こと。
引きこもるぐらいならば喫茶店に行った方がいい。
政府というのはそれほど複雑なんだ。
人と会わない奴とは政府も話したくない。
それが「罰」だと思った方がいい。
ハートは「法律っていうのは要するにいろんな組織と話ができるということだろ」と言った。
法律は守ればいいと思うだろ?
その通りだよ。でも「罰」を避けるために人と話せということなんだ。
ひとりの女はあまくはないんだ。
いろんな仲間がいる。
痛みを感じていたり病んだりしている女と話すとあっという間に広まるよ。
健康的で可愛らしい女を街でナンパすると「悪い男」だと思われるよ。
でも、健康的な女なんていないんだよね。
家庭を守ろうと思っている他の客はどう思うか?
「私たちに馴染めればいい」と思っているよ。
女が肉ではなく豆腐をレストランで注文したら、安いし健康にいい、そのこと自体、感受性が強く病んでいるのだ。
「守らなければならないことがあるんだろう」
食べることにすらリベートを求めているのだろうか?
お金と健康を求めること自体、誰かと話したがっていることを意味する。
罰を受けるよりは税金を払いたいんだ。
引きこもりなんて犯罪的だと思っている。
そのおかげで引きこもりの人のまわりの空気は汚れているからね。
「政府と話をするために法律を学んでいる」という意味を知ってくれ。
政策を作る人もできるだけ多くの人と話した人物の話を聞きたがっている。
罰を受けた人の通報なんて聞いてはいないよ。
攻撃側が正しいと思うだけだ。
松浦亜弥 絶対解ける問題。

女の子を街でナンパするのはいいことだよ。
引きこもって一方的に罰を与えられるやつよりははるかにいい。
ラスコーリニコフは一回の罪から300人と話しただろ。
家庭を守るという気持ちが世の中で一番大事なんだ。
「守る」という言葉のすべてが家庭にはある。
家庭内では何度「これならオーケーだ」と言ったことだろう。
喫茶店で「ナンパした女の子」が笑ったのならば周囲は微笑ましく思うだろうね。
所詮、家庭を守るって「笑う」しかないことばかりなのよね。
何度も「イコール」を成立させていくしかないし、きりがないものだ。
男であり続けるために男は多くの人と接するしかないのだ。
いろんな物事が計算できる人は素敵ね。
面と向かって人と接した男しか家庭内にいて欲しくない。
自分のグループをコントロールした男ならば政府も話をしたがるよ。
コントロールと言っても「人を元気にさせた」というだけだろうけどね。
H.L.A.ハートは「他人を元気にさせてやる気を出させる」ことだけを教えるために「心のふるまい」という本を書いている。
「官僚自体、毎日くよくよしていることを知ってくれよ」
なぜ官僚は優秀だという漫画を信じているんだ?
まわりには女の職員がいないじゃないか。
政府高官は、ラフな格好をして喫茶店にいた。
瓦全房。

官僚や裁判官は「周囲に認めてもらう」ために裁く。
そのため、喫茶店でも女性たちに声をかけるというよりは「頭の体操」をして終えればいいのだ。
街でナンパして入ってきただけの男女も当然、風景の中に含まれている。
二人の男女が緊張しているのを見ればわかる。
まるで自分の住所も教えないゲレンデの恋みたいだ。
それぞれが「守るべきもの」を持っている。
1975年にランズとポスナーが喫茶店でこの研究を行った。
「男のセールスポイントが一通り、語られるのを見た」
一生、言い続けるんだろうな。
外ではいつもそう自己紹介しているのか。
最後に男がお金を払った。
2001年にカプローとシャベルがこの世界をもっと深めた。
日経平均に見合わない金額だとセックスまで至らないのが喫茶店の価格設定だったのだ。
喫茶店でご馳走して「お持ち帰り」など誰もできないことがわかったのだ。
男の「階級」だけ確かめて女は帰っていくのだ。
2とランクされたら、次は4でさらに次は16だ。
3とランクされたら、次は9でさらに次は29だ。
29まで行くのならば「セックスOK」というシグナルが出される。
喫茶店で男の点数は2か3しかないのになぜ緊張しているのだろうか。
政府高官は眺めていた。
4か9まで区別がついている男女ならば盛り上がり方が違うだろう。
16か29ならばお会計まで女の子が付いてくるかどうかで分かるだろう。
セックスOKならば、その後も女の子は話の続きをするだろう。
ナンパした女の子とはそのようなものだ。
喫茶店というものはそのような「物語」まで提供するものでなければビジネスとしては成り立たない。
価格設定とセックスの関係を理解しなければならないのだ。
カプローとシャベルは「お茶しない?」というナンパの意味を21世紀になってから明らかにしていた。
女の子は常に「からだは売るものだ」という発想を持っていることを忘れてはならない。
しかも、男が喜んでお金を払ってくれたというところを見ている。
男の値踏みというよりは「女としての自信」を喫茶店で見ていたのかもしれない。
「この人とならば女として生きていける」というぐらい金払いよく、しかも機嫌よくお金を払わなければならない。
三度目のデートでようやく結論が出るために、何らかの方法でふたたび会わなければならないだろうが、そのあたりはめぐり合わせだろうね。
有閑マダムの抑圧からの開放。

2018年2月20日 (火)

男道(革命)。

【男が女を愛する気持ちを利用するのが経済】

マルクスは、ユダヤ人の家庭に生まれたが、キリスト教に改宗してからプロイセンで活動できるようになった。
「反ユダヤ法」がドイツにはあり、おそらく「割礼を受けない」ことをドイツのアイデンティティとしたのだろう。
「女心の定義」を政治とし、男が女を愛する気持ちを利用するのを「経済」と呼ぶのであるのなら、マルクスは政治経済の立派な新聞記者として人生のキャリアを始めた。
「お金はどこから来るの?」
これをユダヤクエスチョンと呼ぶ。
露骨にセックスばかりしないところにお金はあるのだ。
「もっとロマンティックな」
そんな男女の関係を作り上げるところにお金の秘密があったのだ。
「幼女を大事にしよう」
幼女とは「羊」と表現され、「囲い込み運動」によって守られた。
セックスは「私有財産」である。
自分と世界が遠く離れてしまった女の子を大事にすることにしたのだ。
CoCo 夢だけ見てる。

フォイエルバッハは、「冬の海」をマルクスに紹介し、世界を解釈してひたすら指を指す世界が哲学だと語った。
学問のある男の前で、女は指を指して自分の哲学観を語った。
女が自分の前で「指を指す」リアクションをするのならば哲学者として認知されたことを意味する。
会社は、男の従業員がホモとして体を売る能力を買い取った。
「男道」は常に会社とともにあった。
男から「体を売る能力」を買い取らなければ、女が商品にならないではないか?
宗教もとどのつまり会社とともにあったわけである。
女性芸術は共産主義が愛したものであり、国が左傾化したら紅白歌合戦である紅組が勝ち、右傾化したら白組が勝つ。
「子供を産む勢力」を世間が愛せるのかどうかが問われた。
「男が女を愛する気持ちを利用するのが経済?」
だとするのならば、どうしても「出産」という謎と向き合わなければならない。
人生の歴史を変えてしまうのが「出産」であり、「おじいさん、子、孫によって行われる人生ゲーム」に「女の存在」を見抜く力量を唯物史観と呼んだ。
「男から、ホモとして体を売る能力を会社が買い取る」
これがそのまま女たちの値段になったのだから日経平均株価は、会社の業績であると同時に女たちの値段でもあった。
この資本主義に対して「男女は平等だろ」という空想的社会主義が挑戦状を叩きつけた。
「男として体を売る」
これが社会主義であり、最後には「働きすぎて従姉妹しか女がいない」というような共産主義が模索された。
政治(女心の定義)、宗教(男らしさを語り合う論壇)が多くの「可能性」を生み出したのだ。
Be my baby complex.

搾取というものは、会社や土地のオーナーが「低賃金」で男を雇うことからも生まれるし、結婚からも生まれる。
男が体を売る能力を買い取るのが会社であり農家であるが、その対価が不十分であることはもはや構造的なものであったし、結婚した主婦が「もはや体を売れない」のも構造的なものだった。
また、賃金労働者の下で育つ子供も低賃金の犠牲になる可能性があった。
カトリックは、独身女が「お金に酔う」ことを戒めたのである。
お金に酔い続けていつまでたっても結婚しない女がいるからである。
「心に決めた人がいる」
それは、散々「男らしさを語り合う論壇」(宗教)で女たちが語り合った同一産業の男であり、男は政治(女心の定義)がうまかったのだろう。
結婚した男女にとっても政治や宗教は無意味ではない。子育てに役に立つからである。
アダムスミスが「社会の歯車になれ」と言ったのも、リカードが「人口が二倍になれば発展は三倍」と言ったのもすべては企業や農家の「独身女」の存在が念頭にあった。
自分の体を「商品」と呼べる女がいるうちは社会は発展するし、社会の歯車となった方がいろんな物事が効率がいいからである。
オカマは、すべての計算の「分母」であり、オカマが増えるといろんなものが失われる。
経済学者であるマルクスの指摘を受けて、敢えてアジトと呼ばれる塹壕でカマを掘り合う者たちがいたし、彼らはそれを「革命」と見なしていた。
カーマは気まぐれ。

公立の学校で「進路指導を握っている」という先生がいるのであれば、生徒や児童は完全に服従するであろう。
公立という治安の悪い学校ではこの「進路指導」は非常に人気がある。
親は子供を守ってもらうために進路指導の先生に金を握らせればよかったのだ。
成績やひどいいじめは、案外、このようなことを知らない親が存在することから生まれている。
とにかく公立の学校の安い学費は人気があった。
親の経験と知識が子育てに反映されるからである。
知らない親は、進路指導の先生に裸にされたりした。
肉体派の労働者が、金を扱う労働者に比べて酷使されやすいのは事実である。
しかし、肉体派は女にモテる。
そのことから「ベーシックインカム」と呼ばれる賃金の調整を行なって女たちの人気を経営者は維持したりもした。
進路指導の先生を「先公」と呼び、女子たちの支持を集めて回る生徒を共産主義者と呼んだ。
1950年代にスターリンの時代が終わり、フルシチョフの「シークレットスピーチ」によって「政治」「宗教」が若い連中に拡散し始めた。
アルチュセールは、5年間にわたる服役により「まるで中学校にいるような経験」をしたのちに、生徒向けの政治や宗教に関する論文を書き始めた。
「まったく自分を応援してくれる大人がいない」
この自己疎外こそが共産主義の温床であった。
若い男たちが、女子たちを口説き始めたら、それは感染症のように他の男子たちに広まっていく。
このアルチュセールの考えはマルクス主義をより現代化したものであり、主に公立の学校で展開されたものであった。
お金はどのように儲けるのか?歴史はどのように作られるのか?
それを生徒であるうちに学習するものであり、「先公」の内申書に悪影響を与えることもあった。
プラハの春以降の学園生活においては、女子たちに人気がある(弁証法的唯物論)というのは正解であったし、女子たちがクラスの序列を決めていたので、「先公」も進路指導でお金だけを問題にするわけには行かなくなっていた。
アルチュセールは、そのようにして、自分の「信者」を若い世代に拡散させた。
およしになってねTeacher.

ブルーノ・バウアーは「働きすぎ、勉強のしすぎならば従姉妹と結婚しろ」という共産党宣言と関わったが敗北している。
神と男の関係を描いた旧約聖書を書き、ルカとマタイも彼が書いた。
あるいはマルクスがイエス・キリストだったのだろうか?
マルクスへの憧れ、それだけでロシアはワールドパワーになっている。

尾木ママ(尾木直樹)は、守ってくれる大人がいない子供たち(自己疎外)のために詩を作った。
ある意味、ずっと教育の現場に張り付いていた。
彼自身はホモセクシャルであったが、「キモ引きニート」にそのような人生を歩ませたくない、彼らの世界を広げてやりたいという思いだけがあった。
コンサートの後に出る人混みを大事にしてもらいたかったし、人見知りでも他人を「オタク」と呼んでまで共通の話題を作らせようとした。
人脈ができれば体を売らなくて済む。
キモ引きニートにはイケメンもいた。
「金もない、学歴もない」のならば芸能人になるチャンスを与えた。
過剰な期待が若者にのしかかっているから「応援してくれる大人がいない」ことに苦しみを感じていたのだ。
そこで尾木ママは、若者の「性欲」だけを狙って女たちに歌を歌わせた。
「人間というのは子供が産めればいいの」
彼の作品は「ユートピア」(夢もの)ばかりになっていた。
若者たちは踊り狂い、尾木ママは「革命の予感」すら感じた。
しかし、世論はこのような若者に対しては冷たかった。
CoCo 夏空のDreamer.

尾木ママがナチスを追われたのは事実であるが、代わりにナチスに入党したのが後藤次利である。
「孤独の中で」という本で「すべての女を口説く方法の学び方」を語り、河合その子を口説き落としている。
その時に作った作品が「プリズム」である。
河合その子 プリズム。

後藤次利は、「ワーグナーを探して」などの本も書いている。
「一人の美女を口説き落とすものは多くの女に囲まれる」などの持論もあった。
「お金を払うのは男らしくない」という女たちの指摘もあった。
「あれが貴方の愛した人ね」と女たちが語り合ったのだ。
若い頃に一人の美女を口説けばいい、これが男のハートを強くするのだ。
マルクスは「女は見た目だ。体の相性などない」としている。
マックス・ウェーバーにせよ、ルーカクスにせよ「もはや女を愛することそのものがお金だよね」と語り合った。
おカマの尾木ママは、ナチスから追放されたが、後藤次利はナチスに愛された。
プリンストン大学も「ラジオリサーチ研究所」で後藤次利を問題にしていた。
美女を愛したお金で子供たちを育てるんだよ。
河合その子 緑の少女。

美しい女を愛したから美しい音楽が作れたのだ。
すべての女を口説き落とす方法を考えたカントの「悟り」はワーグナーを通じてナチスの音楽作品として発展した。
「エルメス」(美女)
これはナチスが探求したテーマだった。
「世界を広げる」「病気になる」
2つの側面が見つかった。
世界を広げる一方で狭くしてしまうものが美しさというものなのだ。
「貴方が誰を口説き落としたのかを見失わないように映像に残すことにした」
それほど河合その子は見る影もない姿になっていたのだ。
「壊れやすいもの」
それが美しさというものだった。
普通の女を愛して普通の結婚をする男もいれば、壊れやすい「美しさ」を愛して、一生の宝にする人もいた。
これはもはや人類学であった。
お金の面ではどちらも同じようなものだったのだ。
河合その子 サエラ。

農業(労農派)やライン工(講座派)の世界ではひたすら「男」が描かれた。
なぜならば、世界全体を農業とライン工が覆ったからだ。
テクノロジーの進歩とともに、この二つの世界に「男らしさ」は残った。
やがて「俺たちにボスなどいない」と現場の男たちは言い始めた。
仕事を覚えたからだろう。
会社や土地のオーナーが女を買うのを見た。
「男と売春の歴史がここに始まった」
天津神国津神などブルジョワの学問に過ぎない。
ケインズ主義は「同じ性の経験を持った国」でしか使えない。
からだを売る女と売らない女では「国のお金」の有り難みが異なった。
1968年まで世界では「肉体派」「武闘派」が街を闊歩したのだ。
なぜ肉体派・武闘派の時代は終わったのだろうか?
それは、天津神・国津神のような「ホワイトカラーの仕事の確立」があったからである。
「男が女を愛する」というのならばまず「男」を定義しなさいよ!と言われた。
男の肉体美に「解剖学的には」ついていけない存在を女と呼ぶのでしょう?
女は「子供を産むから」愛されるのだろうか?
今一度、ご先祖様の「幸福の歴史」を振り返って見なければならない。
肉体派には、「女を愛する資格はあっても歴史が彼らに限界を課していた」とされる。
哲学者たちはみんなホワイトカラーの先生だったのだ。
子供を産むのとからだを売ることはどのような関係にあるのだろうか。
農業・ライン工・売春・子育ての世界に「より人気のある」考え方が求められた。
売春して得たお金を「交換価値」と呼び、子供を「剰余価値」と呼んだ。
日本では資本主義社会というのは「明治維新以降」のことを言う。
しかし、マルクスはその1万年前の資料まで研究している。
ルチオ・コレッティやルイ・アルチュセール、エンゲルス、ローザ・ルクセンブルグが「男道」を探求したのだ。
ローマ帝国の膨張からギリシャ哲学とエジプトが結びついて行ったイスラエル建国の奴隷社会(ユダヤの学生)や、都会の大学まで留学しては金持ちになって本国に帰ってくる伝統があるイスラム帝国は「肉体労働」とは異なる社会だった。
しかし、「女を金で買う」ことから金が飛び交うようになった資本主義のもとでは、金というものが一気にダイナミックなものとして扱われるようになった。
出産というものもより安全なものになった。
このことから「男と女が同じ夢を見れるようになった」とも言われたのだ。
藤本美貴 銀色の永遠。

肉体派が「支配されたくない」と言ったら何が起きるだろうか?
ソビエト連邦、東ヨーロッパ、中華人民共和国、北ベトナム、北朝鮮、キューバはそれを経験した。
プロレタリア革命である。
どのようにリーダーというものは生まれるのかは天津神・国津神で説明したが、それをすべて否定してみせた国々は確実にある。
支配されたくない、それは「男道」の到達点であったし、人類の挑戦だった。
マルクス自身は大英博物館で研究しながら、エンゲルスのささやかな仕送りの下で暮らしていた。
まるでエンゲルスがマルクスに「女を買うな」と言っているようだった。
しかし、研究したことを女の子たちに話す機会が与えられたために偉大な書物が完成したのだ。
男の失恋から生み出される富もあったし、政治改革と自己防衛という「進化」もあったし、従姉妹に子供を産ませるなどという「革命」もあった。
フランス革命は「略奪愛の正当化」から生まれている。
女を利用することが資金集めの方法であるということを革命は明らかにしてきた。
天津神・国津神の世界だけを男が生きたら大喧嘩になるよ。
肉体で白黒つけようじゃないか。
貧しい研究生活を送りながら女の子と話していたマルクスはこのような結論を出すに至っている。
白黒つける男の方が女にモテることが分かった。
「証拠を見せて」と女が言ったらどうする?
証拠を見せて 工藤静香。

共産主義国家(肉体派が支配から解放された国)ができてから、資本主義社会のように「支配のある国」で子供が大量に生まれたのが確認された。
イエス・ノーで言うならば共産主義は歴史が「ノー」と言った。
人類一度きりのチャンスに失敗したのだ。
男の子の数で負けたんだから当然だよね。
天津神・国津神の仕組みは非常に有効に機能したと言える。
しかし、「イケメンマルクス」はもはや伝説となっていた。
1000トンの鉄があれば、どれだけ多くの肉体労働者が動き、どれだけ女を買い、技術が進歩し、どの規模の企業が出来、どのくらい経済成長するのか?を明らかにしたマルクスの「言っていることが怖い」と周囲は受け止めたのであり、「イケメンマルクス」の生き方から入門するものが後をたたなかった。
出生率や、テクノロジーの進歩、売春女の数、そして値段までをも鉄から割り出したのだ。
まるで「男らしさとは何か?」の全体像を把握しているかのような力量だった。
女が胸を見せるかどうかも金次第だったのだ。
1867年までマルクスは研究生活を楽しんでいる。
SMAP.

