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2017年12月20日 (水)

クオリア。

指をサンドペーパーで擦ると赤くなり、紫色になるだろう。
女はこれを見て「トルコ石」「ルビー」の色を区別する。
やがて「ダルマ」を真っ赤に染めることの意味も分かるようになる。
「色彩の区別がつく」
それは財産の源なのだ。
パンストの色彩やデザインができる、それは財産に他ならなかった。
音楽や食事、お酒などを味わい、匂いを嗅ぎ、痒さを感じ、胃を痛め、空腹を感じ、めまいを覚える、そのような経験をしないと「色彩への感受性」は育たないのだ。
自分を正当化するために「赤一色」で全身を染めるわけにはいかない。
「紫が好き」と言っても服装は特に紫というわけではないだろう。
きわめて女性的な「痛み」というものを経験しているから服装の色彩が豊かになるのだ。
赤い色には人が集まる、これを知っているからダルマは赤いのだ。
赤ほどの膨張色はない。
赤の17番と赤の18番の区別がつくだろうか?
赤の17番は薔薇の色だ。
東京パフォーマンスドール バラ色の人生。

聖母マリアも小野小町もこれでひと財産築いているんだ。
マリアのお金とヨゼフの政治家の血がイエスという人物を作り出している。
自分の何もかもが満たされているわけではない。
だから女は乳首や局部の色とは異なる色の服を身につけたのだ。
レインボーピンク。

不幸な女はむしろゾンビーを愛したりした。
女が孤独になったら、孤独な男のところに寄っていった。
エクレア、カステラ、ハーゲンダッツ、醤油が乳首や局部をピンク色にした。
因果関係は分からなかったが、男の趣味に合わせることを知ったために幸せを感じたのだ。
ノーブルレッドの瞬間。

中国人は「二つの音声トラック」のある無線にしたがって行動しているだろ。
彼らには孤立したカップルの物語もなければ、ノーブルレッドの意味も分からなかった。
色彩感覚に乏しく、そこにはもはや楊貴妃はいなかった。
スランプの時に赤い服を身にまとうと不幸が増幅される。
午後のパドドゥ。

3D体験というよりは2と2分の1体験と呼んだ方がいいテクノロジーがある。
赤い方向に向かい、紫色は毒だと考えるだろう。
3D疑似体験においては人間は常に「正しい方向に」向かっている。
「セックスをするときはいつも真剣」という心理を利用しているんだ。
IMAX.

マッドサイエンティストは、空を黄色に、芝生を赤に、トマトを緑にして「地球を入れ替えた」が、色だけで地球のドッペルゲンガーは作れることを示した。
「普通」と「生き物の目的」を理解するだけでいい。
レベッカ チープヒッピーズ。

カエルや魚やハチはクオリアを持っているのだろうか?
クモはメスを引き寄せるために回転しながら巣を作り、魚は海を泳ぐ。
カエルは飛んでいるハエを食べる。
それは、「地球を入れ替える」人間の女の子特有の幻覚とは異なる論理で、「欲しいもの」があるだけだ。
クオリアというのは人間だけのものだし、だからこそビジネスになるんだ。
ハチは「黒を攻撃する」というよりも「女王蜂のわな」というものを攻撃しているんだよ。
桑田真澄と息子。

芸術とは「男の興味の対象」でありながら、「女にも衝撃的な形でモテる」ものである。
女性芸術も「私の心を教えてください」という女のニーズに応える形で解説を加えなければならないし、男性芸術も可愛らしい女の子に「ジャニーズを聞くとうつが治るね」という形で常に男が注目していなければ芸術とは呼べない。
私は失恋やレイプを経験してサンタクロースを信じなくなった。

しかし、男は「ハプニング映像」「衝撃映像」まで利用してまで女にモテようとは思っていない。
女心を知っている男は「チェシャ猫」であり、優しさを感じる。
チェシャ猫を生み出すために芸術というのはあるのだろう。
ダダイズム、シュールレアリスム、スーパーマティズムが「芸術に詳しいチェシャ猫」を強烈にアピールした。
なぜ1960年代半ばから1970年代にかけて「ボクシングやプロ野球」とならんで「芸術」がスターダムに駆け上がったのかはこれらの論壇があったからだ。
怪しいニュアンス 松田聖子。

