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Foreign Affairs

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2017年11月18日 (土)

脱ぐ女。

女は「他の女と比べてもらうために」脱ぐのだ。
Madonna.

セックスを想像させ、「処女のように」見えるのが女の裸だ。
複数の女の裸は歓迎しない。
見る側の男は常に「他の女を見る」用意ができているのだ。
「男を快楽に縛り付けるもの」って一体なんだろう。
女の裸だけではないことを知った。
「何か温かいもの」に快楽を感じたのだ。
アービン・フィッシャーは、若い頃、エロ本で感じた興奮を大人になっても持ち続けることの重要性を指摘した。
1930年代にパレート均衡が考えられ、「常にいやらしい方向に」物事を考える読書の方法が外国語の文献を読むのにも有効だと知った。
ヌード写真を見る童貞のように外国語文献を読む、そうでないと何かを見失うだろうとされたのだ。
1938年にポール・サムュエルソンはそのようにパレート均衡を用いて、ひたすらアメリカの学問を豊かなものにした。
いやらしい方向に常に移動しながら、外国語を読んだのだ。
ヌード写真を見る興奮を忘れたら、外国人の「こころ」を見失うと考えた。
勉強が楽しい理由は他にあるだろうか?
堅苦しい言葉が「何を目指しているのか?」が見えた時に何かが理解できた。
1957年から1959年にかけてハルデンやライトが、教育、そして勉強というものを確立させた。
「これを知っているのならモテるよ」
そのような知識のネットワークを構築したのだ。
絶対解ける問題 松浦亜弥。

目の前の女を脱がせてみよう。
それが「絶対解ける問題」だった。
勉強が終わった後に、彼女は「要するになんて書いてあったの?」と聞いた。

1920年代にヤスパースは、勉強や政治は「女のヌード」という宗教だとしている。
女のからだを勉強に持ち込み「最初で最後のカント派」と呼ばれた。
大きすぎる女心は、どんなことでも「一連の流れの理解力」を受け入れたし、絶対解ける問題だった。
国家社会主義体制における教育学のスポークスマンがヤスパースだったのだ。
モーニング娘。 笑顔イエスヌード。

海と都会のある北ドイツハンザ同盟は、カントやキルケゴールの実験場だった。
そこで、精神科医出身で哲学者になったのがキルケゴールだった。
当然、女の子と教育をどのように有効に結びつけるかを考えたわけである。
ハイデルブルグ大学で三学期の間、法律学を履修し、1902年から1908年まで医学を勉強している。
1909年から1915年まで臨床医を経験した。
1937年にナチスに職を解かれるまで彼はアカデミズムの世界にお金を提供し続けた。
マックス・ウェーバーの戦う民主主義とは「英雄についていく」ものであったため、よりエッチで人間が練られた英雄を描こうと決めた。
「女に詳しければなんでも物事がうまくいく」とした新カント派は、もはや機能不全ではないかとされていた。
ハイデガーは、1933年にナチスを支持することにしたが、ヤスパースはユダヤ人女性を妻としている。
それ以外は、2人の区別は極めて困難だ。
ヒトラー政権のもとでユダヤ人女性を妻とし、ドイツ北部で国全体のイデオロギーを支配したのである。
恋という気持ちを勉強の世界で有効に使う、しかも、都会の人混みに触れる、海にもいく、そのような健康的な生活が一番効率的だと思っていたのだ。
戦時中もなんら命の危険はなかった。
CoCo 笑顔でノーサイド。

戦後は「エッチで人間が練られた英雄」として復権している。
ドイツ連邦共和国(西ドイツ)において、ホロコーストはドイツ国民全員がその罪を担わされるものではないとしている。
ハンナ・アーレントのようにホロコーストの映像をうつ病の治療に使うものもいたために、自虐史観を持たなくて済んだ。
1974年に95歳で死ぬまで、ドイツ統一を願う西ドイツの英雄であり続けた。
ハイデルブルグ学派はドイツ北部の成績優秀なものの暮らしぶりを描いた連中のことであり、ヤスパースはその中のスターであった。
CoCo あなたといた季節。