資本論は偶然この時代に書かれたものではない。
プロイセンのライン川のムーブメントや、シレジア地方の運動、イギリスでのストライキ、フランスの階級闘争などが背景にあり、男道と天津神・国津神の闘いは「根の深い問題」とマルクスは見ていたのだ。
マルクスは、男女の自由恋愛が行き過ぎると「災害報道が増える」と言うアダム・スミスや、マルサス、リカードの「人口が二倍ならば発展は三倍」などの理論を完全に理解していた。
最初は、男の子が生まれるまで、そして男の子の運命、さらに利益と金利、男の子の競争、女の子の処女に頼りすぎること、株式会社に就職すること、売春、国と貿易、世界が混乱に陥る理由、などをコンパクトに公表しただけだった。
しかし、あくまでも「頭のいい肉体派」として発言が人々に恐れられ、天津神・国津神のようなホワイトカラーの連中を「ぶっ潰すイケメン」として革命というものが語られたのだ。
しかし、1848年のこの本がだんだん分厚くなっていくのを人々は見ていた。
CoCo メロディー。

しかし、資本論の間違いも指摘しておきたい。
「世界が混乱に陥る理由」という部分はのちの時代に間違いだったことが証明されているし、売春婦に子供を産ませた場合、その女は抑圧されるという説明も「説得力がない」とされている。
子供の成績と父親の実質賃金の関係なども理解不足が見られる。
共産主義は完璧だなどとは思わない方がいい。
天津神・国津神の「一番優秀な壊し屋」でも経験不足は指摘できる。
しかし、「機械が最も優れた男の武器である」などという優れた視点は無視できない。
「女心の定義」「男らしさを語り合う」論壇が形成されたことを「産業革命」と呼ぶのならば、その論壇のことを本来「工場」と呼んだ。
しかし「産業」「工場」が現在ではどのような姿になったかは周知の通りだ。
マルクスが産業「革命」の何をぶっ潰したかったかというと本来の「産業」だったのは明らかだ。
「産業」は女の子と話す上でお金を払わなければならなかったことから発展している。
女たちが「私の相場はいくら?」と鉄で判断したという説明も卓見であった。
個人レベルの恋愛を「ミクロ経済学」と呼び、国全体の統計をドンと出す学問を「マクロ経済学」と呼んだのも素晴らしい発想だった。
愛の炎 田中れいな。

頭のいいイケメンであるマルクスは本来の「産業」つまり「女心の定義」「男らしさを語り合う」論壇、つまり政治と法をぶっ潰そうとしたが、のちの時代の革命家は「従姉妹との結婚」「ゲイカルチャー」などを推進力にしている。
もはやこのような物象化論はマルクスのような「計算能力」を持たなかった。
マルクスは叔父のサミーについても語っているし、弟がなぜ自分のように頑張れなかったのかも「お金が違った」と説明している。
1974年にアメリカで1キロの金塊で買えるものは10年前の二倍であるということまで、マルクスを参照すると「自由競争で金を掘っていても災害が起きる」からうまく調節されているのだろうとされた。
災害といっても「女の価値を損ねるような出来事」のことであった。
本来の「産業」に何かが起きていたのだ。
産業にはた迷惑なことが起きるたびに「支配」が憎くなった。
「女心を定義する」政治経済は成立しても「男らしさを語り合う」というような経済はなかった。
歴史は「法」ではなく「政治」が作ってきたという唯物史観の立場に立った。
おちんちんの「使用価値」も売春による「交換価値」も医学の発展がなければ論ずる余地はなかっただろう。
在庫が残るのならば「産業」の力不足であるなどという指摘も行なっている。
ヒトラーは絵の買い手を自分で見つけている。
値段は女を相場にしたとされる。
マルクスの影響なのは明らかだ。
また、マルクスは「女心の定義」を行うとのちの世代にも感謝されるけど「セックスする機会を失うのではないか?」とも指摘している。
哲学・政治学の世界は「満足したら負け」という側面があるからだ。
また、一人の女の殻に閉じこもるのは「何ら生産的ではない」とも語った。
女の値段を釣り上げるのが哲学者・政治家だとするならばね。
男たちはいつでも金を払う用意はしている。
しかし、いくらの値段がつくのかは「女心の定義」次第であり、たまに悪い知らせが入るとむしろ喜んだりした。
セックスは「回数ではなく質である」からこのような「値段」がつけられるのだ。
「産業」次第で値段がつけられ、男はそれを払うしかないという世界なのだ。
インディゴブルーラブ。

「子供は産業の贅沢品だ」とも言われる。
「お父さんやってるんだ?」などと父親が語られるものである。
子供がいるというだけで「なぜ?」「どのように?」と女たちは考える。
つまりは「モテるのね」ということだろう。
女が男を愛する気持ちを利用する経済学の世界では「子供」というのは無視できない存在なのがわかる。
「女を買ったから子供ができる」という表現も可能だ。
奴隷の結婚(学生結婚)は、家が農家なのだろうなどの推測は可能だ。
男が「機械を使って」「処女をモノにできる」のは農家しかない。
労農派という立場だ。
アフリカのヨーロッパ植民地を丹念に研究してみると労農派が何を考えているかがわかる。
ダウ平均の影響も受けずに、食料があるのは農家なのだ。
ストライキ権も持たないのも労農派だ。
講座派はそのような意味では「裸一貫」から人生のキャリアを始めている。
天津神・国津神が道路や水道の普請をするのは事実であるが、講座派はそれにフリーライドしている。
しかし、「産業」の世界で泣き、笑うのも講座派である。
講座派は「俺は人生の才能がねえのかな」と思うような場面と常に向き合っているのだ。
150年前までは9割が農家だったということも知っておかなければならない。
「子供」をめぐって労農派と講座派が対立するのも当然だろう。
生娘ならば働けないなと講座派(ライン工)は考えるが、農家では普通に働いている。
天津神・国津神とはブルジョアのものという考えが浸透しているのは労農派も講座派も同じだった。
モーニング娘。 ハッピーサマーウエディング。

男の生産性という意味が労農派と講座派では異なった。
機械は操作する人が大人か子供かは尋ねないからね。
しかし「産業」は大人の男女しか相手にしないだろう。
「悪い遊び」も異なった。
このような観点から労農派と講座派は区別していくのだ。

さて、鍛えられた肉体が出来上がったらいよいよ男同士で白黒つけるときだ。
チンパンジーにとってはバナナでも、女たちはお金を欲しがっている。
シュンペーターは、「マルクスはホモの存在を知っていたのかな?」と指摘しているが、ヨーロッパや中国、日本にマルクス主義は進出した。
世界レベルで豊かな地域だった。
子供が好きな連中でもあったね。
「子育て論壇」の発達も背景にあったのだろう。
子供は女を買わないし、さらにその子供も作らないからね。
肉体労働の世界の「女心の定義」「男らしさを語り合う」論壇というのもできた。
どのみち男女のトラブルは起きたので、天津神・国津神を肉体派が握ることとなった。
性は個人の秘め事であった(私有財産)。
女心の定義や男らしさを語り合う論壇のクリエイターもいたし、議論の蓄積もあった。
性行為非公然性のもとで、査問に会うこともあった。
私有財産を否定する査問はあったが、幻に近かったね。
短期的利益や長期的利益を見据えて「性」の解釈は行った。
女たちがこの世界を自由に動き回ったのだ。
子供のいるお父さんなどの議論の蓄積もなされた。
ビッグダディとも呼ばれた。
性衝動・権力衝動がこの世界を支えたのだ。
女たちが語り合う「男らしさ」はインプットとして大量に法を形成したが、女心を定義する、つまり口説き文句というアウトプットは肉体派は苦手としていた。
10世紀から13世紀のビザンチン帝国で「肉体派」の議論は出尽くしていたが、「女心を定義する」という発想を持っていたメッサス・ロックフェラーや、モルガン、メロンなどは最初は理解されなかった。
男らしさを語るのならば肉体派になるしかない。
やがて、政治と法がマスプロ教育で大々的に語られるようになった。
しかし、キャンパスには「賃金」というものはなかった。
キャンパスの奴隷ではない労働者は「産業」から賃金をもらっていたのだ。
しかし、男は筋肉と胃袋だけで生きているのではない。快楽を味わう神経や希望、学びたいという気持ちがあった。
学生運動の温床はここにあるのだ。
「賃金は常に女を買う値段を相場にして決めた」
モーニング娘。 独占欲。

女たちは自分たちのからだを「商品」と呼んだ。
哲学・政治学はマスプロ教育で否応なしに拡散していった。
共産党宣言でマルクスは「金がないのなら従姉妹と結婚しろ」と言った。
賃金とは女を買うためのものだった。
その後、マルクスは「惨めな労働者」の研究を始めている。
失業者やホームレス、非正規雇用などの研究だ。
人間は否定されてはならない。
労働者の怒りをかき集めたという意味では「女心の定義」(政治)、「男らしさを語り合う」(法律)という論壇をぶっ潰してやろうという気持ちがあったのだろう。
しかし、鉄からすべてを予測する天才の限界とも言える研究がプロレタリア文学であった。
女のからだという「商品」と約束を交わすために生まれたものがお金であるということはリカードを参照した。
それは最初は「特定の女と貝殻を交換した」ことから始まっている。
しかし、100万トンの鉄と1000キロの金塊が同じであることがわかったり、1000キロの金塊が200万ポンドを意味したり100万ポンドを意味したりすることから「金と女」はダイナミックなものとなった。
金を掘る作業が「神の見えざる手」によってコントロールされているということも背景にあった。
イングランド銀行がこのコントロールを引き受けた。
女の純潔を約束することから借金というものも生まれた。
これらが明確にならないと国の財政出動というケインズ主義も生まれなかったのだ。
また、ブレトン・ウッズのように覇権国家の「産業」に世界がしたがうという仕組みもできなかっただろう。
ロシアや中国では「産業」という論壇がぶち壊されてしまった。
中国の改革開放、CPOP.

女のからだ(商品)は、おちんちんの永遠を約束する。男の子が産めるからである。
そして、鉄や紙などは「性行為非公然性の原則」という私有財産のもとで誕生した。
おちんちんをつかうというのはそれほど人類に大きな影響をもたらしたのだ。
鉄、トウモロコシ、ダイヤモンドはおちんちんを強くするし、女のからだをより魅力的にした。
男の子が靴を磨き、女の子がシルクのパンツを履く、これが黄金という喜びとなる。
鉄やトウモロコシは、男の子の靴磨きや女の子のシルクのパンツのために奉仕する存在なのではないだろうか。
黄金が生み出したものなのだ。
鉄やトウモロコシは、「僕の方がたくさん靴磨きをしたよ?」という第三の男の子のためにある。
女一人に男が二人いなければ鉄やトウモロコシが作られる理由はない。
靴磨きをしている男の子の肉体が鍛えられれば、鉄は100倍価値のある銀や金となるだろう。
「家」というものはそのようにして出来ている。
女のからだの魅力(交換価値)とおちんちんの「利用価値」はそのようにして「怠けた労働者」の存在とともに社会を発展させた。
女の子を買うというのはそのような効果を持ったのだ。
ribbon 真夏のフェミニスト。

トウモロコシは「季節」があるから列強は季節を無視できる砂糖やコーヒーの栽培のために南の島にプランテーションを作ることにした。
これが「一人の女が複数の男とセックスする」ことの意味だったのだ。
女がからだを売るのに季節など関係なかった。
靴磨きよりも難しい仕事が大自然にはあるだろう。
寒い季節にはリネンやコートが2倍の値段で売れた。
大地を切り開けば男は、より複雑な仕事をしてリネンのシーツやコートを女にプレゼントするのだ。
そこから洋服の仕立て屋やクリーニングが発展した。
女一人に男二人という構図を作っただけでいろんなものが発展するのだから男の才能というものはあまくはない。
あとは女をプロデュースする人が必要だね。
この「お金の起源」を冷静に理解しなければならない。
ましてや、女の「男関係」がもっと複雑化すると、社会は「絶望的な発展」を遂げるに至った。
トラブルをなくすためのビジネスも発展した。
ゲルマン法、ローマ法の頃から語り合ってきた「男らしさ」も、セックスや出産がより安全なものとなってから「複数の男」が想定できるようになったのであり、性行為非公然性の原則という「私有財産」が生じてから「おっぱい」の意味も変わった。
6メートルのシーツ(セックス3回分)が一つのコートなのかというところからシティの証券取引所での値段の変動が起きた。
酒井法子 あなたにホームシック。

C4H8O2(エステル)のように、女四人には貧乏男8人と金持ち男二人が寄ってくるという複雑な計算にまで発展し、恋愛と結婚は「違うスポーツ」とも言われるようになった。
マルクスがエステルのことをそのように例えたのだ。
エステルさえ成立すれば女はコートに困らなくなった。
ユニオンに「黄金の脳」は二人だけいればいい。
エステルに見られるような「男二人による支配」を嫌ったのが革命だったのだろう。
CoCo 夏空のDreamer.

女はエステルのメンバーに入ったら「キスと胸」を巧みに使い分けた。
このことだけでも「セックス3回分のシーツ」とコートの関係は複雑化した。
アイドルのニャンニャン写真流出のように「女の価値」が変わる出来事があるとこれらは変動したし、政治の側による「女心の定義」によっても変動した。
寒さをしのぐコートは絶対に必要だったためにブランド化などが複雑になされた。
南の島の砂糖やコーヒーもその影響を受けたのだ。
「鉄ができた」ということを発端に男女の世界や社会はこれほどまでに劇的に動いた。
ギリシャの時代はだいたい一軒の家に五つのベッドがあった。
しかし、劇的に動いた社会では貧乏男と金持ち男で「その本質」への理解力の違いが見られ、家というものはそんなに単純なものではなくなった。
女がキスと胸を使い分けただけで、紀元前にすでに「20世紀の到来」だけは分かった。
だいたい「セックス3回分のシーツ」は、1着のコート、4キロの紅茶、16キロのコーヒー、1クォーターのトウモロコシ、2オンスの金、500キロの鉄という具合に法則は固まっていたから女たちは好き勝手に男を選べた。
渡辺美奈代 Too Adult.

女の子にもいろいろタイプがあるでしょう?という発想を「非効率性」と呼ぶ。
そのいろいろなタイプの女の中から特定の女に、鉄やトウモロコシ、コートを貢ぐことによって自分にとって「特別な女」にしていくのだ。
喜んでいる男にはキスをして落とし穴にはめ、胸に残った人には胸を触らせ将来を感じる。
セックスは噂になり、出産につながる。
あとは歴史の審判を仰ぐしかない。
女はシーツに「女」を想像している。
シーツをいくらの鉄、コーヒー、コートで表現するのかは「男がいなくならないように」決めるしかない。
男がいる限り「最大価値」がつけられているのだ。
女の値段。日経平均株価。

「セックス3回分のシーツ」は、1着のコート、10ポンドの紅茶、40ポンドのコーヒー、1クォーターのトウモロコシ、2オンスの金、500キロの鉄という「相場」は方程式にしたい。
ほっかほか弁当は女のからだに与えるためのものであるから「商品」と呼ばれている。
どの男がその「女」に金をかけたのか?という観点からおちんちんは「利用価値」と呼ばれた。
独占欲から女を太らせる男もいるのだ。
男が働いた証拠を示したかったのだろう。
セックス3回分のシーツは、結婚したらTOPIXにまで値段が下がってくる。
だからこそ妻に大量の食事を与えられたのだ。
「セックス3回分のシーツ」は、1着のコート、10ポンドの紅茶、40ポンドのコーヒー、1クォーターのトウモロコシ、2オンスの金、500キロの鉄というのも「結婚」という制度があるおかげで社会の相場が撹乱され複雑性を増した。
しかし、男にとって「特別な女」は確実に生まれたのだ。
そのようにして、女は安心して「老いていく」ことができた。
渡辺美奈代 シーツの舟。

このように女のからだという「商品」から多くの価格が決まるために「花を買いませんか?」という形であらゆる物価に影響を与えるようになった。
「女心を定義するのは政治の仕事」というのはそのような意味である。
政治のことを「シーツのアイロンがけ」と呼ぶ人もいた。
男が女を愛する気持ちを利用するのが「経済」であり、女が「男らしさを語り合う」のが「法律」ならば「法経学部」とひとまとまりにはならないはずである。
2オンスの金に合わせて2ポンドというのはできている。
セックス3回分が「2ポンド」であるとされているのだ。
これさえ定義できれば、男は社会で「自由に踊ることが」できるようになる。
いよいよ我々は社会で自由に活動できるというメッセージがマルクスから送られた。
シーツのアイロンがけからおのずと「2ポンド」の価値も決まったのだ。
2ポンド稼げば3回女とセックスできることを大英帝国が保障した。
外国為替も「異国の女」の影響を受けるようになったのはこのためだ。
何度かデノミを繰り返した「ポンド」

このことは、エジプトの書物から発見した「ヒエログリフ」とも呼ばれる。
どれだけ仕事を邪魔されたかという「マグニチュード」という単位も生まれた。
東京の地震は小さくてもマグニチュードは大きい。
地震までもが「女のからだ」から計算されており、政治の影響を受けるのだ。
「自由競争が行き過ぎるから災害報道が必要だ」というアダム・スミスの影響をマルクスも受けていた。
女たちに力を与えるのがマルクスの目的ではあった。
この「ヒエログリフ」だけを頭に叩き込んでロビンソン・クルーソーは無人島に行っている。
ペンとインクだけを持って行ったのだ。
男らしさを語り合う法律の世界はより「神学」に近いものとなったが、「女心を定義する」という政治の世界は経済のコントロールを可能にした(政教分離)。
「お金はどこから来たの?」という問いはこれで明らかになったと思う。
松田聖子 マンハッタンでブレックファースト。

お金があったって「女を買う」のは多少の強引さが必要だろう。
「男らしい」と言われるようなシステムが整っていなければならない。
「彼女がいる」と言っても批判されない文化が作られていなければマザーズでもジャスダックでも女は買えない。
法律がそれを「男らしい」と認めていることとお金を持っていることが「彼女がいる」という意味だ。
「彼女を作れる状況には今はない」という男のことを自己疎外と呼ぶ。
お金と法律から自己疎外は生まれる。
ブルジョワが「宝の持ち腐れ」と言われるようなお金と法律がうまく回らない状況が作られたことからフランス革命は起きている。
お金ってなんのためにあるのだろうか?それを社会が見失ったからだ。
ルイ16世がもっと謙虚で、女たちが「男らしさ」をもっと的確に表現していたらフランスブルジョワ革命は起きなかっただろう。
銀や金は、女にとって魅力的で、しかも供給が「神・男」にコントロールされているからお金にするのに都合がいい。
しかし、10ポンドの金をタンスにため込んでいるだけならば男は「働く意味」を見失うだろう。
女たちも黙ってはいないはずだ。
Wink 愛が止まらない。

1トンの鉄は2オンスの金と同じという金兌換制は、お金というものをシンプルにしたマルクスの考えであった。
しかし、「女心を定義する」政治との関係や、小麦から出来るパンを女にご馳走することから小麦の取れ高との関係からどうしても「複雑なデノミ」を行わなければならなかった。
「女を磨けばお金に影響を与える」という観点から、小麦という要素がお金に入り込んだのだ。
女といってもクオリティの違いが出てきたのと、小麦をどのくらい用意すればいいのかという観点から、「お金で女を買う」のではなく「女がお金を決める」という具合に変化した。
これが「政治学の発展」であった。
聖書は「男らしさ」だけを売っていただろ。しかし政治はそうではない。
聖書を女たちはいくらで買うつもりだ?とも言われた。
女たちが「男らしさを買う」ことが分かったため、金は天下の回り物と言われるようになった。
bz もう一度キスしたかった。

女が「男漁り」のための徘徊をやめれば物価は上がる。
街に女の数が減って、金が飛び交うのならば、物価は間違いなく上がるのだ。
女たちが腐るほど街に溢れているのならば、お金の「速度」が下がる。
お金の肖像画はこのことを正確に理解している人を描いた。
肖像画が正確であれば金本位制を廃止しても意味は変わらないとされる。
ドルは「原油が買える」から世界の基軸通貨としての地位を守ったとも言われているね。
女が買えればいいんだよ。
男が女を買う(M-C)のと女が男らしさを語り合う(C-M)のは異なるものだ。
しかし、「男らしさを語り合う」論壇がなければ「M-C-M」の世界で発展がない。
つまり、法律(男らしさを語り合う)世界がなければ、男は働かないのだ。
ここに経済発展の秘密がある。
富を生み出すのはあくまでも男だという発想が根付いている。
女心を定義する政治と、男らしさを語り合う宗教は「政教分離」と言いながらも「男が女を愛する気持ちを利用する」経済と密接に関わっている。
政治といえば集まらない金も宗教といえば集まるというのではなかなか株価も上がらないだろう。
どちらも同じように魅力的な世界なのだ。
紅白歌合戦も同様の論理で白組(宗教)が紅組(政治)を圧倒している。
Bz ピエロ。

