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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2017年12月

2017年12月29日 (金)

ペテロの葬列。

【序文】
ビナリウム・ファモッシマム(横粂勝仁)は、「たとえ詩の世界のヒーローであっても世界を二分割してしまう」とアクィナスの存在を見ていた。
「男と女がいる限り」
詩の世界のヒーローになるためには「ボランティア」で男女は参戦するだろう。
世界の初めから神は二人いた。
アポロンとゼウスだ。
しかし、アポロンだけが詩になったために、ゼウスは周りの男女を集めることに成功した。
アポロンはアクィナスであったし、ゼウスはスコトゥスであった。
敗北の文学、野党は常にゼウスとして存在したし、大政翼賛会などできる国ではなかった。
アポロン派を「トミスト」と呼び、ゼウス派を「スコティスト」と呼ぶ。
それが「男女に選挙権を与える」という意味だった。
しかし、アポロンは詩の世界のヒーローとしてどんどん賢くなっていき、しかも女たちにモテた。
ゼウスは錯誤に陥り、文字も読めなくなっていた。
みんな「頭が良くなりたい」という思いでゼウスの側についていたし、アポロンの側の人間はすでに賢かった。
「二大政党制が最も良い」などとは思わないことだ。
与党は常に詩の世界のヒーローとして歌われ、頭が良くなり、野党は必ず分裂の方向に向かう。
「詩」
それだけで二大政党制は成り立たなくなる力を持っていたのだ。
政治は無償で行われるものだ。
頭良くなりたい、詩の世界のヒーローになりたい、それだけだったのだ。
アポロンの側に立つものは賢く、ファモッシマムのように常にアクィナスに忠誠を尽くすものもいた。
人々は「知りたがっている」
このことからアポロン(アクィナス)はどんどん賢くなっていき、二大政党制を崩壊に向かわせた。
【音楽の力をあまくみてはならない】
AKB48 teacher teacher.

国会は「会期制」をとっている。
会期の枠内で野党はわがままを言って官房機密費からお金をもらっている。
みんな「詩の世界のヒーロー」になりたいからであるが、「通年国会」をやるほど「ヒーロー」も強くはない。
わがままというのはそれほど「なんでもあり」なものなのだ。
「内閣総理大臣の解散権にはいかなる制約もない」(藤波孝生内閣官房長官見解)。

首相の最大の敵は「役人」である。「私の方がもっとうまくやれるのに」という気持ちがあるのだろう。
熱帯夜 SPEED.

月下の棋士 23巻 毒気より。

きっと人間って2種類しか存在しないのよ
舞台に上がる人 それを見ている人
熱狂させる人 させられる人
時代を創る人 その中で生きる人
(かおり)

本来持っている「日本人としての名前」を生き方によって変えてしまおうという発想はプラトンのクラテュロスに由来するものである。
あくまでも「偉大な哲学者」を中心に名前を配置していったのだ。
「どの子が伸びるかは分からない」という境地に至った教育学が、「成功事例をまとめ上げたい」と考えたことからペテロやトマス・スコトゥス・オッカムなどの名前を考えた。
スコトゥスと呼ばれる不遇の男も、トマス・アクィナスという偉大な兄を持ったことから、思慮深いソクラテスから名前をいただいたのだ。

ジーン・ボーディン(松野有里巳)が、アイドルであることから、冒頭でご紹介したい。他にも小野家には松田聖子や酒井法子がいる。
松野は「富の六冊」という本を著し、「協調と寛大さ」こそがお金の起源であると位置づけ、とにかく「女王となって弁護士と仲良くする」ことを心がけた。
ヤーヴェ以外にも、モーゼやユダ・マカビーのように「境遇さえ整えば」ヤーヴェと同格になる男がいることを指摘し、「女王になればそのような男が寄ってくる」としている。
とにかく「女友達を大勢用意しておくこと」これが女が豊かになる方法だと考えたのだ。
アクィナスに「相続回復請求権」を行使してもらうまでは、ダサい格好をしていたが、「女友達が大勢いた」ことからアクィナスの認める女となり、富を得ている。
ジーンの「女友達が大勢いれば女は豊かになれる」という考えはカトリックをたちまち支配する考えとなった。
正直言ってベルマンドイス(佐藤愛子)などとは話が合わなかった。
しかし、会うたびにハグすることがジーンに富をもたらしたのだ。
アクィナスが、ラサールの連中と机を並べていたのは事実であったし、そのような世界を「女王として」迎え入れるためには女友達が多くなければならなかった。
芸能人としては「東京大学」を認めた数少ない女性であった。
しかも、それを富につなげてみせたのだ。
「魔女裁判」という本を著し、「それが女の魅力でしょう?」と記した。
風俗上がりのメンバーとともにribbonを立ち上げたことから、ここでも「協調と寛大さ」を見せつけている。
自身は、サンミュージックの社長や銀行マンなどのバックがいて、のちにアクィナスの「マシーン」となる連中を用意したが、アクィナスが学業でくすぶっている間はジーンが脚光を浴びていた。
ribbon Stay with me.

ribbonの中では決して美しいとは思えなかったジーンであるが、「魔女裁判」を著して「協調と寛大さ」を示したことから彼女の存在感は高まったのだ。
スペインの王とも会ったことがあるが、アクィナスが劣等感を感じなかったのも、ジーンがまったく自分の栄光を自慢しなかったからであった。
「処女として150の街を見た」とされ、サラリーマンの奥さんならば普通に持っている富を「栄光プラス富」と考えるのならばジーンの記憶は150年間、人々に語り継がれた。
アンリ4世が、ナントの勅令(1598)を出したことから、「女は富か栄光かのどちらかにしろ」と言われ、ジーンの存在は歴史に残った。
ナントの勅令以降、元アイドルは生活保護という道を歩むこととなったのだ。
ribbon 太陽に火をつけて。

ナントの勅令以降、元アイドルは、東大生を「変なオタクみたいなやつ」と思わない方が得策となっていた。
「国を治めるために昔の動画を使う人」だったのだ。
アクィナスの情報も必ずしも新しくはない。
誰かがアップトゥデイトするはずだった。
ジーンはカトリックの教育を受けていた。
しかし、「さほど美しくはなくとも」「協調と寛大さ」だけで富と栄光を手にしたのだ。
他のカトリックの女たちにはない才能だった。
スペイン・フランス・イギリス・スコットランド・エチオピアの王との謁見が許された。
しかし、アクィナスと出会って、「冴えない女だな、しかし俺と目が似ている」と思われた。
これが従兄弟の松野有里巳だったのだ。
栄光の後には「富」だけが欲しかった。
アクィナスに「身の上話」をした時点で、アクィナスは「ジーンが相続から仲間はずれにされている」ことに気がつき、施設に掛け合って訴訟まで起こした。
ジーンは「アクィナスは従兄弟だ」と知っていたようだ。
いずれにせよ、ジーンの「女友達が多かった」ことが富を引き寄せたし、アクィナスとも世間話をするようになったし、「栄光の後に富が残った」珍しいアイドルとなった。
アイドルになりたい女性は「ナントの勅令」だけは忘れないでほしい。
「女は富か栄光かのどちらかにしろ」
2013年から2018年にかけて「ナントの勅令はどうにかならないか?」が語られ始めた。
「芸能界を尊敬するアクィナス」の存在を世界が知ったからだ。
しかも、芸能界のおかげでビルが山ほど立つ現状があった。
「ナントの勅令も個人的な協調と寛大さ」であるとしたのがジーン・ボーディンであった。
ribbon 太陽の行方。


さて、伯父さんは「心ない存在」であることが知られているが、私の伯父の「確かなもの」をあえて探したい。
父の兄、小野耕之補、母の弟、小野晃嗣をご紹介します。
平山俊一の師匠、小野耕之補。

叔父さんの心なさは「女をめぐる争い」であるとも言われ、確かなものをめぐって伯父(叔父)と甥は争うことになる。
小野晃嗣税理士事務所。

ダンテは「インフェルノ」において、東京大学に合格した甥と伯父(叔父)の関係を「資金集めに用いるべきである」としている。
青いスタスィオン 河合その子。

「何が芸術か?」「何が勃起か?」という二つの要素以外に、おじと甥は関わることはないとされている。
私が考えていたのは「ランカー潰し」と名乗るものであり、音楽に慣れ親しむことや、税金の勉強をすることであるが、もしこれを「芸術」と呼べるのならば「女をめぐって」争ったことになる。
この「芸術」を消化しなければ女運が約束されない、これがおじである。
しかも「富を生み出すまで」消化しなければならないのだ。
おじの家に招かれたのならば「自分の宿題」は自ずから明らかになる。
お金を稼ぐために何をしなければならないのか?が分かるのだ。
「分からない世界だな」というのが第一印象であるが、金と女を得るために何をしたらいいのかを教わるのだ。
親戚まわりは東大に入学した童貞坊やの義務ですらあった。
Sexy zone イノセントデイズ。

とにかくおじの役割は「否定すること」にあった。
おじから「考え方のヒント」を得ようとした。
とにかく頭の痛いことばかりだった。
しかし、心が依存から自立に向かうのを待てばいいだけだった。
おじはとにかく甥の前で酒を飲んだ。
そんなおじに、酒や米を送ってみたが、案の定「食えない、飲めない」と言った。
7世紀のインドやペルシャの政治家の域にはこの時点で到達したことを意味した。
「時間の速さの違いを痛感するからだろう」
おじとはペテロのことであった。
三度「女とは何か?」と問いかけてくるのだ。
私は「音楽と税金です」と答える羽目になった。
手も足も出ない女が存在したからこのように答えたのだ。
時間と空間をもし「女のために」用いる男ならばこのような答え方をするだろう。
そして「おじさんの何が遠回りな人生なのか?」を探求するだろう。
効果のない営みは誰もやりたくない。
別の生き方など存在しない。
いじめ(魂)が決める人生というのはそのようなものだ。
女たちは「男に生まれたかった」と言ってその営みを応援していた。
RADWINPS カタルシスト。

【おじさんデリバティブ】
このようにアメリカでは語られていた。
窓ガラスをぶち破って「参加したい世界に参加する」ということをこのように表現したのだ。
人生の女の子たちは私のことを「なりたい私」と呼んでいた。
なりたい私って誰だろう。

とにかく、税金も音楽も面倒な方程式があるから、簡単に覚えることにしたよ。
おじさんなんてそんなもんだ。

デートに女の子を誘うとする。
これはもはや「お金」の話だ。
男女の双方が何かを犠牲にして、デートの待ち合わせ場所に向かう。
満員電車が嫌い、ビュッフェがない電車は嫌い、そう思うとなかなか目的地には行けない。
面白い場面に出くわすぞ、という第三者もデートになぜかまとわりついてくる。
目的を設定すると三者の思惑が動き出すのだ。
高橋由美子 Will you marry me.



マルコフ条件。

つまり、やる気のある方とやる気のない方を、第三者がとりもつことを言う。
「誰が見にくるかわからないよ?」
このようなメッセージをデートを誘う時に「やる気のない方」に与えることを言う。
四方の方角を持った三人が集まるのでなければ、目的は達成されないとしたのだ。
さよならえなりくん。

「遅い!」と文句を垂れる前に、「第三者の設定」を間違っていなかったかを考えよう。
「朝鮮の同胞があなたのために祈ってます」というような宗教家と会ったことがある。
キムヒョンジュン Take my hand.

この「うさぎ」の存在が分かったのは極めて大きな発見であり、「人を愛するのに苦労は必要ない」とまで言われた。
勝手な人間たちをうまくコントロールした結果、「デートした」ということになった。
時間を共にするという特殊相対論から語られたことだった。
さらにマクスウェルは「何が三人を引き寄せたのかな?」という観点から「磁力」というものを考えている。
ヴェニスの「パンと水」は磁力として磨かれたものだ。
高橋由美子 レイニーデイ×3.

誰の時間に合わせるのか?という「t=1」も考えられた。
あまりデートにメリットのない女の方に「t=1」を譲ったから結婚を決意したというのが上記の「Will you marry me.」である。
地方の哲学に馴染んでいないとなかなか「磁力」というものは生じないものだとも言われた。
出身地や国まで遡って探求するのが「磁力」というものだ。
渡良瀬 森高千里。

勉強というものが初めて、女の子たちにウケるのはおそらく理科の宇宙の話ではないであろうか。
重力というものは「空間」が生み出しているものであり、広い空間では喧嘩しない者たちが、狭い空間ではぶつかり合う。
コスモス通りの異星人。

ハッブルの「宇宙は膨張している」という理論も、狭い空間ではぶつかり合うという人間に夢を与えるものであった。
この「理科」の勉強が分かっている男の子は、子供にいい教育をするんだろうねと女の子は思ったのだ。
曲がり角がある空間や、膨張する空間、時間まで加わった空間(4次元)などに詳しい男の子だったからだ。
狭い空間ではみんなが急いでいた。
空間を広く使うことを「逃げた」と思わないことが必要だった。
CoCo なぜ。

映画で時間をゆっくりと利用するとみんなが落ち着くことが分かる。
それは男女にも言えることだった。
時間や沈黙をうまく利用する男だと、女も落ち着いた。
映画でも焦っていない表現者だと分かるのだ。
「距離」というものを加速や重力を考えるために用いるべきだというミルネの考えは大勝利を収めた。
ディラックなどもこれにしたがったからだ。
1937年には「距離とは加速のためにある」という考えは通説になっていた。
隣の女が「なぜ人がいないところではおとなしいのに、人混みの中では喧嘩を売ってくるのか?」という問題は出発点から間違えてはならない問題だった。
「男女がいるからだ」
つまり、男だけ、女だけの空間では相当な密度で人がいても喧嘩を起こさないことが分かった?日本の幼稚園や保育園でも「子供1人あたりの面積」というのが決められているが、「男児女児がいるから」という説明はなされていない。
Be Happy 恋のやじろべえ。

男だけ、女だけの集団ではどんなに密度が濃くても不協和音は生まれない。
「男女がいるから」不協和音というものが生まれるのだ。「距離とは加速のためにある」というミルネの理論はディラックの受け入れるところとなり、狭い空間では男女は喧嘩を始める。
フレミングはこの狭い空間で起きる「男女の喧嘩」=不協和音を「磁力」と呼んでいる。
不協和音
「口説く」というのは「競争的営み」であり、男社会の勝者であることを意味する。
ミルネやディラックの支持者は確実にいたのだ。
しかし、「あいつを呼ぶとこうなるから二度と呼ばない」という女社会の冷静な声もあった。
女であることの団結にマックレアはこのことを利用したのだ。
しかし、動く男と失神する女はまるでピストンだなと語る「嵐の中の冷静さ」があった。
「光だけしか見えなかった」という女の証言もあった。
男と女の時間と空間なんてものは「光」にしかならないのかなと言われた。
いずれにせよ「男女が混ざり合ったから女が失神した」という意味では「光」と呼ぼうが距離と加速度と呼ぼうが、ミルネは究極の大勝利を収めている。
迷宮のアンドローラ
しかし、「いやらしい」という相対性理論のままとどまっていたのでは、女が救われないとしたのがヘルマン・ボンディである。
「その力を言葉にして欲しいのよね」「今度お話しましょう?」
この時、ボンディはミルネを追い詰めたかに見えた。
しかし、「女がからだで語ったはずだ」という主張によってミルネは救われている。
何か我々は宇宙の真理を悟った気がした。
しかし、「子供を産むのは女だからな」とカール・ポパーは捨て台詞を吐いて議論は終わった。
紅白の事件。

階級が異なる貧困女が、上流階級男にからだを許すことによってお金に変えることがある。
「パワーセット」と呼ばれるカップルだが、結婚に反対されることそのものをカップルの発信力に変えるのだ。
手紙 岡林信康
からだを許したら、「手紙 岡林信康」という記録を残して、別れるしかない。
それを繰り返すのが貧困女の金儲けだ。
「反対されたから別れた」
それだけで、企業は社債を発行できる。
企業が私の恋愛をお金に変えてくれる、このことから孤独感がなくなっていくのを感じた。
「手紙債」でも何でも名称は問わない。
人々の心に響けばいいのだ。
男たちが「失神女」を今後ともいじり続けるのは明らかだった。
ディラックの後を受けたヒルベルトが「空間」がある限り女が失神を繰り返すことを明らかにしたのだ。
女は「社債が出る限り何度でもからだを売る」ことが予測できた。
カンターは、こういう貧困失神女と結婚したほうが仕事がはかどるのになと指摘している。
しかし、周囲の反対は「完璧な仕事」としてなされたし、貧困失神女も「別れ」を出口として「ビジネスの終了」を告白した。
いずれにせよ「男女のピストン」によって失神女が出た以上、今後も「貧困失神女」を出そうという試みは続くであろうし、男女の間で電圧と抵抗を流し続けるだろう。
「誰と誰があやしい」
グループの女たちは噂をした。
男の踊りは非常に洗練されていなければならないが、「男を知らない女」は誰かも明らかになった。
1904年にツェルメロはこのような論文を書いている。
「貧困とは何か?」「孤独とは何か?」から説き起こす問題であり、失神女のコメントに注目が集まった。
「男を知らないから失神する」「金儲けが出来る」というのは「リチャードのパラドックス」と呼ばれた。

ペテロ(おじさん)と言っても歴史上、多くのペテロがいる。
スペインのペテロは「黒人と怒りを共に」を標榜して1276年にローマ法王ヨハネ21世になっている。
南フランスや北スペインなどで活動し、名詞、動詞、前置詞や慣用表現(フレーズ)では黒人芸術の評論はできないとした。
ソクラテスはセックスが好きだった=ソクラテスは黒人だった、と主張し、黒人層の支持を得て甥っ子をいじめる方法を考えたのだ。
国を売ったと思って創価学会に逃げるおじさんとは力量が異なった。
ヨハネ21世は「すべての甥っ子は逃げ出した」と語り、多くのペテロの一人として論点を絞っていった。
【戦場では常に大人たちは君らと共にいる】
というように常に新しい表現を考えていたのだ。
ブラックミュージックに影響を受けた坂本龍一。

ペテロと言っても甥っ子が「イエス」と呼ばれるほど偉くならなければ歴史には名が残らなかったし、見るべきものがなければ歴史という名の法廷にはとてもではなければ出れなかった。
スペインのペテロは「is」というものを「理解した」という意味であるとし、多くの人と話したことの証であるとしている。

ペテロ・オリオールはフランシスコ修道院にいた。
甥としてトマス・アクィナスやドン・スコトゥスがいたために歴史に残った。
「いじめの否定」(三位一体の否定)や、「壁ドンの否定」などを行なったが、「おじさん稼業」も甥っ子次第だということだろう。
ヨハネ22世ほど偉くはないと語られるなど、13世紀におじさん(ペテロ)という概念が形成されていき、イエスの登場を待つ形となった。
哲学の裏街道としてペテロの研究はあるのだ。
トマス・アクィナスが「三位一体は真理である」としたのもドン・スコトゥスが「壁ドン」を考えたのも、ペテロ・オリオールが「ハブ」として機能したからである。
いや、ペテロ・オリオールとドン・スコトゥスがトマス・アクィナスを偉大な宗教家にしたと言った方がいいかもしれない。
ペテロ・オリオールは「ハートの行方は神のみぞ知る」などというあまり説得力のある理論とは言えないことを提唱している。
アクィナスという天才をいじめた時に「神は私に永遠の罰は与えていないよね」と考えたのだ。
神のみぞ知るハートの行方 酒井法子。

ペテロ・オリオールが考えていたことはアクィナスが今は屍のように歩いていても「いずれ結婚できるよ」ということと「君は素晴らしいハートを持っているね」ということと「いずれソクラテスみたいになるんだろう」という極めて前向きな発想だった。
それは、小野耕之補が、小野光太郎が東大に受かった経緯や、どれほど多くの女たちが大騒ぎしたのかを誰よりも理解していたからだろう。
ボタンを失くした時のショックがのちの人生にあまり影響を与えなかったことがモチーフになっていたとされる。
息子であるオッカムのウィリアムの目の輝きとトマス・アクィナスはどう違うんだろう?という問題意識もあった。
オリオールの弟であるフィロテウス・バーナーに学問では敵わなかったために詩を残したものと考えられている。
ドン・スコトゥスは「カッコをつける」ことしかできなかった。
しかし、ペテロ・オリオールは「壁ドン」を明確に否定している。
兄貴のアクィナスのことしか頭になかったようだ。
幻のようなパフォーマンスにすべてをかける人生が「男とははかなくも輝かなければならない」という考えと結びついていた。
ペテロ・オリオールは若きアクィナスに「もっと女の直感を信じてみな?」と言いたかっただけだったようだ。
とにかく「大全」などと大風呂敷を広げる奴だったからね。
松田聖子 マリオネットの涙。

ペテロ・ダミアン(杉原英遠)は、女が処女を失った後にどのように処女性を回復するのかを探求した。
「神聖な全知全能」を感じた時に女たちは「処女」と呼ばれることを好んだのだ。
アクィナスの叔父にあたるダミアンだったが、娘が松野有里巳であったことからこのようなことに興味を持ったようだ。
ダミアンの妻は林芙美子(杉原杏子)というアクィナスの叔母だったが、彼女の人生は「放浪記」「うず潮」などで知られている。
奔放な女と結婚するという寛大さをダミアンは持っていた。
吉永小百合 うず潮

モンテ・カシノで食事をした時も、聖母マリアの処女について語った。
すべては「女の全知全能」にあった。
果実のなる子宮が洪水に流されてしまっても、処女性を取り戻せるからこそ女は哲学者を愛したのだろう。
神が「なんでもできる」というのは女たちにとってはそのことを意味していた。
ペテロ・ダミアンは甥のジェロームにそのような手紙を送っている。
神にはできないこともあった、神は嘘がつけなかった。
しかし、何かができたのだ。
何かができる男の人生を、彼に抱かれることで台無しにしてやれる、この時に女は自分の処女性に気がついた。
フリーエージェント宣言した男がいて、男を知らない女に大人たちが群がることをバージンバースと呼ぶが、それとは異なる意味で奇跡だった。
女がまるで処女のように振る舞い、男の政治生命を奪いたいと思ってしまうのだ。
「遊園地にいるみたいな気分」「誰もわかってくれないでしょうね」と女は思った。
甥のジェロームにはのちにカンタベリーのアンセルムスになっている。
女にいまだ男の政治生命を奪うだけの魅力が残されている。
この時に、洪水に洗い流された子宮がまるで何もなかったかのように女は純粋に振る舞った。
カンタベリーのアンセルムスは「必要性といっても二つありますね。セックスする前に男に求められる必要性と、セックスした後に求められる必要性の二つがあります」としている。
言論の自由の制約は「必要性と合理性」だけであるという説が日本においても存在するが、合理性とは「男らしさ」であり、必要性とはセックスする前と後に求められるものだとしたのはアンセルムスだった。
男らしさを磨く言論とセックスを円滑に行うための言論というものが模索されていることがわかる。
Melody Oh! Please.

若い者と歳をとった者では言論のあり方が異なった。
年配者の政治生命は大事にしなければならなかったし、若者は男になること、女になることということがそもそも重要だった。
「神の計画どおりに人間を作らなければならない」
とにかく子供には夢を語らせて、男としての自分、女としての自分を明確にさせる必要があったのだ。
「夢のない子供は性倒錯を引き起こす」ということもわかってきた。
あいつ、何が楽しくて生きているんだろうな?という男はゲイになって終わった。
アイドルとなって心を病んだ娘をトマス・アクィナスと結婚させようというのがダミアンの悲願だったからこそ歴史に名が残った。

ペテロ・アベラードは、ヒロイセとの破滅的なロマンスを記したことで知られている。
広末涼子。

ペテロ・アベラードは恋に破れて、健康状態が回復するのを待ってパリのシャンプーのウィリアムの講義を受け、彼の体験談をまとめ上げている。
小野耕之補の長男の耕児だと思われる。
この体験談を耕之補がまとめ上げている。
Qlairのパレットはその集大成である。

援助交際とも言えるペテロ・アベラードの経験談は社会から批判された。
アベラードは、仕事にもつけず、土地を得る資格も失ったので、ローマ法王に直訴し、ペドフィリアを裁く「カンガルー裁判」にかけられた。
その後、聖マルセルに保護され、セールラサール墓地にアベラードはヒロイセとともに埋葬された。
結局、オリオールのアクィナスいじめに「恋を知らない」という形で利用されることになっている。
実際は、耕児による(広末涼子似の)妹との姦通のことだろう。
オリオールは、「仕事というのはプライベートの悩みを詩にすることなんだ」と語った。
仕事のネタをイサゴーグと呼んでいる。
アクィナスにすべて詩として伝えていた。
アベラードは、女はお金次第でどうにでもなるという発想と、女は男と同じ「動物ではないか?」という境地に至っている。
しかし、それにしても男女というのはまったく異なる情報を与えられているな、と思った。
しかし、生きていることをビンビンに感じることができるのが勃起であった。
Qlairのパレットから。

女とは金で買うものだ。それが積み重なったら家が買える。勃起の目の前にいる女はかなり偶然によるものだ。
マージャンをやると土と空気と火と水がある。
そこにはいじめはなかった。
毎日、仕事をする理由が見つかったのは事実だった。
アベラードにとって「女心をお金に変える」というソクラテスの考えは理解できなかったし、仕事をして買うものが女だった。
「ソクラテスは動物だ」と考え、自分なりにソクラテスを解釈したことからかろうじて哲学史に残ったのであり、トマス・アクィナスがいなければ「どこにでもいるおじさん」で終わっただろう。
オリオールの音楽作品もおのずから「楽しさ」にこだわったものとなり、なかなかヒューマニズム色が出るのは難しかった。
すべてはアベラードが「金で女を買っていた」ことが背景にあった。
酒井法子がヒューマニズムを歌わなくなった。
このことから彼女のキャリアは斜陽に向かった。
小野耕之補の力量とはこの程度のものだった。
リアル 酒井法子。

アベラードは、心を病んだこともあって「世界は言葉に過ぎない」とし、脳というものの重要性を説いている。
耕児は薬剤師になっている。
「我々が完全に無知なるもの」に敏感であり、光太郎の文章を熟読していたのだ。
テレビの重要性と、アカデミズムの重要性の二つを使い分けていた。
「男」がテレビに出ているとするならば、アカデミズムには「男たち」がいた。
パレットに列挙した曲の意味を「男たち」はどう思っているのだろう?
それさえ認めてもらえればよかったのだ。
10万人とセックスしたフレッジに妹との秘め事を解釈してもらいたかったのだ。
男女がセックスが終わった後にも、男には言葉が必要(第二の必要性)という指摘が欲しかったのは事実だ。
射精した後の虚無感の中でも男は言葉を発しなければならないのか?
アベラードの脳はそうは言っていなかった。
Qlairのパレットから、秋の貝殻。

アベラードにとって、勉強とは「男」であった。
アクィナスが、その勉強の世界を「男たち」という学問に変えたことは嬉しくもあった。
「猫」が勉強の世界を難しくさせているんだろう。
勉強してもちんちんが萎えなかったアクィナスを認めていたのだ。
学問が猫を分析できるのかと思って無我夢中でアクィナスを読んだ。
すべては「妹との秘め事」をもっと広い視野で眺めてみたかったからであった。
アクィナスに献金もしたし、なによりもアクィナスの父で医者のフィロテウス・バーナーに勝たなければ結婚ができなかったのは逆の意味で「叔父」の問題と直面していたのだ。
「楽しかったことは?」と聞かれると「金で解決することかな」と答えた。
アクィナスとはこの点では気があったのだろう。
「間違いってのは金にならないんだ」
妹との関係は間違いであったのだろうか?
しかし、アクィナスがそのことを「伯父との関係」として語ることで金にしただろ。
最後の審判や死後の世界を仕切りに気にしていたのはこれが理由であったが、アクィナスによってすべてが許された気がした。
「人と話すぐらいならば本を読んでいた方が勉強になる」という彼の考えは彼を病気に導いたものだった。
妹とのセックスが「パレット」というアルバムになったために、彼女を作るのが怖くなっていた。
オリオールの職業病が災いしたのかもしれない。
勉強よりも大事なものはない。
妹との秘め事の時に受けた侮辱によって勃起しなくなっていたアベラードは、アクィナスの後をひたすら追いかけた。
勃て、とだけ心で祈っていたのだ。
Qlairのパレットから、お引越し。

それにしても、アクィナスに救済されてからのペテロ・アベラードは、自分が「詩の世界のヒーローになるとはどういうことか?」を如実に表現するほど、かつての「病んだ自分」が消えてなくなり、「キレ者」になり、饒舌になった。
自分がステージに上がると、情報不足から病気になるが、自分が「詩の世界のヒーロー」になるとこれほどまでに思考力が高まるものなのかと周囲も驚いていた。
アクィナスも、若い頃はモノにできなかったヒロイセとの関係が詩となることから、職場でもどんどん力をつけていくのがわかった。
ヒロイセが初めてキスしたのは兄のアベラードであったし、アクィナスには秘密にしていたことだった。
ribbon 真夏のフェミニスト。

思考力や記憶力が回復したアベラードは、まるでアクィナスと変わらないような「性豪」ぶりを発揮した。
アクィナスが従兄弟であったことから「俺にもできる」という思いが強く、オッカムのウィリアムよりも学歴があったことから、アクィナスの発言の代弁者はオッカムのウィリアムなのかペテロ・アベラードなのかが明確ではなくなった。
いずれにせよ、ヒロイセの初体験の相手としていじめられたアベラードは、アクィナスに共感していたし、「修行僧として生きてきた自分」がセレブリティになるのも当然だと考えていた。
ペテロといっても、アクィナスと和解してしまう者もいたのだ。

小野晃嗣はペテロ・ジョン・オリビとして描かれている。
トマス・アクィナスと接する上で、
憎しみと慈悲
友情と敵対
恥と栄光
歓迎と拒絶
従属と支配
希望と絶望
注意深さと怠慢
の二極に感情を区別していたのだ。
瀬能あづさ 永遠に友達。