カート・シュナイダーは、その中でも抜群に優秀だった。
ホームシックや犯罪について研究し、知能テストの方法を確立したり、幻覚とは午前中に見る夢の続きだろうと考えたりした。
ヤスパースが精神分析医としてのキャリアを始めた時、ゴッホとスタインバーグの情熱的な愛を分析している。
ゴッホは13歳の時にすでに愛を知っており、人格形成や発展というものを覚えていた。
忙しすぎると人を愛せないのかな?とヤスパースはゴッホのゆったりした日常を見て考えたりもした。
セックスするたびに融通が利かなくなっていることも知った。ゴッホはセックスをしないでスタインバーグを想っていたからだ。
心の病ってのは「セックスのしすぎ」で追い詰められていることからくるんじゃないのかな?と考えたりもした。
キョロキョロしているうちはセックスが足りないんだろう。
しかし、信念に凝り固まった男はもはや「女心」には興味を持たないだろうとしたのだ。
女心に興味を失ったらセックスも楽しくなくなる。
松田聖子 スター。

また、ヤスパースは「影響を受けたアニメによってパートナー選びをしている」とも指摘した。
セックス経験が豊富なほど「狭い職場」にこもるようになるので、歳をとったら引退したほうがいい。
この原理を「グンゼ」と呼んだ。
アニメで世界はできているということと、自由が利くことは類似していた。
女の子はセックスで狭まってしまった世界をアニメを見ることで必死に広げようとしていたようだった。
女心は大きすぎるといっても、セックスしすぎて世界が狭まるというグンゼという視点がカントにはなかった。
了見の狭い病人女と健常者の女は「セックスの数」の違いだけのようにも思えた。
セックスしすぎた人間を「話のわからない人だ」と思わないことが大事だったね。
rebecca trouble of love.

死んだら一巻の終わりというのがアニメの教えであった。
そこでアニオタ女は「死後の世界を信じている」という究極の嘘も覚えた。
男らしい人には何度でも「復活」して欲しかったからだろう。
知識というものがそもそもそのように語り継がれてきたからだ。
女の「哀しい方の嘘」がイエスの復活をもたらしていた。
セックスしすぎて融通が利かなくなった私、そしてアニメを見て死後の世界が閉じていると教わった私が「男らしい人の復活」という嘘をついた。
「女は男に比べられるために裸になる」
彼は昇天した。
本当に復活して欲しい人は「多くの女たちの感情にさらされた人」だった。
「あんた有名だよ?」とケンカを売ったこともある男だったのだ。
ribbon 哀しい方の嘘。

セックス経験が病的ではない女、アニメを見ない女に「復活」を説いても意味がない。
「イエス様の永遠の命」とか言っていると「枕営業しまくった芸能人がアニメを見すぎたんだろう」と思うしかない。
カルヴァン派は、セックスのしすぎという指摘を批判したが、新約聖書の重要な位置を占めた「永遠の命」という問題をアニメの見過ぎという指摘は行われている。
プロテスタント神学においては「アイドル」と仲良くするためには枕営業という言葉は出さないものの、「永遠の命」ということは共通認識にしていいのではないかとも言われる。
「自分は比べられてきた女」ということもこの背景にあるようだ。
父と子、聖霊が一体となってイエスとなり永遠の命を手にするというスピリチュアルな考えを「サイファー」とよぶ。
急進的リベラルでもあり、行きすぎたフリーセックスという指摘が根強い。
酒井法子 永遠の朝。

永遠というものがもしあるとするのならば、セックスの時に感じたんだろう。
あるいは、アニメの見過ぎで覚えたのだろう。
いずれにせよ、永遠という言葉はセックス女に男がご機嫌をとるためにプロテスタントで用いられていた用語であり、国家社会主義あるいは共産主義、そして原子爆弾に沿革を持つものだ。
もはや、セックスのし過ぎに由来するものなので、「人間らしい表現だ」と考えたほうがいいし、頭ごなしに否定する性質のものでもあるまい。
銀色の永遠 藤本美貴。

若者は、「夢を語るか」「妹を愛するか」以外に仲間作りの方法はない。
飲み会の席で夢を語るのは非常に心地いい。
夏空のDreamer.

