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Foreign Affairs

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2017年11月14日 (火)

アリストテレスの政治学。

アリストテレスは、小アジアやレスボス島で政治学を学び、フィリップ2世に頼まれて息子のアレキサンダーの家庭教師となっている。
2000の街(ポリス)が文化や宗教を作り出し、この「クリエイトし、記録し、時には改革する」プロセスで「いつ、どこで、誰が、どのように」文化や宗教をクリエイトし、改革したのかを記録するという営みを政治学と呼んだ。
これは「街ごと」に行われる営みであった。
法律、慣習、統治機構を作る上で文化や宗教が必要であったために、このような政治学は生まれたのだ。
「病気が奇跡的に治った」というような話も「街の中の話」にとどめられた。
東京では政治が機能しない。

アテネのソロンもスパルタのルクレジスも似たようなことを言っていたが、それぞれの街でそれぞれの縄張りを持っていた。
船を作るという仕事を持ちながら、文化や宗教について考えたんだよ。
ポリスの政治家(ポリティシャン)からキャリアを始めて、やがて国家全体に影響を与えるようになった(ステーツマン)。
ステーツマンは、メディアの寵児にならなければならなかったし、間違ったらたちまち失脚した。
それが大都会というものだろ。
文化や宗教をクリエイトし、記録し、時には改革するという作業には人々の財産が関わったために憲法改正は極めて困難な営みとなった。
今の日本では「軍か環境」以外で財産を増やす方法を切り替える(憲法を改正する)のは現実的ではない。
宗教は確かにクリエイトし、記録し、改革するのは可能であることが確認されたが、多くの人々の財産と関わった。
縄張りと財産の確保は憲法にしたがってなされている。
教育も、禅からさかのぼって改革したが、あくまでも憲法にしたがったものだ。
生存権の世界にはクリーンヒットがないとされていたが、生活保護女を信仰心に変えるという試みはやってみた。
街に愛着がなければ住む場所もないわけだから、街ごとに縄張りを決めて欲しかったのだ。
船を作るのをやめて、文化や宗教のクリエイトを専門とするのならばそれはもはや政治家といえる。
領土が広いし、住む場所は限られているのだから、どの国も「ポリス国家」だった。
船の作り方に関する新発見をすれば国全体が真似をしたけど、あくまでも街の住民に過ぎなかったのだ。
街と国はポリティクスを通じてつながっていた。
大工としてそれを悟るのは政治の基本だっただろう。
お金があれば国中の集会や会議に顔を出せるであろうが、それでも家庭に縛り付けられているのが政治家だ。
家庭に縛り付けられてオフィスを構え、恋愛論という「主権」について考える。
このような政治家がそれぞれの選挙区にいたのだ。
オフィスではあくまでも「宗教や文化のクリエイト」をやっていた。
奴隷階級のセックス話を聞いて回る作業などが日常だった。
政治家とは高貴な職業だな。
詳しければみんな「いざとなったら相談する」ことになる。
支配というのはあくまでも宗教や文化において行うものだ。
家庭内では暴君であり、官僚たちの中では愚民観にたち、多頭制においては時間をかける、これが教科書だ。
このようなやり方が一番儲かるから憲法になっている。
どのくらいの規模で「自分の正しさ」が証明できるのかという問題だった。
女たちは「FA宣言にともなう女のセレクション」において罪というものを考えたが、罪というのは「下半身事情」だけではなくもっと豊かなものだった。
近代化というものは「罪が許されるのもお金次第」という側面がある。
すべての男女が「いいセックス」を探求していた。
これを理解しないと罪が許されるだけのお金は手に入らないだろう。
夢がぶつかり合っているんだよ。
下半身事情を利用してお金を稼ぎたければ、ストイックに生きるしかない。
瀬能あづさ 永遠に友達。

政治家はいい法律家だ。体操選手にどのような肉体的負荷を加えれば強くなるのかをよく理解しているのと似ている。
人の弱さを知らないといけないのだ。
いい憲法は「人の弱さを知っている」ものであり、そのことを見通して彼女たちの居場所を作るという宗教や文化をクリエイトしていくものだ。
専制、衆愚、民主制などを巧みに使い分けて仕事をしていく。
住んでいる街さえユートピアならば多くは望まない方がいい。
森高千里 渡良瀬橋。

