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Foreign Affairs

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2018年1月20日 (土)

孤独な昇り龍。

グループは、特定の人だけが上昇していくことを望んでいない。
女のからだがそのことを拒絶するだろう。
しかし、もし私たちが興味のあることを研究しているのならば話は別ね。
私たちの悩みを解決する方法を知っているのならば「昇り龍」はもう一人ではないの。
そういえば、昔、成績優秀で有名だったわね。
あの時、貴方みたいになりたいと思ったから私は悩みが色々できたわ。
「みんな長生きしたいの」
だから昔の貴方は危なっかしかった。
私もあれからセックスもしたし、鬱にもなった。体も痛い。
今は「胚」の段階から寿命が分かる。なぜなら時代の知識が分かるからよ。
遺伝なんて誰も見てないわ。
「昇り龍」の言葉から私の子供の寿命をはかっているだけ。
そういう意味では人間もチンパンジーの群れも同じね。
私の子供は幼児の頃から昇り龍のニュースを見て育つの。
ドクターX.

神童のような子供にどのような空気を与える人なのかを見ているわ。
子供をお腹に宿した時から私は「時代の知識」に敏感になった。
昇り龍(皇帝)は最もお金儲けが上手い人だから、一番、意識がはっきりしていると思う。
多数派工作ってお金でやるものなんでしょう?
昔、勉強ができて有名になった時に、貴方の所属に無限があることはわかっていたわ。
時には暴力も辞さずに手に入れた「無限」ですものね。
この国の言葉は「日本語」でしょう?
女は日本語しかわからないの。
貴方は昔の「危険性」を女たちを救う方向に用いてくれたから今「昇り龍」と呼ばれているの。
「いつか話さなければいけないな」というようなワケありの女ばかり見てきたでしょう?
貴方に必要だったのは、貴方の「無限」を国も共有しているということを知らなければならなかったことと、社交性ね。
どんな有名女も「役所とはこうやって話すのか」と感謝するわよ。
昔の「女の美しさ」がくたびれて行ったのも見たわね?
だったらもう「美しさ」には騙されないはずよ。
貴方が昔、成績優秀で有名になった時は、私が「説明義務違反、適合義務違反」の勉強をさせられたわ。
「貴方だけが知っているんでしょう?」と思った。
そのあと、私はセックスデビューをして「秘密」を抱えたままファンのみんなに契約を教える立場になった。
私の「秘密」によって大混乱に陥る男たちがいたの。
でも、ふたたび貴方は復活したわ。
私に、文学・経済学・法律学を教える立場になったからね。
若者に必要なのは「無限を知っている所属」を死守しなさいということかしら。
犬の群れもウサギの群れも「分け合っている」けど「好き嫌い」だけは意思表示している。
犬を救うためには「魚」が必要なの。
太った女と痩せた女と処女しかいないと思っていたでしょう?
でも、太った女と痩せた女しかいないと考えてごらんなさい。
処女がいるのならば争いは治るけど、世の中の争いは治らないじゃない。
処女は「成績優秀だった昔」に周りにいただけ。
それを有効に使ったのならば、「研究」している今は全く関係のない議論なのよ。
勉強している男の子たちにとって死活問題なだけ。
「勉強」と「研究」の違いはそれだけかしらね。
「あの男は無限の研究の場を確保したぞ!」と年寄りまで騒いだわね。
青いスタスィオン 河合その子。

勉強のテストは「複雑なキャパシティ」を見ているだけ。
スタニスラフ・ブーニンの鬱屈した青春時代の真実は2003年まで語られることはなかったわ。
その複雑なキャパシティは誰も理解できなかった。
成績優秀だった男がどのように鈍っていき、どのように復活するのかが分かってきた。
ブーニンは「自分を計算できる」という才能があった。
思考力の低い大人は、勉強の才能すらなかったの。
「負ける」ということから学習するしかないわね。
「無限を知っている所属」の中では「ビッグベン君」が一番いいわね。
ソウル大学の学生が「こうあるべし」と考えていることを東京大学も参考にしないとね。
韓国は国策として「学生の思考力を下げない」ための研究をしていた。
普通のチンパンジーとスーパーチンパンジーの研究を終えていたのだ。
ビッグベン君。

スーパーチンパンジーは案外、このような生活から生まれるものよ?
部屋に男ばかりたむろしていて、親の理解もある、そんな男が勉強するの。
エリートの男子部屋は女子たちの憧れね。
この中の誰がスーパーチンパンジーだと思う?
メンバー全員だし、このような生活が一番いいと知っている連中ね。
尊敬すべき哲学者の名前もポンポン飛び出してくるわ。
仲間というものがどういうものかが分かるようになる。
部屋への出入り禁止にならないために何をしたらいいのかも分かる。
ビッグベン君。

女は祝福から絵を描くのではない。胸に残ったから絵を描くのだ。


エルグレコ トレドの眺め。
乾いた地図 河合その子。

色と形だけではない。その街で何があったのかを記録に残したかったから絵にしたのだ。
ビッグベン君たちの住んでいた街、それ以外に女たちの胸に残るモチーフであるとは思えなかった。
彼らの中から王が出て、側近に毒を盛られて死んだ。
譲れないもの、そしてセックスとは何かを考えさせられたのだ。
哲学が果実を実らせるというのはいつも「死」をともなっていた。
知恵と知識がすべての男に勝る、それは周囲の男たちがひどく尾を引くものであった。
もはや「キスをする」という世界ではなく「深く胸に刻まれる」というものだったのだ。
SPEED Deep blue& truth.

