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2018年1月10日 (水)

学校(勉強企業)。

クラスメートを固定する。成績が伸びる人がいる。反省する人もいる。
そんな子供たちに時間と空間を与える。
固定された者たちは、成績が伸びなければ、反省を部活動などで発散させる。
毎日の新しい話題を持ってくる男の子がいる。
こんなクラスルームが「勉強企業」として受験戦争に立ち向かっていくのだ。
青いスタスィオン 河合その子。

恋愛評論家のことを物理学者と呼び、クラスには必ず必要だとされた。
これは男の子の役割であり、高校を卒業する頃には男女を問わずみんなが「恋愛評論家」になっていた。
勉強企業に恋愛はつきものだったし、最終的に東大に入るものと、そうでないものに「同じ見識」を与えるのが目的であった。
クラスの編成など適当だよ。
いじめが生じるようになっている。
いじめられた奴が「恋愛評論家」として期待されているということなんだ。
1組の男女の問題でクラスが動揺するのは必要なことだった。
そのうちみんな慣れるようになっている。
恋愛評論家が機能しないと「今更努力してもなあ」「あいつ充実してんなあ」という具合に勉強企業は崩壊に向かう。
充実している奴は教室から追放されるからだ。
みんなでどんな家を建てるつもりなのだろうか?
それは毎年のサンデー毎日で東大合格者数を見るしかない。
「悔いが残った」奴を出さないことが大事なんだ。
ああいうガリ勉がいたら恋も楽しめない、と思われないようにしないといけない。
ガリ勉こそが「哲学」に関してもガリ勉でなければならない。
7〜8組のカップルは出来るだろうが、恋愛評論家は東京に出て行くよ。
英語・数学・国語・理科・社会をマスターするというのは恋愛評論家の得意技だからね。
動かないものは動かない。動き出したものはもう止まらない。
作りたい作品は東大合格者数なんだよ。
結局、学校で学んだことが「財産」になるんだ。
動かなかったものが動いたことを学校では経験しているが、会社では「すでに動いている」だけなんだよ。
彼女も作らずに勉強した奴に大学が必要なのは理由がある。
モリエールは高学歴の人間の睡眠薬を嘲笑った。
恋愛評論家の自己実現と、活動家の自己実現のどちらがいいのかは分からない。
それが、女王陛下の「薬の説明」であった。
男女の激しい営みは夜、よく眠れるようにはしてくれた。
研究室では睡眠薬が必要だったのだ。
恋ING モーニング娘。

若いセックスは後悔するのに十分すぎる理由だ。
しかし、高学歴男は眠れないという悩みを持っているだろう。
この、眠れる低学歴と眠れない高学歴を「入れ替える」のが哲学の仕事なのだ。
低学歴のセックス自慢男は健康に異変をきたしてくるし、高学歴の男は「世界を理解できる」ことに満足して眠れるようになる。
若い頃は「無限」だったセックスも歳をとるとそうではなくなる。
セックスは勉強に逆らう行為だ。
すべての男は「動いている」が、セックスでの動きは勉強の動きを鈍くさせるのだ。
動き出したものは止まらない。
しかし、「全体を動かさないまま」大学受験に立ち向かってくる学校もあるのだ。
それは「進路」というものであり、財界が出資した高校と公立の高校の違いというものでもあり、自分なりの方法で、すべての高校が東大合格者を出すことを望んでいることを知らないといけない。

時間と空間に「女神さま」を与えたのはサムュエル・アレキサンダーだった。
19世紀後半にはオックスフォードも「若い女がいるところだろ?」と言われるようになっていたが、マンチェスター大学はもっと楽しい場所となっていた。
高校までの勉強はスターになるためにやるものだとし、大学に入ってからの学問とは明確に区別した。
高校では成績がものを言ったし、女の子が成績の良い方の男の子に乗り換えたりもしていた。
それはまるで「勉強憲法」とも言えるものであり、勉強ができるからといって口説き文句がうまいとは限らなかった。
勉強の歌 森高千里。

楽しい場所、それが学校だった。楽しいと思えるのであれば政治感覚も自ずと身についた。
読まなければ政治は分からないとも考えられたが、家庭内では決して必要とはされない「政治」も学校では必要だった。
偏差値では全国区に引き直せない学校でも、「美女」はユニバーサルなものだったし、美女とのセックスは「一神教」の世界では男子生徒が神になることだった。
時間と空間と女神さまのいる世界に「真剣勝負」を持ち込んだのはアレキサンダーだった。
「強くなければ結婚できない」
これが男であり、勉強と部活動はそのためにあった。
女の子に選択権が与えられたのが学校というものである。
ガールズアイデンティティには十分すぎるほどの「補償」がなされていた。
「男」との向き合い方を学ぶのだ。男らしいってのは素敵なことだと思ってもらいたかった。
檸檬の年頃。

