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Foreign Affairs

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2017年12月 5日 (火)

東京通。

よく、「若い頃はクラブで遊んだ」という女がいるが、遊んだと言ってもお金がなければ砂場での遊びに等しい。
今回は「金持ちの本当の東京遊び」を紹介したい。

【新宿遊び】
東京という街は、支配従属、回転、快感、光、おもてなしが「より速く、より速く」なることを目指した街だ。
1960年代に、国会議事堂があり、駅の周辺にはヤクザや左翼活動家がいただけの街だった。
しかし、1960年代のベトナム戦争時のアメリカ軍のプレゼンスの時の「セックスと革命の嵐」を終えると、1970年代に新宿で異変が起きた。
「赤線」の資金力の増強とオフィスビルの乱立が始まったのだ。
スタジオアルタが東京の全風景を映し出し、「どのように集まり、どのように遊ぶか」をスクリーンに映し出した。
「永遠に終わらないゲーム」が始まったのだ。
北海道から沖縄までの人々がスタジオアルタのスクリーンを見た。
東京都庁のエレベーターは実際はスピンがかかりながら上昇していたし、東日本大震災の時も大都会に睨みをきかせた。
47階には東京都議会があり、実際に多くのドラマがあった。
本来この都会は1960年代に磯崎新(あらた)が、原子爆弾のトラウマから多くのミュージシャンなどを用いて作り出した街だった。
「いつだって破壊されるさ」
そのような発想で、人間の形をしたビルを鉄とコンクリートによって作り出したのだ。
コンセプトは「いつだって破壊される」というものだったが、磯崎新の後を丹下健三が引き継いだ。
磯崎新は「白黒写真での写りがいい」という発想を忘れないように街づくりをした。
岡田有希子という女が死んでズタズタになったが、周囲を取り巻いた小さな群れは、彼女の肉体を見たり、彼女とのセックスを夢見たり、電話で実況したりしていた。
このようなことをミュージシャンたちは二度と起こしてはならないという共通了解が生まれ、都市づくりは黙々と行われた。
あくまでも芸能界が都市づくりをリードし続けた。
岡田有希子の死後、サラリーマンが1人、ホームレスとともに横たわっただけだった。
この事件以降、止まれと言っても止まらないタクシーが出てきた。
首都高環状線を1300円で入って誰も出てこないというのもメディアが流した情報にみんながしたがったのだ。
塚本晋也は「新宿こそがこの都会の眼と脳なんだよ」と言って「人々が病気にならない街づくり」を考えたのだ。
人が多すぎたので「エレベーターを静かなものにする」ことが病気をなくす秘密だと塚本は考えていた。
「音楽だけを聞いていればいい」そのような街づくりだった。
東京都庁は「贅沢の塔」と「仕事をする塔」に明確に区別され、東京の眼と脳であることの意思表示をした。
贅沢の塔では常に芸能について考えていたし、庶民の遊びとは異なる贅沢さに満ちていた。
そのようにして、東京都庁そのものが新宿として機能することで都会の健康を守ることにしたし、街では岡田有希子の亡霊が睨みをきかせていた。
自動車事故は毎日、起きたが、そんなものだろ。
ニッカウヰスキーのおじいさんだけが真実を知っていた。

【高円寺遊び】
黄色と緑の着物を着たダンサーたちは神社の様式にしたがって二組に分かれて戦った。
オフィス街の一角で突如として始まった神社の祭りであった。
勝敗を決めるための裁判官まで決めていた。
どっちが勝ったのか大騒ぎになった。
女がイチニサンと合図をして笑った。
村井秀夫が殺されていた。
これは1982年から始まった「阿波踊り」の初めての実戦投入であった。
1962年のクリス・メイカーのフランス映画「ラジェッティ」にヒントを得た「宗教論争の解決法」であるとされた。
あの映画から30年経って高円寺で初めてそれが現実のものとなるのを見たよ。
心臓マヒで死んだ人も何人か出たのでみんな解散した。

