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2017年10月 5日 (木)

ウィーンの女。

ファイヤーベント(1924〜1994)は、6歳になるまでベッドルームとキッチンだけの暮らしをしていた。
学校に入って「外の世界は危険なものだ」と思うようになり、病気がちになったが、「読むことによって」健康状態が良くなることを知った。
学校で突然、演劇の舞台に上がり、女たちの歓声を浴びることの楽しさを知った。
彼はエンターテイナーとして生きようと決めた。
しかし、学校の先生たちは彼にいろんなことを教えようとした。
14歳の時にヒトラーの演説を聞いたが「デタラメなことを話しているのになぜ仲間ができるんだろう?」と思った。
1939年に戦争が始まり、彼はヒトラーのSSに入隊している。
1942年にSSから逃げ出したが、クリスマスの前にはユーゴスラビアの軍に志願している。
「フロントラインに行きたくない」
それだけの理由だった。
ポーランドの自転車メーカーに配属されたが、病院に送られてくるドイツ兵の階級がだんだん上がっていくのを目撃している。
21歳の時に戦争が終わり、23歳になるまで4度結婚し、様々な経験を積んだ。
23歳の時に人生経験を踏まえてウィーン大学に入っている。
物理学を専攻したためにウィーンサークルに所属できた。
女の子たちがいっぱいいた。
フレッジやラッセル、ホワイトヘッドなどがいた。
1948年にカール・ポバーと出会っている。
カール・ポパーが作った世界。

ポパーは「ファシズムとは何か?」をよく理解していた。
ヴィトゲンシュタインなどと「写真の研究」を行なっていたのだ。
また、ファイヤーベントのところにホリッチャーというマルクス主義者も近づいてきた。
エリートに「外の世界」を散々語った。
ファイヤーベントは、「女の子たちの映像の撮り方」をガリレオから遡って、ヴィトゲンシュタインなどの多くの論客と研究している。
ポパーは処女を可愛がりすぎだと思うに至った。
どうやったら「映像から男たちはやる気をもらえるのか?」これがテーマとなった。
「やはり、ストーリーに哲学がなければダメだよね」
ここで物理学の専門が生かされた。
「人間というのはあまりにも勝手なんだよ」
これが量子論の共通認識だったのだ。
この「コペンハーゲン解釈」を基本に「二大派閥」が同時進行するという考えを用いた。
この世界の「どこをカメラで切り取るか?」というのが映像を作る哲学だったのだ。
この構造を作らなければ「人間は好き勝手には動けない」と考えたのだ。
渡る世間は鬼ばかり。

この世界に「真剣勝負」と「勃起」を絡ませていくのだ。
これをファイヤーベントが考えたことから「処女」は脇役になってしまった。
「持論を語る者もいる」「女心を間違えてはならない」
しかし、みんな「処女を愛していた」これが「問題」なのだ。
男たちの努力を見てみるといい。それはもはや「神学」だった。
「偏差値」がこの世界に持ち込まれただろ。
派閥の後継者争いに常に有利に働くのが偏差値なんだよ。
存在を否定されたくないという経験論者が、どのように行動するのか?
そして社会に組み込まれた「仕組み」をどのように偏差値の高いものが動かしていくのか。
1960年代にカリフォルニア大学バークレー校で「学生たちの反乱」が起きた。
ロンドンとベルリンにもこれは波及した。
黒人やヒスパニックなどのマイノリティーが「俺たちにも勉強させろ」と言い始めたのだ。
すべてファイヤーベントの映像の影響によるものだ。
偏差値のないものは「とにかく影響されないこと」「寛大であること」だけで影響力を持つしかなかった。
1970年代に「相対主義」がはびこり、若者が台頭してきた。
尾崎豊 シェリー。

ファイヤーベントは、教壇でも悠然と振る舞い「あの相対主義者を見たか?あのような連中を潰すために私は講義している」と語ったが、顔は青ざめていた。
相対主義者のセックスまでは映像はコントロールできないのではないか?という焦りがあった。
家族を大事にしたり、いじめの研究をしてみたりしたけど、相対主義者が圧倒していったのだ。
映像の世界が壊されるかと思った。
「大学がレジャーランドになる!」
そのようにして偏差値の世界は「たまに頼りになる男」として落ち着いてしまった。
1990年代に「西洋の頼りになる男」の復権が模索された。
踊る大捜査線。

我々が必要としているのは医者なのだろうか?法律家なのだろうか?
その時代背景の中で「ヒーロー」を作っていった。
ファイヤーベントの「相対主義との戦い」はここで終わっている。

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