女一人に男二人がいることから鉄やトウモロコシができたが、女を奪われた方の男が存在することを「矛盾」と呼ぶ。
この時に、女を奪った側の男が、奪われた側の男に殴られないためには「日経平均株価の2倍」のお金が必要だとも言われる。
このことから女にとって彼氏の「男らしさ」は10%上がっている。
また、失恋レストランは安い価格で食品(商品)を提供すべきだとも言われている。
失恋レストランとは風俗のことだった。
なにしろ10%男らしさで負けたのだ。
資本主義の「矛盾」とはこのことであり、男同士での金のやり取りが生じることと、より男らしさが進歩するということ、それを踏まえた上で鉄やトウモロコシが生まれたことが指摘できる。
失恋レストラン。

女の値段の出し方は、365回のキス+52回の胸を揉ませる+4回のセックスを全部足して365で割るとも言われている。
これを3シリングと呼んだ。
これは「日給」の相場の計算だとされたため、だいたい「セックス週三回」が正解となるだろう。

さて、なぜ他の男を失恋させることができたのだろうか。
それは、男の「勉強メタボリズム」からくるものだ。
やがて女との間に子供(剰余価値)が出来るだろう。
子供は常に「父親の勉強メタボリズム」にさらされていることになる。
子供は靴磨きの数を競い合うのではなく「勉強の成績」を競い合っていたのだ。
女の子にとって「勉強」には世界のすべてが含まれているように思えた。
教科書は聖書だったし、物理、化学、生物はお医者さんになるために必要な勉強だった。
「私は動物なの?」
勉強ができる男の子はそのことを勉強していた。
地理に詳しい男の子は、世界中を旅することのできない女の子の憧れだった。
処女なんてものは大人に高額で売りつけてやったわ。
クラスの男の子は大人たちよりも若くてハンサムだった。
地球と向き合う営みが勉強だったのだ。
愛の倫理社会 おニャン子クラブ。

子供が生まれたら、女のからだ(コモディティ)・商品は「プロダクト」と名称を改め、マーケットにおける値段が変わってくる。
からだを売ることをもはや行わない「女のからだ」だったからだ。
しかし、夫にお金を託された存在となる。
あとはその「商品」(プロダクト)は、夫のおちんちんから子供を産む、育てる、感じない女としてセックスする存在となる。
未婚と既婚という区別よりも、子供がいるかいないかで女は区別される。
女は子供を授かって「ねがい」をかなえても、男たちに「女」として見られる宿命にあるのだ。
そこから「最底辺の動物」のように振る舞う主婦もいる。
子供を授かっても、男たちの「専門的な眼差し」の対象になる。
男の仕事は子供を授かっても何も変わらない。
子供がいない男と同じような仕事をしている。
しかし、女たちの「男らしさを語り合う論壇」をより豊かなものにした。
もはや、妻にはシルクのパンツではなくコットンのパンツが必要とされ、10ポンドのコットンが10シリングと価格設定された。
40ポンドの紡績糸が40ポンドのコットンと同じ値段だとも定義された。
お蚕さんはこれから機械にかけなければならない。
そこでシルクとコットンの値段が変わったのだ。
からだを売るか売らないかでシルクとコットンは区別された。
男の独占欲がコットンのパンツに表現されていた。
紡績糸とコットンが同じ値段だとされたら、あとはシルクは「働いた分だけ」コットンよりも高くなる。
一日6時間働けば「セックスは週三回」が実現するだろう。
10シリングの紡績糸が働いたおかげで12シリングになり、「独身女性用です」と言えば15シリングになる。
「専門的な男の眼差し」とはそのようなものだった。
真冬の観覧車。

独身女性用です、と言えば3シリング高くなることが分かり、経済は「偉大な発見」をした。
【働かなくてもいいのではないか?】
「セックスできる可能性」があるだけでも儲かることが分かったのだ。
3シリングというのは6時間働かなければ稼げないお金だった。
これが一日12時間働くことを考えると、「セックスできる可能性がある」というのはボロ儲けに近かった。
このことから「シルク」の大量生産が始まった。
絹というだけで男たちの反応が変わったからだ。
「女に高い値段をつけよう」
このような考えが定着した。
安室奈美恵。

一方で、コットン業界は「真面目な業界」であると女たちは語り合った。
そこで、どんな値段がついても「産業」は成立することも分かった。
「役にたつ男」というイメージはどの男も欲しがるものだったのだ。
一日6ポンドのコットンを36ポンド欲しければ、週6日働けばいい。
しかも、一日6時間の労働でいい。
あとは「女心の定義」という政治と「男らしさを語り合う」という宗教が、政教分離の名のもとに男女で分かれて行われた。

また、炭鉱事故で生娘が跡形もなく消えてなくなったという話から、石炭と石油では同じエネルギーを持っていても石油の方が高く売れた。
「生娘」というものを大事にする産業がどれほど儲かるかも思い知った。
からだを売れる時期は長くて10年とも言われ、女は子供がいた方が儲かった。
男の生活スタイルに自分も合わせるという発想が大事だ。
AKB48 好きなんだ。

1000ポンドの機械が1000日で壊れるとしよう。
115ポンド生産するたびに15ポンドだけ「悪魔のホコリ」が積み上がっていく。
そのために使える絹は100ポンドだ。
500日からだを売って150ポンド儲ける女がいるとする。
機械いじりをして「悪魔のホコリ」を除去する男に「すごーい!」というだけで10日で壊れる機械は1000日持つことが分かる。
放っておいたら10日で悪魔のホコリにやられてしまう機械も、男女たちの「出会いの場」を与えている。
女は500日で150ポンド儲かることになる。
10年間でもからだを売るのは500日ぐらいだろう。
社会は快適でなければならない。
女もからだを酷使しないようにしながら生きていけるようになっているのだ。

男が500ポンド儲けるとする。
410ポンドは仕事によるものであり、90ポンドは「女子たちの噂」のおかげであり、さらに子供がいると90ポンド加算される。
子供がいるだけで590ポンド儲かるのだ。
410ポンドのうち312ポンドは生娘のおかげであり、44ポンドは娘のおかげであり、54ポンドは悪魔のホコリを修理したおかげである。
機械を使う現場では、「女性が噂をする」だけで1054ポンド儲かる。
このようにして、子供がいない男は1500ポンド稼ぎ、子供がいる男は1590ポンド稼ぐ。
どのような計算をしてみようと、稼いだものは手元に残るのであり、娘がからだを売る年頃になると、その悩みの複雑性から儲けは10600ポンドになる。
なぜ「シルバーライフ」が豊かなのかもプライベートの悩みが仕事での儲けにつながるからだろう。
酒井法子 おじいちゃん is watching TV.

人間は「6時間しか働かなくていい」(必要労働時間)。
そのあと7時間労働だろうと9時間労働だろうと12時間労働だろうと「政治か宗教をやっている」と言っていい。
大学受験がいちばん人生で難しいんだ。
30年間この時期を過ごすのか、10年で終えるのかの違いが男女にはある。
女は12時間労働でも、残りの6時間を「今夜のお相手探し」に用いることができるが、男は出世したいから長時間労働は望んでいない。
女が「からだを売る相手を探し始める」のであり、また、子供のいる女性も長時間労働は望んでいない。
ユダヤの学生アルバイトや、黒人の奴隷の方がよっぽど金を持っていたのには驚いたね。
6時間の労働を週6日やって36時間働くのと、12時間の労働を3日やって、あとは「男のための日」にするのかは考えた。
しかし、人間の「1日の生活のリズムや感情」を考えると、週6日働いた方がいい。
ドナウ川のコーヴィー(貴族が運営する農場)では年に56日間しか働かなかったが、ワルシャワの農場では天気を見ながら210日間働いた。
労農派はこのようなのんびりとした労働をやっていたが、イギリスでは講座派が主流であり、週一日の休みだけにしたのだ。
講座派ほど労働時間に悩んだ連中はいなかった。
時にはセンセーショナルな事故も経験して現在のように9時から5時というものが定着したのだ。
酒井法子 リアル。

結婚して子供を持った男は、妻とセックスして、あまった3シリングは子供のために用いるだろう。
しかし、娘がからだを売ったとか、妻とセックスしたとか色々なものが複雑化する。
【ここでようやくマルクスは女の抑圧に気がついた】
この時にマルクスは「従姉妹の女の子」に目をつけたのだ。
必要労働時間を10時間にしてみたところ、「従姉妹しかいないな」ということになったのだ。
9時間か10時間の間にその分岐点があったとされる。
4〜5年働けば「子供同士の交流」も始まるために、この時「団結」という言葉も生まれた。

「革命家」マルクスの誕生。


しかし、団結というのはアリストテレスが「人間とは政治的動物である」としていたことから「女心を定義する」つまり詩の「習律」について語り合う仲間を作るという意味であった。
このことから左翼と芸術が結びついた。

垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。

レディチャペル〜女性の抑圧からの解放。

このような「文化」を明らかにすることを「マニュファクチュア」と呼んだ。
音楽産業が機材の発展とともに花開いたのだ。
感情の表現さえできれば、橋やダムなどを作ることが可能だった。

東京通。


音楽作品が豊かな都市では失業者が少ないことも明らかになった。

労農派は、「妹にもお金をかける」という特徴が見られた。
妹が「お兄さんの男らしさ」を語ったのだ。
勉強の応援をするために妹はからだを売った。
これはエジプトの言い伝えだとも言われる。
お兄さんの勉強や受験をすぐ近くで見ていたのは妹だった。
エジプトの「水」(女)の伝統はスペインやシチリア島、アラブにまで流れるものだった。
妹に彼氏ができた時に、お兄さんの「失恋」の理解力が生じたために、労農派は講座派よりも20%利益が大きかったとされる。
一日12時間も働けば「従姉妹」というよりは「妹」になるわな。
12時間働いて6シリング稼いだら、妹が豊かになるだけだ。
その分、妹が「男らしいお兄さん」という論壇を作るだろう。
そこいらの処女を買うよりもお金は20%しかかからない。
四六時中、畑や田んぼを見守っているとこのようなことになるのだ。
講座派(ライン工)でも必要労働時間が激務だと妹との関係はこのようなものになる。
「女を奪われる」ということは仕事を邪魔されることを意味する。
それが嫌だからセックス一回に3シリングの金を与えたのだ。
しかし、日経平均全体で見ると「妹とセックスする習慣」というのは株価を半分に引き下げるとも言われる。
シルバーリングに口づけを。

以上の「労働時間と周囲の女の関係」や経済効果を見なければ賃金というものは定まらない。
労働者は「セックスをするために働いている」という観点が必要なのだ。
また、国家として「女の性の統制」を行う国がヨーロッパにはあることも知っておかなければならない。
音楽機材に興味のある国とない国があることも指摘していい。
どの国もUKやビルボードがあるわけではないのだ。
共産主義というものは女たちが「花を売る」世界だ。
華族子弟の赤化や芸能界に広く蔓延するものでもある。
西田幾多郎が「皇族や芸能人は処女」と言ったような考えとは明らかに実態が異なる。

「貯金のある男」というのも生まれた。
女をいつでも買えるようにお金を貯蓄しているのだ。
このような男を「資本家」と呼んだのであり、金融資産の研究は避けては通れないものとなった。
しかし、このような「マクロ経済学」は、ミクロ経済学のように「女の売買」のような実体験をともなうものでもなく、下ネタでもない。
日経新聞でも読んでおけばいいだろう。

しかし、10000ポンドかかる子供と2000ポンドかかる子供と、400ポンドしかかからない子供がいるという具合に「子育て」を語る必要はあるだろう。
大卒、高卒、中卒という具合に「雇用」の事情が変わってくるからだ。
ブルジョワとプチブルと言われるように、子供たちの間での交友関係も変わってくる。
就学の段階で「金で女を買える」かどうかが違う。
この問題が「金融資産」にまとわりつくことは知っておいていい。
住んでいる地域も違うし、そもそも大学というものが本当に勉強するためのものなのか?
親の金で女を買う場所なのではないか、などが語られている。
オックスフォードのようにカントを教える大学とエジンバラ大学は明らかに異なる。
マクロ経済学がセックスについて語らない以上、実体験のともなわない議論にならざるを得ない。
さだまさし 案山子。

1870年代から1914年までの間に、ドイツ、オーストリア・ハンガリー帝国、ヨーロッパロシアで人口が急増した。
中産階級がしかも支配したのだ。
「誰が最後のケーキ(女の子)を食べるのか?」という問題と直面した。
ヨーロッパ各国は宗教(男らしさを語り合う論壇)が異なったために、この三ヶ国だけで繁栄というものが謳歌されたのだ。
アルザス・ロレーヌ地方は常に「繁栄するドイツ」を見ていたためにフランスを激怒させていた。
「夫への貞淑を何だと思っているのか?」という思いがあった。
国が国民にお金を与えるということが想定されていない「旧世界」においてはこのようなことが起きたのだ。
「恋愛と結婚は違うスポーツだ?」「それで繁栄しただ?」
フランスは国家の宗教の存続の危機に立たされていた。
モーニング娘。 男と女のララバイゲーム。

ウィルソン大統領は、14か条の提案においてフランスに「もっと心を開くように」としていた。
この文章をじっと睨んでいたのはフランス人だけだった。
「これが戦争の原因だったのか」
アルザス・ロレーヌ地方は、「夫の心の安定か、それとも繁栄か」を常に考えていた。
これだけでも「敵と味方」を作るのには十分すぎる議論だった。
ドイツは、ベルサイユ条約で戦後賠償金を求められたのではなかった。
「世界規模での財政出動」を求められたのだ。
ドイツは国境を越えて「繁栄とは何か?」を発言する力を持った。
フランスは「最後のケーキ」が傷つけばいつでも拳を振り上げる覚悟だった。
CoCo 優しさに帰れない。

「恋愛と結婚は違うスポーツ」
こんなことを女が公然と口にするたびにクレメンソーは怒りに震えていたが、ドイツは「世界規模の財政出動」によりこれを世界に広めてしまった。
ケインズ主義とは「お金の裏付けのもとに性文化を広める」ものだったのだ。
ドイツが自らのイデオロギーを世界に拡散させていくのを見て、イギリス、イタリアなどもケインズ主義を真似し始めた。
「国家財政が国境を越える」ことをケインズ主義と呼び、そのお金は「性文化」を広めることにつながるとしたのだ。
アジアの純真。

日本のテレビドラマで「恋愛と結婚は違うスポーツ」という発言を女がすること自体、アメリカケインズ主義のもとにアメリカのお金の裏付けがあることを知らないといけない。
しかも、一つの発言を引き出すのに数兆円単位の金が流れている。
フランスの論理もここでは学ばなければならないだろう。
女たちをコントロールすためには数兆円のお金が必要だった。
宮澤喜一は、私の祖母・遊佐道子と親しく、当然、道子によって西田幾多郎とも引き合わされたであろうことから、「目先の政局を有利に展開させるために世界を動員する」のがケインズ主義と言われるようになった。
これがワイマール体制という「平和」がもたらした国際政治だったのだ。
それは当然、大蔵大臣をやらなければ動員できない資金力であり、しかも、日本固有の議論である「処女」というものを理解していなければ「私はケインジアン」とは呼べないわけである。
宮澤喜一が作った曲。Like a virgin.

当初、ケインズ主義は、ロシア、中国、ハンガリー、トルコ、オーストリアを「買える国」と判断していたが、宮澤喜一はアメリカ合衆国を買ってみせた。
バブル経済とはそのようなものだったのだろう。
国際連盟は横行するお金をまったく止められなかった。
この資金の規制を行ったことから「新世界」というものが開かれた。
フランスに移民する人もいた。
レーニンもこの問題で「感じる女」が多くなるインフレの国では、国内の政局を解決できるメリットがあるとしていた。
「新世界」においても、文化に介入すれば女たちが口々に噂を語り合ったのだ。
これで、もし子供たちが貧困に陥るのであればケインズは敗北を認めようと考えていた。
河合その子 愛のImmigration.

目先の政局のために世論を動員するというのがケインズ主義であるが、私は1987年から1988年にかけてアメリカに留学し、1990年に東大文一に合格している。
しかし、1989年のクリスマスにこの曲がリリースされている。
背景に遊佐(小野)道子がいたのは明らかであろう。
酒井法子 エアメール。

ハイエクは、「勝たせたい男を勝たせることはできる」とし、ケインズを褒めたが、「女を愛せない男っているもんだよ」と指摘し、その有効性の限界を指摘している。
ハイエクは、ホモの実態を探るために社会民主主義の世界に潜入している。
1950年代はシカゴ大学に、1960年代はドイツに戻りフライブルク大学に所属し、1989年に「ハイエクは死んだ」と噂になるまで活動した。
ハイエクは「ゲイカルチャーのグル」と呼ばれ、「男の子にも滑りやすい坂道ってあるんだ」と指摘している。
CoCo 冬の微粒子。

ケインズは、間違いなくヒーローだった。
しかし、「キャンパスライフが勉強なんだよ」としてそれを実践したハイエクもまたヒーローだった。
「勝たせたくない男」の存在を探るためにホモのソサエティーに身を投じ、その実態を赤裸々に語ったからだ。
1974年に「経済学が分かっている」と見なされノーベル賞を受賞している。
社会を作り、その空気に人間を流す。そうすると「すべての文章はハイエクが書いた」と言われるほど社会の現実は「勝たせてはいけない男」の物語に満ちていたし、ケインズを批判し、「男が女を愛する気持ちを利用するのが経済」というだけではうまくコントロールできない現実があることを知った。
しかし、文字を書くのではない、音楽作品を作るわけでもない、それでも木をチェーンソーで切り倒し、紙を作り、化学薬品からインクを作るものはいると説明し、巨大産業の世界に肉体労働の現実を突きつけたのがハイエクだった。
仕事の時間にも他の同僚と雑談もするだろう。
そのおかげでいろいろなことを見聞きすることになる。
その世界には「指導者はいない」ことも明らかになった。
1000人友達がいれば「わけのわからない」虐めに遭うだろう。
一億人の友人がインターネットの世界にいるとすると何が起きるであろうか?
ハイエクがいなければ「ヘンタイ」の実態が誰も予測できなかったのだ。
それは「虐め」の問題への答えでもあった。
「異性を愛せない」
このことから虐めというものはインターネットの世界で生まれていた。
ribbon メリハリで愛して。

人間社会は複雑なパズルだった。
非効率性も理解しながら「先生」の原稿を運ぶ労働も必要であるはずだとハイエクは考えた。
10億のジグソーパズルを「経済」だけでコントロールできるわけがないではないか?と考えていた。
勝ちたい奴は自然に「戦場」に集まってくるものだ。
逃げる奴はそもそも男としておかしいんじゃないのか?
フロイトが完成させた世界に興味を持てないのであれば、それは「社会」の流れに問題がある。
しかし「男」としての音を鳴らすものと「女」としての音を鳴らすものが両極端なだけであり、案外その「中間線」は自由なものだとも指摘している。
「私を選んでください」という気持ちとお金の相談に過ぎないとも言われる。
「男らしさを語り合う論壇」(法律)、「男らしさを演じる男」(行政)、「男女の痴話喧嘩を裁く」(司法)がなければ、このような男が生まれる。
すべて「自分たちの権威」次第で変わるものなのだ。
パン屋がパンを高く売るためには「男らしさを語り合う論壇」に参加するか「女心を定義する」(政治)しか方法はない。
つまり、「興味のあること」を「金利」と訳したのは正解だった。
パン屋は法律家であるか政治家であるかのどちらかであり、さまざまな活動を行うことにより高いパンを売っている。
ここで「金利」も文壇に委ねられたことをハイエクは指摘している。
本を読むよりもモントリオールからバンクーバーまで旅をした方がよほど金利が上がるという指摘も行なっている。
虐めをやって成績が悪かったのならば旅でもしていればいい。
社会は、ノンケだけの世界を構築したのではなかった。
多くの仕事をすでに用意していたのだ。
アメリカ合衆国が「グレートソサエティ」と呼ばれる寛大さを見せたのだ。