【谷中遊び】
実は、死というものを深く考えていたのは谷中の寺だった。
1923年の関東大震災、1945年の東京大空襲、1960年代の革命の嵐を無傷で乗り切ったのはこの場所しかなかったからだ。
1969年に外国人ジャーナリストであるジーン・ジェネットを警察が殺した時に、様々な怪情報を流して「樺美智子さん」と呼んだのは谷中が仕掛けたことだった。
谷中が「赤い墓地」という国と関係する死者を埋葬する墓地を掌握していたから出来たことだった。
ナチスが1940年に「埋葬さえ握ればいい」ということを明らかにしていたから行ったことだった。
「樺さん」が死んだのは実際は新宿であったが、埋葬を真っ先に抑えて、みんなで盛大にお見送りをしたのだ。

【羽田遊び】
東京湾にハブ空港ができた。
油やプラスチックなどをコンクリートで固めて埋めて作った。
1960年代に成田に新東京国際空港を作ろうと決めたら農民が反乱を起こした。
反乱によって三里塚で死者が出たと言って羽田に埋められた人もいた。
これもクリス・メイカーの映画を参考にした。
1985年に成田発の日航機が墜落した時に、その三年前の「機長の錯乱は東京湾の呪いである」という噂が払拭されたために、みな安堵したほどだった。
しかし、羽田の「化学物質」の存在が指摘され、羽田は一線を退いている。
「東京湾に沈める人」を作るためのとんだ茶番。

【渋谷遊び】
渋谷には有名なスクランブル交差点があるが、一方で裏通りにラブホテルがいっぱいある。
ラブホテルでの薬物使用が後を絶たず、渋谷のラブホテルでの薬物使用が検挙されると、スクランブル交差点が停電を起こすようになっている。
酒井法子さんはこのことにショックを受けて泣き出している。
「ハローキティに迷惑をかけてしまった」という女の子の気持ちを利用して薬物の取り締まりをやっているのだ。
女の子はまるで忠犬ハチ公のようだということから鉄の像もできた。
女の子はのちの人生で鉄の意志を持つようにという教えでもあった。
ウィリアム・バローズもハローキティの信者だったし、五徳寺がハローキティを祀っている。
酒井法子さんは周囲の女の子のみならず、イギリス人やフランス人にまで憎まれることになった。
マッカーサーは1945年から1952年までの占領下でハローキティを利用して日本の英語化を行なっている。
しかし、日本語は根強く残り「バイバイ」程度の影響力しか持たなかった。

【幕張遊び】
東京から幕張にモノレールで行くと多くのサラリーマンが下車する。
女の子は猫の絵が書いてあるカバンを持っていたし、東京に比べて平和であった。
海にはゆっくりとタンカーも動いていたし、砂浜もあった。
サラリーマンが心を病むとみんな幕張に向かった。
癒しの空間となったのが幕張だった。

【お台場遊び】
お台場が東京湾にできると、東京で経済犯罪を犯した連中が品川から逃げるのではなく、お台場のホテルを隠れ蓑にするようになった。
丹下健三は、子供の叫び声にもビクビクする連中をお台場に集めた。
新橋もお台場の価値を高めるのに貢献している。
アメリカが日本にアクセスしやすくなったのもお台場の力によるものであるし、フジテレビの拠点ともなった。

【鹿島遊び】
鹿島には木造の寺があり、地震は我々が起こしているんだぞという大ナマズを握っているとしている。
東京の信仰心を鹿島は握ったのであり、実際に1923年の関東大震災の時以来信仰心を集めている。

【光が丘公園町遊び】
ネオナチと新左翼がベルリンやタリン、トリエステなどで争い、お金が必要だと言って遊園地で子供を誘拐する事件があった。
日本でもそれが光が丘公園で起きてしまった。
メディアは「三億円事件」という噂を流して誤魔化したが、アパート暮らしの活動家がたくさんいて、サラリーマン世帯が大勢いて、公園には子供1人いない。
それが光が丘公園町である。
たまに、町中をスピーカーから大音響で「子供が行方不明になった」というアナウンスが鳴る。