近代に「処女の発見」がなされたために、生徒たちは「勉強やスポーツ」に励むようになった。
政治家になるのならば当然、これらのことは経験しておいて欲しいね。
要するに「軍務に就いてほしい」ということなんだ。
運動部でも文化部でも軍務みたいなものだろ。
また、他のポリスの空気に触れることをポンポナージ(ボンボヤージュ)と呼んだ。
どの街にも男女共学があって、学校のスターがいるだろ。
その街同士で「遠征」をしあうことにより、いじめの永遠を感じたり、才能という「化身」を感じたりするのだ。
アルベルトゥス・マグヌスは「偏差値を全国区に引き直す」という試みもやった。
ピコデラミランドラは「ラテン語さえできれば全国区も怖くないな」と思った。
越境しても女たちがいただろ。
そういう女とは話が通じないと思うのが学区制なんだよ。
ルネッサンスは、そこから「永遠の知性」を磨くという時代だった。
ここにも「男は何を知ることができるのか?」という国際関係論が登場する。
転校生は虐めるなど根の深い問題だった。
「種」の永遠を志向するのが人間だったのだろう。
健康と知性の勝ち抜き戦がこのフォーラムで展開された。
「壁ドン男」を作ったドン・スコトゥスもいじめを否定できなかった。
越境する者がいた時はみんなで応援したのだ。
河合その子 カフェテラスで独り言。

これが政治の現実なんだよね。
ある意味、地元というのは「何があるか分かっている」という意味ではつまらなかったし、越境というものが「オカルトの起源」であるとも言える。
よそ者を脅かすんだよ。
「化身」になるためには、かなり広範囲で影響力を持つ大学に入るしかないだろ。
キリストはそのようにして国際関係論を有効に用いて王になっているのだ。
オカルトに逃げるのは田舎者なんだ。
教会というものはかなり広範囲でネットワークを張り巡らしているものなんだ。
すべての道はローマに通ずとも言われた。
越境して萎縮すると、黙り込んだりバカをやらかしたりするものなんだ。
オカルトに幻惑されているだけだろ。
これが政治なんだ。
若者は「都会に出る」ことで別の自分を見つけることが分かっている。
河合その子 青いスタシィオン。

都会に出る男を女たちは「紫色の牛」と呼んだ。
足が4つある四つ葉のクローバーだった。
ジョージ・エリオットやバートランド・ラッセルがいるところに行く人だと思われたのだ。
エリオットも都会に出なければ小説家ではなくナンパ師になっていただろうし、ラッセルも哲学者ではなく舞台作家になっていただろう。
これも若者の「越境」という問題と関わっていた、
エリオットやラッセルみたいな男が身近にいたから芸能界デビューした女の子もいた。
羽田恵理香。

あの人がいる都会なのだから、それは四つ葉のクローバーだった。
「夢は必ず叶う」
猫たちが川を渡るためには男が先に渡らなければならない。
男は冷静に試験問題を解くけど、女にとっては「夢」でしかなかった。
地元から東大生が出るといろんな女の子たちの直感に夢が宿るんだよ。
「人は違う世界に行ける」
デビッド・ルイスは女の子たちにこのような影響を与える男の存在を指摘した。

男は現実と向き合うし、国というものの難しさを見ているけど、女の子にとっては「夢」にしか見えない。
越境とは女の子にとっては「許されないこと」ですらあった。
田舎から都会に出る男の成績は周囲の「彼について行く女たち」を合わせたら「S」だろう。
ラッセルは舞台に興味なかったし、エリオットはナンパもしなかった。
それが都会の現実だったからだ。
男が都会に出るというのは、周囲の女たちも含めた上で「噂」となるのだ。
国生さゆり ごめんねJAJAUMA.

1960年代から1970年代にかけてこのような「越境」問題が観測された。
国と向き合うのが東京大学だ。
落ち込んだ男に自分の成功体験を見せつける女たちがいたのだ。
果たしてこれでいいのか?
CoCo 横浜Boy Style.