アレキサンダーは、学校企業において「なぜ、今の男子の序列が存在するのか?」をよく考えてもらいたかったのだ。
哲学者は「議論」をまるで植物学者が「ルーペ」を用いるように利用する。
何があったのかは話をしてみなければ分からないからだ。
クラスの「女神」に男たちは「男」にしてもらうが、若い頃はセックスだけが「絶対」だった。
しかし、男になったのであれば「絶対」をセックスだけにとどめてはいけなかった。
男子たちに時間と空間を与えたのだ。
そこには男女の恋愛の話が豊富に存在した。
女子はクラスにいてもらうだけでよかった。勉強する必要もなかった。
やんちゃな男子が「ガンを飛ばす」のはムカつくからではなかった。
「俺の心を教えてくれ」という意味であったし、それはクラスの哲学者だと思われる男子に対して行われた。
神・男というのは勉強企業(学校)から生まれるものであったし、大会もあれば試験もあった。
しかし、よほど強烈な「女神」がいなければ世界には届かないことを知るだろう。
河合その子 緑の少女。

先生がたくさんいて自分一人にまとめ上げるという営みであるが、よりシンプルにすでに自分一人にまとめ上げた指導者の言うことを聞くという発想は当然あっていい。
スピノザは「時間と空間と800人の神」を知っている指導者の言うことを自分一人に集約させようと考えた。
パスカルなんてのはまるでコンピューターのように指導者の言うことを自分のものにしてみせた。
「大勢の人たちのエネルギーが集約されている男」と言うのは美しくもあった。
学校というものは「まだ見つかっていないリンゴ」の宝庫なんだよ。

勉強企業(学校)から、実際の企業に就職するのならば「恋愛」に詳しくなければならない。
それは人事労務においてもそうであるし、財務においても同じだ。
「すべて学校で覚えることである」と位置付けられている。
これが「いつでも戦える男」と呼ばれるものである。
しかし「恋愛を熟知している男」というのはフィクションに近い部分がある。
恋愛論というのはそもそもがフィクションに近く、セックスという絶対をいかに膨らませるのかの力量が試されるものだ。
堅物に仕事をしてもらいたいのは事実であるが、しかし、そもそもMBAなどを取得してお金を集めるのは恋愛論にいかに詳しいかが問われるのだ。
堅物は、サンタクロースや若者のファウンテンのようにセックスサークルの輪に加わらなくともいろんなことを知っている存在だ。
カエサルが暗殺されていなければ我々は何を知ることができるのか?
ロト7 CM.

サンタクロースや若者のファウンテンのような男は「女たちが語り合った理想の男」のことであった。
しかし、「ああ、夫婦ってこんなことまで・・」というような男を愛することがあるのだ。
特に「男の子」を授かった時に、女は男にどんなプレイでも許した。
西野カナ ダーリン。

男の子が成長してご近所の噂になった時に、女は自分の性生活よりも大事なものがあると分かるからだ。
女は、息子に関する占いもやるようになった。
「街のカルトおばさん」と呼ばれる人もいた。
ヘンタイではない子供たちをこよなく愛したので、塾や作業所などを運営した。
ヘンタイを出さないように「男」「女」に育て上げることにしか興味がないから、そのような「私塾」で成績を伸ばそうなどとは思わない方がいい。
普通の「男」「女」であれば十分に金になることを知っているんだろう。
優秀な男の夢を壊してまで「パート」「アルバイト」をやらせようとするのが「街のカルトおばさん」であるが、八百屋もサラリーマンも給料がほとんど変わらないことを知っているんだろう。
かつて「奪三振王」として鳴らした男がそのような「巣」にいていいのかは問題にしなければならないね。
ヘンタイ夫を知っているから、普通の「男」として適当に給料をもらって適当に生きていくことの幸せを知っているのだ。
偏差値BOY うしろゆびさされ組。

男は出世すればするほど病気になる。
カエサルは暗殺されている。
なぜ、西野カナは理想の男を歌ったのだろうか?
適当に妥協して適当に生きた方が幸せなんだということの知識は「街のカルトおばさん」の方が詳しかった。
ソクラテスは「彼女がいる凡人」にしか理解できないのだ。
女たちの「時間切れ」に直面した奪三振王とは抜き差しならぬ対立をするだろう。
「あの子を司法試験に不合格にして?」と法務省に連絡する街のカルトおばさんの存在は案外知られていない。
「何が男にとって幸せなのか?」というところで妥協できないことがあるのだ。
男はシャーロック・ホームズのようなフィクションに憧れる時期がある。
それを「フィクションだよ。偉い人も水道管工事をやって生計を立てているんだよ」と教えてあげられるかどうかが問題なのだ。
これが分かるようになれば奪三振王も自然に悲願が叶うんだから皮肉なものだよね。

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