【延々とつづく】

2018年2月15日 (木)

天津神。

仲間が多い、そして人生が楽しいと言えるためには「教義」が必要だ。
キツネのおちんちんはハリネズミに比べてはるかに大きい。
しかし、ハリネズミは「おちんちんを触っただけで射精する」ものだ。
そんなに気持ちのいいことをハリネズミは知っている。
いったいハリネズミたちの仲間づくりや生き方の何がそんなに気持ちいいのだろうか?
より多くの男女をその「気持ちのいい世界」に巻き込んでいかなければならない。
芸術作品を解釈したり、都会に出て何かを学ぶことの意味、つまり東京大学に合格すると若い女の子が芸能界デビューをするというようなことからより多くの男女に囲まれた男は生まれるものだ。
高井麻巳子 約束。

女性の局部の価値を高めていく、それは「真実」によって行わなければならない。
女を風俗で買うというよりは、よく話し合って二人の真実を見つけ出し、気持ち良さを高めていかなければならない。
より快楽を与えてくれた人(ジョーンズ)のために私たちは投票するだろう。
その美女の子供の気持ちが味わいたいからセックスするのに「幼児虐待」をするとは何事か!
虐待は常に間違いである。
虐待をするものは遅漏なのだろうか?というぐらいセックスに快楽を感じないものだ。
人生を楽しんでおらず、仲間もいない、読書もしない。そのような「セックスが気持ちよくなくなる」ことから虐待というものは否定せざるを得ない。
人を虐げるものに果たして女が愛せるのであろうか?
我々の子供の気持ちが非常に不愉快なものになるのではないか?
そのような指摘が可能である。
一方で、裁判官のように人間社会の問題で悩みに悩んだものは妻への愛情がずば抜けているとも言われる。
その場を治めるというのは気持ちのいいものだ。
争いごとを治めることを知っている人は気持ちのいいセックスを知っている。
このことが分かったから「より複雑な快楽」「高度な学問」とセックスの気持ち良さを結びつけるキリスト教は一気に発展した。
なぜ男同士で認め合うのかという友情の問題も、彼女との気持ちいいセックスのためであった。
ふたつにひとつ 瀬能あづさ。

女性の局部について語り合うことは、どのように他人を扱ったのかという問題である。
可愛い奥さんや彼女と円満な関係を築いている男が何を語るのかをよく聞いてごらん?
何に悩み、何を楽しんでいるのかというのはもはや「哲学のデパート」だよ。
キツネのずる賢さは、デカいおちんちんに鈍さをもたらしている。
「仕事をする」
これが夜の夫婦生活には欠かせないものなのだ。
仲間が多い、率直さを持っている、そのような男はストイックなのではないか?と勘違いされるほどセックスに感じやすい。
可愛い女の子が好きな人はそのような意味では案外、善良さを持っているものだ。
AKB48 好きなんだ。

男女の人気のある解釈というのは、女子の群れの中での噂話の中で、面白おかしいことをした男の話題を見つけると、その男に残虐なことをするところにある。
それもまた女子たちにウケる。
しかし、それでは「神の小説」は死んでしまうではないか?
自分にとって楽しいことをする。
それが男というものだ。
まるで、一人の女を目指しているようなものだが、時には「どうしてもその女でなければならないのか?」と周囲の女たちを見回す必要がある。
自分にとってそれが楽しい営みであるということが大事であり、女からもたらされる快楽と同じだけの快楽を一人の女を目指すことによって経験するだろう。
仲間は必要だ。
しかし「認め合う」ということが必要だ。
人生のために忠誠を尽くす人もいるだろうが、それは認めたことにはならない。
自分にとって楽しい営みを行うことは女とセックスする快楽と同じであり、自ずと破廉恥な者をも認められるのが学問というものだ。
子孫が残った以上、人間には「幸せの歴史」がある。
しかし、快楽の経験の仕方の違いから「命令の歴史」もあったことを知らないといけない。
学問をやれば「神を見失う」ようなこともない。
イエスキリストのサクセスストーリーに説教されることもないだろう。
ribbon サイレントサマー。

男らしさを語り合う女(立法)とそれを聞いて実践する男(行政)と、それらの議論を聞いて学習する司法、さらには「男らしさってのはな」と男の側から押し付ける政治があるとすると、政治家を助けようなどとは誰も思っていない。
新入社員や異動してきた男は常に政治家だからだ。
しかし、もしその「政治家」が有名なミュージシャンだったとするのならばみんな命を助けようと思うだろう。
自己完結した組織において、他のグループにも「法律」を押し付ける力量があることを政治力と呼び、普通の新参とは異なる扱いを受ける。
それほど各グループは閉鎖的なのだ。
新参やよそ者はそれほど「外の世界への影響力」を必要としている。
そうでないと誰も自己完結した「政府の仕組み」において助けようとは思っていない。
紛争解決をした実績が現場の女たちの議論の土台である以上、ミュージシャンですら「仮説に過ぎない」と扱われる。
トマス・アクィナスだろうと誰だろうと、「今まで一緒に仕事をした人」が大事なのは変わらない。
トトカルチョや野球賭博をやらない限り、戦場の兵士や民間人にすら同情できない。
そのために戦争ギャンブル(資金集めの仕事)というのはあるのだ。
ゲームの腐敗に渋い表情をするのはお金を集めた人なのだ。
ネイマールよりも大事な人が職場にいる。

人間の命ってのは民間人も兵士も同じだからね。
でも、民間人はその地域に仲間をいっぱい持っているでしょう。
つまり、その地域の「政府の仕組み」のメンバーであり兵士は政治家の役割を果たしている。
兵士なんてのはよそ者だから誰も助けようなどと思われていない。
命のギャンブルなんてのは八百長なんだよ。
死んで欲しい人に死んでもらうものだ。
だから千本針でも縫うしかないんじゃない?
それほど、グループというのは閉鎖的だし強いものなのだ。
「立法」つまり男らしさを女たちが語り合うことがどれほどの巨大ビジネスになるのかを知っているだろうか?
しかも、経験を共にし、必要な時にいてくれた人に影響を与える議論であり、行政に優越するものだ。
女たちは実際に守ってもらった男でなければ、それほどまでに「男を認めることはできない」ものなのだ。
一人を殺すよりも五人殺すことの方が「その夜のセックスが気持ちいい」ことはある。
溺れても泳げる人と泳げない人がいると思うけど「妻が溺れたらどうする」という問題は「妻のことは私が一番詳しい」と思って夫は行動するだろう(保証人的地位)。
酒井法子 All right.

子供の教育で悩むことがあるだろう。まだ「政府の仕組み」に組み込まれていない存在だ。
しかも、夫婦のセックスの気持ち良さを決めてしまう「悔いが一人歩きしている」存在なのだ。
大英帝国は両親にとって有害な子供だったらオーストラリアに送った。
日本では赤紙が届いただろう。
戦争というのは世界の偉大な発見だった。
それも「政府の仕組み」だったのだ。
一方で「親に甘えることを知っている男の子」もいる。
親不孝として生きないことも戦争での生き死にを決めるのだ。
でも、子供にとってはそのどちらになるのかはコイントスみたいなものだよね。
マイノリティーの優遇(アファーマティブアクション)は、親に甘えられる子供を増やし、マイノリティーの戦争での絶滅を防ぐという意味合いがある。
なぜマイノリティーを絶滅させたくないのだろうか?
それは「男の重大な決意」と女が偶然に出くわして恋に落ちることがあるからだ。
たとえ信じているものが悪だと思っても、彼は自分の国では「赤紙」が来ないほど親に愛されているのでしょう?
そんな男には誤魔化しはないはずだった。
韓国軍は28000人だとされている。果たしてすべての若者なのかはしっかりと見極めなければならない。
戦争と恋愛はこれほどまでに深く関わっていた。
冬のソナタ。

このような「政府の仕組み」の全体像のことを「権威」と呼ぶ。
権威を用いて、毎日、女の子に新しい話題を提供したり(物理学)、今までの歴史を振り返ってみたり(化学)、出世につなげたり(生物学)するのだ。
そうすると壮大な世界が自分の前に開かれるのがわかる。
「国という巨大組織を跨いでしまう」ことの魅力も理解できるようになる。
仲間づくりに奇跡は必要ない。
勉強と共に歩んだものだけが好感を持たれるのが現状だ。
スマホだけで生きていけるはずだというネオダーウィン主義がどこまで有効なのかは「仲間というものがどういうものなのか?」から遡って考えなければならないだろう。
哲学も細かい論点を詰めて行ったら何ができるのかを知る必要がある。
しかし、我々はいつでも「電話だけの関係」を拒否できることも知らなければならない。
高橋愛 電話でね。

そもそも、セックスってそんなに大事なものなのだろうか?
そのような問いかけがなされた。
レディマクベスは「この男は女を知らないね」というところしか見ていなかったとも言われ、その復活を知っていたとされる。
「男、女、年寄り、病人」という構図があるのならば、年寄りと病人はセックスをさほど大事だとは思っていないことになる。
それでも「セックスのように気持ちのいい生き方」は年寄りにも病人にも存在する。
「もはや神経の問題である」と割り切るような境地になることがあるのだ。
女にとっては「お金の返事」が返ってこないだけだろう。
しかし、ワインを飲ませれば「お金の返事」が返ってくる。
セックスとワイン、それはドナルド・バッジとデビット・ベッカムを比べ、マルクス・アウレリウスとウィンストン・チャーチルを比べ、ピカソとベートーベンを比べるほどセンスのいいものだった。
「お金の返事」さえ返ってくれば「男らしさ」は議論できるのだろうか?
この問いかけには実はうまく答えられないのだ。
女たちは「セックス」を念頭に置きながら法律を作っているようだ。
しかし、枯れたおばあさんでも「初期の聖子ちゃん」を歌いながら掃除をすることもある。
プラックはピカソと同一人物であるが、ピカソよりもイカれていた。
イカれたものを愛するのがキュービズムの世界だっただろう。
セックスはイカれている、という意味ではよりその世界を愛する人がいてもいいだろう。
サバイビング・ピカソ。

女を愛するためには苦労が必要(決定論)と考えている男はとにかく人気がある。
どれだけ無様に歩いていても女たちは尊敬の念を忘れなかった。
遺伝や家族や文化のことを彼と語り合いたかったのだろう。
遺伝というのは親が子を愛する口実に過ぎないとか、すべての家族が改革を望んでいて「情け」でごまかしているとか、テレビのニュースをあの人はどう思っているのだろうとかを「決定論」の立場に立つ男に聞きに来た。
彼は「苦労して学んだこと」が女たちに認められることを生き甲斐にしていた。
女たちがその男の発言を重く見て語り合うことが大事であったが、それは政治家の仕事だった。
とにかく彼の話を喫茶店で女同士で話していると「不可能なことはない男」が現れて来た。
マザーテレサが味わったような快楽をコーヒーで味わったのだ。
松田聖子 雨のコニーアイランド。

病人は男でも女でもないから恋愛対象からハブりにするわ。
女たちはそのようなことも語り合ったが、病気というものを熟知していて、妻を愛することをためらわない男も尊敬された。
浮気という問題は案外、そのようなことに根ざしていたからだ。
落ち着かない子供の病気も語り合ったが、その親の夫婦生活を台無しにしてやろうと思って語り合った。
女たちの「喫茶店」にまったく動じなければナポレオンか神だろうとも語り合った。
女を愛するのに苦労が必要と考えている男をわざわざ苦しめるようなことを話し合ったのだ。
あの男はカントを知っていて、若い女を夏の海に送り出しているらしいということも語り合った。
海というのは「法の起源」と呼ばれるほど、カントを知っている男の話し合いのネタだった。
SPEED I remember.

なぜ決定論に立つほど「譲れない女なのか?」も語り合った。
その話題はまるでパワフルコンピューターのように女たちを盛り上げた。
マザーテレサとスターリンの関係を語り合うようなものであり、どんな悩みも解決できるパートナーだったのだ。
女たちは「楽しいことはなんでも成功する」と信じていた。
スターリンは喫茶店でマスターに「他の客と話をしたら出入り禁止だよ」と言われた。
喫茶店には本物のスターリンは必要なかったのだ。
犯罪を犯して塀の向こうに行った男のように「愛の世界から追放された男」の話題はしたくなかった。
塀の向こうの話は、関係者も「面白い話題ではない」として口を閉ざしていたのだ。
「人生は想像以上に安全だ」ということを語り合ったから「法」と呼ばれたのだ。
CoCo 冬の微粒子。

「義務」というものは「いざという時に助けてもらうために」果たすものだ。
約束というものが義務を生み出すが、女の側から男に約束を求めるという点は「男らしさ」を語り合う法の世界とも関わる。
選択肢を多く与えて「あっち」の方向に行動するのならば私も「このような」行動をとる、それが約束というものだ。
仲間の多さとつながる考えである。
約束を守る人は「周囲の行動が手に取るようにわかる」時期がある。
周囲の人は「自分の命を守るために」女たちの声を聞いているからだ。
女が「ハァ?」と言ったらいざという時に痛みにすら同情してくれないだろう。
女たちが「男らしい」と考える行いは、その男が助けられるために必要なものであり、法律を守る義務というのは行政として当然であるが、実際は「義務を守るから法律が生まれている」と言っていい。
その場で誰も痛まない行動をとることが「お約束」の基本である。
性的親密さをともなう世界では、誰も痛まない行動とは何かを深く掘り下げて考えないと、街を歩いただけでぶん殴られたりするだろう。
高橋由美子 Will you marry me.

人々が日常的に聞いている音楽作品(成文法)と、職場などで語り合っている「男らしさ」という慣習法に、習律という解釈を男が与えることは可能だ。
習律についていつも男同士は話をしている。
「仕事の話」とはそういうものだ。
習律の話に詳しいことが「政治的義務」となって政治コミュニティで「助けてもらえる」ということが明らかになっている。
「爆破テロ」というものはその地域の習律を憎んで行うものだろう。
「真面目に考えろ!」というメッセージが込められている。
成文法が嫌いな人はいないし、女たちがその職場で語り合う男らしさ(慣習法)は、いい行政を生み出す。
しかし、習律だけは男たちが「政治家」として議論を競い合うので、不満があれば爆破テロの対象になる。
渡辺満里奈 月の裏側。

ノンケかヘンタイかという憲法の議論も成文法から行うことが可能だ。
女はヘンタイプレイが嫌いなものだ。
国や政党や政治哲学者が習律に関しては見解を出すだろう。
しかし、ナチスもスターリニズムも「相対主義」の立場を全体主義と考えて、ゲイカルチャーから多くの「不幸な結婚」を生み出している。
「人気のある成文法」の間違いは指摘しておいていい。
竹原ピストル よーそこの若いの。

ユダヤ人は多くの歌を詩篇に残しただろ。
若さというものだろうね。
政治とはお金の世界だ。
食事を共にして、食費以上のものを与えるために詩の解釈論(習律)について語らずに何を語るというのだろうか?
個人の集まりである世の中でなぜその政治家だけが特別なのだろうか?
より良い生き方を知っていて、しかもお金がある、それは習律を知っているからであるとしか言いようがない。
「女が好き」というお約束があるそもそも政治家にとっては救いになるだろう。
食事を共にして、それ以上のものを相手に与える力量は「見た目がいい」という基本よりもはるかに上を行くものだ。
「政府の仕組み」がどの職場にもあって、どの女たちも「男らしさ」を語り合っているが、その「政治力」は当然、話し合いの対象になっている。
ここに「政治」という世界が開かれた理由がある。
「男にしか分からない女心」というものが存在したのだ。
政治の世界では実は女たちは「持論のある男」しか救っていなかったのだ。
女にだらしないというのはリベラルとは呼ばない。
幅広い習律の「広さ」を持った人をリベラルと呼んだのだ。
ribbon Lady love.

女たちが語り合う男らしさから生み出される富(法律によるお金)と、男が女心を定義することによる富(政治によるお金)は明確に区別される。
法廷では常に「女のリリースポイントで」(法)裁くものだ。
しかし、女のリリースポイントがアメリカ合衆国で「富」と認定されたのは2010年のことだ。
1948年にヨーロッパや国連、カイロ宣言で「お金ってなんだろう?」という議論はなされた。
スターリンの影響力が強く、ゲイカルチャーが議論を困難にさせた。
しかし、ウェストファリア条約の時に語られていた主権(ヘンタイプレイをやられたらどうしよう?)というものが思い出されて、幸福な豚や、ダメな男などのようなセックスの後の後悔や、お前の国はヘンタイばかりだなという軍事行動の研究がなされた。
政治家と法律家は明確に区別されたし、政治家は「自分はどの女の影響も受けていない」と公然と語り、行政とは一線を画した。
「野蛮」とは政治の誕生からもたらされたのではないか?
CoCo 優しさに帰れない。

しかし、法律が「女たちが語る男らしさ」であり、政治が「女心を男が定義する」ものであったとしても、「男が女を愛する気持ちを利用する」という「経済」がなければこの世界からははじき出されてしまうだろう。
「女嫌いとは神への失望」であるとはこのことを言っている。
なぜ、世界経済はNYダウの影響を受けたり、日本がいまだ世界経済を支える力を持っているのだろうか。
西田幾多郎が「女性皇族や女性芸能人は処女」と言った時にかなり残虐な軍事行動が日本国から引き起こされただろう。
法律も政治も「永遠とは言い難い宗教」であって、永遠が約束されている哲学も「真の理解者」がいない限り宗教にならざるを得ない。
CoCo ミスロンリー。

ジョージ・W・ブッシュが、「自由と不安は神が人々に約束した宗教だ」と発言した時に小泉首相もこれに賛同している。
しかし、イスラムのシャリーア25条の「民はシャリーアにのみ縛られている」という条文によってどれほど多くの男を女たちがクリエイトしてきたのか?という論争になり、ブッシュも小泉も「行政を機能不全にする」と批判された。
この批判はもはや世界レベルの支持を得るに至った。
インターネットが瞬間的には「男らしさとは何か?」を見失っていたのだ。
インターネットの世界では「神、神」と言って男らしさを模索したのは事実だ。
「世界がどこに向かっているのか」を政治家が分からなくなったのだ。
女が男らしさを決めるという法律の世界も、「男が男らしさを自分で決める」という政治の世界もインターネットの登場ですべて見失った。
そこから「女心を定義するのが政治だ」という発想の切り替えが必要だった。
CoCo 君を行く。

政治家は女の子と話すのが仕事だ。
しかも、「この習律は本当だな」ということを肌で感じながら話すのだ。
HIVというものが考えられて、グリーウィッチ村で大量虐殺が起きたが、HIVってのは「人をいじめた」ことが嫌われたんだろうということを見極めて、陽性を陰性に変えてもらうための賄賂を用意するのが政治だとも言われる。
検査元を調べたりお金を集めたり、とにかくHIV陽性というのは「政治家として成功しろ」というメッセージだったのだ。
しかし、今、「女心の定義」は男に委ねられただろう?
「汗を流すだけでもHIVは陽性から陰性に変わる」というメッセージも出された。
「賄賂」の立場に立つにせよ「汗を流す」という立場にせよ、最大の政治がHIVにまとわりついた。
人間にとって「楽しいこと」は色々あるだろうけど「いじめは違うんじゃないか?」という指導を仰ぐ形となっている。
とにかく「男に話を聞いてもらってセックスしてお金をもらう」という女の基本から排除できるのだ。
「いい男だね」という論壇からも排除できる。
少なくとも日本国ではHIV陽性を理由とした警察官内定取り消しは認められた。
「いじめを否定する他の手段はもはやなかった」と言ってもいい。
SPEED 蒼いリグレット。