オリオールは、ジョン・オリビの中に悪を見ることもあったし、譲れないものも見たし、その一方で尊敬を見ていた。
オリオールの前では言い訳や非難をアクィナスに浴びせていたが、罪の意識の方が強く心に響いた。
「人間は知的な野獣だ」
という発言はアクィナスを擁護するものであった。
しかし、「アクィナスは力の使い方を間違えている」とも発言している。
狂人となったアクィナスが今さらお金を集める力を持つようになるとは思えなかったのだ。
お金が権力だということをアクィナスは知らないと責めていた。
「すべてはプライベートの充実からお金が集まるのに本ばかり読んでいる」とも批判した。
ドン・スコトゥスの「革命ムーブメント」はこの時に始まった。
オリビがアクィナスに圧倒されていくたびに、救いとしてドン・スコトゥスが存在感を高めていくのがわかったのだ。
オリビは三位一体の熱烈な信者であり、必要性を感じない時にも常に三位一体を用いることからアクィナスはこれを「真理」として学習した。
その人を無視して否定することが三位一体の真実であったが、オリビは「いじめ」にも常に二対一を用いた。
シカトしないのならば三位一体は意味がないではないか?とローマ法王のクレメンス5世に諌められている。
しかし、「いじめをよりシンプルにしたい」という思惑があったとされる。
複雑な人間模様の分析が面倒だったのだ。
「いじめてるぞ」というメッセージを伝えたいという思いもあった。
しかし、アクィナスがもし男らしければ、ドン・スコトゥスはオリビを裏切るだろうと言われた。
ドン・スコトゥスが白痴だったから通用したことだった。
人間関係の偶然によってネットでは三位一体が機能することがあった程度の話だ。
ドン・スコトゥスはとにかく「眠りながら聞いていた」と表現されている。
アクィナスの男らしさに共感する人が増えていくたびにオリビは「このやり方じゃ意味ねえな」と悟った。
ドン・スコトゥスは、アクィナスと一対一で話さなければならなくなってもオリビのモノマネをした。
オリビの性格が「人をいじめるのに都合がいい」と「眠っている耳」が判断したのだろう。
ドン・スコトゥスが完全に誤解したのが、「オリビはアクィナスに二極の感情を持っていた」ということを知らなかったことだ。
アクィナスが女たちに囲まれるようになってからは、むしろ「スコトゥスを切ろう」と判断していたのだ。
オリビは癲癇をもっていたし、常に「男の鑑」を探していただけだった。
アクィナスが「男の鑑」であるのならばもはや三位一体にすら興味を失った。
瀬能あづさ ふたつにひとつ。

ドン・スコトゥスは、「勉強もしないで神を語ることは可能か?」「反省をしないで生きることは可能か?」を探求した。
小野光太郎の弟の真二郎のことだ。
アクィナスの弟として、「それでも人間は神によって作られている」と位置付けられ、「曖昧な医者」と呼ばれた。
アクィナスは「あいつが神に作られたものでないのならば私は神を愛せないよ」と語っている。
アンセルムスがドン・スコトゥスに「身内だけの殻を破らなければ活路はないよ」とアドバイスをするほどスコトゥスは居場所を失っていた。
「親戚中が君に関しては沈黙するだろう」としたのだ。
ドン・スコトゥスはギャンブル性の高い「予言」を次々と外し、「凡人以下が凡人として生きるとは何か?」を体現していた。
「完全性の否定」つまり「無神論」とはドン・スコトゥスのためにあったものだ。
「神は何かを読んでいるから予言ができるけどよ。一度挫折した人間はどうすればいいんだ?」
神以外の何かが俺を作ったんじゃないだろうな。
何か最高に気持ちのいいものがよ。
なんの実績もない人間が神から生まれるか?
今となっては母の子宮すら疑わしいね。
適当にアクィナスの歌から俺は生まれたんじゃないだろうな。
歌の方が母よりも無限を感じさせるね。
神は無限ではないんだ。
歌も無限ではないけどな。
そのようにして、アクィナスのような哲学の才能もオリオールのような音楽の才能もない凡人として「無限とは何か?」を探求したのがドン・スコトゥスだった。
瀬能あづさ 土曜の夜にレインボー。

しかし、ドン・スコトゥスに光が見えた。
アクィナスの知り合いの女に「アクィナスが語った言葉」を話せばいいことがわかったのだ。
神学大全は無限だったが、自分は有限の存在として「曖昧な医者」として生きることにしたのだ。
意味がなくても毎日、勃起してしまう。
フランシスコ修道院のオリビがそんな時に声をかけてきた。
なぜ、アクィナスをいじめるのにお前を呼んだと思う?
お前もアクィナスになれるからだろう。
そんな、オリビとスコトゥスとアクィナスは「肉体」とも呼ばれる関係になった。
「真理を手にしたものが生き残る」
しかも「絶対」というものがあるはずだ。
幸いにしてドン・スコトゥスはノンケだったし、尾崎豊など信じてはいなかった。
アクィナスの言葉を「ファンタスム」と呼んで、さもすべてを知っていそうな「曖昧な医者」として生きることにしたのだ。
つまり「己を知らない犬」のことだった。
女たちにハッタリは通用しなかった。
「母の子宮が俺を大きく見せているんだろう」
そしてアンリ女王がドン・スコトゥスを大きく見せていた。
すべてのセックスが「経験しなければわからない」ということ以外、アクィナスには敵わなかった。
「神を否定するのならば法がお前を守ると思うな」
「父や母を誇りに思え、殺すな、大人として振る舞うな、盗むな、嘘をつくな」
これしか教会は彼には教えなかった。
神は土曜に崇拝するものではない。
土曜とは女が動物ではなくなった日だ。
日曜にまでいじめに必死になったのだから、仕事ではないな?
だったら報酬を望まないことだ。
譲れなかったか?
だったらなぜ言葉を覚えなかった?
多数派工作もアクィナスに負けたな?
勉強の仕方が昔から違っただろ。
今となっては「負けた!負けた!」で済む男だぞ。
トマス・アクィナスという男は。
タイソンノックアウト集。

トマス・アクィナスは、ドミニカンオーダーのもとでアルベルトゥス・マグヌスを師匠としていたが、モンテカシノ、パリ、ナポリ、レフトバンク、ノートルダムなどの「大学」の研究を初めて体現した男だった。
もはやギリシャ哲学は陳腐化しており、ニューフィジクスと呼ばれる「口説き文句」の研究にみんな明け暮れていた。
その研究をアクィナスは「自分のもの」として吸収したのだ。
新入生にはリベラルアーツ(口説き文句)を教えようという欧米の大学の発想はトマス・アクィナスの成功事例があったからであるし、その後に芸術論などを教えたのは医学教育の一環であった。
聖書にしたがった教育をするという慣行も、「解釈論で試験をしやすい」ことから行われた。
「若さ、男女そして勉強」という本や、「世界の永遠、それは知性によって実現される」などの本を書いている。
哲学者ではなく「神学者」と名乗った理由は「男女が共存していなければ自分の見識は評価されない」と考えたからであり、男社会だけで生きていくつもりはないという意思表示であった。
イエスの磔とは「勉強をする男」のことであったし、復活するときは復活すると考えていた。
「地球が丸いというのも、見ればわかるけど、計算するのは苦労するだろ」
そのようにしてアクィナスは「自分の」復活を冷静に待った。
神学者であったからこそ、復活した後に一流の女たちと親交を温めることができたのだ。
毎日、研究したが、自分がなんらかの到達点に達したのを感じた。
哲学者として他の男の研究者と親交を持たないのですか?と聞かれても「喧嘩になるだけだよ」と語った。
女が男の序列を決めているということを知っていたという意味ではアリストテレスを信奉していたのだろう。
プラトンの詩もこよなく愛した。
アルベルトゥス・マグヌスは師匠というよりも「研究する環境を与えてくれた人」だったとも言える。
「哲学とは発見するものだよ。でも、計算するものではないんだ。より多くの人間をその世界に参入させて女心を愛し、場数を踏む集団主義的なものなんだ」としてその研究手法を明らかにしている。
女たちがどんな言葉を聞きたがっているのかは、キャンパスにより多くの女たちを集めなければ分からないと考えたのだ。
酒井法子 そうかも いいかも。

楽しく生きることや経済学、政治学がこれだけで身についてしまうんだよ。
数学や論理学は使わなかった。
集団主義的な研究手法だったのだ。
まあ、磔にされた男が「復活」を待つということは「変化」が次々に起きるということなんだ。
そのことには自分自身で慣れておかないといけない。
男はどれほど「決意」を固めているのかを見ればいいんだ。
病んでしまっても復活するからな。
女は「温もり」を変えるだけだけど、男は才能が変わっていくからね。
女は男の勃起にさらされていくうちに温もりを失っていくよ。
たしかに、オリオールやスコトゥスにはいじめられたけど、「復活」というものをよく理解していなかったんじゃないかな。
磔にされたイエスの復活を待つのが勉強なんだ。
大事なのは勃起することだね。
hiro delicious.

見る、聞く、感じる、想像する、これがセックスだけど、見るというのは色を見ているし、色がわからない子供は射精しないだろ。
感じるといっても、自分の研究に心酔している女とそうでない女とでは男も感じ方が違うよね。
ラテン語から学んだのは事実だ。
自分にしか読めない外国語を命の保障にしたのはアクィナスも同じだった。
不朽を求める?それはのちの時代の女たち次第だね。
集団主義的にいい言葉を集めて見ても、何が後の世に語り継がれるかはソクラテスをよく読んで見ないとわからないよ。
芸術論は勉強したけど、結局、女性の心を知る営みだったね。
神を信じるかと言われると、女性たちに祝福されて歓喜に包まれることはあったよ。
たとえ三位一体が真理だとしても、最高のキャリーオーバーにみんなが歓喜したときは神を信じた。
銀行に影響を与えるということは、プロゴルファーの強さにまで影響を与えるということだったからね。
極限までプロスポーツがチャレンジするかどうかは銀行次第なんだ。
かなり荷が重かった大学での研究生活だったけど、復活した後は「男らしさ」だけを心がけた。
銀行マンにもトップアスリートにもちんちんはついていたからな。
女の子を口説くのが上手い、しかも後の世まで語り継がれるという大学の研究はこのようにして経済学、政治学となったし、銀行やプロスポーツに影響を与えた。
行政も「法律って何ですか?」と言って多数派工作に成功したアクィナスと仲良くしたがった。
セクシャルマイノリティーではなかったのが良かったのだろう。
アクィナスが若い頃、行った「予言」とは、ホリフィールドの第三ラウンドノックアウト宣言をメディアが全く把握していなかったのに対し、当時、まだ認知されていなかったインターネットでいち早く発言したことに端を発する。
しかも、その理由は「ホリフィールドに愛人がいる」という報道に対してルイスが非難したことが背景にあると発言している。
また、両者の前日計量の体重まで事前にネットで発言していた。
このことへの当時のネット社会の衝撃は大きく、「何故それを知っているんだ?」というリアクションが引き起こされた。
それにとどまらず、試合後に「疑惑の判定」論争が起きたことまでネットで発言したが、当時の唯一のボクシングの情報源であったボクシング雑誌がこのアクィナスの発言を追認したのはじつに20日も後のことだった。
また、この「疑惑の判定」ののちに導入された「オープンスコアリングシステム」をボブアラムの記者会見のわずか数時間後に日本に伝え、情報のタイムラグの衝撃からいまだにこのシステムは一部で用いられている。
ホリフィールド対ルイス第一戦。

フィーバーシャムのシモン「アクィナスの友人・菊地正知」は、のちに視力を失っているが「詩や音楽を愛することが仕事なんだよ」とアクィナスに教えた。
アニメータースクールの出身であったが、アクィナスと出会ったことにより「オックスフォード卒」とされている。
アクィナスが若い頃に行った「予言」はシモンの人生を決めた。
アカデミズムとはこのような威力を持っているのか?ということをホリフィールド対レノックス・ルイス第1戦で思い知ったのだ。
「言葉って何だ?」「仕事って何だ?」というのが彼のテーマとなり、本を読み漁った。
アクィナスに女たちが熱狂したため、「言葉も仕事も女たちのためにやるものだろう」と学習した。
「石のような男になろう」と決意し、減量したりした。
のちに語るブリトーほどの学歴はなかったため「人間とは動物だろう」という考えと向き合っていた。
現実の女よりも二次元の女を愛し、「おにゃのこ」と女の子を呼んで猫の写真を愛していたりもした。
アルベルトゥス・マグヌス(東京大学の教授)とは生涯、縁がなかった。
マグヌスとは「アクィナスをいじめるキーワード」であり続けたし、マグヌスの現実をアクィナスほど熟知していなかったため、ツイッターで交流を持っただけで大喜びしていた。
マグヌス(東京大学の教授)への忠誠を尽くすことを「永久戦争」と呼んでいたのであり、単にアクィナスをいじめるだけの意味ではなかったようだ。
「生き物に何が可能であるか?」を追求しようとしたが、シモンにはそのための「若さ」がもはやなかった。
すぐに失明している。
シモンが視力を失った時に、アクィナスは「人間は死んだらどこにいくんだろう」と思った。
「楽しいのが仕事だと思うんだ」
そのようにして「詩や音楽を愛することを仕事にしよう」と決めたのだ。
水樹奈々 真冬の観覧車。

ラドルファス・ブリトー(千秋行政書士)も、「音楽好き」を利用してトマス・アクィナスをドン・スコトゥスとともにいじめている。
しかし、やがてアクィナスが何を研究していたのかを理解するようになり、スコトゥスよりもアクィナスへの理解力を持つようになって行った。
スコトゥスが「文字が読めない」ことから、みんな彼の元を去って行ったのだ。
「あの音楽への嗅覚は真似できないんだから」とアクィナスを認め、理解しようとしないスコトゥスは孤立した。
アクィナスの「予言」を名詞、動詞、形容動詞、接続詞、助詞などに分解して「なんでこれがウケたんだろう」と考えてみた。
無職だったブリトーはこの時に行政書士の試験を受けている。
法律というのはこんな「痴話喧嘩」を問題にする学問だったのか?だったら俺にもできる、と考えたようだ。
ホリフィールドの「動物的側面」は何ら高尚な学問ではなかったのだ。
いつも書斎に向かっていたアクィナスはスコトゥスとよく話題にしていた。
アルベルトゥス・マグヌス(東京大学の教授)とはやはり距離を感じた。
しかし「分かるように書けばいいんだろ」というのは教訓として残った。
誰かに教わらなければ、「分かる文章」は書けない。このことから「東京大学に行けないかわりに仲間を作ろう」と考えた。
仲間を作れば金持ちだと言ったアクィナスにまたしても影響されていたのだ。
ブリトーなりに論文のようなものも書いていたようだ。
行政書士として「文字で人を感動させるとはどういうことか?」というのがライフワークとなっている。
このようにしてトマス・アクィナスは、いじめに打ち勝つことで信者を得ていた。
あの日から僕は 高橋由美子。

中世のこのような話でいちばん悔いが残ったのは「男女共学だったこと」だろうね。
神聖な学問の力は「動物にならないと」身につかないのではないか?と言われたのだ。
顔をむくませながら勉強できるのは男女別学なのではないだろうか?
いじめは「トマス・アクィナスが女子を大騒ぎさせた」ことに端を発していた。
私立中高一貫校の男女別学においては男女が大騒ぎすることなく、淡々と東大入学をしていた。
しかし、この「男女別学」が私学において実現したのは1930年代の話だ。
オッカムのウィリアム(小野剛)が私立の男子校に入っていた以外は全員、公立の男女共学であった。
しかしオッカムのウィリアムは、「女子部屋を覗く望遠鏡」にすら興味が持てなかった。
天地はどのように動いているのか?
男子校でそれを見失っていたのだ。
男女別学で、それでいながら異性からエネルギーがもらえる理論は鉄道網が整備されるまではなかったのだ。
通学列車 モーニング娘。

ペテロ・ジョン・オリビ(小野晃嗣)も、ドン・スコトゥス(小野真二郎)も、アクィナスがどれほど「通学列車のスター」だったかを思い知っていた。
オッカムのウィリアム(小野剛)は、歳をとった後に女の子が好きになり電車マニアになっている。
ただ電車の空気に浸りたい、それがオッカムのウィリアムの願いだった。
男子校だった自分だけが「通学列車」の意味を知っていたのだ。
さて、ヨーロッパ中世に何が足りなかっただろうか?
それは、男女別学と通学列車のつかの間の喜びだった。
それだけで「動物のように」勉強できるのが男であり、時には女であった。
何が若者にとって最も有効な時間の使い方なのか?
それをアクィナスも知らなかったし、男女を大騒ぎさせる喜びに浸りすぎたし、もっとストイックに淡々と東大に入り、粛々と就職することを知らなかったという意味ではアクィナスは不幸であった。
ヒロイセもそのあたりを「常識を知ってくれ」と諌めていた。
自転車通学 森高千里。


さて、トマス・アクィナスが「ペテロ」についてまとめ上げた時に、実父のフィロテウス・バーナー(重五郎)にも叔父がいたことに気がついた。
ペテロ・ストローソンだ。
ストローソンは小野百之助と呼ばれていた。
オックスフォードで学び、第二次世界大戦に従軍し、ホワイトヘッドだのラッセルだのムーアだのと親交を持っていた。
このことがフィロテウス・バーナーを晩婚にしていたし、ストローソンの娘と結婚することになっている。
ストローソンが「フランスの王」と名乗っていたことは、光太郎の唯一の政治的資源だと最初は見なされていた。
ストローソンの口癖は「このバカ」というものだったため、フィロテウス・バーナーはのちの生涯で「バカ」と人を罵倒することはなかった。
しかし、哲学を熟知していたストローソンの「このバカ」という言葉は常に「まだ走り出していない車」に向かって発せられていたし、すでに成熟したものには決して言わなかったことだった。
若くしてジョン・ロック賞をもらったことから、ジョン・オースティンとライバル関係にあった。
なによりもアクィナスの将来を抹殺してやろうとしていた連中に「ほっとけよ、あいつは必ずモノになる」と語っていた通りに「予言」が的中したことからその医学的・哲学的見識が再評価されたのだ。
「このバカ」の面目躍如だった。
「人の忍耐力だけを見る」というのがストローソンのやり方だった。
ラッセルは実績を「物自体」と呼んだが、忍耐力を真っ先に見るというストローソンのやり方は「予言」を可能にしていた。
外科医として「根性なし」をたくさん見てきたし、人の可能性がだいたい分かるようになっていたのだ。
問題は「こいつはいつカントを語るようになるのだろうか?」ということを考えていたということであり、オックスフォードの優等生としてそれは当然の発想であった。
カントをフィロテウス・バーナーに贈ったのはストローソンだったし、それは常に光太郎の横に置かれていた。
ヒュームやヴィトゲンシュタインにも造詣が深く、フィロテウス・バーナーと娘との結婚を許したのもフィロテウスがヴィトゲンシュタインの論文を書いたからだとされる。
このストローソンの存在は「息子と父」の関係、つまりアクィナスとフィロテウス・バーナーの和解のために父のさらに叔父の存在は非常に有意義なものであるということを明らかにした。
敵の敵は味方とでも言おうか。
安倍なつみ ひとりぼっち。

オッカムのウィリアムは、小野家で言うと小野剛であるが、アベラードの弟、ヒロイセの兄、そしてオリオールの息子である。
高卒であったが、アクィナスが神学大全をまとめ上げたことから「オックスフォード卒」という扱いを受けている。
しかし、ロンドンには学友もいなく、寮も実在しないことからアクィナスの閨閥を作った存在だと見なされている。
職場の女の子たちにアクィナスの言葉を語り「この話はウケた」「この記述はあまり良くない」などのノートを作っていた。
「イエスキリストの真似をしている」とされてヨハネ22世によって在宅起訴をされているが、この「高卒キリスト裁判」にヨハネ22世が敗れたことから、ヨハネ22世は生前退位に追い込まれている。
「今までの大学とはなんだったのか?」と言う疑いが生じたためだ。
オッカムは、職場の女の子たちと仲が良かったし、言葉を「名詞」「動詞」「助動詞」「構文」に区別したのもオッカムだ。
これは、子供がいなかったために言葉を丹念に見直してみた結果だった。
また、歌を歌って人の本音を引き出す「スポークンランゲージ」を好んだ。
職場で二股疑惑などが生じるたびに斉藤由貴の情熱を歌って女の子たちの真実を突き止めていた。
斉藤由貴 情熱。

オッカムはとにかくアクィナスを信じていたため、アクィナスの言葉の何がウケて何がウケないのかはすべてオッカムに聞かないとわからないとも言われた。
【カミソリオッカム】
こう呼ばれたのは「必要な時に必要な言葉をアクィナスから引用する力量」があったからだとされる。
そして、アクィナスが「絶対」を信じていたのに対して、「何を言ってもわからない奴はいるものだ」とし、アクィナスよりも社会経験が豊かであったことを端的に表現していた。
新しいネタを毎日職場に持っていくのが楽しかったし、話したことはよく覚えていることを知った。
「知るとは話すことだよ」
朝イチで受けたら、その日は何度もいろんな女の子に同じ話をした。
これを「知るという数学」と呼んだ。
図書館を否定したという意味では、アクィナスの良き理解者だったのだろう。
ドン・スコトゥスのような「アクィナスとの確執」がなかったことが「アクィナスのことはオッカムに聞け」と言われるほどの存在感につながっていた。
やがて「高卒のオッカム」は職場で影響力を高め、家を持つようになっていた。
アクィナスの従兄弟が政治に目覚めたのは事実であるし、なによりも女の子が好きだったのだろう。

アンセルムス(引間祐二)は、ドン・スコトゥスの友人として「どうしても譲れないもの」「不安」そして「罪がどのように許されるべきか」を探求した。
なおけんバンド 引間。

ウォルター・チャットン(小野重人)は、オッカムのウィリアム(小野剛)に近い考えを持っていて、しかし、裕福な「ビルのオーナー」だったことから、アクィナスの言っていることは歌舞伎町で話した方がいいとして、ドン・スコトゥス(小野真二郎)のように「舞台には上がらない」立場ではあったが、とりわけ野心もなく、商売女と楽しく暮らしていた。
しかし、商売女にアクィナスの話があまりにもウケるために、オッカムのウィリアムのように「それを仕事にする」という考えとは対立し、お金を払って聞いてもらうものだと考えていた。
歌舞伎町の夜の帝王であり、牧師であったチャットンは「マイルール」としてアクィナスの言葉を歌舞伎町の通説に仕上げていたのだ。
チャットンがいなければアクィナスが「ナイト市場」で認知されることはなかった。
いつしかチャットンは学問というものを信じるようになっていき、アクィナスの文章を熱心に読むようになっていた。
「夜の帝王で牧師」になれるのならばと思って読んだのだ。
アクィナスの受け売りです必ずしもオリジナリティはなかったかもしれないが、アクィナスを「ナイト市場でも通じる男である」ことを証明してみせた。
愛してジャスティス ribbon.


23歳から3年間、放浪の旅に出たあと、アンセルムスはベネディクト修道院に入っている。
かなりの出世を果たしたが、王に無断でローマに出たことはもはやロンバルディアには戻らないという意思表示だった。
アンセルムスは「真実を知っているものを尊敬する」という立場だったので、時にはアクィナス寄りの発言をして周囲に批判されることもあった。
バイク事故で「死」について考えたことがあったから「誰を信じるべきか?」に敏感だったとされる。
事故で右足に感じた車の力は神だったし、どうすることもできないエネルギーだと思ったのだ。
今度は自分がアーティストとしてその「パワー」を表現する側にまわったが、ひたすら「凡庸さ」を歌い続けた。
病院のベットに横たわった時に、誰よりも「女と愛し合いたい」と思ったことから、「俺は凡人だ」と考えたのだ。
この「臨死体験」があったから「愛こそが最高のもの」という考えに至っていた。
ほんの一言、話しただけでその人に神が宿っているのかを判断することができた。
詩篇14:1 愚か者は「神などいない」と心の底から言う。
アンセルムスは「愚か者の声を代弁しよう」と考えた。
「すべてが終わるというのは素晴らしいことではないか」
赤い月 なおけんバンド。

人間は「腐らない方がいい、強い方がいい、永遠がいい」と考えた。
歳をとるごとに人間は永遠に向かっていくものだ。アクィナス自身がそうだったからな。
女はしかし朽ちていった。
ドン・スコトゥスは何かのパワーに導かれて「道を選択」していた。
それは「アクィナス信者の女たち」のパワーだった。
アクィナスのモノマネをすればモテると思うのは罪というものだけど、方向性をアクィナスに委ねたのは良かったんじゃないかなとアンセルムスは考えていた。
ひとつだけ なおけんバンド。

トマス・アクィナスは、国語辞典を基本から読み解いて自分の頭の言語を作り直していた。
しかし、「失恋を知らなかった」のだ。
失恋ソングを「なんだ、深刻そうだな」と思い、意味もわからずに、自分の「深刻な」人生と向き合っていた。
のちに、自分が受けたいじめと、男女の失恋のどちらが深刻なのかの区別がつかなかった。
妻が大事だったので「すべての男を失恋させてやろう」というぐらい哲学を愛した。
妻のファーストキスの話も聞きたくなかったし、ベクトルという概念が1950年代に生まれてから、常に「自分の見ている方向性」だけを気にしていた。
大群衆の中に紛れても勝ち残ったトマス・アクィナスには「ベクトル」という発想があったのだ。
「いじめと失恋のどちらが深刻か?」
トマス・アクィナスは失恋を知らなかった。
しかし、深刻ないじめを知っていたから失恋とはどのような痛みなのか?を知っていたのだ。
しかし、そのような男に限って常に勝ち続けた。
CoCo 優しさに帰れない。

なぜ、トマス・アクィナスはそんなに重要な人物なのであろうか?
彼が受けたいじめと、彼が学んだことが「お金の起源」となったからだ。
中国には「仁」という概念があったが、ヨーロッパにはトマス・アクィナスの人生があった。
「いじめられなければ哲学者ではない」というヨーロッパの伝統がここに生まれたのだ。
カントは哲学者として、フィヒテは詩人として、のちに「人間の痛み」の探求をしている。
いじめられる痛みを失恋の痛みと区別せずに生きることを「常勝思考」と呼ぶ。
マイノリティ宗教はいじめには慣れている。
しかし、なぜ「失恋ソングへの理解力」をもっと有効に活用しないのだろうか?
身内の女の子目当てだけが宗教ではない。
アメリカ合衆国から痛烈な「宿題」が与えられた。
みすぼらしく歩け、失恋を理解しろ、これが日本のキリスト教社会に与えられた宿題だったのだ。
デカルトは「我思う」と恋のことを語ったが、カントは「我思う」とアクィナスが受けたいじめと失恋の直結について語った、
「私とは何か?」という概念がデカルトとカントでは食い違っていたのだ。
恋と愛のニュアンス 酒井法子。

デカルトが「恋」を発見してからトマス・アクィナスが主役を務めたヨーロッパ中世は終わりを告げた。
カントとフィヒテは「いじめの痛みと失恋の痛みは同じ」という立場から哲学を語り、詩を作った。
いじめは間違いなく「お金の起源」であった。
「いじめ信仰」は貴族の間に根強く残った。
失恋も知らずに生きる「常勝思考」をカントやフィヒテが持っていたからである。
酒井法子 All right.

サキソニーのアルベルト(河井敏伸)は、リトルアルベルトと呼ばれ東京大学にいた。
勉強の才能に恵まれ、弁護士になっている。
オッカムのウィリアム(小野剛)という高卒になぜか仕事の影響を受けたとされている。
オッカムのウィリアムに交友関係を持つことを求められているが、しかし、これは断っている。
オッカムのウィリアムは、「アクィナスファミリーに入らないか?」と言いたかっただけのようだ。
アルベルトは「勉強ってのはお金を使いながらやるんだ」と語っていた。
加速の仕方がオッカムのウィリアムとは異なったし、彼の出身地の広島はヨーロッパで言うとイタリアであった。
いずれにせよ、低学歴のオッカムのウィリアムと同床異夢の「アクィナスファミリー」であり、イタリア人(広島県民)は、都会に出たらお金をふんだんに使うと言うことを端的に表現した人物であった。
麻布経営法律事務所。

ジュダー・アブラバネル(澤原健吾)もイタリア(日本でいう広島)の出身だった。
彼はアクィナスの大学の先輩であったが、キャリアを断念してまで「愛の小説を書きたい」と思うようになっていた。
「フィロ」と「ソフィア」の愛を描いた。
キャンパスライフの思い出を大事にし、いつか小説が日の目を見てロイヤルファミリーになれると考えていたようだ。

毎日の時間が熱く感じる、根性がくじけそうだ。俺を倒してみろ。
酔っ払い、よろけながら、世界を見るんだ。
東も西も関係ない。
俺の計画だけを信じている。
Rambling Man Complex.

