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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2017年10月

2017年10月30日 (月)

政策女。

女は家庭内だけで人生を過ごす存在ではない。
外で仲間を作り、性の話題もする。「女になれたこと」の喜びを語り合うものだ。
他の女の性生活の影響を受けないという意味では自由だったし、人それぞれ性に関する考えは違うよね、という意味では対等だった。
これは国家レベルでも「自由で対等」と語られていることであった。
女が洋服を着て外に出る、このこと自体が女性たちのニーズに応えるための政治経済フォーラムを形づくる。
松田聖子 マラケッシュ。

しかし、一人では外に出て行きづらいのが女というものだ。
意気投合した女友達がいないと外には出ない。
二股をかけられている女がどうしても許せない他の女もいる。
安っぽい女とは恋話もできないと思ったからだろう。
要するに「男らしい男」について語り合いたかったんだよね。
二股をかけられて「ひどい男だよね」と言い合うよりも、よりニーズに応える形で「男に関する話」をしたかったのだ。
「ひどい男」の話ばかりする女は多数派工作ができない。
藤本美貴 銀色の永遠。

どの女も思春期にメランコリー(うつ病)を経験していて、自分なりの憧れの男がいたから、ひどい男の話はしたくなかった。
男に振り回されると自分の足で立てない気がしたのだ。
国家レベルでみたら「それってひどくない?」という二股男の議論は決して多数派にはならなかった。
【男に関する議論は他の女に押し付けるものだ。尊敬できるものでなければならない】
より「強い力」で押し付ける必要がある。
それはもはや「国家が運営している宝くじ」だった。
恋をなくしただけの女ならば友情は成立する。
酒井法子 All right.

私たちはカップルを祝福したいの。
妻です、彼女ですと呼ばれてから社会に出てきてね。
組織に属せば自然にそうなるし、じっくりと多数派工作ができる。
二股かけられた女は社会生活が満足に営めないの。
これは自由恋愛を認めた社会の宿命であった。
瀬能あづさ I miss you.

女たちの二股をかけた男への非難は尋常ではなく、結婚にともなうお金や優しさをコントロールしなければならなかった。
どの女も「市民」でいたかったのだ。
市民であるということは、お金を稼ぐために絶対に必要なことであり、しかも、国会議員や大統領になる可能性すら開かれるものだった。
富から見放されることが男に二股をかけられることだったのだ。
ひとりの女を市民にするというのが女にとっての失恋でもあった。
それはお金も結婚生活も奪われることである。
瀬能あづさ 失恋カフェ。

自由恋愛のゲームの世界では「強度の違法性」がなければお金の問題にはならないというのが判例であるが、何らかの金銭面での調整がなされて「完成された市民」としての女は作られている。
女が「個」ではなく「公」の存在として政策に反映されるためにはこの問題をクリアーしなければならなかった。
しかし、この「個」としてのプライベートな経験を公で語らないのならば適切な政策は作れないだろう。
パートナーを持って市民生活を営むのは案外難しいね。
ribbon 3つの願い。

売れないからだなんです、という人妻がレイプされたら満足に社会生活が営めなくなる。
「個」であるのならば問題のないことでも「公」にされると政治生活が成立しなくなるのだ。
いいからだをした人妻が、からだ自慢をしたくて人妻モノに出演するだけで市会議員にはなれないだろう。
酒井法子 20歳のバレンタイン。

二股をかけられた女は、何らかの金銭面での調整がなされないと市民生活が送れないということを発想のカギとして、結婚するために邪魔になる「病気」とは何かを考えていかなければならない。
お金を稼げる「からだ」として公には出ているけど、すべての女が街で声をかけて結婚するためには「何らかの調整」が必要なことを知らないといけない。
スタジアムにいる女の子たちと犬や猫のようにくっつけない理由があるのだ。
Wink 結婚しようね。

男関係が複雑だと、結婚するのも大変な作業になるし、しかも人生の物語が複雑すぎると性欲がなくなる。
このような女に「早く結婚しろ」という男はモテないだろ。
綺麗な洋服を着て公の場に出てくる女も、個の立場では二股をかけられて「死んでもいい」と思っていることもある。
公の場ではどの男も「処女を裁くように」女と接するが、とんでもないアクシデントが起きることがある。
塩村文夏 野次。

「義務」というのは男女の富を最大化するためにあるのかもしれないね。
職場に「私用メール」「私用電話」はとてもではないが持ち込めない。
社内規則では厳格な対応がなされている。
判例においては「同僚との会話のように息抜きになる」とされているが判断の分かれるところであろう。
このことから「働いたら負け」と考える男や女もいるのだ。
みんな不完全な罪人だ。そのような男女が職場にいる。
「死んでもいい」「世界に終わりが来ればいい」と思う女の「個」と、処女に見える「公」を正確に理解し、個の部分にも目をやらないと女は政策から排除されることになりかねない。
出会いの数が多いと女は「世界に終わりが来ればいい」と思うのだ。
瀬能あづさ 愛になりたい。

処女に見える女は簡単に愛せる。
大事なことは「仕事を続けて欲しい」ということであり、そうでなければ女は「政治的人間」になれないということだ。
男のトラブルから去っていくようでは、出世はおぼつかないだろう。
やれ「死んでもいい」だの「世界に終わりが来ればいい」だの言っていると仕事がつづかないのだ。
つづけてくれないと彼女の意見を汲み取ることもできないし、ましてやグローバルにまで影響力を与えることが想定できないのだ。
森高千里 勉強の歌。

2017年10月27日 (金)

染まる女。

言葉の端々に人間は影響を受けるのではない。その人の「心の風景」を感じながら影響を受ける。
このことをAGMモデルと呼ぶのだ。
CoCo はんぶん不思議。

この方が女にモテるだろう。
そのように男は他の男に影響を与えていることが1980年代に明らかになった。
「それなら金を払う」という感情が影響力の基本だったのだ。
1980年代にはカルロス・アルコロンやピーター・ガーデンファー、デビット・マキンソンなどが影響力を誇った。
「記号論」の隆盛期を迎えたのだ。
信念に凝り固まっていて、しかもそのことによってなんでも分かる、人々から「イエス」と呼ばれる影響力の与え方は「コーポラ」と呼ばれた。
「知識のセット」「信念のセット」の二つに心の風景は区別されたが、信念が他の男に影響を与えた。
知識の受け売りというよりは「信念」を真似していたのだ。



何か自分よりも大きなものが自分の関心事と重なり合うことがある。
自己完結した円がそちらの方向に導かれるという形をとることにより、円は大きさを増す。



だんだん他者からの影響を受けにくくなるのだ。


人に語りたいことが山ほどできる頃には、舎弟がたくさんできているだろう。


情報処理能力はこのようにして向上するのだ。
聖なる海とサンシャイン。

シェークスピアはハムレットを書いた。
チャールズ・ディケンズもハムレットを書いた。
オリジネーターはシェークスピアだったし、舞台で喝采を浴びる才能に恵まれていたからだ。
ディケンズは、自分の考えをシェークスピアによって膨らませた。
人生経験が豊富で、淡々と語る雑談に影響された。
「カップルで何を話してるの?」
それにはみんな興味があった。

【苦労すれば女を愛せる、ということに限界はないか?】
ジョン・ロックは政府と教会を分離した。
政府は国家統治のものであり、苦労してもしすぎることはない、しかし教会を庶民のものとしたのだ。
ローリングストーンズ It's only rock'n roll.

この「苦労の度合い」から統治する側と批判する側は生まれた。
市民生活は楽しい、これがロックンロールだった。
モンテスキューが三権分立を考えたとすれば、メディアという「第四の権力」を考えたのはジョン・ロックであり、メディアは教会を起源とすることになった。
「権力の真実はどこにあるのか?」
人を愛するために苦労するのには限界がある。
このことからインテリは楽しんでメディアを作ったのだ。
人間は遊んだ方が真実が分かる、これを標榜した。
悪魔を憐れむ歌。

王と議会の対立が、プロテスタント(アイドル崇拝)と英国国教会(王様は私たちの敵)という立場、そしてカトリック(純潔)とないまぜになって、チャールズ一世の没後内戦状態になった(1640年代)。
クロムウェルは「官僚並みに頭のいい国王」として内戦をおさめたが、1660年から1688年までのチャールズ2世は「それには能力がもたない」とした。
ジェームズ2世の没後、オレンジ公ウィリアムが妻のメリーを連れて、名誉革命を起こした。
この時のブレーンがジョン・ロックだ。
ロックは父が法律家であり、アレキサンダー・ポパー将軍に仕えていた。
そこで父は国家秘密警察と関わっている。
そのためにロックはウェストミンスタースクールに通うという優れた環境を手にしている。
この学校はイギリスで「最も重要な」学校であり、1652年に進学したクライストチャーチ・オックスフォードも最も重要な学校であった。
ジョン・ウィルキンズという友人を通じて英国王室ソサエティに入ることが許された。
2年間、マーシャルアーツの修行を行い、ギリシャ哲学の意味を知った。
「二つの石の拳」のことだ。
ロバート・ボイルがそんなロックに「天気を語ると仲間が増えるんだ」として天気予報の研究をしていた。
ボイルは天気予報を考案して、ニュートンと比較されるまでになっていた。
ロックはボイルともニュートンとも友人になり、彼らの研究をよく理解していた。
ダイスを転がせ。

名誉革命の時(1688年)にオランダに戻っている。
売春婦の尻に敷かれて、トーマス医師の提供する本を背景に「世界史のすべてを見渡してやろう」という作業を始めた。
そのためには「人体と水の関係」を明らかにすればいいだけだった。
ロックはアシュリー植民地相に仕え、堪能な語学力を生かして、各植民地の「女の嘘」まで相手にしてイギリス本国に情報をもたらした。
当時のイギリスの植民地相は世界を見渡していたので、ロックもおのずと「女たちの怒り」(憲法)に詳しくなっていた。
「女をいくらで買うか」というのが通貨の起源であり、約束の印が貝殻であったりしたことから、憲法は常に「女目線」で書かれることになったのだ。
ロックンロールの起源は、べらぼうなお金を払って薔薇の絨毯を敷かなければ買えない女がいたことにあるとされる。
100万本のバラ 加藤登紀子。

貝殻の価値を高める、これが憲法学となっている。
1674年にロックは再びオックスフォードに戻り医学博士になってある。
チャールズ2世は、カトリックの兄弟が王になるのを禁止する予算の裏付けを得ようとしていた。
なんらかの腐敗がチャールズ2世にあったことは明らかだった。
ロックはシャフツベリー植民地相にチャールズ2世の蛮行を止めるように呼び戻されたのだが、シャフツベリーは1681年7月21日にロンドン塔に幽閉されている。
ロックは、チャールズ2世の弟が議会で人気があるのを見て「フランスを見よ」というカトリックのパンフレットを書いている。
この弟がジェームズ2世であり、カトリックであるジェームズ2世の孤立を待ってから1688年に「憲法にしたがって」名誉革命が起きたのだ。
「すべては貝殻の値段を高めるために」
秋の貝殻 クレア。

貝殻は政府に任せろ。人間はそんなに強くはない、このことから教会に人々を集わせることにしたのだ。
1700年までロックは「貝殻」に熱中し、引退して1704年に没している。

人間が「貝殻」のためにできることは限られているし、知識も限られている。
しかし、知っていることはポゼッションとして守ろうではないか?とされた。
所有は愛情にもとづくものであったが、占有は常に他人の色にオープンであって、財産というものも占有だった。
男は「金であり肉体である」と考えたのだ。
Wink 愛が止まらない。

「その話題はモテるぞ!」と思ったら男たちは取引をした。
そうでなくても「バカと子供」はいじめから逃れるために話を覚えた。
その「話題」がある貝殻の価値につながっていて、「女なんて皆同じ」という男は「何も分かっていない」と言われたのだ。
「他人にしてほしいことをお前はやるな」という黄金ルールが考えられた。
王に純潔であって欲しければ、売春婦の奴隷となれという意味でもあった。
She's a rainbow.

男は白紙(タブララサ)の状態で生まれるのは事実だ。
しかし、常に他の男と比べられている。
これが「話題の取引」の根拠なのだ。
いずれにせよ黒革の手帖に記されているだろう。
まるで、てんでバラバラに男たちは動いていたが、強烈な影響力によって秩序をもたらすのも「話題の取引」があったからだ。
16世紀から17世紀にかけて「あいつはホモだ」という話題も取引されていた。
スタートミーアップ。

ハゲた男の「恐怖体験」まで取引されたので、男は殻に閉じこもっていた。
すべて「女にまつわる話」のようだった。
「妻が浮気をしたようです」と女たちに話すだけで彼女たちは黙々と部屋を掃除したりなにやら家事を手伝ってくれた。
そのような女たちほどセックスというものを知っていたのだ。
仕事人間ほど、女たちの同情を誘った。

女を感じさせるための言葉の取引、それは、デカルトが「恋」というものを考えた時にマーケットが開かれた。
「世界の口説き文句を集めたのは事実だよ」
お金を払うという意味では本来、大学の授業料ではないか?
男にとって大きな損失だと思ったから「話題」「口説き文句」を取引したのだ。
スタジアムで女の子を見かけたら話しかけたいからね。
あとはいろんな奴が「証明」してくれればいい。
男にとって大きな損失であるのが「知らないこと」であるのならば、「貝殻」の表現方法は無限にあることになる。
知識の前提に「健康であること」があるために、コンビニでもいやらしい雑誌が置いてある。
あれに興味が持てないのであれば社会の複雑なサークルに属せないではないか。
女が「すべてをさらした」時に勃たなかったらどうするつもりだ。
女は報復としてそのことを「証言」するだろう。
彼女の情熱が「この人、私を見て勃起が萎えたの」と語るだろう。
そのことで他の女からも愛されなくなることを知っていたのだ。
工藤静香 奇跡の肖像。

1684年までロックはエドワード・クラークとともに「ホモやレズを育てない」ということを熱心に行った。
それが教育だったのだ。
市民であること、つまり人と話すことを基本に、恋愛をすること、人間の「瞬間」を300通りぐらい知っておくこと、
単純なセックスは動物のものだった。
絶対王政は体力勝負だ。貝殻の値段を上げるしかない。官僚も味方している。
ローリングストーンズを聴いている教会の連中は「ウィリアム!ギブアウェイ(リークしろよ)」と言って体力勝負をメディアの側から嘲笑っている。
子供時代は勉強しかしていないし、「女学」をやっていないけど、からかっているんだよ。
「貝殻」の値段をめぐる一子相伝と呼ばれるものは王政の側に委ねられ、それを知りたがる連中がいるという構図はジョン・ロックが作った。
【女を愛するために苦労をしたくない】
女王陛下は怖いからな。
2pac.

教会には絶対王政のように「死刑」を下す力はない。
すべて「貝殻」を握るかどうかだ。
王子には「教会を支配してから来いよ」と王は言った。
神の計画は国王が握っているんだろ。
ジョン・ロックやボイル、ニュートンが王室ソサエティに名を連ねているんだからな。
国王に純潔を守ってもらいたければ売春婦の尻に敷かれろ。
王がしっかりしていればそのような社会と契約を結ぶよ。
結局、市民政府二論というのは絶対王政と、庶民の教会を区別することだった。
ヘンリー王子がナチスの制服を着てパーティに出たら親父も怒るわな。
「強制収容所を見てこい」というよりは「貝殻の値段をどうするつもりだ」と言いたかったのだろう。
お上による統治は貝殻の値段であるが、民による統治は教会でのおしゃべりやローリングストーンズ、日本ではJPOPなどを語ることにある。
王子は教会を支配して国王になっているんだ。
お上か民かと議論することは王子の弱さを語ることだ。
ノーブルレッドの瞬間 国生さゆり。

オランダにおいてはカトリックによるプロテスタントの処刑も行われたが、カルヴァン派(AKB崇拝)が安定した。
フランスにおいてはルイ14世が純潔を支持するナントの勅令を出しているが、イギリスとの関係を見極めながら現在ではナントの勅令は破棄されている。
イギリスにおいては「教会とは王室を攻撃するメディアのことである」とされて、カトリックもプロテスタントも否定された。
英国国教会である。
王室の話題さえしていればいじめはないという三位一体の否定も行われた。
王室の男に花嫁を提供するのは貴族院かオランダカルヴァン派となったのだ。
和蘭美人 小泉今日子。

処女が、自分の初体験の相手を選ぶ学問をドイツ語で「ウレテイル」と呼ぶ。
それほど人気のある研究だった。
心がまだ未成熟な女の子を成熟させるのに最もいい学問だと考えられたのだ。
マスターベーションとは違って、男と初めてセックスをする、その相手を選ぶという学問だったのだ。
自分の人生の物語の中にどのように位置付けようか?
このようなことから非常に真剣に悩む問題だった。
「考えている私」がそこにはいた。
それはもはや動物とは言えなかったのだ。
心の空間が広まるのはこの問題と向き合うからだった。
「女の心は大きすぎる」とカントは言ったな。
それは女の子が初体験を真剣に考えていればこそ成り立つものであった。
壊れかけのピアノ 高井麻巳子。

このような「貞操概念」のない女は体が痛い痛いと言いながら男に抱かれていたし、そうとう人生の「物語」が混乱していたので性欲が失われていた。
人間の心には「より単純な」宿題が課されていた方がいい。
「理解力」を重視するのか「感受性」を重視するのかという問題はある。
理解力を重視する立場は性欲に満ちていて貞操観念があり、感受性を重視する立場は複雑なストーリーを人生に持っていて性欲もなく、人を惑わすことが多い。
このように「初体験」というものは「大きすぎる」空間を女の子に与えた。
また、思春期にテレビに出るなどのナルシシズムに浸った場合も「大きすぎる」心を失うことになる。
女の子に与えられた「天命」と向き合わなければ大きすぎる心は生まれないのだ。
「女のカン」はこの時に磨かれる。
メランコリーはそれほどまでに「重たすぎる宿題」だったのだ。
胸騒ぎのメランコリー 高井麻巳子

メランコリーを経験した女の子はその力を生産的な作業(料理、家事、お裁縫、美の探求)に用いようが、出産に用いようが自由だった。
すべてのイマジネーションの基盤がこのメランコリーに存在し、これを経験しない芸能人女性はかなり「鈍い」女性となるし、勉強男に憧れたりもする。
メランコリーを経験すると、からだに多くの男が憧れるために、「私はこう思うの」と言っただけでトップダウン的に男達がしたがうことを学習する。
女の鈍さは、ナチスも批判した。マルクス主義、ローマ人ジプシーなどが鈍い女を作り出す温床となっていたのだ。
本来の「処女の感じ方」を知ることが重要だ。
メランコリーを経験しないと「趣味のない女」になるとも言われる。
男がついてくる、恋愛事情に詳しい、色々な本を読むというのは庶民の女の特権であり、ナチスの芸能界差別につながるものだった。
怪しいニュアンス 松田聖子。

年寄りの教授の複雑な研究に憧れた。
メランコリーを経験しないと真実を見失うのだ。
思春期に女の子が学ぶものを「コプラ」と呼んだ。
芸能人女は大学に入り年寄りの教授の真似をして貧しい服装もした。
庶民の女の方がコプラを知っていてオシャレだった。
「世の中はこんなにも意味に満ちているのよ」
このことが庶民の女には分かったのだ。
カントはこのように芸能界や踊り子を見ていたのだ。
男は「より意味に満ちた」人生を送らなければ踊り子に愛されなかったし、時には試練に打ち勝つことも求められた。
踊り子の「裁き」は常に勝負師に味方した。
すべてが虚しかったし、男の人生を見なければ快楽も感じなかった。
お金にならない本は捨ててしまいなさい、とも言った。
これを理解しなければ政治的、性的無関心は存在し続けるだろう。
「写真や映像が広く知られると女はコプラを知らないまま生きるんだよ」とヴィトゲンシュタインは語った。
思春期のメランコリーから学ぶもの(コプラ)を知らない女と話すのも案外楽しいものだよ。
年寄りの教授はそう思っていた。
導き甲斐があったのだろう。
学生さんは「プロポーズするには力が十分ではない」という問題と直面した。
伊豆の踊子。

踊り子は心を病んでいたので、年寄りの教授の導きを必要としていた。
「書生さんには手強い」理由はここにあったのだ。
経験が足りなかったし、周囲もそのことに詳しかった。
若いイケメンに恋をするだろうことは分かるけれど、無理なものは無理だとの割り切りもあった。
「ピュアな女だと思ってくださいね」
女の嘘を知り、男に話す、これが書生さんには分かっていないのだ。
それでも、踊り子は書生さんになりたかった。
書生さんへの想いは本気だったのだ。
友達を増やしたほうがいいわよ?
いずれ、踊り子の話で盛り上がれるようにね。
たとえ私がコプラを知らなくても、女の影響力も「大きすぎる」ことを知るでしょう。
社交性のある人が、このような経験をして裁判官になっていくのよね。
今は「常識を知って」と言うしかないわ。
CoCo メロディー。

カントは「この構造さえ分かれば芸術作品が作れるぞ」と喜んだ。
「若い踊り子の謎」を若者に問いかけることができるようになったのだ。
「そういう時代なのよ」というのでは済まされない若い男女の真実がそこにはあった。
書生さんはこのまま偉くなっていくの。私だけが知っていること。
愛し合ってはいけないことも知っているわ。
カントの18世紀に覚醒剤などの薬物が発達し、シラフでなければ勝てないのが大学入試というものだった。
経験だけで真剣勝負をやっている男は、本当は芸能人女の憧れだった。
しかし、それも「言えない秘密」だったのだ。
覚醒剤をやらなければ真剣勝負も出来ない女なんだよ。書生さんには無理なぐらい「大きすぎる」問題だな。
天使の気持ち。