「能力主義」という発想は人気があるが、「天変地異」をやたら持ち出してくる連中が出てくるから気をつけたほうがいい。
女の子と話すことすら「能力主義」というと「形だけ演じる」連中も出てくる。
ゴーストライターというやつだ。
あるいは「もっと不幸な人間はいる」という論法で国が財産を没収することもある。
それでも政治とは「女の子と話すこと」だというのがヒュームの原則であり、いまだ誰にもその地位は譲っていない。
船が島に漂着したとしよう。
みんな食べられる貝殻を一斉に集め始めるだろう。
それはキャンパスや職場での女のようなものだ。
しかし「誰が」いちばん多く集めた人に給料をやるんだ?
それが「戦前戦後問題」なのである。
昭和天皇は戦後に生活保護になっている。
しかし「才能」だけは残っただろう。
「人の良さそうなおじいさん」として生きればいい。
戦争というものはそのようなものなのだ。
それでも「複数の男とセックスする」ということの意味を考えてごらん?
「男心の定義」は政治ではないよね。
Bz Blowin'

そうだ、組織論上は政治とは「女心を定義する」ものだった。
しかし、「女に男はかくあるべし」と主張する方向に言論の自由は向かったのだ。
女が「セックスをすると男心を見失う」ことからこの必要性が生じた。
カトリック国でも左翼的だ。
魔女狩りの時代からJSミルは、世界を解き放ったのだ。
それは言論の自由と共になされた。
男二人は争わなければならないのか?
「女心の定義を争う」という意味では旧来の政治が発展するだけだ。
そうでなければ国津神が腐るだろう、
ドイツのベルリンはそのようにして金融の力を蓄えた。
「女心の定義」で負けた男が豊かな文化を作り出したのだ。
国津神が腐るというよりは「男が腐る」からそのような言論が広まったのだろう。
「その歳だと一通りのことは知ってるわね?」
Bz もう一度キスしたかった。

この人の子供は堕ろす。
このことはルネッサンスの頃から検閲がかけられていた話なのだ。
「男らしくない人」と語られる男がいると「法」が死文化するからだ。
無神論の勝利など誰も望んでいなかった。
KKKは特にそうだった。
ユダヤや黒人を憎んだのだ。
「男の失恋から税収が生まれた」というニュースが飛び込んできた。
これだけでも黒人差別、ユダヤ人差別を無くすのには十分すぎる理由だった。
そのようにしてロー対ウェイドにおいて堕胎が認められたのだ。
気持ちのいいセックスを知っている、ということから男女は「認め合う」ということを知った。
分け前を求めない戦争などあったであろうか?
「代表なくして課税なし」とは「男の失恋ソングを聴いたのならば戦争は終わる」という意味だ。
国家レベルで敗北を経験したのだ。
金が戦争でモノを言うのならば、敗北した側にも戦争が終わった後に豊かさがもたらされることがわかった。
複数の男とセックスする女がいなければこれは分からなかっただろう。
そのようにして「敗戦国」なりに「政治」は成立したが、「立法」つまり「男らしさを語り合う」ことや「行政」つまり「女の言う通りに振る舞う」と言う議論の真実を見失った。
政治が女心を定義し合うものであると言うことも見失ったんじゃないかな。
「敵国条項」とも言われる。
戦争がフェアではないとされる理由はここにある。
Bz さよなら傷だらけの日々よ。

政治は三つ「平等に」与えられた。
「大人はみんなセックスできる」「子供でも男らしいわねと褒めてもらえる」「習律というテキストを学ぶ力量が人それぞれの経験値に委ねられている」という三つだ。
思った通り、知っている通りに発言すれば影響力を増す。
フランスの大統領は左翼ばかりだ。しかし、議会までもが左派になったのは極めて珍しい。
資金力で「女心の定義」よりも「男の失恋」の方が優ったのだろう。
「女心の定義」にせよ「男の失恋」にせよ、より詳しいものが選挙で有権者にお金を配り、「我々が知らない心の風景」を「政府の仕組み」で共有するのは政治家が体を売る行為に似ている。
お金を集めて「教育、保育、光熱費などの」無償化などの政策を高らかに掲げ、自分の実績とするのだ。
医者には分からないことが多すぎる。
柳田國男の全集を所持していて、その人のルーツを教えてあげ、社会から必要とされていないからガンになった人に「自分の本来いるべき居場所」を教えてあげたり「自分の価値」を明らかにしてやるだけでガンは治る。
つまり、政治と言っても集まらない金が宗教と言えば集まる。
このような「宗教」から生み出されるお金が、「女心の定義」「男の失恋」から生み出されるお金に勝ってしまったら政治の世界にとんでもない番狂わせが起きるだろう。
そのような「医学の隙間」「宗教」が支配してしまった政府の仕組みのためにレファレンダムというものがある。
ビラを撒いたり右翼を動員したりするのだろう。
海部俊樹は勃起しない男にバイアグラをばら撒き、首相になったが「すべて自分の胸に秘めておきます」と語った。
これも「医学の隙間」へのレファレンダムが起きたと言っていい。
「女心の定義」「男の失恋」以外に女たちは「心の風景」を何も望んでいなかったのだ。
USAもUKも、「心の風景」以外の金儲けのポテンシャルをまだまだ持っている。
しかし、それは政治にとっては迷惑というものだろう。
本当にガンに効くシャクティバッド。

そもそも、なぜ「法律」を「女たちが語り合う男らしさ」だと呼んだのだろうか?
男は「男らしい」とさえ言ってくれれば学ぶものだからだ。
知らないということは仲間を失うことを意味する。
同じものを共有した仲間がいて、細かい条文はあるだろうけど「男らしい」と全体的に表現するしかないのだ。
たとえ、法律や仲間が実際は男の手で作られたものであっても法律とは「女たちが語り合う男らしさ」だと表現したほうがいい。
多数派工作に成功しないと法律というものは作れない。
その背景に「女心の定義」が上手い人がいるのは事実であるし、男女の間の意思の疎通が抜群に上手い人なのだろう。
「合法的」というものの対象には当然、女も含まれる。
しかし、男社会で実践した多数派工作の方法を教えてくれるものだ。
一人の男にはおちんちんは一つしかない。それでも仲間が必要なのは「やる気」が試されているからだろう。
大勢の男に支持された女の存在が、他の女の価値も高める。
男らしさというものが「仲間が多い」ということも含むとなると「習律を語り合った」などの政治家も「男らしい」ということになるだろう。
政治家は本来、「女のリリースポイント」に対して「男のリリースポイント」を示すものだったはずだ。
「名目」と「実質」の違いがここで生じる。
名目は常に実質を上回っている。
そこで「政治家は男らしい」ということの限界も見られるだろう。
「家族の約束を守る」というのも実質であり、女たちの「名目」を上回ることはない。
結局、女たちが語り合う「男らしさ」というのは、実質の男にとっては有害だったのかな?という指摘も可能ではある。
松田聖子 マリオネットの涙。


大祓詞。

【壮大なテーマとしてつづく】

国津神。

女というものをどれほど気持ちのいいものにするのかが指導者の力量である。
各自がそれぞれの趣味を持っている世の中で、「セックス」にだけは誰もが関心を持っていたからだ。
指導者が「独自の」考えを持っている、これが組織に快楽をもたらした。
指導者は「オーガズム」の快楽を狙って様々な複雑な仕事をこなしていった。
すでに存在している組織であるのならば、そこで仕事をするしかない。
部下たちの気持ち良さを保障するのが指導者というものなのだ。
リーダーシップとは常に「初めてその人をこの角度から見る」ものである。
リーダーにはフォロワーもいる。
しかしフォロワーは「この人の話を聞きなさい」という役割にとどまる。
家が一軒出来上がった時に「あの人のいうことはわかりやすかったな」などと部下たちが語り合うものだ。
大人の社会にはもはや「勉強リーダー」は必要なかった。
「どこか別のところで人生経験を積んだ人」が上司となっていたのだ。
個人的な野心も上司を見れば「何をすればいいのか?」が分かった。
セックスの快楽を利用して物事を治めていたため、不幸な結婚をしたグループや彼氏のいない女などを説得する作業が待っているのは当然だった。
勉強の度合いで対抗する部下もいるだろうが、快楽に焦点を絞ることを学ばせる必要がある。
渡辺美奈代 Too Adult.

企画立案というのは「はい、注目!」というようなものだが、どうしても譲ることのできない女であるのか?などを今一度、考え直さなければならない。
その女のところに通うのが通勤であるが、家と事業所はコントロールできない。
しかし途中に「縁起」などの石を投げ込むことはできる。
通勤のために出来るだけ多くの金を払わせることは可能だ。
コントロールできないものを「行政」と呼び、コントロールできるものを「政治」と呼んだ。
女たちは「こういう人は男らしいわ」と語り合った(立法)し、男はそれを聞いて男らしさを演じようとした(行政)。
政治は「よそ者」のためのものだ。常に男らしさを男の側から議論している。
1946年に戦争が終わって「よそ者」が職場に入ってきたら男の側から男らしさを語る連中が多く、今までの女たちの議論を乗り越える形で男たちの実践を批判する者たちがいた。
司法の場では裁判官がいろんな話を聞いて「快楽」を増していくという過程を経た。
みんな組織に属した以上、立法・行政・司法・政治のどれかの役割は果たして組織に貢献しようとは思っていた。
しかし、戦争と不景気だけは今までの議論をすべて振り出しに戻す力を持っていた。
男が女に飢えるのは戦争の時と不景気の時であり、女たちが語り合う男らしさ(立法)に男たちの振る舞い(行政)が完全にしたがってしまうのだ。
警察や市役所は明らかに「行政」であった。
この「政府の仕組み」が確立したのは1910年だとされる。
しかし、この「政府の仕組み」は実際は各職場ごとに成立しているために「頭ごしのコミュニケーション」は望んでいないものだ。
社会全体に「男らしさとは何か?」を発信するよりも、現場の問題の解決のためにこの議論を用いたいとみんな考えているために、異なる職場の間での交流や競争は誰も望んでいない。
各部署は「異なった勉強」を確立することによって職場の男と女の関係の自由な往来をブロックしている。
勉強が不十分な男は快楽が少なかったために、朝、職場に行く気力がなくなって去っていった。
勉強させようとしてお給料を払うのであるが、それでも「割りに合わない」ことがある。
それが「勉強」だったのだ。
松田聖子 赤いスイートピー。

国が滅亡しそうになっても「可愛い息子」は戦争には送らない。
そういうコインが出たのならば親は自由にそれを判断できる。
帝国が膨張していくためにはそのことをよく理解しなければならない。
そもそも、家庭内ですでに「男らしいって何だろうね?」という議論は終えていたのだ。
金集めのゲームである戦争で、「必要な息子」を戦地に送ったのではそもそもが戦いにならないことは理解しなければならない。
巨大組織は、別の巨大組織を激しく攻撃するものだ。
女たちが語り合った「法律」がそもそも異なるからだ。
女たちが語り合った男らしさにしたがって東大を「赤レンガ」と罵倒するのが男の行政というものだ。
すべての人が予算に不満を持っている。
「誰が誰とコミュニケーションできるか?」も実は制限がある。
このことからお金がうまく流れないようになっているのだ。
お金をうまく流すためには「予算部門と請求する側の部門が両方とも知っているアイドル」の話から入らなければならない。
アイドルはもちろん女である。
「頭越しの専門家」はとにかくスペシャリストなんだよ。
なんでも許されるような才能がなければ巨大組織を股にかけることはできない。
巨大組織を股にかけるといってもお金の裏付けを得るだけであり、片方はライン部門でなければならない。
巨大組織同士で連絡を取らせようとしても各組織にはなんのメリットもないために実現しないだろう。
単なるライン工と巨大組織の「頭越し」は可能だ。
これは許認可などで行うことができる。
「面識がない」というのが女たちが語り合った法律にとってどれほど致命的かを知らないといけない。
誰も応援しようと思わないものだ。
「国家の中枢」とみなされなければどのみち地方自治体と財務省を引き合わせることもできない。
しかも、「同じことに興味を持っている」ことが国家の中枢には求められる。
酒井法子 POPにいこうよ。

医者などの専門家は、誰よりも「女が好き」でなければならず、そうでなければ「法」が身に付かない。
しかし、組織のピラミッド構造は「法」を人に教えることから成立するが、常に男の側から男らしさを語る政治家と、夜の話は一切語らない職業人から成り立っている。
この「政府の仕組み」という権威を誰よりも熟知した上で、この業績は誰のものという具合に割り振りする人を政治学者と呼んだ。
組織の内部の人か外にいる人かはこの「割り振り」にどれだけ敏感であるかにかかっている。
しかし、インサイダーがうまく業績を割り振りしないと、内部の人間は「ストライキ権」を行使してアウトサイダーにその内部の割り振りが機能していないことを訴えかける。
権威がこの時にどれほどうろたえるかは計り知れない。
仕事を辞めてもらう時にどれほど従業員が「お金」を楽しむのかも知る必要がある。
ストライキ権によって「業績の割り振りの失敗」を外にアピールするから上司は「自殺してしまえ」という「恐るべき発言」をするのであり、ストライキ権を行使しないで黙々と仕事をする人には上司は案外寛大なものなのだ。
業績といっても「どのような気持ち良さを男女に与えたのか?」というものであるが、それを熟知している「権威」には案外、敵が少ない。
男らしさを語るのが女の仕事ということをよく理解し、男たちにしたがわせる法律の優位を理解している権威は職場の構築に成功したものとして尊敬されていたのだ。
キャリア・ウーマン。

その権威を警察組織などの「法律」が完全に優位する世界でクビにするためには世論を交えた大法廷を開かなければならない。
黙々と仕事をする人の「代わり」なんてなかなかいないという事もわからずに発言すると権威は一気に失墜する。
快楽を撒き散らすのが仕事ということを知っている政治家のクビを飛ばすのならばなぜ自分が権威だったのかをよくよく考え直さなければならない。
大学を卒業して連邦政府に任官してからそのことに気がつくのにどれほど時間がかかったであろうか?
農作業をやるのにはハードコアポルノが必要と悟るのには時間がかかる。
悟るのであればホモではないだろう。
なぜ時代劇に上下関係があるのかも、女たちはその男の発言から学ばされたのだ。
「誰があなたたちのボスなの?」と女たちが言いよるのならば、そのような黙々と仕事をする男ですと答えるしかない。
組織どころが警察組織ならばなおさら、そのことは理解する必要がある。
「何が人間を動かしているのか?」ということを知らないといけない。
内閣総理大臣など怖くない、しかし天皇陛下は別、という警察においては、明治天皇以来の「アマテラス」をよりよく知っておく必要がある。
発言に気をつけないと年寄りや病人が黙ってはいない。
天皇退位。

士気が高いのはどの組織も同じであろうが、肉体労働を管轄する農務省がいちばん分かっているかな?
キャリアを積むというのはそういうものだ。
しかし、アナルセックスなどのヘンタイプレイだけはなんとかして!という憲法はしっかりと理解しなければならない。
ホワイトカラーで所属のバッジを見れば、だいたい理解力は分かる。
しかし、お給料がいちばんわかりやすい指標だね。
何にも考えていないようなサラリーマンでも、「男ぶり」を発揮して女たちに快楽を撒き散らしているからだ。
ポルノビデオなんてもう飽きたわ。「男ぶり」が見たいのよね。
警察組織も「事件、事故」を処理するたびに「一人ひとり女性ファンを作っていく」以外にモチベーションはないだろう。
ファンが増えたかどうかはランチの早番か遅番でコントロールするしかない。
テレビではひたすら「刑事もの」が放送されていた。
ホワイトカラーは「現場の人間」よりも給料が安かった。その地位を守るためだ。
踊る大捜査線。

「政府の仕組み」の全体を把握している権威でも人間であるから、自分の地位を脅かそうとしたものに「自殺しろ」「勉強だけの男」と言ってしまうことがある。
もし、その部下が男らしさを周囲の女たちに知られていたのならば、社長退任ということになる。
地位の高い者は常に「面白いこと」をやりたがっている。
しかも、ヘンタイプレイとは異なるノーマルなセックスを望んでいるから出世したのだ。
履歴書など誰も恐れてはいない。
「分かっていること」を恐れているのだ。
絶対的な権力は、絶対に問題を起こす(腐敗する)といわれる理由もノーマルなセックスを好むものが地位が高いことに由来する。
権威というものは「社会の支持」を背景にしている。
言葉の序列が社会の序列とも言われるが、社会の序列はそのまま組織に持ち込まれる。
権威の役割を果たす人間は常に多数派を占めることになる。
女たちがヘンタイプレイを嫌うという主権をよく理解したものだった。
また、日常こそが女たちの快楽であることも理解していた。
「すべての道はローマに通ず」とも言われ、すべての専門職は「性」の問題に戻っていった。
陸海空軍の最後の軍事法廷は大統領(天皇)が担当した。
音楽作品のどこに位置付けるのかを学んで欲しかったのだろう。
「権威」には自信を持って欲しかったのだ。
しかも、資金集めが仕事だったからね。
すべての男たちが従う命令なんてものはそのように作られていた。
しかし、命令すら「幻」に過ぎなかった。
すべての部下たちが勃起する必要があったのだ。
そうでなければカサブランカのように天皇のために死ぬ男はいなかった。
兵士のためにお金を払う必要があったからこのような仕組みを作ったのだ。
中森明菜 リフレイン。

部下が働くのは慈善事業ではない。
出世の階段とはどのようなものかを明確に示す必要がある。
権威が何を考えているのかは常に発信しなければならない。
上層部は皆、大統領(天皇)と同じような力量を持っていた。
離婚を繰り返すような奴は底辺にいた。
中華帝国でもフランスでも「文学に詳しい人」が上層部に出世した。
高校の先生などはアメリカでは普通に役人として戦力になったのだ。
最近まではロースクールも「政府の実態」を知らなかった。
大勢の人を見た精神科医が政府の要職を占めていたのだ。
カレッジトレーニングをどのようなものにするのかが問われた。
大卒はキャンパスライフを経験しているから「警部補」のようなジュニアからキャリアを始める。
若くて健康であることが一番重要だ。
2年間は現場の女たちの「男らしさ」の話し合いに揉まれてもらいたいんだよ。
キャリア組というのはそういうものだね。
河合その子 恋のカレッジリング。

視野の狭い仕事には「男らしい人」がなかなか入ってこない。
キャリアシステムの構築が困難なのだ。
つまり「視野の狭さ」が男らしさとは何か?を見失わせるのだ。
競争もゆるいために海軍などでの経験が必要だっただろう。
世界に通用する天才となどのようなものなのかを理解しなければならない。
そうでなければ生涯その職場に身を捧げようとは思わないだろう。
ルーズベルトは1939年にマクレイシュという文学の専門家を仲間に加えた。
これが農務省や財務省にどれほどいい効果をもたらしただろうか。
だいたい35歳から40歳の間に「どの程度の男か」は分かる。
「一般行政」と呼ばれる「選ばれた男の振る舞い」を身につけるのは視野を広くもてる職場で働くことだろう。
皇室専門家。

男は案外、青年漫画雑誌に「男らしさ」を委ねていることが多い。
オクラホマのディズニーや内務省ラジオ局が「青年漫画雑誌」のようにプロパガンダをやった1913年は、男らしさを演じる「行政」にとっては無血革命のようであった。
連邦議会の男たちまでが行政を行うようになったので、三権分立が「国会」「内閣」「裁判所」とは必ずしも一致しなくなったのだ。
調査官がいちばん青年漫画雑誌に詳しかったし、ハリウッドやコマーシャルにまで情報収集の網の目を張り巡らせていた。
海兵隊は「ガダルカナル日記」や「硫黄島の土」などを共有していた。
組織としてプロパガンダを打つ者もいたのだ。
FBIも「名もなきストリート」という映画で「Gメン」をアピールした。
民間との交流を維持したい役所はこのようなことを行なったのだ。
このことから役所の広報の発言へのリアクションがだいたい予測できるようになっている。
勤め先を人々に堂々と語れるのならばプロパガンダはうまくいったことを意味する。
従業員は謙虚に振る舞うだけでいいのだ。
DoctorX.