【靖国遊び】
このような「東京の街づくりで死人が出た」ということを神風特攻隊と同格に扱い、彼(彼女)たちを認める、それが靖国神社である。

【皇居遊び】
二重橋までしか一般人は入れないが、天皇誕生日にバルコニーに天皇が現れ、何かつまらないことを言う。
人々は「万歳!」と言って歓声をあげるが、天皇がバルコニーから去った後に、人々は大乱闘騒ぎを引き起こした。

【乞食遊び】
秋田から上野に上京すると、男は山谷のドヤ街に向かった。
1964年のオリンピックの時にできた慣習だ。
みんな顔が黒く、一生、働いて、金ができたら新宿へ出て、サラリーマンに憧れながら生涯を終えるのだ。

【浅草遊び】
黒いボディの観音が1950年に浅草寺に作られた。
聖徳太子だとされ東京の現状を「僕、そのことをすでに知っていたよ?」と言うお坊ちゃんとして可愛がられた。


このような東京の街づくりは、銀行が行ってきたのであり、日本の銀行の信用力を疑うものはいないと言われる所以でもある。

東京は地震が数ヶ月に一回起きた。
街中が「セックス」をテーマにしたし、「いい死に方」をみんなが考えていた。
テレビに出ている女たちはセックスを露骨に語ることを禁止されていた。
ローメイン・スロコンブの写真に影響された少女マンガのようにアイドルたちは振舞うことが「お約束」となったのだ。
アイドルや女子アナは「性的アドレナリン」と呼ばれた。
白いドレスに銀色の天使の羽をつけた女が渋谷の東京コマスーパーノバラブホテルに向かった。
真剣な表情をしていて、セックス一回2時間の料金で若くてシャイなパトロンと関係を持った。
スマートフォンでセックスは撮影されており、散々、喘いだ挙句に顔に射精され、最後に女が笑った。
これが「性的アドレナリン」の真実かとみんな思った。
きゃりーぱみゅぱみゅと呼ばれていた。

上野の清水寺では毎年9月に、子供のいないカップルが200名の女の子を眺めにきて、子宝に授かるようにお祈りしている。
しかし、1人の女の子に火をつけてしまい、女の子たちが大混乱に陥った。
結局、「この煙は縁起がいい」と言うことになり、毎年二百体の人形を火にくべることにした。
この時の女の子7人が「神セブン」と呼ばれのちにAKBとなっている。
アイドルが1人消えても新しいアイドルが出てくるという意味にもなった。
アイドルの女の子は子供のいない夫婦の実の子供のようだった。

安室奈美恵は、沖縄から来たが、新宿のロゼッティというバーで青森県の恐山から来た男と知り合った。
口のなかに射精されて気持ち悪がっている写真も「アイドルの真実」として知られている。
安室奈美恵と男は6日間、ホテルでセックスしてお金がなくなったために山谷に消えていった。
気がついたら九十九里浜で、身体中傷だらけで警察に保護されて報道されたことから「どのようにしたら有名になれるのか?」を沖縄の少女は知った。
思い出の九十九里浜。

ポルノの蔓延と、漫画やゲームが常に「男同士のぶつかり合い」を描いていることから、女子高生たちは大人に憧れた。
しかし、この全体主義の国ではサラリーマンたちにとって女子高生との恋は「禁じ手」とされて監視の対象となった。
しかし、相撲を見た後だけはみんな「全て許す」と言ったために相撲ファンが多い。
相撲という文化を若い世代に教えたこと、そして中卒のヒエラルキーの動物的な側面を見たこと、相撲を見るだけのお金を払ったことなどが理由として考えられる。
1972年にメイナード・スミスがこのような「相撲のセールス」を考えたのだ。
タカ派にはお金がない。ハト派だけがお金を持っているということも背景にあった。
一緒に女子高生と文化を楽しまなければ、女子高生もその気にならなかったし、大人の世界を見せてもらうという最高のプレゼントが相撲だった。
愛の倫理社会。