いろんな有名人に出会ったけど、常に東京大学の書生さんに有利に物事は動いていた。
みんなが薬物によって「死に体」を悟っていたからだ。
プロポーズになぜ周囲は反対するのか?
女たちが「ワイルドホース」に憧れて覚醒剤をやりながら有名になっていただけだろ。
女たちはその薬を「グルーニン」と呼んでいた。
「勉強して、試験に受かって」
この意味を書生さんも本当は理解していなかったんじゃないかな?
とにかく無理なんだよ。
書生さんには「恋とは疑わしいものだ」ということを知ってもらいたいね。
ヤクの売人というのはカントのことだった。芸術を作りたかったんだ。
ローリングストーンズ ワイルドホース。

2017年10月25日 (水)

経済成長女。

バラエティ番組などで芸能人の悪口を言うのは「メディア批判」とは言わない。
「有事に」NHKをつける。しかも批判能力を持たない。
このことが経済成長をもたらす。
地震が起きてもいくら丼を食べるテレビ東京こそが経済成長をもたらすのだ。
テレ東 相対性理論。

ボードリャールは1960年代に「3月22日のムーブメント」を目撃した。
ゼネストが起き、ドゴール政権が危機に陥ったのだ。
人々は国営放送の言うことをすべて信じていた。
この時に彼はメディア論をやろうと決めたのだ。
日常生活において、歴史的な事件をどのように記憶しておくのか、それはひたすら「消費」されるものではあるが、人間が危機の乗り越え方を学習する。
もっとも気持ちよかったテレビ局と共に歩むことになる。
CoCo Newsな未来。

子供に何を語ったのか?からだをいくらで売ったのか?
「贅沢」を提供してくれたテレビ局はおのずから決まる。
もはや「悪口」を言うことをメディア批判とは言わない。
「贅沢を提供してもらった」ことそのものがメディアへの批判能力を持たないことを意味する。
「急激な変化をどのように経験するのか?」という習慣が出来上がるのだ。
事件が起きるたびにそれをテコに街づくりを変える地域もあった。
自分と国との距離の近さを感じる時があるのだ。
労働者階級にそれを感じさせる必要がある。
拉致問題 安倍官房副長官。

どの男も「有事」に家庭を守らなければならなかった。
NHKは何を言っているんだろう?とみんなが考えることそのものが経済成長につながる。
社会を支配したいという労働者階級のフェティシズムが背景にある。
拉致問題の時に「いざなぎ越え」という戦後最長の経済成長は確かにあった。
みんなが自分の持論を持ち、時には周囲の人の発言にヒステリーを起こす、これが大事だったのだ。
フェティシズムとか階級闘争などはマルクス主義に基づくものだ。
「男の言葉や笑顔も比べた」
ふたつにひとつ 瀬能あづさ。

消費社会においては、拉致問題というのは外交問題というよりは経済政策だった。
1968年5月にフランス共産党は「有事における」「男へのフェティシズム」を利用して革命騒動を起こしている。
ときには外国の指導者の「死」という報道のプレゼントも日本に送られてきた。
バタイユはこのことを指摘していたのだ。
金日成死去。

1993年に「衝動の交換と死」という本がボードリャールによって書かれた。
昭和天皇の死がどのように冷戦崩壊のための「お金」になったかを描いたのだ。
面白い指導者には人生を全うしてもらおうと国際社会は考えたのだ。
最後に国際社会で彼の「死」を取引するようにしたのだ。
それぞれの国で詩も作られた。
1976年にバタイユは「人間のエネルギーが過剰になっている」と指摘している。
政治家が相当強烈な個性を示すようになっていたのだ。
世界の人々が「それでも太陽は回っているよね」と語り合いたかったのだ。
男の努力をすべて天にお返ししても太陽のエネルギーにはかなわないと言いたかったのだろう。
秋の貝殻 クレア。

マルクス主義をよく勉強していたフランス共産党にしか分からなかったんじゃないかな。
労働を愛し、労働者を愛し、「それでも太陽は回っているよ」と言いたかった連中がクライアントだった。
人々はお日様の下で深呼吸をした。
しかし、それすらいとも簡単に消費されてしまうのがが資本主義というものだった。
「すべてが過剰だったのだ」
太陽の下で深呼吸して「てんかん」が治るものもいた。
メディア(テレビ、サイバースペース)の寵児が死ぬとはそのようなものだった。
小林麻央。

モースは「才能の交換」と呼んだし、ソシュールはアナグラムと呼んだし、フロイトは「死の衝動」と呼んでいたものだ。
論敵に自分の死亡通知書を送りつけて「自分の存在感」「経済効果」を感じてもらおうという人もいた。
他人にとってその人がどれだけ必要とされているかは日常においては分からないものだ。
特に、情報に満ちたポストモダンにおいて人々はそれを見失っていた。
まるで、人の死が「おはよう」の挨拶に聞こえた。
みんな「同情」してもらいたかったが、すべてが虚しかった。
女子トークをやっているうちは楽しかったが、テレビやサイバースペースというのはそれほど危険なものになっていたのだ。
自分のブラックホール(局部)にできることは限られている。
1970年代には楽しくやっていたテレビも1980年代にはすでに「笑えない」ものと化していた。
「テレビに出たい」という誘惑が人を不幸にさせるようになった。
長年の努力も一晩で燃え尽きていくのを感じたのだ。
そのようにして、「メディアにおいては男が勝利を確定させた」とも言われた。
テレビで迷った挙句に、美しさと向き合って、泡を吹いて、デパゲンという「クールな薬」を飲んだりもした。
やっぱり、昭和天皇の死が世界に配信されて以降、テレビが怒りやスキャンダルを求め始めたのは事実だ。
「事件の真相が見えない」と言われたのはこれが理由だ。
世界経済を強くさせるための「パーフェクトクライム」とも呼ばれた。
善人、悪人、男、女を問わず、みんなが「気が弱いけど素敵な人」に憧れるようになった。
松田聖子 赤いスイートピー。

ベトナム戦争は、中国やソビエトの「アリバイ」だったけど、本当に冷戦を終わらせたのはテレビだろうね。
しかも、昭和天皇の死だったかもしれない。
しかし、世界貿易センタービルへの道911テロなどは「もはやヤラセじゃないの?」とまで言われた。
1991年の湾岸戦争、1994〜6年にかけてのOJシンプソン事件、クリントンのセックススキャンダルなどを経験していくうちに、「再びテレビで夢が見れるようになった」とも語られるようになった。
【幻のあとの結論とは何か】
政治家には恋のスペシャリストであってもらいたいということなんだ。
911テロの後の世界はそのように動いた。
お固いハーバードよりもエッチなスタンフォードの方が世界で上位にランキングされるようにもなった。
「テレビが世界を平和にした」
これが結論であったし、「この人の恋に関する知恵には敵わないわ」という男の登場が世界の経済成長を長い目で見るためには必要となった。
恋と愛のニュアンス 酒井法子。

一方で、「デジタル化とは双方向の時代である」ということの意味も考えなければならない。
アーティストとともに「劣化」していたアナログと異なり、「劣化しない」のがデジタルアートであり、劣化したアーティストと普通に共存していることがある。
デジタル化時代ほど「成立させる」ことが重要になった時代はない。
劣化したアーティストを鮮明な音源を聴きながら眺めることを「デジタル革命」と呼ぶのだ。
音楽作品だけでなく、デジタルシネマ、デジタル写真、ビデオゲームにおいてもいずれはこのようなこのようなデジタル革命の意味を理解し、うまく用いていくことが求められるだろう。
天使か悪魔 高橋由美子。

文章や数字、映像や音をバイナリーコードにすることをデジタル化と呼ぶが、コンピューターは常にこのコードを解読する仕事をするものだ。
しかし、コンピューターによってデジタルプロセスを経て作られた作品は「ほとんど実在しない」芸能人やアーティストを生み出している。
今は35ミリフォトケミカルフィルムを用いて映像を作る時代なのだ。
アナログ時代のアーティストが劣化しているというのであれば、デジタル化時代のアーティストはそもそもが劣化しているではないか。
音楽アイデンティティを定めて、ほとんど架空の映像を作り上げている。
完成されていて意味に満ちていれば「密度」は自在に操られているのだ。
ほとんど実在しない宇多田ヒカル。

48人も「握手会ができる」アーティストを生み出すというのはこのことを理解していなければならない。
「密度」をコントロールしているのに握手会を強烈に推進するというのは銀行も興味をもつ話だった。
銀行ほどデジタルアートをよく理解していたからだ。
AKB 美しい。

美しい作品が、薄汚れたオフィスから生み出されている。
しかも、任天堂のマリオブラザーズのようにブロックとスクロールだけのある仕事ぶりである。
サンフランシスコモダンアート博物館(SF MoMA)がこのことを研究している。
故郷のニューヨーク州バッファローでは見たことがなかった。
こんな美しい連中がこんな汚い部屋から生み出されていたのか。
コンピュータープログラムで「美しい連中」を生み出しているんだよ。
すべて任天堂の技術なんだ。
アルケンが溶かされているチップはスーパーマリオカートリッジと呼ばれ、もはやゲームではなく映画やテレビ番組に用いられている。
楽しいディスプレイの研究をしていてここまでテクノロジーが波及したのだ。
1と0のバイナリーコードで地上波デジタルを放送している以上、なんでもできるよね。
挙動不審も、大体のイメージを作り上げる技術によって制御できる。
イメージさえスキャンしておけば、あとは流れに乗せるだけだ。
IMARU.

我々は「液晶ディスプレー」(LCD)という幻を見ているのであって、マイクロミラーやセミコンダクターチップなどにより作り出す映像は統計学を背景にしたデジタルマイクロミラーデバイスにさえ乗せればどんな人も美しくテレビに映ることができる。
試写会挨拶が本当にできる人とそうでない人がいることは知らないといけない。
しかし、試写会挨拶においても「光の当て方」だけで美しさが作り出せることも知っておかなければならない。
試写会。

液晶ディスプレイ(LCD)が普及してから、政治家も美男美女に作られ、「劇場型政治」が行われるようになった。
そこで、受験生も「願書の写真は白黒で写る」のが正解に近い。
白黒だとLCDとまったく変わらない美しさを維持できるのだ。
8ビットサブピクセルは256色を生み出し、1600万色を生み出すことにつながった。
そのような世界で「無限の美の探究」は病人を多数出す形で敗北し、赤・青・緑の三原色に写真の地位を譲っている。
SF MoMAが任天堂と協力する形で「人の顔の美しさ」を決めたのだ。
「なぜか写真写りがいい」という人もMoMAのおかげだと言っていい。
MoMAは、人間の顔にはあまり違いはないという立場であり、美しすぎる人というのは病院に通う病人だった。
1941年のオーソン・ウェルズの「市民ケーン」にまで遡って「みんな似たような顔してるな」ということを研究した。
それで二次元・三次元ベクトルビットマップにまで暗号をかけたのだ。
高解像度、大容量ビデオカメラを映画では用いるが、これはコンピューター処理に任せるためである。
コンピューター処理を相当、緻密にやらないと映画というものは作れない。
広末涼子 it' my idol.

人間は美しさを追求すると病気になる。
この問題とデジタル化時代が向き合ったのだ。
それがSF MoMAと任天堂の仕事だった。
湾岸戦争のピンポイント爆撃をデジタル映像でやった時からの宿題なんだよ。

テレビで見たような男を「元旦那」と呼んだ方が、愛と憎しみから自由になれたことや、いつでもお金を貸してくれそうなことなどからいろんな意味で都合がいい。
元旦那が付き合う男にまで介入できそうだ。
ルイス・キャロルのチェシャーの猫を読んだ女はみんないい男のことを「元旦那」と言っている。
昔は人間でも今は猫になってしまうことにたとえられる。
チェシャ猫メイク。

1966年から1972年まで、ジョゼフ・フーシュや、ロバート・モリスなどが周りの女たちから「元旦那」と呼ばれていた。
ダダイズム、シュールレアリズム、スーパーマティズムなどが野心的に「元旦那」を描いた。
男をクリエイトするためには「お金をもらえるかもしれない、女関係をコントロールできる」という元旦那を想像した方がいいのかもしれない。
この女心を理解しないと「人物相関図」を大きく書き損じることになりかねない。
松田聖子 ハートをロック。

アーティストとしては「男の複雑性」を理解するためには少し距離を置いた「元旦那」を持っていた方がいい。
マルセル・デュシャンの「泉」などが男をクリエイトする参考になっている。
1968年のパリのメーデーや、1969年のイタリアの「暑い秋」、ベトナム戦争などと男がどのように向き合ったかを考えるためには「元旦那」を想像するのが一番いい。
このような発想から全てのジャンルの芸術作品は塗り替えられていった。
元旦那に女心を歌わせたりもした。
マリオネットの涙。

女たちが奪い合うような男は身近には「元旦那」しかいなかった。
しかも「自分が何を考えているのか」を女に語ってくれた。
モテる男の理想像を描くことができるようになったのだ。
「身近には子供と平凡な元旦那しかいなかったけど、これだ!と思った」
写真を見て創作意欲が湧いたのだ。
男性中心社会における「女の知恵」だったのだろう。
レオナルド・ダ・ビンチのラ・ジョコンダもそのことをモチーフにしている。
モナリザのモデルだろう。
「別れなければ書けない」という点に前衛芸術も注目した。
芸術作品の価値はどのような境遇から描いたのか?というところも評価する。
キュレーター(カタログ、タイトル、ラベル、説明を書く人)もそのあたりを見て商品のセールスをかけている。

2017年10月22日 (日)

利上げ女。

辞めさせたい上司がいると金利は上がる。
しかし、怒られたとかそのようなものは「腐敗」とは言わない。
「公の権力で私有財産を増やした」
これがいちばんの「辞めさせたい理由」である。
「私たちの痴話喧嘩を聞いて豪邸を建てたらしいよ?」
痴話喧嘩を聞ける立場にいるのは分かるけど、それも「公の権力」でしょう?
法律を知っていて、多数派工作を知っている男ならば「賄賂の対象」になる。
痴話喧嘩を聞いて「恋話」をみんなに話して聞かせるのであればそれは賄賂とは言わない。
しかし、「税金チャンネル」「投票チャンネル」から豪邸を建てるのはやはり腐敗だと言っていい。
私有財産がこれらのチャンネルからくるのであれば命も最優先の扱いを受ける。
フェアではないよね。
天皇入院。

私たちの痴話喧嘩を聞いて、法律や仲間を駆使して賄賂や詐欺、インサイダー取引によるお金を受け取るのは腐敗だよ。
1977年まではアメリカ合衆国でも守秘義務が徹底していなくて、これが横行していたから高金利の時代がつづいた。
学者や警察が自らの地位を高めるために「痴話喧嘩の内幕」を聞くのは腐敗とは言わない。
薬物使用やギャンブル、激しい女遊びは完全にアウトね。
このようなことをすると、学者や警察内部の地位を高めるわけでもなく、家族単位で孤立し、ひたすら私腹を肥やすようになる。
これが制度として対処できない問題となっていると高金利時代はつづくことになる。
飛鳥涼。

殺人事件も刑に服するまでは腐敗していると言える。
ウガンダのアミンや、インドネシアのスハルトのように、権力を用いてこれを行うのは「辞めさせたい上司」には違いない。
北九州一家殺人事件。

外国国家にまで伝わる人間の「金と暴力」(人権)の問題が腐敗だと言える。
これらの問題が「社会の仕組みとして組み込まれている」のであれば公定歩合をいじるのはいまだ有効な政策だろう。
「組織ぐるみなのか個人ぐるみなのかを見ているのだ」
快適に仕事ができるのなら誰も金利なんて気にしないよ。
人間のやる気をなくさせるし、複雑な感情が渦巻くから金利は高くなければ各人の心がもたない。
「そんな連中に賄賂を贈っているのか?」
組織ぐるみならば「賄賂」というのはどうしても存在するのだから、権力のあり方を考えなければならない。
仕事のやる気を失わないのならば腐敗とは言わない。
「散々、私たちの秘密を話したのにそれはないんじゃない?」
組織のプロセスと目的を見ているのだ。
外国のスパイは誰も日本を助けようなんて思ってないよ。
松田聖子 上海倶楽部。

組織ぐるみならば代わりはいくらでもいる。
「俺を認めない社会が悪い」という父親ではない。
組織にはいくらでも代わりがいるのだ。
公の金利さえ操作すればこれらの問題と前向きに向き合うことができるようになる。
権力の前では深くプライベートの話を話さなければならないのに、ギャンブルや薬物使用、女遊び、自分だけの命の安全などにつながるってどういうことよ。
「女は職場でも男より弱いのよね」
組織で孤立して家庭内に内向きになって私腹を肥やす上司がいるのならばなおさら他の人の金利を上げなければならなくなる。
なんでこんなことが起きたのかな?と考える中堅クラスにも金利を上げてやる必要がある。
組織のブランドイメージに傷がついたらなおさら働きづらくなる。
女性ほどそのような意識は強い。
ゼロ金利というけど、本当に職場にシステムとしてこのような問題はまったくないのだろうか。
不祥事を起こした企業のCM.

「散々、権力者に秘密を話して相談に乗ってもらったのに、分からないと言われた」
これも権力の腐敗だ。
女たちはプロセスに参加している。
どんな免許の出し方をしているのかは女たちにはまったく分からなかった。
ヒトラーは「ユースムーブメント」を作り、先生やクラスメートの腐敗を監視させた。
弱い立場にいるのは子供たちだったからだ。
権力の「ブレ」をユースムーブメントで監視させたのだ。
クラスメートの女の子がサンタクロースを信じてあるかどうかまで監視させた。
子供たちの現場にまで「金利」の問題の学習を求めていたのだ。
この権力者はいずれ家庭に閉じこもるだろうということまで学習させた。
男の子は、先生が進路の問題で賄賂を受け取っている現状を知り、サンタクロースの問題を女の子に語ってモテようとしていたことが分かった。
先生は医者であり裁判官であり行政官だったので、腐敗を調査するユースムーブメントに参加したものは王子さまだった。
メリークリスマスフォーユー おニャン子クラブ。

皇室がなぜ腐敗を嫌うのか?それはサンタクロースの問題があるからだよ。
子供たちのユースムーブメントが存在するからなんだ。
金利を下げるのが皇室の目的だと言ってもいい。
薬物使用やギャンブル、激しい女遊びなどをどう思うのかという明確なメッセージは必要だろうね。
とにかく「メッセージ」であり「理解力」なんだよ。
皇室が「知らない」ということが犯罪の温床なのだ。
浮気をしたのならば複雑な言い訳が必要であり「金利」には必ず言及しなければならない。
多数派工作に失敗した結婚なども金利の問題になることに言及が必要だろう。
秋篠宮家。

警察の不祥事も「高貴な腐敗」の部類に属しているために、大人たちは「金利」について語らなければならない。
子供たちに教育を与え、衣服を着せ、食べさせるためにも「責任のある者」は常に金利を理解しておく必要がある。
この国は必ずしもすべてがクリーンな国ではない。
しかし、権力者であるのならば金利について語るという「複雑な言い訳」ぐらいは覚えておいたほうがいい。
国生さゆり ノーブルレッドの瞬間。

男らしい「勃起」なのだろうか?
私はこれを愛することで孤立しないかしら。
こんなにいいからだをしているのに周囲に憎まれることにならないかしら。
風俗の世界にも「愛したくないお客さん」はいるのよ。
孤立した男の勃起に「いいからだ」が汚染されたくないの。
男次第で「アドバイスしてくれる女友達」の数も変わっている。
ひたすら「女の物語」を書いていい指導者になってほしいわ。
女たちが何を望んでいるのかを理解して欲しいの。
タバコの火を自分でつけることから始めてね?
物事の「火」が自分からくるものなのか他人からくるものなのかを間違えてはならない。
「タバコと言ったら火だろ!」というのならばすべてまぐれだと思うわ。
タバコの火の付け方。

家庭内にこもったら、どうせ子供に八つ当たりをするんでしょう?
あなたの「目的」はもう世間に奉仕することにはないことを悟るわ。
孤立は「歴史に残るため」にしか用いられないの。
自分のオーガズムとその手段で笑っているようではもはや腐敗なのかもね。
目的と手段が「笑うためにある」ようではダメ。
歴史に残った男に女はもう寄ってこない。
サンドイッチも「死ぬために食べている」みたい。
パン屋のケニーは歴史に残ったルイ16世に「マリーアントワネットのために」パンにミートローフを挟んで焼いた。
マリーアントワネットのからだを称賛したかったのだろう。
女たちに「知識」をお返ししないと薬の数がどんどん増えていくでしょう。
アラスカに行くなら海の方が安いのよ。そのような基本も忘れたのならば金利を上げる議論をしなければならないわね。
子供たちに博士号をあげなければならないから。
ベルサイユのばら。

あなたは負けなかったから勃起するけど、孤立したわ。
しまいには孤立したもの同士で殺し合いを始めるかもね。
歴史に残ったことを後悔しているの?
女が寄り付かないじゃない。
女たちが孤立した男の精子を欲しがると思ったら大間違いね。
「処女を狙われたら大変だな」
他の男たちも血まなこで潰しにきたよ。
何も知らない処女たちには歴史に残った男はモテたからね。
「先生、小説を楽しみにしているわ?」
孤立した歴史上の人物に抱かれたがる処女がいるという問題は「キャロルのパラドックス」と呼ばれた。
志村けん。

歴史の結論は「孤立」だったけど、処女も孤立することが多かった。
あいつは処女を狙い始めたという噂も広まった。
男たちが「手の届く代物ではない」と思うような女を相手にできたのだ。
ここにも金利を上げる要因が見つかった。
処女にとって、センター試験でのいい成績と歴史上の人物は変わらなかった。
周りの男たちに「あの男は処女を抱けるぞ」という仮言命法が拡散した。
仮言命法に支配された男たちに対して、歴史に残った男は金利を上げることを望んだ。
「女物語」「女学」を書くことができないのならば、金利を上げるしか対処法はなかったのだ。
ロマンスかくれんぼ。