よそ者が組織に入ってきて「企画立案」を行うが、女心を定義するという「政治スローガン」であることが多く、散々、友人と語り合った「習律」をここで生かしている。
このことにより「法律」の価値を高め、予測可能性や、みんなの仲間意識につながるものを企画立案と呼んでいる。
どの組織の上層部の見識も日経平均株価を影響を与える。
これがもっとも「法律」の実効性を高める「企画立案とは何か?」の答えである。
女たちを資源とみなすこと、多くの交友関係を持ったこと、それらから資金集めもできるようになっていること、ハードコアにも立ち入ったネタもあること、処女を有効に用いることなどが企画立案のコツでもある。
これが上手い人は税収見通しも出せるし、法律の実効性を高める。
セックスによる朝の落ち込みだけではなく、一年後の冷え切った愛まで見通す女心を知るのはもはや政治であった。
一生、パートナーと人生を共にするのか、それとも略奪愛をするのかなど、企画立案は常に「中立ではない」と言われる。
短期的には略奪愛をしたいという女心は有効であろう。
しかし、「原子力発電所を作りたい」などの企画立案ともなるとかなり「女心の定義」は複雑さを増すだろう。
ソクラテスから始まった「面白い定義」まで研究を遡ると、現在はその理論資源はアメリカにありそうだ。
しかし、明菜ちゃん派と聖子ちゃん派でも対立があったのに、公約数的見解を作り出すのは難しいことも知る必要がある。
垂加神道を作ってみて分かったのが「たとえ正解に近くても飽きられる」ということだ。
このことから常に最新の音楽番組には目を通しておいたほうがいいだろう。
新しい音楽作品であればあるほど仲間が多いことも分かる。
時にはアーティストの方から政治家に解釈を求めることも必要だろう。
スターリニスト正統派の全体主義にどれだけ多くのものを見失ったのかまで理解するのはやはり年の功というものだろうね。
ただし「のちの世代への指針」として高度な政治意志を記しておきたい。

垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。

レディチャペル〜神社の付属施設。


我々は「企画立案」によって女性たちの調和を求めているのだ。
誰が「法律」を侵害したのかを明確にし、罰を与えなければならない。
子供を「大人のように」扱うのは無理がある。
そこでキャンパスライフを経験した大卒者の待遇は高卒よりもはるかに良くなったのだ。
何かを行うのは何かを成し遂げることよりも意味がある。
男が「何かを行う」ことそのものが女たちに快楽を与えられるのがいちばんいいのだ。
女たちがより居心地のいい「女心の定義」は常に争いになるが、私は垂加神道とレディチャペルにおいて一通りの了解は得ている。
しかし「もっと磨けるよ?」というニーズは常にある。
そのあたりに政治の可能性はあるだろう。
「企画立案」が磨かれるとどれほど組織は従業員の忠誠心を集めるのかを知らないといけない。
プロパガンダが企画立案への自信を示すことにもなる。
職場の女たちを大事にすることは法律の実効性にも関わるのだ。
日本国がもはや「企画立案」の世界のフロントラインにいることは日経平均株価を見れば分かる。
法律の実効性を組織の中枢は見ているのだ。
女の値段が上がることは男たちのお給料にも関わった。
国津罪。会社をクビになる。

女の解釈を間違えることは国津罪である。
ルーズベルトがテネシー渓谷にTVAを押し付けて、渓谷を国が買収し、配給チケットを代わりに住人に与えた時に、「それでは女たちが体を売れない」という問題が起きた。
女の価値を高めるのが職場であり、法律の実効性であるということを学習できたことは第二次世界大戦に影響を与えている。
女たちが「通貨」であることを知ったのだ。
「男らしくない」と言われる非公式の罰もあれば「知らないのならば免許を与えない」という公式の罰もある。
父親から医師免許を世襲すればいいはずのものが「6年間大学に行く」という形で罰となってしまうのだ。
その学費はもはやべらぼうなものとなるだろう。
本当に「男らしさ」が争点になったら、お金の採算度外視で裁判所に行くしかない。
裁判所はお金目当てとは言い切れないほど割りに合わないものだった。
現場の男と「男らしさ」を語り合わないでいきなり法廷に持ち込むことは割に合わないものだ。
警察立ち会いのもとで議論することの重要性は指摘していい。
警察官も「判決」は下せるのだ。
近代国家の警察とは何かについてもプロパガンダが必要であり、まだ日本国は立ち遅れている。
しかし「制服を着用する」という基本は整備されているはずだ。
「訴えられてもおかしくない仕事をしている」と考える女性は相当数に上る。
「民事不介入」には近代国家としての根拠がない。
警察は「有罪判決を背景にした許認可取消権」をバッグに「誰が男らしくないのか?」を明らかにする。
「初体験が犯罪者ではダメ」という処女の気持ちを利用するのだ。
無罪の推定とは「最後まで男らしく振舞わせて破綻するのを待つ」ことを言う。
「当事者は女心の定義を争う」とも言われ、警察官はこの仕事をすることにより学習することは多い。
CoCo 無敵のOnly you.

結局、出発点に戻ると、男は「その女の子供の気持ちが味わいたいからセックスをする」ということだったが、「どの女でも気持ちがいい」という境地がいちばん重要だ。
自分さえ「女心」を知っていれば、どの女も同じなのだ。
「女心の定義」つまり政治学は男女ともに人気のある学問だ。
勉強しているうちにマスターベーションをして昇天する者もいる。
一人の男から別の男に伝わったり、特定のグループから別のグループに伝わったりするが、「有名な女の歌」で女心は語り継がれている。
美味しい水が飲める地域であるというだけで女を有効に用いているかどうかがわかる。
男たちが「どの女も同じ」(効率性)と考えるのはもはや「政府の仕組み」の目的ですらあった。
予算編成にもいい影響を与えたし、「女心」を語ることや知ることは政治家により良い生活を約束した。
最終的には「裁判で決める」ものが男らしさだね。
しかし「世論に訴えかける方法もありますよ」とも言われる。
世論に訴えかける時は「とにかく女心の専門家でなければならない」とされ「医者としての力量を持っていなければならない」と言われている。
松田聖子 マリオネットの涙。


大祓詞。



【壮大なテーマとしてつづく】

2018年2月13日 (火)

ブラックホールとホワイトホール。

女には現実の局部と、想像上の局部の二つがある。
二つの局部はイコールであり、同じ快楽を男にもたらす。
議論するための局部、後悔するための局部、仲間を作るための局部など議論が多様であるために、ブラックホールではなくホワイトホールであっても十分に気持ちのいいものなのだ。
CoCo メロディー。

ホワイトホールを見にきたのに「四文字」をアイドルに叫んだらみんなでボコボコにした。
ブラックホールとホワイトホールについてどのように向き合うかは人生の方向性をも決めてしまう。
「もう、アイドルは愛せない」と言い出す者もいた。
おニャン子クラブ じゃあね。

男にとって最も理想的な「ホール」の使い方の研究はすでにアメリカに存在する。
しかし、この議論をする上では「どの立場にも中立的に」振舞わなければならない。
そもそも「ブラックホールとホワイトホール」という議論が存在しない国もある。
ジャービス・トンプソンは「その女の子の子供を讃える」議論であるとしている。
それだったら、その子供が読む「本は素晴らしいね」と言っているのと同じだろう。
このことから「勉強しすぎたらセックスしたのと同じ」だとされたのだ。
誰と愛し合い、どんな友情を作り上げるのかも「読書」にかかっているだろう。
ホワイトホールは、より複雑な快楽を意味するのは事実だ。
ブラックホールと関わって強烈な悔いを残すことがあるのも事実である。
CoCo 優しさに帰れない。

複雑な人間模様を知り尽くしている「いとこ同士」が気持ちいいのも事実だ。
属する階級やメンバーが決まっているということも指摘できる。
そこで「女性の局部」のことを日本国では「価値」と翻訳した。
さらに「快楽」とは「複雑すぎてよくわからない」ものとされた。
ダイアナとセックスしたい奴はウイリアムの発言を聞けとも言われた。
ウイリアムの言葉に複雑性を期待しているのだ。
人間というものは不幸な男よりも幸福な豚が好きなものだ。
不幸な男は読書をするかもしれないが、幸福な豚は本など読まない。
このあたりに「セックスへの後悔」の秘密がありそうだ。
意思が弱い幸福な豚の気持ちを味わったことがあるだろう?
ribbon さよなら。

女性の局部と向き合う時には「意志の弱い幸福な豚」の気持ちを経験させられるということをどんな強靭な男も理解しておく必要がある。
世の中は男だけの世界ではなかったことを思い知るのだ。
この議論が展開されると、一神教の立場から「こんな議論はメチャクチャにしてやれ」という動きが起きた。
祝福を受ける男の子とそうでない男の子がいるだろう。
女性の胸に刻まれる男の子とそうでない男の子がいるだろう。
このように語られ、どうしても「我々の神は特別だ」という主張がなされるに至った。
セックスで悔いが残るのは「幸福な豚」のせいではなく「残念な男」のせいだと言われたのだ。
ribbon Virgin snow.

また、絵を描けば美しいものとそうではないものがあるし、知識においては知っているものと知らないものがあるとされた。
言論界だけではどうにもならない「子供の美しさ」が語られ始めたのだ。
しかし、どちらも「作り出すことが可能である」とされている。
結果として「自分にないものが欲しければ女を抱け」と突き放される羽目になった。
どの女から最も快楽を得たのか?と言われると困るが、「盲目に突き進んだ」女とのセックスだけは気持ちよかった。
それしか明確ではない。
「説明しきれない複雑性」が快楽につながったのだろう。
工藤静香 奇跡の肖像。

しかし、「気の合う人」としか女はセックスをさせないだろうと批判されている。
「処女の知恵」というものも考えられた。
黒い瞳でじっと見つめるだけで男は「比較される」対象と化してしまうとされたのだ。
一方で、処女の方も「あまり男に多くは望んでいない」とも言われた。
処女には「知らない経験はない」とされているが、男がどのような快楽を経験するのかまでは分からないという現状がある。

これらの議論を踏まえて、どの女を「チェンジ」してどの女に金を与えるのかという議論が生じる。
これを語るためには「お金というものはどのように生まれたのか?」を語らなければならない。
テーマは「グローバル化」である。
お金を払うのならば自分の部屋をグローバル化したいという願いが男にはあり、「自分にはないものを持った女」を買いたいというのはお金の起源にも沿ったものとなる。
白人がヒスパニックを買う比率はかつての5:3から6:2に減っている。
アメリカ合衆国全体の人口変動の中で、国そのものがグローバル化すればお金を払ってまで買おうとは思わないものだ。
グローバル化が見つける結論のことわ「ベースライン」と呼ぶ。
子育てやマーケット、金融政策、公的資金の投入などに用いられる議論がベースラインであるが、女の子供の気持ちとか「残念な男」「幸福な豚」などの議論がさほど必要ないのが女を買う行為である。
ここから、売春のマーケットは「性欲を満たせる」というだけでなく、何らかの話のネタになるという側面も入り込むことになった。
ゲームが成立するのならばチェンジはしないだろう。
税金のないデリヘルの世界でこそベースラインは見いだせるのであり、デリヘルの世界では日経平均株価より高めの価格設定がなされている。
お金があるのならば世界を広げたいとどの男も思っていた。
お金が絡むとどうしても「グローバル化」というものを考えなければならないのだ。
しかも、税金がかからないのならば、日本政府が取るべき様々な政策の「ホンネ」があぶり出されるのだ。
税金がなければこそ見えるホンネをベンチマークとも呼んだ。
デリヘル。

ジョン・オースティンは、民法のパンデクテン方式や刑法など、今の日本の法学部で教えているものを大学で講義していたが、学生がやる気を失うのを見た。
法律というものがあるとすれば、彼らに学ばせるのにお金を払わなければならず、その上で義務を果たさせ、妥当な結論を模索していく、これをHLAハートから学んだ。
貧乏な苦学生には法律学は向いていないとしたのだ。
社会で常に多数派に身を置き、トップダウン式に「見解」を書いていく学生が力をつけていった。
常に国会の情報を法学教室やジュリストから得ている学生が「見解」を書いていく作業をリーガルポジテイビズムと呼んだのだ。
法律は常に命令を含んでいたし、男らしくなければ書けなかった。
女たちの略奪愛の対象になるほどモテた。
金と女をふんだんに使わないと法律学の成績は伸びていかないだろうと考えたのがジョン・オースティンであり、パンデクテン方式や刑法と言ったお固い学問の別の側面を明らかにした。
人を従わせる男を女たちが奪い合うのは当然であったが、それは国会という権威に限りなく近くなければならず、情報源を選ぶ必要があった。
常に行政や実務家に対して「彼らがほとんど接する機会のない権威」を語る必要があり、そのような男に金と女が与えられなければ「法律家」というものは育たなかった。
あなたにホームシック 酒井法子。

そういう意味ではフェイバーシャムのシモンのように、法学部に入る前から「勉強ってのは常に仕事なんだよ」と語る論客は昔からいた。
実務家や行政に「見解」を示すようになるのは法学部に入ってからであるけれども、それ以前の「勉強」の段階から周囲に「正解」を語り続ける必要があった。
マグヌスとアクィナスは何が違ったのだろうか?
「人々の噂」が違ったのだ。
大人たちに通じる「権威」というわけではない「勉強」でも「あいつは手強い」という噂になって女の子の取り巻きに囲まれていたのだ。
そこで「いずれは立派な見解を書くようになるんでしょうね」と思われたし、実際に「学校知」の世界ではすでに見解を書いていたのだ。
絶対解ける問題 松浦亜弥。

アンスコムのように、広島や長崎への原子爆弾投下を「無防守都市への無差別攻撃である」としながらも「敗戦国としてと立場上、損害賠償請求は放棄される宿命にある」という見解を書いてトルーマンの行為を論評する者もいた。
こんな基本も人々は知らなかったのだ。
アンスコムは「常に悪には二重の説明が必要」と語った。
見解が採用されるというのはそのようなものだった。

若者にとっては偶然起きることでも、大人の側としてはそれは若者のチャンスではなく大人がそのような方向に誘導したものであることがある。
不確実な要素は若者がこなしていかなければならないが、大雑把な方向性は大人が見ている。
この世の中に「バックのいない丸裸の若者はいない」と言ってもいい。
一人で抱え込む必要はない。
たとえバックの大人が死んでしまっても「噂」など様々な仕掛けを作って守ってくれている。
有名になるというのはそういうことだ。
時間が経つにつれコイントスが当たらなくなることはあるだろう。
それでも「時間」が与えられるだけでもありがたいではないか。
下痢をするだけでも若者には可能性がある。
有名になったときのことを思い出してみればいい。
自分を祝福してくれた人が自分のバックなのだ。
たとえ年寄りで見た目が冴えなくてもどんな力量を持っているかわからないよ。
かつての自分を取り戻そうと思うのであれば、自分を祝福してくれた人について研究してみるといい。
自分に起きた「偶然」はもはや偶然ではなくなることがあるのだ。
苦労が必要なのは事実だけど、それだけでは今の自分はないよ。
誰だって似たような苦労はしているからね。
100%の恋人 酒井法子。

カントは頭が良かったし、ヘーゲルはイケメンだった。
この二つが合わさった時に、バトラーやヒュームやリードと言った敵ができた。
敵のいない人などいない。
しかし、みんな「大人のやり方」をしたから歴史に名が残った。
頭のいいイケメンが「女の落とし穴にはまらない」ことを知っていたから、彼の敵は本当の意味で哲学を発展させた。
「僕はより完璧な人間を目指す」などという頭のいいイケメンに周囲は何を語っただろうか?
「人を愛するのには苦労が必要だね」という決定論を主張するのは基本だった。
「机上の理論だけではどうにもならないことがある」という人生の含蓄を語るのも基本だった。
いずれにせよ、頭のいいイケメンが快楽をより複雑な形で求めたことに周囲は好感を持っていたのだ。
「仲間を作ることを忘れないでね」
それだけ言いたかったのだろう。
自分以外の人間は勝手な動きをするけど、自分以外の人間を大事にしなさいとしか言えないのだ。
みんな「いい友達」を演じてくれるものだよ。
カントが「どの女でも落とせる」学問を完成させたら、女たちが踊り始めた。
若い世代にメッセージを送ったのだ。
学問ってのは素晴らしいものよ?
「人を愛するのには苦労が必要」
女たちもそのように考えて、ロマン派の時代に突入した。
恋するフォーチュンクッキー。

2018年2月12日 (月)

組織の序列。

基本的に、組織というものは「勉強により序列を決めている」とされ、その勉強とは「文学の素養」である。
子供のことや、妻のこと、職員のこと、活動家のこと、組織全体のこと、悪口を言わないこと、環境がいいこと、見た目がいいことなどから序列というものは決まる。
恋した従姉妹がいるなどの「詩ごころ」などからも序列は決まる。
下っ端からトップになるまでの「偉大なる若さ」というものはだいたい想像がつくものだ。
ウォークマンやiPodが好きで好きでというのであればトップにはなるだろう。
当意即妙の答えをすることが必要だね。
音楽作品の真の意図を探っていく作業は組織の全体を見渡す営みだ。
乙女心の自由形 おニャン子クラブ。

音楽作品を聞くとスタイルが良くなるし、組織というものを分析できる。
大事なのはYouTubeなどのレイヤーケーキを作ることだったし、メカニックを整備することだった。
バカをやらかしているようでいて「大人たち」が作り出している仕事なんだよ。
ケメニー・オッペンハイムが構築した世界だ。
職場の人間(女たち)の怒りはすべて詩にしてある。
「ああ、あの詩のことか」と思えるようになれば、ワンレベルからツーレベルまで職場の理解度が高まる。
あとはサードレベルと呼ばれる「仕事」をするだけだ。
何が成功で何が失敗か分からない職場では鼻歌でも歌いながら仕事をするしかないだろ。
YouTubeというレイヤーケーキだけはどんな災害があっても死守しなければならないね。
垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。



このようにして都会というものはできた。

レイヤーケーキによって人類が発展したのかどうかは実は分からないのだ。
昔の方がうまくいっていたのになという側面もある。
性の描写が露骨になったために、女たちがよく喋るようにはなったね。
AV女優とは区別してもらいたかったのだろう。
その言葉に耳を傾ける必要がある。
ロバート・マックロイのようなニューウェーブは「女たちが組織の序列を決めている」とした。
しかし、教団のトップのいうことを聞くものは少ないね。
あまり統制が担保されていないことが多い。
まあ、しかし「自由に研究できる環境」に感謝するしかないね。
天皇の仕事の現状なんてそんなものなんだ。

