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Foreign Affairs

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2017年12月23日 (土)

憲法に従いたいと思います。

憲法は「女が男にセックスの時に何をされるか分からない」という問題に端を発している。
「あの女が愛した男ならば私も愛せる」
このことに法律はなるべく介入しないことにした(法律の留保)。
愛が止まらない Wink.

男が自制にしたがう、それは出世のために必要なものであり、やれバツイチだバツ二だのいう男は出世しない。
女がライバル女から男を奪う、これを規制するものを「法律」と呼び、予算を持ってきてまでこれを執行するのを行政と呼び、大喧嘩になったら裁きを下すのを司法と呼ぶ。
奪い合いになるほどの気持ちのいいセックスを「Rex」と呼ぶ。
いい「おちんちん意識」を持っている男は奪い合いになった。
「どこに連れてかれるか分からない」
これを女の子たちは嫌ったのだ。
「女に払う金と、守るだけの力」これが市民を豊かなものにしたし、女に誘惑されても相手にしない自制が男を出世させた。
人生ゲームはすべてがフェアであるということをデュープロセスと呼び、自制にしたがう男に金を集めた。
気持ちいいセックスを知っている男はそれを利用して金を儲けたし、スポーツの興行もそれを見た男女たちがフェアプレー(デュープロセス)を見たあとに愛し合うために催したものだった。
「権利の請願」とは「私の男を奪わないようになんとかしてください」ということから行われたし、インドの「ゼロの発見」によりゲームセットが生まれたためにスポーツを発展させた。
気持ちのいいセックスがしたいという女の欲望に対しては、男は「自制」と「教義」をもって応じなければならない。
出世したいのかしたくないのか。
愛を語る哲学が完成したら、そのような経緯をたどった。
「女心を知らない方が気持ちいい」と男は考えているが、女の長話を聞かないのならばエロビデオのセックスと区別がつかないだろう。
「自制を求める」これが法律だとするならば、法律は男を出世に導いていることになる。
「何が間違っていたのか?」
立法、行政、司法というものが「セックスしたい女と愛を語る男」というモデルの「男のどのような言葉が足りなかったのか?言葉をどのように間違えたのか?」を論ずるようになった。
男の言葉が豊かになれば、お金でも言葉でも女とセックスすることが可能となるし、男にどのような自制を求めるのか?を各人の信念に委ねるべきか、法律で出世を強制するかの国の態度も当然かわってくる。
イギリスは「男は出世すべきだ」として厳しい法律を作っているが、メキシコ、カナダ、アメリカ、ドイツは各人の意識にこれを委ねている。
GINI係数。

法律の留保の世界は男女に囲まれるし、政府の世界も男女に囲まれる。
政府以外にも男女の世界はあるのよ?
これを「主権」と呼んだ。
孤独で貧しく、汚らしく残酷で短い、こんな人生を送っているものが主権者と呼ばれ、政府と主権は区別された。
政府は「男らしさ」を法律で国民に押し付けることができる。
タバコを吸わないハンフリー・ボガートがカッコいいと思えばそのような法律も作る。
略奪愛を自由に行える空間を「主権」と呼ぶのならば、男らしさの定義を行う存在を「政府」と呼ぶ。
法律は立法府で作られ、執行は行政府によって行われ、それでも痴話喧嘩が生じたら司法府で裁く。
「男らしさの定義に参加したい」
このことから政治参加というものは行われるのだ。
「法律とは坊やに背広とネクタイを与えるためにあるものだ」
坊やにはレファレンダムも投票も待っている。
これを恐れた坊やは3分の2の改憲議席を維持した。
「お前らの主権を奪ってやろうか?」「男にどんなプレイをやられるか分からないぞ?」
松田聖子 赤いスイートピー。

アメリカはこのような発想で憲法を作っているけど、イギリスはマグナカルタや権利の請願などの「書かれたもの」がすでに存在し、略奪愛ってのはひどいなという共通認識の元に、松田聖子に全面降伏している。
「国会の改憲勢力が3分の2を占めたら自由に略奪愛ができなくなるんだってさ」
松田聖子とWinkのどっちが好き?
改憲勢力が3分の2を占めた時の立法府と行政府への怒りは痴話喧嘩を裁く司法府が誰よりも強く持つことになる。
こんな時に限って疑獄事件で政府の人間を司法府の連中は逮捕して引っ張ってきているのだ。
「どんな法律でも通せる」となると陸の人間が豊かになり、海の人間は貧しくなる。
憲法をよく読んでみればいい。
「国民は」と書いてあり、すべての女たちに略奪愛を認めているではないか?
ここをいじることの可能性をほのめかすだけで、女たちの主権は脅かされ、どんな変態プレイをやられるか分からなくなるのだ。
ここで「変態プレイとは何か?」を明らかにする言論が作られ、護憲派として知られるようになった。
表現はエスカレートしたために、「平等に」女たちを守ろうとも言われていた。
変態に「触らないで」と言われるのも日本国憲法があるからだ。
改憲勢力は「残虐な刑罰の禁止」もいじることが可能だった。
吊るしたりすることが許されることになる。
星座占いで瞳を閉じて。