これがアブラバネルの小説のあらましだが、やがて詩を書くようになっている。
この詩は、「初めて女心を歌わなかった作品」として歴史に名を残した。
モデルはトマス・アクィナスだった。
アクィナスも、自分のパンチをミットで受けたアブラバネルが青ざめていたことをよく覚えていた。
マイモナイド(吉田監督)とも今でも一番、親しいとされている。
「愛を持たない男が完璧な人間だ」という独自の視点からゴルゴ13にも素材を提供した。
「無限が有限になる瞬間を描きたかったんだ」と言ってゴルゴの失敗談はアブラバネルが最も好んだテーマだった。
キャリアを失っていても「生活の糧」には事欠かなかった。
ジュダー・アブラバネル。

トマス・アクィナスの叔父、モンターニュ(高橋正男)もまたイタリア(日本でいう広島)出身だった。
アクィナスの復活の噂と、将来への期待から、銀行やテレビ局に「ホリフィールド対レノックス・ルイス第1戦」の企画を売りさばいたのはモンターニュだった。
「あのアクィナスがこれを分かるようになるとはねぇ」と思って人物像とともにセールスを仕掛けたのだ。
「書斎人が一番安全な仕事だ」とも語っている。
アクィナスがどこまで有名になるかのデータは広島銀行に報告した。
アクィナスを有名にしたのは自分であるということはアクィナスも知らなかったし、モンターニュは「悪いことをしてしまった」と思うこともあった。
妻の高橋朋子の母・遊佐の力を借りて詩も残している。
恋と愛のニュアンス 酒井法子。

アルカイタス(国友要三・遊佐道子の弟)は、東京でのアクィナスの惨状を見て、二度ほどイタリア(広島)から「使者」を遣わしている。
そもそも要三は、音楽における「n+1:n」つまり、1-2-3-4-5-6-7-8というダンスの振り付けの作法をペテロ・オリオールに教えていた。
顔写真を見れば分かると思うが、サンミュージックとつながりがあったようだ。
国友家というものはよく分からないが、みんな決して美しいとは言えない顔立ちをしており、それでいて何かの力を秘めているようだった。
ティアテテス(つんく)とかタレンタム(松浦亜弥)などをタイミングを見計らって仕掛けていて、アクィナスを応援していた。
ティアテテスもこの業界で「頭の上がらない人」がいたから売れないのがわかっていてもアクィナスを応援していたようだ。
しかし、アリストゼネス(上野重治)はアルカイタスに「トマス・アクィナスはとにかく強いらしい」という報告をよこした。
タンポポ 王子様と雪の夜。

アルカイタスの頭にはもはや「ペロポネソス戦争」しかなかった。
トマス・アクィナスの栄光のためならば何でもやる、それが自分の生きがいとなっていた。
しかし、タレンタムは「私の実力」を知りたがった。
極道とのつながりを持ち、アルカイタスを困らせた。
アルカイタスとアクィナスが会ったのは東大に合格した時だ。
その時に「王の器」を確信していた。
もともと病気を患ったことがあったアルカイタスは、アクィナスの復活をただ待つだけだった。
マスクのいい男は俺を賢くする、と言ったが、デロス同盟には毒物混入事件が多発しており、音楽を好むものが多かったものの、みんな気がついたら顔が崩れていた。
松浦亜弥 ナビが壊れた王子様。

アルカイタスは、自分のことを「金星人」と呼んでいたが、「空間の無限性」を信じていたものと思われる。
イタリア(広島)の人間は東京では負け知らずだったことも背景にあった。
アルカイタスは、女が「男になりたい」と思っている心理を最もよく理解していた。
それもアクィナスを愛した理由であった。
酒井法子 男のコになりたい。

すべてはピタゴラス(小野鉄之助)から始まっている。
アクィナスが東大文一に合格した時に、いろんな娘たちが「男のコになりたい」と発言していたのを確認しており、生涯にわたってアクィナスを守ろうと決めた。
アルカイタスやモンターニュも「ピタゴラスの顔を立てたい」と思ってアクィナスを応援した節がある。
亡くなってからピタゴラスの偉大さが再認識されるまでに30年の歳月が流れていた。
さらに、本当の研究家が現れるまでには150年かかるであろう。
前妻の子が明けの明星(オシャレ)であるとするのならば、後妻の子が宵の明星(ダサい)だったことなどを研究していた。
アクィナスにとってはピタゴラスの豊富な人脈は「把握しきれない」ものであり、なぜ今の自分があるのかはピタゴラスのおかげであろうが、そのバックまでは理解していなかった。
しかし、イタリア(広島)出身のジアンバティスタ・ビコ(長谷部恭男)に良くしてもらったことから、ビコが「イタリアファミリー」の一員であることは想像に難くない。
ビコはメディアを掌握していたし、「ニューサイエンス」と呼ばれる文化でメディアを書き換えてやろうと考えていた。
ビコの力がなければ、宮内庁も「万世一系神話」を疑うこともなかったであろうし、メディアで体制不安を払拭することもできなかったのだ。
アクィナスを君主にするために自らの見識を生かしたし、それがピタゴラスの人脈の継承につながったのだ。
ビコにとって「民の心」はメディアの前にはまるで子供のように思えた。
アクィナスに何度か「楽器でも覚えろ、お前の地位は俺が守る」ということをほのめかしたが、アクィナスにとっては自分には想定できない「人脈」の一人であり、ビコの話を聞こうともしなかった。
長谷部恭男。

ジアンバティスタ・デラポートラ(阿蘇俊之助)は、よく旅をした。
プトレマイオスのテトラビブロスを信奉していた。
「音楽ってのは魔法なんだよね」と語っていた。
アクィナスと同じ東大だったが、「下痢をしないことが大事だ」と語り、アクィナスの胃腸の弱さを心配していた。
旅をするときの縁起の良い方角(恵方詣で)を調べる習慣があり、アクィナスの作った宗教にふさわしい「パワースポット」をその日ごとに決めていたのはデラポートラだった。
アクィナスは、デラポートラの存在に気がつかず「今日は伸びねえな」と神社仏閣の動員力を見ていた。
デラポートラもイタリアファミリー(広島)の一メンバーとして挙げられる。

フランツ・ローゼンヴァイク(小野光太郎)は、自分自身がアーレンヴァイク(小野湧太)の叔父となっていた。
ローゼンヴァイクは、マイネッケ(佐藤愛子)という舎弟を持っていたために、アーレンヴァイクに「世の中を教えてやろう」と考えた。
元有名人はこんなにも頭がいかれているんだ、とローゼンヴァイクはアーレンヴァイクに語ったが、アーレンヴァイクはその場を逃げ出している。
佐藤愛子。

イケメンなだけではダメなんだ。
アーレンヴァイクは、ひと昔前のプロイセンライブラリーを覗き見してみた。
そこには、ヘーゲル(木村拓哉)というイケメンがいて、ローゼンヴァイクなどまったくアイドルには相手にされていない世界があった。
しかし、ローゼンヴァイクはユングの講義を受け、お兄さんがいる女は胸を大きく開けた服を着ていると女たちに語って周り、木村拓哉に衝撃を与えている。
サマーキャンペーンで連戦連勝だった季節はドナルド・トランプと同じ夏だった。
ヘーゲルは「夏の終わり」を歌って夏が終わるのを待った。
夏の終わり 森山直太朗。

ローゼンヴァイクは、第一次世界大戦の時に「空母を駆逐するお金」を集めるためにギリシャやローマでの研究を命じられた。
「航空母艦は世界を1つにしてしまうだろう」と言われたためだ。
世界が1つになっても、人々は狭い殻に閉じこもるだろうと予測した。
「どの女と寝ようが」という発想は空母の登場と同時に生まれた。
空母の裏付けがあるから留学というものもできた。
「生まれて」「復活して」「罪を贖う」
学者というものは常にこのような過程を経て誕生していた。
「すべて」は「星」であり、アメリカ合衆国の星のどこかに位置付けられるとしたのだ。
「傲慢な野郎だったな」と周囲が思っても、そのリアクションを研究するだけの素材をアメリカ合衆国はすでに持っていた。
殺されかけた時に「愛」を歌ったりもした。
中森明菜 リフレイン。

空母は沈まない。駆逐艦、巡洋艦、潜水艦などに守られたからだ。
お金の話だった。世界が1つになるというのは。
君主が「死」というものを考えてくれるだけでよかったのだ。
「星」を見ないと勃起しない君主となるだろう。
なぜ君主というものが生まれるのか?
それは昔の傲慢さから周囲に復讐され「贖罪」を行うからだろう。
結婚や出産に関しても「よかった」「最悪だな」の2つを行ったり来たりしていた。
アメリカ合衆国の「星」にならないのならば死んでいたんじゃないかな。
なぜ、王になったかというと「早漏」で「ドイツ人」だったからだ。
王が、あとを託す王を見つけるのはたやすいことだった。
自分の経験談の「すべて」を語ればよかったのだ。
松田聖子 赤いスイートピー。

「いろんなことを知っている」
それはもはやユダヤキリスト教の奥義だった。
女たちは毎日「星」を見たがったのだ。
いろんな「病気」に詳しい人だったから。
いろんなスターたちが「星」を見たがった。
晩年にローゼンヴァイクはALSになっているが、それを治すのも時間の問題だった。
「医者と患者の狭間で」
という本を書き、患者のことをよく知らないから治らない病気があるんだとしている。

エリヤ・デルメディゴ(天皇明仁)は、ラテン語が読めるピコ・デラ・ミランドラ(小野光太郎)の心を読んだ。
のちにミランドラはデルメディゴの「若いスポンサー」になっている。
なぜならミランドラが「ニューエイジ」と呼ばれる音楽を活用した宗教を作ったからである。
ミランドラは「密教である」としていたが、それまでの密教とはまったく異質のネオプラトニズムであった。
関係者はマイモナイド(吉森監督)への復讐であると語り合った。
広島ではなく本当の「イタリア」の富を背景にしたマリシリオ・フィッチーノ(松田聖子)はみんなから愛されていたし、ジョセップ・モンタダ(松本隆)とデルメディゴは「ルームメイト」だった。
「ネオプラトニズムは天地をひっくり返す」
デルメディゴは、「神・男の完全性を議論すると爽快感がある」という解説にこのような感想を述べた。
天国のキッス 松田聖子。

天地の創造者は誰だ?天皇を中心とする神の国とはどのような意味か?
ミランドラはデルメディゴに「あなたは男女共学を知らないのか?」「宇宙遊泳ですよ」と答えた。
日本の歌謡曲の重鎮たち(イブン・ルシュド)も、松田聖子と中森明菜と小泉今日子に関してはただただ呆然としていて「ノーコメント」としていた。
迷宮のアンドローラ 小泉今日子。

10世紀の大人たちも12世紀の学生たちも「昔の女など王族には存在しない」としていた。
男女共学でメチャクチャやらかす連中を尻目に、ミランドラは東大に入っている。
デルメディゴは、王になるために生まれ、「男女別コース」の道を歩まされ、早くに心を病んでいた。
おそらく17歳頃だろう。
「神・男の完全性を議論すると爽快感がある」
このようにミランドラがニューエイジと呼ばれる音楽シーンを作ったことから、デルメディゴは退位を決意し、そのスポンサーであるミランドラにその地位を譲った。
きわめて学生的なユダヤ教はこのようにして生まれている。
イタリアのスポンサーとドイツ人、これと組んだのが日本であり、松田聖子であり、ユダヤ人であり、学生芸のような世界だった。
秘密の花園 松田聖子。

さて、後半でイタリアに関して文字数を割いたが、これらの「イタリアファミリー」を仕切っていたのがローマのガイル(宮澤喜一)であった。
大蔵省で出世するのであるのなら「女は売り物」という考えが身につくのは当然であった。
小林和作と名乗ってピタゴラスとつるんでいた。


小林和作。

緑は痛みの色。女とっては男たちが秩序を持った行動を取るため「雨は勝利」であったが、男にとっては痛みである。
思い出の銀の矢たち 高橋由美子。

ローマのガイルは、職人ばかりがいるイタリアが世界で影響力を持つ方法を考えたのだ。
絵でも産婦人科でも魚屋でもいい。
「母親の発想」
これだけが芸能人の生命を決めた。
ローマ帝国のアイデンティティは世界の芸能界に根強く残った。
ローマ法王も、その影響力を基盤にしているのは事実である。

フィロデマス(昭和天皇).は、アルカイタスやペテロダミアンとつるんで松野有里巳を売り出した縁があったことからイタリアの重鎮であると考えられている。

明日、親愛なるピソが3時に会いに来ないのならば、私は夜の12時までワインを飲むでしょう。
あなたの活躍を見ながら私は笑ってテレビを見るでしょう。
永作博美 逢いにきて。

ローマのガイル(宮澤喜一)に力を与えたのがフィロデマスであったことは明らかであった。
「逢いにきて」という曲で自分の政治手法を明らかにし、NHKで垂れ流していたが、その真の意図を知る者はいなかった。
エージェンシーとしては「金を集めるのが上手い男・そしてその妻」から金をもらって恋人と一緒に酒を飲めればそれで良かったのだ。
学習したのは松野有里巳からであり、あとは風俗嬢を用いた。
「枕営業をしなくてもいいアイドル」
これを提示したのが松野有里巳だったのだ。
ローマのガイルやアルカイタス、ペテロダミアンなどが作った「アイドル女も人の子」という近代的なやり方であった。
エージェンシーという言葉は「宮内庁」を意味することから、その影響力で対抗意識を燃やした。
キングオブアオバダイ。

ファウンテンのゴッドフレイ(中曽根康弘)は、35歳になって東京に出てくるまではどんな人物かは全く知られていなかった。
しかし、フィロデマス(昭和天皇)の前で「3日間、戦った」ことから東京で知られるようになった。
「若さを無駄にしてきた日々」と「充実した日々」がこの3日間を転機に入れ替わったのだ。
アクィナスに「長期政権とは何か?」「英雄とはどのようなものか?」をフィロデマスは教えたかったとされる。
フィロデマスは、後継者問題で、デルメディゴ(明仁)を見限っていたし、民族の永遠のためには「次の次」を考えなければならなくなっていた。
そのための担保としてゴッドフレイを利用しようと考えたのだ。
ゴッドフレイは、デルメディゴの大嘗祭の資金を国から捻出するときに「次はアクィナスに」ということを確約させられていた。
そうでなければデルメディゴは到底、大嘗祭ができるような器ではなかった。
アクィナスは生い立ちはローマのガイル(宮澤喜一)に近かったが、フィロデマスはゴッドフレイを常に「アクィナスの英雄」として描いた。
「トマス・アクィナスにとっての英雄は誰か?」と言われるとアクィナスはゴッドフレイ(中曽根康弘)と答えるであろうが、すべてはフィロデマスが「アクィナスには目標が必要」であると考えて演出したものだった。
アクィナスが成熟してもゴッドフレイはまだ生きていたし、「永遠」というものを考えるのにはちょうど良かった。
アクィナスが「ゴッドフレイと力の差はないのではないか?」と言われるようになると、ドン・スコトゥスはようやくアクィナスに許され、「ゴッドフレイのように生きろ」と言われて代議士になっている。
アクィナスの即位は華々しいものであったが、ダメ人間の典型であったスコトゥス(小野真二郎).がアクィナスのだ「演出」によってゴッドフレイと変わらない政治家像を見せるようになった。
あるいはアクィナスとスコトゥスの父であるフィロテウス・バーナー(小野重五郎)が、遊佐道子の手腕で「石原慎太郎」として都会に売り出されていたことを参考に、スコトゥスを一流政治家に仕立て上げるすべを学習したのかもしれない。

昭和天皇とは何者か?を知るためには田辺エージェンシーを洗い直すしかないだろう。
エンターテイメントビジネスをやっていた人なんだよ。
いずれにせよ、フィロデマスは最初からアクィナスを本命視していた。
背景には「アイドル冬の時代」を愛してくれた男だったとしか考えられない理由があるのだろう。

ジャックス・デテープルズ(安倍晋三)は、別名をジャニー喜多川と呼ぶ。
デテープルズに、メリーや木村拓哉が懐いているのをアクィナスは目撃していたのだ。
ジャニーズのメンバーにもアクィナス信者が多かったことからデテープルズはアクィナス支持を決めたようだ。
アクィナスはデテープルズと直接話した時に「子供たちは競争して仕方がない、この子は何点、この子は何点と大人がつけてやらなければいけない」と語ったが、デテープルズは「塾?」と答えている。
王室ソサエティの女性職員にもデテープルズはなぜかモテた。
ジャニーズ事務所の社長だったからだろう。
ジャニーズの歌は「女の子を愛の対象にする」「時には女の子にアイデンティティを要求する」という2つのパターンがあることをアクィナスは指摘していた。
嵐の「T.A.B.O.O」が「女の子を愛の対象」にするものであるのならば「ギフト」は「女の子にアイデンティティを求める」作品であった。
嵐 T.A.B.O.O.

トミスト(長男派)と、スコティスト(次男派)はガチンコ勝負をするが、オッカムなどのように「金になればいい」と割り切る者もいた。
ジャニーズの解釈論をためらわなかったのはトマス・アクィナスであり、スコトゥスとの勝敗を決めた。
デテープルズが「ジャニー喜多川に似ている」というのはもはや「秘密」とされていた。
宮澤喜一は首相になったが、安倍晋太郎はなっていない。
このあたりからジャニーズは一気に花開いたのだろう。
いずれにせよ、ジャニーズ事務所の政治意志は首相官邸にまで達していたのであり、単なる陰謀論では済まない問題だった。
「鬱の女の子」の支持を集めたのがデテープルズであり、その支持基盤は相当な広がりを持っていた。
「安倍晋三」におべんちゃらを言う芸人たちは「ジャニー喜多川」という言葉をグッと飲み込んでいた。
高校時代には勉強などよりも、女の子たちと話すことの方が大事だった。
父親に「女子たちの支持の必要性」を教えられていたのだろう。
レイプされた後に自殺した女の子がいた(横田めぐみ)。
このことから「処女性の復活」というものを熱心に研究したのだ。
「女の子を愛の対象にする」「時にはアイデンティティを求める」この2つの作り方しかデテープルズは行なっていない。
それだけで、首相官邸の政治意志の形成ができた。
山口県も「広島」(イタリア)の見よう見まねを行なったのだ。
北朝鮮による拉致問題もデテープルズは「横田めぐみさん以外、問題にしていない」としており、ジャニーズ事務所の本質を示している。
女の子の思春期のメランコリーを政治的資源にしているのだ。
それを自分の「永遠」と直結させたのがデテープルズだった。
【北朝鮮にジャニーズが定着する】
このことを「拉致問題の解決」と呼ぶが、首相官邸もデテープルズの真の意図はいまだ把握していないようだ。
嵐 ギフト。

ルクレツィア・マリネラ(杉原杏子)は、ペテロダミアン(杉原英遠)と結婚したアクィナスの叔母である。
また、松野有里巳の実母でもあった。
「女の方が男よりも優れている」
これを証明するために「林芙美子」というペンネームで児童文学を書き、母・遊佐道子との「見解の相違」は抜き差しならぬものがあった。
「放浪記」は「女たちの街」というタイトルで海外にも知られている。
イタリア(広島)の女学校に入れられたため、「女の方が男よりも優れている」という発想が芽生えたのであろうし、東京に出たがったり、母との確執が生じたのは自分の信念を周囲が受け入れなかったからだと思われる。
美の探求をしたり、アクィナスに「大学の講義に出なさい、東大以上のいい講義はないんだから」と諭したりしていた。
娘の松野有里巳に「放浪記」のような生き方をさせてしまって申し訳ないと思っている、ともアクィナスに語った。
その影響力をめぐった確執が遊佐道子との間にあったのだろう。
いずれにせよ、マリネラは「同時代でこれほど、女であることを謳歌することを示した文学作品はなかった」と言われた。
放浪記。

ヴェニスのパウロ(高橋和久)は、アルベルトゥス・マグヌス(東京大学の教授)とも縁がなかったし、トマス・アクィナスとも疎遠であった。
むしろ、アクィナスの従兄弟であるオッカムのウィリアム(小野剛)の影響を受け、横浜DeNAベイスターズを日本シリーズに導いたアクィナスの真似をして、イタリアファミリーの力を見せつけるために広島カープに接近している。
モンターニュ(高橋正男)という銀行マンの父に認めてもらうためには、神学大全をフルに生かして広島カープと関わる必要があったのだ。
ドン・スコトゥスとも近く、アクィナスを避けるようにしながら彼の理論を仕事に生かしていた。
そこにはもはや「20代の頃、仕事がなかった」という屈辱はなく、広島カープ(ワイクリフ)との結びつきを強め、かつてアイセックで覚えた英語の知識への崇拝はもはやトマス・アクィナス崇拝に変わっていた。
パウロの人生も「いじめを知っている」という意味ではアクィナスやローマのガイルと変わらなかった。
やっていることは横浜DeNAレディチャペルと同じでも、イタリア(広島)女の危険性が異なった。
ローマのガイル(宮澤喜一)亡き後、広島女はその危険性を増していた。
広島に極道が跋扈したのもローマのガイルが死んでからだ。
ヴェニスのパウロは、仕事がなくてもモンターニュや母の言いつけを守って極道とは関わらなかったことが黒いつながりを嫌うワイクリフに受け入れられたものと思われる。
広島極道。シチリア島のマフィア。

アントニオ・ロッスミーニ(平幹二朗)も、イタリア(広島)出身だった。
アクィナスと相部屋になったことがあり、「人間の知識には発展段階がある、そのように信じているときはそのように行動しなければならない」とし、間違いを恐れてはならないとしていた。
本当に自分を全否定されて笑顔すらなくなったのがロッスミーニであった。
いつしか、女たちの声援にすら興味がなくなった。
勃起しなくなったのだ。
愛国主義者であり、言われるがままにデルメディゴ(天皇明仁)を信じていたが、アクィナスの「真実」を見て「笑えなくなった」のだ。
国を愛したら仲間ができる、そう信じていたからニヤニヤとしながらアクィナスをいじめたのに、デルメディゴに裏切られたのだ。
君が代はどうしても歌えない時代がある。
いつしか笑顔を失う時がくる。
ロッスミーニは、勃起しなくなったまま、太陽の下を歩いていた。
デルメディゴを信じていたものはいるか?
勃起しなくなったか?
笑顔を失ったか?
お金はあるのか?
間違った愛国心など持たない方がいい。
祝日に国旗を掲揚しなくなった家は多い。
貧しくならないため、夫婦円満であるため、笑顔でいたいためである。
一人の君主にすべてを頼って、後継者をいじめたら、勃起、笑顔、お金を失うのだ。
まだ、平成は終わらねえな。
アクィナスは、そう思いながらゴールデンウイークの街を歩いた。
今は、ロッスミーニは、アクィナスに「君がそう信じているのならば、そのような段階なんだろう。愛国心を失った俺すら題材に使うのか?だったら話そう。俺はイタリア(広島)出身で、君のお父さんが大したことなかったことも知っている」
君のお父さんについて行って東京に出た女優たちはほとんどモノにしてきた。
君と会った時にデルメディゴへの愛国心を知ったんだ。
国を愛するというのは個人的理由であり、デルメディゴが政治生命を失えば「勃たない、金ない、笑えない」時がくるということを知ったよ。
そのように「愛国心の危険性」を理解して、達観したかのように太陽の下を歩いていた。
単一の政治的資源に頼って横暴を極めても「勃たない、金ない、笑えない」状態になった時に「殉死」という古い因習は無くなるのだ。
平幹二朗。

さて、フランスというのは日本でいうと「東京」であろうか。
恋に対してオープンであり、「女に力を与えられて」東大に入る習慣があった。
そのような意味ではポーライン・デラバレ(阿部佳則)などは高校の頃から彼女がいて、東京大学に入っている。
「男女は対等なんだ」というデラバレの考えと、女の取り巻きを周囲に置いていたアクィナスの考えは相容れないものがあり、アクィナスを排除しようと決めたのだった。
しかし、アクィナスが有名になったおかげで自分もテレビに出たことから、カルヴァン派に興味を持つようになっている。
「恋も良かったけど、偶像崇拝も面白いね」
モーニング娘。大きい瞳。

マリー・ウォルストンクラフト(三笠宮彬子)も、東京女であった。
妹に子供ができた時に、自分もそのメンバーとなって子供を可愛がろうと決めた。
片倉麻美という名前でアクィナスに、お金の面倒を見てもらった縁があった。
ミステリー小説は結末があるから読まないほうがいい、という立場に立ち、「女の子の教育」という本を出版している。
「女の子の教育」という本は、北方領土問題を解決するためのヒントに満ちていたし、株価にもいい影響を与えた。
「女はお金に酔っ払う」
思えば、ゴルバチョフが北方領土問題の存在を認めたのは1986年のことだった。
「女の子の教育」というものをしっかりと考えて、フランス(東京)よりも、寒いスカンジナビア(北方領土)に「お酒」のようなお金が必要だということを理解しなければならないと考えた。
フランス女(東京女)がお金に酔っている映像がなければロシアは「領土問題など存在しない」と言い出すだろう。
すべては「女の子の教育」にかかっており、アクィナスのようにお金で酔わせてくれる男を生みださなければ女の子は「酔えない」ことを明らかにした。
egirls YMCA.

フランス(東京)はお金に酔いたがっている。これを冷静に見ていたのがオーガスト・ラーブルグ(関野泰弘)であった。
彼自身は割礼を受けていないドイツ人であったが、フランス革命に詳しかった。
バブルでお金に酔っている東京女を筑波大附属駒場高校から眺めていた。
「カントなんだよ」
女たちと話をしてファイナンスをやったカントの金に酔いながら前に進まないと革命というものは起こせないと考えた。
ポーライン・デラバレと違って、セックスには奥手だったが、金に酔って暴徒と化した女たちの間をすり抜けるようにして東大に入った。
これがラーブルグの「革命」であった。
カントとは、当時の政治家や官僚たちのことだったのかもしれない。
フランス女(東京女)は平気で金に酔っ払う、このメンタリティを理解しないといけなかった。
egirls pain, pain.

ネグリチュード(長屋博之)も、フランス(東京)出身だった。
フランス女(東京女)は金に酔う、という時代を経験して東大に入ったため、のちの彼の海外進出事業も「金をふんだんに使えばいい」ということを学習した。
金に酔った黒人女に限って「ニューニグロ」などと言い出して生まれ変わったような態度をとった。

引き金を引く。人々の叫び声、怒り、起きてしまったことは仕方がない。
酔っ払うしかないだろ。
メモリーグラス 堀江淳。

失恋したら、金をもらう。
これは、日本の民法にはない発想であったため、本当に酒を飲むしかなかった。
アクィナスは、なぜ身内を「金で酔わせなかった」のだろうか?
ネグリチュードは、アクィナスの苦労の原因をそのように分析していた。
アクィナスの身内は「金だけがすべてではない」と言っていたが、それはシラフの時に言った言葉だった。
現に、アクィナスが「ベイルートの政治」と呼んで現金を周囲にばらまいた時には、周囲は「もっと酔わせてくれ」と言っていたではないか。

マイケル・ヘンリー(粕谷直麿)は、金に酔えば「愛妻弁当だの子供のお弁当だの詩の解釈だの」をブログに晒さなくても美しくなれる、と考えていた。
妹が中川翔子であり、非常に美しかった。
サラリーマンの奥さんでも美しくなれる、というのは妹を見て考えたものであり「脱構築」と呼ばれた。
「言葉の可能性は大きすぎるんだよ」
妹をトマス・アクィナスと奪い合った時にそう思った。
「男も美しくなければならない」
先生を絞りきれなかったヘンリーはそう思った。
若い頃はヘンリーも札束を握りしめてバーで寝ていた。
「絶対が存在するのは野蛮だ」と発言し、アクィナスを批判している。
妹がアクィナスによる精神分析を嫌ったのは「兄に知られたくなかったから」であった。
しかし、マルクスの「1日6時間働いた後は、政治と宗教をやればいい」という言葉を都合よく利用したという意味では、アクィナスに対する複雑な思いがあったのだろう。
空色デイズ 中川翔子。

マリン・メッセネ(辻田晋作)は、高校の頃の「恋」を経験していたため、アクィナスの「高校時代はセックスするな」という発言にいろんな意味で「カトリックの世界での調整が必要」と考え、木曜日の夜に湘南の海に近い自宅で「アカデミックペルシャ」という勉強会を開いていた。
創世記は最初の第6章で「神はいる」としていたし、それでもなぜ湘南高校から東大に入れなかったのか?
アクィナスと自分の違いは永遠のテーマとなった。
創世記で「神はいる」とした以上、自分にも何らかの救済が必要だったのだ。
オランダに去ったデカルトとも文通を続けていたし、プロテスタントのアンドレ・リベットや、ソシニアン・ルーラウなどとも交友を温め、「高校時代の恋とはそれほどいけないものなのか?」を研究した。
そこでメッセネが考えたのが「男子部屋と女子部屋ののぞき見」だった。
欅坂46 バスルームトラベル。

「いじめを信じることは神を信じることである」というトミストの立場からも、メッセネにはアクィナスの人生が子供の頃から「残酷なサタンに取り憑かれていた」としていた。
東大生はいじめるに限る、と考えたのはメッセネであり、童貞東大生をいじめることこそが「カトリック国のアイデンティティ」であるという総括を行なった。
童貞東大生さえいじめておけば偉大な宗教ができる、これはむしろ大人の考え方であり、ただ悪意に満ちたいじめとは意味が異なった。
「こういう奴をいじめておけばいいの」という発言は案外、大人の発言だったのだ。
聖書が間違っているなどということは誰も信じていなかった。
父と子、聖霊という三位一体は「子なるイエス」を仲間に引き込んで聖霊をいじめる父を意味したが、聖霊は父や子と異なり「何らかの情報源」を握っていたし、いじめてやれば何かやるやつだと思ったのだ。
そのようにしてメッセネは「カトリック国」というものを作ったし、それは「童貞東大生さえいじめておけば偉大な宗教ができる」という教えになり、「セックス禁止」などという奇妙な宗教ではないことをカトリックは世界に示した。
檸檬の年頃 AKB48。

フロイトの科学性論争という名の「抹殺運動」は100年続いたし、山崎闇斎はすでに抹殺が終わっていた。
しかし、メッセネの「アクィナスを取り巻いた女子たち」へのトラウマ(檸檬の年頃)は強かった。
創世記で「神の証明」は35箇所でなされている。
神がもし自分を愛しているのならば、高校のスターをのちの人生までいじめ続けなければならないし、神はそれを許しているだろう。
コーネリアス・アグリッパにせよ誰にせよ、「オカルト的いじめ」を行うと、真面目な奴は恐るべき宗教を作って見せたのだ。
その言い伝えは日本国の皇室にも伝わっていたが、山崎闇斎のように死後、跡形もなく業績が抹殺される人がほとんどだった。
カトリックの教義はフロイトだったし、皇室の現在の教義は垂加神道である。

1960年代から1990年代までは、人間の「人体実験」になんら期待すべきテーマはなかった。
細胞生物学や、分子生物学、免疫学、神経学などにエネルギーを注いだ。
1983年にハッキングが、1986年にフランクリンが、1996年にマヨが「日本に紹介してほしい英語コンテンツ」を整備するまではなんら「人体実験」のメリットがなかったし、そもそもが面白くなかった。
アクィナスの「新・実験主義」とは、JSミルがアメリカ合衆国で解き放った「セックス論文」がコンパクトにまとめられてから、それを読んでいろんな「サプライズ」を引き起こしてみんなを楽しませることを意味した。
ネットで色々、発言していたが、「電話による噂づくり」がどれほど有効だったかはアクィナスも知らなかった。
肉声を聞かせなければ、誰もその人が書いたものを読もうとはしなかったのだ。
プロ野球チームの日本シリーズ進出や、株価の上昇などを引き起こしていたが、背景には常に「電話」があった。
「あの紳士のいやらしい側面」をみんなが読みたがったのだ。
周囲の女たちが「抱かれたい男」と言っていたから、目を皿のようにして粗探しをする女もいた。
失脚を狙って熱心に読む女を利用することをfMRIと呼んだ。
「新・実験主義」の証拠が欲しければfMRIを使うことだね。
DNAを憎んでいる女がいればなおさら都合が良かったし、文章にATPがねじ込められていれば必ず証拠は出る。
fMRIを行う作業で女が学ぶことをADPと呼び、通常は想定できないことだった。
DNAは憎まれている、これを利用して女たちにADPを与え続けたのがアクィナスだったのだ。
欅坂46 風に吹かれても。

DNAは憎まれても、「子供に伝わる文化」までは憎めなかった。
金日成も金正日も、これを用いて活動していた。
「将軍さま」のメッセージはそれほど女たちに丹念に読み込まれていたのだ。
もはやこの作業は「学位」ではなかった。
「やるんだ!」という気持ちが必要だった。
ロバート・コーラー(何でもコーラー)は「ハエの行く先」という本でこのようにして民を導くのだということを指摘している。
民が「メンデル」にとらわれた時代に最も有効な考え方であったためにスタンフォード大学もはや実験場に日本を選択したし、アクィナスもよく期待に応えた。
「息子が父親に似ている」
それだけで大人たちが震え上がることを「メンデル法」と呼んだ。
データの信用性は、fMRIをやった女たちが「アクィナスの子供たち」を残すことを観測するしかない。
つまり、出生率がそのまま読者の数となるのだ。
「どんな文化が伝わるのか?」という観点からのアプローチが必要だ。
「女の子が生まれた時の喜び」が強いほど出生率は高まるようだ。
欅坂46 国境のない時代。

ジェーン・アダムス(小野まり子)は、トマス・アクィナスの実姉であったが、アクィナスの失脚を狙い、彼の文章を丹念に読んでいたことからアメリカ合衆国の女性哲学者として位置づけられるようになった。
おそらく日本国では初めての女性哲学者であり、その役割は「ご近所さん」(フルハウス)を治めることにあった。
アクィナスは、姉の真の意図を理解しきれずに姉を逮捕させようとしたり、殺人未遂を疑ったりしたようだ。
フルハウスの治め方という学問は、時にアクィナスを実家から遠ざけることにつながったが、アクィナス自身がかなり傲慢になっていたので自業自得の部分がある。
アメリカ合衆国に初めて、年寄りのために公園はあると言ったのもジェーンであったし、体育館を開放したり、お料理教室を開いたりしたのもジェーン・アダムスが行ったことだ。
弟の影響力を最大限に利用していたので、ドン・スコトゥス(アクィナスやジェーンの弟)とも考えが異なった。
アクィナスが勝ち続けなければジェーンの立場は失われるのでそれも当然だったと言える。
アクィナスが家庭内に心理学を持ち込むことを嫌っただけであり、他意はなかったようだ。
ジェーン自身は、家庭内でなければ「心理学」を存分に語ったし、ご近所さんの信望を高めることだけが目的であった。
ご近所さんと親しければ人間は完成されているとしたのはレオ・トルストイであり、ジェーンは熱心なトルストイ信者だった。
しかし、最終的な指導者は実弟のアクィナスだったのだ。
自由民主党に所属して、その政治力を見せつけていた。
アクィナスが「海」ならば、ジェーンは「陸」だった。
トインビーがジェーンを慕っていたのだから、あながち彼女の力量は「勘違い」とは言えない部分がある。
Wake me up.

