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Foreign Affairs

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2018年1月23日 (火)

バージン女。

アリストテレスは「子供は小さな大人」と割り切っていたが、デカルトは「恋の発見」を行なった。
このことから自ずと「処女の発見」もなされた。
3つの必要性とは「みんなが知りたがっていること」「口々に伝わっていくこと」「アナウンスした方が速いこと」の3つから成り立っているが、「初めてのセックス」がこのことから女の子たちの間で語られることとなった。
そして、いつか必ず起きることという「可能性」をともなっていた。
365日の紙飛行機 AKB48.

この論壇が女の子たちの間で成立したからこそ、ソクラテスが「長い髪はお金目当て」としていた女の子の「女らしさ」が一気に加速した。
可能性と必要性から、論壇を成立させ、「初体験」「バージン」という共通認識を作るのに成功したデカルトは偉大だったし、巨大ビジネスを成立させた。
女たちまでもが「私、もうピュアじゃないので」と言ってその論壇から離れたことを「ピュアではない」と語った。
「昔、参加していた論壇」というものは確実にあったし、今でも後輩たちがいるのだ。
これは男たちの「悶々とした」世界を生み出すことに成功したし、「ピュアではない」と語る女たちもいまだに夫を縛り付ける力を持つものだった。
もはやデカルトは「真理」を見つけていたとまで言われた。
この「処女の発見」は、既婚女性にも都合よく利用されたし、AKBが大人の女性にまで興味の対象となる理由となっている。
恋するフォーチュンクッキー AKB48.

「黒くて勃起したおちんちんを知らない?」
そのこと自体、女の子たちの魅力となっていたのだ。
君たちがいてくれるだけで、我々は仕事ができる、そのように大人たちは考えた。
もちろん、デカルトも「女の子に空虚な空間はない」ということは知り尽くしていた。
「処女証明書」や「ブライダルチェック」などというものも高値で取引されることになったのは、庶民の信仰と言うしかない。
セーラー服を脱がさないで。

「初体験は20歳になってからと決めているんです」と語る女の子は可愛らしかったし、「非処女に人権はない」と語る童貞男はまんまと「童貞チェック」の対象とされた。
いずれにせよ、デカルトの作った「軸」は仲間づくりに利用されることとなった。
セックスした後に「何もなかった」と女が思うことそのものが「論壇」からの決別を意味した。
この論壇とどのように関わったかで、女の側の貞操観念というものも生まれた。
デカルトは「強い男への祈り」として「自分しか男を知らない女」というモデルを作った。
デカルト主義に立たない男は、女たちの論壇への恐怖でハゲたりもした。
そもそも「聖母マリア」が「強い男への祈り」を持っていたとされる。
日本では日枝神社がこのような「帝国カルト」を広めた。
ロマンスかくれんぼ。

この議論を理解するためには「女の方が問題の少ない愛を知っている」ということを知る必要がある。
「女はからだが小さくて嘘つきだ」ということからこの論争を完全に男たちは見失った。
「勉強で間違ってばかり」の男の子がたくさんいたからこの論争を女の側が仕掛けたのだ。
しかし、デカルトは「最高の哲学者はそのことを知っているし、そもそもその論争を仕掛けたのは私だ」と語った。
「勉強ができたから女の子とセックスできたときの喜びだけは忘れないでくれ」
男が強さにみなぎる時、それがフランスカトリックの伝統となった。
「神が嘘をついたらフランスは左翼の国となるだろう」
女たちは男を見て神について語り合った。
男たちが弱いから左翼になるのよね。
「恋」の発祥の地はパリだったけど、政治には違う考えもある。
「強い男への祈り」は女たちも持っていたけど、政治判断・経営判断がより高度なものとなったのはフランスだった。
時間旅行 松田聖子。

デカルトは「神や学問を信じない男の多さに幻滅しないでくれよ」と女たちに悪名高いメッセージを残している。
万能の男でなければ人生を委ねる気にれなかったのは女の側だった。
【神はこの時に自由になった】
ハリー・フランクフルトは、妻に「男の強さへの祈り」を与えてもらいながら永遠の真理を探求しようと思った。
「人知を超えた」のはフランクフルトが初めてだったので、男の強さへの祈りもあながちデタラメではなかったんだろうと語られた。
カーリーは、フランクフルトを読んで「内省ってのはこのことか」と思ったのだ。
それまでは、セックスする時に「どう?私の子供の気持ち」と女が言うことが内省であると思われていたものだった。
神とは「フランクフルト学派の悪口を言える男」のことかもね。
ベネットも「デカルトはインフラは作ったけど、のちの時代に本当に強い男が生まれるとは予想していなかったね」としてフランクフルト学派を支持した。
松田聖子 ハートをロック。

結局、神の周りに男女を集めたかったんだよ。
2+2=4
つまり、二対二ならば必ず割り切れるというような「真理」を知っている男が神だ。
1人から始めてパートナーを見つけ、3人目の女に無駄口をきかず女同士で盛り上がらせて4人目の男の登場を待つ、このような教団づくりができるのならば神を知っている。
これでは「神聖な活動」とは呼べない。

