最近のトラックバック

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

« 易~中国の占いについて。 | トップページ | 一夏の経験女。 »

2017年10月10日 (火)

学校女。

現在の日本の学校教育は、1世紀にインドの北東部で生まれ、3世紀に中国に伝わり、その後、朝鮮半島を通じて6世紀に日本に入ってきたものだ。
クラスに「女の子の胸」が持ち込まれた共学であり、「勉強をみんなで仲良くやろう」ということを強烈なイデオロギーとする。
女性の胸を「Here and Now」と言い、学校教育の哲学は永作博美さんのアルバム「Here and Now」で歌われている。
永作博美 Feel Me.

大日経としてクラスメートの女子たちの夢が男子に託された。
クラスは「仏のフィールド」と呼ばれ、中国では700年間続いた後に義務教育は廃れてしまった。
しかし、日本においては「2000年続くシステムだろう」と言われている。
Drivin' 永作博美。

日本が教育熱心な国だったこともこの仏教の伝統を後押しした。
「浄土」とクラスのことを呼んで愛した先生たちがいたのだ。
蘇我氏と聖徳太子がこのシステムを日本に持ち込んだのであり、プロテスタントのような「クラスのアイドル」がいることも必要だとされた。
カール・バースは「日本は常に海外を意識しながら教室というものを作っていた」としている。
エアメイル 永作博美。

若さというものに西洋社会への憧れを持ち込み、それでいながら「国に都合のいい教育をする」というのが教室のあり方だった。
法然は「寅さん」みたいに妹を可愛がる侍を念頭に置いていたようだ。
中世に至ってもこの教育システムは「かなり永続的なものである」とされている。
Without you 永作博美。

クラスのほとんどが悟るという大乗がこの空間にはあった。
みんなの夢がクラスでぶつかり合い、妥協というものを知り、「苦のない世界って何だろう?」ということを考えて欲しかったのであり、決して授業を真面目に聞けとは言わなかった。
「国ってのはだいたいそんなもんか」ということが分かればよかったのだ。
やがて、クラスはいろんな試練を迎えることになるが、女たちは男に夢を託すようになった。
信じさせてください 永作博美。

先生は「伝説からの教え」(カルマ)を語れるようになった。
女子たちの期待を背に男子はそれを熱心に聞いた。
「仏とは何か?」
それを思う存分にクラスで語ったのだ。
次々に学校行事を作っては先生たちは「教え」を説いた。
恋と微笑みと話を 永作博美。

「仏のように謙虚な男」を作りたかったのかもしれない。
それを王朝は望んでいたのだ。
派手に振る舞う奴が虐められるのは分かっていたことだった。
海外に赴任してどのようなイメージを日本人が持たれるのかという点にも注目した。
我々にとっては当たり前のことのようにも思えた。
「仏のように忍耐強い男だな」
逢いにきて 永作博美。

「ナンマンダブ」と唱える婆さんはどんな人生を歩んできたのだろう?
日本国の2000年の伝統がそこにはあった。
男たちに夢を託し、妹のように愛される、それが学校だったのだ。
このままで もうすこし 永作博美。

