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Foreign Affairs

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2017年10月25日 (水)

経済成長女。

バラエティ番組などで芸能人の悪口を言うのは「メディア批判」とは言わない。
「有事に」NHKをつける。しかも批判能力を持たない。
このことが経済成長をもたらす。
地震が起きてもいくら丼を食べるテレビ東京こそが経済成長をもたらすのだ。
テレ東 相対性理論。

ボードリャールは1960年代に「3月22日のムーブメント」を目撃した。
ゼネストが起き、ドゴール政権が危機に陥ったのだ。
人々は国営放送の言うことをすべて信じていた。
この時に彼はメディア論をやろうと決めたのだ。
日常生活において、歴史的な事件をどのように記憶しておくのか、それはひたすら「消費」されるものではあるが、人間が危機の乗り越え方を学習する。
もっとも気持ちよかったテレビ局と共に歩むことになる。
CoCo Newsな未来。

子供に何を語ったのか?からだをいくらで売ったのか?
「贅沢」を提供してくれたテレビ局はおのずから決まる。
もはや「悪口」を言うことをメディア批判とは言わない。
「贅沢を提供してもらった」ことそのものがメディアへの批判能力を持たないことを意味する。
「急激な変化をどのように経験するのか?」という習慣が出来上がるのだ。
事件が起きるたびにそれをテコに街づくりを変える地域もあった。
自分と国との距離の近さを感じる時があるのだ。
労働者階級にそれを感じさせる必要がある。
拉致問題 安倍官房副長官。

どの男も「有事」に家庭を守らなければならなかった。
NHKは何を言っているんだろう?とみんなが考えることそのものが経済成長につながる。
社会を支配したいという労働者階級のフェティシズムが背景にある。
拉致問題の時に「いざなぎ越え」という戦後最長の経済成長は確かにあった。
みんなが自分の持論を持ち、時には周囲の人の発言にヒステリーを起こす、これが大事だったのだ。
フェティシズムとか階級闘争などはマルクス主義に基づくものだ。
「男の言葉や笑顔も比べた」
ふたつにひとつ 瀬能あづさ。

消費社会においては、拉致問題というのは外交問題というよりは経済政策だった。
1968年5月にフランス共産党は「有事における」「男へのフェティシズム」を利用して革命騒動を起こしている。
ときには外国の指導者の「死」という報道のプレゼントも日本に送られてきた。
バタイユはこのことを指摘していたのだ。
金日成死去。

1993年に「衝動の交換と死」という本がボードリャールによって書かれた。
昭和天皇の死がどのように冷戦崩壊のための「お金」になったかを描いたのだ。
面白い指導者には人生を全うしてもらおうと国際社会は考えたのだ。
最後に国際社会で彼の「死」を取引するようにしたのだ。
それぞれの国で詩も作られた。
1976年にバタイユは「人間のエネルギーが過剰になっている」と指摘している。
政治家が相当強烈な個性を示すようになっていたのだ。
世界の人々が「それでも太陽は回っているよね」と語り合いたかったのだ。
男の努力をすべて天にお返ししても太陽のエネルギーにはかなわないと言いたかったのだろう。
秋の貝殻 クレア。

マルクス主義をよく勉強していたフランス共産党にしか分からなかったんじゃないかな。
労働を愛し、労働者を愛し、「それでも太陽は回っているよ」と言いたかった連中がクライアントだった。
人々はお日様の下で深呼吸をした。
しかし、それすらいとも簡単に消費されてしまうのがが資本主義というものだった。
「すべてが過剰だったのだ」
太陽の下で深呼吸して「てんかん」が治るものもいた。
メディア(テレビ、サイバースペース)の寵児が死ぬとはそのようなものだった。
小林麻央。