ビッグベン君たちはいちばん詳しい奴からの耳学問だけでも試験の成績は良かった。
みんなノンケだったので女心まで語り合った。
つまりは法学部だったのだろう。
優れた哲学者がいるということは、尾を引く男もいるわけだな。
すべてが街の風景だった。
凡庸さと優れたものが常に交錯した街、知的な街だった。
セックスするというのは「優れた男」という意味だったので、彼らは彼女ができても部屋には連れてこなかった。
詩を作る奴もいた。
誰も俺たちの上にはいないと思ったね。
ビッグベン君 ハルハル。

人間関係があったから「別の生き方」などなかったと思えたし、誰かが常に「最高の先生」の言葉を口にした。
世の中にはノンケでも「脳が弱い」男がいるのよ?
虚弱体質とか自閉症とかね。
知的な男に負けた奴は「拳」に訴えかけることがある。
これを「双子の地球」とも「ゾンビー」とも呼ぶが、拳に訴えかける理由は「女を寝取った」という「セックス主義」にもとづくことが多い。
空白に対して「2つの物語」が激突した時も拳に訴えかける奴はいる。
空白とは「まだ誰も知らない結論」のことだ。
今後のさまざまな「空白」に介入する力があるとみなされたら拳を使う奴もいるだろう。
女の子の「恋の対象」になることから争われているとも言われている。
男は知性に憧れると下痢をするということから、自ずと限界があり、拳に訴えかけるとされる。
一次補正だけでなく二次補正も組めるのがダビデであったが、次のゴリオテを誰が倒すのかで争いが生じるのだ。
一次補正の戦友も「昨日の友は今日の敵」となってしまう。
ゴリオテが次から次に現れる世界なんだから仕方がない。
ソニー、カルロを殴る。

「空白」に介入すれば、それはお金を意味する。
男社会の仕事が女とのセックスに変わる瞬間だ。
男社会の仕事といっても女たちと話した「場数」の違いから力量の差が生じている。
しかも「文化の空間」を熟知していなければお金にはならない。
何がすでに東京大学に蓄積されているのかを知らなければならないのだ。
ソクラテスが殺された後にザンシッピは未亡人になっている。
哲学をやると殺されるという問題とケンブリッジは向き合うこととなった。
個人主義批判をケンブリッジは行ったのだ。
孤独だからソクラテスは殺されたんだという結論に至った。
シュレディンガーは、日常の政治活動から生じるお金が、女を買うために用いられる可能性を指摘している。
「見た目が平凡ならばいいんじゃないか?」とケンブリッジは考えたようだ。
また、資金力に満ちるほどの見識があるのであれば、女の子とは「話し合いの相手」になっているはずだとした。
「足は腕よりも長い」とも言われ、精力善用を行えるようになっているのだ。
裸になったヒラリーに、裸にならないオバマは勝っただろう?
「話してみると面白い」というような見た目が平凡な男もソクラテスのようにはならないとされている。
あるいは「体重500キロの男」などだね。
魅力を内面にとどめておけば殺されることはないわけだろ。
「完全勉強主義」というものもあり、東大生ならば誰でも乗せる女もいる。
しかし、それは「勉強が男に見える」という子供じみた女だと言える。
しかし、「勉強の向こう側にいい研究があるよ」と指摘した女は2006年のウェザーソンが初めてだった。
女の側が学問というものの意味を認めた瞬間だった。
「勉強、誰よりも勉強したい男」の意味がこの時に変わったとされる。
偏差値BOY うしろゆびさされ組。

女心が自分のテリトリー(縄張り)を守りたがっていた。
しかし、勉強したい偏差値BOYが財産を築くであろうことも予測できた。
この女心と男の財産の関係がゲームとして成立したのだ。
女の側が「裸一貫」になれたのがこのような偏差値BOYとの関係があったからである。
「私と話すと儲かるわよ?」
これが話し合いのパートナーとして成り立つようになったのだ。
時代の学問の話をパートナーで語り合って、男が満足したら、女の支持は根強くても金を払うのは男であった。
バレンタインは「男の子に時間をあげる」という発想を持っていた。
チョコレートをあげた男と「時間契約」を結んで話し合いのパートナーになることを意味した。