マケドニアが、ローマ帝国にギリシャの領土を譲って、ローマ帝国はかなり広範囲の普遍性をもった国家になろうとしていた。
紀元前1世紀のことだ。
エジプトの牧師であるマネトが「出エジプト記」を書いて、ローマ帝国の無知と悪意をイスラエルという理想郷で撲滅しようとした。
ギリシャはローマ帝国のもとで「我々はアレキサンドリアの者だ」というアイデンティティのもとで地方自治を委ねられたに過ぎなかったが、エジプトもギリシャも「イスラエル」という「思いやりに満ちた海岸線」を見ていた。
国づくりのプログラムが39編書かれ、法律が12編書かれ、なぜ思いやりに満ちた海岸線が必要だったのかが6編書かれ、歴史が4編書かれ、哲学が5編書かれた。
アレキサンドリアのキャンパスのユダヤの若者から見れば壮大すぎる課題であり、ストイックなモーゼからプラトンは詩を学んだとも位置付けられた。
ユダヤ学生の代表格であるモーゼのために詩は書かれていた。
ギリシャ哲学もいつしか「思いやりに満ちた海岸線」であるエルサレムを見るようになっていた。
しかし、お行儀のいい学生にはない野蛮さと暴力はエジプトから持ち込むしかなかった。
ローマ帝国が普遍性をもった広域支配を望んでいたので、ギリシャとエジプトはこのような「ヘレニズム」を作り上げてイスラエルを完成させた。
「神が見える街」とも呼ばれた。
聖書を完成させるためにはローマ帝国の誕生が必要であったし、ギリシャ哲学がその存続を望む必要があったし、エジプトの政治力が必要だった。
何事も存続をかけるためには「女たちの支持」が必要だった。
女のからだのことを「ロゴス」と呼び、のちの哲学者はロゴスのことを「理性」と呼んだ。
ローマ帝国の勃興により存続をかけたギリシャ哲学とエジプトの関係はプルタークを読まなければ分からないだろう。
街を作る上では「神の宿る場所」の存在は必要不可欠であり、アダムとエヴァのような男女をそれぞれ祀らなければならないとされる。
ホメーロスもヘシオドスも男女を詩にしたことから、聖地巡礼は「詩を心に秘めながら」行うものだった。
また、「パンドラ」と呼ばれる大学も必要だった。
サラと呼ばれる女の指導者と、ハパックスと呼ばれる金庫番が必要とされた。
モーゼのような修行者は歓迎されたが、それ以外のものは非常に統治者としては批判的に見られるのが男というものだった。
ストイックな男は「何かやってくれる」という期待感を持たせたし、女のからだは魅力的だったのでこの二つを祀らない街はなかった。
この「男」「女」をより複雑な形で祀る必要があったのだ。
神が愛するのは女たちであったが、その法則を勉強するのは男たちであった。
5日目に神は人間や鳥、動物を作ったが、6日目に「人間だけは神に似せて作ろう」と言った。
アダムの帰る場所に女を作り、子孫を残させた。
女のからだはこの時に魅力的なものになっている。
トーラーはアブラハムの父であったが、天国と地獄の他に常に六つ進むべき方向を示していた。
思い込みによってがんじがらめになることは人間にはなくなったのだ。
ストイックな男に「タコの足を忘れるな」といって回った。
なぜ、創世記で神はエラを殺したのだろうか?
童貞のまま殺したのは「女心そのものだから」だとも言われている。
勉強しすぎたら「セックスしたのと同じ」状態になる。
フロイトを知っている時点で女を知らないとは思われなかった。
モーゼはストイックに生きて、途中でやる気をなくしている。
先生を見失ったらかなり破廉恥な生き方をするようになる。
モーゼがどこでやる気を失うかで一神教の限界も見えるのだ。
街が破壊されても復旧させる力量を持つものはモーゼしかいなかった。
エラのように「女心に詳しい男」を神が殺したのは街を二度と復活させないためであったことを思い知ったのだ。
固体、液体、肉体を自在に操るのは「女心」だと思い知ったよ。

ギリシャ哲学というものは、ペロポネソス戦争やペルシャによる侵略との戦いをアテネが経験したことから、「セックスとは奴隷のもの」という発想を脱して、歩兵であったソクラテスの恋愛経験を詩にすることから「やはり民主主義は素晴らしい」という共通認識を作っていく物語である。
いずれにせよ今日の日本の歌謡曲のように「セックス」をテレビでオンエアできるようになったのもギリシャ哲学の恩恵であると言える。
顔が赤く酒焼けした年寄りであるソクラテスを、人々は避けて通った。
かつてアテネを帝国に導いた一兵卒であり、民主主義を定着させた男だったからだ。
「人間は見た目ではなく内面である」という考えはアテネが発見したものである。
哲学の誕生であり、キリスト教の誕生の秘密はここにある。
藤本美貴 大切。

このことからキリスト教社会にビッグマネーがもたらされた。
セックスについて赤裸々に表現すると男同士が喧嘩したり、女同士が譲れないものがあることがわかり、フィヒテはribbonというユニットをプロデュースしたのだ。
コンセプトは「女を知らない従兄弟」と「男を知らない従姉妹」の二つを「出発点」にすることだった。
ribbon 愛してジャスティス。

ひたすら「純粋な私」を表現することが大事だった。
それは家庭内に「恋愛対象」を持ち込むための教義であり、どの男女も経験することだった。
男の子や女の子が「私」に目覚めるのは親戚が遊びに来た時だ。
彼や彼女とセックスをしないことが「私」をなくすことであり仏の心とも言えた。
「どの女も口説き落とせる」という「悟り」に対して従姉妹の女の子は「簡単すぎる答え」だったのでセックスはしなかった。
しかし、いい「心の風景」を作るためには可愛い従姉妹は必要だったのだ。
ribbon 3つの願い。

いとこ同士でセックスしたら何が起きるかは知っておいて貰う必要がある(必要性)。
「簡単な関係」に危険性はあるし、そこには「どの女も口説き落とせる」という悟りの境地はなかった。

コーヘン・スペッカー理論というものがある。
子供と親との類似性はベルの不等式のようにほとんど成立せず、親が周囲に「贈り物をする」ということ以外に子供の成功は見込めないというものだ。
「愛情というものは財産である」とも言われる。
それはもはや「好き嫌い」を超えた感情である。
適当に子供の向き不向きを見て応援してやることしかできない。
応援してやる側も「いつか何か分かってもらえれば」と思って応援する。
自分の生活空間(ヒルベルト空間)で行った悪事などすべてが許される気がするのだ。
応援する側とされる側にはほとんど勝ち負けのない日常だけがある。
しかし「私は突出してしまった」という罪の意識がのちの世代への応援につながっているのだろう。
どうにかして身内のバランスをとらなければならない。
このことから自然に身内の幸福に「おめでとう」と言えたのだ。
コーヘン・スペッカー理論はこのことから「あの人のお孫さん、あの人の息子さん」という形でその人の力量を見ることを約束させたのだ。
酒井法子 エアー〜サラダデイズ。

恋を追い越すという行為はそれほど傑出したものをもたらすんだ。
イギリスでこのことをアンソニー・レ・グランドは明らかにした。
フランシスコ修道院の面目躍如たるものがあったのだ。
オックスフォードやケンブリッジは彼らが作ったものである。
恋を知らずに何かに熱中した者たちに与えられる教育がそこにはあった。
若者の世界にもいじめというものがあった。
恋を追い越す奴はいじめられて潰された。なぜ君が物事に熱中できたかは大人の側も本当は理解できないんだと周囲は語り合った。
そういう奴とは「心と心」で語り合いたいというのがオックスフォードやケンブリッジの考えだった。
しかも、多くの「専門職」を用意していた。
酒井法子 恋と愛のニュアンス。

デカルトの「恋の発見」は、女の子たちのセールスにつながったことから株式市場もできたが、一方で、そのことと男の子がどう向き合うかが問われ、エリートというものをごく一部の者たちの集団としていた。
6+4=10だとしたら、恋は4の意味をもった。
4の楽しみってなんだったんだい?それをオックスフォードやケンブリッジは聞いてまわったのだ。
デスガベッツは、恋の見方は遺伝しないとしている。
親が熱中したことに子供は熱中したくないと考えていたし、それは親の性の問題から目を背けたいという子供の心理と同じであった。
「頑張りすぎない親」がいちばん強い子供を作った。
好きになってもくれない。

2018年2月10日 (土)

三浦海岸のさくら祭り。

【まるで薬を食べて生きているようだ】芥川龍之介。

駅の改札を降りると、マグロが売られている。
DHA(出産が飛躍しており、しかし、祝福がある)が含まれており、歴史への耐性をつけ、花粉症などを治してしまうのがマグロだ。
クフ王、などの王の間を行ったり来たりするならば、ストラドリング魚種であるマグロを食べよう。
アジは、クレオパトラ。
トロまんは、歴史との和解がテーマだ。
しらすは、背の高い女性や、小顔にした女性が出産したときのトラウマを癒す。
女の美と権力の関係を示す、レディーマクベスの物語。
性病なんて野菜をたっぷり食べてれば治るんだよ。
クジラのベーコンは「目的を持った生き物を食べる」というハンター(オカマ)の美学。
左目が良くなる。
腋臭には、ニンジンが有効だ。試食もできる。
ところてんは微熱を下げる。
海藻は、酸欠状態に耐えて生きてきた。
つまり、統合失調症の「寛解」とは、海藻をいつ食べるかであり、家族に見捨てられた病人への福音だ。
実のなる果実は、男の労働。落花生、イチゴ、イチジク、あんず。女を豊かにするために男が育てる。
本来、女は実のならない木を好む。
日本酒は和をもって尊しとなすものだし、焼酎は悟ったものが飲むもの。
悟れねえなと言いながら歩いた。
ワインは鉄と革の学問。
大航海時代は、鉄と拳銃と羅針盤によって始まった。 
三浦弁当は、豚肉で内蔵を治し、卵で人間を洗練させる。
大根のおでんは三浦海岸で人々が和解する食べ物。
饅頭や、おはぎは小豆が使われており、島で男女が本性を見せるというアンコを堪能できる。
干物は、太陽が女性に見える国で作られた食材だ。
豆腐は足腰を強くする。
女たちはさくらを髪に乗せて美を競いあったが、男性社会で花言葉を用いて生きていこうと決めた。
焼くのは文化を感じるためだし、生は自分の敵について考えるためだし、茹でる煮るのは和解するためだ。

かわいい子がいたら「君のことを日記に書いていいかい」と話しかけよう。
そのような人は、非常に社会に対して前向きだろうね。
【MV】心のプラカード / AKB48[公式]

2018年2月 8日 (木)

日蓮の師匠。

スリーハーサが12世紀のインドにいて、日蓮の師匠と位置づけられている。
アーリマン(悪の神)ではなくブラフマン(善の神)にだけ目を向けて、ヴェーダ聖典にしたがって、悪からの「あまい拒絶」を行うことがその教えだ。
ブラフマンにしたがっていれば癲癇の治療にもなるし、「お天道様の下を歩ける」と考えられたのだ。
善の研究であるアドヴァイタベダンタと悪の研究であるニャーナバイセシカを基本にその哲学は完成に向かった。
悪のシステムはニャーナシステムと呼ばれて体系化されていた。
あとはそれに対して「あまい拒絶」をすればいいだけだ。
「良いもん」にしたがっていれば知ることができる、モテることができる、逃げることのない強い男を作ることができる。
ニャーナシステムは「悪役も必要」という思い込みを年寄りにもたらしてもいた。
嫌われる方法など山ほどシステムとして存在したのだ。
悪役商会。

【知ることを許されたものを定義する】
この作業は9世紀からインドで進んでいた。
とにかく「勃起」の仕方とか色々なものから判断するしかない。
女に対して抱いているイメージを見ながら、その男の才能を見た。
CoCo メロディー。

男女を多数、交えた激戦区で勝つことは信仰にとって必要なことであった。
「良いもんが勝つと信じている」からだ。
必要なのは「入り口」を作ることだった。
勝ったものが自由に教えを描くことができるからだ。
多くの女たちの祝福を受けた男の発言に耳をすませていた。
【祝福】
それだけで教団での影響力は約束されるのだ。
「勝ったものが強いんだ」とも言われた。
勝ったあとに人間というものは化けるものなのだ。
運の良さなんて考えてはいないよ。
「知ることに目覚めたのか?」だけを見て判断しているんだ。
知ることに目覚めていないのならば、ニャーナバイセシカのシステムに乗せて振るい落として行くだけだ。
勝手に腐っていくもんだよ。
【勝つことは人にチャンスを与えること】
そのためだけに応援していたのだ。
ウマはキャスターから情報をもらっていたし、ウナはポラックスから情報をもらっていた。
あとは二人に問題に直面してもらうだけだろう。
どっちがより「大人の対応をするのか」だけ見ていればいい。
【知識のないものはすぐに怒鳴るのがわかる】
怒らない奴には何も教えることはないという六道の教えはここにも生かされた。
CoCo 優しさの法則。

女に対しても「あまい拒絶」というものを行う男がいい。
男の伸ばし方も潰し方もニャーナバイセシカに書いてあったので、本当に見込みのない男は容赦なく潰せた。
女への人当たりで判断するのがいちばん「勘違い度」を判断するのに都合がいい。
要するに「勉強するつもりはあるのかな?」というあたりで女への態度は決まっているからだ。
「この男は却下」と判断したらニャーナバイセシカの路線に乗せて潰していった。
ニャーナバイセシカの罠にはまって立ち直る兆しがなければ放っておくしかない。
必ず自分を見つめ直す機会が設けられているのだ。
「誰よりも男らしい瞬間」を見せるようにできている。
女たちには分からない「器」があったのかもね。
そう思われた時に何かが許された。
「勝ちたい人は大勢いるでしょう?」という問題と直面したが、「勝った人の話をよく聞いてもらう」しかないでしょうね。
キャスターからの情報は役に立つということさえ分かっていればいい。
自分をとにかく低く低く見せて、勝ち続けてもらいたいわ。
女を怒らせたらニャーナバイセシカが待ってるわよ。

16世紀にルクレツィア・マリネラは、「女の方が団結力がある」とし、「女の強さ」を指摘した。
Melody Let me cry.

ルクレツィアは、ベネチアアカデミーで知性に満ちた男たちと接する機会があったために、若者の可能性を見極めることもできたのだ。
中世のベネチアやミラノは「女の街」だった。
女たちの支持がなければ村八分にされるのが若者の宿命だったのだ。
もちろん、あくまでもキリスト教の街だったので、散々苦労した若者の「復活を待つ」という発想はあった。
散々、無礼を働いた若者でも復活したのならばメディチ家と引き合わせた。
メディチ家にはアグリッパのように、若者の苦労を知り尽くしているものがいたのだ。
過酷な修行と荒れた日々、そのあとに復活があることはベネチアアカデミーもよく理解していたのだ。
ルクレツィア(レディマクベス)の男遍歴とは、どれほど多くの若者をメディチ家に引き合わせたのかを語っているのである。
このような「女ネットワーク」が張り巡らされなければ、女は強いとは言えなかったし、かつては男子と同じ勉強をしていた女たちに救いが与えられることもなかったのだ。
女たちからの村八分はすべての若者の「復活」を女たちのものにするためのものであった。
おばさん連中の中には「温かさ」を若者に与える人もいた。
救いのない若者にとって女の「温かさ」が「美しさ」に勝る時があった。
「苦しまない男は醜い」
彼女たちはキリスト教徒だったのだろう。
昔の男女共学の世界での出来事を考えると貴方ははるかに上等な男よ?
権威とはそのように女たちが生み出すものだった。
マグダラのマリアとマリアたちと呼ばれた。
Melody.

男女の世界は国づくりの後に作られたものだ。
最初に国家を作り、その後に男女を作った。
年寄りも生まれ、病人も出た。
男女、そして年寄り、病人によって国家を運営することになったのだ。
これをプラトンは「ユートピア」と呼んだ。
松田聖子 小さなラブソング。

病人を「法」に当てはめていく、これが重要だった。
男にも女にも年寄りにもなれない人間は確実にいた。
病人を「男か女か年寄りか」のどれかに含めていかなければ戦争には勝てないことがわかっていた。
そのために「法」というものはあったのだ。
ゼウスの寺には病人しかおらず、ゼウスは医者として常に戦争について考えていた。
ゼウスはあることに気がついた。
「最高の快楽が病気を作っているのではないだろうか?」
痛みに逆らうように快楽というものは追究されたものだ。
痛みと快楽のバランスが必要なのだ。
二つの頭を持った野獣は快楽だけを求めて生きるだろう。
痛みを与えないと人間は伸びない。
医師免許をもらって「先生」と呼ばれた人が二度と勉強しないのをゼウスは目撃した。
「病人をなくす営みが法である」ことを知っていたアテネのゼウスがスパルタやアルゴス、エッセネを滅ぼした。
アテネは「男と女と年寄りの国」を目指し、病人をなくす、つまり法の奴隷となることによってペルシャも支配することになったのだ。
痛みと快楽の調和を取るために法律書を難しくしたが、快楽を想定して書き記していたため、ストイックな者は成績が悪かった。
ピーチシャーベット 松田聖子。

脳が苦痛をこれ以上、受け付けないほどストイックな男は法を学ぶことが極めて困難であった。
「男と女と年寄り」と世界を作りたいという法の世界から放逐されて病人になったのだ。
自分は男なのか、女なのかを確立していないとすぐに学業不振という形で表現されたのだ。
国家を強くするために「法」が必要と考えたのがプラトンであり、それは病人をなくす営みだった。
松田聖子 マイアミ午前5時。

マグネシアでは、医者がだんだん「男と女と年寄り」を作るための教育を受け始めた。
医者といってもミュージシャンのことだった。
これが法律の世界の序章となっている。
天国のキッス 松田聖子。

法律、そして医学の精鋭たちは「ノクターンカウンシル」を作ってセックスというものを変えてしまった。
男女ともに合体しながら動かずに1時間ノクターンを聞いた。
ショパン ノクターン。

男になること、女になることという法の世界がこれで一気に開かれたのだ。
自分の属する「性」が気持ちよくなければ「神・男」はクリエイトできなかったのだ。
これがユートピアというものだった。
健康や美しさ、富が生まれたのも「法」があったからだ。
「お嫁に行く」という信仰もこのことから生まれた。
松田聖子 ハートをロック。

いずれにせよ「男と女と年寄り」の国を作ることが「法」の目的であり、ゼウスの寺で病人たちが「男か女か」に戻っていくために非常にパワフルな役割を果たしたのがノクターンカウンシルであった。

2018年2月 4日 (日)

詩の世界のヒーロー。

詩の世界の「男のモデル」はトマス・アクィナスだ。

ギリシャ哲学が、大勢の先生がいる中で、一神教に向かった。
男の子は「従姉妹の女の子で性に目覚めている」とし、数学の勉強で従姉妹との距離感をコントロールし、国語の勉強でその関係を詩にするとしたのだ。
しかし、その関係には「盗み、セックス、欺き」の三つの要素を入れなければならないとした。
大勢の男の先生(多神教)の公約数的見解をまとめ上げるのを一神教と呼ぶのであれば、ギリシャ一神教は「自分にとって身近な従姉妹」との関係に「盗み、セックス、欺き」の三つを入れればいいとしたのは間違いなく一神教であった。
従姉妹の女の子を想像して「彼女が」「おちんちんで」「痛みを感じている」というあたりを「盗み、セックス、欺き」の三つの要素で巧みに表現する。
どの男女も「いとこ」という身近なモチーフに共感しているのだ。
あとは「この表現こそが多数派だろう」というあたりにブレイクの秘密がある。
このように多数派工作をするのが詩であるとするのならば「誰一人としてファッショナブルな男はいない」という結論に到達するだろう。
この、ホメーロス、ヘシオドスの奥義を要約するのに成功したキセノファネスは、ギリシャ一神教が「多数派の心をつかむことの限界」も明らかにしている。
「本当にすべての男女の共感を呼ぶ男などいないのではないか?」という神の限界を明らかにしたのだ。

ペテロの葬列。
ペテロの葬列。

このペテロの葬列を頭に叩き込んで、私が「従姉妹のヒロイセとの関係」を詩にしたら、
アルバムが出来ることがわかる。

真夏のフェミニスト ribbon.

SPEED Deep blue & truth.

思い出のアルバム Qlair.