浅草寺のトイレで男同士がホモの関係を結び、男の叫び声が聞こえた。
小室哲哉だった。
しかし、やがてどの地下鉄のトイレでもこのようなことがあることがわかる。
19世紀には処刑されていたことだったが、今は周囲の人間が笑ったりマスターベーションをしたりしている。

新宿の東京都庁は、東京の眼として「この風景が燃えてしまっても芸能がある限りいくらでも再建できる」と考えている。
外国人が成田に着いたらタクシーの運転手に「東京なんてあっという間だよ」と言われて乱暴な運転でレインボーブリッジを渡り、フジテレビが見える。
劇団四季などが見えたら急にタクシーの運転手はお行儀のいい運転に変わるのだ。
今は東京都庁は「インターネットの崩壊」だけを恐れているようだ。
2020年にプライマリーバランスの黒字化や財政赤字のGDP比135%という無理な国際約束をしているために2021年には崩壊する街と思われている。
民放各局が「どうせ滅びるのならば核兵器で」と仕切りに騒ぎ立てるが、テレビ東京だけが国の存続を知っているのだ。
北野武が新宿でスクーター事故を起こした時に、芸能が崩壊に向かい始めた。
「全盛期のビートたけしがいなければ面白くない」
みんながそう思って焦っていたのだ。
ビートたけしのトラウマが災害報道や北朝鮮報道を加速させたのだ。
「この昔の写真はどこから撮影したの?」
この研究を東京で行なったハワイのクック船長は処刑された。
極めて軍事的な問題であり、知ってほしくないことなのだ。
東京は敵が多いのだ。
1965年に川田喜久二が東京をX線宇宙撮影でも分からないようにしたのだ。
1960年代にウィリアム・クラインがニューヨーク、ローマ、モスクワの写真を撮影したが、東京も撮影した。
天皇裕仁まで撮影が許可された。
大人になんかなりたくない 新田恵利。

その後、クラインは横浜に向かったがバヤリースピーチソーダとかソニーとか英語ばかりではないか?
いつでも改ざんするつもりだなと思った。
森山大道の被差別部落の写真の方がよほど永続的なものであった。
滅びるのは被差別部落の方だったのだ。
そのことを考えると、横須賀の米軍基地など一瞬で撤去できるんだろうね。
荒木経惟は、東京のホテルや東京女など「儚いもの」を常に撮影し続けた。
ウクライナのボリス・ミカイロフは荒木に街の意味を教わりながら撮影した。
国策を知っていた荒木経惟にとって儚い営みが写真撮影だったのだ。
東京の映画の起源が東京大空襲の映像だったというのも皮肉だった。
地球が衝撃を受けている映像だった。
東京大空襲。

大島渚と唐十郎の「新宿泥棒」ぐらいしか本当の東京を理解した作品はないんじゃないのかな。
わずか5歳の新宿を描いて日本人は国というものを見失った。

サラリーマンに仕事などなかった。
ただひたすら「東京の幽霊として歩け」としか教わらなかった。
酒を飲み、家でスポーツを見て、仕事に行くだけなのだ。
みんな1970年の三島由紀夫自決の後の彼の幽霊として歩かされた。
ろくな文学ではなかったが、サラリーマンとしての生き方が書いてあった。
東京はデジタル化を迎えた。
0と1に血や肉を与え始めたのだ。
テレビは仏陀を描いても、日本のイスタンブールである江ノ島にはアウトローたちが大勢集まった。
デジタル化さえしてしまえば東京と似たような街はどこにでも作れる。
キャノンもNTTもそれをやりたがっている。
「俺たちでも東京都庁の役割は果たせる」
そう考えたのだ。
しかし、それをやるためには自家用車まで運べる東京フェリーターミナルの意味をよく知らないといけない。

【完】

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