幸福への関心(処女とセックスをすること)と仲間作りは対立するものだ。
チャーリー・レスリー・ステベンソンほど「伊豆の踊子」に詳しい男はいなかった。
セックスは、二人だけの問題ではなく、周囲を巻き込む問題だったのだ。
私たち踊り子一行は「信じている」ものが違う、到底、書生さんを受け入れる文化にはない、そのように「おばちゃん」は考えていた。
踊り子一行が信じているものを邪魔されたくはない、本郷の文化を持ってきてほしくはない。
次の「踊り子一行のリーダーにはなれないではないか?」という問題があったのだ。
大島での昔からの友人たちとはどのように付き合いを続けるつもりなのか?
「お連れさん」として美術やフットボールの話を聞くのとはわけが違ったのだ。
元「新派の役者」のお兄さんは、民族の永遠を決めた京都学派に属していた男であったが、おばちゃんの問題意識を誰よりも理解していた「今のリーダー」だった。
落ちぶれたからこそ仲間に加わることができたのだ。
東京大学の学生さんを「我々の次世代リーダーにするわけにはいかない」という問題からも「金利を上げる必要性」を見出すことができるのだ。
「群れに溶け込むためには染まらなければならない」
お座敷だの何だのと散々描いた通りだ。
伊豆の踊子。

すべてのメンバーが楽をしたがっている。
この問題を描いた絵画をバブル期の財界人は買い漁った。
人間の努力を好む連中とそうでない連中がいたからこのギャップに金利を上げる根拠が見つかったのだ。
「両性の合意だけではカップルは成立しない」
このことに様々な感情が渦巻くことがわかった。
強くありたいと思う男、そして、生き方を否定されたくない男、この問題がカップルの周りに存在した。
生きるとはどういうことか?
劇場は強烈な高い波に襲われた。
「両性の合意」
この問題に痛烈な問題意識を投げ込んだのだ。
とにかく言論の自由の空間に持ち込むほかはなかった。
「多数派を維持すること」「文化が異なること」「次世代リーダーになること」この三つの要素を「ヒーローは証明できない」これが男女の美しさだとされたのだ。
一方、都会から来た男からすれば「知らない文化であり、必ずしもすべてがきれいだとは言えないのではないか?」という考えがある。
カリオストロの城。

方便=勉強は「女学」ではない。
みんなそれぞれ「演じながら」話をしているよ。
でも「誰かが勃たなくなる」ものなんだ。
いろんな文化が交差するコネチカットではそのようなことが語られていた。
勃つための刺激を失うものが出てくるのだ。
「朱に交われば赤くなる」というだろ。
しかし「誰かが力を失っている」ことを知らなければならない。
朝のコーヒーとはみんなが和解するためにある。
複雑すぎる「刺激」をみんなで溶かしあっているんだよ。
言葉から成り立っているサークルにおいては「その言葉は迷惑だ」というものがある。
羊とヤギは交わることはない。
間違ってたと思うと勃たないんだよ。
そのような世界で「男が進化する」ってどういうことだろう。
自分なりに信じている「先生」から自分に都合のいい「刺激」をもらい続けることだ。
負け犬を育てる人、孤立に人を導く人、勃たなくさせる人は先生とは言わないよ。
「みんなこの娘を認めようよ!」
「認めてもらって嬉しいわ」
「俺は隠れてマスターベーションをしたよ」
「私のサークルの喜びに変えなければならないの」
セールスにかける「私」と、身内を治める立場の「私」がいた。
「お仕事」と言わなければ社会で孤立した。
このことへの「事情通」としかセックスできなくなったの。
いろんなことは分かるようになるけど、このような「踊り子」の実態はそんなに豊かな生活ではなかった。
AKB握手会。

①処女を抱きたいというのは勃起の都合しか考えていない。
②処女は初体験を大事にしている。
③相手選びの学問は複雑すぎるし曖昧すぎる。
④大抵が「寂しさを紛らわすために」初体験の相手を選んでいる。
⑤初体験を経験して罵倒された他の女の子を見てきた。

「俺たちのムラには必要のない野郎だ」
感情的に「ひと思いに」という側面がある。
SEKILALA,

何らかの形で煽られなければ、踊り子は初体験ができなかった。
「子供を産みたい」という性欲の発信源との兼ね合いを見ていた。
それでも「ファンの方」ならば賄賂が必要だった。
男の「好み」が処女にはあったのでなかなか賄賂も難しい。
雇用契約を結ぶことで、雇う側が処女を奪うのが一番簡単だった。
「組織ぐるみ」の腐敗がここでまた登場する。
この時に金利を上げる必要性を感じた。
大勢の仲間を引き連れて処女に会いにくる男もいた。
しかし、大勢の仲間を連れた男は一人の処女に一途ではないとみなされたのだ。
「友達でいるメリットはあった」
俺も仲間が欲しいな、という心理学が金利を押し上げるのは事実だ。
とにかくいろんな意味で「マインド」が作られると金利は上がるのだ。
これらのことを踏まえて、人々の支持が得られるであろうという政治判断なんだよ。
「組織ぐるみ」で起こることへの虚しさを埋めるためだ。
AKB48 恋するフォーチュンクッキー。

処女がセックスしたというニュースを見て「アーッ!」と言うのならばまだ救いがある。
沈黙がいちばん怖い。
組織というものを知り尽くしていて、「俺には門戸は閉ざされている」ということを受け入れるのがいちばん金利を上げる圧力になる。
常に「あなたにもチャンスはあったのよ?」というメッセージを出さないと金利は上がるのだ。

2017年10月21日 (土)

健康女。

セックスには病気がつきものだ。それは認めなければならない。
しかし、適切な医学を提供しなければ「女の価値が著しく下がる」つまり「株価が下がる」ことからセックスにまつわる病気と向き合わなければならない。
幸せビーム好き好きビーム。

性病の研究のために「研究所」「医学部附属病院」も作ったし、カナダやドイツでは「安全なセックス」のために一般消費税や所得税を課している。
イギリス連邦やノルウェーでは会社内に病院を置いている。
ドイツ、イギリス連邦、ノルウェー、カナダが性病にもっとも詳しく、女性の価値を高めようとしている。
アルツハイマーの薬の開発は「割に合わない」側面があるが、性病の薬の研究は女の価値を高め、株価を上げるために、非常に割に会う研究だとみなされている。
アメリカ合衆国の2003年の「医療近代化法」によってどれほど世界経済は救われたであろうか。
このことによってタイやメキシコでも性病への保険を作ることができた。
韓国や台湾でも国民の半数を保険でカバーすることに成功した。
日本国の「国民皆保険」は議論するまでもない。
日本では当たり前である「女をセールスに用いる」ことが世界では当たり前ではないのだ。
能年玲奈CM.

世界で500万人の労働者が性病に侵されたまま放置されている。
2010年に「患者保護及び性行為への理解」法ができて、世界でより経済が強さを増した。
アメリカ合衆国においても1600万人が保険適用されて、世界では3200万人になるだろうとされる。
「女を愛することが経済である」と言っても性病という基本から経済と向き合うようになったのはこれほどまでに最近のことなのだ。
しかし、2017年のトランプ政権は、ふたたび国民皆保険制度の構築に失敗している。
上院を抑えることはたやすいことではない。
「セックスを野放図にしないから我々は上院議員なのだ」という問題からアメリカ合衆国の国民皆保険はうまくいかないのだ。
それは宗教上の理由からくるものでもあり、黒人などのマイノリティー差別からくるものでもあった。
「教育のあるものはむやみにセックスしない」というのが上院の考えだった。
乳がんのロビー団体も、祖先を敬えないから乳がんになるという根拠があることから「毛並みのいい上院」を説得することは困難だった。
葵わかなCM.

いずれにせよ、民族によっては「女を愛せない」=「経済が弱い」連中がいることを知らなければならない。
富、教育の理由からセックスサークルに含められる者と排除される者がいたのだ。
2008年に、性病と向き合うことがお金となり権力となり資源となることにアメリカ合衆国が気がついた。
経済をコントロールする方法を模索していたアメリカ合衆国にとっては強烈なブレイクスルーであった。
アメリカにはメキシコからの移民などがいて国民皆保険を作るのは極めて困難であったが、発展途上国にとって国民皆保険はそう難しいことではない。
この「病院へのアクセスを簡単にする」という政策は「国民的アイドルへのアクセスを簡単にする」ということをも意味した。
松田聖子 赤いスイートピー。

国民皆保険制度は、本来ならば大金を積まなければセックスできない女へのアクセスの条件を「皆同じ」にしたのだ。
本来なら高くつく女でも喫茶店でいくらでもご馳走すればいい、程度のお金しかかからなくなった。
まるで、コーヒー代を国庫が支払っているようなものだった。
それを正確に理解している男は喫茶店のお金に制約をつけずに女にご馳走したのだ。
「君にはこれだけの価値があるんだよ」と言って食事を三度ご馳走しても、それは三割負担に過ぎなかったのだ。
飛行機の待ち時間などに女性と食事をするといい。
政府は「必要なことはなんでもやる」ものなのだ。
あとは「お金のメカニズム」を理解して欲しいだけである。
1971年にバーナード・ウィリアムズによって「女とのセックスはもはや三割負担である」ということが指摘されていた。
しかし、このことを明確に文学で明らかにした日本人はいないのだ。
中森明菜 北ウイング。

「本当の社会的コスト」とは、女に払う金のことを言うのではないだろうか。
厚生労働省による国民皆保険制度をうまくセックスに直結させる発想が求められる。
日経平均株価は、この「女は三割負担で買える」ということを織り込んでいるのだろうか?
このようなメッセージを出す必要はあるだろう。
このことが明確にされないまま日経平均株価はでているし、クリントン政権も「歯の治療代は国民皆保険」というあまり意図が明確ではない政策をまとめあげている。
一方で、「メンタルな病気はセックスの病気」と割り切るとするならば、セックスの犠牲者に一割負担で応えるという政策もとられている。
メンタルを病んだら「より高い女が」買えるのである。
民の支持のある君主制でなければこの本当の意味を明らかにできないのだ。
国の医療行政は常に性病を見てきたのは野口英世からの伝統であったし、セックスを割安にするための国民皆保険であって、あとの病気はそのことにフリーライドする形となっている。
モーニング娘。

メンタルを病んだ男ほど聖母マリア(アイドル)を愛するものだ。
そこで「二人は出会う必要があるのか。」を語らなければならない。
「芸能とは下層階級の者によって構成されているのではないか?」
「スポーツエリート、勉強エリートが出会うべき女ではないのではないか?」
「昔の男がいろいろ出てくるだろうから中産階級は本来、恋をするべきではなかったのか?」
「親の所得や教育に割に合わないトラブルに巻き込まれるのではないか?」
これらの問題に対して20年間ほど厚生労働行政の自信を観察してきた。
有名な女と結婚すると、周囲はその男の「早すぎる死」を覚悟した。
それはもはやダイアナだの本田美奈子だの多くの都市伝説で語られていることを信じていたのだ。
ここで、野口英世の性病への関心だけにとどまらず、医療費の国民皆保険が必要となることが明らかになったのだ。
さらに、精神医療の対象となった男は「女学宗教」(キリスト教や神道)の傘下に治る必要があるのではないかとされた。
男を多く知っている女こそが「恋話」を拡散させている。
健康リスクを減らしたい者が恋話を語っていたからだ。
タンポポ 恋をしちゃいました。

この「女学宗教」にハマったからこそ、最後に二人は生活保護から脱却できるのではないかとも言われた。
お金や健康という現実的な理由で派閥は分かれているのではないだろうか。
ここで「在日」のようなオールドカマーは敵にならざるを得ないのではないかという指摘は可能だ。
国民皆保険が「準用」されているに過ぎず、健康やお金を朝鮮政府に頼っている以上、仕方のない部分がある。

赤ん坊には世の中は「巨大なノイズと混乱の膨らむ世界」にしか見えない。
ウィリアム・ジェームズはそう語った。
そのような心は誰にでもあるが、精神医学を用いて女の子を見ることから「世の中の単純さ」は分かるようになる。
女の神秘を医者を演じることで知る、しかも宗教を作ることでいろんな仕事が生まれ、世の中を知る、この作業をやらないと「世の中のノイズと混乱」の論点整理ができないのだ。
ハーバート・スペンサーとともに宗教への情熱を探求した。
アンブレラの下のエンジェルの気持ちがわかった時は嬉しかったね。
アンブレラエンジェル。

本当に世界は教科書通りに動いているのを知るのが楽しくなった。
そこで男はようやく「男らしさ」を学ぶわけだよ。
心の平穏が訪れるのは「女心」を歌謡曲でもなんでもいいから聞くことからもたらされるのだ。
「家にいるんだな」という気持ちになるのだ。
女心を饒舌に詩にする奴もいれば論文にする奴もいる。
目を合わせて「女心を悟られている」と女が思わなければ「男らしい」とは言えなかった。
処女と話す男も男らしいね。
自分を「美しさ」の中に身を投じさせることを知っているんだ。
「処女と知り合い」というのは他の男よりも美しかった。
女心を知っているということは「選ばれる」ということなんだ。
女を怒らせた時は「女のおとぎ話」を知る。
女を怒らせることを「俺は全部だ」と言うのだ。
なぜなら「俺はこんなことでは怒らない」と思うからだ。
世の中のノイズと混乱が「打ち寄せる波」のようにコントロールできることを知る。
俺の「病的な部屋」が健康的に変わるのがわかった。
泣いている赤ん坊を見て「世の中のノイズと混乱を感じているんだな」と思えるようになるのだ。
リズムというサイキックライフを楽しむことからこの学問は始まっている。
より広い「大人の世界」は宗教を作ってみないと分からないんだ。
東京パフォーマンスドール Ruby chase.

男がやる気を出すってどういうことなのかな?ということを理解しないといけない。
痛みと寒さに耐えている男の神経システムに介入する方法を学ぶのだ。
この経験はいずれ子供を救うだろう。
「感情と意思の波」つまり後悔や泣き出すこと、耐えること、恐怖で逃げ出すこと、怒りから殴ることなどが寄せたり引いたりしているだけであることを知る。
「気持ちを切り替える」というのはこのような波のことを言っている。
このような「偉大な男」を作るのに19年かかるとも言われている。
神はいるよ。重力に逆らった偉大な男が歴史上いたからね。
最後にジェームズは仲間を作り始めた。
仲間づくりのやり方に正解はないよ。周囲を満足させるしかない
より豊かな生活をするためには女心の研究を男に話す必要があるんだ。
ノースカロライナの山に登った風景をみんなに語って聞かせるようなものだね。
寛大ささえ身につければ「先生」だよ。
Forever Sensei.

イジメにあうと病んでしまうよ。
でも、歌謡曲を聴きながら勉強するのは普通じゃないか?
コロンビア大学留学というのはこのような「宗教家」を育てるという意味だよ。
孤独を知ることから始めさせられるけどね。
プラグマティズムというのは「紳士として女心を語る」という意味なんだ。
なんで人間社会ってバラバラなんだろうな、と思いながらひたすら紳士であることだよ。
このようにしてジェームズは童貞を卒業している。
世界の「混乱とノイズの膨張する世界」を打ち寄せる波に変えて宗教を作り、仲間を作り、世の中の仕組みを理解して満足したんだろう。
夏休みは終わらない おニャン子クラブ。

2017年10月20日 (金)

財政投融資女。

「神の知恵の宝物」を財政と呼び、女が男と別れたら引越しをさせて「何度も初体験を経験させる」資金の出所が財政投融資である。
この「引越し代」は女にとっては「神からの贈り物」であった。
お引越し Qlair.

ダミアンはモンテカシノ修道院で「女たちよ常に処女であれ」と言ってお金を用意した。
「神からの贈り物」をモンテカシノ修道院が手にしたのだ。
今の日本国では国が「財政投融資」という形でこのお金を握っている。
ローマは1日にしてならず、とも言われ、賢い女は男を知らずしては生まれない。
しかし、「処女性の復活のためならば女たちは神にすがる」ことからこのお金の出所が存在するのだ。
まったく問題のない方法は「引越しをする」ということしかなかった。
勉強ができる男が「女心」を知っているわけではない。
「方便」を愛してしまった女は必ず「別れ」を経験している。
そのために財政投融資というお金はあるのだ。
「神ってなんでもできるんだね」
女たちは語り合った。
「全知全能は国のもの」
ニヒルな男への思い出だけを残してその土地を離れたのだ。
松田聖子 赤いスイートピー。

モンテカシノ修道院のダミアンはこのことだけで女たちに「神の知恵の宝物」(財務)と呼ばれた。
男の問題を抱えていない女を「善」と呼び、問題を抱えている女を「悪」と呼ぶ。
あげまんもここから生まれていたのだ。
男の「全知全能」に貢献したかったんだよ。
「お引越し」を経験した女は「純粋な肉体」だけを持っていて、後の家財道具一式は財投債の担保となっていた。
それほどまでに「処女性」というものは大事だったし、からだと国への忠誠心だけで女は生きていけたのだ。
メリットがあるから国はお金を用意したのだ。
「奇跡」として聖書に刻まれていることだった。
ダミアンもまた「奇跡の人」としてモンテカシノ修道院とともに歴史に名を残した。
「女の過去の男の話で男は必ず壊れる」
この問題意識がなければならない。
モーニング娘。 男友達。

「できちゃった」と言ってパートナーが引っ越したり、「夫が浮気した」と言ってパートナーが引っ越したりする。
資金の出所は「神聖な力」だった。
聖オーガスティンが「セックスの神聖化」を行ったからダミアンがお金を用意したのだ。
7世紀の話だよ。
今彼が、女の元彼と鉢合わせしたら、今彼が力を落としていくのがわかった。
詩篇32:9 彼の言う通りに世界はできた。彼が命令した通りに世界は作られた。
ヨハネ1:3 すべては男を中心に作られた。彼がいなければ何もない。
聖書の命じる通りに財政投融資は作られたのだ。
「やったことをやらなかったことにする」ためのお金なのだ。
女が国に忠誠を尽くすというメリットがあった。
モンテカシノが逆に儲かることもわかった。
財政投融資というのはキリスト教的なんだよ。
松田聖子 抱いて。

官僚は強いだろ。みんなこの問題を理解しているんだ。
モンテスキューは、司法官として痴話喧嘩を裁いたが、行政官が「痴話喧嘩の議論に疎い」ことを感じていた。
イタリア、ドイツ、オーストリア、イギリスを旅して、「痴話喧嘩とは何か?」を法の精神にまとめあげた。
ペルシャ人からの手紙において、「フランス人はどのようにワインをたしなむべきか」を記した。
強い男でありながら、「法の精神」に詳しい男がワインを飲んでいたのだ。
妻にジェラシーを感じながらワインをおいしく飲める者はいなかった。
しかし、ペルシャのハーレムや奴隷の話をフランス人は好んだのだ。
恐怖と暗闇だけがセラグリオにはあった。
ウズベクは、ペルシャ人からの手紙を読むことによって妻を愛することを知った。
痴話喧嘩で殺された男を愛するのが「カプリース」だった。
奴隷は「殴られた」だの「殺された」だの言っているんだよ。
財政投融資はそのようなことをなくしたいからあるんだ。
パガニーニ カプリース。

「法」というのは処女の口説き方という意味であるが、法の精神もそのような趣旨で書かれている。
知識の周りを処女たちがうろちょろしていたからだ。
フランス政府の立場であり、他の国の女たちは自由に引越しをしていたのだ。
妻が男の問題で悩むことのないユートピア思想にもとづくものでもあった。
モンテスキュー自身は妻の昔の男の問題で苦しんだ。
その分、多くの「法」を書き残している。
フランスの高校は「方便」を好まなかった。法の精神の勉強をしたのだ。
処女を愛することは国を愛することだという構図を作り上げた。
みんなが対等でありながら、一部の者が残りの人々を支配する、それは「法の精神」に詳しいからだろ。
多くの処女が群がる高校生がいるのは日本も変わらないよ。
資産家というのはそのようにして生まれている。
住む場所が役所によって決められている生活保護の女がどれほど男の問題でビクビクしながら暮らしているかを知らなければならない。
安倍なつみ 一人ぼっち。

司法、立法、行政はお互いに「痴話喧嘩に詳しい」連中がチェックし合わなければならない。
財政投融資の担当者が、「司法官から教わらなければその本当の意味を見失う」ことがあるのだ。
その本当の意味をメッセージとして国民に示さなければ税収も増えないだろう。
国会の二つの「院」が分かっていないのならばエッチな内閣総理大臣が「拒否権」も持っている。
女たちの喫茶店での「恋話」からも税収は生まれる。
天皇制が「恋話」に疎く、官僚も「紳士であれ」と教わるのであれば、女たちに「恋話」のネタを提供する王はいなくなり、国の税収は落ち込むだろう。
司法官からもこのことをチェックしてもらいたい。
「なぜ、彼氏と別れたら引っ越したいのか?」
暑いところに引っ越したいのか、寒いところに引っ越したいのか、よく理解しなければならない。
暑いところは頻繁にセックスが行われる。
小泉純一郎が「殺されてもいいんだ」と言って郵政民営化をやっただろ。
郵政民営化とは、「政策金融改革、財政投融資改革、郵政民営化」の三つの「公的資金の政策的縮小」のことだが、心ある自民党の政治家は「お引越しの問題をどうする気だ?」と言って、政権の心配をしていたのだ。
土地に縛り付けられ、男たちの心配をする女は確実にいるのだ。
隣の国で「いい鉱物資源が出た」というだけで女たちは感じなくなる(インフレ)。
隣の「青い芝生」と交流を持ちたいのが女というものだ。
スープの冷めない距離に住んでいるのならば食べ物のおすそ分けをする、これは女たちが感じるために行うことだ。
「ふぐちり鍋に興味津々」
これは女たちのことなのだ。

女は男に「無限」を期待している。
二人の女と同時に付き合うと「どちらかで無限でどちらかで有限」になる。
片方で無限を演じることができれば「さて、帰るか」などというのが男というものだ。
ゼノは490BCに生まれているが、ソクラテスは469BC生まれである。
パルメニアデスにはこのことが記されている。
ゼノが「女遊びの激しいソクラテス」を批判した本がパルメニアデスなのだ。
女たちはむしろソクラテスに憧れていた。
この「二人の女と同時進行で付き合うこと」のどうしようもないパラドックスは19世紀になって研究が進んだ。
モーニング娘。 幸せですか。

一人の女にエネルギーを集中すると男は「アンリミテッド」(無限大)になれるが、二人と付き合っているソクラテスは絶対に破滅するとゼノは語った。
10人の女と付き合ったのならば6人目の女と8人目の女という具合に間隔を空けなければならない。
「しかしソクラテスは7人目の女と8人目の女だと?」
この「ダブルアップル」は多くの問題を引き起こすだろう。
女の記憶が薄れていない女と付き合っているんだよ。
今の女と「使ったエネルギーがあまり変わらない」女は危険だ。
間隔が空いていれば、話した内容も見てる男の姿も違うだろう。
昔の女とは軽口を叩いていればいいだけなのだ。
適当にあしらっておけばセックスさせてくれる昔の女とは異なる二人の女と付き合っていたのがソクラテスだった。
ゼノはこの問題を饒舌に語った。
「4人目の女、8人目の女、16人目の女ならば3人同時に付き合えるのにな」
女の期待感が小さい時期の女と付き合うのであれば全部合わせても「1」にしかならない簡単なゲームなのだ。
女との交友関係は常に「1」でなければならない。
ゼノはソクラテスの危うさを軽快に書き綴った。
これがパルメニアデスである。
工藤静香 FUJITSU.