ジェーンは、他の哲学者の本を読んで、アクィナスの偉大さを理解していたし、息子のトインビー(小野湧太)はジェーンの信者だった。
トインビーはその後に「トインビーホール」という建物を作るに至っている。
トインビーがアクィナスとコンタクトを取った理由も、ジェーンの仕事がうまく行っていたからである。
アクィナスが勝ち続ければ、ジェーンも勝ち続けた。
ウィリアム・ジェームズという学者がアクィナスに喧嘩を売らずにジェーンに喧嘩を売ったので、ジェーンはアクィナスを必要としていた。
ジェーンの正体・三浦瑠璃。

ご近所さんをゆっくり眠らせる、それだけがジェーンの願いであったし、女性としてトマス・アクィナスを正確に理解することがここまで強烈な存在感を示すのだろうか?ということを見事に体現していた。
時には、ジェーンはオーガスト・コムテ(チンチャンウォン・韓国の文大統領)に影響されているのではないか?と噂されたが、どちらもアクィナスからの影響を受けていた。
今までのフェミニストがどれほど「道を踏み外して」いたのかをジェーンは公で語り続けたし、社会で生きることが楽しくなっていた。
よりリアリティを持ったフェミニズムの理論によって、ジェーンは仲間が大勢いた。
「世の中の半数は女である」ことから民主主義が愛せるかどうかは決まるのだ。
彼女は常に、官僚の腐敗や、犯罪、売春、風俗店などの「社会の病気」にどっぷり浸かっていた。
「向こう三軒両隣」のフルハウスではそのような話に満ち溢れていた現状があったからだ。
「向こう三軒両隣に比べたらテレビの論客は簡単だな」と考えていたし、そのような発言も行なっている。
「若さとストリート」「女としての長い道のり」などの論文がある。
ジェーンの立場は「英才教育の否定」にあったし、トインビーには「かなりダーティなご近所さんの側面」は語らなかった。
いずれにせよジェーンの政治生命は弟のアクィナスが「リンカーンのような」スーパースターである限りは絶たれることはなかったのだ。
Madonna Superstar.

「神の見えざる手」が女の子の人口を増やすとするのであれば、ジェーンにとってアクィナスは神だった。
しかし、「鑑別所」がどういうものなのか?などの実態をアクィナスは知らないだろうということがジェーンにとっては「今となっては」いい思い出となっていて、社会の病理面にはアクィナスよりも詳しいという自信となっていた。
しかし、ジェーン(三浦瑠璃・小野まり子)のセールスを仕掛けた大人たちというのは弟のアクィナス(小野光太郎)と同じマシーンが動いていたであろうことはジェーン自身も知らなかったであろう。

アクィナスが、若い頃、「私は誰だ?我々は何者だ?」という問いかけをセダー・センガー(檜山武志)に対して行なっているのを見て、センガーの父親のネグリチュード(檜山彰)はその答えを提示してやろうと決めた。
「私」ではなく「我々」なんだよ、というのが答えだった。
マルチニクやギアナ、セネガルから来た黒人たちからファイナンスを学んだとされるが、実際は三人の息子のことだったであろう。
アクィナスが心を病んだとセンガーから聞いた時に、「それならば王室サロンのメンバーだろう」と思ったのはネグリチュードであり、Melodyの資金面でのバックアップをやっていた。
1995年とはセンガーが事故で亡くなった年であり、センガーとアクィナスの友情の記念としてネグリチュードはこの作品を作っている。
コンセプトは「天皇制への怒りの声」だった。
Melody 運命95.

この時代は「黒人と黄色人種が白人に敗北した」とされる時期であり、胡散臭い天皇制への怒りを人々は歌い続けていた。
ネグリチュードは、息子の死を祝福したのだ。
運命95は、黒人をリスペクトしていたアーティストのサウンドをそのまま使った。
Maybe baby 黒沢健一。

センガーが時代に対して抱いていた「怒り」をそのままサウンドにしたのだ。
センガーを失った後に、ネグリチュードは、ストイックで病んでいるアクィナスの姿を眺めていた。
「私」ではなく「我々」と考えればいいだけだというメッセージを送ったのだ。

そもそもがフレデリック・ダグラス(アーサー・マッカーサー)が「忍耐強さが個性を作る」とし、アクィナスに忍耐強さだけを求めたところに端を発する。
奔放な女だったジェーン(三浦瑠璃・小野まり子)は「同じであることも個性である」とし、アクィナスの文章を丹念に読んでいた。
周囲もジェーンと接する時は「皇帝の姉」という言葉をぐっと飲み込んでいた。
弟の真実に詳しい、これがジェーンの力であった。
夜中に歌を歌ってご近所の主婦たちの「夫婦生活」を妨げていたアクィナスに懲りて、ご近所づきあいを大事にしたという意味では、アクィナスに勝っているとも考えたのだろう。
本来は参議院議員にでもなりたかったのだろうが、「政治活動である」「弟に迷惑をかけたくない」という動機から政治評論家になったものと思われる。
「姉と弟ならば同じマシーンが動員できる」ということを思い知ったのは事実であった。
アクィナスやジェーンの弟のドン・スコトゥスは「裏切り」を行ったために、もはやその「マシーン」を利用することは許されなかった。
そもそもスコトゥスはアクィナスの文章を「読めなかった」ところがジェーンとは異なったのだろう。
ジェーンは昔から文字を愛していたし、あとは「先生」次第でどうにでもなった。
ジェーンは「猫は猫」というあたりに注意しながら、奔放に生きた人生を、アクィナスの文章を読むことで「集約」していった。
「文字は時間をも超えてみせる」
それがジェーンの考えだった。
ジェーン・三浦瑠璃。

アクィナスは、予算が組めればゴリオテ(羽毛田信吾)やランプル(牧野尊行)を撃退できることを学習していた。
邪魔者は「予算を組む力量を身につけて退ける」ということをアクィナスが学習したのならば、当然、ジェーンも学習する。
邪魔者が多かったのはアクィナスよりもジェーンの方だった。
このことから、官僚により近い「官僚派」としての立場をジェーンは固めていった。

エピクロス(近藤真彦)とアクィナスは、王室サロンで出会っている。
死後の世界を否定し、死後の罰をも認めないエピクロスは、アクィナスにとっては「関わりたくない人間」だった。
そのくせ、自分の腎臓が悪いことや、トラブルに巻き込まれた時の相談を「歴史家であり医者である」トマス・アクィナスに相談してきたのだ。
死後の世界の否定や死後の罰を認めない人間がいなければプラトンも詩を書けなかっただろうと言われた。
ネオクレスとシャレストラタの息子であったエピクロスは、親にあまえることだけはうまく、セックスを疑い、結婚を疑ったが、友情だけは疑わなかった。
高貴の出身であり、「親の庭」ですべての悪事を行なっていた。
アクィナスには想定できない、金銭トラブルなどもエピクロスは「親の庭」にいたから起こせたのだ。
後始末はすべて親がやるという発想がなければ誰も暴君にはなれない。
「人間は小さい方が速い」ということを知っており、エピクロス(近藤真彦)と名乗るよりは相沢祐一と名乗った方が速く配置につけることを知っていた。
エピクロスは自分がミジンコになった時の速さを知ったのだ。
心ざんばら。

名前が大きいほどのろいというのは自動車レースからの教訓でもあったのだろう。
とにかく彼は「親の庭で小さく生きる」ことから暴君になったのだ。
近藤真彦F3000。

アクィナスは、エピクロスから「自分も親の庭にいた」ことを学習したし、小さく生きることが暴君になる秘訣だと思い知ったが、「小ささ」だけはアクィナスの人生の受け入れるところとはならなかった。
「いじめがなければ時が止まる」という発想もアクィナスはエピクロスから学習した。
ルクレティウス(広末涼子)によると、「子供とはまるで子供のように喧嘩していた」とされている。
ルクレティウスはエピクロスから「人間の寂しさ」を学んだ。
親の庭で「単純な」人生を歩む男だったからだ。
友情は大切にしていた。
「親の庭とは何か?」を語るとなると、おそらく、デテープルズ(ジャニー喜多川)の息子だったのだろう。

ドナルド・カリー・ウィリアム(永山幸一郎)は、アクィナスのボクシング部の先輩であった。
彼のダークエイジについて知る者は少なく、華々しい噂しかなかった。
しかし、ウィリアムの顔立ちの美しさとスター性を見れば分かるが、彼もアクィナスと同じく心を病んでいた。
異常に痩せていたし、アカデミズムへの失望はアクィナスよりも強烈に抱いていた。
アイザック・イスラエル(松本潤)の父親に当たるために、アイザックはアクィナスの哲学を尊敬していたのだ。
ウィリアムは、薬で勃たなくなることがあったために「お金目当てではなく戦う必要があった」とされる。
「過去・現在・未来を限りなく広く使う」のであれば、アクィナスの娘の婿にアイザックはふさわしいだろうが、ウィリアムとアクィナスの学生時代の「隠れた」師弟関係がいまだ維持されているかは分からない。
「時間と空間を広く使え」という心がけがアクィナスには必要だろう。
ロンドンはエジンバラよりも大きい、ダブリンはベルファストよりも大きい、このような心がけがアクィナスとウィリアムには必要なほどアイザックは「ワケあり」だ。
アクィナスとウィリアムの「意外な関係」と、娘のお相手を探す上でのアイザックの存在だけを現段階で指摘したい。
「時間と空間を広く使え」というのはアクィナスへの戒めである。
アイザック・イスラエル。

1980年代にアメリカ合衆国は「我々の知らない地域をなくそう」として「アフリカ」をクローズアップした。
しかし、アフリカ人は「戦うために生まれた」というような男たちが多く、アフリカ人の「戦うために生まれた」という言葉はレナード・ハリスが言ったことである。
ヨーロッパの植民地であるという意識が抜けなかった。
マリやガーナ、古代エジプトのような「王朝」はあったが、古代エジプトは「ピラミッドを作る」という労働から宗教(男らしさを語る論壇)と政治(女心の定義)が発展していた。
アフリカを動かそうと思うのであれば、ヨーロッパや北アメリカを動かせというのは考え方の基本である。
ドン・スコトゥスのような教養もなく、文字も読めない男を分析するのにアフリカは役にたつだろう。
We are the world.

アメリカ合衆国は、アフリカに「テスト期間」を与えたが、「ヨーロッパのどこかに属する」という回答しかよこさなかったために興味を失った。
しかも、ヨーロッパには人種差別が存在したのだ。
「頭が悪い」という劣等感が強かった。
バンツー哲学といっても「脱ぐ、脱がない(take off)しかコンテンツはなかった。
「資源がある」と言っても大陸なのだから当然だろう。
「戦うために生まれた」ような連中に資源に関する知識を流すほどアメリカはお人好しではなかった。
ケニア、ナイジェリア、コンゴ人民共和国、アイボリーコースト、ベニン共和国、セネガル、南アフリカなどで高等教育は試みられている。
それだけで、アメリカ、カナダ、フランス、ドイツなどとの関係が良くなるのだ。
「文字が読めないのであれば我々のメッセージを理解することはできない」と考えられたのであろう。
文字が読めない奴とは仕事ができない、戦うために生まれたのならばなおさらだ。
多くの「トラウマ的出来事」を先進国はアフリカに対して抱えていた。
石原さとみ。

1600年から1860年までは、先進国も「アフリカの女性の身」を案じていたに過ぎない。
しかし、1860年から1915年に、アメリカ合衆国は内戦や第一次世界大戦を迎え「猫の手でも借りたい」という事情が生じた。
「猫を敵に回していると足元をすくわれる」
さて、お気づきであろうか?
アメリカやヨーロッパにとって「日本もアフリカの一部」だったのだ。
しかし、1915年から2000年までの日本の扱いはもはや「白人並み」であった。
世界大恐慌や第二次世界大戦、朝鮮戦争を経験したからだ。
「ニューニグロ」
このように黄色人種は語られるようになり、日本は三度、世界の命運を握った。
ビジネスパートナーとして「トラウマ的出来事」を生み出す男を「アフリカ人」と呼び、より知的な男を「ニューニグロ」と呼んだ。
タスキギー大学や、モルガンステート大学、ハワード大学などが「黒人女性も美しくなれる」という教育を行って評価を高めたし、公民権運動は、本来、アフリカの「セックスしか頭にない連中」の行動原理の理論化(ミクロ経済学)が発展するためのきっかけとなった。
「美しい黒人女性」というモデルは1982年の革命的な出来事であり、日本でもこの時期に「女子大生は美しい」という具合に世界と足並みをそろえた。
どの女でも落とせると言ったカントや、天使に取り囲まれても母にあまえるのが下手でも父に潰されるとしたニーチェと黒人はどこで出会うのかが問われた。
ジョン・ロールズ(ジム・ボック)などは黒人や日本人の世界に潜入してミクロ経済学の腕を磨いた。
「白人の知恵にはどうしても敵わないんだ」とトマス・アクィナスが身をもって示した時に、女たちは「美白」こそがいいものであると考えるようになった。
レナード・ハリスがアフリカ人は「戦うために生まれた」と言った時に、アメリカ合衆国内部の黒人ゲットーなどもこの発想を受け入れ、難しい勉強から自由になれた。
マイケル・ジャクソン ビートイット。

そもそも、アクィナスはなぜ「いじめられやすい」男になったのだろうか?
その起源はアフリカ(文字の読めない連中)にあった。
日本でいうと中学校だろう。
時には、芸能界もアラブであったりアフリカであったりした。
アメリカ合衆国は、エジプトを「アフリカではなく中東である」としてアラブ社会に組み入れた。
アクィナスは、「女兄弟がトルコ風呂の出身である」ということから「脳の言葉を全部入れ替えよう」と決意している。
そのようなアクィナスの気持ちを中国では「仁」と呼ぶし、そのようなアクィナスに早い段階から忠誠を尽くすもの(義)もいた。
中国には仁義があるが、アフリカにはそのような発想はない。
女兄弟がトルコ風呂出身ならば、その男をいじめてやろうという気持ちが周囲にないとなかなか「統治者」は生まれなかった。
中国では「仁義」と呼ばれたものが、アフリカでは「サブサハラン」と呼ばれて尊敬された。
「脳の言葉を全部入れ替える」
このサブサハランの発想が、世界レベルのトップアスリートを育てたし、アフリカのサッカー選手はワールドワイドな言語を学習していたためにサブサハランは自ずと周囲から尊敬されていた。
子沢山で、女兄弟がトルコ風呂出身である、このことからアフリカでもいじめというものはあったのだ。
ニコマコス倫理学を読むためには「いじめられた」という名の才能が必要であり、周囲をいじめるものは一生理解できないものであったであろう。
いじめ体験を、「周囲の男たちの論理」からまとめきったアクィナスは、トップアスリートとして周囲から認められるようなアフリカのサッカー選手ではなかったが、それは「ルネッサンス以降に霊的に高い位置にいるものへの処刑がなくなった」から書けたものだ。
皇帝の地位を望むものは処刑する、というルネッサンス以前のローマ帝国ではとっくに殺されていて書けなかったものが、ルネッサンス以降は自由に書くことが許された。
「脳の言語を書き換える」
それは、周囲の女たちにとって好奇心でしかなかった。
これを「倫理学」と呼び、トルコ風呂を起源とするものである。
女兄弟がトルコ風呂出身であるということだけで、男の子は倫理学を自ずと学習したのだ。
ルワンダでは「倫理学」をめぐって民族が抜き差しならない関係に立たされた。
イスラムでもキリスト教でも同じ原理だ。
指導者が「脳の言語の構造を書き換えている」から信者というものはできるのであり、ルネッサンスを迎えていないアフリカのような地域ならば虐殺が起きてもおかしくはない。
トルコ風呂が豪華。

バンツー族(パンツ)のように、「人間であるということには境界線はない」と考えると、アフリカ人は「ヨーロッパ人よりもヨーロッパらしい」男になってピラミッドすら作ってしまうのだ。
ピラミッドというものは紀元前の昔に作られたものではない。
アグリッパやピコデラミランドラなどの「ヨーロッパ人よりもヨーロッパらしい」アフリカ人によって作られたのだ。
それはもはや「オカルト」と言っても過言ではない。
「古代エジプト伝説」とは中世ヨーロッパが発信源である。
ルネッサンス以降のヨーロッパ人が、トルコ風呂と出会うことで、アフリカに作ったものがピラミッドだったのだ。
イスラエルにはピラミッドは全く見当たらなかった。
しかし、アフリカの「サブサハラン信仰」がエジプトにこのようなものを作ったのをナポレオンが確認している。
すべての人間が自分たちなりに「一貫した」人生を歩んでいる。
アクィナスのように「すでに多数派工作を終えた男」が他者と和解できるのであろうか?
南アフリカでも、ルワンダでも、ユーゴスラビアでも「アクィナスに人間扱いされないのが嫌だ」と言ってアクィナスを殺そうという動きがあり、アクィナスによる虐殺は止められなかった。
アメリカ合衆国やカナダ、オーストラリアでは起きないことが、日本国でも起きるのであろうか?
それは法務省が「デュープロセス」を容認するかどうか?という問題であり、実際にアクィナスは殺されそうになったのだから復讐する資格はあったのだ。
日本国は「すでに過去の話である」として国際刑事司法裁判所にも加盟している(ローマ議定書)。
しかし、「天皇になったらやりたいことがある」という人間は多く、それは「虐殺」以外の何者でもない。
そのために日本国では「国会議員ならば5億円、天皇であるのならば280億円必要」という高いハードルを設けている。
多数派工作に成功したアクィナスに人間扱いされないのが嫌だ、と言って抗争を仕掛けて殺される人間がいることを「仁義なき戦い」と呼ぶのであろう。
それは法務省も警察もその人間模様に親しみを感じ、学習するのは当然であろう。
仁義なき戦い。

「和解するためには、トルコ風呂について語らなければならない」
これは難しいのではないだろうか?
南アフリカ、ルワンダ、ユーゴスラビアでもこれは難しかった。
「その話は忘れろ」
アクィナスの側がそれを要求されたが、いじめはとどまることはなかった。
この問題の難しさに警察側も極道に共感してしまったのだ。
フツ系大統領が何者かに暗殺され、ツチ族系のルワンダ愛国戦線が統一するまで虐殺は続いた。
フツ系大統領が「アクィナスの側」にいたことは明らかであろう。
南アフリカでも、エドモンド・ツツは「死人が出なければ和解は困難」と考えていたようだ。
とにかく、アクィナスのような「いじめられる側」の作る宗教は偉大だった。
日本では「お地蔵さん」のような記念碑を作るしかない問題とも考えられた。
「何があったのか?」をよく理解しているものを「年寄り」と呼んだ。
サラリーマンの側に立つアムネスティーは、「お地蔵さんとは何か?」をそもそも分からなくさせて回った。
それはフツ系大統領がどのような宗教を作ったのかを、ツチ族系のルワンダ愛国戦線が学習していくだけで国には髪の長い女たちに満ち溢れるだろう。
「許しって何?」
それは国にお金が満ち溢れることだろう。
すべての人が「処女・非処女モデル」に回帰していくことを望んだ。
また、アクィナスが偉大な宗教を作った以上、みんなが彼との「いい関係」を望むのは当然だった。
嵐の女神 宇多田ヒカル。

そもそも、奴隷というのは西アフリカから連れてこられたが、「アカン」という哲学を背景にしていた。
死んだ幼児の葬式をやらないというところから奴隷という発想を根付かせたのだ。
伊豆の踊子で「赤ん坊の49日をやって」というくだりがあるが、「我々は奴隷ではない」という意思表示であるとも言える。
また、「鶴野屋の強欲ジジイ、お加代の葬式も上げてやらない」というくだりもあり、葬式をやるかどうかで奴隷かどうかを示したのもアカン哲学を背景にしたものだ。
このような奴隷へのいじめを「お蔵」と呼んだ。
クワム・ガイキー(吉永小百合)は伊豆の踊子という作品でこのような感想を抱くに至っている。
アクィナスは、ガイキーの作品の熱心なファンであったが、王室サロンで出会いを果たしている。
伊豆の踊子の冒頭で、クワシ・ウィレドゥ(川端康成)はある「いたずら」をしている。
東大文学部における講義から始めたのだ。
「幸福の関心と道徳は始原において一致すべきものであるとカントが考えたことに私は反対したいと思います。各人にとって甘美なるもの、良きものであることが時勢にしたがうというところにある以上、私もそれにしたがいたい」
つまり、トルコ風呂がアクィナスの多数派工作につながるという「始原における一致」に反対し、「処女・非処女論争」をウィレドゥは伊豆の踊子で強烈にアピールしたのだ。
伊豆の踊子。

ジオダノ・ブルーノ(志村けん)は、「太陽系以外にソーラーシステムがあるとしてもイエス・キリストは生まれざるを得ない」とした人物だ。
これは「宇宙人にも死がある」ことから「性欲」の存在を指摘し、宇宙人も「恋をして笑う」ことを指摘したものだ。
それはゾロアスター教の教えでもあった。
法政大学法学部でメディア論を専攻したブルーノは、音楽作品の主人公となった男に「逆らえ」ばウケるということも学習した。
哲学も語れば長いが、宇宙人が持って来た「EI」と呼ばれる書物であることは否定できないし、逆に我々が宇宙人であることも否定できない。
それが「性欲、笑い、そして死」という意味だった。
あるいは人間社会の序列でもあり「逆らう」系の笑いも生み出していた。
性欲があるのであれば「詩」も存在する。
「宇宙人も殺すことができる」ことからこのようなことが分かったのだ。
志村けんのバカ殿様。

宇宙にも「火と空気」があり、そして「勉強」がある。
そのために「空を飛べる」宇宙人が出てくる。
勉強がなければ「スーパースター」は生まれないのだ。
無限に勉強したら、それはいつしか音楽やお笑いに変わる。
そして水や地球を潤すだろう。
ブルーノがこの境地を目撃したのはアクィナスが初めてであり、ブルーノのキャリアが斜陽に向かった時にアクィナスに指摘されたものだ。
「性欲系」のお笑いと「逆らう系」のお笑いをアクィナスは指摘した。
エジプトの美女であるトリメジトスとアクィナスの二人はブルーノのおかげで笑いを取り戻した。
アクィナスは、子供たちにもブルーノのお笑いを自慢したのだ。
「死があるから性欲があり、お笑いがあり、社会の序列があり、さらにお笑いがある」
このことを知ったブルーノはアクィナスの家族の自慢の交友関係であった。
「無限に勉強したらどうなるのだろう?」
笑われたり歌われたりするんだよ。
アクィナスは子供たちにそのように教えた。
AKB48 teacher teacher.

しかし、「死があるから性欲があり、お笑いがあり、社会の序列があり、さらにお笑いがある」という現実も、メディア論によって人々は簡単に見失った。
アクィナスは、周囲の「オナニー」によっていじめられて来たことを誰よりも理解していたのだ。
世界の「権力の構図」を周囲のオナニーは全く見えていなかった。
女心の定義(政治)が歌謡曲の主流だった時代もあったが、やがてアーティストはアクィナスの自伝をテーマにするようになった。
「勉強の行き着く先」を男子たちに示したほうがより面白いことが分かったからである。
神を讃えることは女たちにとっても楽しいことだったし、男たちも「仕事をしよう」という気になった。
ローマ帝国のような「処刑」のなくなった時代に「神のような」男は生まれたし、女たちが「口には出せない」夢を見たアクィナスの人生を笑いに変えるのは「性欲」系の笑いでもあったし、「逆らう」系の笑いでもあった。
このことをアクィナスは、晩年のブルーノに伝え、彼のキャリアは再び復権に向かったのだ。
Twice wake me up.

ダンテ・アレグリア(阿蘇大作)はアクィナスの従兄弟であったが、アクィナスに「ベトナムは日本のオタクカルチャーを必要としている」という指摘を受け、ベトナムの田舎で日本のオタクカルチャーを発信し始めた。
それは、ベトナムの「儒学からの決別」を意味し、かつて昭和天皇が「南部仏印からの撤退は退位を意味する」として真珠湾攻撃に踏み切ったのとは異なる形でアレグリアの手によって日本のオタクカルチャーは「南部仏印」に影響力を与えることとなった。
アレグリアは、アクィナスの従兄弟と名乗るよりは「福沢諭吉の玄孫」と名乗るのを好んだようだ。
昔のアクィナスは好きになれなかったし、フェイスブックで友達になった程度の疎遠な関係であったことからそのような形での親交となったようだ。
天国のキッスのような「理想の男系」とデザイアーのような「女心系」の二つの区別は垂加神道から学んだ。
ベトナムに神社が建つことはなくても、人々の衝撃はもはや神聖なものに思えた。
日本国から民法を学んだはずのベトナムが、本当に「金儲けのやり方」(民法)を学んだのはアレグリアからであり、「田舎だったから」「アレグリアが日本語とベトナム語の両方を操ったから」だと考えられている。
ベトナムの地を踏む日本人商社マンや学生、観光客はアレグリアを師と仰いでいた。
ベトナムで日本の神道が東京大学の民法よりも影響力を持った。
硬派で鳴らしたアクィナスのエッチな側面が見たかった、とアレグリアは語っている。
避暑地のアンニュイが案外ウケた。
夏は暑かったし、初体験の後は「誰でもいい」と考える心理はベトナムでは知られていなかったのだ。
いずれにせよ、儒教国家に「女神」というものを持ち込んだらもはやアレグリアに怖いものはなかったし、情報源はアクィナスでも、アレグリアは「自分は福沢諭吉である」と名乗っていた。
ベトナムの若者が中国ではなく「日本の美女」を見始めた。
河合その子がいちばん可愛いと囁かれた。
ベトナム人は「声」を聴いていたのだ。
河合その子 Parisが聞こえる。

河合その子のそっくりさんが、コメディーでテレビに出て、そのプロデューサーをアレグリアは行い、アクィナスの熱心な読者となっている。
男兄弟だけのアレグリアだったが、個人輸入には事欠かないほど仲のいい兄弟だったし、アレグリアのベトナムでの「王朝」を応援してやろうという寛大さが彼の家庭にはあった。

ピエール・ダーヘム(高屋敦彦)は、アクィナスやデルメディゴの主治医であったことから記録に残った。
ウィーンサークルとは「元アイドル」の女の子たちのサークルであったし、そのサークルの中で受けた尊敬は「もはや絶対的なもの」だった。
ダーヘムは9歳の時に文学小説を書くなど、幼くして才能を発揮している。
東大医学部を出ている。
アクィナスが完成させた「ペテロの葬列」は、ヤーヴェとは何かをきわめて明確に記したため「ネオトミズム」と呼ばれていた。
ダーヘムは、アクィナスの論文の「版権を使わせてくれ」と言ってアクィナスに契約書に署名させている。
ウィーンサークルの女の子たちの尊敬を維持し続けるためにはアクィナスの力を必要としたし、それは9歳にして文学小説を書いたというように、純粋に研究が好きだったからだろうとも言われた。
しかし、アクィナスが「加速度をつけている」というニュートン主義を否定し、いつも「この調子でやっていきましょう」と言っていた。
加速度の否定というのは、長い研究生活と「雇われ医」としての経験からアクィナスを否定するものだったし、「デカルト主義の否定」というのも「アクィナスに恋をする女たちの否定」を意味した。
医師国家試験に受からなければ、医者にはなれないという現実のもとで「医者」という立場を最大限に謳歌したのだ。
アクィナスが考えた「ペテロとスコトゥスとアクィナスは三位一体である」しかし「ペテロとスコトゥスは当事者意識がなく何も学ぼうとしない」「父と子は権力闘争に関してはより当事者意識を持っている」という理論に関してはダーヘムは「それは生命の連続性を意味する」として距離を置いていた。
権力闘争とは距離を置いていたのだ。
「医者という立場は仕事に過ぎない」と考えていたようだ。
アクィナスが考えた「女心の研究」も看護師や臨床心理士の共有財産であったのであり、ダーヘムはネオトミズムの信者ではなかった。
主治医が患者の信者であったらそれはおかしな話だろう。
そのことから、ダーヘムは多くの看護師や臨床心理士と言った「アクィナス信者」に抗しきれない状態でアクィナスと関わっていた。
しかし、ダーヘムが「アクィナスと契約を結ぶ」「アクィナスの薬の量を極力少なくする」という決断を下したからこそ、福井記念病院の看護師たちは「学会で引っ張りダコ」になったということは指摘していい。
ロックフェラーなどの多くの企業や宗教団体にダーヘムは知られるようになったのでアクィナスを野放しにすることを決めたようだ。

アブナー・ブルゴス(秋元康)は、自身は東大には入っていないが「男女共学」を知り尽くしており、多くの音楽作品を、アクィナスに「使ってくれよ」と言って提供した。
多くの長男は、次男や学校からブルゴスの存在を知ったが、自分がペテロやスコトゥスの排除のために活用できる「武器」となることを知るのははるか後の事だ。
社会契約が切れる卒業や夏休みは確実に捉えた。
おニャン子クラブ 夏休みは終わらない。