モースは「才能の交換」と呼んだし、ソシュールはアナグラムと呼んだし、フロイトは「死の衝動」と呼んでいたものだ。
論敵に自分の死亡通知書を送りつけて「自分の存在感」「経済効果」を感じてもらおうという人もいた。
他人にとってその人がどれだけ必要とされているかは日常においては分からないものだ。
特に、情報に満ちたポストモダンにおいて人々はそれを見失っていた。
まるで、人の死が「おはよう」の挨拶に聞こえた。
みんな「同情」してもらいたかったが、すべてが虚しかった。
女子トークをやっているうちは楽しかったが、テレビやサイバースペースというのはそれほど危険なものになっていたのだ。
自分のブラックホール(局部)にできることは限られている。
1970年代には楽しくやっていたテレビも1980年代にはすでに「笑えない」ものと化していた。
「テレビに出たい」という誘惑が人を不幸にさせるようになった。
長年の努力も一晩で燃え尽きていくのを感じたのだ。
そのようにして、「メディアにおいては男が勝利を確定させた」とも言われた。
テレビで迷った挙句に、美しさと向き合って、泡を吹いて、デパゲンという「クールな薬」を飲んだりもした。
やっぱり、昭和天皇の死が世界に配信されて以降、テレビが怒りやスキャンダルを求め始めたのは事実だ。
「事件の真相が見えない」と言われたのはこれが理由だ。
世界経済を強くさせるための「パーフェクトクライム」とも呼ばれた。
善人、悪人、男、女を問わず、みんなが「気が弱いけど素敵な人」に憧れるようになった。
松田聖子 赤いスイートピー。

ベトナム戦争は、中国やソビエトの「アリバイ」だったけど、本当に冷戦を終わらせたのはテレビだろうね。
しかも、昭和天皇の死だったかもしれない。
しかし、世界貿易センタービルへの道911テロなどは「もはやヤラセじゃないの?」とまで言われた。
1991年の湾岸戦争、1994〜6年にかけてのOJシンプソン事件、クリントンのセックススキャンダルなどを経験していくうちに、「再びテレビで夢が見れるようになった」とも語られるようになった。
【幻のあとの結論とは何か】
政治家には恋のスペシャリストであってもらいたいということなんだ。
911テロの後の世界はそのように動いた。
お固いハーバードよりもエッチなスタンフォードの方が世界で上位にランキングされるようにもなった。
「テレビが世界を平和にした」
これが結論であったし、「この人の恋に関する知恵には敵わないわ」という男の登場が世界の経済成長を長い目で見るためには必要となった。
恋と愛のニュアンス 酒井法子。

一方で、「デジタル化とは双方向の時代である」ということの意味も考えなければならない。
アーティストとともに「劣化」していたアナログと異なり、「劣化しない」のがデジタルアートであり、劣化したアーティストと普通に共存していることがある。
デジタル化時代ほど「成立させる」ことが重要になった時代はない。
劣化したアーティストを鮮明な音源を聴きながら眺めることを「デジタル革命」と呼ぶのだ。
音楽作品だけでなく、デジタルシネマ、デジタル写真、ビデオゲームにおいてもいずれはこのようなこのようなデジタル革命の意味を理解し、うまく用いていくことが求められるだろう。
天使か悪魔 高橋由美子。

文章や数字、映像や音をバイナリーコードにすることをデジタル化と呼ぶが、コンピューターは常にこのコードを解読する仕事をするものだ。
しかし、コンピューターによってデジタルプロセスを経て作られた作品は「ほとんど実在しない」芸能人やアーティストを生み出している。
今は35ミリフォトケミカルフィルムを用いて映像を作る時代なのだ。
アナログ時代のアーティストが劣化しているというのであれば、デジタル化時代のアーティストはそもそもが劣化しているではないか。
音楽アイデンティティを定めて、ほとんど架空の映像を作り上げている。
完成されていて意味に満ちていれば「密度」は自在に操られているのだ。
ほとんど実在しない宇多田ヒカル。

48人も「握手会ができる」アーティストを生み出すというのはこのことを理解していなければならない。
「密度」をコントロールしているのに握手会を強烈に推進するというのは銀行も興味をもつ話だった。
銀行ほどデジタルアートをよく理解していたからだ。
AKB 美しい。

美しい作品が、薄汚れたオフィスから生み出されている。
しかも、任天堂のマリオブラザーズのようにブロックとスクロールだけのある仕事ぶりである。
サンフランシスコモダンアート博物館(SF MoMA)がこのことを研究している。
故郷のニューヨーク州バッファローでは見たことがなかった。
こんな美しい連中がこんな汚い部屋から生み出されていたのか。
コンピュータープログラムで「美しい連中」を生み出しているんだよ。
すべて任天堂の技術なんだ。
アルケンが溶かされているチップはスーパーマリオカートリッジと呼ばれ、もはやゲームではなく映画やテレビ番組に用いられている。
楽しいディスプレイの研究をしていてここまでテクノロジーが波及したのだ。
1と0のバイナリーコードで地上波デジタルを放送している以上、なんでもできるよね。
挙動不審も、大体のイメージを作り上げる技術によって制御できる。
イメージさえスキャンしておけば、あとは流れに乗せるだけだ。
IMARU.