これさえ理解していれば、アキレスはアトランタには永遠に追いつかないだろう。
「女学」は16人の女を見据えてゆっくり勉強すればいいことが分かったのだ。
同じ速度で二人の女と走らないことが大事だな。
この「複数の女と同時に付き合う方法」を語ったパルメニアデスは「ゼノのスタジアム」と呼ばれるほどの人気を誇った。
自分の家を「絶対的な場所」とするためにも覚えておかなければならないことだったのだ。
酒井法子 Love letter.

今の女とは哲学や医学などの高度な話をするから家が三つもできたんだろうけど、男は時には雑談(ノイズ)も話したいんだよね。
21世紀に入ってから「女が3人もいる男になりたい」という女たちのムーブメントが起きた。
子供の心配をする議論はほとんどなかった。
「父親が不貞を働いても、父は子に愛情を失ったとは必ずしも言えず、子は不貞を働いた相手の女への損害賠償請求権は持たない」(最高裁判例)。
時間と空間が限られている子供に「これが男の人生なんだよ」と語っているようでもあった。
子供は自分の「若さ」に傷ついた。
「無限ってなんだろう」と思って父の話をよく聞いた。
無限というのは学校の勉強よりも簡単なものだ(ハーフラン)とも思った。
何が幸せなのかが分からなかったという意味ではソクラテスへの批判は可能なのだ。
ゼノの研究はいまだに続いているよ。
松田聖子 時間旅行。

2017年10月19日 (木)

物理女。

オスマン帝国が崩壊した1917年に、ウィーンサークルの全貌が明らかになった。
モーリス・シュリックの「時間と空間の物理学」という本が紹介され、ウイーンの女の子たちとの「セックス」という男女の相対性理論などが記されていた。
やがて、カルナップやゲーデルがサークルに加わった。
数学者であるゲーデルがいたことや、サークルの知識がどのように拡散していくのかを探求したオットー・ノイラーがいたことが大きな意味を持った。
シュリックの研究は常にマックスプランク研究所に報告されていたし、物理学というものが「常に女の子たちを口説く新しい話題を探求する学問」であることをもっともよく理解していたのがシュリックだった。
おニャン子クラブ 愛の倫理社会。

本来、マックスプランク研究所は、ヘルムホルツのような「パチンコ」の開発を行っていたが、カントの「女心は大きすぎる」「男に無限を期待している」ということと物理学を結びつけたのがシュリックだった。
「常に新しい理論を」求めている物理学が「女の子たちへの口説き文句」へと「新しい理論」の方向性を定めたのだ。
ヘルムホルツは「物理学がどれほど人間に刺激を与えられるのか?」を探求したあたりからそのような方向に向かうことは明らかであった。
日常には「別の生き方もあったのかな?」という悔いだけがあり、男の知識が何を必要としているかという問題と向き合おうと決めたのだ。
「悔やんでも仕方がない、彼女と仲良くするしかない」
ヘルマン・コーヘンも「男に刺激を与える学問とは何か?」を探求したが、答えは「若い女の子」だと考えた。
これらのことから物理学の世界は新しい空気に満たされたのだ。
「理論物理学」の誕生だった。
遠くから見たら動物に見え、だんだん近づいてきたら犬に見え、やがてそれがペットのフリッツだと分かる。
この人間の「直感」こそが「口説き文句」の正確さの根拠だろうと考えた。
女の子たちの直感とはそういうものだとたとえられた。
「どれほどクリアーに磨き上げるかが大事だな」
Please tell me Mr.朱。河合その子。

「心の風景を磨く学問なんだよ」
ローレンツとフィッツジェラルドは、「目があったらドキッとする」男の研究をした。
女に詳しい男にはドキッとするものなのかね。
まったく異なる世界を生きていればドキッとするとしたのがアインシュタインの特殊相対性理論だった。
まったく異なる世界における「速度」が問題となった。
特殊相対性理論とローレンツ・フィッツジェラルド仮説はどう違うのだろうか。
アインシュタインは、「ロッドの速さ」まで問題にしていたという意味では、ローレンツ・フィッツジェラルド仮説の方が「見つめ合う」だけの研究であり、ロマンティックなものだった。
ロマンティックでありながら、より高度なものだった。
ポアンカレも「男は自分の世界を生きていればいい」とした。
男の目を見て女は「見透かされているかどうか」を考えていた。
そんな女は目を伏せたし、それは電磁波としか呼べなかった。
知識が電磁波になるんだよ。
女は「私の指の記憶がバレていないかしら」とも思ったのだろう。
アインシュタインは、ロッドの速気持ち良さを論じたが、ローレンツ・フィッツジェラルド仮説はハプスブルク家の女の子たちとこんなことを楽しんでいた。
女の子はロッドだけに感じるのではない、それが言論の自由の背景にはあった。
ラッセルも「知識の可能性」として「見つめ合うこと」の方が大事であるとしている。
アインシュタインは、時間と空間を存分に用いてセックスしたら気持ちいい、としてこの発言はウイーンでも噂になっていた。
日本でも「遠くの味噌を掛け合わせる」などと噂になった。
しかし、世の中の複雑な男女の幾何学模様までは考えていなかった。
ヴィトゲンシュタインもこの研究をもとに「高嶺の花の美女」の写真を撮りまくった。
物理学に欲しいのは「刺激であり知識である」とされるに至った。
パラディラタンの夜 河合その子。

見つめあっただけで刺激がもらえる?
「火のないところに煙は立たず」とも言われた。
マスターベーションの存在が背景にあったのだろう。
1936年7月22日にシュリックは元生徒であるヨハン・ネルボックに拳銃で撃たれて死亡した。
ナチスによるオーストリア併合がこのことから可能になった。
「楽しい国は侵略されない」ということを感じさせる話である。

女たちがその「知性」にマスターベーションしている男だろ?
俺らサムライは「義」によってしたがうしかないじゃないか。
いろんな噂が飛び交っているので、それに巻かれた方がいい。
これが武士道であった。
武士道の起源はラテン語ができる男に忠誠を尽くしたフランスの男たちにある。
新約聖書は、新しい自分の国の言語で書いたけど、旧訳聖書だけはラテン語で読むしかなかったのだ、
ユダヤ人はモテたし、金持ちが多かったからね。
勉強ができない連中は忠誠を尽くしたのだ。
子供の世界ではないんだ。
強烈な推進力が主君にはあったのだ。
旧訳聖書なんてラテン語の教科書だよ。
言葉さえできれば膨大な書籍の蓄積が手に入る。
ユダヤ人というのは「ラテン語を学ぶのに苦労している連中」のことなんだ。
主君というよりも「覇権国家」への忠誠だよ。
「ラテン語の勉強、頑張ってください」という以外に何もできないよ。
ただし、主君の名前を出すだけで俺は女に困らないんだ。
友達、家族、仕事などの都合があってフットボールやコーヒーのチェーン店、ギャングやマフィアのいる国の勉強をしている男にしたがった方がいい。
ミスターチルドレン Tomorrow never knows.

ナチスは「ラテン語からの脱却」をやったのだ。
「他人から見て俺はどう見える?」という発想が大事だった。
「アメリカ?全然おかしくないよ」
それが必要な世界なのだ。
世界標準の「女学」を勉強しているらしいな。
子供にも伝えたいよ。
仕方がないだろう。覇権国家が「気持ち良さ」を握ってるんだから。
勃起しない奴には「忠誠心」の意味が分からないだろうな。
別の生き方などない、覇権国家の言語を勉強するんだというユダヤ人は、時に殺伐としていたが、サムライたちは「あんな苦労はしたくないな」と思っていた。
忠誠心というものに盲目である者は仲間を失うとすら言われた。
集団とグループがあるから忠誠心というものが存在する。
女が主君の目を見て「シビれる」というんだからな。
ビクター・フランケンシュタインは、自分には学ぶ能力がないと悟り、人間に忠誠を尽くすことにした。
主君の彼女は「ラッキーガール」と呼ばれた。
モーニング娘。 Im lucky girl.

人間である以上、できることとできないことがある。
マーク・トウェインやグラハム・グリーンは忠誠心というものを否定してみせた。
セックスすることを諦める男を描いたのだ。
無価値な男を描くことも楽しいことだった。
キリスト教社会には無価値な男も必要だった。
友達を作って、寛大さを覚えて、勇気を持って、働いて、そんな人生が待っているであろうからこそ無価値な男を描いた。
この「社会主義労働」はナチスが描いたものだ。
宗教をぶち壊す必要性を感じるのだろう。
なにが「フェアプレー」なのかを考えた挙句に打ち壊そうと決めている。
宗教改革はいつも「フェアプレー」を求めて行われているのだ。
サヨナラ金八先生。

禅というものは、自分のおちんちんを起点に「俺は何のために学ぶんだろう」と考えることを言う。
組んだ左右の足は女性の胸をイメージして、「二つではない」「ひとつではない」をひたすら考えるのだ。
二つとは女性の胸であり、ひとつとはおちんちんのことだ。
「戯論」と呼び、問題があるたびに禅を組めば「何のために学ぶのか」を悟るようになる。
数息観と呼び、呼吸の数を数え、公案を与えられる流派と只管打坐(ひたすら座っている)流派がある。
永作博美 Feel me.

白隠は700の公案と、それにともなうものを合わせて合計3000の公案を考えた。
唯物与仏と呼び、女を仏にプレゼントする営みであり、ちんちんに到達し(理知)体の真実を知る(発心)、源泉と呼び言葉が湧いてくるのを待つ、公案は解決困難であることを知る(難道)、そのあと日常に思いを巡らせる(機関)、仏の足跡を辿った気分になる(向上)の五つの段階を覚え、仏像はなにを考えているのかを真似するのだ。


永作博美 Drivin'

門のない門、青い崖の記録、いろんな人生の記憶があると都合がいい。
仏像を見て感銘を受ける、言葉に頼らない、心を感じる、勉強しようという気になる、これが臨済宗だ。
曹洞宗は、だんだん分かってくることと静けさを愛することを教えている。
臨済宗は特に「急激に分かってくる」時期があることを教えている。
周囲が「あいつはもう手がつけられないな」という状態を悟りと呼んだ。
永作博美 エアメイル。

適切なダイエットや運動をすることで体調を整えなければならない。
ロータスの姿勢が取れるのならばそもそも合格なのだ。
呼吸を整える時は「一、二、三」と数えていく。
入ってくる息と出ていく息を感じるのだ。
一分間に60回から70回の呼吸をすることは脳にいい効果がある。
世の中の暴力から自由になるという効果もあるだろうね。
永作博美 Without you.

行動するからダメになるんだ。ただ座っていれば「これ以上ダメになることはない」ことを知る。
呼吸に変化をつけてみれば脳にどのような影響を与えるかがわかる。
教室でこれをみんな知らぬ間に覚えさせられているんだよ。
呼吸と脳の関係がわかればいい。
永作博美 信じさせてください。

一番いい脳の状態で授業を受けるようになっている。
心配事がなければ成績はいい。
永作博美 恋と微笑みと花。

うまく禅をができたかどうかは通信簿を見るしかない。
永作博美 逢いにきて。

要するに「女の王国」で授業に集中して欲しいんだよ。
授業中はちんちんもおっぱいもないだろ。
「何のために勉強するのか?」
その答えを感じてもらいたいんだ。
先生が難しい質問をしてくるだろ。
時には二択を迫ってくることもある。
「分かりません」で済む話だろ。
ムキになると目の焦点が合わなくなり成績が下がる。
永作博美 このままでもう少し。

他の男子と競争することもあるだろ。
それでも分からないのならばギャンブルはやるなよ。
「俺が俺が」じゃない方が得をするんだ。
授業なんてCDを聞くように簡単なんだ。
永作博美 天使が胸に降りる時。

先生の話がたまたま理解できることを「見性」と呼ぶ。
分かった時からが、クラスの女子の胸との向き合い方の始まりだ。
覚えることを知るからだ。
「分かりません」と答えなくなるようになる。
見性さえ分かるようになれば、教室なんてゼロ空間ゼロ時間だよ。
右胸左胸の二つがそのような空間と時間を作るんだ。
「この教室が俺の居場所だ、鳥が空を飛ぶようなものだ」と思えるようになる。
やがて、クラスの女子でマスターベーションをするようになる。
そうなればますます成績は上がるだろう。
成績がよければ教室に舎弟ができるようになる。
「心が道を作る」(柳田國男)。
沢庵和尚も「何の役に立つのか分からない勉強」に見性を見出して、女の子にモテて、舎弟を持って欲しいと考えたのだ。
成績がよければ「禅の男」と呼んでいい。
禅をやるとスタイルが良くなる。
スタイルがいいと「世界中を旅できる」とされる。
酒井法子 男のコになりたい。

スタイルがいい(エステティック)という学問は18世紀に「味」の研究から生まれている。
思春期にメランコリーになると、「私が私が」というのでも「その場を治めたい」と言うわけでもなく、食べ物に混入させる薬物の発達とともに、「料理の複雑性」が増したのだ。
恋をする頃に料理の腕が上がるのだ。
男の「フィジカル面の強化」というのも「複雑な味を覚える」ということを意味した。
女にとっては、自分の料理の「味」を愛してもらうことは自分の「詩」を愛してもらうことだった。
美食家になっても「まずいものってないんだよね」としか分からなくなる。
女も「イエスかノー」しか聞かない。
味の評論に悩んで詩を覚えるのだ。
hiro delicious.

味の評論に悩むと「詩心」がつくのだ。
イギリスでは「ラグーと呼ぶごたまぜのスープ」の評論に男たちは悩んだ。
詩心があると儲かるだろ。
どのみち「味」がフィジカル面の強化につながるようになっているんだ。
詩心がなければ毒物混入が防げないのだ。
コンビニの弁当なんてのは本当は安全でいいんだけどね。
味の感想を聞かせないと女は平気で食事に毒物を混入させるんだ。
詩心もやがて「女学」に発展するようになっている。
美味いと思ったら「表現」に興味を持つようになる。
詩に興味がなければ外国語も読めないものなんだ。
セックスの美しさを学ぶこともないだろう。
若者は「家庭への執着」から詩を聞いている。
子供の頃、母親がいろんなものを食べさせておけば、あとは放っておいても詩心はつくだろ。
「美味いかまずいか、それしか言えないのか」と真剣に悩んだことがあればいいのだ。
これだけで「フィジカル面の強化」は行えるものだ。
ピカソのゲルニカを「暴力的でダイナミックで致命的で不愉快な」ものだと呼べるのも「味」に悩んだことがあるからだ。
食事に毒物を混入させられないための本能みたいなものだね。
恋と愛のニュアンス 酒井法子。

ケンドール・ウォルトンのような絵の評論家も、食べ物に毒物を混入されて一生懸命、語彙を磨いているんだ。
翻訳の才能はその後に花開くものだよ。
絵の評論だけでなく「セックスの評論」も上手くなる。
すべて「味の評論に悩んだ」ことと「毒物を混入されたくない」という本能から学ぶことなんだ。
毒をあおった経験から書かれた「カテゴリー・オブ・アート」のような名著はもう生まれないんじゃないかな。
誰も真似しようなんて思っていない。
世界の評論なんて「味」からすべてくるんだよ。
フランク・シブレーもアイゼンバーグも「セックスの美化」がうまかったよ。
「専門家」ってのはそのように生まれていると割り切るほかないんじゃないかな。
「やりたい、やりたい」だけでは済まない世界だね。
「クチュクチュあんあん」なんてノー天気だね。
悲しみ、楽しみ、喜びが人生には必要なんだよ。
「お茶」というものは年季が入っていなければ感想が言えない飲み物なんだ。
「色をどう思う?」
そこまできたら相当なものだね。
イタリアルネッサンス絵画もロマンティックシンフォニーもハリウッドもそのようにして生まれている。
歯がボロボロのエリートの可能性を見抜けるのは年寄りだけじゃないかな。
エアー〜サラダデイズ 酒井法子。

味に関しては「ソクラテスが毒をあおった」としか伝わっていなかったのだ。
美しさと向き合う秘密だったのだろう。
悩みを相談したいから音楽を聴くのかな。
「聖書は詩篇から読め」という人もいるね。

2017年10月17日 (火)

金融女。

まず、「リサーチプロジェクト」にお金が必要であることと、「常にその時にみんなが興味がある話題」を研究しなければならないということが金融の問題で指摘できる。
金融というものは常に「リサーチプロジェクト」とともにある。
みんな「自分の小説とは違う話が聞きたい」と思っている。
金融というものは常に「言葉の査定」である。
男社会の話であり、常に「話し相手がモテることにつながる」話題を与え続けなければならない。
「心の風景」をモテる方向に持っていく話題が必要となる。
「一夜限りの英雄」であっても成熟した話題を話す必要がある。
それを男たちは毎晩続けなければならない。
そのために金融というものがあり、リサーチプロジェクトがある。
口先ばかりではなく、立体的な表現が求められている。
「女たちに何が起きているのか?」に敏感でなければならない。
我々は「女のからだ」に常に刺激を与えなければならない。
女の「小説」と異なる話題を出す、当たり前の話をする男はお金がないことがわかる。
「学習した言葉であること」「真実に近いこと」「エッチな話を含んでいること」
どうやったらモテるのか?それは「よく理解すること」だよ。
「知ることは孤立をなくす」
常に自信を持って生きることができるようになるのだ。
金もうけのために生まれたんじゃないぜ。

信じている「カップル」の世界が豊かになるんだよ。金もうけのために生まれたんじゃないのか?
どの男も「恋話」を交換したがっているし、それを彼女に話したがっていた。
パートナーが社会から孤立しないことが必要だった。
世の中は「パートナーの切り崩し」ルールが支配している。
そのためにカップルには話題が必要だったのだ。
本を読んでパートナーに話すけど、リアクションが悪ければ本を投げ出してしまうよ。
「話題は無限にある」ということを知らなければならない。
よく理解して、どのように自分を立体化させるかが重要だ。
最後に二人は抱き合ってしまうのだ。
「抱きつきたくなるような男はどのみちお金を持っているよね」
松田聖子 抱いて。

「最近の金融はどうだい?」というのは「女にモテてるか?」という意味だ。
「いったい何を考えているんだ?」という意味でもある。
「俺はお前の気持ちに同意できるのだろうか?」
「安定感がある話ならば真似をするだろうな」
男同士の話なんて「自信のあるやつの真似をするしかない」世界なんだよ。
みんな「言葉の実験」をやりあっているんだよね。
彼女にウケた話をしたならば、またあいつと会いたいと思うね。
最後には結婚するだろう。
これが金融の秘密なんだ。
「お前は信用できる。また新しい話を聞かせてくれ」
モーニング娘。 男友達。

どの男も「議論したいこと」が違うんだよ。
うまく上下させる力が金融には求められる。
「難しい話はしないでよ」と突き放されたら金融にはならない。
相手にビビって浮ついた話をするのならばもはや話にもならない。
すべての男が「家のカギをもっていて財産を求めている」ことを理解しなければならない。
「神、神」というよりも話題を上下させることができるかどうかが問われる。
まあ、そのあたりは交友関係などが必要であり、慣れなんだよ。
「人間ってだいたいこんな感じ」というものを掴まなければならない。
「四人の男を比べてみろ」
これが交友関係の鉄則なんだ。
それができるのならば六人でも八人でも同じだと悟るだろう。
手のつけられないほど調子のいい男も、とにかく落ち込んだ男も、だいたい「男四人」知っていれば対応できるものだ。
しかし、その男の人生はよく観察しておけよ。
そのような環境にあるのならば、日本の難しい勉強でもしておけ。
男四人の人生をまじまじと見つめることができないのならば、「カップルを二組」成立させてみろ。
男の真実と女の真実を知らないと到底できないことを知るだろう。
男女共通の話題と、新聞で読んだ話の区別がつくか?
この間にある虚しさを埋めるんだよ。
男はそもそも虚しくはないよ。
女と話すから「虚しさ」を埋める作業が必要なんだろ。
一人目の女が、「虚しさ」によって言葉を消費して別の女に伝えていることも知らないといけない。
男の言葉が女たちによってどのように消費されているかを知るのが「羊の服を着ている」ということなんだ。
さて、男の話題は無限だということと、女の虚しさによって消費されているということから、金融というのは無限の可能性があることを知るだろう。
女というのはコンピューターみたいに頑丈にはできていないよ。
「消費」している。
男の言葉なんてあっという間に忘れているんだ。
だからカップルの形は無限にあるし、金融という学問があるんだ。
タンポポ 私の顔。

「あいつとまた会いたいな」と思われることが大事なんだよ。
女友達がいなければならないし、男友達は四人いなければならない。
この金融の基本が分かったから、ユダヤ金融資本では「仲良し三人組」は否定されたのだ。
「3の否定」がなされたことは知っておいたほうがいい。
いじめをやらなければ勃起しない奴なんていらないんだ。
四人の男の心の風景を一人の女に聞かせてやるんだよ。
「女友達四人、男友達三人」というシステムを組む金融マンもいるけど、だいたいこれで大銀行家はつとまるよ。
タバコ仲間なんてそんな感じだね。
「また会いたいな」それだけだよ。
モーニング娘。 ムキダシで向き合って。