我々は「言葉」で守るべきルールやテクニックを教わり、なんらかの満足の得られる結果を出している。
「感じればいい」というものではない。
言葉にして覚えているのだ。
悪意と満足が常に「話し合い」の場に存在する。
本当にその人のためを思って言っていることなのかも実は分からないのだ。
ヴィトゲンシュタインは「一緒に写真に写らないと相手は本当に自分のためを思った発言をしてくれない」としている。
若い時はとにかく人と一緒に写真に写ったほうがいい。
その時に「写真に写っているものたちの目的」を明らかにしなければならない。
写真に写ることによる「お互いの利益のために発言する」関係は社債を出すことにもつながるものだ。
社債を出しまくらなければサッカーのゴールシーンも生まれない。
このゴールを誰に捧げたいのかを明確にするという意味合いもある。
筒香2017年ホームラン集。

ゴールシーンが生まれるとコーチも女にモテるようになる。
そのことから「真実を語ろう」というモチベーションが生まれるのだ。
コーチは男にアドバイスした話の内容をそのまま女にも話しているよ。
自分の「知っていること全部」のうんちくを伝えてあるのだ。
野球人生一筋のコーチの情報量は秘密警察と変わらない。
しかし、人柄に期待してはダメだ。
社債と女につなげなければならない。
自分以外の人間にはみんな悪意がある。
かつて自分に出した「命令」を人に伝えるのがコーチだ。
しかし、医者ではないからね。他人を壊すこともあるんだ。
「痛い」と言っただけでどんなアドバイスをすればいいのかも知り尽くしている。
痛ければ医者に行くだろ?でもコーチの方が詳しいんだよ。
結果を出せば、写真は社債や女だけでなくコマーシャルにも使われるようになる。
王貞治と荒川博。

教わる側が、コーチほどの「強さ」を持っていないこともある。
しかし、「強さ」というものはコマーシャルから作っていくものだ。
痛みへの対処法から間違えずに、うまく「道場」の発信力を高めていかなければならない。
「痛い」と言って泣いているのに厳しさだけを追求したのではコマーシャルに選手が付いてこないのだ。
道場は時に、痛みを選手が抱えて休養するというムーンライトソナタの側面もあるのだ。
むしろ、選手が弱さを見せた時ほど「辞書」の出番ではないだろうか。
弱さへの対処法が正解だったのならばコマーシャルはいっそう強度を高めるだろう。
寝込んでいる時の人間はみんな弱気なのだ。寝ている人間に命令を出すことはできない。
教えたいことがあってもムーンライトソナタの時だと割り切るほかはない。
こんな指導にはついて行きたくないと思わせないための作品だ。
寝込んでいる時に「そりゃねえだろ」という発言を聞かされたらもはや信頼の回復はないと思った方がいい。
ベートーベン 月光。

コマーシャルにおいてはライバルに「あなたは間違ったものを信じている」というメッセージを発信し続ける。
「いろんな人があなたを壊そうとしている」というメッセージは明確にしなければならないね。
結局、練習というものは「心地いいもの」でなければならないし、痛い時に休めるものでなければならない。
「正解」というものは積み重ねなければたどり着けないものである。
常に指導者が「そう」と言って意味を与えられなければならない。
痛くても意味のあるトレーニングがあるとは思えない。
痛みを訴えた選手に対しては「とにかく指導者は裏切ってはならない」ということは理解しておかなければならない。
かつて自分に出していた「命令」を人に伝えるという行為は常に「痛み」と向き合わなければならないものだ。
他人を潰すのは勉強社会では義務だったはずだ。
「こいつは」と思うものがなければ人間というものは人を潰すようにできている。
選手たちが持っている文化が指導者にとって「痛み」であるのならば、痛みには痛みで応えるだろう。
「右を向いて左を向いたら一億円プレイヤーになっている」という時代ではなかった人はそのような意味では痛みを抱えているのだ。
「志半ばならば写真を撮れ」とヴィトゲンシュタインは言った。
落合博満の持論。

こういうことが分かるようになったら博士号をあげてもいいんだけどね。
ギンズバーグは連邦最高裁判事になるほど勉強したからいろんな世界で睨みが効くようになったのだ。
勉強社会で身につけた「人を潰すという本能」は知らなければならない。
メジャーでは「盗塁する時は右投手ならば右足のジャンプがあるかないかを見る」とされていたけど、高木豊は福本豊に「投手の目を見ろ」と教わった。
その業界で何が語られているかというのにみんな敏感なんだけど、人の意見を聞くというのはそれほど危険なものなのだ。
女に満たされていない奴は特に危険だ。
あるいは「今のコイツは止められないな」という時期を経験していない指導者も危険だ。
「他人を潰す言葉」に多くの男女が群がったらもう目も当てられないね。
ノイズが一気にアンプにかけられるからね。
CDのように鳴り響く音になりかねない。
とにかく、心をかき乱されないことが必要だ。迷いが生じるのがいちばん困る。
プロフェッショナルというのはそういうことを知り尽くしているから選ばれたんだろ。
プロのコーチはプロとして仕事をするだろう。
それでも情報戦は果てしなく続くよ。
指導というのは「2つの孤独」が向き合う行為なんだ。
バットとは押すものなのか引くものなのかなどという禅問答をCDで鳴らしているんだ。
プロなんてなれるわけないよ。
答えのない問いかけという落とし穴にはハマらないようにしよう。

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