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Foreign Affairs

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2018年1月19日 (金)

退屈さに飽きないヘンタイ。

マルクス主義が西洋社会に受け入れられるために欠かすことのできない人物がジョージ・ルーカクスである。
小説というものは「得るものがない」とされているが、すべてゲイや両刀遣いなどのヘンタイが書いているとしたのだ。
ものに意味を込めない才能とでもいうべきものだろう。
竹原ピストル。

階級社会がヘンタイを生み出しているとするのならば、下層階級以外に政治家に向いている階級はない。
ノンケならば経済学への理解度が高い。
このへんから「才能」や「適性」を見ていかなければならないものだ。
ロースクールにも適性試験というものはあるが、憲法改正からの威嚇を受けるヘンタイならばそこで適性は切らなければならないのが本来の姿であろう。
新カント派は「女神さまというのは作るものだ」としたが、はたして「自らの越境問題」の論点をまとめ上げたアリストテレスやニクソンのように「自分についてきたアイドル」への理解力をもてるかどうかは、自分の大学での情けない成績を「オールS」に変えてみせるポテンシャルを持つかどうかという問題となる。
ハンガリーで軍務に就いたルーカクスは、自らをヘンタイとして「文学者」と位置づけることにしている。
階級社会の怒りこそが文学なのではないか?としたのだ。
イケメンが全体主義をもたらすとするのならば「彼はゲイだ」と言われるだろう。
尾崎豊 シェリー。

ハンガリーのベラクンによって指導されたハンガリー赤軍はこの「若き全体主義者」によってイデオロギーが統一されていた。
寒空で1時間も平気で待つことができる新左翼もいる。
これは「スターリニスト正統派」とも呼ばれた。
1956年にスターリンが死んだら、ルーカクスはソビエトによって投獄されている。
これがハンガリー動乱であり、哲学者を攻撃しろという戦争の基本を踏まえて、「学歴のない豚追い」がノンケとしてイデオロギー批判を展開したのだ。
仲間たちが学歴を身につけていくにつれ「何かやらなければならない」と考えたのがスターリニスト正統派であった。
しかし「豚追い」の方が楽しいと思うのであれば当然「スターリン批判」につながるだろう。
「ノンケのお前は政治家には向いていない」と呼ばれることもある。
いずれにせよ「何か得体の知れない世界」という心理学を皆が共有したのだ。
政治家という職業を「ブルジョアの恥」とみなす中産階級もいた。
マックス・ウェーバーは「勉強し、男女の論理が分かるようになる」という支配の構図を作っていたが、西洋の左翼思想はもっと「性倒錯」の現実を睨むことになった。
キルケゴールは「根性のない連中なんだよ、もっと若さと退屈さを楽しんでもいいんじゃないかな」として正統派の学問を支持したが、スターリニスト正統派の方がより全体主義的に人々の支持を得たのだ。
尾崎豊 I love you.

「豚追い」は、ルーカクスには女心の全てが分かるわけではないという持論があり、いくら人々の心をとらえても「絶対」を見失うと考えていたのだ。
スターリニスト正統派を支持してしまった「女心の悲劇」が指摘された。
それは「恐るべき男の序列」を生み出していたし、「友達としての男」を志向していたのだ。
キルケゴールは「女心には絶対というものがある」としていたが、それは新カント派が「女神さまとして発信する」ものだとルーカクスは考えていたようだ。
紅白歌合戦の紅組白組の区別は1916年のルーカクスの論文に見いだすことが可能だ。
女の考えは女に語らせようとしたのだ。
CoCo 夢だけ見てる

理想の男=法はどこに行ったのだろうか?
ルーカクスは「そんなものはキリスト教・ギリシャ哲学に委ねておけ」と語った。
法律学は「かなり女々しい学問」であるとし、よりパワフルな学問とは区別したのだ。
法律学は「女心をホームレスにさせる」とも言った。
松田聖子 赤いスイートピー。

これらの文学・経済学・法学の適性を理解しないものは「ドン・キホーテ」と呼ばれた。
自分が好きなものを好きなように表現できるのがいちばんの才能だった。
「貧しさの中から自分が本当にやりたいことを見つけていく」という発想が必要であり、型を真似るものではなかったのだ。
「このやり方でいいのか」というものが分かってくれたらなんらかの賞は与えられる。
貧しさの中で見つけるフェティシズムほどありがたいものはない。
その人の才能はそれで分かるからだ。
「コイツはオンナをバッタバッタと300人斬りするぞ」ということも分かる。
「我々」という言葉の意味は君にとって何を意味するのか?を明らかにしてもらいたいのだ。
スターリニスト正統派は確かに革命を志向した全体主義だった。
しかし、キリスト教を否定しただろ。
プロレタリアの集合無意識に訴えかけただけだった。
階級社会はそれで満足しても「真理」はそうではなかっただろう。
酒井法子 17ビート。

古典的マルクス主義は「男が女を愛する気持ちを利用しろ」と言っていただろ。
しかし、階級社会からは異なる返事が返ってきたのだった。
「知的な連中は俺を呪うんだろうな」とルーカクスは思った。
カントもフィヒテも味方してくれないことは分かっていた。
しかし、ヘーゲルだけは「アウトローのイケメンっていいんじゃないか?」と考えた。
また、シェリング・キルケゴール・ニーチェ・ハイデガーの「知的な直感」が若さを応援してくれた。
要するに「ヘンタイでも誰でも社会に出て欲しい、殻に閉じこもらないで欲しい」という願いがルーカクスにはあったし、当然、スターリニスト正統派のバックボーンでもあった。
文化は特定の者を権力から遠ざけてはならないとしたのだ。
考えて欲しいのは「自分の生きる道への向き不向き」だけであった。
このスターリニスト正統派の文化は「死にゆく宿命にあった」とも言われている。
粛清も行われた。
バルザック・トルストイ・ゴルキー・トマスマンなどの作家は当然いたが、「聖書」には敵わなかった。
「豚追い」はいろんな意味で自らの成熟と重ね合わせながらスターリン批判を行なったのだ。
モダン文化とは何か?を知らないと体制というものが理解できないことが分かった。
竹原ピストル ファイト!!!

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