まるで別世界というものは1つではないと女たちは言いたいみたいだった。
プランティンガの1973年、クリプケの1980年などは女性アイドルを大勢出したよ。
ラッセルには舞台作家を、エリオットにはナンパ師になってくれと言いたいみたいだった。
このグループは「男が混乱に陥る」ことに弱かったからだ。
しかし、ニクソンのように自分の歴史を再評価し、出世につなげるものもいた。
最終的には、どの女たちも自分に「夢」を与えてくれた男と話をしたがったのだ。
難しい勉強に比べたら自分たちは赤子のようだったとメルケルも語った。
舞台作家やナンパ師の方が気楽でいいのにね。
「ノア」というのはそのような男を描いているだろ。
フォーブズ誌に載るのはそのような男だね。
難しい試験に受かったのならばいずれは女学をやるようになる。
その時の話し相手もできるだろ。
「越境」して何を学んだのかが問われるのだ。
新田恵利 Only lonly Boy.

おちんちんがどこまで普遍性を持つ世界で通用したかが、女子たちに夢を与える。
グラエム・フォーブズはここに目をつけたのだ。
女たちが夢を叶えるためにセックスデビューしていた現状もある。
「なんだ、お金ならあるじゃない?」
彼に近づくため、でも、それは決して彼には言えない手段だった。
ラッセルは舞台作家になればよかったのに、と思った理由だった。
「それでも、私は夢を信じている」
エリオットも文学者ではなくナンパ師になればよかったのに。
そう思いながら彼の噂を聞いていた。
男は机に向かい、女はテレビを見る、その違いがこのように表現されたのだろう。
夢を叶える、その彼の言葉だけが耳に残った。
CoCo メロディー。

ノアは有名人だったけど、アダムになればよかったのに。
ナンパ師で舞台作家の男にね。
そうすればフォーブズ誌に載れるのにね。
自転車というのは三分の一が無駄な部品だけど、夢を叶えるには90%は実態がなければならない。
そこに、女がセックスデビューした理由がある。
旅行に連れて行ってもらったというだけで男に自慢して復讐した。
「でも、どうやって?」
それだけは女も分からなかった。
恋するフォーチュンクッキー。

真実、それは男らしさや女性の局部と対立するものだ。しかも、多くのおちんちんとも異なる。
最も安定しか心の状態を「真実」と呼ぶ。
セックス遍歴ではなく、最も気持ちが安らぐ異性との関係が存在するのだ。
彼がいなくて寂しいのならばそれも真実だろう。
たとえ、ほかの男と付き合っていてもだ。
男との関係はその時々で「発明」するものなのだ。
松田聖子 時間旅行。

二組のカップルが食事をして2+2=4になる、他に異性の入り込む余地はない、これはもはや真実なのだ。
家族ぐるみの付き合いとはそのようなものだ。
いちいち男性遍歴なんて家族ぐるみの付き合いで持ち出すだろうか?
「今が良ければいいじゃない」のび太の両親もそう言っただろう。
「排除する」とは異性との関係の問題からどうしても容認できない人に対してのみ語るべきことだ。
男性遍歴の記憶をめちゃくちゃにされそうになるの。
快適な男環境を作りたい。
不愉快な男たちがいると財産を築けない、これが私の政治資金の限界なの。
小池百合子 排除発言。

私をセンターにした以上、私の心の評論家に取り囲まれたいの。
でも、心に響かない男ばかりよ。
私は寂しい思いをしたくはないの。
私の心を忖度して政治資金に変える集団を作りたかった。
私はもうセックスは卒業していた。
心とお金の関係と仕組みを作りたかった。
それが、女をトップにするシステムだった。
ダン・マーシャルはトップの女とセックスすることで出世したけど、それは反則ね。
政党の党首となった時にセックスの卒業を周囲は知っていた。
私に寂しい思いをさせない男たちに取り囲まれたかったし、女心をお金に変える仕組みを理解しない男は排除するしかなかった。
私が寂しければ党がダメになる。簡単な仕組みよ?
女性差別をする男はビンタしたし、それ自体がいい空気を作った。
でも、つまらない男をつまらないと見抜けない私の責任もあったわ。
希望の党 小池百合子辞任。