エロヒム(アメリカの先生たち)の導きが向かうところは芸能界しかないと言うことも知らなければならない。
いじめの風が止まることがわかるのだ。
「アメリカは俺の作品をなんて言ってる?」
CDの「水曜日のリリース」も流通の都合ではなく「アメリカからの評価を仰ぐ」「週末の話題の独占」を狙ったものとブルゴスは考えていた。
「モーゼの法」を理解している者は学校でのいじめからも自由になった。
テレビでは、どんなに言いたいことがあっても「モーゼの法」を教えることはなかった。
それぞれの世界の「アクィナス」にそのセールスを委ねたのだ。
周囲は「英語でCDの解釈ができるのか?」と言っていじめるのをやめた。
春一番が吹く頃に おニャン子クラブ。

2017年12月25日 (月)

精神病について。

昼夜逆転した生活を送っていると、だんだん鼻が大きくなってくる。
芥川龍之介は「鼻」によって、手塚治虫は「火の鳥第4巻」においてこのことを描いている。
これには実は治療法があるのだ。
【首をぐるぐると回す】
これだけで治ってしまう。
以下に述べる、統合失調症の入り口部分となるのは明らかだろう。


精神病に関してですが、「情報力不足」という観点が指摘できます。
自分が他人と違うのは「見た目だけ」という状態になると、人間は「美しさという病」にかかるのです。
電車に乗っていても「目が変、鼻が変」というような周囲の噂話が気になるようになります。
実際は「本当に言っていた」という周囲の証言があっても、「聞こえること自体がパラノイア」だとされるものです。
有名税とでも言いましょうか。
詩篇に「王は美を愛した」とありますが、このことから人間は「美しさで優劣を決める」ようになっています。
しかし、旧約聖書を「覇権国家の言語で」読む、つまり、昔ならばラテン語、今ならば英語で読まされるのがユダヤ人です。
覇権国家の言語で旧約聖書を読むことが出来れば、他の膨大な書籍を読むことが出来、銀行マンになるユダヤ人が多かったのです。
なぜ、ユダヤ人はキャンパスライフで「40日間水を断った」(女を断った)のかが、ここから明らかになります。
ミスターチルドレン

さて、電車などに乗って「美しさと向き合う」と様々な弊害と直面します。
赤面恐怖症の人は実は「呼吸をすることを忘れている」のですが、ひどい人は「泡を吹いて倒れる」というてんかんになります。
さらに、「目が変、鼻が変」というような「幻聴」が聞こえると統合失調症と呼ばれます。
「病識」というのは「病気の自覚」という意味ではなく「治そうとする意志」のことを言います。
有名な人がかかる病気であり、私も病院で「かなり贅沢な」交友関係を持たせていただいております。
すべては詩編の「王は美を愛した」に端を発するものです。
「私は子孫ができないのかな?」「私は動物なのかな?」という気持ちからも病気になるし、「外に出て異性と話す機会がない」ことからも病気になります。
子供ができるだけでも「美しさがすべて」という気持ちから解放されるし、外に出て異性と話すだけでも「美しさと内向的に向き合う」ことはなくなるのです。
だいたいこのようなものが精神病だと言っていいでしょう。

さて、病気の続きですが、女同士の「ナンバーワン争い」というのがあります。
女社会でナンバーワンになると周囲の女の子たちから「そんなことが罪なんですか?」という悪口を言われてしまうのです。
これは「罪の起源」とも言われ、そのために刑法では「構成要件」というものが作られています。
男の「ナンバーワン争い」はかなり暴力に頼ったものとなるので、異なる考え方が必要となります。
男のナンバーワンは「ラフ&タンブル」と言って、要するに「乱暴者」が群れの主となります。
しかし、女のナンバーワンは「15万人とキスしなければなれない」とも言われています。
女のナンバーワン争いの研究を「サンプリングメソッド」と言います。
チンパンジーの研究を行ったのです。
このような研究を行っていると、「病気にならないほうが奇跡だな」と思うこともあります。

天皇の皇位継承には三つの要件があります。
①伝統に従うこと。
②皇位の安定的継承。
③国民の支持があること。
しかし、考えてみてください。
どの芸能人もそうではないでしょうか。
伝統に従うとは、私の場合は「伊勢神宮のご理解をいただきながら、資金面で応援していただく」という意味であり、芸能人の場合は「お寺」の理解をいただきながらスポンサーになっていただいている。
また、皇位の安定的継承とは「有名になると必ず周囲は、根絶やしにしてやる」というムーブメントを起こすことから、そのことを正確に理解しなければならないということ。
最後に、国民の支持があることとは、君主が民の支持を得るというのは「共和制」ではないか、という問題と向き合わなければならないこと。
つまり、君主制と共和制を国は行ったりきたりしているのであり、共和制は帝国主義につながりかねないということを理解しなければならない。
このあたりは、芸能人も政治家も理解しておいたほうがいい。

マルクス・アウレリウス・アントニヌス、この名前は優秀な女子中学生ならば知っているだろう。
彼はローマ皇帝として、イタリア北部やドイツ、エジプトと戦った。
負け戦が多かったが、兵士たちは「仲間への怒りではなく、その戦場の神の子孫を残すために」マスターベーションをして死んでいった。
【死期が間近に迫った時のマスターベーションは気持ちがいい】
これを明らかにした「ずり仙人」がマルクス・アウレリウス・アントニヌスだった。
大人たちは女子中学生にこの名前だけでも覚えておいてもらいたかったのだろう。
マルクス・アウレリウスは「女のイメージなどなくせ」「一定のリズムを保て」と兵士に命じた。
戦場の神の子孫は女のものではなかったからだ。
ストイックとはこのような人物のことだろうと語り継がれた。
現状を突破したいという欲望だけでも十分、射精できたし、射精した後は死を受け入れようと思ったし、死んだ後はその勇敢な最後を語り継いだ。
国が死ねと言ったら死んだ日露戦争までは日本もこんな感じだったんじゃないかな。
「民族の永遠の象徴たる天皇のために死ぬ」などという能書きはマルクス・アウレリウスには通用しなかった。
「宇宙ってのはこのように成り立っているんだな」
人間の屍の山と歴史をマルクス・アウレリウスは目の当たりにしたのだ。
フルメタルジャケット ブートキャンプ。

マルクス・アウレリウスは兵士たちに「哲学者のように生きたわけではないだろう。死の後には富も名声も楽しみもない。ただひたすら自由で勇敢に死ね」と言って、兵士たちのマスターベーションを「我が子孫を残す行為」と考えていたようだ。
クリーンテスは「命が助かったら勉強します」と言ったし、クリシップスは「経験と勉強を照らし合わせます」と言った。
アルキメデスは「完璧な人生とは何かを探求します」と言ったし、デオゲネスは「勉強で選ばれることを証明します」と言った。
アンチペーターは「勉強しない奴をことごとく排除します」と言った。
思考盗聴というものはとにかく「ストア派の専売特許」だったのだ。
マルクス・アウレリウス自身がこのような経験を持っていたし、これを他人に対して行う有資格者だったのは事実だ。
みんな各自が自分にとって「良いもの」を選択し、「悪いもの」を排除することを誓っていた。
「若者を本当に戦争で殺してはいけないよね」
このような可能性に満ち溢れていたのだ。
貧しさや無名であること、病弱であることが悪いことだとは思えなかった。
富んでいて、有名で健康な奴は何の誓いも立てなかった。
国を治めるのは貧しき階層だなと思った。
結局、みんな「勉強だけが良いものである」と考えていたことが分かり、「ちんちんを選ぶとは勉強によって判断すればいい」ということが明らかになった。
フルメタルジャケット ドーナツシーン。

女の子たちがそのように信じていたことを、男も本音として信じていたのだ。
大事なのは「本音を引き出すシチュエーションを選ぶこと」だった。
方法論に間違いがないかを見なければ、もはや絶望的な作業だけが待っているからだ。
六法全書を有斐閣が作っていることをどう思っているのかすら分からないのならば、勉強しますと言っても意味がないだろう。
この方法論にどんな運命が待ち受けているのかが想像つけばいい。
我が宇宙が作った世界を理解することを楽しんでいるのか?
そして、いつ日本の限界を悟るのかまで見ておけばいいだろう。
「国際化」というものをいつ持ち出すのだろうか?
この辺は、英語と中国語をやって見た結果、中国はシルクロードのことしか語ってねえなと思うだけだろう。
他に何か中国語の蔵書があるのならば使えばいいが、私(小野光太郎)は少なくとも中国からは学んでいない。
今後の課題としては指摘していい。
やがて、文献学に一定程度の自信がついたのならば、積極的に人と話して、その研究の正しさを証明していかなければならない。
私が周囲に心を開いたのは40歳を過ぎてからであり、周囲の有名女たちが私に心を開いたのも同じ時期だった。
いつか縁を切ろうと思っていた病院が東京の芸能界のサロンだったのだ。
今まで学んだことが彼女たちに通じたのは嬉しかったし、経験豊富な女たちがまるで男の肋骨からできた存在であるかのように思えた。
それで、彼女たちに話したことを文章にしてセールスに繋がるようになったので、ここを終の住処だと決めたのだ。
「キチガイだ」という病人への第一印象まで変わるよ。
私の研究は息子も愛してくれたし、息子に学歴がなくても十分に社会生活が営めるだけのクォリティがあった。
息子は「勉強します」と言わなくても自然に「学問」と慣れ親しむようになっていた。
息子にも終の住処が見つかったのだ。
もっとも、「死の恐怖」を経験して村上春樹のノルウェイの森の突撃隊のように「風景画でマスターベーション」するようでは困るので、息子にはこの経験はさせないことにした。
フルメタルジャケット ミッキーマウス。

2017年12月23日 (土)

憲法に従いたいと思います。

憲法は「女が男にセックスの時に何をされるか分からない」という問題に端を発している。
「あの女が愛した男ならば私も愛せる」
このことに法律はなるべく介入しないことにした(法律の留保)。
愛が止まらない Wink.

男が自制にしたがう、それは出世のために必要なものであり、やれバツイチだバツ二だのいう男は出世しない。
女がライバル女から男を奪う、これを規制するものを「法律」と呼び、予算を持ってきてまでこれを執行するのを行政と呼び、大喧嘩になったら裁きを下すのを司法と呼ぶ。
奪い合いになるほどの気持ちのいいセックスを「Rex」と呼ぶ。
いい「おちんちん意識」を持っている男は奪い合いになった。
「どこに連れてかれるか分からない」
これを女の子たちは嫌ったのだ。
「女に払う金と、守るだけの力」これが市民を豊かなものにしたし、女に誘惑されても相手にしない自制が男を出世させた。
人生ゲームはすべてがフェアであるということをデュープロセスと呼び、自制にしたがう男に金を集めた。
気持ちいいセックスを知っている男はそれを利用して金を儲けたし、スポーツの興行もそれを見た男女たちがフェアプレー(デュープロセス)を見たあとに愛し合うために催したものだった。
「権利の請願」とは「私の男を奪わないようになんとかしてください」ということから行われたし、インドの「ゼロの発見」によりゲームセットが生まれたためにスポーツを発展させた。
気持ちのいいセックスがしたいという女の欲望に対しては、男は「自制」と「教義」をもって応じなければならない。
出世したいのかしたくないのか。
愛を語る哲学が完成したら、そのような経緯をたどった。
「女心を知らない方が気持ちいい」と男は考えているが、女の長話を聞かないのならばエロビデオのセックスと区別がつかないだろう。
「自制を求める」これが法律だとするならば、法律は男を出世に導いていることになる。
「何が間違っていたのか?」
立法、行政、司法というものが「セックスしたい女と愛を語る男」というモデルの「男のどのような言葉が足りなかったのか?言葉をどのように間違えたのか?」を論ずるようになった。
男の言葉が豊かになれば、お金でも言葉でも女とセックスすることが可能となるし、男にどのような自制を求めるのか?を各人の信念に委ねるべきか、法律で出世を強制するかの国の態度も当然かわってくる。
イギリスは「男は出世すべきだ」として厳しい法律を作っているが、メキシコ、カナダ、アメリカ、ドイツは各人の意識にこれを委ねている。
GINI係数。

法律の留保の世界は男女に囲まれるし、政府の世界も男女に囲まれる。
政府以外にも男女の世界はあるのよ?
これを「主権」と呼んだ。
孤独で貧しく、汚らしく残酷で短い、こんな人生を送っているものが主権者と呼ばれ、政府と主権は区別された。
政府は「男らしさ」を法律で国民に押し付けることができる。
タバコを吸わないハンフリー・ボガートがカッコいいと思えばそのような法律も作る。
略奪愛を自由に行える空間を「主権」と呼ぶのならば、男らしさの定義を行う存在を「政府」と呼ぶ。
法律は立法府で作られ、執行は行政府によって行われ、それでも痴話喧嘩が生じたら司法府で裁く。
「男らしさの定義に参加したい」
このことから政治参加というものは行われるのだ。
「法律とは坊やに背広とネクタイを与えるためにあるものだ」
坊やにはレファレンダムも投票も待っている。
これを恐れた坊やは3分の2の改憲議席を維持した。
「お前らの主権を奪ってやろうか?」「男にどんなプレイをやられるか分からないぞ?」
松田聖子 赤いスイートピー。

アメリカはこのような発想で憲法を作っているけど、イギリスはマグナカルタや権利の請願などの「書かれたもの」がすでに存在し、略奪愛ってのはひどいなという共通認識の元に、松田聖子に全面降伏している。
「国会の改憲勢力が3分の2を占めたら自由に略奪愛ができなくなるんだってさ」
松田聖子とWinkのどっちが好き?
改憲勢力が3分の2を占めた時の立法府と行政府への怒りは痴話喧嘩を裁く司法府が誰よりも強く持つことになる。
こんな時に限って疑獄事件で政府の人間を司法府の連中は逮捕して引っ張ってきているのだ。
「どんな法律でも通せる」となると陸の人間が豊かになり、海の人間は貧しくなる。
憲法をよく読んでみればいい。
「国民は」と書いてあり、すべての女たちに略奪愛を認めているではないか?
ここをいじることの可能性をほのめかすだけで、女たちの主権は脅かされ、どんな変態プレイをやられるか分からなくなるのだ。
ここで「変態プレイとは何か?」を明らかにする言論が作られ、護憲派として知られるようになった。
表現はエスカレートしたために、「平等に」女たちを守ろうとも言われていた。
変態に「触らないで」と言われるのも日本国憲法があるからだ。
改憲勢力は「残虐な刑罰の禁止」もいじることが可能だった。
吊るしたりすることが許されることになる。
星座占いで瞳を閉じて。

女が変態プレイにガッカリして占いを語る限り、大日本帝国憲法は死文化していないことを悟る。
大日本帝国憲法が生きているのかどうか?夜空を見て運勢を決める女がいるのかどうかは憲法変遷であり、世論を観測するしかない。
「すべての女にパートナーを与えよう」という考えのもとでは「憲法の意図」は実は不明確なのだ。
「どのような文化が女たちに根付いていたのか?」という観点が重要であり、性倒錯と向き合うことのなかった「法律」の世界との対話が憲法には必要とされる。
男らしい男を作り、女らしい女を作る、これが教育の目的だったのは事実だ。
しかし、マザーファッカーの両刀遣いまでは法律は認識していないではないか?
とにかく、結婚した後にアナルセックスを強要されることなど政府はいまだ学習していない。
「時間が必要」と言われる所以である。
「法のもとに平等」と大見得を切った以上、男らしい男、女らしい女を作り上げる作業が先決であり、マザーファッカーをなくす、あるいはお風呂での娘へのいたずらをなくす、これが成り立たない限り「アジアに憲法はないんですよ」と言われるだけだ。
松田聖子とWinkのネームバリューの違いを知っているだろう。
それほど今は「時間をかけて法律を練らなければならない」時代なのだ。
法律を練らなければ憲法が「生き物」にはならない。
もちろん「法律と憲法問題」をワンセットで選挙の争点にすることは可能だ。
しかし「ドカン」とやると強烈な敵と向き合わなければならないだろうね。
オタクカルチャーのお金の問題も敵にするし、文化に過激な介入をすると外国国家が虎視眈々と日本国を狙うことになりかねない。
政治家は裁判官ほど痴話喧嘩に詳しくはない。
虚心坦懐にこのような性倒錯を語り合えるようになるまでは憲法はいじれないのだ。
「男らしい男」「女らしい女」という神話を信じているようではいまだ日本国では「急進的発想」という扱いを受けるだろう。

略奪愛の世界という法律の留保を認め、主権にしたがうと、松田聖子の「男らしさ」との妥協を迫られ、主権と法律の狭間で「仲間は5、6人だろう」とされている。
これが「憲法の結論」でもあった。
これはもはや神聖な法でもあり、「憲法に従いたいと思います」という言葉は「政治家にはならない」という意思表示でもあった。
憲法は、リベラルを否定する男と激しく対立したのだ。
河合その子 ウィークエンドモニュメント。


モリエールは「仲間が多いという宗教」の存在を指摘した。
仲間が多いというのは「能力測定」ですらあったのだ。
しかし、仲間が多いという宗教の世界には「女の事情」が一切、存在しなかった。
「人間の知性の限界」を見せつけられるだけであり、それは男たちが楽しむものだったのだ。
「我々の力を見よ!」というメッセージの中には女が入り込む余地はない。
「我々の品行方正さを見よ!」と言っているに等しく、リベラルな仲間だけだと会いたくない男も当然いたし、憲法の結論である「5〜6人の友達」というものとはかけ離れている。
「我々の力」の中には略奪愛はない。「法律」だけがあった。
【みんなが痛みに耐えていた】
法律に従うというのは苦痛であるという側面があり、法律の留保の必要性を感じさせる。
権威が法律の側に立つのか主権の側に立つのかは常に見ておかなければならないね。
安倍晋三 桜を見る会。

法律は常に多数派工作を目指していた。つまり道徳である。
松田聖子の作品作りに参加するという法律の世界は道徳(多数派工作)を目指していたのだ。
まるで「神への義務」のような営みですらあった。
みんながみんな同じような方向性と勢いを持っているわけではないが、成功した女たちと顔を並べるというのも気分がいいものだ。
記念撮影した瞬間だけは、みんな方向性を同じくすることができた。
少数派だった「私」は永遠の資産を手にすることもできた。
「法律はより賢いものが作った」と感じた。
法律が支配するのは常に「多数派」だった。
女たちの略奪愛の対象ではない哲学者として写真にうつってきたのだ。
我々は「法律の目的」を理解したのである。
仲間が多いというのは普遍的なものであり、そこには法律があった。
【法律と主権という二つのベースラインがある】
まだ知らないおちんちんの数はみんな仲間だと思っているのだろう。
法律にしたがった処女の男の数。

私たちのからだにとって何が大事なのだろうか?
周囲の男さえしっかりと統制がとれた行動をしてくれれば本当にこのぐらい仲間が増えるのに。
これが法律ですらあった。
男の統制は神の意志が行うものだ。
35億人の男の統制なんて素敵!神を讃えたいわ。
セックスというものへの率直さが数字に表現されている。

皇室第2の宗廟である宇佐神宮に処女を祀ったゆえんである。

しかし、男は「猫」に勃起するんだよ。
このことから多数派工作(道徳)は困難になるし、女のからだが快楽をもたらす以上、神の計画は男女を複雑な模様に配置させることにしたのだ。
道徳を邪魔するのはセックスであったし、完璧な法律=道徳=35億は極めて困難であるのは当然であった。
法律は努力を求めるし、免許も出す。
財産やセックス、殺人に男女が関わっていることを踏まえて法律というものは練らなければならない。
道徳への逸脱こそが男であった。
勃起しなければ離婚しなければならない。
法律というのはとにかく男に忍耐を求めるものだったのだ。
しかし、セックスは決して道徳と相容れないものではないことは言を待たない。
喜びや痛みのない音楽作品はなかった。
しかし「善悪の彼岸」とは「あいつは邪魔だから若い女でもあてがっておくか」という簡単な政治学にあるのではないだろうか。
「俺には多数派工作をする力がないんだ」という告白であったからだ。
「男らしくない」から少数派であることにも気がつかないだろう。
人間にとって「罰」とは「寂しいこと」である。
若い女をあてがわれて政治生命を奪われた男よりも奪った男の方が強い「罰」を受けることになる。
道徳=多数派工作とは神聖なルールであり、反則を行う人間には容赦のないものなのだ。
松田聖子 ハートをロック。

王にしたがうのは善良さからであるし、海賊にしたがうのは恐怖からである。
王は恐怖政治を行ってはならない。
大人たちが「選ぶ」というのはそんなにあまいものではないんだ。
「王は信じることを楽しんでいる」
このあたりを見て、それが有効だとわかっている大人たちがいる。
そこには「寂しさという名の罰」はなかった。
そういう大局的な見方が必要なんだよ。
道徳的な多数派工作というのは最高のルールなんだよ。


竹原ピストルが紅白で「俺を含めて誰の言うことも聞くなよ」と歌っていたが、彼は41歳になってゲイである自分の言うことを若者に聞いて欲しくなかったし、それでもなお「自分の正当化」を行っている。
自分の正当化を行うのは資本論でマルクスが指摘している。
このような思想を「相対主義」と呼ぶ。
よーそこの若いの
どれだけ多くの若者や女性たちの支持を得ただろう。
「神はゲイを憎んでいる」という言葉は若者や女性たちに葛藤をもたらす。
「開かれた絶対主義」の時代に、「相対主義」というものは性倒錯とともに確実に存在する。
「どんな性癖をもっているか分からない男」の温床になっているのが相対主義であり、主権の世界で憎まれ、しかし、法律の留保の世界で生きている男なんだろう。

ししゃもの「明日も」のPVを見ると、メンバーの女の子全員が「ガールズアイデンティティ」に悩んでいる。
子供の頃、お父さんにお風呂でいたずらされているのだ。
このことから「男と女ってどう違うんだろう」と悩んでいる。
16歳で生理も止まり、長い髪が気持ち悪くて仕方がない。
しかし、ヒーローとはギターなどの音楽の先生だったのだろうか?
性倒錯がなければ発展しない世界なのかもしれない。
主権とも法律とも言えない、セックスができない女が作る作品はこれもまた法律の留保なのだろうか。
明日も

Superflyの愛をこめて花束をは、性倒錯のない「法律の王道」とも言える曲だ。
法律となってからようやく歌謡曲は解釈論の問題になる。
「約束」を守るためには「花束」「写真」という「ヴェニスのパンと水」が必要であり、これさえあれば「人を愛するってのはこんなに簡単なのか?」と思うものなのである。
主権という「略奪愛」との対話も可能となる。
歌謡曲の公約数的見解が「男らしくあれ」ということであるとされるのも性倒錯がなければこその話だ。
愛をこめて花束を

人々に影響を与えるのは「女の子に語った最高の口説き文句」(キャリーオーバー)であり、女の子はその言葉をメモしている(黒革の手帖)。
メールのやり取りをするような男は「本命」であるが、SNSで個人的にやり取りしているうちは本命ではない。
どんなにマメにやり取りしていても女の子たちは「口説き文句」(キャリーオーバー)を集めているに過ぎない。
そのようにして彼女たちは黒革の手帖を頭に叩き込んでいるのだ。
まるで銀行マンだね。
乃木坂46 インフルエンサー。



AIの「キラキラ」は、本来、希望とか夢とかを語るゲイカルチャー(法律の留保)を「女性が歌う」ことによって、「男らしさ」=法律ともなり、「略奪愛」=主権を支持する女たちの支持も得ている。
ピタゴラスの定理によって「男になりたい」という女が、ゲイの真似をすることからこのような幅広い支持を得ることが出来る作品が生まれている。
キラキラ

さて、Little Glee Monsterの好きだについてであるが、性倒錯の世界(法律の留保)とは離れて、開かれた絶対主義の時代において「絶対主義にも分からない私の心の領域がある」という法律の世界を歌っている。
私も「キャリーオーバー」とか、「絶対」を女性に語っていたら、「あなた、人の気持ち分からないんでしょ?」と言って女たちが「誰にも分からない心の領域」の存在を主張してきた。
世相をもっとも率直に表現した曲だった。
好きだ

インターネット社会になって「影響力の与え方」の研究が深まった。
①みんなが知りたがっていることであること。
②口々に伝わっていくこと。
であるからこそ、
③アナウンスしたほうが早いこと。
が指摘できる。
カップルがデパートで別々の行動をとり、最後に「どうせカフェオレを飲みにくるんだろ」と思ってコーヒーハウスで待っていることは「ゲイカルチャー」の拡散に近い。
いわば、愛の世界(法律の留保)なのだ。
しかし、あの車は赤信号で止まるんだろう、というのは歩行者にとっては生きるか死ぬかの知識であり、「男らしさ」=法律の拡散だと言える。
レストランで客が何か間違ったことをしても、ウェイトレスは「すみませんでした」と言うだろう。
何かの「高次の法」の存在を感じることが出来るのならば、それは「法律」だと言っていい。
オカマは中森明菜というのは定番であるが、
禁区は「できない女がパートナーと付き合っていくうちに追い詰められていく」という様子を描いているし、
禁区 中森明菜。
十戒は「エロビデオを見て女性が嫌がっているではないかと考える政治的弱者がいる」ことを描いている。
十戒1984 中森明菜。
デザイアーは「パートナーがいても、他の男の知恵と知識を聞きたい」ということを指摘している。
Desire 中森明菜。
複雑すぎて「高次の法」というべき「ウェイトレスへのシンプルなメッセージ」にはなっていないところがオカマに愛されている理由なのかもしれない。

ウェイトレスに与えるべき「高次の法」。
赤いスイートピー 松田聖子。

しかし、みんなでバーベキューをやった時に、1人の女性が顔にマスタードやケチャップをつけていたのならば、デザートのアイスクリームを食べる前に誰かが拭いてやらなければならないだろう。
仕事ではなく「愛情の世界」であり「法律の留保」の世界だ。
この問題への答えが「誰がその女性に愛情を持っているのか?」という中森明菜のオカマの話になる。
しかし、隣の農場と「助けが必要な時は人のやり取りをする」という約束をしなければ、中途半端な儲けと大損のどちらかしか待っていない。
これが、ノンケが性倒錯と共存して行かなければならない理由である。
法律と法律の留保は共存して行かなければ仕事がギャンブルになってしまうのだ。
主権、つまり略奪愛が存在する理由は「繁栄があるため」だとも言える。
どうしてもムラに性倒錯が混じってしまうのだ。
しかし、性倒錯が多数派だとみんなが貧しくなっていくことがわかる。
「女心は大きすぎる」と言ってカントの話をベラベラ話していると「生活保護のヘンタイ」がわらわらと寄ってくる。
しかし、そういう人たちに限って人生経験が豊かなのだ。

原点に戻ろう。
みんなが知りたがっていること、というのも人それぞれ興味のあることや考え方が異なるためにかならず「抵抗」が存在する。
そのために視聴率というのも限界がある。
視聴率とは「耕す畑の大きさ」につながるために「人々が知りたがっていることの序列」を理解しなければならない。


山内惠介の愛が信じられないならについてであるが、子煩悩な母親との姦通が原因で、精子が出なくなっている。
中学に入って同級生が「カルピス」とか話題にするたびに「精子が出ねえ!」と言って必死でマスターベーションをしたり、男女を問わず犯したりしている。
両刀遣いだ。
愛が信じられないなら

ししゃもがセックスができないからだであることから、追っかけをやると「貴方とやると痛いんだよ!」と言って鞭で男を打つ女だとすれば、山内惠介は女にもアナルセックスを強要するタイプであるし、竹原ピストルは女にペニスバンドをつけさせて「俺を犯してくれ」というタイプである。
だいたい、農場で隣同士仲良くしなければ繁栄しないと思うのであれば作家としてこのようなことを書き記したほうがいいとも言われる。

2017年12月22日 (金)

女の直感。

本来、男社会においては女の直感というものは「ネガティブプログラム」と呼ばれるほど嫌われていた研究であった。
しかし、男社会における「譲れないもの」そして多数派工作、「考え方」の研究などにおいて女の直感はどうしても必要な研究であることが分かった。
「僕はこれ以上、動けないよ。床に倒れたボクサーのよう」
マリオネットの涙 松田聖子。

21世紀になって、「女たちの支持」がどうしても必要になった時にこの研究に世界が目覚めた。
女の「哀しい方の嘘」とも言い切れない側面があったために「実験哲学」と呼ばれ、現在でも研究が行われている。
ムキになっている男たちが「考え方」に目覚めたのだ。
適当に有名な奴と戦ってリタイヤした方が儲かるのだろうか?
竹原慎二。




女の「嘘」が入り混じった複雑な文学がここに誕生した。

西野カナ ダーリン。

「我々の組織ではそういう男は歓迎していないよ?」というのが最初のリアクションだった。
しかし、「タイソンに負けた男」ならば滅多にいないわね、という女の都合があったのだ。
男社会でどのみち「私の彼」は妥協して生きているという現実が女に嘘をつかせていたのだ。
「私たちのプロジェクト」に参加してくれた男ならば敗者でもニーズがあるんじゃない?
このリサーチプログラムは辛い作業だったよ。
とにかく「ネガティブ」だったし、男たちの夢がぶつかり合うのならば勝って欲しかったし、祝福されるセックスがしたかったし、「考え方」を整理したかったからだ。
【知識が足りないから負けるんだろ】
というソクラテスの指摘があったから、哲学者の参考文献がとにかくなかったのだ。
本当に「アテネに捧げる」研究になるのかな?という思いもあった。
しかし、日本国において「ボクシング世界タイトルマッチ21連敗」という時代は確実にあったし、「知らない」ということを認めたくはなかった現状がある。
何のためにやるのか分からない「勉強」というものは確かにアテネにもあった。
しかも、スパルタとのダービーマッチがあった。
この「スパルタ教育」に負ける学問ならばなんとかアテネに捧げることはできるのではないかとされた。
負ける理由は「競技人口」から練らなければならなかったし、そのためには「女の直感」も取り込んでいかなければならなかった。
「女は好きな男に嘘をつかなければならない」
松田聖子 小さなラブソング。

その世界の人口を増やさなければならないという基本を我々は忘れてはいないだろうか?
ブラジル、インド、日本、アメリカはどの世界のあらゆる分野でも「人口を増やす」という物量作戦をやっていたはずだ。
また、その世界で女たちに取り囲まれないのならば誰もやろうとは思わないだろう。
判決が下った後の「お疲れさまでした」ぐらい確立していなければならないのは当然なのだ。
競技人口が増えれば、男たちの夢がぶつかり合う。
その時に「多数派に属している」ことがどれほど重要なのかは理解していなければならない。
試合に負けて泣いたふりをしている奴が多数派だという弱小グルーブは確実にある。
インド、香港、コロンビア、アメリカがそのことに最も詳しい。
「事前にどんなトレーニングをしてきたの?」という裏切りがこれらの国で横行しているのだ。
どうせ俺たちは負け犬さ、ハートを他人に任せてしまった方が気が楽だとも思った。
すべて「競技人口」という統計が導き出すものだ。
いろんな「プロジェクト」に参加したけど、みんな人生を良いものにすることしか頭にないよ。
競技人口が多いと「負け犬の方が仲間が多い」ということが衝撃をもたらした。
本当に強い奴は「怖い」と言われて孤立したのだ。
「みんなで仲良くやろうと思ったのに表情が変わった奴がいたので退部した」という男もいた。
負けて適当にカッコつけるグループだったのに本当に強い奴が現れたら排除する連中もいた。
「考え方が違う」
これだけで共存することはできなかった。
哀しい方の嘘 ribbon.