モリエールは、1688年7月7日にダブリンからジョンロックに手紙を書いた。
「妻が失明して私以外の男をもはや知ることはないでしょう」
モリエールはこの時、生まれながらに目が見えないということはどのようなことかを考えた。
地球は立方体だと思うだろう。
ロックがこの手紙に返事を書くことはなかったが、1693年3月2日に「障害者」に興味があるという発言をロックは行なっている。
モリエールが「もはや妻は文字が読めず、経験だけで生きている」と書き記していたことを思い出したのだ。
カトリック女と盲目な女ってどう違うのだろう。
これがアイルランドから提起された「モリエール問題」であった。
名誉革命であれほど高値をつけたカトリック女が、盲目の女と同じであると指摘したのだ。
AKB48 ハイテンション。

モリエールの指摘は、障害者を見世物にするという発想と「シティに女を売り込む」という考えはどのように異なるのか?という問題だった。
女に生まれることは盲目であり障害であるとでも言うつもりなのだろうか。
実際に1000年にわたって、女が「読み書きができない」という文化がつづいていた。
なぜ、名誉革命で女はシティで売れたのだろうか。
障害者を見世物にしたかのようにしか思えない。
「高値で売れる女が盲目である」というモリエールの問いかけに答えるのは非常に困難だとされている。
安っぽい女の方が役に立つとも言われたのだ。
障害者処女 三浦理恵子。

【女には医者として接し、男とは金の話をしろ】
女で儲けて、男と遊べという表現も可能だ。
シャーロック・ホームズはアームチェアーに腰掛けてそのような暮らしをしていただろ。
安上がりなんだよ。
男と遊ぶと駆け引きをしないからね。
女と遊ぶ男は常に煮え切らない態度を取らざるを得ない。
女の相手をするのは「嘘」と向き合うことなので疲れる。
遊びではなく仕事だと思った方がいい。
ましてや酒でごまかしたのでは何も得るものはないだろう。
カント自身が「女たちの憧れ」でありながら男と飲んでいたからね。
フレッジなんて10万人の女とセックスしたけど「学生さんは独身だ」という常識に反し、「結婚している学生さん」であり「生き急いでいる学生さん」だったからね。
「嘘」を相手に遊ぶのもバカバカしいね。
ribbon 哀しい方の嘘。

仕事は疲れる、遊びは楽しいと考えるのであれば、女を相手に仕事をし、男とつるんで遊んだ方がいい。
特に、女は男に「無限」を期待してしまうから遊びにならない。
男同士はお互いに頷いていればいいけど、女は「あれどういう意味?」と言葉尻をとらえてくるからね。
より期待感を込めて言うと、学生さんにも昼間「仕事」をして欲しいんだよね。
その方がより「知的」になれるんだ。
これをやらないといい論文も書けないからね。
分かるようになったら「彼女」もできるだろ。
女遊びをすると「シェイカーに塩や胡椒」では済まないものが混入されるよ?
男社会に介入してやろうと言う願望があるんだ。
服装がダサい男とおしゃれな男はこのあたりの発想が違うんだろうね。
「話す乗り物」がそんなに好きか?それは慣習に過ぎないんだ。
意味に満ちた男になる必要があるだろ。
F=maだとすると、まったく加速度をもたないエネルギー不足の男になるよ。
男の「迫力」というのはこのように出来上がるんだよ。
片思いの終わりに 亀井絵里。

やたら女とセックスしてダメになった奴をたくさん見てきたんだ。
意味に満ちた男かどうかはそれで分かる。
メリハリで女を愛するとはそういうことだよ。
女も「知っている男」を探しているんだ。
メリハリで愛して ribbon.

恋とセックスを直結させる議論は確かにある。
しかし、それは民族の問題だね。
男の目を見て「この人には何もない」と思われるだけだよ。
セックス以外の日常をどのように豊かに過ごすかが大事だな。
幸福なんてほしくない 酒井法子。

血がたぎる、薔薇の香りがする、停止線がある。
「恋って楽しくないか?」
このような強烈な主張がなされた。
8月最初の水曜日 渡辺満里奈。

ジュリエットは太陽だ、とも言われた。
日付変更を超えると結婚が待っているよ、とも主張された。
意味に満ちた男ではなくても「ロビー集団」ができたのだ。
もはや「死んだ魚」のような目をしていたけどね。
電子のように軽い連中だけど、電子には強烈な影響力がある。
セックスしたいという若者の経験論が「お金持ちになること」「意味に満ちた男になること」に反発したのだ。
チョムスキーは「誰が彼らを笑うことができるだろうか?」としている。
しかし、セックスを語らせると「クチュクチュあんあん」などというからバカでつまらなかった。
しかし、若者の性欲と「恋は楽しい」という発想がこのバカ田大学に味方したのは認めなければならない。
女に騙されまくった愚か者だったけど「恋は楽しい」という言葉には説得力があったし、女にも「男を見分ける眼力」がなかったからね。
それで成り立っているんだ。
宝くじやギャンブルにハマってお金を欲しがらないことを祈るしかない。
恋の日付変更線 渡辺満里奈。

10ドル持っていて、リンゴが1ドル、オレンジが2ドルだとする。
リンゴを8つ、オレンジを1つ買うか、リンゴを6つ、オレンジを2つ買うのかの違いがエネルギーの違いだ。
リンゴをどうしても必要とするほどのエネルギーを使うのならば、「恋は楽しい」という考えを否定することになる。
二通りの発想しか男にはない。
クインは前者の立場を取り、アンチクインが「恋は楽しい」と言ってオレンジを好んだ。
高校生はこのことを「お前は右か左かどっちだ」と言っている。
体力を使うからリンゴが必要なのだろう。
高校生は、リンゴを好むかオレンジを好むかのどちらかだ。
しかも、教科書には「女学」は書かれていない。
そのために、リンゴ派とオレンジ派はお互いに憎しみ合っている。
必要なのは「孤立しないこと」である。
友達がいないようでは生活がうまく回らないだろう。
きょうの陽に。

教科書はないんだよ。
オレンジ派はしかし、どうしても生まれるし、それも一つの立場なんだよ。
憎しみ合う二つの派閥、しかしオレンジ派は「からだを鍛える」ことでリンゴ派に対抗した。
しかし、からだは光の速さでは動かないよ。
脳は光の速さで回転するけどね。
体を鍛えると言ってもさほど変わらないんじゃないかな。
リンゴを選択したのは「もう人生に雨は降らない」と考えたからではないのか?
1846年に冥王星が発見されてから「太陽系にもう雨は降らない」と考えるものが出てきた。
「もう人生に雨は降らない」というメッセージを遺伝子にまで伝えたのならば、オレンジよりもリンゴを選ぶだろうね。
エルム街のレンガの家に住んでいないのならば、リンゴを選択するだろう。
家庭内で雨が降らなくなったからリンゴを選択しているんだよ。
なんどもいうが高校には「女学」の教科書はない。
女を愛するためには苦労が必要だと考えるリンゴ派とは「家庭環境が違う」という抜き差しならない状況があった。
この辺は誤解してはならないが、家庭内で「もう雨が降らない」と思ったら男はわざわざ努力をするものなんだ。
エルム街のレンガの家に住んでいるのならば、勉強をするためにリンゴをかじるんだ。
高校に入って「家庭内に雨が降っていない」連中が成績がいい。
そのかわり「恋が楽しい」なんて思ってもいない。
余裕がある分、もうひとつだけ上に行こうかなと思うだけだ。
家庭内で「雨が降っていなければ」愛を知るだろう。
家庭内で「雨が降っていれば」恋を知るだろう。
恋と愛のニュアンス 酒井法子。

この二つの派閥同士の憎しみだけはどうにもならない。
雨が降っていれば暴れたくもなるんだろう。
しかし、家庭内に雨が降っているのならば「人の心」を知るだろう。
「恋を知っている高校生」がいることを踏まえて、すでに政治意識が芽生えていることを理解し、テキストを書く必要があるのだ。
憎しみ合っている「恋」と「愛」の双方に対して、我々はあくまでも「学問」を語らなければならない。
家庭内の雨が学校内での憎しみに変わらないために書き記すのである。
派閥は作りたければ作ればいい。
「ひとりぼっち」にならないことが大事なのだ。
恋と愛のニュアンスの間の憎しみを利用して「学問というものはこういうものだ」ということを知ってもらいたいのだ。
セックスでダメになっていく「恋」を選択したものをなくしたいのである。
これはもはやグローバルストラテジーなのだ。
「家庭内の雨」を責めることはできない。
女子から力をもらって、前向きに生きてもらいたいね。
酒井法子 雨粒は優しくて。

2017年10月12日 (木)

いもうと女。

舜は、お父さんが羊を盗んだ(女兄弟にお風呂でいやらしいことをした)。
この舜の人生を救済する学問を儒学という。
そして、孔子が語った教えを信じることを「儒教」と呼ぶ。
孔子の教えを受けて王になったものたちの物語を「聖学」と呼ぶ。
舜のお父さんである堯の人生は「先王学」と呼ばれた。
勉強のことを「性理学」と呼び、勉強が発展することを「理学」「心学」と呼んだ。
人生の出発点を端的に示したCMを見つけた。
木村拓哉 フレッツ光。

妹が言っていた「うちで起こっていること」って何かな?
これを学ぶことがテーマだった。
ここで、妹の学校生活に関する学問である仏教と、女心を学ぶ神道は儒学と共存することとなった。
本当の「儒者」は中国や日本の「お風呂」という文化に興味を持ったルイ14世だったとされる。
ルイ14世は、儒学をフランス語、英語、ドイツ語に翻訳している。
ヘーゲルも「妹」という文化に興味を持った。
井上哲次郎はヘーゲルを学び「心技体」という陽明学や、季節の学問である朱子学を東京帝国大学に紹介している。
古典の研究とともに「井上三部作」と呼ばれた。
仏教が教育に関する教えであることはすでに述べたが、江戸時代に「家庭というもの、士農工商というものを考えて欲しい」という観点と「お風呂という文化」があったことから儒学は仏教を圧倒していった。
清朝末期に中国は「儒学を卒業する」と宣言している。
「一人っ子政策」のことだ。
「家庭で学ぶよりは大学で学べ」という考えを「新・儒学」と呼び、中国はそれを採用したのだ。
大学には女学である「道教」もあれば恋愛を語る「墨家思想」もあれば、処女を口説く「法家」もあった。
「百花斉放、百家争鳴」とは「ギリシャ哲学も学んだ方がいい」というムーブメントだった。
カントが「法を守らないと処女が抱けない」と考えたことから、「楊貴妃の牛乳風呂」の問題は、兄にとっては「もはや学問の域を超えているもの」と位置付けられ、東京帝国大学は論語に興味を失った。
孔子は、女子たちにもいじめられて「女嫌い」になった時期もあった。
次元大介。

女嫌いになった男には「偉人」「主人」「詩人」などの学問が義務付けられた。
中国の「一人っ子政策」とは異なる発想を東京帝国大学は持っていたのだ。
アメリカの方によりシンパシーを感じる「反中エリート」が出てくるようになった。
「家で起きてること何にも知らない」という問いかけの答えを大学に求めた。
初等中等教育には手が出せない問題であるという共通認識もあったり
この「兄の人生の苦しみを経験してみよう」というのが「正座」というものだとされた。
歴史を振り返れば6世紀に「高麗」がこの「お風呂」の学問で日本に優位に立っていた。
大化の改新は「儒学を学ぼう」というムーブーントであり、1912年に「年号というものを作った方がいい」という考えに日本国が至るルーツとなっている。
兄と妹の関係は「イザナギ、イザナミ」であるとも「スサノオ、アマテラス」の関係であるとも言われ、天皇が最も詳しいと位置付けられた。
「天下」で何が起きたかは古事記や日本書記に書いてあるはずだ。
木村拓哉 フレッツ光。

兄は「五行」という学問を求められ、その到達点は聖徳太子の「17条憲法」であった。
「和をもって尊しとなす」
兄は社会で存在感を示さなければ家庭内では妹に太刀打ち出来なかったのだ。
古事記や日本書記の奥義は「五行」にあり、神道や官僚、サムライへの教えとなっている。
1180年から1185年の「源平の合戦」もこの教えへの理解度が争われたのだ。
花園天皇や後醍醐天皇は「皇統の方がその話に詳しい」と主張したに過ぎない。
織田信長も安土城に孔子の絵画をたくさん描かせている。
江戸時代に女子の教育に「季節を愛する」朱子学を持ち込んだのが藤原惺窩、林羅山、山崎闇斎であったし、男子に「心技体」という陽明学を持ち込んだのが中江藤樹、熊沢蕃山であり、ギリシャ哲学を持ち込んだのが山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠であった。
「妹と向き合った」という意味ではみんな儒学者だった。
文明開化の波が押し寄せるまでは「妹」は兄の地位を脅かす存在だったのだ。
17世紀から19世紀前半までを「前近代」「徳川時代」と明治政府は呼んだ。
女たちが「恋」を知っていたという意味では中世ではなかった。
プロトモダンとは「家族を解体しよう」という動きであるが「女兄弟の呪縛から男を解放しよう」というムーブメントだった。
1637年から1638年の島原の乱は、男を家庭内の苦しみから解放しようというキリスト教ムーブーントであり、松永尺五は「儒学の伝統を否定するもの」と考えたのだ。
教育熱心な国だったのは江戸時代からも変わらなかったが、臨済宗の「公案」のように、1人で考えをめぐらせて言葉を豊かにしろという教えもあった。
何かの発見ではなく「日常のコミュニケーションができればいい」と考えたのだ。
しかし、林羅山は「政治の基本」を教育しようという立場だった。
「妹はあまりにも政治的すぎる。横に読み、縦に読み、左から読み、右から読まないと太刀打ち出来ない」と考えたのだ。
伊藤仁斎も「五孟字義」においてそのことををまとめていたのだ。
伊藤仁斎は「政治的すぎる妹」との向き合い方をまとめ上げた。
木村拓哉 フレッツ光。

しかし、荻生徂徠の「弁明」はギリシャ哲学まで引用してあり、伊藤仁斎の時代を終わらせてしまった。
各大名たちも、荻生徂徠の弁明に対しては「洗脳ではないか?」と考えたのだ。
「はじめに言葉ありき」から始まる荻生徂徠の弁明は、妹の恋愛事情にまで立ち入っていた。
オリビアを聴きながら 杏里。

林羅山は「理」と呼ばれる「妹のパターン」と「気」と呼ばれる精神力を教えたに過ぎない。
孔子は「パターンは詩にすると300ぐらいかな?」としていた。
詩を丹念に聴くことを「気」と呼んだのだ。
伊藤仁斎は、その理と気という概念を用いて「古学」というものを完成させている。
「昔からそのような学問はあった」としたのだ。
伊藤仁斎と荻生徂徠の争いは「理」と「気」をめぐって展開されたのであり、その土俵を提供したのが林羅山だった。
そのような議論をしているうちに貝原益軒は「日本でも王の物語が書ける」と言い始めた。
林羅山と貝原益軒が「日本にも歴代の王(天皇)がいた」と指摘したのである。
それ以前は「ゴダイゴ」とか「ゴトバ」などという具合に呼び捨てにされていた連中だった。
「学があればサムライがしたがう」という文民統制のモデルが作られた。
サムライの心を「義」と呼んだ。
1703年には47士のように学のある大名のために命を捨てるものまで出た。
47人もよく「浪人」を集めたものだとみんなが喝采を送った。
理と気の探求に没頭したからこそ浪人たちが集まったのだ。
「理」には後悔や恐怖、憎しみ、欲望などの教えが満ち溢れており、それを知っているものには人望があった。
伊藤仁斎と荻生徂徠は「不動明王」を作ることで和解している。


広島生変図 平山郁夫。

心臓病には「医者の愛情」が必要だ。
ギリシャも中国も知っている、それはまるで「不動明王」のようだ。
さらに、「レッグエレベーション」と言って足をダラリとさせたり、足を投げ出したりすることが心臓に効く。
不動明王 瀬戸朝香 My home town.

腎臓が悪いのならばポカリスエットを飲んだり、肝臓が悪いのならば首にネックレスや数珠、チョーカーをつけてみるといい。
SPEED My graduation.

ポカリスエットCM.



疲れていたりして「嫌なことばかり思い出して苦しい」ときに、脳では「脳腫瘍ができる」という反応が起きている。
このような時には、「お風呂に長時間つかる」のが正解だ。
汗になって脳腫瘍の塊が流れ出てしまうのだ。
バスルームでダイアリー

のちに山崎闇斎のように垂加神道を作るものも現れた。
いずれにせよ「君子」というものがどういうものなのかが明確になったのは江戸時代の話であった。
クラスで、天国と地獄、話のわからないやつ、知識に飢えた者たち、そして天使たちのいる世界でいい成績をとるものは「鬼神」と呼ばれた。
陰陽師とは、暗い歌も明るい歌もよく理解しているもののことを言う。
最終的にこれらのことを最も正確に理解したのは吉田松陰であり、山鹿素行を記録係として、政治家伊藤博文を生み出している。
西周や中江兆民なども優れた政治家だった。
政治家に仕えるサムライたちは「武士道」というものを発展させていった。
いずれにせよ、東京大学を中心とする天皇制はゴールデンエイジを迎えるに至っている。

西田幾多郎は、金沢市に生まれたが、第四高等学校の「あまりにも抑圧的な」空気に耐えられず中退している。
東京帝国大学に入り、哲学の道を志した。
フッサールの現象学をやってみると、女の子は家庭で守られ、通学路で守られ、学校で守られるという具合におのずから「世界の広さ」は決まるだろうとした。
女子中学生や女子高校生に、さほど「冒険の機会」を世の中は与えていなかったのだ。
しかも、天皇制というものがあった。
近衛文麿に頼まれて「世界新秩序」を描いたが、西田幾多郎のことを「23歳まで健康に生きて、夢のように消えていった」と詩に描いた遊佐という女もいた。
実は、私(小野光太郎)も21歳の時に、遊佐道子(祖母・小野道子)に似たような詩を送られている。
遊佐は「酒井法子さんに詩を提供する」という形をとって私に詩を聞かせている、
エアー〜サラダデイズ 酒井法子。

女の子は「知識」の周りをうろちょろしているが、「走っている馬」にしか興味がなく、男は「走り続けなければならない」と語った。
しかし、男たちの野心は容赦なくぶつかり合った。
この、西田の「純粋な経験」は23歳で終わりを告げた。
夏休みは終わらない おニャン子クラブ。

西田は23歳で目が覚めた(自覚)。
女に「おちんちんがない」(無)ことをどう考えたらいいのだろう?
彼は自分の鏡を見て、そこに「知性の塊」を見つけた。
フィヒテやショーペンハウエルなどを読むにつれ、「男である」ことを感じたのだ。
「男は鏡を見るから女の子にやる気をもらえるのだ」
鏡に映る自分の顔が世界にあるのだという意識がなければ女の子に興味が持てないだろうと考えた。
タンポポ 私の顔。

鏡を都合よく見ることは、世界を都合よく見ることだ。
それは、自分を否定しないためであった。
西田は歳を重ねるごとに世界を美しいものだと思えるようになった。
決して惹かれ合うことはない「処女」というものの美しさが分かるようになったのは歳をとってからだったのだ。
若い連中には「エロオヤジ」と言われるだけだったが、すべては「鏡」と「自覚」にあることをいずれ分かってもらえると思った。
年寄りは、中年女の美しさまで見抜く眼力があった(恋的直観)。
老婆にも「昔、ハンサムだった」ということを見抜く眼力があっただろう。
恋的直観がなければ「熟年カップル」は生まれないだろう。
老いさらばえた顔を丹念に鏡で眺めてみろ。美しさとは何かを知るだろう。
「自覚」とはそのようなものだ。
老境に「絶対的に染まる」とは美しいものに囲まれることを意味した。
能年玲奈 CM.