飲み会で「気がついたら孤立していた」というようなことから、だいたい多数派工作とは何か?が分かるだろう。
戦術的すぎる妹、の話はウケるだろうね。
どの分野においても、露骨な性描写のない「女の話」は人気がある。

はんぶん不思議。

しかし、その後に「現実」に戻っていかなければならない。
あくまでも「仲間ができた」に過ぎないのだ。
気分良く家路につければ「夢」「妹」の話がうまくいったということだ。
飲み会においては「理想の男」を演じなければならない。
オーディエンスに「いい酒の飲み方」をアピールしなければ、お金を払う意味もない。
政局の分析をするのでも、悲観論を語るのならば飲みたくないのだ。
人はこうも簡単に酒がまずくなるのだろうか。
「夢」「妹」それだけを心がけておけばいい。
リサーチプログラムにおいてもヒントになる音楽作品のテーマは限られている。
別のグループが「飲み会で盛り上がった」のならば「どんな夢で一致したのか」は知っておかなければならないだろうし、現実に戻っていかなければならない。
飲み会では「女を愛するための苦労」など語りたくはない。
CoCo 夢の永遠。
シンプルに「露骨な性描写のない女の話」を語るのもいい酒の飲み方だろう。
気がついたら周りから人がいなくなっている、ということにならないためにも知っておかなければならない。
また、他人の「夢」が不愉快な場合は「女への詳しさ」で対抗しなければならない。
夢は人間の強烈なモチベーションだ。
人間が「飲み会で進化する」ためにはこの2つしかない。
なんらかの「罰」を避けるためにも理解すべきだ。
楽しいってそういうことだろ。
ribbon ゆっくりと好き。

教会はデジタル化時代の、ポルノグラフィをどう考えているのだろうか。
「孤立する男が出てきた」
女の局部は日本ではカルト宗教だったはずだ。
セックスを経験した気になる包茎男がいる。
1936年にアラン・チューリングのマシンは教会にどのような影響を与えたであろうか?
0と1がヌードに向かうのは目に見えていた。
パレート均衡がこの世界でも移動したのだ。
モーニング娘。デジタルイエスヌード。

「パートナー選びの方法がまず変わった」
少子化でも子供の学力も上がった。
完全数の数の女とセックスしてきた現状が、実数になってきただろう。
セックスしなくても困らないから、特定の女と両想いが成立するようになったのだ。
コンピューターで計算できる数字は複雑極まりない。それほどの「女のラインナップ」がそろったのだ。
コブクロ 蕾。

f(1)=1、f(2)=4、f(3)=1、f(4)=5、f(6)=9という具合に1人目の男は1人、2人目の男は4人分の意味を持ち、3、4、6とつづいていく。
実数の中にはコンピューターが計算できないものがあり、それが「5人目の男」なのだ。
すべての男が計算できると思ったらそれは間違いだ。
1936年にチューリングは「だいたいこんな計算で女は裸になっているんだ」と誇らしげに語った。
中森明菜 セカンドラブ。

チューリングは、コンピューターがビジネスや政府、研究に用いられるのは分かっている、と発言していたが、それが「無限の女の一覧表」につながることもパレート均衡を考えると明らかだと考えていた。
日本国はセックス監視社会となる共謀罪も受け入れたし、カトリック化されるに至った。
それは「コンピューターで女に困らない」という理由もあったのだ。
教会も1937年に「チューリングが考えたコンピューターには前向き」な答えをよこしていた。
ゲーデルがコンピューター開発の後継者にもなった。
教会の側は、コンピューターとポルノグラフィの問題を「ランブダ」と呼んだ。
1つのマシーンでは計算できないから「デュアル」と呼ばれる2つのマシーンもつなげた。
教会がダメだと言ったらやらなかったよ。
「実は女の子のメランコリーの救済をしたかったんだ」
理論を組まなければ、パソコンは「チューリングが考え、教会が認めたもの」とは位置づけられなかっただろう。
CoCo サーカスゲーム。

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