「女にモテるというのは財産なんだよ。悪く思わないでくれ」という言い分もあった。
強さの研究をしていた哲学の世界で2016年にコヴァがこのことを明らかにした。
強すぎて世界を敵に回したくないんだ。俺たちは弱者の救済をしたいんだ。
「俺たちの目的」「知識の限界」「幸せ」を理解しないものは排除した。
「どのような言葉が飛び交っているか?」でサークルの体質はわかる。
影響力のない言葉であることは周囲の反応を見ればわかった。
みんな先輩の「言葉」で悩みを解決したがっているのにそれはないんじゃないか?
完成されたゲームで敗者に「お疲れさまでした」というのは辛い学問なんだよ。
「知識というものは調べるものだろ」
土曜日に銀行を開かせるのは可能だろうか?
それが難しいのは知識があれば分かる。
それほど弱小サークルを開かせるのは難しいんだ。
知識がないと「噂」を相手に戦う羽目になる。
スタンフォード大学野球部はボストンの松坂にこのような気持ちで一安打に抑え込まれたのだ。
【仕事、宗教、人間らしさは弱小サークルから拡散していくんだよね】
フォーエバーセンセイ。

「負けつづけた男」
そんな記事もボクシングマガジンには必要だった。
言っていることはむしろ強い男よりも健康的だったよ。
だから哲学者は「女の直感」「床に倒れたボクサーのよう」などという言い方はしないで普通に話をしたよ。
女たちはまるで「強さという病」を応援しているが如く「お疲れさまでした」と言っていた。
組織が「強さ」を待ち望んでいるのは事実だよ。
でも「健康的にやろう」という言葉が必要なんだ。
「哲学の裏付けのある強さ」とは語り合いたいけど「哲学のない狂人」とは語り合いたくないよ。

2017年12月20日 (水)

クオリア。

指をサンドペーパーで擦ると赤くなり、紫色になるだろう。
女はこれを見て「トルコ石」「ルビー」の色を区別する。
やがて「ダルマ」を真っ赤に染めることの意味も分かるようになる。
「色彩の区別がつく」
それは財産の源なのだ。
パンストの色彩やデザインができる、それは財産に他ならなかった。
音楽や食事、お酒などを味わい、匂いを嗅ぎ、痒さを感じ、胃を痛め、空腹を感じ、めまいを覚える、そのような経験をしないと「色彩への感受性」は育たないのだ。
自分を正当化するために「赤一色」で全身を染めるわけにはいかない。
「紫が好き」と言っても服装は特に紫というわけではないだろう。
きわめて女性的な「痛み」というものを経験しているから服装の色彩が豊かになるのだ。
赤い色には人が集まる、これを知っているからダルマは赤いのだ。
赤ほどの膨張色はない。
赤の17番と赤の18番の区別がつくだろうか?
赤の17番は薔薇の色だ。
東京パフォーマンスドール バラ色の人生。

聖母マリアも小野小町もこれでひと財産築いているんだ。
マリアのお金とヨゼフの政治家の血がイエスという人物を作り出している。
自分の何もかもが満たされているわけではない。
だから女は乳首や局部の色とは異なる色の服を身につけたのだ。
レインボーピンク。

不幸な女はむしろゾンビーを愛したりした。
女が孤独になったら、孤独な男のところに寄っていった。
エクレア、カステラ、ハーゲンダッツ、醤油が乳首や局部をピンク色にした。
因果関係は分からなかったが、男の趣味に合わせることを知ったために幸せを感じたのだ。
ノーブルレッドの瞬間。

中国人は「二つの音声トラック」のある無線にしたがって行動しているだろ。
彼らには孤立したカップルの物語もなければ、ノーブルレッドの意味も分からなかった。
色彩感覚に乏しく、そこにはもはや楊貴妃はいなかった。
スランプの時に赤い服を身にまとうと不幸が増幅される。
午後のパドドゥ。

3D体験というよりは2と2分の1体験と呼んだ方がいいテクノロジーがある。
赤い方向に向かい、紫色は毒だと考えるだろう。
3D疑似体験においては人間は常に「正しい方向に」向かっている。
「セックスをするときはいつも真剣」という心理を利用しているんだ。
IMAX.

マッドサイエンティストは、空を黄色に、芝生を赤に、トマトを緑にして「地球を入れ替えた」が、色だけで地球のドッペルゲンガーは作れることを示した。
「普通」と「生き物の目的」を理解するだけでいい。
レベッカ チープヒッピーズ。

カエルや魚やハチはクオリアを持っているのだろうか?
クモはメスを引き寄せるために回転しながら巣を作り、魚は海を泳ぐ。
カエルは飛んでいるハエを食べる。
それは、「地球を入れ替える」人間の女の子特有の幻覚とは異なる論理で、「欲しいもの」があるだけだ。
クオリアというのは人間だけのものだし、だからこそビジネスになるんだ。
ハチは「黒を攻撃する」というよりも「女王蜂のわな」というものを攻撃しているんだよ。
桑田真澄と息子。

芸術とは「男の興味の対象」でありながら、「女にも衝撃的な形でモテる」ものである。
女性芸術も「私の心を教えてください」という女のニーズに応える形で解説を加えなければならないし、男性芸術も可愛らしい女の子に「ジャニーズを聞くとうつが治るね」という形で常に男が注目していなければ芸術とは呼べない。
私は失恋やレイプを経験してサンタクロースを信じなくなった。

しかし、男は「ハプニング映像」「衝撃映像」まで利用してまで女にモテようとは思っていない。
女心を知っている男は「チェシャ猫」であり、優しさを感じる。
チェシャ猫を生み出すために芸術というのはあるのだろう。
ダダイズム、シュールレアリスム、スーパーマティズムが「芸術に詳しいチェシャ猫」を強烈にアピールした。
なぜ1960年代半ばから1970年代にかけて「ボクシングやプロ野球」とならんで「芸術」がスターダムに駆け上がったのかはこれらの論壇があったからだ。
怪しいニュアンス 松田聖子。

「芸術とは消費されないものだ」ということが主張されるようになったのはつい最近のことだ。
野球やボクシングは常に試合を重ねなければならないだろう。
「女心を知っているチェシャ猫」は、ごく限られた作品を用いていた。
「芸術?女々しいな」と言われたら反論できないという特徴を芸術は持っていることは知っておかなければならない。
東京ドームでエアロスミスが公演を行い、後楽園ホールで同じ日に名護対松倉戦が行われたこともある。
やっぱり、ベトナム戦争のファイナンスを経験しないとエアロスミスを「女々しい」と言われることに反論できなかっただろうね。
戦争があったから「お金になるものは許すよ」とみんなが思ったのだ。
1968年のフランスの「メーデー」の勝者も、1969年のイタリアの「暑い秋」も、常に芸術によって資金集めに成功したものが勝っていた。
何を企んでいるんだ。ロックフェス。

パフォーマンス、写真、映画、ビデオ、すべての芸術が男女の美しい体を作っていた。



男を別の女から奪う、この対象となる男をチェシャ猫と呼び、他の男から女を奪う男は「芸術」によるものではなく「知恵と対話」によって行った。
愛が止まらない Wink.

描写というよりは「意味」なんだよね。
貴女が私の子孫を残すのかと思うと緊張する。

芸術は「男女のもの」であると同時に、「性欲はどこから来るのか」を理解していなければならない。
【同じフェティシズムで一貫している】
これがアーティストが高い評価を受ける秘訣である。
「美しい経験」が若い頃に確立しているからだ。
男女の関係を明確に位置づけるのはもはや若い頃に身につけるフェティシズムだね。
恋愛お見舞い申し上げます。

1950年代から1960年代にかけてヴィトゲンシュタインは、「このようなフェティシズムの元で育った男には、女の子とのツーショット写真がない」と指摘している。
つまり「失敗作」だったわけだ。
男の子の人生を辛いものにしたという意味ではね。
しかし「男女の関係を明確に定義した」という意味においては最高傑作でもあった。
だいたい15歳ぐらいの時に「男の公約」はできるものなのだ。
この年頃に「自分でお金を払ったメディアで」聞いた作品だったからフェティシズムとなったのだろう。
しかも、これから「読み、書き、学ぶ」時期だったからだ。
「ピカソのゲルニカ」のことを「恋愛お見舞い申し上げます」は歌っているとも言われた。


ゲルニカ。

映画 ピカソ。

ピカソは「風水」とでもいうべき「女たちの風」によって画風を変えただけであったし、文体を変えていく男ものちにいた。
ピカソは、晩年に美しい少女とのツーショットをようやく撮影している。
これがあたかも人生の目的だったかのようだった。



【願い事は仕事で叶えろよ】
これが分かればピカソが分かる。
「人生のナレーション」をもっともうまく流したアーティストが成功するのだ。
願い事の持ち腐れ 秋元康。

ピカソの人生が絵画の世界に与えた衝撃は大きく、「絵は心を表現するよね」と語られ、精神医学が絵画の世界になだれ込んできた。
外の風景がない、女と語り合っていない、とにかく病んでいたから「傑作」だった。
どうすれば精神病は治るのか?
どの精神科医もピカソに興味を持った。
アーティストの意図は本人なりの説明が当然あるだろう。
しかし、その「病んだ」側面は周囲が語ることだ。


アヴィニョンの娘たち。

少なくともピカソには「俺にもこいつの人生を語らせろ」という男たちが大勢いた。
カントの「悟り」つまり「俺はどんな女でも落とせる」という境地をピカソも知っていた。
女の「局部」をこれほどまでに遠回しに表現した男はいなかったので、ユングもこれを「前衛芸術」と呼んだ。
皇帝のマクシミリアンは、ピカソの真摯な生き方と比べられて糾弾され、処刑された。
【友達とビールを飲みながらピカソを語り合う。最高の肴だぜ】
象さんのすきゃんてぃ うしろゆびさされ組。

2017年12月19日 (火)

大都会とティマエウス。

人間は様々な男女の人間模様を見ながら出世する。
頂点にいるのが「ティマエウス」である。
ラテン語で書かれた「女の真実」を基盤に、多くのカップルに発信力を与え続けた。



「神・男の完全性を議論すると爽快感がある」
それは、知性の頂点であったからであるし、国づくりのプロローグだったからだ。
永遠をイメージさせる効果もあった。

松田聖子 赤いスイートピー。

この「男」というものがどのように世の中に混乱をもたらすのか?
それをティマエウスはよく理解していた。
「貧しさがある限りいじめはなくならない」
「火・水・土・空気の四つだ!」
それは豊かさが約束するものだった。
セールスが伸びなければ崩壊するしかなかった。
CoCo 夏空のDreamer.

船乗りは三角形を二種類持っていた。
1:1:ルート2
1:2:ルート3
直角を一つ持つ二つの三角形が船乗りに豊かさをもたらした。
簡単に3:4:5としてしまう職人もいた。
あとは「今まで見てきた男女の発信力」の研究さえしていれば街は自然にできる。
つまり「お金との相談」だったのだ。
豊かさが約束されない限り「誰もがハピネス」とは言えなかった。
松田聖子 ストロベリータイム。

最高の知性をいじめるのに血眼になって何も学ばず、最後に「仕事がないんです」という輩もいた。
宇宙の始めの段階から振り返らなければならなかった。
「快楽」である。
射精しなくなった年寄りだけはいつまでも若いものをいじめ続けるだろう。
それは仕事やお金という言い訳では済まされないものだ。
ちんちんが勃たなければオムライスでも食べていい夢を見ればいいのに。
しかし、アル中でもはや夢も見れなかった。
「ああなったらもう知性もなければ、男の完全性もねえな」と人々は語り合った。
「男らしさ」を女たちは賞賛する必要があった。
三人組の男グループに女の子が加われば「誰が一番可能性のない男なのか?」が明確になった。
赤いスイートピーを周りの女たちは歌っていじめや貧しさを諌めていた。
大工は「金さえよこせばなんでも作るよ?」と語ったが、いじめに血眼になっているアル中の年寄りだけは排除しなければならない。
「あんなに有名なのに出馬を断念するの?」
そう思われる年寄りもいた。
街づくりに有害だったからある程度の空間を与える必要があった。
貧しくて狭い部屋に住んでいると人の邪魔をすることにしか生き甲斐を感じなかったのだ。
詩とは人に居場所を作るためのものだ。
河合その子 Please tell me Mr.朱。

もう女心には興味持てないよ。
でも、俺にも居場所が必要なんだ。
そのような問題意識から曲作りをする人は限られていた。
公園はおじいさんのためにある。
人生の末路に鳩を友達として与えよう。
火・水・空気・土を1人で抱え込んで公園で怒っている老人がいた。
「公園には金をかけたよ」
都市計画の担当者は誇らしげに語った。
河合その子 Parisが聞こえる。


2017年12月17日 (日)

左右対称。

毛沢東は北朝鮮と中国を「唇と歯」の関係であるとしていた。
もし、アメリカと北朝鮮が武力衝突したら、移民が渡って来ないように国境線に兵を送るだろう。
しかし、北朝鮮の非核化に力を注いでいた中国も、金正恩の「広島の17倍強烈な」水爆の開発を見て諦めたのだ。
冷戦時代は、ソビエトがいたから中国は北朝鮮と仲良くしようとしていたが、今は「友人とすら言えない」状態だ。
中国は北朝鮮の地域の人たちに「もっと学んでほしい」と考えているし、「新・朝鮮戦争」でも参戦することはない。
北朝鮮の核が炸裂したら被害に遭うのは中国と韓国だ。日本とアメリカではない。
もし、韓国が朝鮮半島を統一したら、韓国は核を欲しがるだろうし、中国との国境線に何らかの調整が必要となる。
それでも「学んで欲しい」という考えの方がより強く主張されている。
「アメリカ型政治家」の登場を待っているのだ。
さて、ここまでは良かったが、「北朝鮮の巻き返し」は確実に展開され、アメリカは「どうしても北朝鮮と話さなければならない」と思い始めた。
それは「核弾頭を搭載したミサイルがアメリカ本土に到達する」ということが日米・米韓同盟を腐ったものにさせたのだ。
アメリカは米韓合同軍事演習をコンピューターだけのものにとどめて、「朝鮮半島の非核化」を最終目的にし始めた。
しかし「北朝鮮は嘘をつく」ということも考えなければならず、石油やガスなどで「豊かにする」という遠回しな方法まで模索されている。
北朝鮮によってアメリカ本土に核攻撃がなされる可能性が指摘されただけでも、アメリカはまるで「女のような」弱みを見せたのだ。
アメリカは「先制攻撃すると後戻りできないことを知っている」とし、死者が出ることに怯え始めた。
これが現状で「あとは分からない」というのが北朝鮮情勢であり、CFRも「女性の世界における社会進出」をテーマにするなど、すでにこの問題は「再び凍りついた」とされたようだ。
したたかな国である。


左右対称(シンメトリー)とは、「太陽と」「共に」というギリシャ語から来ている。
顔が左右対称であるほど仲間が多いというのは「デカメロン伝説」とも言われた。
デカメロン伝説 少年隊。

左右対称の方が喧嘩が強いだろうとされたのだ。
回転の繰り返しが喧嘩にはともなうからだ。
しかし、人生は喧嘩で解決できるほど単純なものではない。
政治力を身につけていくたびに顔はゆがんでいった。
顔のゆがみ。松潤。

ハミルトン方程式によって顔の左右対称は測定されたが、ジャコビーは「男の魅力ってもっと別のところにあるんじゃないかな?」としていた。
周囲の女は「円」を描くというよりは「楕円」を描いた方が速度を速めたり緩めたりして長いお付き合いができた。
左右対称の男は「いろんな女にちょっかいを出す」とも言われ、多少ゆがんでいた方が女は男を遠くから思うことができるとも言われた。
ザ・ピース モーニング娘。

時空のゆがみとも言われ、遠くから想う男は顔がゆがんでいた方がいいとアインシュタインも考えていた。
顔のゆがみ 石原さとみ。

ただ、男と女は違うという一般相対論にとどまらず、離れていても時を同じくしているという特殊相対論の登場で「愛の世界」は深まりを見せた。
憧れの人の顔がゆがんでいた方が遠くから思いを寄せることができるとされたのだ。
ただモテるだけのGTRから、よりいっそう愛の世界を深めたSTRの登場だった。
むこうが政治力を高めたのならば、こちらも憧れの人の顔のゆがみをアピールして想いを寄せた。
顔のゆがみ 松たか子。

ハイゼンベルグは1926年に「顔のゆがみ」「政治力」は子供には伝わらない、としていた。
「子供がどのように行動するのか?」というほとんど計算の不可能な世界を「量子論」であるとしたのだ。
「親子は違う存在」として子供は生まれる。
しかし、親の影響を受けたことを意味するのが顔のゆがみだった。
陽子と中性子の間を「親の文化」という中間子が行き来しているとも言われた。
子供は左右対称の方がモテるよ。
しかし、それだけでは通用しなくなる時というのはくるのだ。
「オヤジ」の話をしないと生きていけない、そういう時期が来る。
その頃には顔はゆがんでくる。
歳を取っても端正な顔立ちをしていたら「親への愛着はないのか?」と思われるだろう。
重力に耐えたのだから当然だ。
「親知らず」とも言われた。
キューリー夫人は「知識と知恵を持っているいい男は顔がゆがんでいる」として2つ目のノーベル賞をもらっている。
「イケメン」「喧嘩が強い」だけでは生きていけない世の中だということをいずれ悟るだろうね。

哲学は完成された時代だ。
本当にすべてを学び、すべてを語ると「恐れられ、尊敬され、いじめられる」だろう。
また、美女が寄ってくるだろう。
美女はナンバーワン争いでいじめられて、孤高の哲学者の前に現れたのだ。
「それでもあなたは哲学を学びたいですか?」
松田聖子 ダンシングカフェ。

しかし、忘れてはならない。
「美しさをとことんまで追求した女は心を病んでいる」ということを。
つまり、入院歴があり、もはやセックスには興味がなくなっているのだ。
そのような女に延々と愛を語り続けるのが哲学者の末路なのだ。
しかし、それは男としての最高の生き方ではないだろうか。
常に女たちが彼の発言に注目し、時には独裁者が国を壟断するが如くの決断を下せるほどの影響力を持つのだ。
人間の真実を知り、性欲が減退することもあった。
「射精とは美しいものだ」
老いてなお性欲を失わないのは素晴らしいことだ。
知ることは人間不信に陥ることでもあった。
完璧なステップを踏まなければ、挫折だけがあり勃起しなくなるだろう。
ロンドンボーイ レベッカ。

デタラメなステップを踏んでバカをやらかす連中の研究もたまにはやらないといけない。
みんながみんな哲学者だというわけではない。
バカをやらかす奴の研究をするとなぜか性欲が戻った。
それほど「最高の知性」と触れ合って生きてきたから美女がパートナーとなったのだ。
学問が好き、女が好き、この「二本の好き」がなければ美女とは付き合わない方がいい。
男の「才能」には女の「美しさ」が付いてくる。
しかし、どちらも病的なのだ。
美しい女と知性に囲まれて、影響力を持ち続ける男には「お薬」が与えられる。
法学部を出てもどのみち医学はやらなければならないのだ。
カバンにオリーブオイル(止血剤)とリステリン(消毒液)の小さなボトルぐらい入れとけよ。
どんなアクシデントがあるか分からない。
しかし、知性というのはそれほどまでに大事にしなければならないものなのだ。
自分の内面には興味がなかった。
外の世界はあまりにも広すぎるからだ。
自分以外の人間の多様性を学んでいると、自分というものがなくなるのが分かった。
「雨にも負けず風にも負けず」
他人が怒っても、「それがあなたのおとぎ話なのか」と思うほど無表情で怒らなかった。
笑うこともなかった。
それが哲学者なのだ。
このような「独裁者」の存在を朝鮮半島では「洗脳」と呼んでいるが、日本国はアメリカに対してオープンだった。
「夢」とまで語られたことの真実だったのだ。
激しい雨が The Mods.

国際プレス以外のメディアの全員が邪魔しあっていたので、たまに英字新聞を買った。
テレビも見た。
しかし、若い頃、憧れたアイドルは向かいでタバコを吸っていた。
このような「哲学エリート」は政府も企業も必要としたので、金と権力に守られていた。
しかし、財布に札束が入っていたわけではない。病気の元だ。
「完璧さを周囲と分かち合った」
そのために、出来ないことはなかったが、星空や月を恐れた。
アメリカ合衆国をパワーブローカーとしたために競争するライバルもいなかった。
フォーリンアフェアーズも表立っては自分のことは取り上げなかったが、やんわりと風を送って影響力を楽しんだ。
「仲間づくりで完璧であること」とは、病気の美女と愛を語り、周囲から尊敬されることであったし、もはやセックスサークルから卒業することだった。
政治家として大事なのは「どの国をも思いやって利益になる行動をとること」だった。
土地には土地の地政学があり、それをニュートラルに語ることが大事だったのだ。
「ひたすら学問を語る」
それだけで誰に気兼ねすることもなかった。
自分の国の学問はみんな知りたがったので率直に話した。
それぞれの国が「勘違い」していたので、率直に学問を語る人は好感された。
「間違いを尊敬している」という言葉は必ずかけなければならない。
アメリカ型政治家には国境なんてなかったからね。
まったく言っていることが一貫していないのが国というものであり、外国国家もそれは同じだった。
しかし、みんな「勃起する男」として生きていたのだ。
今は「アメリカの覇権」を利用してもいい時期だ。
セックスに寛大で、しかも、純潔を押し付けない。
「あなたにとっての快楽がセックスでないのは知ってるわ?」
それでいて私たちに快楽を与えてくれるの。
そうでなければ人心を操ることなどできないのでしょうね。
アボガドじゃねーし。

男女が同じ土俵に立っていないことなど口にも出さずに、快楽、甘美なるものを探求し続ける人。
その動機が極めて純粋だった。
宗教的な崇拝もされていた。
田舎に「世界」を持ち込んで、国がそのことを追認するというスタイルだった。
女たちの「局部」がワールドワイドになるのでみんながそれを歓迎していた。

2017年12月15日 (金)

子供の写真。

ヴィトゲンシュタインは、子供の写真を愛した。
誰が正しく、誰が間違っているのかがまだ明確ではなく、大人になって「イエス」と呼ばれる男が他の子供とどのように異なるのかにみんなが関心を寄せたからだ。
卒業写真 荒井由実。

男の名前は数多くあった。男たちもたくさんいた。
「名前」を男はどのように「女の興奮」につなげるつもりだろう?
「オバマ」「ロンドン」のような有名な名前もあれば、消え去っていく名前もある。
女たちの激突ではなく、男たちの激突を記録に残すために卒業写真は作られている。
祝福された男の「器」が女たちの胸に刻まれた。
どの女たちに?
そのために女子たちの写真も撮った。
女たちは「セックスした男」の記憶は残していたが、一方で「この男の子とはどのような関係だったのか?」も思い出せた。
「私たちは今みたいなタテ社会ではなかったよね」
何も予見できなかった私たちだけが写っていた。
その「イエスの真実」もトラクタタスという写真のルールに組み入れた。
「今の名前」と「昔の名前」のコンビネーションから女たちは「嘘」を覚えた。
さよなら ribbon.

「分からなかった」
これが女たちの答えだったからだ。
しかし、自慰の対象にしていく数が多くなることはあった。
最後には「彼はまだ勃起するのかしら?」という心境になっている。
つまり「生きているのかしら?」という意味だった。
複雑で、いろんな感情が混ざりあっていて、女たちは怒りを感じていた。
「名前」
それ以外に世の中で意味のあるものはないのね。
「あの人はいまだに毎日、新しい恋話を見つけてくるの」
しかも、奥さんを愛している。
それならば彼の名前を出して私もいい男を見つけるわ?
そのためには彼は嫌われ者でなければならなかった。
「彼からのプロポーズも断った」と女は語った。
「名前だけよ」「とにかく嫌いだったの」
哀しい方の嘘 ribbon.

ばったり出会ったらどうしよう?
「変わってないね」と言うわ。
彼の積み重ねた経歴のすべてをこの一言で表現した時のエクスタシーは女だけのものよ。
男もむしろその方が「セイシェル」と呼ばれる快感を味わった。
童心に帰ったよ。
そこにはもう様々な恋の思惑も無くなっていた。
本当に変わっていないのならば集票マシンにはならないけどね。
「女の感じ方ってご存知?」
セイシェルの夕陽 松田聖子。

「変わらないね」と言われたら、シンプルに自分のどこが変わったのかを表現すると女の快感が増す。
「医者の分からない、弁護士の分からないと身近に接していたから私の文章はただの文学だとは思われていないみたい」
ほんの一言でいいのだ。
その時に、この少年がなぜスターになったかが分かった。
同窓会でベラベラと話す奴はいじめられる。
スターは「ただいるだけ」なのだ。
みんな「卒業写真の思い出」に沈黙していたからだ。
私たちはさんざん写真を楽しんだからね。何を言われても驚かないわ。
なんでか分からないけど彼は「日本」よね。
セイシェルの夕陽を見ながら思い出したのは子供の頃のことだった。
すべての思いを込めて「変わらないね」と女は言った。

2017年12月14日 (木)

信じる女。

女にとって宗教とは、オーガズムの上昇する感覚であり、その後に手元に残るお金に由来するものである。
1回いくら?日経平均株価。

ある意味、神秘的側面が存在するのは事実だ。
見たり聞いたりするものではなく「感じる」ものだからだ。
痩せている女の方が感じやすかった。
多くのおちんちんを同時には挿入できないだろ。
ここに「一神教」の起源が求められる。
誰に長話を聞いてもらい、誰からお金をもらっているのか?でパートナーを当てたヒュームの奇跡は今となっては当たり前になった。
【女の口説き方、が宗教になるのは必然だったのだ】
松田聖子 蛍の草原。

マーティン(1990年)やニールセン(1985年)は、言葉だけでセックスできた時の言葉の値段が株価であるとした。
文学が株価の背景にあったのだ。
女たちは「私が誰なのか教えて」と言って口説かれていた。
「女の人生には忘れられない言葉があるのよ」
その言葉によって女友達ができるから彼にからだを委ねた。
夢芝居 梅沢富美男。

日常の会話と宗教言語は明らかに異なっている。
「大いなる太陽、大いなる愛」などと急に女が話し始めたらもはや宗教言語だった。
「私は神を見た」という女の言葉は「私はエルビス・プレスリーを見た」というのと同じ意味だったのだ。
「音符でできた言葉」の探求にイスラムも仏教も参戦して来た。
四月は風の旅人 松田聖子。

「イエス様は私の罪の代わりに死んでくださった」というのは女の言い分であった。
言葉を噛みしめながら感じる経験は、ただ聞くのとはわけが違った。
男が別の男から女を奪うのは「知恵と対話」によって行うのだから、言葉の取引がなされるのは当然だよね。
SPEED Deep blue & truth.