「90日間、耐えてごらん?」
これが比叡山の教えだった。
「ナンマンダブ」と唱えるたびに異性のことを思い出して耐えられたのだ。
天使が胸に降りる時 永作博美。

女たちは「仏の道を極めようとする男の生き死にのために」頭を下げた。
彼女たちは阿弥陀としてヒロインになりたかったのだろう。
女たちは「男に夢を託すのが自分たちの運命である」という悟りがあったのだろう。
南無阿弥陀仏(ああ、阿弥陀仏陀様)と唱える念仏カルトは、仏教学派の中でも「最も成功した」存在となっている。
男のために祈ることで女たちは自由になれた。
男のために祈ることは仏陀の力を頼りにすることを意味したのだ。
「他力本願」これが浄土宗の女たちのアイデンティティだった。
しかし、女たちの声援の「リスナー」は確実にいた。
言葉でも文字でも男は大事にしていたのだ。
「キス」をするという文化もここから育まれた。
彼女たちは「キス」というものに対しても「ああ、阿弥陀仏陀様」という意味を込めたのだ。
南無阿弥陀仏は「禅勝房に示す御言葉」とされた。
「仏陀ならばいずれ女心も分かってくれるようになるのかな」
彰晃は「鎮西学派」を作った人物に過ぎない。
女性たちの声援を分けて欲しかったのだろう。
上空も一遍も同じ考えだった。
島国だったからこのような考えが根付いたんだろう。
みんな仲良くしなければならなかったし、中国のタンラン和尚も「日本にしか馴染まないだろう」と考えていた。
「島に生まれた意味と仏について考えるように」
これは女子たちへの宿題だった。
生まれて島に「染まる」から男子の取り巻きを演じたのだろう。
「おばあちゃんも同じ教育を受けてきたの」
この門は聖徳太子以来、5回ぐらい通り抜けたかしら。
ゴータマはサクヤムニを愛したでしょう?
勉強が「知恵」に変わるというのは神話に近かったけどね。
ただし、勉強ができる男は「覚めた人」だと思った。
勉強というのは「女心を知っているぞ」という技に満ちた方法(方便)と呼ばれた。
人生が続いていくのが分かっていたから方便というものは用いられた。
親鸞は「大人になった後、二人はどうなるのか?」を考えた。
「主人」だったのだ。
親鸞の世界においては方便は通用せず、アーナンダが「女心を教えろ」としつこく迫った。
親鸞はアーナンダへの教えを「自然」(じねん)と呼んだ。
「女たちは譲り合えないんだ」
セックスするだけなら「問題」とは呼ばない。
他の女とトラブルになるから「問題ばっか起こす」と呼ばれたのだ。
方便を用いる男もいずれこのことが分かるようになる。
アジャセ王子とダイバダッタが、アジャセの父親を牢屋に閉じ込めたのを見て、仏陀は父のバイデヒから「もっと自由に生きたらどうだ?」と言われている。
この「ラジャグラーハの悲劇」が日本の女たちを美しくしたとされる。
法然の弟子たちは、もはや「女心を知らない」では済まされなかった。
1893年に仏教の世界は「世界宗教会議」に出た。
ゴードンに「ゴスペルを作ったらどうか?」と言われたり、「未成熟なセックスにもっと罪深さを感じた方がいい」と指摘された。
一方で「地球の救世主だね」という声もあり、教育改革に取り組んだ連中もいた。
通学列車 モーニング娘。

サクヤとはクラスの女の子のことを言う。
すべての男の子の母親は、セックスした時に「ナーガ王」の夢を見ている。
そして、夫に「ナーガ王の気持ちってどんなもの?」と聞いて激しく喘いだ。
セックスすること自体、「子供の気持ちが味わいたい」と言う意味だったからだ。
そのようなセックスをしたら子供ができるのだ。
子供を作ること自体が金融であり宝であった。
子供を学校に行かせた。
ボディサットバの教えを覚えさせるためだった。
サクヤたちの希望が託されていた。
偏差値Boy うしろゆびさされ組。

義務教育においてセックスをするのは反則だった。
親鸞も聖徳太子もそのようなことは想定していなかったのだ。
サクヤの希望は、セックスによるトラブルからは無縁だったのだ。
ピアノ算数と呼ばれる「処女の時代」を過ごす女たちとの共存をディグナーガと呼び、ナーガ王を育てる時期だとしたのだ。
父は妻とセックスするために頭を下げる(スターバックス)。
息子は先生に教えてもらうために頭を下げる。
やがて、高校に入り、女の子とセックスするために頭を下げる。
権威に女の子たちが付いてくるのが中学校だった。
高校に入ると「ただ生きているだけ」の奴が幅をきかすので東大に入ることは想定されていない。
勉強政治とセックス政治が共存するのは高校になってからだ。
詳しくないといい大学には入れないよ。
大乗というのは周囲の恋愛に寛大でなければならないという意味であり、ただストイックなだけの勉強家は排除される宿命だ。
高校に入ったら、早熟な若者は哲学を身につけなければならない。
起立 気をつけ 礼。

« 易~中国の占いについて。 | トップページ | 一夏の経験女。 »

スタンフォード哲学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 学校女。:

« 易~中国の占いについて。 | トップページ | 一夏の経験女。 »