女が変態プレイにガッカリして占いを語る限り、大日本帝国憲法は死文化していないことを悟る。
大日本帝国憲法が生きているのかどうか?夜空を見て運勢を決める女がいるのかどうかは憲法変遷であり、世論を観測するしかない。
「すべての女にパートナーを与えよう」という考えのもとでは「憲法の意図」は実は不明確なのだ。
「どのような文化が女たちに根付いていたのか?」という観点が重要であり、性倒錯と向き合うことのなかった「法律」の世界との対話が憲法には必要とされる。
男らしい男を作り、女らしい女を作る、これが教育の目的だったのは事実だ。
しかし、マザーファッカーの両刀遣いまでは法律は認識していないではないか?
とにかく、結婚した後にアナルセックスを強要されることなど政府はいまだ学習していない。
「時間が必要」と言われる所以である。
「法のもとに平等」と大見得を切った以上、男らしい男、女らしい女を作り上げる作業が先決であり、マザーファッカーをなくす、あるいはお風呂での娘へのいたずらをなくす、これが成り立たない限り「アジアに憲法はないんですよ」と言われるだけだ。
松田聖子とWinkのネームバリューの違いを知っているだろう。
それほど今は「時間をかけて法律を練らなければならない」時代なのだ。
法律を練らなければ憲法が「生き物」にはならない。
もちろん「法律と憲法問題」をワンセットで選挙の争点にすることは可能だ。
しかし「ドカン」とやると強烈な敵と向き合わなければならないだろうね。
オタクカルチャーのお金の問題も敵にするし、文化に過激な介入をすると外国国家が虎視眈々と日本国を狙うことになりかねない。
政治家は裁判官ほど痴話喧嘩に詳しくはない。
虚心坦懐にこのような性倒錯を語り合えるようになるまでは憲法はいじれないのだ。
「男らしい男」「女らしい女」という神話を信じているようではいまだ日本国では「急進的発想」という扱いを受けるだろう。

略奪愛の世界という法律の留保を認め、主権にしたがうと、松田聖子の「男らしさ」との妥協を迫られ、主権と法律の狭間で「仲間は5、6人だろう」とされている。
これが「憲法の結論」でもあった。
これはもはや神聖な法でもあり、「憲法に従いたいと思います」という言葉は「政治家にはならない」という意思表示でもあった。
憲法は、リベラルを否定する男と激しく対立したのだ。
河合その子 ウィークエンドモニュメント。


モリエールは「仲間が多いという宗教」の存在を指摘した。
仲間が多いというのは「能力測定」ですらあったのだ。
しかし、仲間が多いという宗教の世界には「女の事情」が一切、存在しなかった。
「人間の知性の限界」を見せつけられるだけであり、それは男たちが楽しむものだったのだ。
「我々の力を見よ!」というメッセージの中には女が入り込む余地はない。
「我々の品行方正さを見よ!」と言っているに等しく、リベラルな仲間だけだと会いたくない男も当然いたし、憲法の結論である「5〜6人の友達」というものとはかけ離れている。
「我々の力」の中には略奪愛はない。「法律」だけがあった。
【みんなが痛みに耐えていた】
法律に従うというのは苦痛であるという側面があり、法律の留保の必要性を感じさせる。
権威が法律の側に立つのか主権の側に立つのかは常に見ておかなければならないね。
安倍晋三 桜を見る会。

法律は常に多数派工作を目指していた。つまり道徳である。
松田聖子の作品作りに参加するという法律の世界は道徳(多数派工作)を目指していたのだ。
まるで「神への義務」のような営みですらあった。
みんながみんな同じような方向性と勢いを持っているわけではないが、成功した女たちと顔を並べるというのも気分がいいものだ。
記念撮影した瞬間だけは、みんな方向性を同じくすることができた。
少数派だった「私」は永遠の資産を手にすることもできた。
「法律はより賢いものが作った」と感じた。
法律が支配するのは常に「多数派」だった。
女たちの略奪愛の対象ではない哲学者として写真にうつってきたのだ。
我々は「法律の目的」を理解したのである。
仲間が多いというのは普遍的なものであり、そこには法律があった。
【法律と主権という二つのベースラインがある】
まだ知らないおちんちんの数はみんな仲間だと思っているのだろう。
法律にしたがった処女の男の数。