私は女心を知っている「いい男」を見ているだけでいいの。
国民全体が私の心を語り合い、お金に変える政権を夢見ていた。
記者たちがその仕事を理解してくれなかった側面もあるわ?
政策ってそんなに大事かしら。国民がフェミニズムの時代を選択したのだから「女心」を語って欲しかったわ。
松田聖子 スター。

女たちが経営する喫茶店。トンタン茶房。

アリストテレスの没後、アレキサンドリアは「キリスト教カルト」と呼ばれ、アンモニウスのように、「すべての道はアレキサンドリアに通ず」として大都会に出て、田舎に帰ってきてダマスカスを作るようなものもいた。
中東はキリスト教カルトによってできたものであり、すべて「バプティスト」と呼ばれる男による公共事業の成果であった。
勉強男がアレキサンドリアに出るだけで、田舎の女の子も有名になったのだ。
「本来、それはエジプトの詩ではなかったのか?」と争われた。
ISISとは常にそのことを主張したトラブルメーカーだった。
エジプトの詩と主張するものは「バッドガイ」をアイデンティティとしていた。
高井麻巳子 約束。

アンモニウスは、より給料のいいコンスタンチノープルに移住したが、いじめをどう思うのかという議論において「ただ生きているだけのいじめっ子に街づくりはできない」として「子が不朽である」ということを否定した。
いじめをやっているうちはアレキサンドリアやコンスタンチノープル、ダマスカスなどの街を作ることができないという現実的な問題があった。
「エジプトをどう思うのか?」という議論は常にあったが、ダマスカスは東ローマ帝国のコンスタンチノープルを指導者としていた。
アリストテレスの弟子たちは、アテネからペルシャまでの広大な地平を見ていた。
プラトンの詩でも使えるものはなんでも使った。
国民的支持を得た詩を評論するのはもはや政治の基本であった。
エジプトは「男をワニに変える」営みが都市の運営であるとし、三位一体の議論よりもより、いじめに対する攻撃的な姿勢を示していたために、東方教会よりも支持を得たのだろう。
子供たちにも都市の運営を引き継がせなければならなかったため、「男はワニ」と表現した方が理解しやすかった。
聖飢魔II Rock in the kingdom.

アンモニウス自身は「AからZまで」の語感を考えることにより、英語さえできればフランス語、ドイツ語、スペイン語まで分かるような研究をしたようだ。
「悔い改めよ」という女たちの失恋が、さまざまな言語を作っただけである。
女たちにAtoZを提供したからこそ、彼女たちはアンモニウスの話を聞いたのだろう。
これは都会の大学の教授たちへの挑戦でもあり「教授が言ってた」ではなく「アンモニウスが言ってた」と女たちが語り合ったのだ。
「失恋ソングから言語は生まれた」
恋のチャプターAtoZ.

アンモニウスは、ドイツでは「アマデウス」と呼ばれたようだ。
逆三角形の体をした男になりたい、そのことを考えながら女たちは言語を作ったし、失恋ソングを作ったので楽しい営みだった。
2人の女と同時に付き合ったソクラテスのことなども考えた。
「人を愛するのに苦労はいらないんだよ」
女たちにそのように教えたりもした。
シーバトル(海戦)というものが「女たちの戦い」を意味し、言葉を作る作業を意味したことも誤解してはならない。
「ソクラテスのように、男であることを謳歌する人間がいなければこんなことはできなかったよ」
ロック・ミー・アマデウス。

マリー・シェパードは、オックスフォードに行く男に触発されながらも、エディンバラに行って「お父さんと仲がいい」男に処女を捧げている。
「別の生き方をし、それでも同じ結果をもたらす」
リベラルがオックスフォードの宿題だと言っただろ。
エディンバラには「女心」を研究するカントの学問はなかった。
マリーは彼氏に「ねえ、もっと勉強してよ!」と行ったりしたが、ケンブリッジをうろついたりしたようだ。
オックスフォードは、このようなマリー・シェパードのような有名な女優さんの人生も「我々のもの」として引き受けて「国勢地図」という記録に残している。
「お金をくれないのならば抱かれる意味がない」
しかし、オックスフォードやケンブリッジの男よりも、エディンバラの男の方が「貢ぐ君」にするのには都合が良かった。
このような記録を残せるほど大英帝国は知的な余裕があったのだろう。
彼女は匿名で「私の人生」という本をケンブリッジに送ったりしていた。
結婚した後に、夫とともに「私の人生」という本の総括の講義を受けにケンブリッジ大学で聴講している。
100%の雨が降る 酒井法子。