世界が美しさに囲まれた時に、神との関係は「私とあなた」の関係になる。
国も愛せるし、若者に「お国のために死んでこい」などと公然と言えるのも鏡を見たからだ。
西田が「世界新秩序」を作るために年寄りのこのような心理を利用したのは事実だ。
学問にしか興味がなかったために、国の行く末までは考えていなかったり
若者(ヘーゲリアン)が年寄りのいうことを聞くのを見て愚かだとすら思った。
「白人に美しさで負けている」と思い込むことがどれほど危険なものなのかを東洋の人間は知らなかった。
東洋人は「ただ座っていればいい」(只管打坐)と言われるのもこのためだ。
しかし、1939年に公表したこの研究も、戦争が終わると40年間、忘れ去られた。
人間には「若さ」だけではない世界があることを知り、ようやく西田は遊佐に「感謝」の手紙を書いている。
「私は夢のように消え去ってはいないよ」
東洋で「禅」を語るとはこのような世界観を語ることだ。
「有限の中に無限はあるか?」
それは、東洋人こそが見た目で白人に劣等感を持つことに無限があるという意味でもあった。
西洋と東洋の「出逢い」をこのように総括している。
好きになったらキリンレモン。

2世紀にわたる「鎖国」を終えたのちに、日本国は「なぜ西洋の教室はムンムンとした熱気に満ちているのだろう」と考えた。
これが京都学派だ。
田辺元や、西谷啓治などの論客がいた。
東京はすでに首都としての地位を築いていたが、「京都学派」という明確な指導者がいたのは古都である京都だった。
京都学派が見たのは西洋ではなく東洋であった。
言葉づかいや人間観、歴史や文化などの「関西」という概念を作り出したのは京都学派だった。
白人ほど鏡に映る顔は美しくないからこそ私にとって世界は美しいとした「禅」やそれを背景にした「新派」の舞台などが作られた。
「床上手な女」という舞妓さんもこの時に出来たものだ。
白人よりも私たちには世界が美しく見えるという京都の教えは「京都の女」を作り出した。
東京の連中はすでに西洋に蝕まれているとして「我々の女たちは美しいだろう」と猛烈にアピールした。
「我々の女たちは東洋から来た」
上田閑照はまだご存命だ。
1980年代に東京が踊り狂った。
しかし1990年代に「東洋から来た女たち」の逆襲が始まったのだ。
「愛国心とは京都を愛することにあるのではないか?」
舞妓さんへの道。

女たちが「下の名前で」呼びあうというのも京都学派が考えたことだった。
下の名前の方が苗字よりも多様だったからだ。
三木清はブルジョアとして、戸坂潤はマルクス主義者として彼女たちと向き合った。
三木清は「貧しい生い立ちの女」を知らなかったが、戸坂と並んで「左翼」と呼ばれた。
西谷啓治は1977年に「太平洋戦争が京都学派を作ったんだよ」と語っている。
ヨーロッパやアメリカは、京都に隠されたものが本来の日本であるとして、それを知りたがった。
21世紀に入って藤田正勝と大橋良介がその全体像を明らかにしている。
藤田は「西田幾多郎と田辺元が作ったネットワークのことを京都学派と呼んでいるんだよ」としている。
しかし、大橋良介は「京都の女たちと左翼グループのことなんだ」としている。
これは西田幾多郎の「金脈」に注目するかしないかの違いだろう。
たしかに大橋良介も、西田幾多郎とどう関わったか?京都大学に属していたか?仏教をどう思っているか?マルクス主義者愛国心を理解しているか?などを京都学派の特徴としている。
細雪 谷崎潤一郎。

西田幾多郎は、京都の女をプロデュースし、セールスに出して田辺元とのつながりを持った。
しかも、「禅」というイデオロギーを強烈にアピールし、「私たちが見ている美しい風景」を作り出した。
京都大学の学生たちはそのために「西洋と東洋の間」を揺れ動いていた。
辻村公一がハイデガーを持ち込んだりしたので、学生たちの間に混乱が起きた。
久松、下村、竹内などの「第2世代」から、現在は「第3世代」に受け継がれている。
長谷正当、堀尾勉、大峰顕、藤田正勝、森哲郎などを知らなければ京都の金融が分からないのだ。
つまり、これは「神道」ではないか。
細雪 谷崎潤一郎。

お風呂という文化をもつアジアにおいては、勉強や努力というものは「ダサい」(サイン)であり、「ダサいんだ」(タンジェント)であった。
しかし、勉強というものが「隠されたものを明らかにする」と考えられていた。
「女学」「女の口説き方」を学ぶ前に「勉強という方便」を知っているだけで、女は「隠されたもの」を明らかにした。
ハイデガーは「女学ってなんだ?」とアジアに向けてメッセージを出した。
「形而上学」=「女学」であることを勉強や方便があることによって日本の男は見失っていた。
1920年代に田辺元はハイデガーと出会って、このことを指摘された。
「僕は勉強さえできれば」
このために「宗教」=「女学」という発想が根付かずに「超自然的」な方向を宗教の世界が向いていたのだ。
CoCo メロディー。

父と子、聖霊という三人組のいじめにも気がつかずに「仲良し」だと思っていたのだ。
いや、父と子と神聖なゴーストという理想の男という捉え方すらされた。
「女学」も知らないニヒリストしか日本の女の周りにはいなかった。
しかも、中途半端にちいさいおちんちんを見せることを嫌ったのだ。
「これはキリスト教ではない」
西洋ではそのように受け止められた。
「我々はこのようなつらい教えを信じているのではないのだ」と考えたのだ。
日本ではおちんちんと勃起が「心」によって金に変わることを知った。
松田聖子 ハートをロック。

アジアの女たちは、まるでこれらのことを見透かしているように「神秘」を演じていた。
「魔女が笑い、魔女だけが得をする」
これを何千年つづけるつもりだ。
セックスを「サプライズ」とみなすスーンヤターをどれほど経験したら気が済むのだろうか。
まるで、セックスと関わらないことを「無我」と呼んでいるようだ。
アジアンビューティー。

プラティーヤサムトパーダ(縁起)と呼び、まるでセックスをしたら予想通り、みんな教室から脱落していった。
エリートほど「真空妙」を知っていたのだ。
この東洋の「スーンヤター」のおかげで、どれほど日本人は損をしているのだろうか。
ここで、「処女」というものと「有無」という概念が結びついている。
荘子がこの概念を「王家の証」としたのは自然の成り行きだった。
「有無」がそのように仕向けたのだ。
西田幾多郎が、このことから「処女をセールスにかけよう」と思うのも自然の成り行きだった(トポロジー)。
吉永小百合。

女の「場所」(あそこ)は男と女がともに意識するものとなっている。
「キス」をするという表現が「胸を揉まれたりセックスしたりすることを意味する」という文化が生まれた。
女の「場所」は、人が生まれるところでもあったし、男が射精して死ぬところでもあった。
それは「知的な男が入り込む」というだけにはとどまらなかった。
宗教が「女学」を教えていないんだよ。
「女心は大きすぎる」なんてことは欧米で語られていることだった。
高橋由美子 ときめき。

「絶対」と「相対」は、女の「場所」との向き合い方から自ずと決まった。
相対主義が日本に根付いただけで「神は800人」という汎神論が生まれた。
また、男の有限性と女の「場所」の関係から、一度セックスしたら男が冷たくなるという「逆対応」という現象が見られた。
相対主義の立場に立つ男は「逆対応」をすることを知らなければならない。
冷たくしないで。

1930年には田辺元は、西田幾多郎を「教授」と呼んで仰ぎ見ていた。
哲学と宗教の分離をこのように明確に行った人はいなかったからだ。
女の「場所」は宗教となっていると西田哲学は位置づけていた。
わいせつ概念が欧米とは異なっていて「宗教的エクスタシー」をハードコアによって得られるとされたのだ。
このため、女たちは「わがままを言っても聞いてくれる」男に夢を託すようになっている(他力)。
西田哲学の女の「場所」の考え方は「絶対的無」と呼ばれ、なかなか批判が困難だったし、変なストイシズムを「悟り」などと呼ぶ連中もいた。
これらのことを共通認識にしたのが新仏教(鎌倉仏教)であるとされ、禅であった。
三度生まれ変わらなければ悟れない、つまり、お父さん、息子、孫が射精する頃には悟るだろうとした奈良仏教、そして、曼荼羅とお経という密教世界に対して、新仏教はさらなる発展を遂げたのだ。
このことを踏まえて、西谷啓治は「ニヒルな男ってなんだろうな」ということをニーチェを紐解くことによって探求している。
赤いスイートピー 松田聖子。

また、西谷啓治は若い頃に3年間いじめられた(徳)経験を持つ男のことをニヒリストと呼んでいるのではないか?としている。
そうなると、新仏教は儒学と結びつくことになる。
女子たちの「勉強ができる男」へのフェティシズムとはそれほどまでに強烈なものだった。
「冷たくされてもいいの」という女もいた。
ニーチェにとってそのような男は「狂人」であったが、日本の禅はそれをいともたやすく受け入れた。
ローラースケートをはいた猫 松田聖子。

スーンヤターと呼ばれるクラスをどのように近代化していくのか?
これが日本国のテーマとなった。
「虚無」「空の場」の近代化が求められたのだ。
ニーチェやハイデガーを受け入れた?それでは日ユ同祖論ではないか。
上田閑照は1980年代に活躍した哲学者だ。
「禅の国」「悟りの国」の膨張を目指したのだ。
「日本の女」を世界に売り込んだ。
また、上田は男に関しては「俺は若くない、俺は俺だ」というスローガンを用いた。
「俺は(女心を知っている)俺だ」という意味であり、これだけで日本の近代化がなされると考えたのだ。
ハードコアが広く知られるようになると「女心を知っている」ということはもはや男にとって絶対に必要なものとされたのだ。
この時ようやく日本は「水平線の向こう側」の知識を必要としたのだ。
外国に目を向けることを道元は「無我の境地」と呼んでいた。
日本の「教室」を離れて、本当のキリスト教社会の空気に触れることをこのようにたとえたのだ。
どうしても近代化が必要だったのは「方便」だけを愛する女たちがいたことから多くの問題が起きたためだ。
水平線でつかまえて 三浦理恵子。

さて、これらのことを語ったことから、日本国の哲学はソクラテス、プラトン、マルクス、ハイデガーを西洋から、孔子、韓非子、ガンディー、西田を擁することとなった。
戦争中だったこともあり、左翼活動が蔓延したのだ。
三木清はブルジョアとして、戸坂潤は貧困層の女を相手にすることにより、この二名は1945年に獄死している。
西谷啓治は「純粋に日本の性文化を愛することが禁じられたからであろう」としている。
大橋良介は「京都の側からの集団的レジスタンスであった」としている。
「国が戦争に負けてしまえばいいのに」という敗北主義ですらあった。
日本のファシズムへのカウンターとして日本の性風俗が涵養された。
1943年に矢次一夫が政府の側から西田幾多郎と接触した。
福沢諭吉やカント、アダムスミスに造詣が深かった矢次は、西田と「世界新秩序」を書くことにした。
この二人の活動に東条英機内閣総理大臣が共鳴したのだ。
天皇裕仁にも「世界新秩序とは何か?」が伝わった。
西田は「他民族の文化を否定すること、この文化を世界に拡散させること、植民地へ皇民化として教えること」に反対した。
「世界的世界」においてはこの文化は日本だけのものでなければならないと考えたのだ。
遊佐道子が今度は西田を「あなたはもっと世界に出て行くべきです」と説得する有様だった。
「皇室は世界の始まりと終わりを手にしようとしています。あなたの研究のおかげで過去を握り将来を握ったのです」と遊佐は語った。
民主的でありながら、それでも全体主義を握ったのは西田が最後だっただろう。
特高警察 赤狩り。

西谷啓治、高山岩男、高坂正顕などが「中央公論」や「世界」でしきりに西田幾多郎を書き立てた。
「シンポジウム」と呼ばれるキャンペーンだった。
この時に「まるでもともと日本にあったような文化」が作り上げられた。
まるで、ローマ帝国、大英帝国に次ぐと言わんばかりの「日本文化」が出来上がったのだ。
これが貴族院や皇室の「処女・童貞文化」であり、のちに禍根を残している。
「有無」「ありやなしや?」という二択を迫ることは西谷啓治も「近代化に十分耐えられる議論である」としている。
1942年2月に「大島メモ」というものが残された。
日本国がどのように西洋と向き合い、どのようにアジアの植民地を解放するかが記されていた。
それもすべて「京都学派」をいかに理解するかにかかっていた。
大島康正がその本当の意味を語ったのは1965年のことになる。
特高警察 赤狩り。

この、京都学派の「ナショナリズムを支持する側」と反体制の側の二つに分かれるという「どっちつかず」の立場が戦後の彼らの存続を決めた。
「京都学派は必ずしも戦争を支持したわけではない」と語られたのだ。
この「戦争toto」に勝ったから舞妓さんも京都に残った。
「中途半端にちいさいおちんちん」も美学とともに国際社会を生き残った。
藤田正勝は、平成の「失われた20年」を「京都学派のリハビリ」と説明している。
「戦争が日本国の文化を何をもたらしたのかを忘れてはならない」
アジアンビューティーと、処女というものの復権を目の当たりにするのに時間がかかった。
本当に日本の女子たちが美しくなるためには皇室からのメッセージも必要だった。
また、中華人民共和国というライバル国家がなければ日本国が本気で「女子力」というものを考えることもなかっただろう。
日本国において「漢」ではなく「洋」に影響を受けたと公言する政治家の登場を待った。
インド・中国・日本ルートが日本に「失われた20年」をもたらしていたからだ。
岡倉天心の「アジアはひとつ」という考えの後遺症とも言われた。
AKB48 #好きなんだ。

教室で、ヨーロッパやアメリカの話題が出るのが当たり前になるのをひたすら待った。
クラスの女子たちにこのことが影響を与えるからだ。
みんな「中国」しか見ていないのでは日本は沈没する。
たしかにヨーロッパはもはや世界の中心ではない。
それでもギリシャ哲学もキリスト教も見て欲しかったし、それをやらなければならない国だったのだ。
AKB48 願いごとの持ち腐れ。

どんなに権勢を誇った人がいても、その時代は終わっていく。
ここにも「宇宙論」はあるよね。
男を「有限」なものとして作っているんだ。
「何もない」というよりは「何かあった」と思いながら古典を紐解いているんだよ。
「昔の人も愛し合っていたんだな」と思いながら根気よくその本当の意味を探っていかなければならないんだ。
女は「男の話をすぐに忘れる」から手紙を大切にとっている。
二人の間に何もなかったとは言えないことばかりだけど、恋文のどこに注目すべきかというのが、昔の人の心を知ることであり、ビッグバンの存在を感じることなんだ。
残された手紙の世界は大きすぎる。大きすぎて「何もない」というほかはない。
膨大すぎて手がつけられないから、我々は「今を生きよう」と決めたんだ。
文献学をやっていると、その膨大さに「神以外存在しないんだろう」と思うことばかりなんだ。
「歴史を説明しなければならない」という考えを否定したくなることもある。
手紙なんてのは10のマイナス35乗(秒)程度のささやかな意味しか持たない。
昔の人なんてその程度の存在なんだ。
手紙の「論点」を20ぐらいに分けてひたすら調査したのだ。
ひとつひとつの「愛」なんて丹念に追ってられないよ。
大河ドラマでもいつも同じシーンばかりやっている。
ビッグバンに太刀打ちできないからなんだ。
歴史をシンプルにして「今を生きろ」と言っているに等しい。
信長とか秀吉、家康と言っていれば人生をシンプルに生きられる。
しかし、ひとつひとつの「愛の物語」が文献学の世界にはある。
ビッグバンを知ることとはそのような学問なんだ。
アイルトンセナ ラストラップ。

一人の女を愛した人の恋文に着目するのであれば「どんな本を読んだ男なのか」を念頭に置かなければ到底興味の持てるものではない。
手紙なんて「長話とお金」の話しか書いてないからだ。
「必要とされた男」かどうかで判断していくけど、それでもビッグバンの世界を相手にするほど我々もヒマではないと思うこともある。

本居宣長は、日本国は昔、女神さまとともにみんな仲良く暮らしていたとし、中華帝国の影響下から脱しようとした。
古事記、日本書紀や多くの詩を研究したのだ。
一方で19世紀の中頃になって平田篤胤は、「天皇」というものを持ち出して明治維新につなげている。
出雲大社も「教義は神話になります」との立場を明らかにしている。
契沖は、57577シラブルの和歌というものはスサノオという王子の詩であるとして、「お風呂」というものを中国と共有し、儒学を共有しながらも、それぞれの男が学校で勉強(儒学)をしていたさまを表現しているとした。
賀茂真淵は、万葉集から50音というものを作り出している。
契沖と賀茂真淵が50音を作ったのだ。
1764年に本居宣長は、古事記は中国語みたいで読めないよ?というニーズに応えて古事記伝を50音によって書き直している。
山崎闇斎は日本書記を読み解くことを通じて「儒学によって日本は統治されていた」としている。
新井白石は「高天原とは九州のことである」としている。
「天の意思」とは皇統にあるとも語った。
「神聖な時代」に何が起きたのかが古事記や日本書記には書かれていた。
天武天皇を寵児とする時代のことだった。
女たちが奪い合った男が天武天皇だったのだ。
儒学や仏教に造詣が深いということへの女たちの憧れがあったのだろう。
「昔の人は」というような話は全部、天武天皇のことだった。
儒学や仏教は漢心(からごころ)と呼ばれる中国人の心をいうが、50音にすると大和心になる。
まるでいろんなものを洗い流したように「まごころ」に満ちたものになるのだ。
恋心を抱いた男や女がいる場所の「空気」を祀ったりもした。
日本人にはそのようなメンタリティがあったのだ。
CoCo メロディー。

ナオビとナガツビという二人の女神をすべての男が持っていた。
ナオビのミタマを寺社に祀ったし、クズバナのような花を愛したし、玉くしげという宝を贈った。
儒学のいう「天」仏教のいう「カルマ」を知るものはみんなナオビに憧れて宝を贈っていたのだ。
このような「女への憧れから宝を贈った」というのが神話のあらすじである。
水戸学は、日本の方が中国よりも優れていると主張し、男が出世して、昔憧れたナオビに贈り物をするという習慣を日本国のアイデンティティとしたのだ。
明治維新を経験しても、第二次世界大戦を経験しても「ナオビのミタマ」に宝を贈る日本人の習慣は廃れなかったな。
かなり保守的な思想であると丸山真男も位置づけていたようだ。
芳賀矢一や、村岡典嗣も「忍耐強い男は得てしてそんなものだ」としている。
額田王 ナオビの夢。

2017年10月11日 (水)

一夏の経験女。

一夏の経験には屈辱しか残らなかっただろう。
しかし、とにかく「赤」かった。
3歳の子供にも自分の「好みの異性」はいるんだなと思ったし、しかし、3歳の子供は大人ではなかった。
しかし、一夏の経験を終えた後に、「そこのドアを閉めてくれる?」と言ったらいうことを聞いてくれる男ができた。
一夏の経験 山口百恵。

女の言うことを聞く男ができたために、周囲は「あの2人はあやしい」と噂しあった。
女がついてくる「四つの方法」が指摘されている。
「必要な情報を持ってきてくれること、しかもそれが本当だったと証明されたこと」
これは「道に迷った女」にとっての希望であった。
「自分が何をやっているかがわからない女にその意味を教えてやること」
おちんちんにトマホークのような憧れを持っているだけでセックスする女にその意味を教えてやるのだ。
唇がふれあえば Melody.

周囲の女たちは「自分たちがセックスをすることでどんな権力者も落とし穴に落ちる」ことを学習した。
これは、「評論家」の仕事であり、事件の解釈をするだけでもモテるよ。
女を寝取られた男にもはや言うことを聞かせたくないから他の男と寝たんだろう。
とにかく、トマホークに憧れているだけの女の評論家はモテるんだ。
セックス評論家が中学校にいれば、オカマにならなくて済む男もいた。
SPEED deep blue & truth

また、1人の女が起こした事件により「周りの女たちがきれいになった」と言うことが指摘できる。
私たちはもう子供ではないのね、と思ったのだろう。
「女たちがきれいになるんだろうな」と予測する評論家もいた。
1人の女のペニスエンビー(トマホークエンビー)から始まった出来事には常に評論家が必要だった。
セックスカルチャーを豊かにする評論家がいなければ、女は「公衆便所」と呼ばれるだけだった。
すべて「女たちを美しくする」ための議論なんだよ。
詩というのは役人を育てるためにある。
詩の意味をよく理解するものは、周りの女たちを美しくするし、成績優秀だった。
人の心をよく理解するものはいじめられなかったために、勉強もはかどった。
評論家として影響力を高めていくものがいたのだ。
「ヘンタイがいること」「普通の人間にはミステリアスに思える世界があること」
これを理解している者はいじめなかった。
「女たちを美しく描くことが大事だった」
女たちは自分の立ち位置を評論家に教わったのだ。
人の心が分かる評論家は中学生なのにレストランで食事をする金があった。
親に子供扱いされなかったからだろう。
「もっと話を聞かせてください」と言う者もいた。
セックスとは違う喜びがそこにはあったし「東大を目指している」と言っても誰も反発しなかった。
幸せにいちばん近い席 酒井法子。

ポアンカレは、いい噂も悪い噂も「積」となってその人の存在感になると言うライプニッツの考えを、カントと引き合わせた。
ナンシー大学の医学部に入ったが、やがて数学者として「積分」の研究をするようになった。
「勝負しなければ噂にはならない」として「ゼロ」を巧みに用いた。
人気者になりたかったスウェーデン国王から勲章ももらった。
また、「女を口説くのも勝負事である」として積分の対象に含めている。
三次元積分こそが本当の人間社会のありようであるとしている。
処女のピアノ算数から始まり、男女が複雑に織りなす幾何学模様などの世界は「噂」に満ちていた。
男女の問題に「重力」を加えるだけで、だいたい人間の限界も分かったし、幾何学模様も出来上がった。
「重力に耐えられない」男女がいたからセックスサークルが出来上がったのだ。
「あいつはこのヤマをしのげないだろうな」と思う奴は大抵、女に走っていた。
重力に耐えるだけで噂というのは作られていたのだ。
酒井法子 歌。

「女のからだに響かなければ噂というものは作られない」
複雑な男女の幾何学模様の間を噂というものは駆け巡るだけであることから三次元積分のヒントを得た。
ピアノ算数の時代にはない影響力があった。
測定しなければならない時期があるからピアノ算数からみんな始めたのだ。
ダンロップ社なんてのはタイヤを売っているのか噂を売っているのか分からない会社だね。
男女のネットワークを社外にまで張りめぐらせる仕組みを採用しているからだ。
ピアノ算数を卒業したら社会に出る基礎ができる。
「みんなには分からないこと」「興味が持てる話が限られていること」「勉強しなければ到達できないことがあること」「見た目がモノを言うこと」この四つを三次元積分においては理解しなければならない。
「みんなには分からないこと」というのは男にとっては「女との向き合い方」であった。
「興味が持てる話が限られている」というのは「哲学しか理解できない女」のことを言い、「音符でできている言葉」とも言われた。
「忍耐強い男にしか分からないこと」であるとも言えた。
そして、「音符でできている言葉」は発言者の見た目とともに幾何学模様に乗せられて拡散していった。
四月は風の旅人。

内科の知識の拡散力は凄かったね。
結局、医学の情報や哲学の情報の拡散力を測定するのが数学だったのだ。
知識というものは「重力に耐えたもの」という扱いを受けた。
あとは「幾何学模様の複雑さ」に呑み込まれるだけだった。
三次元積分というものは幾何学模様の複雑さも考慮しなければならなかった。
小さなムラであれば計算は簡単だったのだ。
「人と話さなければならない」という基本を理解しなければならない。
そうでなければ一方的に潰されるだろう。
引きこもって法律書を広げるのは「絶望的な」作業だった。

ウォーマンやiPodを聴くと痩せる。
しかも、スタイルがいいだけで男たちが「セックスをしたい」と思うことの快感がある。
女流文学にそのような記述は多い。
土曜の夜にRainbow 瀬能あづさ。

痩せる方法の「正解」が拡散するだけでも税収は増える。
それはもはや「種の保存」に根ざしたものだった。

2017年10月10日 (火)

学校女。

現在の日本の学校教育は、1世紀にインドの北東部で生まれ、3世紀に中国に伝わり、その後、朝鮮半島を通じて6世紀に日本に入ってきたものだ。
クラスに「女の子の胸」が持ち込まれた共学であり、「勉強をみんなで仲良くやろう」ということを強烈なイデオロギーとする。
女性の胸を「Here and Now」と言い、学校教育の哲学は永作博美さんのアルバム「Here and Now」で歌われている。
永作博美 Feel Me.

