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Foreign Affairs

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2017年12月17日 (日)

左右対称。

毛沢東は北朝鮮と中国を「唇と歯」の関係であるとしていた。
もし、アメリカと北朝鮮が武力衝突したら、移民が渡って来ないように国境線に兵を送るだろう。
しかし、北朝鮮の非核化に力を注いでいた中国も、金正恩の「広島の17倍強烈な」水爆の開発を見て諦めたのだ。
冷戦時代は、ソビエトがいたから中国は北朝鮮と仲良くしようとしていたが、今は「友人とすら言えない」状態だ。
中国は北朝鮮の地域の人たちに「もっと学んでほしい」と考えているし、「新・朝鮮戦争」でも参戦することはない。
北朝鮮の核が炸裂したら被害に遭うのは中国と韓国だ。日本とアメリカではない。
もし、韓国が朝鮮半島を統一したら、韓国は核を欲しがるだろうし、中国との国境線に何らかの調整が必要となる。
それでも「学んで欲しい」という考えの方がより強く主張されている。
「アメリカ型政治家」の登場を待っているのだ。
さて、ここまでは良かったが、「北朝鮮の巻き返し」は確実に展開され、アメリカは「どうしても北朝鮮と話さなければならない」と思い始めた。
それは「核弾頭を搭載したミサイルがアメリカ本土に到達する」ということが日米・米韓同盟を腐ったものにさせたのだ。
アメリカは米韓合同軍事演習をコンピューターだけのものにとどめて、「朝鮮半島の非核化」を最終目的にし始めた。
しかし「北朝鮮は嘘をつく」ということも考えなければならず、石油やガスなどで「豊かにする」という遠回しな方法まで模索されている。
北朝鮮によってアメリカ本土に核攻撃がなされる可能性が指摘されただけでも、アメリカはまるで「女のような」弱みを見せたのだ。
アメリカは「先制攻撃すると後戻りできないことを知っている」とし、死者が出ることに怯え始めた。
これが現状で「あとは分からない」というのが北朝鮮情勢であり、CFRも「女性の世界における社会進出」をテーマにするなど、すでにこの問題は「再び凍りついた」とされたようだ。
したたかな国である。


左右対称(シンメトリー)とは、「太陽と」「共に」というギリシャ語から来ている。
顔が左右対称であるほど仲間が多いというのは「デカメロン伝説」とも言われた。
デカメロン伝説 少年隊。

左右対称の方が喧嘩が強いだろうとされたのだ。
回転の繰り返しが喧嘩にはともなうからだ。
しかし、人生は喧嘩で解決できるほど単純なものではない。
政治力を身につけていくたびに顔はゆがんでいった。
顔のゆがみ。松潤。

ハミルトン方程式によって顔の左右対称は測定されたが、ジャコビーは「男の魅力ってもっと別のところにあるんじゃないかな?」としていた。
周囲の女は「円」を描くというよりは「楕円」を描いた方が速度を速めたり緩めたりして長いお付き合いができた。
左右対称の男は「いろんな女にちょっかいを出す」とも言われ、多少ゆがんでいた方が女は男を遠くから思うことができるとも言われた。
ザ・ピース モーニング娘。

時空のゆがみとも言われ、遠くから想う男は顔がゆがんでいた方がいいとアインシュタインも考えていた。
顔のゆがみ 石原さとみ。

ただ、男と女は違うという一般相対論にとどまらず、離れていても時を同じくしているという特殊相対論の登場で「愛の世界」は深まりを見せた。
憧れの人の顔がゆがんでいた方が遠くから思いを寄せることができるとされたのだ。
ただモテるだけのGTRから、よりいっそう愛の世界を深めたSTRの登場だった。
むこうが政治力を高めたのならば、こちらも憧れの人の顔のゆがみをアピールして想いを寄せた。
顔のゆがみ 松たか子。

ハイゼンベルグは1926年に「顔のゆがみ」「政治力」は子供には伝わらない、としていた。
「子供がどのように行動するのか?」というほとんど計算の不可能な世界を「量子論」であるとしたのだ。
「親子は違う存在」として子供は生まれる。
しかし、親の影響を受けたことを意味するのが顔のゆがみだった。
陽子と中性子の間を「親の文化」という中間子が行き来しているとも言われた。
子供は左右対称の方がモテるよ。
しかし、それだけでは通用しなくなる時というのはくるのだ。
「オヤジ」の話をしないと生きていけない、そういう時期が来る。
その頃には顔はゆがんでくる。
歳を取っても端正な顔立ちをしていたら「親への愛着はないのか?」と思われるだろう。
重力に耐えたのだから当然だ。
「親知らず」とも言われた。
キューリー夫人は「知識と知恵を持っているいい男は顔がゆがんでいる」として2つ目のノーベル賞をもらっている。
「イケメン」「喧嘩が強い」だけでは生きていけない世の中だということをいずれ悟るだろうね。