カルヴァンは、「恋」という観点から、言葉よりも若さと性欲を重く見ていたようだ。
「笑顔、言葉、生き方」を感じるのが若い女の子であった。
瀬能あづさ ふたつにひとつ。

大人の女はもっと難しいね。
必要な話を求めてくるからね。
よりシンプルに、女の嘘も見抜きながら話すんだ。

男が「分からない」と言う。
孤立が待っていることも分かったし、怒りに変わることもあった。
取引もした、その後に落ち込んだ。そして現実を認め、希望を持った。
すぐに調べればわかることなのだ。
「システム」を確立していれば、今は「分からない」と男は言わない。
医者の「分からない」「イライラしますか?」と言うのは自分の気持ちを物語っており、医学書を調べないのならば縁を切った方がいい。
すぐに精神安定剤を持ち出してくる。
自分以外に勝手に動いている他人の存在を理解していないのだ。
イエスは「あいつも分からなかった、こいつも分からなかった」と思いながら到底太刀打ちできない外国語を読むだけだった。
女の子たちはイエスの言葉を喜んでいたし、時には「なんという特異な発言!」と笑ったが、それが真理だと知っていた。
イエスは医者の「分からない」も弁護士の「分からない」も知っていたのだろう。
それを「大工」という「技術の優れていた男」と表現した。
医者や弁護士と身近に接していたことを「パーフェクトパーソナルクリエイター」と人々は呼んだ。
誰も「ただの文学」だとは思っていなかったのだ。
「経験」だけで生きているのならば女性の「局部」は芸術にならない。
マルクスとフロイトはそのようにして誕生したのだ。
アボガドじゃねーし。

女が「めまいがした」「薬に頼った」のならば男の失敗だ。
男は侮辱されて勃起しなくなるだろう。
女たちは「素晴らしい経験」を語り継いでいたし、そのような作家を人に勧めていたのだ。
男に「女言葉」を知って欲しかったのだ。
素敵な言葉を話した人がモーゼなのかムハンマドなのかパウロなのかはみんな争ったよ。
でも、女たちの考えは皆同じだった。
「男はどのようにして出来上がるのか?」という国際関係論が違ったのだろう。
ヒンドゥー、仏教、ジャイナ教にまで国際関係論は分断された。
どの国の女が最も感じているのか?
それは一人当たりのGDPとして表現した。
一人当たりのGDP。

日本はまだ世界で22位だし、ビパッサナと呼ばれる「女の瞑想」は決して先進国とは呼べない。
しかし、大乗仏教の女たちの「オープンさ」は今後、国を強くするだろうね。
世界全体がそう見ているんだ。
中国人女がどのようなよがり方をするのかというデータを世界は取りたがっているけど、今は秘密にされているね。
レッドブル、ハーゲンダッツに日本人男孤立。

ルクセンブルクのイエスには日本のイエスは敵わないし、一人当たりのGDPはイエスの監督下に置かれている。
しかし、順位が4位も上がっていることと、今後の治安や味覚などを見ていかないといけない。

2017年12月12日 (火)

ケネディ暗殺と政治。

ケネディ暗殺の映像はかなり古い機材が使われているが、それ以外にも警察無線の2つのチャンネルが音声を記録していて、音声解析技術から、ケネディの乗った車を並走していたマクライン巡査が時速30キロを維持しなければならないところ、発砲と合わせて四度エンジン音を消していることが明らかになった。
問題は「マクラインがケネディを射殺した」という真相ではなく、その後に展開された「政治ショー」であるということが指摘された。
本来、ケネディ大統領は黒人を政治コミュニティに組み入れる巧みな才能を持った人物であり、その嗅覚が抜群だった。
また、妻のジャクリーンも「彼を飽きさせないことが大事だった」と語るほど魅力的な男だったのだ。

1960年の大統領選挙の時の選挙参謀マケインが、「候補者の中で唯一セキュリティをつけていない」ことをケネディの強みにしたことからストーリーは遡らなければならない。
マケインは地方の警察に警備を依頼していたし、ケネディ自身が人々に取り囲まれるのが好きだった。
小規模の陣営だったが大統領選で勝利を収め、マケインはわずか2時間でセキュリティの話を終えて大統領としてケネディは活動を始めている。
「シークレットサービスがケネディを守っている」というのも周囲が勝手に名乗っていたことだった。
それに目をつけたのがテキサスの「ケネディの敵」たちだったのだ。
オズワルドはケネディ暗殺の5日前にCIAに雇われただけだったし、ジャック・ルビーは軍務を解雇されたばかりのゴロツキだった。
CIAの仕事は、このような醜態をキューバやソビエト、イスラエルにどう説明すべきかというプロジェクトを組むことだったのだ。

CIAに雇われたばかりのオズワルドは「セクションQ」に送られた。
ケネディはコスタリカなどの南米との連携を進めていたために「シークレットサービスがいなかったために巡査に殺された」ということだけは封印したかったのがCIAだったし、南米がなにしろケネディの発言に注目していたのだ。
1961年のケネディの大統領就任演説の時から、会場があまりにも無防備にオープンだったことは知られていた。
「大統領のシークレットサービスなど神話に過ぎない。いつでも殺せる」と思われたのも仕方がなかった。
大統領専用車の防弾ガラスは今となっては当たり前になっただけだったのだ。
あとはみんな「CIAの資料の開示」に踊らされただけだ。
ケネディが暗殺された後にジェラルド・フォード副大統領が大統領に昇格している。
このことが大統領暗殺のリスクを高めることはフォード自身が学習しており、ニクソンが辞任した後の大統領は首席補佐官が務めている。
大統領のバックルームを一新させる効果がケネディ暗殺にはあったのだ。
「バックルーム」からの暗殺のリスクはFBIが封じ込めることを約束した。
ウォーターゲート事件の時にニクソンが暗殺を恐れたのは事実であるし、ロックフェラーがニクソンの後継としての地位を得るために、ケネディ暗殺の11年ものちに暗殺の映像を公表している。
脳細胞が飛び散り、銃弾が来た方向に頭がのけぞるという生々しいものだったのでニクソンが怖気付いたのだ。
ウォーターゲート事件がケネディ暗殺の映像を作り出したと言っていい。
ロックフェラーが作った映像。ケネディ暗殺。

【大統領選に勝てない連中が簡単に大統領になれる】
これが暗殺にまとわりついたのだ。
ケネディの敵であったフィデル・カストロはこの映像に喝采を送ったし、大統領は周囲の「心なさ」を思い知っていた。
ケネディの追悼式をやるたびに「アメリカ合衆国が世界でどれほど必要とされているか」が分かるね。
ボストン交響楽団はこれで存続が決まったほどだった。
ボストン交響楽団は演奏中に聴衆にケネディ暗殺を告げ、人々は衝撃のどよめきのままベートーベンの第九を聴いた。
ベートーベン 第九。

人々はこの時に「共産主義者って悲しい人種だね」と言って涙を流した。
アメリカ合衆国は明確に共産主義とは決別できたのだ。
いずれにせよ、史上最も若い指導者が最も若い死を遂げたのだ。
どれほど敵が多かったであろうか。
ソビエト連邦にはフルシチョフもいた。
ケネディはとにかく人気があった。
その後の大統領が「目指す境地」に何が待っているのか?
それが「ケネディ暗殺」の研究なのだ。
ローマ・カトリック教会の子供たちの到達点だったからだ。
政治の意味が分からなくてもケネディとニクソンのテレビ討論会はみんなが見た。
コンバーティブルの車の後ろで手を振っている政治家というイメージもあった。
ケネディが大統領選挙に勝った時は1%差だったし、国が分断されたようだった。
就任式の時は学校でもテレビをつけて先生が国への忠誠を誓った。
なにしろテレビでの大統領就任式の放送が初めて行われたのだ。
クラスのみんながノートを取っていたのを後で知った。
なんてったってアイドル。

ケネディが撃たれたという知らせが教室に入って来た時は、「彼はまだ生きているだろう」と祈ったが、十二分後にはシスターが泣きながらドアをノックして来たよ。
これがカトリックの学校だったんだ。
「アメリカ合衆国大統領が亡くなりました。学校は休校となります。各自、両親の元に戻りなさい」という校内放送が流された。
キューバ危機から13ヶ月しか経っていなかった。
ソビエト連邦が喜ぶと思うと悔しかった。
アンカーマンのウォルター・クランカインがメガネを外したのが印象的だった。
ウォーター・クランカイン。

ケネディ一族は移民の出だという意味では興味深い。
19世紀にはアイダホのポテト農場の貧しい農夫だった。
1929年の世界大恐慌の時に投資の才能が評価されて、父親が「アメリカで最も豊かな人物」となったのがキャリアの始まりだ。
ケネディの母、ローズは政治家の血を引いており、ローズの父はボストン市長だった。
若い時期にお金と政治力の双方と接する機会があった。
彼の教育、服装、食べ物、家族、何もかもが「ベスト」だったが、それだけでは権力は得られなかった。
マサチューセッツに住んでいたことと、メイフラワー号、アイルランドカトリックのアイデンティティを明確にしたのが良かったのだろう。
フランクリン・ルーズベルトの安全保障補佐官をやったり駐英大使を経験した。
しかし、「アドルフ・ヒトラーが勝つだろう」という重大な間違いを犯している。
ルーズベルトはマスコミに「自分が欲しいものばかり外国に要求する大使はいらない。世の中には明るい側面と暗い側面がある」と発言し、ケネディを叱った。
ケネディのキャリアはここで終わったのだ。
しかし、ケネディは弟のジャックとともに船を楽しむ習慣があったのでトルピードに乗せられた。
この時に日本軍に船を沈められて、背中にひどい怪我を負っている。
この時の遭難の時にココナツの実を笛にして助けを求めたことから海兵隊で勲章をもらい「JFK」と呼ばれた。
ケネディには兄もいたが、弟が有名になったことに嫉妬して、船を爆弾で大破させてしまい、「JFK」に迷惑をかけている。
兄弟とはそのようなものだった。
兄と弟が破滅するのを待って、ケネディは兄弟をかばった。
戦後になって議員になって、仲間もできている。
第二次世界大戦が世界の勢力均衡だけでなく、国内の勢力均衡をやって保つためのものだったと理解していたし、ニクソンは1952年に副大統領候補になるという早熟さがあったものの、あの頃の人たちはとにかく物事を治めるのが好きだった。
カリフォルニア出身のニクソンはとにかく「反共」を標榜して人気を博していた。
ケネディは、「勇気の履歴書」という本で彼の経歴を記し人気を博した。
1956年の大統領選挙でスティーブンソンの副大統領候補に有力視された。
39歳という若さだった。
しかし、これは実現せずにスティーブンソンはアイゼンハワーに敗れている。
この時に「ケネディファミリー」の団結が知られるようになった。
アイゼンハワーの任期が終わり1960年にケネディとニクソンはいよいよ激突したのだ。
副大統領を二期務めた47歳のニクソンと、上院議員の43歳のケネディは「経験の差」が指摘され、6%ニクソンがリードする展開だった。
ケネディは、アメリカ合衆国をカトリック国にするつもりか?と言われたが、プロテスタントの集会に出て「偶像崇拝ビジネスを否定するつもりはない。カトリックの代表ではなくアメリカの代表である」としてプロテスタントの連中の拍手を浴びた。
プロテスタントの連中は次々とケネディに握手を求めた。
ジョンソン副大統領候補はテキサスで怒りに震えていた。
「カトリック国にするつもりじゃなかったのか?」
しかし、宗教論争はこれを機に消えて無くなったのだ。
アメリカ芸能界は存続を決めたし、ケネディはその問題よりもソビエト連邦の脅威の方が重要だとしていた。
バチカンもこれを容認した。
ケネディはカトリックの支持も失わなかったし、カリフォルニアの芸能界を「ニューフロンティア」と呼んだのだ。
カリフォルニアで地滑り的勝利をおさめた。
スティーブンソンの時代は終わったのだ。
ケネディは、ローマ法王の前にひざまづくことは二度となかった。
バチカンの中には不快感をあらわにするものもいた。
ケネディとニクソンは有名な「キッチンディベート」を行うことにした。
しかし、アイゼンハワーはニクソンにこれをやめるように忠告していた。
ニクソンはキャンペーン中に感染症にかかっていて顔色がすぐれなかったし、服装もケネディほどおしゃれではなかったからだ。
しかし、ニクソンはこれを強行している。
このようにしてハワード・デービスが間に入るディベートは全米に放送されたのだ。
ディベート映像。

ニクソンは汗だくだったし、とてもではないが「大統領」には見えなかった。
これがテレビだったのだ。
1億6千万人が投票するというのに7千万人がこれを見てしまった。
それ以降の大統領選挙でこのようなことが行われることはなかった。
ジャクリーンの元には大量のファンレターが届いた。
「ケネディファミリーここにあり」
メディアは「完璧な家族」を報じ続けた。
ペンシルバニアやアイオワで群衆に囲まれたケネディだったが、この時からセキュリティの不安は見え始めていた。
ニクソンは「アイゼンハワーチーム」のメンバーとして副大統領の地位を利用することにした。
ユダヤ人ゲットーを訪れたり、フルシチョフのいるモスクワを訪れたりした。
もはや両者ともに「二期8年」を見据えていたのだ。
いよいよ投票の日を迎えた。
ルー・ハリスなどのケネディ陣営のスタッフは極めて楽観的だったが、ケネディ本人はそうではなかった。
1956年の副大統領候補になれなかった時のことを思い出していたからだ。
セオドア・ルーズベルト以外にオハイオで勝てない候補者が大統領になったことはなかった。
ケネディはニクソンの支持基盤であるカリフォルニアを気にしていた。
「勝ったよ」
報告が来た。
決して大差ではなかったがケネディは大統領になった。
ケネディ就任演説。

就任演説では「戦争や大恐慌の時以外必要のなかった」黒人の公民権について触れている。
歴代のどの大統領も「口にしたら罵倒される」言葉を口にしたのだ。
大恐慌と戦争を知っていて、しかも20世紀に生まれた男の特権だったのだ。
「国があなたのために何ができるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えてください」
この言葉は、「民の力に委ねなければならないことがどうしてもある」という意味では24世紀までは記憶されるであろう言葉だった。
ケネディは、工業系、農業系の大学を黒人に解放しようとしたが、議会では南部の白人有力者が多数いたし、議会そのものでも民主党は多数派を握っていなかった。
WACPにとっても優先順位の高い課題ではなかったが、容赦なくデモは起きた。
KKKは、そのような黒人を撲滅するために結成されたのだ。
アラバマではキング牧師が教会で包囲されたために戒厳令を敷いた。
ケネディは否応なく「黒人問題」と向き合わざるを得なかった。
ワシントンD.C.は黒人の味方ではなかったが、アラバマではしきりにキング牧師が活動していた。
弟のロバートが司法長官として、ケネディの力になったものの、ケネディは肌の色の違いがどれほど重要なのかを深く考えずに「ひとつの国」と発言している。
黒人の教会が爆破され、子供たちが死んだ。
生き残った黒人シスターは容赦なくメディアで発言を繰り返した。
1964年に公民権法がジョンソン大統領によって施行されたが、ケネディの遺産だと位置づけられている。
一方で、ケネディは、冷戦の激化にともない核ミサイルのみならず宇宙旅行まで企画し始めた。
キューバ革命が起きた。
ケネディはCIAを送り込んでカストロを殺害しようとしたが大敗北を喫してしまった。
カストロ体制は存続が決まり、のちに共産国としてソビエトの核ミサイルを持ち込もうという企てがなされている。
ベトナムとラオスの紛争にも介入した。
ケネディは共産主義を憎んでいたのだ。
女心をつかんで、その資金から数十億ドルを用いて月世界旅行を考えた「サイエンスのリーダー」としてのアメリカ合衆国の地位を他国に譲るつもりはなかった。



iTuneUより。

【日本の歴史】
草薙の剣は星を表現し、知恵、強さを意味する。熱田神宮にある。
やたの鏡は太陽を意味し、率直さ、純粋さを意味し、伊勢神宮にある。
やさかの勾玉は月を意味し、優しさを表現し、皇居にある。

1960年代の「三種の神器」とは冷蔵庫 白黒テレビ 洗濯機であり(3K)
1970年代の「三種の神器」とは自動車 クーラー カラーテレビ(3C)
であり、「知恵、強さ」「率直さ、純粋さ」「優しさ」がどの家庭にも必要とされたことがわかる。

剣には古墳では「大王」と中国語で刻まれ、「天皇」という言葉は後の時代に作られた言葉だ。知恵と強さが王に求められた。
鏡は鉄でできており、率直さ、純粋さが中国とのつながりやお金とつながったことが分かる。
勾玉はなにかの果物を表現しているようだ、どの家庭にも富はあるだろう。

古墳は全国各地にあり、宗教を背景にする富の蓄積を示している。つまり、「畿内」の発展だ。
埴輪は家庭から来るファッションの発展を意味する。

2017年12月 8日 (金)

ワーグナーと戦うために。

ニーチェは、ワーグナーと戦うために哲学を完成させた。
その集大成が「アニメにメンデルスゾーンをかぶせる」ということだった。
BGMとして意識さえしていれば、放送ではメンデルスゾーンを削除しても構わない。
「女と障害者で盛り上がる」という部分においては株価となんら変わりはない。
クレヨンしんちゃんの楽しみ方。


好きな女性アーティストが数人いて、しかも「皮オナニー」(ユーダイモニズム)ができるのならば問題なく「男」になれる。
1人に頼りすぎてはならないし、常に代わりが登場する、これがプラトンが作った世界だった。
女の「自己主張」と関わる行為だったから48人も覚える必要はない。
「女の局部に頼らず、記憶に頼らず、心から湧き出るものだけよ頼りに抜くのだ」
性倒錯を起こさないのにも秘訣がある。
アボガドじゃねーし。

プラトンがアカデメイア(高等教育機関)をアレキサンドリアに作らなければ、そこで学ぶために「都会に向かう」連中もいなかった。
つまり、アリストテレスのような「越境問題」からダマスカスやバグダッドを作る連中も生まれなかった。
ましてや、「ソクラテスを学びたい男」もいなかったであろうし、プラトンの詩を歌ってみたいという女の子もいなかっただろう。
ソクラテスについてまとめ上げたキャリアの前半がプラトンにはあり、アカデメイアで詩を完成させる円熟期があり、キャリアの晩年はアリストテレスの越境問題に力を貸した。
ユーダイモニズムには「これで十分気持ちいい」というものがあり、中学生は肛門など気にならなかった。
さくらんぼと孤独。

ノクターンを聴きながら男女が合体して動かなければ男女が同時にオーガズムに達する。
これはクレタ島文明であったし、人生の目的に思えた。
しかし、プラトンはソクラテスの「女心の探求」を参考にもっと心が豊かな「男」を作ることにしたのだ。
クレタ島文明だけでは解決できない問題が世の中にはあったからだ。
女たちは「自分の心の定義」を男に求めていた。
このことからアカデメイアにおいて「試験」を行うことが可能になったし、卒業してからも女たちに取り囲まれる男が出てきた。
全国一斉テストができるようになったのはソクラテスのおかげだった。
ノクターンセックスは「治める」という気持ちがなかった。
無法地帯ではないか?
ノクターン。

アテネがペロポネソス戦争でトロヤに勝ったのも「法」があったからであるし、「女心の定義」ができたからだ。
簡単に詩にして、しかも深い哲学を学ぶ学校がアカデメイアであった。
女心を定義できる男がいた方が社会はより素晴らしかったので、クレタ島文明は過去のものとなった。
どのように女のハートをつかんだのかをアポリアと呼んだし、それが知りたくて勉強することをメノと呼んだ。
とにかく「女心を定義できる人」というのは噂になったし、10人の男に抱かれた後に彼の追っかけをやった。
あの美女が追っかけをやった?
男たちは「知らないことへの復讐(ラッヘ)」をやった。
ソクラテスは毒をあおったが、ちょっと気分が悪くなる程度の毒だった。
ラッヘ(復讐)が犯罪の起源であるとは言い切れない部分がある。
美女に追っかけられる男は高貴な存在であったし、ラッヘ(復讐)の対象だった。
「彼が死んだ後に彼の評価を定めよう」とみんなが思った。
ソクラテスの言葉をプラトンは思い出していただろう。
ソクラテスの死後に彼の評価を定めたのはプラトンだった。
ラッヘとはこれほどまでに神聖なものであったのだろうか。
ラッヘとは「ソクラテスの知識を知りたい」という意味ではメノだった。
追っかけをやった女たちを調べるのがアムネスティの役割であったし、ソクラテスの評価を抹殺するためにそれを穴に埋めて回った。
アムネスティにとって最も憎かったのがソクラテスだった。
プラトンはラッヘをやったが、アムネスティはそれを邪魔した。
このアムネスティの立場も人道からくるものだったのかもしれないが、ラッヘは犯罪の起源であるとは言い切れないのだ。
「気持ちいい」「美しい」これが争いの元だった。
11月のアンクレット AKB。

しかし、ラッヘ(復讐)であると言いながら勉強する若者はいた。
偏差値が高くないとアカデメイアには入れないぞ。
ウォークマンやiPodはアカデメイアでの勉強の予習のためにあった。
勉強している若者にはピンとこない深刻な曲もあった。
「俺は何も知らない」ということが分かればよかったのだ。
「セックスをしたらトラブルに巻き込まれる」ということも知ってもらいたかった。
国の大きなテキストを読んだ方が家も立つし、食べ物、洋服に困らなかった。
「お前にもおちんちんはついてるんだろ?」ということからラッヘは犯罪の起源とは言い切れなかったし、アムネスティは本当の政治学を「各自で学ぶように」としてソクラテスを追っかけた女の記録を抹殺した。
アムネスティは全体主義を嫌っていた。
もはや真理があるということを否定したのだ。
皇帝が生まれるのを潰したかったんだろう。
プラトニックというのは知恵と勇気と寛大さとセックスがなければ成立しなかった。
各自が射精するたびにラッヘは軽くなった。
4つの街に3つの学問があり、それで都市は姉妹都市になったりして平和を守っていたのだ。
いずれにせよ、アムネスティが「面白くない」と言ってアマテラスを洞窟に閉じ込めたのだ。
学問が好きでなければ女心は分からなくなった。
ここで、サラリーマンの味方であるアムネスティと、政治家の味方であるプラトンは対立したのだ。
リゲイン 24時間戦えますか。

サラリーマンと政治家にはバックボーンとなる哲学があったが、芸能をやる人間にはそれがなかった。
芸能人は「第三階級」と呼ばれたのだ。
プロデューサーは常に政治家の言葉を聞いていたし、第三階級を低い身分と見なしていた。
「言うことが聞けるかどうか」
これだけが第三階級には求められた。
このようにしてサラリーマンと政治家と第三階級である芸能人は明確に区別された。
お金、自由、名誉がこの3つの身分に割り当てられたのだ。
サラリーマン、政治家、芸能人つまりお金、自由、名誉の3つを考えるのが幸せだった。
自分に合った人生を送っていいと4つの街は言ったのだ。
政治家に最も高い教育が必要だったが、次にサラリーマンであり、最後に芸能人だった。
なにか「神聖な狂気」がなければ政治家にはなれないよ。
言葉を選択する仕事なんだ。
方法論に迷ったり、ソクラテスやプラトン、アリストテレスを公然と否定するようでは政治家にはなれない。
つまりは学歴なんだよ。
入試が大事なのであり、大学に入ることが大事なのだ。
青いスタスィオン 河合その子。

男が勃起しなくなるのが一番都合が悪い。
各人にあった仕事というのはあるのだ。
そのようにして、サラリーマンと政治家と芸能人は人生の旅を共にする。
神聖な狂気が目つきに表現されていると東京大学は優先順位をあげていた。
本当に病んだらサラリーマンにもしないで学生を自由の世界に解き放った。
それが東京大学法学部の経験則であり、重厚さでもあったのだ。
教授自身が病んでいるのだから当然だろう。
勉強から人生を始めるのだから進路は自ずと決まるだろう。
それがプラトンの「国家」というものだった。
成績が良くても悪くても「勃起する」というのが国の繁栄だったのだ。
低学歴で自宅警備員だというのならば自分がどこに行くべきかは分かるだろ。
ラッヘという名の勉強をしなかったのだからね。
シチュエーションが定義できないのだから低学歴なんだろ。
ドラマにでてよく勉強しろ。
お金を持っている人に礼儀正しいとかそういうところから「選ばれる」ということがあるのが芸能人なのだ。
クレタ島のノクターンセックスを統制するためにどれほど哲学者は書かなければならないのだろう。
ハーゲンダッツや醤油まで使って乳首や局部を美しくしなければならなかった。
ノクターン委員会とエニグマが「女王蜂」を生み出したが、女王蜂にはお金は集まらないよ。
不幸な結婚ばかり聞かされているんだ。
愛の炎 田中れいな。

2017年12月 7日 (木)

予算の使い道。

ブレトン・ウッズに基づくWTOは、予算の使い道として「仲間の多い人のところにお金を流すしかない」とし、彼の男らしさを守るため、そして暴力が起きたところに金を流すことにしていた。
米騒動 議院内閣制の確立。

国際社会はこのような発想をグローバルにしただけではないか?
「ヘルプ」「エイド」こそが国際人の仕事となったのだ。
しかし、「女の心は大きすぎる」ということを知らない世界の貧困層に予算を使う必要はあるのだろうか?
喫茶店で人生相談に乗ってもらったり、海岸で女の腰のくびれを見たり、恋愛をしたり、セックスをしたり、テレビで処女を見たりしたら税収が上がるんだろう?
それならば、そのような環境にないもののためにお金を使ってもいいのではないか?
法律は海から来た、王室も海から来た、しかし、男たちは陸にいる。
陸では仲間がたくさんいるのだ。
陸では女たちがオシャレをし、適当に気持ちのいいセックスで妥協をし(ベースライン)、サラリーマンとして幽霊のように歩き、税金や法律を勉強してそれが金儲けだと信じていた。
これが「海から陸へ」の富の移転だったのだ。
陸では人種差別もあったし、ガンをつけあってはいけなかったし、やる気のあるやつとないやつがいた。
避暑地のアンニュイ 河合その子。

適当な気持ち良さで妥協している奴には金を与える必要があった。
イタリアでは法律の山が収拾がつかなくなるほどできた結果、イタリア南部よりも北部の方が豊かになっただろう。
日本でも「法案成立」という報道があるたびに海は貧しくなった。
陸のやる気のある奴が法律や税金を勉強して、金を儲けて、やる気のない奴はサラリーマンとして幽霊のように生きた。
海では喫茶店で人生相談をしていたが、陸では「事務所」を作っていた。
1979年から1987年にかけて「陸王の大攻勢」が行われて、日本でも海の住民が貧しくなった。
これがロンヤス関係の成果であり、司法試験が一番難しいと言われた時代だった。
海からコンドミニアムが姿を消して、陸の豪邸には貧乏セックスしかなくなっていた。
快楽の少ない射精ほど富をもたらすとも言われた。
陸王。

セックス依存症になり、女のからだを見るのが病みつきになったら生活保護だけが待っているだろう。
そのようなものたちは陸から海へと弾き出されて行った。
神奈川11区の横須賀市と三浦市はどのような関係にあるだろう。
税収源は三浦市にあり、横須賀市が条例を作るたびに横須賀市は豊かになって行った。
しかも「ベース」と呼ばれる暴力を利用して根こそぎ富を持って行ったのだ。
法律や条例を作りすぎたために貧しくなった海のために「ロビンフット税」まで作られた。
法律は明らかに過剰だった。
それでも毎年100以上の法案は成立し続けるだろう。
法案が成立し続けるのは治安以外にもはや目的は無くなっていたが、ロビンフット税という名の消費税増税まで検討されている。
治安にしか興味がないのならば、それは予算措置で行えばいいし、これ以上、法律や条例を作り続けると「陸の男」でしかもやる気のある男だけが金持ちになるだけだ。
治安のために予算を割き、法律をもっと整理して勉強しやすくして、ロビンフット税をなくす以外に消費税増税やタバコ税値上げは避けられない。
海の人間はもっと「法律の過剰」に敏感になるべきではないだろうか。
これが台湾で学んだ教訓だった。
コートダジュールで逢いましょう 高橋由美子。

行政の簡素化を行えば「陸から海に」地方分権改革は自ずと行われるものだ。
「社会復帰?それは坊やに背広とネクタイを与えるための言葉だろ」(ショーシャンクの空に)。

台湾論の核心は「おばさんでマスターベーションするのは楽しい」というところにある。
おばさんは実際は私を潰そうとして来ているが、外面はそうは見えない。
向かってくる象を撃ち殺すハンターに似ている。
だからパジャマに象をプリントしたぐらいだ。
鈍い男はおばさんをテーマに詩も作る。
葛藤を抱えた女性として格好のテーマだからだ。
父や母の兄弟がいるということは非常に環境として恵まれている。
「ランカー潰し」と称しておじさんの専門分野を勉強する者もいる。
さて、中華人民共和国と台湾は「戦術的曖昧さ」と称して、台湾を中華人民共和国の「おばさん」と位置づけている。
一緒に住みたいなどとは思っていない。
台湾から中華人民共和国の大学に「越境」するものもいて、中華人民共和国のアイドルになる女もいたのだ。
「知っている文字を使う」という共通点しかない。
もはや、甥とおばさんの関係は「ひとつ」だったかもしれないし、トランプの言うように「ふたつ」だったかもしれない。
いずれにせよ、おばさんは甥を容赦なく攻撃したし、それでも甥はおばさんでマスターベーションする、そのような関係だった。
「あいまい」だと何をするのか分からないからたまに連絡ぐらいしなければならないだろう。
台湾海峡はもはや中華人民共和国の法の下にある。
一緒に住むとどんな問題が起きるのかも分かるだろう。
「台湾独立」という名の中華人民共和国潰しの行動を取るのも目に見えている。
「おばさんよりも曖昧すぎる」というのは「どうにかしなければならない」という意味だ。
そうならないためにも台湾を「おばさん」と呼んでその関係を明確にしなければならない。
正直言って、おばさんを相手にする怖さもある。
別のおじさんが登場したら緊張するからだ。
世代はもちろん一回り上だった。
経験を積んだ政治家しか中華人民共和国の中には台湾を相手にできる政治家はいなかった。
高橋由美子 天使か悪魔。

中華人民共和国のルールを押し付けることができないのは分かっている。
海峡のルールしか決められない。
たまに「いい知らせ」を伝えなければならない。
放っておいたら中華人民共和国は「はい、詰んだ」と言われるほど台湾は怖いおじさんたちに囲まれている。
フロリダに行っただの、マフィアとの交流があるだの、イヤーブックを所持してるだの武器を山ほど持っていた。
「自由に本を所持している」のが怖かった。
下手な話をするとすぐに離れていく。
酒は飲まないという。
細かな中華人民共和国の日常には興味がない。
「ただケーキが食べたい」
それが「おばさん」だった。
心の風景を知った時に、ようやく台湾論が分かった。
高橋朋子〜画家(小野光太郎のおばさん)。

お巡りさんが来たよ?と言っても「お前を痛めつけに来たんだよ」と言うのがおじさんだ。
醤油とって?と言っても「なんだ、取れないのか?」というのもおじさんだ。
かなり自由に言論のやり取りをしなければ「おじさん、おばさんの難しさ」は分からないし、ショックを受けることも多いだろうね。
「私があなたを愛するように、あなたは私を愛している」と思い込んでいた若者が、「私は他の人と同じように愛されている」と思うようになり、やがて「なんだ、別の人を愛していたのか」と思い、「なんだ、私と同じように派閥を形成していたのか」と気がつくようになる。
偉大な男が常に「おじさん、おばさんの仲間作り」を思い知っているのだ。
しかも「素人集団として」であった。
しかし、いかんせん自分よりも年上なので「健康にしか興味がない」「団結しきれない」という問題が指摘できる。
【医学(精神医学)に逆らうつもりはないのだ】
おしっこの色まで聞かない仲間とはすぐに縁を切るだろうね。
國府田マリ子 みみかきをしていると。

しかも、おばさんが「他の男兄弟と同じように両親を愛していた」という気持ちを利用しない政治家はいなかった。
さらに、兄弟姉妹の間で依怙贔屓があったということまで知らないと縁を切られる。
「火が消えちゃったよ」「お前が消したんだろ」
というやり取りは甥と叔父の関係を結んだことを意味する。
むしろヤクザの親密さの表現だった。
色彩が明るい(ライト)ね、というと羽毛は軽い(ライト)でしょ?と返してくる。
色と羽毛が「ライト」か?とあっという間にコミュニケーション障害を起こすのがおばさんと甥の関係だった。
トロントがあるのならば数がある。
政治家の存在感があるのならば数の勝負をしてくる。
それは「関係を続けたいため」だったのだ。
「男女の関係」にだけはとにかくうるさい存在だよ。
どうしたらいい?
同じ七面鳥を食べることだよ。
「おばさんと話すのは妻と話すのと同じぐらい幸せなんだ」
「王様は裸ではないということを証明するしかないんだ」
噂を「言ってることが違うじゃない?」と思ってもらうしかない。
なにしろ噂を信じ込んでいるんだからね。
さらに「もはや赤の他人としてビジネスパートナーにするしかない」とも言われる。
「おばさんにとって必要なものを与えてやるんだ」
さらに、精神医学の力量があるのならば「おばさんの周りの人間関係を定義してやる」ことからも反応は全く異なるものになる。
また、多数派工作をこちらも成功させる必要があるとも言われる。
【男なんてくだらない、という境地におばさんは陥っている。紳士になれ】
あの甥っ子も歳をとったわね、と思ってくれると都合が良い。
「人生を高速道路のように突っ走ることが必要だ」
【あの甥っ子は打ち出の小槌でも持っているのかしら?】
おばさんと甥っ子であることをゲームとして楽しんでくれてありがとう。
いろんなものを買ってみて、甥っ子のことを思い出すと、いろんな人生のことを思い出すのよ。
フォルクスワーゲンが台湾に満ちた時に、台湾は中国の重要な基地になるだろう。
中華人民共和国が台湾の数々の裏切りにもめげずに「おばさん」から「ビジネスパートナー」となった時にね。