私たちのからだにとって何が大事なのだろうか?
周囲の男さえしっかりと統制がとれた行動をしてくれれば本当にこのぐらい仲間が増えるのに。
これが法律ですらあった。
男の統制は神の意志が行うものだ。
35億人の男の統制なんて素敵!神を讃えたいわ。
セックスというものへの率直さが数字に表現されている。

皇室第2の宗廟である宇佐神宮に処女を祀ったゆえんである。

しかし、男は「猫」に勃起するんだよ。
このことから多数派工作(道徳)は困難になるし、女のからだが快楽をもたらす以上、神の計画は男女を複雑な模様に配置させることにしたのだ。
道徳を邪魔するのはセックスであったし、完璧な法律=道徳=35億は極めて困難であるのは当然であった。
法律は努力を求めるし、免許も出す。
財産やセックス、殺人に男女が関わっていることを踏まえて法律というものは練らなければならない。
道徳への逸脱こそが男であった。
勃起しなければ離婚しなければならない。
法律というのはとにかく男に忍耐を求めるものだったのだ。
しかし、セックスは決して道徳と相容れないものではないことは言を待たない。
喜びや痛みのない音楽作品はなかった。
しかし「善悪の彼岸」とは「あいつは邪魔だから若い女でもあてがっておくか」という簡単な政治学にあるのではないだろうか。
「俺には多数派工作をする力がないんだ」という告白であったからだ。
「男らしくない」から少数派であることにも気がつかないだろう。
人間にとって「罰」とは「寂しいこと」である。
若い女をあてがわれて政治生命を奪われた男よりも奪った男の方が強い「罰」を受けることになる。
道徳=多数派工作とは神聖なルールであり、反則を行う人間には容赦のないものなのだ。
松田聖子 ハートをロック。

王にしたがうのは善良さからであるし、海賊にしたがうのは恐怖からである。
王は恐怖政治を行ってはならない。
大人たちが「選ぶ」というのはそんなにあまいものではないんだ。
「王は信じることを楽しんでいる」
このあたりを見て、それが有効だとわかっている大人たちがいる。
そこには「寂しさという名の罰」はなかった。
そういう大局的な見方が必要なんだよ。
道徳的な多数派工作というのは最高のルールなんだよ。


竹原ピストルが紅白で「俺を含めて誰の言うことも聞くなよ」と歌っていたが、彼は41歳になってゲイである自分の言うことを若者に聞いて欲しくなかったし、それでもなお「自分の正当化」を行っている。
自分の正当化を行うのは資本論でマルクスが指摘している。
このような思想を「相対主義」と呼ぶ。
よーそこの若いの
どれだけ多くの若者や女性たちの支持を得ただろう。
「神はゲイを憎んでいる」という言葉は若者や女性たちに葛藤をもたらす。
「開かれた絶対主義」の時代に、「相対主義」というものは性倒錯とともに確実に存在する。
「どんな性癖をもっているか分からない男」の温床になっているのが相対主義であり、主権の世界で憎まれ、しかし、法律の留保の世界で生きている男なんだろう。

ししゃもの「明日も」のPVを見ると、メンバーの女の子全員が「ガールズアイデンティティ」に悩んでいる。
子供の頃、お父さんにお風呂でいたずらされているのだ。
このことから「男と女ってどう違うんだろう」と悩んでいる。
16歳で生理も止まり、長い髪が気持ち悪くて仕方がない。
しかし、ヒーローとはギターなどの音楽の先生だったのだろうか?
性倒錯がなければ発展しない世界なのかもしれない。
主権とも法律とも言えない、セックスができない女が作る作品はこれもまた法律の留保なのだろうか。
明日も

Superflyの愛をこめて花束をは、性倒錯のない「法律の王道」とも言える曲だ。
法律となってからようやく歌謡曲は解釈論の問題になる。
「約束」を守るためには「花束」「写真」という「ヴェニスのパンと水」が必要であり、これさえあれば「人を愛するってのはこんなに簡単なのか?」と思うものなのである。
主権という「略奪愛」との対話も可能となる。
歌謡曲の公約数的見解が「男らしくあれ」ということであるとされるのも性倒錯がなければこその話だ。
愛をこめて花束を

人々に影響を与えるのは「女の子に語った最高の口説き文句」(キャリーオーバー)であり、女の子はその言葉をメモしている(黒革の手帖)。
メールのやり取りをするような男は「本命」であるが、SNSで個人的にやり取りしているうちは本命ではない。
どんなにマメにやり取りしていても女の子たちは「口説き文句」(キャリーオーバー)を集めているに過ぎない。
そのようにして彼女たちは黒革の手帖を頭に叩き込んでいるのだ。
まるで銀行マンだね。
乃木坂46 インフルエンサー。