哲学は完成された時代だ。
本当にすべてを学び、すべてを語ると「恐れられ、尊敬され、いじめられる」だろう。
また、美女が寄ってくるだろう。
美女はナンバーワン争いでいじめられて、孤高の哲学者の前に現れたのだ。
「それでもあなたは哲学を学びたいですか?」
松田聖子 ダンシングカフェ。

しかし、忘れてはならない。
「美しさをとことんまで追求した女は心を病んでいる」ということを。
つまり、入院歴があり、もはやセックスには興味がなくなっているのだ。
そのような女に延々と愛を語り続けるのが哲学者の末路なのだ。
しかし、それは男としての最高の生き方ではないだろうか。
常に女たちが彼の発言に注目し、時には独裁者が国を壟断するが如くの決断を下せるほどの影響力を持つのだ。
人間の真実を知り、性欲が減退することもあった。
「射精とは美しいものだ」
老いてなお性欲を失わないのは素晴らしいことだ。
知ることは人間不信に陥ることでもあった。
完璧なステップを踏まなければ、挫折だけがあり勃起しなくなるだろう。
ロンドンボーイ レベッカ。

デタラメなステップを踏んでバカをやらかす連中の研究もたまにはやらないといけない。
みんながみんな哲学者だというわけではない。
バカをやらかす奴の研究をするとなぜか性欲が戻った。
それほど「最高の知性」と触れ合って生きてきたから美女がパートナーとなったのだ。
学問が好き、女が好き、この「二本の好き」がなければ美女とは付き合わない方がいい。
男の「才能」には女の「美しさ」が付いてくる。
しかし、どちらも病的なのだ。
美しい女と知性に囲まれて、影響力を持ち続ける男には「お薬」が与えられる。
法学部を出てもどのみち医学はやらなければならないのだ。
カバンにオリーブオイル(止血剤)とリステリン(消毒液)の小さなボトルぐらい入れとけよ。
どんなアクシデントがあるか分からない。
しかし、知性というのはそれほどまでに大事にしなければならないものなのだ。
自分の内面には興味がなかった。
外の世界はあまりにも広すぎるからだ。
自分以外の人間の多様性を学んでいると、自分というものがなくなるのが分かった。
「雨にも負けず風にも負けず」
他人が怒っても、「それがあなたのおとぎ話なのか」と思うほど無表情で怒らなかった。
笑うこともなかった。
それが哲学者なのだ。
このような「独裁者」の存在を朝鮮半島では「洗脳」と呼んでいるが、日本国はアメリカに対してオープンだった。
「夢」とまで語られたことの真実だったのだ。
激しい雨が The Mods.

国際プレス以外のメディアの全員が邪魔しあっていたので、たまに英字新聞を買った。
テレビも見た。
しかし、若い頃、憧れたアイドルは向かいでタバコを吸っていた。
このような「哲学エリート」は政府も企業も必要としたので、金と権力に守られていた。
しかし、財布に札束が入っていたわけではない。病気の元だ。
「完璧さを周囲と分かち合った」
そのために、出来ないことはなかったが、星空や月を恐れた。
アメリカ合衆国をパワーブローカーとしたために競争するライバルもいなかった。
フォーリンアフェアーズも表立っては自分のことは取り上げなかったが、やんわりと風を送って影響力を楽しんだ。
「仲間づくりで完璧であること」とは、病気の美女と愛を語り、周囲から尊敬されることであったし、もはやセックスサークルから卒業することだった。
政治家として大事なのは「どの国をも思いやって利益になる行動をとること」だった。
土地には土地の地政学があり、それをニュートラルに語ることが大事だったのだ。
「ひたすら学問を語る」
それだけで誰に気兼ねすることもなかった。
自分の国の学問はみんな知りたがったので率直に話した。
それぞれの国が「勘違い」していたので、率直に学問を語る人は好感された。
「間違いを尊敬している」という言葉は必ずかけなければならない。
アメリカ型政治家には国境なんてなかったからね。
まったく言っていることが一貫していないのが国というものであり、外国国家もそれは同じだった。
しかし、みんな「勃起する男」として生きていたのだ。
今は「アメリカの覇権」を利用してもいい時期だ。
セックスに寛大で、しかも、純潔を押し付けない。
「あなたにとっての快楽がセックスでないのは知ってるわ?」
それでいて私たちに快楽を与えてくれるの。
そうでなければ人心を操ることなどできないのでしょうね。
アボガドじゃねーし。

男女が同じ土俵に立っていないことなど口にも出さずに、快楽、甘美なるものを探求し続ける人。
その動機が極めて純粋だった。
宗教的な崇拝もされていた。
田舎に「世界」を持ち込んで、国がそのことを追認するというスタイルだった。
女たちの「局部」がワールドワイドになるのでみんながそれを歓迎していた。

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