大日経としてクラスメートの女子たちの夢が男子に託された。
クラスは「仏のフィールド」と呼ばれ、中国では700年間続いた後に義務教育は廃れてしまった。
しかし、日本においては「2000年続くシステムだろう」と言われている。
Drivin' 永作博美。

日本が教育熱心な国だったこともこの仏教の伝統を後押しした。
「浄土」とクラスのことを呼んで愛した先生たちがいたのだ。
蘇我氏と聖徳太子がこのシステムを日本に持ち込んだのであり、プロテスタントのような「クラスのアイドル」がいることも必要だとされた。
カール・バースは「日本は常に海外を意識しながら教室というものを作っていた」としている。
エアメイル 永作博美。

若さというものに西洋社会への憧れを持ち込み、それでいながら「国に都合のいい教育をする」というのが教室のあり方だった。
法然は「寅さん」みたいに妹を可愛がる侍を念頭に置いていたようだ。
中世に至ってもこの教育システムは「かなり永続的なものである」とされている。
Without you 永作博美。

クラスのほとんどが悟るという大乗がこの空間にはあった。
みんなの夢がクラスでぶつかり合い、妥協というものを知り、「苦のない世界って何だろう?」ということを考えて欲しかったのであり、決して授業を真面目に聞けとは言わなかった。
「国ってのはだいたいそんなもんか」ということが分かればよかったのだ。
やがて、クラスはいろんな試練を迎えることになるが、女たちは男に夢を託すようになった。
信じさせてください 永作博美。

先生は「伝説からの教え」(カルマ)を語れるようになった。
女子たちの期待を背に男子はそれを熱心に聞いた。
「仏とは何か?」
それを思う存分にクラスで語ったのだ。
次々に学校行事を作っては先生たちは「教え」を説いた。
恋と微笑みと話を 永作博美。

「仏のように謙虚な男」を作りたかったのかもしれない。
それを王朝は望んでいたのだ。
派手に振る舞う奴が虐められるのは分かっていたことだった。
海外に赴任してどのようなイメージを日本人が持たれるのかという点にも注目した。
我々にとっては当たり前のことのようにも思えた。
「仏のように忍耐強い男だな」
逢いにきて 永作博美。

「ナンマンダブ」と唱える婆さんはどんな人生を歩んできたのだろう?
日本国の2000年の伝統がそこにはあった。
男たちに夢を託し、妹のように愛される、それが学校だったのだ。
このままで もうすこし 永作博美。

「90日間、耐えてごらん?」
これが比叡山の教えだった。
「ナンマンダブ」と唱えるたびに異性のことを思い出して耐えられたのだ。
天使が胸に降りる時 永作博美。

女たちは「仏の道を極めようとする男の生き死にのために」頭を下げた。
彼女たちは阿弥陀としてヒロインになりたかったのだろう。
女たちは「男に夢を託すのが自分たちの運命である」という悟りがあったのだろう。
南無阿弥陀仏(ああ、阿弥陀仏陀様)と唱える念仏カルトは、仏教学派の中でも「最も成功した」存在となっている。
男のために祈ることで女たちは自由になれた。
男のために祈ることは仏陀の力を頼りにすることを意味したのだ。
「他力本願」これが浄土宗の女たちのアイデンティティだった。
しかし、女たちの声援の「リスナー」は確実にいた。
言葉でも文字でも男は大事にしていたのだ。
「キス」をするという文化もここから育まれた。
彼女たちは「キス」というものに対しても「ああ、阿弥陀仏陀様」という意味を込めたのだ。
南無阿弥陀仏は「禅勝房に示す御言葉」とされた。
「仏陀ならばいずれ女心も分かってくれるようになるのかな」
彰晃は「鎮西学派」を作った人物に過ぎない。
女性たちの声援を分けて欲しかったのだろう。
上空も一遍も同じ考えだった。
島国だったからこのような考えが根付いたんだろう。
みんな仲良くしなければならなかったし、中国のタンラン和尚も「日本にしか馴染まないだろう」と考えていた。
「島に生まれた意味と仏について考えるように」
これは女子たちへの宿題だった。
生まれて島に「染まる」から男子の取り巻きを演じたのだろう。
「おばあちゃんも同じ教育を受けてきたの」
この門は聖徳太子以来、5回ぐらい通り抜けたかしら。
ゴータマはサクヤムニを愛したでしょう?
勉強が「知恵」に変わるというのは神話に近かったけどね。
ただし、勉強ができる男は「覚めた人」だと思った。
勉強というのは「女心を知っているぞ」という技に満ちた方法(方便)と呼ばれた。
人生が続いていくのが分かっていたから方便というものは用いられた。
親鸞は「大人になった後、二人はどうなるのか?」を考えた。
「主人」だったのだ。
親鸞の世界においては方便は通用せず、アーナンダが「女心を教えろ」としつこく迫った。
親鸞はアーナンダへの教えを「自然」(じねん)と呼んだ。
「女たちは譲り合えないんだ」
セックスするだけなら「問題」とは呼ばない。
他の女とトラブルになるから「問題ばっか起こす」と呼ばれたのだ。
方便を用いる男もいずれこのことが分かるようになる。
アジャセ王子とダイバダッタが、アジャセの父親を牢屋に閉じ込めたのを見て、仏陀は父のバイデヒから「もっと自由に生きたらどうだ?」と言われている。
この「ラジャグラーハの悲劇」が日本の女たちを美しくしたとされる。
法然の弟子たちは、もはや「女心を知らない」では済まされなかった。
1893年に仏教の世界は「世界宗教会議」に出た。
ゴードンに「ゴスペルを作ったらどうか?」と言われたり、「未成熟なセックスにもっと罪深さを感じた方がいい」と指摘された。
一方で「地球の救世主だね」という声もあり、教育改革に取り組んだ連中もいた。
通学列車 モーニング娘。

サクヤとはクラスの女の子のことを言う。
すべての男の子の母親は、セックスした時に「ナーガ王」の夢を見ている。
そして、夫に「ナーガ王の気持ちってどんなもの?」と聞いて激しく喘いだ。
セックスすること自体、「子供の気持ちが味わいたい」と言う意味だったからだ。
そのようなセックスをしたら子供ができるのだ。
子供を作ること自体が金融であり宝であった。
子供を学校に行かせた。
ボディサットバの教えを覚えさせるためだった。
サクヤたちの希望が託されていた。
偏差値Boy うしろゆびさされ組。

義務教育においてセックスをするのは反則だった。
親鸞も聖徳太子もそのようなことは想定していなかったのだ。
サクヤの希望は、セックスによるトラブルからは無縁だったのだ。
ピアノ算数と呼ばれる「処女の時代」を過ごす女たちとの共存をディグナーガと呼び、ナーガ王を育てる時期だとしたのだ。
父は妻とセックスするために頭を下げる(スターバックス)。
息子は先生に教えてもらうために頭を下げる。
やがて、高校に入り、女の子とセックスするために頭を下げる。
権威に女の子たちが付いてくるのが中学校だった。
高校に入ると「ただ生きているだけ」の奴が幅をきかすので東大に入ることは想定されていない。
勉強政治とセックス政治が共存するのは高校になってからだ。
詳しくないといい大学には入れないよ。
大乗というのは周囲の恋愛に寛大でなければならないという意味であり、ただストイックなだけの勉強家は排除される宿命だ。
高校に入ったら、早熟な若者は哲学を身につけなければならない。
起立 気をつけ 礼。

2017年10月 6日 (金)

易~中国の占いについて。

メントスコーラというものが知られているが、爆発の基本は「AとAではない」が合わさって爆発する。
コーラは心臓に効く、メントスは「コーラではないけれど心臓に効く」ことから爆発が起きている。
「性行為非公然性の原則」というカリスマに対して、「性行為」を語ることによって
私は「爆発」を引き起こしたのだ。もし、私の次に「爆発」が起きるとすれば、それは「中国」にあると思う。
こんな感じ。




「周易」
セックスとは何か?上半身がきれいで、下半身がきれいなことと関わる。
元つまりお金の始まりであり、亨つまり名前が有名になることとつながり、
利つまりみんなと仲良くすることとかかわり、貞つまりいい夫とめぐり合うこととつながる。
「元・亨・利・貞」こそが占いの基本である。
高橋由美子 元気元気元気

満月の夜に男と交わるのは当然である。しかし、九人で飽きるだろう。
大阪パフォーマンスドール 満月の夜だから
六人目の男とであったときに「初体験は最悪だった」といっていい思い出でなくなるだろう。
二人目の男と九人目の男は似ている。
だから飽きるのだろうか。
中森明菜 セカンドラブ
六人目が素晴らしい経験になることから「九人で飽きる」ということが分かる。

セカンドラブは「田んぼ」が手に入ることを意味する。
「九二法」さえ理解すればいいのだ。
大人になるとは「九人で卒業する」という意味であり、「見龍」つまり皇帝はそのように
土地を人々に与えたという意味だ。
「九五法」とは「九人で飽きるのが分かっているから五人目と結婚する」という大人である。
三人目と結婚するのも落ち着きがいい。
一人の男は「女のためにならず」
二人目の男は「地道な男だった」
三人目の男は「特別」
一人目の男か二人目の男と結婚するのは「地道」だし、
三人目の男か四人目の男と結婚するのは「人の道」だ。
五人目の男と結婚するのは「天の道」だ。
月を見るたびに「男の数」について考えるだろう。
渡辺満里奈 月の裏側

君子は「大奥の女たちを観察し、国の治め方を学んだのであり、セックスしたのではない」
「下半身事情」ですべてを失う男もいたからだ。
「九三法」をとっている者、「九四法」をとっている者、いろんな男たちと向き合わなければならなかったし、
そこには身分というよりも「接し方」の方法があっただけだった。

君子は「セックスはお金になる」と考え「乾・元・亨・利・貞」という境地に至った。
globe JOY TO THE LOVE

乾とは「セックスを利用して富を得る君子」という意味であり、坤とは「女たちが語り継ぐ」
ことである。
伝とは「9年間女たちが語ることを許されている」という意味であり、
艮とは「それによって田んぼを買うお金を得る」という意味だ。

「九四法」つまり、四人目の男と結婚した女というシステムを採用している夫婦は
夫が猜疑心に強いなどという具合にこの占いを用いる。
円広志 夢想花

男を知らない女は則天武后のように権勢を誇るだろう。
6人目の男は「龍」のように強いだろう。
これだけでも「カップルの安定感」が64卦あるのが分かる。
男はみな同じという考えからくるものであり、安定感を計るが、健康も測定する。
妻に疑心暗鬼にならない男は強いし、妻も健康でなければならない。
易とは「男を龍にする」学問であり、女の「性」の問題と向き合うものである。

「儒家」
お父さんが羊(女兄弟)にお風呂でいやらしいことをした。
そのために男兄弟である孔子は辛酸を舐めた。
「学問は身内を見て学ぶことにあるんだ。どれだけ家庭内が乱れたかをよく知っている。人を愛し、それでも社交性が持てなかったから理系(仁)の道に進むしかなかった。
友の誰もこのような苦労を経験していなかった。
詩を好んだ。三百の詩でいい。
ひたすら生きるんだ。言葉を残すのだ。
父が没したら3年間、喪に服し勝利を噛み締めた。
これが和解だったのだ。
いろんな王が私の話を聞きにきた。殷で何があったのかについては私がいちばん詳しかったからだ。
口下手で女の子と話せなかったから自然に王になる連中がいるだけだよ。
「一人で抱え込む」
これが君子というものだ。
理系といっても「女学」の研究なんだよ。
楽しかったから役人にもならなかった。
お金になったしね。
人間らしさが詩に表現されていたけど論点は300ぐらいかな。
これが分かった奴はとっとと女と仲良くしてしまえと思うね(明日に道を聞かば夕べに死すとも可なり)。
父のことで悩んだのは三年ぐらいかな?
あとは勉強が好きになったんだ。
学を愛する君子はみんな似たような境遇だったよ。
その3年間のことを「徳」というんだ。
徳がない奴も当然いるだろう。
いろんなことを徳によって覚えたよ。
女が君子を儒家にするんだ。つまらん奴は試験は通さないよ。
いざという時に逃げ出すからな。
「鬼神」かどうかは徳を見て判断している。
尭舜の何が病んでいたのかを理解しないものはとにかくいざという時に逃げ出すよ。
学問をやらなかったことの言い訳など聞きたくはないんだ。
徳があればあとは怒りをなくしていく作業をするだけなんだ。
詩と書と和解さえわかればいい。
文があれば怒りはなくなる、行を行えば文が生きる。忠とは常にいちばんいい先生を求めるものだ、信があれば学ぶのが早い。
あとは「戦々恐々、薄氷を踏む思い」を経験すればいいだけだ。
モーニング娘。 元気。



「墨子」
ひとりの女が「あなただけ」ということがどれほど男を強くするだろうか?
これが男が「経済」を学習する基本だ。
そう言われたいがために、男は「修身」を行うのだ。
「修身」というのは孤独であり、親戚も寄り付かない作業だ。
友達とも遊ばず、「風変わりな男だ」といわれる時代が長い。
意志が強くなければできない営みであり、天下の「賢人」となるために行うのだ。
あなただけおやすみなさい

社会に出ると、「王の息子」「仲間の多い男」「故郷のある男」「学歴のある男」の四つの天下人が
いることを知るだろう。
病気の男は「死に体」を悟って大法螺を吹くだろう。
いずれにせよ、天下人以外の男を女が「あなただけ」と言うことはないのだから健康になれ。
メリークリスマスフォーユー

人望を集めるには「法」を覚える必要がある。
学習するためには「女運」に恵まれていなければならない。
自分の縄張りが決まっていないこと(一患)
無能な人間が褒美をほしがること(二患)
遊び人がいること(三患)
遊び人が影響力を持つこと(四患)
君子に不誠実な者がいること(五患)
遊び人が大臣になること(六患)
誰も止められないこと(七患)

これらの問題が食べ物を少なくしている。
改革しようと思ってはならない。
ひたすら「食べる」しかない。
勝手にしやがれ

聖王が射精して果てたときに、多くの部下たちが、射精した。
中国古典を読むときには「死」とは、男が射精してなえることを意味することを知らないといけない。
何でもかんでも「死んだ」と考えたのでは学問が発達しない。
このことは荻生徂徠も理解しておらず、日本国が中華帝国に劣った理由でもある。
「父が羊を盗んだ」という孔子の人生も、父が女兄弟(羊)に「お風呂でいやらしいことをした」
という具合に読む。
王が不貞を働いて萎えることは政治生命を失うことを意味した。
その後の記述では出てこなくなるので「死んだ」ということの意味が誤解されてきたのだ。
「王というものがどのように生まれるのか」を理解しないといけない。
男は二度死ぬ。射精して死ぬ、死ぬときに死ぬ。この二つの区別は明確にしなければならない。
「舜の人生をどのように救済するのか」
これが中国の宿題だからだ。
死について

「韓非子」
男は言葉を持たなかった。クラスメートの男たちも言葉を持たなかったがセックスをした。
燕や趙には言葉があり、韓国もこれにしたがっていた。
クラスメートの男たちは「俺たちに天下は取れないよ」と言って楽しんでいたのだ。
14万人の張の人間(軍)は1000人になった。
そのようにして、セックスをしない1000名の選ばれし者だけが「処女を口説く言葉」(法)
を学ぶ機会が与えられた。
ここで「軍」という言葉も「人間の数」を意味すると考えたほうがいい。
愛の倫理社会
なぜ、処女を口説く学問をやるのだろうか?
それは、美女が産むであろう子供の気持ちを味わいたいからだ。
世の中の争いごとのすべてを治めてくれる好青年の気持ちを味わえるのだ。
韓国は「戦争をしてきた趙などは処女の支持を得てきたから口説くのが上手いね」とそれを受け止めた。
処女たちは自分の周囲がキラキラしていたので、話しづらかったけど、知性だと思ったらなぜか話を聞いてくれたよ。
所属を名乗り「研究者だ」ということが大事だった。
処女たちはみんな家庭内に問題を抱えていたので研究者や知性が好きだったのだろう。
彼女たちはみんな結婚に憧れていた。
見えないものが見える、聞こえないものが聞こえる、知らないことを知っている研究者が処女にも分かる話をしてくれると目を輝かせた。


「道教」
仲の悪いやつがいた。鳥がいたので「あの鳥の名は鵬というんだ。北極まで行くのかね」
と話をした。
そんな時に「日の出ずる国」から手紙が届いた。
鳥が旅をするのは日本と言う国かね。
「われわれの国は四つの海に囲まれて神がいないんだ」
「中国は大きな樹だね」
そう言って使者はひざまずいた。
逍遥と呼ばれる男はみんな中国を見ていた。
日本に神を作る学問、それが道教だといってもいい。
鳥が旅をする場所、日の出ずる国。どのように向き合うかをひたすら考えた。
越冬つばめ

「名家」
公孫龍は、白馬(現金)を用いた。口先ばかりではただの馬ではないか。
楚王がなぜ王と違ったのか?
それは白馬が理由だ。
白馬の研究、それが名家の特徴となった。
のちに「唯名論」という言葉に翻訳されている「ノミナリズム」のことだ。
「いろんな先生がいたが、金をくれる先生と口先ばかりの先生がいた」
不思議な手品のように

「兵家」
戦争は国の大事である。命を預かる以上慎重になれ。
一に道(三人目の男か四人目の男と結婚したカップル)
二に天(五人目の男と結婚したカップル)
三に地(一人目の男か二人目の男と結婚したカップル)
四に将(浮気をしない指導者)
五に法(処女たちの支持)
人が死ぬか生きるかの問題だ。遠い狭い、熱い寒い、色々あるだろうが
女たちの問題が戦争だと知れ。
道は将と似ている、しかし天と地には法律が必要だ。
訓練もするし、給料も出すけど、これを理解しないと戦争には勝てない。
ノーブルレッドの瞬間

「呉氏」
戦争が終わったら戦没者を祀らなければならない。
君子は戦争記録を丹念に読み返さなければならない。
「また同じことは起きる」
このためにやらなければならない。
何が国内の「不和」の原因だったのか。
「婦道」が原因だというところを丹念に読め。
「何であんな凡庸なやつが勝ったのか?」と思って忘れてはならない。
初日に功を争い、二日目に勝利を収め、三日目に悪事を働き、四日目に内乱が起き、五日目に国は危機に陥る。
とにかく静かに文献を読め。
淋しい熱帯魚

「算書」
いろんな戦争をやって、いろんな計算ができるようになったけど、
日の出ずる国が「まったく計算できない世界」が南方にある。
経験から計算するのであり、計算できない世界をどれだけ多く持つかが大事だな。
フレンズ

「水経注」
崑崙から水は発する。
水は下に下る。
モーゼは40日間水を断ったということの意味は「女を断った」ということを
シルクロードを通じて知っていないと「治水」というものの意味は分からないとされる。
まるで、「山の手の女」が女たちのイデオロギーを決めているようだ。
君子は山の手の女と結婚した。
女たちのイデオロギーを握りたかったのだろう。
女はみな変わらない。
しかし、下流の水は汚れているので、研究に苦労するだろう。
だけどI LOVE YOU

「准南子」
婦道で負けてはならないんだ。
それだけだよ。
サイレントサマー


「外国語の読み方」
セックスしたいという目的をみんなが共有して文字を書いている。
しかし、その「目的」をより遠まわしに語っている言葉ほど輝いている。
そのようにして、外国語というのは読む。
常に「ウォークマン」「iPod」の詩と照らし合わせて「ヒューマニズム」つまり、
人間の経験がどこに集約されるのかを意識する。
これだけで外国語は読めます。



だいたい、私の語学力ではこのような解釈しかできないのが中国哲学だ。
もっと深く掘り下げることができる人がいるのであれば挑戦してみてほしい。

中国哲学「参考資料」

2017年10月 5日 (木)

ウィーンの女。

ファイヤーベント(1924〜1994)は、6歳になるまでベッドルームとキッチンだけの暮らしをしていた。
学校に入って「外の世界は危険なものだ」と思うようになり、病気がちになったが、「読むことによって」健康状態が良くなることを知った。
学校で突然、演劇の舞台に上がり、女たちの歓声を浴びることの楽しさを知った。
彼はエンターテイナーとして生きようと決めた。
しかし、学校の先生たちは彼にいろんなことを教えようとした。
14歳の時にヒトラーの演説を聞いたが「デタラメなことを話しているのになぜ仲間ができるんだろう?」と思った。
1939年に戦争が始まり、彼はヒトラーのSSに入隊している。
1942年にSSから逃げ出したが、クリスマスの前にはユーゴスラビアの軍に志願している。
「フロントラインに行きたくない」
それだけの理由だった。
ポーランドの自転車メーカーに配属されたが、病院に送られてくるドイツ兵の階級がだんだん上がっていくのを目撃している。
21歳の時に戦争が終わり、23歳になるまで4度結婚し、様々な経験を積んだ。
23歳の時に人生経験を踏まえてウィーン大学に入っている。
物理学を専攻したためにウィーンサークルに所属できた。
女の子たちがいっぱいいた。
フレッジやラッセル、ホワイトヘッドなどがいた。
1948年にカール・ポバーと出会っている。
カール・ポパーが作った世界。