我々は「液晶ディスプレー」(LCD)という幻を見ているのであって、マイクロミラーやセミコンダクターチップなどにより作り出す映像は統計学を背景にしたデジタルマイクロミラーデバイスにさえ乗せればどんな人も美しくテレビに映ることができる。
試写会挨拶が本当にできる人とそうでない人がいることは知らないといけない。
しかし、試写会挨拶においても「光の当て方」だけで美しさが作り出せることも知っておかなければならない。
試写会。

液晶ディスプレイ(LCD)が普及してから、政治家も美男美女に作られ、「劇場型政治」が行われるようになった。
そこで、受験生も「願書の写真は白黒で写る」のが正解に近い。
白黒だとLCDとまったく変わらない美しさを維持できるのだ。
8ビットサブピクセルは256色を生み出し、1600万色を生み出すことにつながった。
そのような世界で「無限の美の探究」は病人を多数出す形で敗北し、赤・青・緑の三原色に写真の地位を譲っている。
SF MoMAが任天堂と協力する形で「人の顔の美しさ」を決めたのだ。
「なぜか写真写りがいい」という人もMoMAのおかげだと言っていい。
MoMAは、人間の顔にはあまり違いはないという立場であり、美しすぎる人というのは病院に通う病人だった。
1941年のオーソン・ウェルズの「市民ケーン」にまで遡って「みんな似たような顔してるな」ということを研究した。
それで二次元・三次元ベクトルビットマップにまで暗号をかけたのだ。
高解像度、大容量ビデオカメラを映画では用いるが、これはコンピューター処理に任せるためである。
コンピューター処理を相当、緻密にやらないと映画というものは作れない。
広末涼子 it' my idol.

人間は美しさを追求すると病気になる。
この問題とデジタル化時代が向き合ったのだ。
それがSF MoMAと任天堂の仕事だった。
湾岸戦争のピンポイント爆撃をデジタル映像でやった時からの宿題なんだよ。

テレビで見たような男を「元旦那」と呼んだ方が、愛と憎しみから自由になれたことや、いつでもお金を貸してくれそうなことなどからいろんな意味で都合がいい。
元旦那が付き合う男にまで介入できそうだ。
ルイス・キャロルのチェシャーの猫を読んだ女はみんないい男のことを「元旦那」と言っている。
昔は人間でも今は猫になってしまうことにたとえられる。
チェシャ猫メイク。

1966年から1972年まで、ジョゼフ・フーシュや、ロバート・モリスなどが周りの女たちから「元旦那」と呼ばれていた。
ダダイズム、シュールレアリズム、スーパーマティズムなどが野心的に「元旦那」を描いた。
男をクリエイトするためには「お金をもらえるかもしれない、女関係をコントロールできる」という元旦那を想像した方がいいのかもしれない。
この女心を理解しないと「人物相関図」を大きく書き損じることになりかねない。
松田聖子 ハートをロック。

アーティストとしては「男の複雑性」を理解するためには少し距離を置いた「元旦那」を持っていた方がいい。
マルセル・デュシャンの「泉」などが男をクリエイトする参考になっている。
1968年のパリのメーデーや、1969年のイタリアの「暑い秋」、ベトナム戦争などと男がどのように向き合ったかを考えるためには「元旦那」を想像するのが一番いい。
このような発想から全てのジャンルの芸術作品は塗り替えられていった。
元旦那に女心を歌わせたりもした。
マリオネットの涙。

女たちが奪い合うような男は身近には「元旦那」しかいなかった。
しかも「自分が何を考えているのか」を女に語ってくれた。
モテる男の理想像を描くことができるようになったのだ。
「身近には子供と平凡な元旦那しかいなかったけど、これだ!と思った」
写真を見て創作意欲が湧いたのだ。
男性中心社会における「女の知恵」だったのだろう。
レオナルド・ダ・ビンチのラ・ジョコンダもそのことをモチーフにしている。
モナリザのモデルだろう。
「別れなければ書けない」という点に前衛芸術も注目した。
芸術作品の価値はどのような境遇から描いたのか?というところも評価する。
キュレーター(カタログ、タイトル、ラベル、説明を書く人)もそのあたりを見て商品のセールスをかけている。

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