いずれにせよ、聖アウグスティヌスの「割礼をしないマスターベーションの告白」からヨーロッパ中世は始まり、トマスアクィナスの「ペテロ談義」というハイミドルエイジなどもあったが、デカルトがヨーロッパ中世を終わらせたのだ。
オバマが言った「チェンジ」というのも男らしい男、女らしい女を増やそうという意味以外に何も見出せない。
世の中の何を変えることができるのかということは見通しておかなければならない。
男のために祈る女というのも「強い男への祈り」以外に想定できない。
神は常にシンプルだ。目の前の課題をこなすだけなのだ。
女の単純さを知り尽くした神というのもシンプルだ。
いずれにせよ「強い男への祈り」というものを考えたデカルトが「神」というものを作ったということは指摘していい。
男に感じる女というのは確実に存在するし、譲れない恋をする女はいるのだ。
瀬能あづさ 永遠に友達。

女がセックスで感じることを「第六感」と呼ぶが、論壇との決別の痛みと恐怖、そして自分の若さが忘れ去られることを感じるのを「第四感」と呼ぶ。
その意味では初体験の感じ方は、論壇との兼ね合いで「異なる」という指摘は可能だ。
第四感の相手は情けない男であることが多く、第六感の方が優れた経験であると感じることもある。
また、第四感を味わせた男が自分の限界を悟り、勉強が壊滅的になることもある。
このような現実は相も変わらずであるし、デカルトが構築した「システム」の完全さだけは不朽のものであるとされている。
君はメロディー AKB48.

社会生物学というものは、人間社会全体を見渡すものだ。
一部の「人間の神経に影響を与える知識人」の存在をあくまでも「神経の問題」だと割り切って、社会全体をより生物学的にとらえるものであり、そこには病気もあればセックスもある。
祖先だの何だのという「能書き」を一切排除する考えだ。
そのような発想をしてみたら「エコロジー」が見えたのだ。
つまり「人の悪口を言わない人」や「勉強をする人」が影響力を持っているのが分かった。
人間社会にはひとしく時間というものが与えられている。
そのような中で「ポップカルチャーの影響力」を勉強する人の影響力は強い。
社会生物学と言ってもあくまでも「社会」であり、生物としては病気になったりセックスしたりしていても、やはりカルチャーの影響を受けながらみんな生きている。
祖先だの家柄だのいうよりも「文化の宗教センター」こそが力を持つべきだという発想が社会生物学なのである。
垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。

エコロジーって何?
社会生物学からのアプローチでは社会で影響力を持つ学問のことである。
どのような男が影響力を持つのかは女たちが語り合う余地があるだろう。
コンラート・ローレンツはソビエトの捕虜になり、そこには家柄もなければ人間の動物的側面しかなかった。
必要なのは「ポップカルチャーや医学に詳しい」など以外に人間が影響力を持つ理由はなかったのだ。
白人社会は、できるだけ社会を社会生物学に委ねたいと思っていた。
みんなが神経や心理に身を委ねて心地よく生きることができる。
女の子が「お父さん」「家柄」を口にしてもカンに触るだけだったからだ。
WASPというのはそのような意味だった。
人間のセレクションを行う上で、白人同士では優劣をつけるのが困難だったということは指摘していい。
「愛を囁くのが上手い人」などが選ばれないのならば白人社会の文化は死滅すると考えられたのだろう。
21世紀はエコロジーで人間が団結する可能性があるという指摘は以前からあった。
親の威光を傘に着るパラサイティズムはここで批判されたのだ。
血筋・家柄を語らなくても社会は発展するという論陣は確実に必要とされていた。
松田聖子 マリオネットの涙。

「身分制社会」などと言って親の威光を傘に着る連中への憎しみはみんなが共有していた。
「何のために勉強するんだろう」ということになりかねない。
信仰心の無さを責めるふりをした嫉妬も目の当たりにした。
コンラート・ローレンツやメイナード・スミスがいなければ社会はいまだに「身分制社会」「家柄」にしがみついていたであろう。
社会生物学のキーワードは「エコロジー」と「ポップ」であった。
この二つだけで人々の心をとらえる人が影響力をもったのだ。
「遺伝症候群はイエロー特有のものかい?」と白人は嘲笑った。
日本国も「双子の研究」を行い、遺伝症候群から抜け出そうとしていた。
「学ぶことや文化はシカトかよ」と身分制社会は批判された。
適応能力が問われたというのもエコロジーのいち側面だったであろう。
センセーショナルな風はマザコン坊やから吹くことはない。
ribbon センセーショナルウィンド。

いずれにせよ、エコロジーというものは血筋や家柄を否定した時に初めて見えてくるものだ。
勉強する環境に恵まれたなどのレベルから語られるものであり、女々しい学問ではない。
気分良く生きよう、英雄を称えようというアメリカ合衆国のアイデンティティは白人が作ったものなのだ。
グールドなどは「セレクションというのは厳しすぎないか?」と指摘したが、メイナード・スミスは「知識の物々交換は楽しいものだよ。居心地がいいのがエコロジーなんだ」として譲ろうとはしなかった。
自分のルーツによるセレクションは「どうせ改竄されるだけだろ」としたのは白人も日本人も同じだった。
「話していて不愉快になる」としたのも同じだ。
「ポップ」はそのような意味では楽しかった。
「ポップでキュート」とは血筋や家柄にこだわらないから可愛らしいという意味である。
子孫にも文化を伝えたいという意味であると受け止められた。
ポップにいこうよ 酒井法子。

我々も動物である以上、ルーツはあるはずだと主張されたが「知らぬは男ばかりなり」という言葉を知らないのか?と笑われただけで終わっている。
大事なのは「適応してしまう」というエコロジーだった。
生きて、適応している世の中に今さら持ち出す議論ではないとされたのだ。
「人生は一度きりだからね」という言葉が心に響いた。

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