神のみぞ知るハートの行方 酒井法子。

愛の炎 田中れいな。

インディゴブルーラブ モーニング娘。

恋ING モーニング娘。

Sexy Boy モーニング娘。

独占欲 モーニング娘。

赤いスイートピー 松田聖子。

ロックンルージュ 松田聖子。

オリビアを聴きながら 杏里。


上級者編。
ペテロ・アベラードに彼女ができた時のヒロイセの気持ち。
瞳はダイアモンド 松田聖子。

ハートのイヤリング 松田聖子。

悲しみが止まらない 杏里。


従来の詩の作り方。


100%デッドコピーは比叡山延暦寺にあります。
ファクシミリなどで配布を求めてみてください。

トマス・アクィナスのアメリカ留学記。

トマス・アクィナスのキャンパスライフ。道徳〜東大ボクシング部1990。


ハンナ・アーレントは「全体主義の起源」において、全体主義は暴力をともなうとした。
ナチズムとスターリニズムの「双子の悪」が念頭にあった。
ヨーロッパの西と東で「女たちの支持」を完全に捉えることが可能となっていたから全体主義が登場したのだ。
「応援してくれる大人がいない」(自己疎外)という現象が蔓延すると全体主義の支持者が出てくる。
自己疎外の状態になった女の子はもはやからだを売るようになっていた。
お金を家庭にもたらしはしたが、「世界の終わり」を望む女になっていたのだ。
「思い出のあるコミュニティー」だけが彼女の「世界の終わり」の願いを押しとどめていた。
フランス革命、パリコミューン、ロシア革命、ハンガリー動乱に学んだ日本は中学校の恩師をなかなか異動させないようにした。
「意味のある活動」をすれば恩師は自分のことを覚えている。
「世界に終わりがきてしまえばいいのに」
そう思った時に、母校の周りをうろついた。
「思い出のあるコミュニティーがないこと」
これが全体主義の起源である。
ノスタルジーを感じることが時には人間には必要だった。
中学高校の恩師を訪ねることを「力」と呼び、それは全体主義による暴力とは全く異なるものだった。
我々の活動に終わりはない。「許しと約束」を恩師と交わしてまた生活に戻っていくのだ。
「すべての女を口説き落とすことができる」という境地になったカントは、女たちの絶大な支持を得る指導者を生み出したが、その背景には「思い出のあるコミュニティーがない」「世界に終わりが来てしまえばいいのに」と考える女たちがいたのだ。
ナチズムとスターリニズムは、20世紀のトラウマ的出来事だった。
エルサレムのアイヒマンの取材をした時に、アーレントは、アイヒマンがセックスにまるで感じない男であることを知った。
「私は世界の王だ」という男はセックスにまるで感じないのだ。
「すべての女を落とすことができる」このことをオンエアしてできたナチズムによって「感じない男」が逆に生まれることがわかった。
いいセックスって何だろう?
体制側はそのことを考えなければならなくなった。
「お金がなくて笑えない」男はそもそも勃起しないが、世界の王となった男も「感じない」のだ。
バカでも女のケツばかり追いかけている男がむしろ微笑ましく思えたのだ。
エルサレムのアイヒマンが「セックスで感じない」ということがもし分からなかったら、全体主義を克服する理由は世界に存在しなかっただろう。
「聖地巡礼の心理学」は全体主義の克服という心理に負うところが大きい。
続・赤いスイートピー 松田聖子。

トマス・アクィナスが、中国や朝鮮の「女心の定義」(政治)をコントロールするか、「男が女を愛する気持ち」(経済)をコントロールすることを「植民地主義」と呼び、「セックスをコントロールするにとどまる」(税法)ことを連邦制と呼ぶ。
特に植民地主義においては、トマス・アクィナスという「王」が、セックスや勉強のやり方を教えることから、「まだ、その作法が成立していない」国々に対して「帝国主義」というものは成り立った。
マルクスは大英帝国の植民地主義を支持したし、レーニンは自らが「王」であることを否定している。
植民地主義というのは、「女たちが美しくなればいい」という発想をともなう。
ヨーロッパから見るとアメリカ大陸、オーストラリア、アフリカ、アジアにその可能性が残された。
19世紀以前にはイギリスは帝国主義を採用していなかったとされるが、エリザベス女王はすでに「大英帝国」と称し、女たちが「どんなセックスを嫌がるのか?」を決めていた。
1960年代のポスト植民地主義の時代を迎えるまで、「女心の定義」(政治)のコントロールや「男が女を愛する気持ち」(経済・結婚・子育て)のコントロールは続いた。
「セックスのコントロール」(税法)に関してはまだイギリスはカナダやオーストラリアに対して「タブロイド誌」で行なっている。

香水とは特定の男から女が感じるオーガズムの匂いを表現している。
香水 田中れいな。

スペインはアメリカ大陸に「いじめられた人間関係」(神学大全)を作ることからキリスト教の宣教を始めている。
それがトマス・アクィナスの弟子のイノセント9世の人生であった。
人食い(他人の土地や家を奪う・カニバリズム)の禁止だけは勉強の作法を教えなければ分からなかった。
いじめられた人間関係(神学大全)をその地域で若い王がまとめ上げなければ植民地というものは成立しないわけである。
「戦争」とはそのような意味であり、その国の教科書に載る人物も神学大全に参加することが求められた。
このような発想を持っている国はフランスとドイツとイギリスしか存在しない。
貿易や伝道もすでにその国の「詩の世界のヒーロー」を作り上げる可能性があったため「戦争」だと言える。
音楽作品が想像以上に巨大な富になることからこのような「戦争」のやり方は分かるようになった。
それ以外の「軍事行動」は本国の納税者の理解を得ることが困難だったのだ。
中国や朝鮮に対してはるかに歌謡曲(JPOP)が進んでいる日本は周辺諸国にとってはそのような「帝国主義」の国に見える。
「女心の定義」(政治・垂加神道)をまとめ上げなければいじめられた人間模様も作れないことから、まずは政治から入るのがよそ者の基本であろう。
うまく「成文法」(音楽作品)を作り上げることが必要であるし、男女が自由に行動できる慣習法も必要だ。
さらには詩に解釈を与える習律も必要となる。
Twice wake me up.

マルクスは共産党宣言において「従姉妹との結婚」を勧めたが、中国や朝鮮でどのように「いとこ」ができるかは明確ではなく、マルクスもこの研究から手を引いている。
とにかくその国でイノセント9世(トマス・アクィナスの弟子)が常に歌われていなければならなかったし、しかもセールスに繋がらなければならなかった。
この「マルクスのやり方」を脱するためのポスト植民地主義とは「アクィナスを歌わなくても売れるじゃない?」という空気を作ることであるが、果たしてそれが可能かは分かっていないのだ。
いずれにせよイノセント9世が「その土地と和解しよう」という気持ちがなければ中国や朝鮮は日本国の植民地とはならないだろう。
今のところ「いじめられた人間関係」まで詳細に調べ上げる力量はFBIなど限られたところにしかなく、イノセント9世の人生への共感と、日本国政府の調査能力の向上に期待するしかないのだ。
Superfly Fall.

連邦制とは、植民地時代を終えても、その国の外交や国防を引き受けることを言う。
カナダ、オーストラリア、ヨーロッパ、ネパール、ナイジェリア、ロシア、イラクしか「イノセント9世のように人々が特定の男を歌い継いでいる」国は存在しないため、連邦制というのは植民地時代からの卒業を特定の地域で行なっていることを意味する。
「イノセント9世のルールは俺のルール」というような音楽作品に満ち溢れていることが必要だ。
日本国に「アメリカ合衆国の男」をヒーローにした音楽作品はないため、日本国はアメリカの植民地でもなければ、「51番目の州」でもないことになる。
浜崎あゆみ To Be.

女たちが「どのような男をパートナーとして受け入れるのか?」を判断しているため、自伝をまとめきる「説得力のあるリーダー」が常に歌われていた。
とにかく「暴君」ではなかったのが好感を持たれた。
女たちの「主権」とはそのようなものであり、アクィナスの弟子のイノセント9世は異国の地でそのような存在になり、「セックスシンボル」となったから連邦制というものは成立した。
「とにかく教育が違う」という意味では、日本人が中国や朝鮮に出て行くのは「これから」としか言いようがない。
連邦制とは「本国の人間がいじめられることの予防」を目指しており、貿易や異国の異性との恋愛を約束するものだ。
日本人を「詩の世界のヒーロー」として選択したのであればそのようなことになるだろう。
すべては「イノセント9世の自伝にしたがって音楽作品を作れば売れるんだ」という外国人のビジネスを成立させることにかかっていた。
連邦制は「セックスをコントロールするにとどまる」(税法)と言っても、外国国家から本国が税金を取るわけではない。
人的交流が、国民感情や恋愛レベルにまで浸透すればおのずと税金になるだろうという考えなのだ。
AKB48 Teacher teacher.

カントが「すべての女を口説き落とせる」とした後に、新カント派は「海」と「陸」に分かれた。
陸で悪さをしすぎた者たちが「海」に追い出される格好となったのだ。
「海の大学」であるメルブルク大学は、第一次世界大戦ののちに「旧体制」と結びついた。
海という開放的な空間から「旧体制」にメッセージを与え続けたのだ。
「女の子と話すのは楽しい」という目的的行為論も生まれた。
メルブルク大学から「陸」「旧体制」に送られてくるメッセージは常に「女の子と話すのは楽しい」というものであった。
ヘルマン・コーヘンや、フリードリッヒ・ランジェなどから送られてくるメッセージに共鳴してナトロップも「海」に来た。
ナトロップの関心は「からだが大して変わらないのになぜ女は失恋するのか?」というところにあった。
「ちんちんを挿入されるたびに女は壊れて行くのではないか?」
壊れた女から逃げた経験のある男たちは磔にされたイエスに祈った。
「落とせない女はいない」としたカントに対して、ナトロップは、「落としたあとに女は壊れているではないか?」としたのだ。
男に暴力を振るったりして「おかしい」と思われる女が大勢出たのだ。
「男らしさ・神・法・宗教」が試されるのはそれからだった。
壊れていく女のために「法」はあった。
女の「直感」はもはや「オーガズム」と結びついていたし、「壊れていく私」に男がどのような反応をするのかを「知識」と呼んだ。
ジャーバージャ AKB48.

海の側(メルブルク大学)から「女が壊れる」というメッセージが来たため、陸のハイデルブルグ大学は「知識」を発展させた。
「女に鏡を見せてやれ」
鏡と勾玉と剣は、セックスした後に壊れた女に与えられたものだ。
なぜ、女は壊れたのか?
「美しさが失われていくのに敏感なんだよ」
これがハイデルブルグ大学からの回答であった。
カエサルのものはカエサルに、女が挿入を受けて壊れていくのであれば、女に鏡と宝石と包丁を与えよう。
男の「快楽の対価」とはそのようなものであった。
Superfly bloom.



仏の道〜中道。

2018年2月 3日 (土)

プロポーズの世界。

プロポーズとは、男が女に「貴女の局部は私にとって最高のものだ」というメッセージを送るものだ。
ウェディングベル シュガー。

周囲には「貴方は間違ったものを信じているのよ?」という考えも生じた。
「女の心は間違いを犯さない」ということを理解する必要がある。
本来、ストイックな男が、多くの女がいても特定の女に最高の意味を見出す営みを「プロポーズ」と呼んだ。
ペテロ・アベラードはトマス・アクィナスの結婚で自分の妹のヒロイセが泣くのを見た。
「本物の女の局部って何かしら?」
アベラードはヒロイセに「それは男のストイシズムを知る必要がある」と語った。
ストイシズムというのは「おちんちん感覚」と「読んでいるもの」から成り立っている。
宵の明星は明けの明星よりも輝いているものだ。
ストイシズムの輝きは暗闇に向かっているとしか思えない。
山口百恵 コスモス。

セックスの楽しみを知らない男が「プロポーズ」というものをするんだ。
間違った「女の局部」を信じていても構わないんだろう。
誰と結婚しても出世する自信があるという意味ではあるね。
「できない」「かもしれない」が人生から消えたんだ。
それでいいじゃないか。
これからの人生でデスデモナに「オテローは結婚しています」と言わせてカシオとデスデモナを出会わせるんだろう。
結婚とは、本気で自分に惚れている女に男を与えるものだと悟るんだ。
女よりも「自信がある」ということが男には求められる。
「昔のアイツは本物だった」という話から天気予報のように予測できたことだった。
ジェフリー・キングはそのようにして2003年に結婚している。
「昔のアイツ」から多くの人間が目を背けた。
若くして「大勢の上に立つ一人」であることの特徴は「苦労を知っていること」にあった。
アパートの一番いい部屋で女心を研究する機会があるだろう。
なぜ自分が「大勢の上の一人」となったのかは「苦労したからだ」と思っている以上、研究生活は続けるだろう。
間違った発言を多くの人が聞いていたが、人生のブレイクスルーを作った時の話は誰も聞いていなかった。
だから「アイツは間違っている」と周囲は思った。
自慢しないからこそ自信があったのだろうが、誰も知らなかったのだ。
男の決意に委ねるしかないだろうと考え、周囲の男たちすら女々しく見えた。
周囲があまりにも弱く、女々しいので、簡単に自分の置かれた状況は理解できた。
周囲の弱さはかつてはあり得なかったことだったが、歴史に残る男とは得てして「周囲の弱さから学ぶ」ことを身に付けるものだ。
オーガズムにしか興味のない男も女も見た。
デタラメな作り話やありえない話を信じ込んで判断を誤る愚か者も見た。
しかし、話の分からぬ人間を恨んではならない。
あなたは歴史上の人物なのだから。
宵の明星が見た暗闇とはこのようなものであり、間違った人間だけが生きている世の中だった。
高橋由美子 Will you marry me.

周囲の行動原理があまりにも女々しいので「それならば俺は生きていける」と思ったのは事実だ。
「行動原理が不明確である」というベナケラフ問題を引き起こす人間と仕事をした。
偶然与えられた空気の中にある勇気なのか、「今ある勇気」なのかを見極めることができた。
偶然の中を傍若無人に振る舞うものは「快楽」で簡単にコントロールできた。
かつてヒロイセを泣かせたアクィナスが歴史に残った理由はここにあったし、暗闇で何を見たのかをしっかりと書き記したことにあった。
おみくじ 高橋由美子。

妄想というものがある。
コートダジュールに行けば頭が良くなるというのも妄想だ。
しかし、それで食べていける人がいるんだよ。
家族、クラスメート、隣人など、その男をよく知る人がそのような妄想を抱くのだ。
「どうやってなのかは分からないよ。でもインフルエンザは19世紀に流行り始めたんだろ?」
毒物を使用することがさも当然のごとくに扱われたのを見た。
とにかく、今の隣人はテロリストにしか思えなかったし、結婚生活にも恵まれなかったので、海の天才になりたかったのだ。
「自信が欲しい」
そんなことすら諦めきれないものだった。
「頭が良くなった!」というのが妄想なのだ。
自分の身の丈が分からなくなるんだよ。
頭が良くなったというフィクションを認めたくなかったから、身体を痛めつけた。
嫉妬や処刑を常に予感させるのが「頭が良くなる」ことなのだ。
有名なニュースキャスターを長年務めた後に自殺未遂をする人もいるだろう。
コートダジュールで逢いましょう。

一度、妄想を見てしまうと「自信が持てなくなる」から案外、安全なものだよ。
こういう仲間づくりをするのか!と思ってしまった時点で精神病なんだよね。
2000年のDSM-4の頃から実は指摘されていたのだけど、2013年のDSMー5からはひどい病気になったね。
昔は「法律書が読めるようになった」で済んでいたけど、今は「外国語が読めるようになった」というまで酷くなっている。
どのみち「被害に遭った」と騒ぐ奴ほど安全なんだよ。
肉体的強さを増す、美しさを増す、などということをともなったら妄想はますます酷くなる。
モノポリーとも表現される妄想であり、日常生活で他人から「罵倒されている」としか思わなくなる。
女が男になるという妄想を抱いたら「どこからも来ないはずのもの」を経験する。
「モテたい男症候群」にかかったら一気にうつ病になるだろう。
娘たちは「お父さんを愛してしまう」という症状も引き起こす。
さよなら失恋ピエロくん。

トップダウンの命令も、ボトムアップ型の草の根活動も行えるようになる。
指導者を育てるために行うものであるが、地を這うような生活をする現状があり、それで成立してしまう環境に身を置いている。
情報の誤訳はほとんど認められない。
そもそも「自信があるやつについていきたい」から妄想にとりつかれるんだ。
自信のないやつに取り憑いても脳にダメージを受けるだけだ。
妻は夫がいなくなった病院に四年ぐらいいても飽きない。
いろんな「アブノーマルな」検査結果も妻には出てくるし、四年ぐらいを目処に家を建てて引き取ったほうがいい。
妻は夫の翻訳を身内だけのものと考えているが、外に出て人に話してそれが通じた時の喜びは言葉に例えようがない喜びがあるのだ。
悪口の膨大な資料があるというが、強烈な目的を持ったことから、その目的を時間、空間、人々の気持ち良さなどの世界に解き放っただけである。
毀誉褒貶が激しくないとカントを学ぶ境地までたどり着かないんじゃないかな。
カント自身が「恋を追い越していた」からね。
このことを目的的行為論と呼ぶ。
恋と愛のニュアンス 酒井法子。

「君はデカルト的考えをしているね」とは「中学高校で恋をした」という意味であり、「君はカント的考え方をしているね」とは「恋を追い越して周囲から批判された」という意味だ。
カント的考えとはエリートのものだった。
漁り漁られ目的の女もアナルにぶち込まれるのは嫌だった。
ひたすら「女の局部」をより神秘的にするために、そして文明の発展のために私の話を聞いて欲しかったのだ。
ノンケの男は毀誉褒貶が激しいから、そのあたりも冷静に見ていた。
アナルセックスしない男がうしろ指をさされていることに気がついたの。
男はおちんちんが付いている限り宝石ね。
うしろゆびさされ組。

女は「局部」におちんちんを挿入して欲しかっただけだった。
しかし、アナルセックスの存在が男女の世界を豊かにした。
女はアナルセックスを強要する男をどのように避けるべきなのか?
これだけを時間と空間に解き放った。
お腹に人工肛門をつけるようになったら水着にもなれないわ?
「左利きのグローブをつけているだけで怪しいわ」と女たちは語り合った。
「恋のスタイル」はアナルセックスまでは想定していない。
一日中、何の目的もなく生きている奴がホモだった。
シルバーリングに口づけを。

お前はノーマルセックスをする男なのか?
ただ生きているだけのオカマからのいじめがここから始まった。
ノンケの男を実は女たちは奪い合っていたのだ。
他に理由などなかった。
あの痛みだけは勘弁して!
しかし、アナルセックスにエクスタシーを感じる男は、女にもそれを強要したし、「俺を含めて誰のいうことも聞くなよ」というスターリニスト正統派の立場から、人生そのものが相対主義であり、何か特別な口説き文句があるということにも興味を示さなかった。
カントがヒュームに負けた点を指摘するならば「相対主義を知らなかった」ということだろう。
落とせない女はいないと豪語したカントであったが、アナルセックスを女が嫌がっていただけだということを見落としていたのだ。
「目的を持った男」
それだけで女たちはノンケだと見抜く力量があったし、本気になった。
虐待を受けていない男女たちの世界にカントは身を置いていたが、ヒュームはより現実を知っていた。
カントはあくまでも「法律」を重視していたのであり、ヒュームのようにヘンタイ(法律の留保)の世界を知らなかった。
カントは「毀誉褒貶の激しい男はノンケだ」ということをのちにライプニッツから学んでいる。
オカマは、肛門でやらせてくれない女にはフェラチオを強要している。
Wink 愛が止まらない。

「数学が得意だった人」それだけで従姉妹は男の写真を大事に持っていた。
日本では「英語が得意だった人」だというだろうが、ヨーロッパでは端的に「数学」と表現されていた。
男を知らない女の子は「算数を教えてくれる人」にはからだを許さなくても「数学を教えてくれる人」にはからだを許したのだ。
「上達する」
そのことにノンケであることを見出していた。
「私のヒーロー」とは上達する人のことを言ったし、アナルセックスを強要しない人のことだった。
恋をしたことのある女にしかわからないことだった。
横浜BoyStyle CoCo.

2+2=4
俺には彼女がいるから、お前もいい彼氏を見つけろよ。
こんな基本がツーショット写真には込められていた。
数学ができる男とはそのようなことが計算できる男のことだった。
酒井法子 風邪。

2+2=4
お前はヤリマンだから、俺の立場を保障しないだろう。
そんな意味も込められていた。
子供のことまで考えながらパートナーを選ぶのは男の喜びでもあった。
誰とでもやりまくる男は数学ができないとみなされたのだ。
ヒロイセはそのようにして失恋したのだ。
男友達 安倍なつみ。

真理の探究をするよりも「証拠を見せなければならない」と言われる。
政治とは結果責任だ、というよりは「結果」を見せなければ真理ではないという意味でもある。
みんなが待ち望んでいる結果を見せるという意味ではプロレスはそうだろうが、現実の戦いで結果を出すことはもはや拍手喝采の的である。
それでも、学問は「プロレスのように」結果を出せるのだ。
みんなが楽しんでいるととにかく国全体が結果が出る。
何が戦いなのかは分からないが、言論にはそのような力があるのだ。
証拠を見せて 工藤静香。

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