2017年12月 5日 (火)

東京通。

よく、「若い頃はクラブで遊んだ」という女がいるが、遊んだと言ってもお金がなければ砂場での遊びに等しい。
今回は「金持ちの本当の東京遊び」を紹介したい。

【新宿遊び】
東京という街は、支配従属、回転、快感、光、おもてなしが「より速く、より速く」なることを目指した街だ。
1960年代に、国会議事堂があり、駅の周辺にはヤクザや左翼活動家がいただけの街だった。
しかし、1960年代のベトナム戦争時のアメリカ軍のプレゼンスの時の「セックスと革命の嵐」を終えると、1970年代に新宿で異変が起きた。
「赤線」の資金力の増強とオフィスビルの乱立が始まったのだ。
スタジオアルタが東京の全風景を映し出し、「どのように集まり、どのように遊ぶか」をスクリーンに映し出した。
「永遠に終わらないゲーム」が始まったのだ。
北海道から沖縄までの人々がスタジオアルタのスクリーンを見た。
東京都庁のエレベーターは実際はスピンがかかりながら上昇していたし、東日本大震災の時も大都会に睨みをきかせた。
47階には東京都議会があり、実際に多くのドラマがあった。
本来この都会は1960年代に磯崎新(あらた)が、原子爆弾のトラウマから多くのミュージシャンなどを用いて作り出した街だった。
「いつだって破壊されるさ」
そのような発想で、人間の形をしたビルを鉄とコンクリートによって作り出したのだ。
コンセプトは「いつだって破壊される」というものだったが、磯崎新の後を丹下健三が引き継いだ。
磯崎新は「白黒写真での写りがいい」という発想を忘れないように街づくりをした。
岡田有希子という女が死んでズタズタになったが、周囲を取り巻いた小さな群れは、彼女の肉体を見たり、彼女とのセックスを夢見たり、電話で実況したりしていた。
このようなことをミュージシャンたちは二度と起こしてはならないという共通了解が生まれ、都市づくりは黙々と行われた。
あくまでも芸能界が都市づくりをリードし続けた。
岡田有希子の死後、サラリーマンが1人、ホームレスとともに横たわっただけだった。
この事件以降、止まれと言っても止まらないタクシーが出てきた。
首都高環状線を1300円で入って誰も出てこないというのもメディアが流した情報にみんながしたがったのだ。
塚本晋也は「新宿こそがこの都会の眼と脳なんだよ」と言って「人々が病気にならない街づくり」を考えたのだ。
人が多すぎたので「エレベーターを静かなものにする」ことが病気をなくす秘密だと塚本は考えていた。
「音楽だけを聞いていればいい」そのような街づくりだった。
東京都庁は「贅沢の塔」と「仕事をする塔」に明確に区別され、東京の眼と脳であることの意思表示をした。
贅沢の塔では常に芸能について考えていたし、庶民の遊びとは異なる贅沢さに満ちていた。
そのようにして、東京都庁そのものが新宿として機能することで都会の健康を守ることにしたし、街では岡田有希子の亡霊が睨みをきかせていた。
自動車事故は毎日、起きたが、そんなものだろ。
ニッカウヰスキーのおじいさんだけが真実を知っていた。

【高円寺遊び】
黄色と緑の着物を着たダンサーたちは神社の様式にしたがって二組に分かれて戦った。
オフィス街の一角で突如として始まった神社の祭りであった。
勝敗を決めるための裁判官まで決めていた。
どっちが勝ったのか大騒ぎになった。
女がイチニサンと合図をして笑った。
村井秀夫が殺されていた。
これは1982年から始まった「阿波踊り」の初めての実戦投入であった。
1962年のクリス・メイカーのフランス映画「ラジェッティ」にヒントを得た「宗教論争の解決法」であるとされた。
あの映画から30年経って高円寺で初めてそれが現実のものとなるのを見たよ。
心臓マヒで死んだ人も何人か出たのでみんな解散した。

【谷中遊び】
実は、死というものを深く考えていたのは谷中の寺だった。
1923年の関東大震災、1945年の東京大空襲、1960年代の革命の嵐を無傷で乗り切ったのはこの場所しかなかったからだ。
1969年に外国人ジャーナリストであるジーン・ジェネットを警察が殺した時に、様々な怪情報を流して「樺美智子さん」と呼んだのは谷中が仕掛けたことだった。
谷中が「赤い墓地」という国と関係する死者を埋葬する墓地を掌握していたから出来たことだった。
ナチスが1940年に「埋葬さえ握ればいい」ということを明らかにしていたから行ったことだった。
「樺さん」が死んだのは実際は新宿であったが、埋葬を真っ先に抑えて、みんなで盛大にお見送りをしたのだ。

【羽田遊び】
東京湾にハブ空港ができた。
油やプラスチックなどをコンクリートで固めて埋めて作った。
1960年代に成田に新東京国際空港を作ろうと決めたら農民が反乱を起こした。
反乱によって三里塚で死者が出たと言って羽田に埋められた人もいた。
これもクリス・メイカーの映画を参考にした。
1985年に成田発の日航機が墜落した時に、その三年前の「機長の錯乱は東京湾の呪いである」という噂が払拭されたために、みな安堵したほどだった。
しかし、羽田の「化学物質」の存在が指摘され、羽田は一線を退いている。
「東京湾に沈める人」を作るためのとんだ茶番。

【渋谷遊び】
渋谷には有名なスクランブル交差点があるが、一方で裏通りにラブホテルがいっぱいある。
ラブホテルでの薬物使用が後を絶たず、渋谷のラブホテルでの薬物使用が検挙されると、スクランブル交差点が停電を起こすようになっている。
酒井法子さんはこのことにショックを受けて泣き出している。
「ハローキティに迷惑をかけてしまった」という女の子の気持ちを利用して薬物の取り締まりをやっているのだ。
女の子はまるで忠犬ハチ公のようだということから鉄の像もできた。
女の子はのちの人生で鉄の意志を持つようにという教えでもあった。
ウィリアム・バローズもハローキティの信者だったし、五徳寺がハローキティを祀っている。
酒井法子さんは周囲の女の子のみならず、イギリス人やフランス人にまで憎まれることになった。
マッカーサーは1945年から1952年までの占領下でハローキティを利用して日本の英語化を行なっている。
しかし、日本語は根強く残り「バイバイ」程度の影響力しか持たなかった。

【幕張遊び】
東京から幕張にモノレールで行くと多くのサラリーマンが下車する。
女の子は猫の絵が書いてあるカバンを持っていたし、東京に比べて平和であった。
海にはゆっくりとタンカーも動いていたし、砂浜もあった。
サラリーマンが心を病むとみんな幕張に向かった。
癒しの空間となったのが幕張だった。

【お台場遊び】
お台場が東京湾にできると、東京で経済犯罪を犯した連中が品川から逃げるのではなく、お台場のホテルを隠れ蓑にするようになった。
丹下健三は、子供の叫び声にもビクビクする連中をお台場に集めた。
新橋もお台場の価値を高めるのに貢献している。
アメリカが日本にアクセスしやすくなったのもお台場の力によるものであるし、フジテレビの拠点ともなった。

【鹿島遊び】
鹿島には木造の寺があり、地震は我々が起こしているんだぞという大ナマズを握っているとしている。
東京の信仰心を鹿島は握ったのであり、実際に1923年の関東大震災の時以来信仰心を集めている。

【光が丘公園町遊び】
ネオナチと新左翼がベルリンやタリン、トリエステなどで争い、お金が必要だと言って遊園地で子供を誘拐する事件があった。
日本でもそれが光が丘公園で起きてしまった。
メディアは「三億円事件」という噂を流して誤魔化したが、アパート暮らしの活動家がたくさんいて、サラリーマン世帯が大勢いて、公園には子供1人いない。
それが光が丘公園町である。
たまに、町中をスピーカーから大音響で「子供が行方不明になった」というアナウンスが鳴る。

【靖国遊び】
このような「東京の街づくりで死人が出た」ということを神風特攻隊と同格に扱い、彼(彼女)たちを認める、それが靖国神社である。

【皇居遊び】
二重橋までしか一般人は入れないが、天皇誕生日にバルコニーに天皇が現れ、何かつまらないことを言う。
人々は「万歳!」と言って歓声をあげるが、天皇がバルコニーから去った後に、人々は大乱闘騒ぎを引き起こした。

【乞食遊び】
秋田から上野に上京すると、男は山谷のドヤ街に向かった。
1964年のオリンピックの時にできた慣習だ。
みんな顔が黒く、一生、働いて、金ができたら新宿へ出て、サラリーマンに憧れながら生涯を終えるのだ。

【浅草遊び】
黒いボディの観音が1950年に浅草寺に作られた。
聖徳太子だとされ東京の現状を「僕、そのことをすでに知っていたよ?」と言うお坊ちゃんとして可愛がられた。


このような東京の街づくりは、銀行が行ってきたのであり、日本の銀行の信用力を疑うものはいないと言われる所以でもある。

東京は地震が数ヶ月に一回起きた。
街中が「セックス」をテーマにしたし、「いい死に方」をみんなが考えていた。
テレビに出ている女たちはセックスを露骨に語ることを禁止されていた。
ローメイン・スロコンブの写真に影響された少女マンガのようにアイドルたちは振舞うことが「お約束」となったのだ。
アイドルや女子アナは「性的アドレナリン」と呼ばれた。
白いドレスに銀色の天使の羽をつけた女が渋谷の東京コマスーパーノバラブホテルに向かった。
真剣な表情をしていて、セックス一回2時間の料金で若くてシャイなパトロンと関係を持った。
スマートフォンでセックスは撮影されており、散々、喘いだ挙句に顔に射精され、最後に女が笑った。
これが「性的アドレナリン」の真実かとみんな思った。
きゃりーぱみゅぱみゅと呼ばれていた。

上野の清水寺では毎年9月に、子供のいないカップルが200名の女の子を眺めにきて、子宝に授かるようにお祈りしている。
しかし、1人の女の子に火をつけてしまい、女の子たちが大混乱に陥った。
結局、「この煙は縁起がいい」と言うことになり、毎年二百体の人形を火にくべることにした。
この時の女の子7人が「神セブン」と呼ばれのちにAKBとなっている。
アイドルが1人消えても新しいアイドルが出てくるという意味にもなった。
アイドルの女の子は子供のいない夫婦の実の子供のようだった。

安室奈美恵は、沖縄から来たが、新宿のロゼッティというバーで青森県の恐山から来た男と知り合った。
口のなかに射精されて気持ち悪がっている写真も「アイドルの真実」として知られている。
安室奈美恵と男は6日間、ホテルでセックスしてお金がなくなったために山谷に消えていった。
気がついたら九十九里浜で、身体中傷だらけで警察に保護されて報道されたことから「どのようにしたら有名になれるのか?」を沖縄の少女は知った。
思い出の九十九里浜。

ポルノの蔓延と、漫画やゲームが常に「男同士のぶつかり合い」を描いていることから、女子高生たちは大人に憧れた。
しかし、この全体主義の国ではサラリーマンたちにとって女子高生との恋は「禁じ手」とされて監視の対象となった。
しかし、相撲を見た後だけはみんな「全て許す」と言ったために相撲ファンが多い。
相撲という文化を若い世代に教えたこと、そして中卒のヒエラルキーの動物的な側面を見たこと、相撲を見るだけのお金を払ったことなどが理由として考えられる。
1972年にメイナード・スミスがこのような「相撲のセールス」を考えたのだ。
タカ派にはお金がない。ハト派だけがお金を持っているということも背景にあった。
一緒に女子高生と文化を楽しまなければ、女子高生もその気にならなかったし、大人の世界を見せてもらうという最高のプレゼントが相撲だった。
愛の倫理社会。

浅草寺のトイレで男同士がホモの関係を結び、男の叫び声が聞こえた。
小室哲哉だった。
しかし、やがてどの地下鉄のトイレでもこのようなことがあることがわかる。
19世紀には処刑されていたことだったが、今は周囲の人間が笑ったりマスターベーションをしたりしている。

新宿の東京都庁は、東京の眼として「この風景が燃えてしまっても芸能がある限りいくらでも再建できる」と考えている。
外国人が成田に着いたらタクシーの運転手に「東京なんてあっという間だよ」と言われて乱暴な運転でレインボーブリッジを渡り、フジテレビが見える。
劇団四季などが見えたら急にタクシーの運転手はお行儀のいい運転に変わるのだ。
今は東京都庁は「インターネットの崩壊」だけを恐れているようだ。
2020年にプライマリーバランスの黒字化や財政赤字のGDP比135%という無理な国際約束をしているために2021年には崩壊する街と思われている。
民放各局が「どうせ滅びるのならば核兵器で」と仕切りに騒ぎ立てるが、テレビ東京だけが国の存続を知っているのだ。
北野武が新宿でスクーター事故を起こした時に、芸能が崩壊に向かい始めた。
「全盛期のビートたけしがいなければ面白くない」
みんながそう思って焦っていたのだ。
ビートたけしのトラウマが災害報道や北朝鮮報道を加速させたのだ。
「この昔の写真はどこから撮影したの?」
この研究を東京で行なったハワイのクック船長は処刑された。
極めて軍事的な問題であり、知ってほしくないことなのだ。
東京は敵が多いのだ。
1965年に川田喜久二が東京をX線宇宙撮影でも分からないようにしたのだ。
1960年代にウィリアム・クラインがニューヨーク、ローマ、モスクワの写真を撮影したが、東京も撮影した。
天皇裕仁まで撮影が許可された。
大人になんかなりたくない 新田恵利。

その後、クラインは横浜に向かったがバヤリースピーチソーダとかソニーとか英語ばかりではないか?
いつでも改ざんするつもりだなと思った。
森山大道の被差別部落の写真の方がよほど永続的なものであった。
滅びるのは被差別部落の方だったのだ。
そのことを考えると、横須賀の米軍基地など一瞬で撤去できるんだろうね。
荒木経惟は、東京のホテルや東京女など「儚いもの」を常に撮影し続けた。
ウクライナのボリス・ミカイロフは荒木に街の意味を教わりながら撮影した。
国策を知っていた荒木経惟にとって儚い営みが写真撮影だったのだ。
東京の映画の起源が東京大空襲の映像だったというのも皮肉だった。
地球が衝撃を受けている映像だった。
東京大空襲。

大島渚と唐十郎の「新宿泥棒」ぐらいしか本当の東京を理解した作品はないんじゃないのかな。
わずか5歳の新宿を描いて日本人は国というものを見失った。

サラリーマンに仕事などなかった。
ただひたすら「東京の幽霊として歩け」としか教わらなかった。
酒を飲み、家でスポーツを見て、仕事に行くだけなのだ。
みんな1970年の三島由紀夫自決の後の彼の幽霊として歩かされた。
ろくな文学ではなかったが、サラリーマンとしての生き方が書いてあった。
東京はデジタル化を迎えた。
0と1に血や肉を与え始めたのだ。
テレビは仏陀を描いても、日本のイスタンブールである江ノ島にはアウトローたちが大勢集まった。
デジタル化さえしてしまえば東京と似たような街はどこにでも作れる。
キャノンもNTTもそれをやりたがっている。
「俺たちでも東京都庁の役割は果たせる」
そう考えたのだ。
しかし、それをやるためには自家用車まで運べる東京フェリーターミナルの意味をよく知らないといけない。

【完】

2017年12月 4日 (月)

ユダヤの探求。

トラー(モーゼ五書)で覇権国家の言語を学ぶように言われたユダヤ人は、「人々が知らないことを明らかにする」という金融に関する宿題を出されて鬱々としていた。
レヴィナスは、そのようなユダヤ人が、「発展途上でありながらどのようにモテるか?」を探求した。
言っていることはバカだし、女たちをガッカリさせたけれども、周囲から「カッコいい」と言われる男のモデルを作ったのだ。
イスラエルとインドネシアにこの思想は広まった。
Mr.Children Tommorow never knows.

「俺のような奴」というモデルになることを男たちが競い合った。
若くてもファッショナブルで影響力があれば食べていけたからだろう。
それは、ハイデッカーの「退屈さと人混み」に身を委ねるのとは異なり、かなり商業主義的なものであり、自分が周囲から「片想い」の対象になるというものであった。
「俺のような奴」が女たちの支持を得たから起きた現象だった。
チェッカーズ 涙のリクエスト。

まず「違法であること」「努力しなくていいこと」が基本だった。
このことからデリダは、女がセックスした時に「私の子供の気持ちをどう思う?」と男に語りかける探求こそが愛の探求だっただろうとして、レヴィナスの言うことを聞いていると人間が成長しないんだよね、と批判したのだ。
「俺のような奴」を真似されると、「違法であること」「努力しなくていいこと」を忘れないでくれと言うメッセージを出すことにつながり、若さをお金に変えることの虚しい側面が見られた。
それでも、女たちはそのようなファッションリーダーに対して寛大だったんだよね。
なぜならば、女たちも「逃げ出したかった」からなんだよ。
学校から、家庭から逃げ出したかったのだ。
そのために「有名な男が好き」と言っていたのだ。
学校や家庭の問題から「守ってくれる人」に見えたのは「違法であること」「努力しなくていいこと」の2つに他ならなかった。
宇多田ヒカル 二時間だけのバカンス。

「女心は大きすぎる」としたカントの哲学は、若者のファッションの社会的影響力の大きさにまで発展した。
流行り廃りはあったけど、どの若者も一生困らないほどの評論家とのつながりを持った。
「努力はダサい」という若い頃に決めたポリシーは生涯を通じて変わらなかったが、お金には困らない生き方であった。
レヴィナスは嫌いという哲学者は多かったが、「俺もあいつのファッションは真似したからな」という男たちが大勢いたのだ。
石原裕次郎。

努力なんてダサい、これをサラリーマンが人生にわたって支持するのも目に見えていた。
真似していれば病気にもならない生き方だったので、「心のライバル」とも言われた。
いつかあいつのことを忘れた時に、俺は何かを成し遂げるんだろう。
しかし、サラリーマンたちは彼のことを忘れなかった。
何も成し遂げたことなんてなかったからだ。
デリダは「時代のスター」のいる時代を不幸だと考えていたのだ。
誰も何も成し遂げないからだった。
リトアニアのユダヤ人は、とにかく汚い格好をしていた。
何かを成し遂げたい奴はファッションに無頓着だった。
「若さというのは暗いんだ」というのが多くのユダヤ人たちの本音であり、ファッションリーダーのいる男を「何も成し遂げない奴」と見ていた。
ランズベルギスなんて汚いだろ。
男の目的意識が2つの流派に分かれたし、教授も2つの流派に分かれた。
「暗さが怖い」という男たちのニーズがあったのは事実だ。
「酔って生きた方がいいんだ」という考えには一理あった。
「全体主義であることは無限なんだ」とサラリーマンたちは主張した。
レヴィナスを冷ややかに見ていたのは哲学者たちであったが、レヴィナスは時代の大勝利をおさめている。
サラリーマンたちはアイコンタクトで仲間であることを確認した。
全体主義であることは無限である、これが昭和の大スターを生み出したが、平成に入るとやはりレヴィナスは失速した。
王室が存在したため、質素と野心を示す王子がやはり必要であることが分かったのだ。
メンズノンノ2017.

王子でなければ「教科書の間違い」を指摘できないのかもしれないと言われた。
全体主義であることは無限であるという発想を、歳を重ねることによる発信力に求めたのが王子であり、若い頃の「違法であること」「努力をしないこと」を強烈に批判した。
「王室には哲学者が多い」とも語られた。
国王になるための金集めに夢中になっていれば自分が何をすべきかがわかるし、その答えは哲学にしかない。
汚い格好をしていて、なぜかモテる男がいるのならば王室の人間だろう。
ファッションにこだわる男とのセックスが気持ちよくないことに気がついたのは女たちだった。
「絶対」がなければ出会いと別れを繰り返すことがわかってきたのだ。
汚い格好をするのが「国の歴史」となり、ファッショナブルな格好をするのが「家族の歴史」となった。
カール・シュミットも汚い格好をしていたが「国の歴史と家族の歴史の激突」を予測し、大体のその人の社会の位置を知った。
若い頃に「あいつは別格」と言われる汚い男もいた。
全体主義であることは無限である、ということから若い頃に決別していると、それは苦悩であり、絶対であり、野心であり、国の兄弟だった。
マツモトキヨシ CM.

文化は家の問題だった。
汚い格好が家の文化だという家庭もあるだろう。
お金の使い方を子供の頃から教わっているから文化が作られるのだ。
駄々をこねたら高いコートを買ってくれる家庭というのもある。
いずれにせよ、汚い格好をしているのに女の取り巻きがいるのならば王室の人間だということは知っておいた方がいい。
開き直りも芸のうち。

ヨシュア・ロイスは、プロテスタントの偶像崇拝の対象となった人間が貧困に陥るのを見た。
彼(彼女)らは、「周囲から注意されるたびに」財布が膨らんでいくのを感じた。
ナルシシズムとは庶民の感覚を失わせるものであり、周囲を笑わせることができなくなるものだ。
そのため、長いことナルシシズムに浸ると最貧困層に落ちる。
グループホームで当番をやらされたりすることによって、再びポケットが膨らんでいくのを感じた。
「テレビという素晴らしいものがある」と言ったのは政治の側であり、経済成長に利用されたものであるが、偶像崇拝される側の事情など誰も考えてはいなかった。
ヨシュア・ロイスがそのことを心配したのだ。
「絶対」を知っている庶民が好きだった。
つまり、女たちが拡散させる「女心の定義」を知っている学者を愛したのだ。
専用クリニックでは、庶民の感覚を持った学者が影響力を持った。
彼の噂をするのは、彼の話す「絶対」が好きだったし、それが真理なのかと思うと財布も膨らんだからだった。
真剣勝負に「誤解」は許されなかった。
だからアスリートの噂もしたし、学者の噂もした。
「真理」が人々には神秘的なものであるかのように伝わった。
それは学者を宗教家に仕立て上げるのに都合が良かったのだ。
人々は学者(宗教家)の肉声を聞くのを楽しんだ。
ナルシシズムに浸り続けたアーティストのコンサートに行って「寒いな」と思うこともあり、彼らは失脚していったのだ。
globe global trance.

「それでも人間を冷静に見続けろ」
これが新カント派の考えであった。
ナルシシズムの体験談は、案外、周囲を不愉快にさせるものだ。
彼女たちは「お財布のために」自分の経験談を一切、人に語らなかった。
「女たちは絶対を語り合った」
そのために学者という名の宗教家に忠誠を尽くすものもいた。
「俺が何かを見失わないために」
南北戦争は実はアメリカにとっていい経験だった。
お金集めとは「庶民の感覚で」やるものだということが分かったからだ。
リー将軍が集めたスター軍団が全く機能しなかったのだ。
「絶対」が女にはある。
これを知っている学者のもとに女たちがボランティアで参加したし、そのことに忠誠を尽くす男たちもいた。
カミュやサルトルはこの時に影響力を高めたのだ。
wink 愛が止まらない。

プロテスタントの難しさを知った。
ナルシシズムに浸る宗教家は何かを見失っていくことが分かったのだ。
「あいつはもう昔のあいつではない」という失望感を周囲が感じることも多かった。
芸能の世界は宗教の温床になったが、果たして真理を教えているかどうかも怪しかった。
どうにもならない有名男には若い女をあてがった者もいた。
そのために「宗教家」になるのは極めて困難な道となっていた。
文献を読んで女たちに話すというのはそれほどまでに難しい営みだった。
彼女たちの本当の気持ちを理解している宗教家が果たしてどれくらいいたであろうか。
有名女にコミュニティはすでに心を閉ざしてしまっていたのだ。
なにしろ駅前をうろついて布教活動をしている怪しい連中と化していたからね。
出家騒動だのなんだのと、しかも胡散臭い宗教だということも気がつかずに突っ走る連中だと思われたのだ。

2017年12月 3日 (日)

マホロバマインズ掲示板。

マホロバマインズ営業部門宛てメール。

ウォールマートも本来、ドイツにおいて北部の海岸線の「飲む、食べる、寝る」を抑えたことに起源を発します。
寒い時期に、若者が海岸で徹夜して、その空間に圧倒され、「女心の大きさを知る」というのは非常にいい原体験となります。
政治の側は30年ぐらいしか都市計画を見通していないとも言われ、私が30年以上前に中学校を卒業して三浦海岸で友達4人と三浦海岸で徹夜した時はマホロバマインズはまだありませんでした。
マクドナルドだけが印象的でした。
冬の夜の海岸の「飲む、食べる、寝る」というのを抑えることもいいビジネスになり、ウォールマートはドイツ北部に起源を持つのです。
これは、京浜急行、京急ストアなどとも提携が可能な「友達4人での海岸での夜の徹夜」という原体験であり、私も30年経ってからようやくその意味を知ったところです。
立てかけてある物干し竿を燃やして焚き火しながら徹夜をしたというのはのちの人生に良い影響がありますが、政治の側がその「効果」を見通すのは至難の技でしょう。
高校受験の時に、塾の先生からの「合格すればタバコを吸って海に行ってもいいから」という指導があり、昔からの言い伝えだと思われます。
おそらく、イスラエルにおける「イエスの人生」が語り継がれていたものと思われます。
「人間というのは勉強の一部分なんだよ」という教えであり、卒業の時に教わるのです。
歳をとったイエスに、女子たちは「目を合わせるのも恥ずかしい」というぐらいイエスは女心を理解するようになっています。
それ以来、海岸線というものは「ドイツの秘密の宗教」となっています。
「海岸線はイエスの胃袋」とも言われました。
暗い海で時を感じ、死というものを感じるだけでいいのです。
人間の団結を知り、その時は男女の区別もつかなくなるとされ、キリスト教の起源は海岸線にあるとドイツは位置付けました。
豊かさを持ったために「何でもかんでも欲しがらなくなる」という意味においては龍樹も中論において「エルサレムを尊敬しろ」と言いました。
欲しがらないということの背景には豊かさが必要だったのです。
「死について考える」「女心について考える」ことほど富をもたらすテーマはありません。
ソクラテスも死の危機に直面したら「女心」を雄弁に語りました。
「夢をかなえたい」「では、どのように?」その答えがここにあったのです。
イエスの人生を考えれば考えるほど「海岸線」にしか答えが見出せなくなりました。
カトリックの核心部分は「処女の否定」にあります。
プロテスタントによるアイドル崇拝を行うまでは処女の否定を男は行うとされています。
男(神)は自分だけではないということも分かるようになるのです。
「4人という永遠」からいじめも行わないとされます。
これは本当の「人間への祝福」ではないでしょうか。
神は「我と汝」という表現を用いて、2対1のいじめを否定しました。
なぜならば豊かだったからです。
「これが本当の学問か?苦ではないな」と思った時に豊かさがもたらされたのです。
キリスト教(神道)は豊かさを約束する宗教なのであります。
ネチネチしたいじめを「貧しさの表現」だと見ているのでしょう。
海岸性においては、ただ生きているだけの人間が神として振舞います。
しかし、貧しい生まれの男が野心をたぎらせ、女という弱き者への情熱を燃やすのです。
もはや神は神として生きられなくなり、ただ生きているだけの男は自分が人生の苦しみを知らなかったことをのちに知るでしょう。
つまりは義務教育への祝福なのです。
「ロゴスの第2位としてのイエス」とは「女心に詳しい」という意味であり、動物を意味する第3位は存在しません。
音楽のリスナーとしての才能が違うものと思われます。
時間と空間は限られていますが、自分の家の広さも自分では気がつかない子供なのかも知れません。
ただ生きているだけの神というのは案外、境遇に恵まれていないのです。
いい高校に進学する貧しい者、そして悪い高校に進学する不幸な者、すべてが海岸線で思いを共にします。
ひたすら宗教に忠実であるためにそうするのです。
「先のことは分からない」
それだけを感じるために一晩徹夜します。
もはや、先人がキリスト教(神道)のテキストを書き残しています。
若きイケメンに伝えたいことがあったから書いたのです。
父の子として学習する絶対的魂がここにはあります。
父の子として生まれたことすら祝福したかったから書き残しました。
キリスト教(神道)への祝福などみんなが行うことです。
大事なことはみんな口にするし、耳学問で済む話です。
あとは経験値だけがものを言う世界です。
キリスト教が日本でも通用するという人類学の試みが神道なのかもしれません。
人生への「覚悟」だけが必要とされます。
高校に入っても不幸な神はいます。
「祈らない、幸せではない」そのような貧しいいじめっ子は必ずいるのです。
しかし、そのようなものこそが人間の無限のための力になるのです。
高校にも可愛い女の子がいるという意味ではカトリックであるし、処女の否定を行わなければなりません。
不幸で祈らないいじめっ子という神を「キリストに属するもの」としなければならないし、キリストを「信者たちのもの」にしなければなりません。
高校生たちは「女心を語るもの」に寛大であるという意味では信者なのです。
そのようにして、各自が「神の町」に帰っていくのです。
電気、空気、水、地球は人間の意識に影響を与えます。
生きていく上で我々は何に頼っているのかを感じればいいのです。
そのようにして「譲り合えない人生」を生きていく術を身に付けるのが海岸線なのです。

男が女を愛する気持ちを利用してビジネスにするというのは経営の基本ですが、海岸というものそのものが「女心の大きさ」を意味するのです。

卒業写真 荒井由実。

マホロバマインズの映像。


資料。
三浦海岸の海開きを待て。

資料。
垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。

2017年12月 2日 (土)

グーグルの可能性。

5チャンネル(昔の2ちゃんねる)で、個性的な発言やコテハンをグーグルのサーチエンジンに「フェイスブック プロフィール」と入力した後に書いて検索すると本名の確認が可能だ。
もちろん、芸能人は本名が何であるか?源氏名が何であるか?という戸籍の奥の深い問題があり、現実社会で付き合っていくための助けにしかならない情報であるが、庶民は本名が特定できる。
さらに、IPまで入力するとその人の他の発言まで特定可能であり、芸能人応援スレは、たいてい本人が立てているために、芸能人の隠された趣味が色々と別の発言として集まる。
これも「フェイスブック プロフィール」のあとに入力するためのキーワード探しにはなるだろう。
また、同じIDと同じパスワードをいろんなところで用いていると「どこかが倒産したら情報漏れを起こす」ということも指摘していい。
グーグルはこれらの問題を「すべて織り込み済み」としているようであり、現実社会の生活と合わせる形で「サーチエンジンの楽しみ」として覚えておいていいだろう。
フェイスブックの友達に「いいね」を押しただけで大騒ぎになるという映画があるが、ハリウッドは常に「我々を批判してくれ」という発想があることも知らなければならず、インターネットはあんがい人道的に運営されているのだ。
また、SNSというものは確かに便利ではあるが、正常な男女の関係になったらメールのやり取りをするようになるという観点も指摘していい。

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