夫からお金をもらって長話を聞いてもらう。そのような幸せがケンブリッジ大学にはあったのだろう。
エディンバラの夫も、妻が有名であるからこそケンブリッジをうろついて、彼女を幸せにしたいと思ったのだ。
それはまるで「我々には別の生き方などなかったのだろう」と思っていたかのようだった。
オックスフォードやケンブリッジにはない「有名女優との結婚」がエディンバラにはあったので、そのことを楽しんでいた。
あとは「やっぱり男は女心に詳しくないとね」と思うことが多々あったためにケンブリッジもっと聴講に関してはオープンだった。
いろんなメディアの報道があったために「カップルの発信力」を高めるのはもはや仕事であり、ケンブリッジをうろつくことすら仕事だった。
エリート主義が引き起こしたことをキャンパスにぶつけてみたのだ。
「女優活動や歌手活動を評論して?」
それは夫以外に信用できるキュレーターがいなかったからでもあった。
そのようにして、事務所はコマーシャルペーパーを出したのだ。
美しかった頃のからだだけで一生、生活に困らない仕組みがケンブリッジにはあった。
三度放送したら印税が入らないというけど、あとは社債の問題だと気づかない人が多かったのだ。
松田聖子 kimono beat.

今となってはパートナーがいる、つまり青と黄色の世界を生きている女であるということが社債を出す条件だった。
今では夫からお金がもらえる、それは私の最大の理解者だからね。
私の今の実像にはみんな驚くかもね。でも、お金には困らないの。
「男とは変わり続けるものよ?同じ作品を聴いても言うことがだんだん変わってくるの」
それが生活の基盤にもなった。
「今の彼はこんな心境なの」
2人の関係への祝福もコマーシャルペーパーにつながる理由だった。
社債の「格付け」は女にとって喜びでもあった。
彼氏を誇らしく思うのも格付け次第だった。
すべてセックスを歌っていたので、彼とのセックスや日常が楽しくなったのだ。
夢を見ないほど深く眠る日もあったの。
それは彼氏に満たされた証拠だった。
彼氏が「他の男に殴り殺される可能性」まで理解してくれなければキュレーターは務まらないし、私のリンゴ(おちんちん)が愛おしく思えた。
ジョージ・バークレーも格付けを楽しんでいた。
別の生き方は確かに喜びが多いでしょう。
でもそれは昔、大人たちが教えてくれていたことだった。
ケンブリッジが考えていることはこのようなことだった。
CoCo 横浜Boy style.

彼は「いい思い出」が壊れないようにしていた。
作品への洞察力を私も愛した。
勉強しただけでは分からないことがそこにはあったので、勉強ではなく「学問」と呼んだ。
評論が堂々巡りを始めたら、いよいよ彼も焼きが回ったと思うことでしょう。

大村真有美は、横浜学園に在学していた。
身内に「東大に合格した」という人がいると「私も夢を見ていいのね」と思い、セックスデビューをしている。
男は机に向かっていればいいが、女はテレビを見ているだけなので「どのように人は有名になるのか?」が分からなかった。
横浜学園はそのために「お水高校」と呼ばれている(大村談)。
家業のペンキ屋で働いたが、その時のシンナー中毒で統合失調症になっている。
NHKのアイドルオンステージでその可愛らしさが評価されたが、NHKの優等生になっても、現在は生活保護の暮らしで、廃人になった井岡弘樹に一途な恋をしている。
事務所は芸能プロダクションというわけではなく倉庫会社だったようだ。
もし、彼女の境遇にいまだに発信力があるのであれば倉庫会社は社債を出せることになる。
大村真有美。

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