AIの「キラキラ」は、本来、希望とか夢とかを語るゲイカルチャー(法律の留保)を「女性が歌う」ことによって、「男らしさ」=法律ともなり、「略奪愛」=主権を支持する女たちの支持も得ている。
ピタゴラスの定理によって「男になりたい」という女が、ゲイの真似をすることからこのような幅広い支持を得ることが出来る作品が生まれている。
キラキラ

さて、Little Glee Monsterの好きだについてであるが、性倒錯の世界(法律の留保)とは離れて、開かれた絶対主義の時代において「絶対主義にも分からない私の心の領域がある」という法律の世界を歌っている。
私も「キャリーオーバー」とか、「絶対」を女性に語っていたら、「あなた、人の気持ち分からないんでしょ?」と言って女たちが「誰にも分からない心の領域」の存在を主張してきた。
世相をもっとも率直に表現した曲だった。
好きだ

インターネット社会になって「影響力の与え方」の研究が深まった。
①みんなが知りたがっていることであること。
②口々に伝わっていくこと。
であるからこそ、
③アナウンスしたほうが早いこと。
が指摘できる。
カップルがデパートで別々の行動をとり、最後に「どうせカフェオレを飲みにくるんだろ」と思ってコーヒーハウスで待っていることは「ゲイカルチャー」の拡散に近い。
いわば、愛の世界(法律の留保)なのだ。
しかし、あの車は赤信号で止まるんだろう、というのは歩行者にとっては生きるか死ぬかの知識であり、「男らしさ」=法律の拡散だと言える。
レストランで客が何か間違ったことをしても、ウェイトレスは「すみませんでした」と言うだろう。
何かの「高次の法」の存在を感じることが出来るのならば、それは「法律」だと言っていい。
オカマは中森明菜というのは定番であるが、
禁区は「できない女がパートナーと付き合っていくうちに追い詰められていく」という様子を描いているし、
禁区 中森明菜。
十戒は「エロビデオを見て女性が嫌がっているではないかと考える政治的弱者がいる」ことを描いている。
十戒1984 中森明菜。
デザイアーは「パートナーがいても、他の男の知恵と知識を聞きたい」ということを指摘している。
Desire 中森明菜。
複雑すぎて「高次の法」というべき「ウェイトレスへのシンプルなメッセージ」にはなっていないところがオカマに愛されている理由なのかもしれない。

ウェイトレスに与えるべき「高次の法」。
赤いスイートピー 松田聖子。

しかし、みんなでバーベキューをやった時に、1人の女性が顔にマスタードやケチャップをつけていたのならば、デザートのアイスクリームを食べる前に誰かが拭いてやらなければならないだろう。
仕事ではなく「愛情の世界」であり「法律の留保」の世界だ。
この問題への答えが「誰がその女性に愛情を持っているのか?」という中森明菜のオカマの話になる。
しかし、隣の農場と「助けが必要な時は人のやり取りをする」という約束をしなければ、中途半端な儲けと大損のどちらかしか待っていない。
これが、ノンケが性倒錯と共存して行かなければならない理由である。
法律と法律の留保は共存して行かなければ仕事がギャンブルになってしまうのだ。
主権、つまり略奪愛が存在する理由は「繁栄があるため」だとも言える。
どうしてもムラに性倒錯が混じってしまうのだ。
しかし、性倒錯が多数派だとみんなが貧しくなっていくことがわかる。
「女心は大きすぎる」と言ってカントの話をベラベラ話していると「生活保護のヘンタイ」がわらわらと寄ってくる。
しかし、そういう人たちに限って人生経験が豊かなのだ。

原点に戻ろう。
みんなが知りたがっていること、というのも人それぞれ興味のあることや考え方が異なるためにかならず「抵抗」が存在する。
そのために視聴率というのも限界がある。
視聴率とは「耕す畑の大きさ」につながるために「人々が知りたがっていることの序列」を理解しなければならない。


山内惠介の愛が信じられないならについてであるが、子煩悩な母親との姦通が原因で、精子が出なくなっている。
中学に入って同級生が「カルピス」とか話題にするたびに「精子が出ねえ!」と言って必死でマスターベーションをしたり、男女を問わず犯したりしている。
両刀遣いだ。
愛が信じられないなら

ししゃもがセックスができないからだであることから、追っかけをやると「貴方とやると痛いんだよ!」と言って鞭で男を打つ女だとすれば、山内惠介は女にもアナルセックスを強要するタイプであるし、竹原ピストルは女にペニスバンドをつけさせて「俺を犯してくれ」というタイプである。
だいたい、農場で隣同士仲良くしなければ繁栄しないと思うのであれば作家としてこのようなことを書き記したほうがいいとも言われる。

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