「芸術とは消費されないものだ」ということが主張されるようになったのはつい最近のことだ。
野球やボクシングは常に試合を重ねなければならないだろう。
「女心を知っているチェシャ猫」は、ごく限られた作品を用いていた。
「芸術?女々しいな」と言われたら反論できないという特徴を芸術は持っていることは知っておかなければならない。
東京ドームでエアロスミスが公演を行い、後楽園ホールで同じ日に名護対松倉戦が行われたこともある。
やっぱり、ベトナム戦争のファイナンスを経験しないとエアロスミスを「女々しい」と言われることに反論できなかっただろうね。
戦争があったから「お金になるものは許すよ」とみんなが思ったのだ。
1968年のフランスの「メーデー」の勝者も、1969年のイタリアの「暑い秋」も、常に芸術によって資金集めに成功したものが勝っていた。
何を企んでいるんだ。ロックフェス。

パフォーマンス、写真、映画、ビデオ、すべての芸術が男女の美しい体を作っていた。



男を別の女から奪う、この対象となる男をチェシャ猫と呼び、他の男から女を奪う男は「芸術」によるものではなく「知恵と対話」によって行った。
愛が止まらない Wink.

描写というよりは「意味」なんだよね。
貴女が私の子孫を残すのかと思うと緊張する。

芸術は「男女のもの」であると同時に、「性欲はどこから来るのか」を理解していなければならない。
【同じフェティシズムで一貫している】
これがアーティストが高い評価を受ける秘訣である。
「美しい経験」が若い頃に確立しているからだ。
男女の関係を明確に位置づけるのはもはや若い頃に身につけるフェティシズムだね。
恋愛お見舞い申し上げます。

1950年代から1960年代にかけてヴィトゲンシュタインは、「このようなフェティシズムの元で育った男には、女の子とのツーショット写真がない」と指摘している。
つまり「失敗作」だったわけだ。
男の子の人生を辛いものにしたという意味ではね。
しかし「男女の関係を明確に定義した」という意味においては最高傑作でもあった。
だいたい15歳ぐらいの時に「男の公約」はできるものなのだ。
この年頃に「自分でお金を払ったメディアで」聞いた作品だったからフェティシズムとなったのだろう。
しかも、これから「読み、書き、学ぶ」時期だったからだ。
「ピカソのゲルニカ」のことを「恋愛お見舞い申し上げます」は歌っているとも言われた。


ゲルニカ。

映画 ピカソ。

ピカソは「風水」とでもいうべき「女たちの風」によって画風を変えただけであったし、文体を変えていく男ものちにいた。
ピカソは、晩年に美しい少女とのツーショットをようやく撮影している。
これがあたかも人生の目的だったかのようだった。



【願い事は仕事で叶えろよ】
これが分かればピカソが分かる。
「人生のナレーション」をもっともうまく流したアーティストが成功するのだ。
願い事の持ち腐れ 秋元康。

ピカソの人生が絵画の世界に与えた衝撃は大きく、「絵は心を表現するよね」と語られ、精神医学が絵画の世界になだれ込んできた。
外の風景がない、女と語り合っていない、とにかく病んでいたから「傑作」だった。
どうすれば精神病は治るのか?
どの精神科医もピカソに興味を持った。
アーティストの意図は本人なりの説明が当然あるだろう。
しかし、その「病んだ」側面は周囲が語ることだ。


アヴィニョンの娘たち。

少なくともピカソには「俺にもこいつの人生を語らせろ」という男たちが大勢いた。
カントの「悟り」つまり「俺はどんな女でも落とせる」という境地をピカソも知っていた。
女の「局部」をこれほどまでに遠回しに表現した男はいなかったので、ユングもこれを「前衛芸術」と呼んだ。
皇帝のマクシミリアンは、ピカソの真摯な生き方と比べられて糾弾され、処刑された。
【友達とビールを飲みながらピカソを語り合う。最高の肴だぜ】
象さんのすきゃんてぃ うしろゆびさされ組。

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