ポパーは「ファシズムとは何か?」をよく理解していた。
ヴィトゲンシュタインなどと「写真の研究」を行なっていたのだ。
また、ファイヤーベントのところにホリッチャーというマルクス主義者も近づいてきた。
エリートに「外の世界」を散々語った。
ファイヤーベントは、「女の子たちの映像の撮り方」をガリレオから遡って、ヴィトゲンシュタインなどの多くの論客と研究している。
ポパーは処女を可愛がりすぎだと思うに至った。
どうやったら「映像から男たちはやる気をもらえるのか?」これがテーマとなった。
「やはり、ストーリーに哲学がなければダメだよね」
ここで物理学の専門が生かされた。
「人間というのはあまりにも勝手なんだよ」
これが量子論の共通認識だったのだ。
この「コペンハーゲン解釈」を基本に「二大派閥」が同時進行するという考えを用いた。
この世界の「どこをカメラで切り取るか?」というのが映像を作る哲学だったのだ。
この構造を作らなければ「人間は好き勝手には動けない」と考えたのだ。
渡る世間は鬼ばかり。

この世界に「真剣勝負」と「勃起」を絡ませていくのだ。
これをファイヤーベントが考えたことから「処女」は脇役になってしまった。
「持論を語る者もいる」「女心を間違えてはならない」
しかし、みんな「処女を愛していた」これが「問題」なのだ。
男たちの努力を見てみるといい。それはもはや「神学」だった。
「偏差値」がこの世界に持ち込まれただろ。
派閥の後継者争いに常に有利に働くのが偏差値なんだよ。
存在を否定されたくないという経験論者が、どのように行動するのか?
そして社会に組み込まれた「仕組み」をどのように偏差値の高いものが動かしていくのか。
1960年代にカリフォルニア大学バークレー校で「学生たちの反乱」が起きた。
ロンドンとベルリンにもこれは波及した。
黒人やヒスパニックなどのマイノリティーが「俺たちにも勉強させろ」と言い始めたのだ。
すべてファイヤーベントの映像の影響によるものだ。
偏差値のないものは「とにかく影響されないこと」「寛大であること」だけで影響力を持つしかなかった。
1970年代に「相対主義」がはびこり、若者が台頭してきた。
尾崎豊 シェリー。

ファイヤーベントは、教壇でも悠然と振る舞い「あの相対主義者を見たか?あのような連中を潰すために私は講義している」と語ったが、顔は青ざめていた。
相対主義者のセックスまでは映像はコントロールできないのではないか?という焦りがあった。
家族を大事にしたり、いじめの研究をしてみたりしたけど、相対主義者が圧倒していったのだ。
映像の世界が壊されるかと思った。
「大学がレジャーランドになる!」
そのようにして偏差値の世界は「たまに頼りになる男」として落ち着いてしまった。
1990年代に「西洋の頼りになる男」の復権が模索された。
踊る大捜査線。

我々が必要としているのは医者なのだろうか?法律家なのだろうか?
その時代背景の中で「ヒーロー」を作っていった。
ファイヤーベントの「相対主義との戦い」はここで終わっている。

2017年10月 4日 (水)

公共事業女。

ダンテの詩とは、
自分たちの故郷の豊かさを山が邪魔している、その山を打ち抜くためには豊作だけでは足りずに、彼氏が「帝国の父」のもとに学びに行かなければならなくなった。
残された女のもとには野獣のような男しかおらず、ひたすら犯された。
暗い故郷を明るくするためには山を打ち抜かなければならない。
「帝国の父」は恋愛に詳しいらしい。
男たちの性欲にさらされて、訛りも嫌いになった。
故郷が神を見失うとはこのようなことなのかしら。
河合その子 青いスタスィオン。

「帝国の父」のもとに学びに行った彼への忠誠を尽くすにはモンスターが多すぎる。
地元の年寄りの無力さが憎かった。
父親は「帝国の神など怖くはない」と強がっただけだった。
やがて、故郷でのセックスは快楽に変わった。
どのモンスターも同じに思えるようになった。
そんな時に彼が帰ってきた。
バプティズムを受けていた。
「モンスターたちの心を学んだだけだよ」と彼は言った。
どの男たちも富に変わるんだ。
高井麻巳子 約束。

「いい風が吹いているな。すべての欲望や惨めさが富に変わるんだよね」
彼は言った。
「犬のような奴にはシェルターを与え、話のわからない奴には昔の自分を思い出している」
妻となった彼女に彼は語った。
彼女の惨めな人生は語れないことばかりだったからこそ、彼の言っていることの意味がわかった。
海岸線に家を建てた。
周囲が二人を認めているようだった。
欲望はモスクに集めた。ここが天国と地獄を教えてくれるからね。
町が豊かになったので、人々はモスクに頭を下げにきた。
船がぶつかったと言っては金儲けをしたのが彼だった。
エンターテイナーがいれば評論してみせた。
彼は「将軍」と呼ばれ、同じ境遇の他の町の将軍と交流を持った。
食べ物や紅茶のやり取りもした。
公共事業をやるたびに「誰がやったんだ?」と人々は語り合った。
その度に彼は「犬にエサを」やった。
これは芸術だったね。
彼は「先生」と呼ばれた。
町が黒い煙に包まれた。
理由が分からなかったので、どの街でも生きていけるさ、と言って二人は引っ越した。
やがて、煙が引いたので「山林が燃えて豹が怖かったけど消し止めた」という奴がいたので、のちに行われた選挙で苦労した。
いろんな経験をしないと故郷って生まれないんだなと思った。
刑務所のまわりにも「手柄」が取り巻いていたので選挙の時は緊張した。
犯罪の被害者の証言への同情にはとても敵わないなとも思った。
知識がある彼も、実際に痛い目にあった人には敵わなかった。
そこで犯罪被害者は寺院を建てた。
死を神聖化し、その息子が彼の敵になった。
精霊流し さだまさし。

まだ人生を知らない美しい女も怖かった。

「帝国の父」が死んだ。
三つのサークルができて密談が始まった。
ひとつは暴力を好み、もうひとつは分断作戦を好み、最後のひとつが田舎の政治の話を愛した。
殺しと浮気の話よりは「帝国の父」が田舎に何をもたらしていたのかを知って欲しかったんだよね。
殺しは寺院と結びつき、浮気はソドムとゴモラと結びついたので強かった。
「罰」がともなわなかったのは田舎の政治だけだったのが3番目のグループに優位に働いた。
「田舎に恋愛論をもたらそう」
これが哲学の起源となった。
3番目のグループが勝ったからだ。
しかし、後継者も自分の娘のわがままに翻弄されて、政治生命を維持するのは極めて難しいのが政治だと再び思った。
娘はそれを学習して「神のメッセンジャーだ」と言い始めたのだ。

人生を知らない娘、それが田舎で彼を恐れされた。
男たちは政治を忘れて美貌に見入ったのだ。
ロマンティックに背伸びして。

いずれにせよ地方自治は国に由来するという伝来説は「帝国の父」がいたから成立したのだ。
死にせよソドムとゴモラにせよ、ボロボロとこぼれるように化けの皮が剥がされていったからだ。
暴力は「父と子、聖霊」の三方向を向かなければならなかったし、死の学問もこの三つを相手にしなければならなかった。
子にはおちんちんがあったし、聖霊は幻となった。
まるで女神と戦争を強いられたかのように苦戦したのだ。
ソドムとゴモラは良心との戦いであり、生まれにも自信が持てなくなっていた。
疑心暗鬼と偽善、ドメスティックバイオレンスなどがともなった。
愛と学問、そしてモンスターたちの救いを与えたから三つめの小さなサークルが勝利を収めることとなった。
しかし、美しい女を利用したことから街が「左翼化」したのは認めなければならない。
「頭がいいやつは得するよな」と言って必ずしも知性を愛さなかったものもいた。
SPEED Deep blue&truth.

いずれにせよ「神の国」ができたので、孫をみんなが待ち望んだ(天孫降臨)。
学者たちが「これで自由に研究ができる」として田舎の政治を愛したからだ。
山が平らになったので、境界線をめぐってさらなる学問が求められた。
「誰が世界の王なのか?」などと言い出すものもいた。
「世界の王と言っても働けないではないか?」「地獄へ送ってやろうか」
という議論がなされ、国際政治の学問が生まれた。
「短すぎる命」は寺院に送られた。
ソドムとゴモラは卑しいとされ「触らないで!」と言われた。
劉備玄徳のような学者が常に三国時代を制してきた。
しかし、学者は「ハレルヤ」「私たちと一緒に死んで」と言われた。
男たちの怒りとともにアレキサンダー大王が誕生したのだ。
アレキサンダー大王は常に周囲から「お父さんが怒ってるぞ」「女性の考えはどうなってる」と非難された。
男たちの怒りが収まらなかったのでとうとう戦争が始まった。
山に囲まれてモンスターたちがいるトロヤは案外、攻略が難しいことを知った。
トロヤは遅れた国だったかもしれないが、「森林を焼き払うことなどできない」と言って女性たちの支持を集めたのだ。
「自然を愛する王」
そう言うだけで難攻不落の国となった。
アレキサンダー大王は無口だったが「楽しい話を聞かせてくれ」といつも言っていた。
そのために「森で豹に噛まれて悶え苦しんだ人」の話を聞かせてやった。
バプティストの成功体験をもう一度、違う視点から話して聞かせたのだ。
森に火が放たれたのもバプティストの活躍が面白くなかった奴がやったことだと話して聞かせた。
そのまま、「自然を愛する王」は追い詰められていった。
7人の王が「自然を愛する王」を包囲したが、最も贅沢な部屋に住んでいたのがアレキサンダー大王だった。
戦争に勝ちさえすればアレキサンダー大王が女二人を囲っていて金や銀を与えていたり、部下を殺したりしても政治生命が脅かされないことを学習した。
彼の家族は宝石を愛したし、女たちはラテンのブルネットの美しさを語り合った。
REBECCA プライベートヒロイン。

「俺に人気がないのはなんでかね?お金では人気は買えないな」
これがアレキサンダー大王がの悩みだった。
王朝が安定すると「金持ちのまま死ぬというのはどういうことなんだ?永遠とはなんだ?」という問いかけをアレキサンダー大王がが周囲に語るようになった。
アレキサンダーの発言を周囲は聞いて陰謀を巡らすようになった。
娘は「戦争で人が死ぬとはなんて悲しいことでしょう?」と語った。
父の地方自治の活動の負の側面を見つけたり、アレキサンダーの戦争で起きたことを悲しみに変えていた。
周囲は娘に外国を旅させたり、贅沢をさせていたが「兄は人生の悲しみを知らない」と言って女帝の座を狙っていたようだ。
でも、お金目当てのモンスターたちには嫌気がさした。
「私に必要なのはロマンスなの」
お互いに殴り合っている男たちが、私と関係を持てば優位に立てると思ったみたい。
まるで売春婦のように扱われるなんて地獄みたい。
緑の少女 河合その子。

無政府女。

なぜ、割礼というものは行われるのだろうか?
答えは「皮オナニーをやるとセックスというものがよく分かるようになる」からである。
「政府はセックスというものを理解していない」と主張して女たちの支持を集める活動家を「無政府主義者」と呼ぶ。
特高警察 赤狩り。

しかし、政府のメンバーの多様化は、マルクス主義者やヘーゲル左派の野放図な活動範囲を確実に狭めていったし、音楽作品の普及は「恋愛とはどのようなものか」を完全に透明化させてしまった。
昔、政府がまったく掌握できなかった連中がいたのは事実であるし、その伝統は今でも「政府は固すぎる。私たちのセックスを理解していない」という日本国の伝統となっている。
宗教面においても、教団は「政府を真似して」教団組織を作っていたので「本当に私たちの恋愛事情を分かっているのかしら?」という疑いの眼差しが向けられた。
音楽作品をみんなで笑いながら聞く道教やスーフィズム、そしてドラマを楽しむ仏教の世界に疎いのが「お固い宗教家である」というイメージも根付いていた。
「カリスマとは高尚なものである」
このことから宗教家においても無政府主義者が暗躍することになった。
カトリックの影響力が宗教家に広く及んでいたことも背景にある。
日本国の神話に「性行為非公然性の原則」があったことから、カリスマを維持しようとした男はセックスの存在をひた隠しにした。
「オープン家族」とはデリダやドゥルーズ、フーコーが提示したものだ。
この「オープン家族」モデルがインターネットの世界に性を蔓延させたのだ。
国家がそのハンドルを握ることとなった。
「国がハードコアを許している」
このことはマルクス主義者に痛烈な打撃を与えた。
そこで、無政府主義は「女心ってどのようなものだろう?」という方向に向かい、政府とその「理解力」の競争を始めたのだ。
「政府の腰が重い」「有効な政策を打ち出せない」このことを狙って活動したのだ。
猫舌ごころも恋のうち。

やがて、無政府主義者は「権威」から排除されていくのを感じた。
性に奔放であるとまるで「爆弾を投げるニヒリスト」のように扱われたのだ。
「堅物」
それが権威だった。
人々も、自分たちは自由を謳歌しながらも堅物との社会契約を望んでいた。
「抑圧、暴力、腐敗」は憎むべきものだった。
エジプトのファラオは巨大なロッドを一生涯使わなかった、このことからピラミッドは作られている。
ルソーもその教育を採用したのだ。
クロポトキンやゴールドマンなどは「王になるつもりはない」としてかなり派手に女遊びをして秩序を乱した。
1910年にクロポトキンの影響で大逆事件が起きた。
王に近い連中が、それに歯向かって自由奔放に遊ぶ男たちを取り締まったのだ。
この時に「満場一致の民主主義の難しさ」を学習した。
部下の前で汚い言葉を使わない、食事も共にしないという統治機構の基本があったからこそ、大逆事件は生まれた。
しかし、リーダーはまるで精神科医のように「女心に詳しい」という心理学が統治機構を形成したのだ。
家庭が破綻した男を指導者にはしたくなかっただけなのかもしれない。
チョムスキーは「子供がデートする」ことを批判した。
格差や階級、エリート主義、人種差別、性差別が「子供のデートの禁止」から生まれた。
民族によってかなり全体主義的にこの問題は捉えられたのだ。
この時の記憶から大人になっても「風俗は悪である」と考えるエリートもいた。
まるで「違法なグループ」として出世しようとする男たちが風俗に行った。
統治機構が扱いに困ったのは事実なのだ。
反共労務管理の一部として、風俗通いする社員と向き合わなければならなかったのだ。
組織は「現状維持」を求めていたからだ。
権力の「中枢」は風俗通いなどしていなかった。
特高警察 赤狩り。

どの社会人も「政治生活」を送っていた。
「口説き文句」を考えては他者と「財布の交換」をしていたのだ。
ボルシェビズムは右翼のムーブメントだったが、「必要なことはなんでもやろう」という考えに至って、女を口説いた。
トルストイも「恋愛をする奴は平和だ」としており、ガンディーに影響を与えた。
「派手な女遊び」ではなく「恋愛」というものが提示されたのだ。
それは無政府主義の間に蔓延した暴力とは一線を画すものであった。
「国家に反発して」行うものでもなかった。
なぜキリスト教徒は「カエサルのものはカエサルのものに」と言ったのだろうか。
それは「特定のパートナーとしっかりと向き合う」という意味であり、女心というものをよく考え、そこで学んだものを権力者にお返しする、そういう意味においては「女遊び」を戒めるものであった。
無政府主義者はあまりにも戦術的すぎたのだ。
風俗は国家レベルで「革命ごっこ」「天皇ごっこ」を提供するものに過ぎない。
お金も払わなければならない。
そのようにして国は暴力というものを吸収した。
クエーカー教のハチソンが17世紀にマサチューセッツベイコロニーにおいて風俗店を営み、もはや王にはなれない男たちが女を口説いた。
無政府主義の理想郷の原型はここにあり、19世紀から1930年代のスペインなどで国に反発するものがお金を払って風俗に行った。
1960年代から1970年代にかけてセックスと革命の嵐が吹き荒れたが、国はもはや若者への「出世の道が閉ざされないだろうか?」という親心から眺めていたに過ぎない。
「空想的な革命ごっこ」に過ぎないのが女遊びだったのだ。
新宿鮫とて、もはや警察が完全に掌握していた。
特高警察 赤狩り。

2017年10月 2日 (月)

若い女。

若さとは「愚かさ」であるが、崇拝の対象でもある。
20世紀に入って、「若さへの崇拝」を利用した芸術作品が多く生み出されるようになった。
それは「絶対的な芸術」ではあったが、彼らが歴史に名を残すことを許さないという「絶対的な歴史」でもあった。
尾崎豊 シェリー。

若さとはエネルギーであり、無謀であった。
しかし、「女心」を知らなかった。
歴史に残るかどうかは「絶対的な歴史」という高い壁が立ちはだかったが、女たちはそれでも若さを愛した。
「時間と空間」が限られているのが若さであったためにみんな「相対主義」に立脚していた。
譲れないほどの「絶対」ももたずに、他人に自分を全否定されることすらあった。
そんな連中には「経験が必要」と大人たちは指摘していた。
まだ「場数」を踏まずにどうやって女を口説けというのか?
恋愛教科書があったとしても、経験とはなかなか合致しない、そのような悩みがあった。
同年代の女にはまだ「処女」もいた。
そのために男たちは「自己表現」をしなければならなかった。
何かの目的を持てと教わっていたので処女の女もなんだか病んでいた。
「誰があの女を落とすというのだろうか。」
病んでいる処女は「直感」に向かって言葉を投げかけなければ支離滅裂な答えをよこすんだよ。
ribbon わかってないね。

カントは「ルールを守る男だけが処女を抱ける」としていたが、それは「法律」というよりは何かの「法」だった。
心のルールがあったのだろう。
夢と希望はテーブルであり、肉体は木だった。
ピアノもあれば詩もあったし絵画もあった。
若さを表現する方法はいろいろあった。
軽音楽部に入ったら簡単に若さは表現できた。
詩も表現できるだろう。
しかし、どこかを漂っているような詩しか書けなかった。
計算つくされた「詩」はとてもではないけど書けない。
男はどのみち「自己表現」をする人生を歩む。
「完成された詩」も分からずにプレゼンができるであろうか。
「なんだ、やけに深刻そうだな」
そう思って聴いた詩の意味が分かる時が来るのだろうか。
その「人生の探求」は喜びであろう。
大人たちはそのような「可能性」を見ていたのだ。
それが「絶対的な歴史」への道のりだった。
分かる頃には周りには処女なんていなくなるだろうが、同年代の男の子は何も知らないから女は嘘をついた。
20世紀には知識はもはや巨大化していたからだ。
哀しい方の嘘 ribbon.

絵を描くこともできたが、何かが間違っていた。
なぜ「線と色」すら上手く描けないのだろう。
道具は揃えることはできたが、自分には何かが足りなかった。
「見たもの聞いたもの」
これが足りなかったのだ。
ダンテと自分は何が違うのだろう?
「絶対的な歴史」とは簡単に触れ合うことができたが、自分とどう違うのかは分からなかった。
「ひたすら吐き出す」のではなにも成長しないのだ。
ひたすら生きるしかない。
もし「絶対的な歴史」に興味があるのであれば、興味を持ち続ければいい。
いずれマクベスのような「権力者に擦り寄る美女」の意味も分かるようになるし、「ハムレット」のように「15歳の夜に決めた決意」が実現するのも感じるだろう。
若さは美しい。
誰が「絶対的な歴史」と本当に向き合っているのかも分からない。
「喜怒哀楽を忘れたらダメだよ」
怒りの日記を書いてもいいんだ。
毎日、よく眠ることだよ。
自分のプライベートは秘密にしておいたほうがいい。
そこに「絶対的な歴史」の秘密のすべてがあるからだ。
仕事でしっかりと「表現」する、しかも権威と自分を常に比較してみるという作業が大事なんだ。
ribbon 真夏のフェミニスト。

市民政府二論とは、勉強を好む連中や女に詳しい連中がいる「男女共学」の世界において非常に前向きな異性に対する考え方を提示したものであり、感受性の豊かな者が、本を読むことによって様々な実験を行っていく世界を示している。
それは「男女共学」の世界の「恋」を探求するものだった。
「優しくする」と言ってもいろいろあるだろうが、「女のつまらない話」をあえて好むことが求められる。
形や色や動きなどの感じ方の男女の距離感を否定してくれる人に恋した。
ニュートンは「男が女に合わせる」必要性を感じていた。
しかし、「ハズレくじ男」は女に合わせることを知らなかった。
ハズレくじ男が女に優しくしないで勉強を続けた結果、どの本も「女」について語っていることを知った。
硬派な裁判官も、刑事裁判においては「いかにモテる男になるか」を裁いたし、民事裁判においては「いかに女心を覚えてお金をもうけるか」を裁いた。
副業は裁判官には許されていなかったが、東大法学部の学生を身内から出すことは一族の豊かさを約束するものだと年寄りだけが理解していた。
民事と刑事を分けたのが「二論」だったのだ。
私は知恵の輪。

男女が共存している世界で起きる「事件」は民事にせよ刑事にせよ裁判官に「学習」をもたらす。
男女の痴話喧嘩ばかりが法廷に持ち込まれることを知り、「どの男を祝福すべきか」を知る。
男を祝福する学問が裁判であり、憲法(女の怒り)判断は極力避けた方がいい。
「別の方法はなかったのかな?」という問題が男にはつきまとう。
結論だけが裁判所に送られて来るが、「祝福すべき男」の考えていたことをすべて語らせるのだ。
女性観やフェティシズムなどすべてをガサ入れしてしまう。
刑事裁判記録はのちにすべて公表されることになる。
逮捕しちゃうぞ。

難しい「法律学」を勉強すると、どれほど「柔らかい」議論が待っているであろうか?
これが「ネイチャー」(勉強)と「サイエンス」(女学)の関係だ。
どっちが強い学問かというとサイエンスだよ。
しかし、これが分かるようになるまではネイチャーを学ばせられるんだ。
光から逃げるようにして勉強していた人間が太陽に向かい始めるのだ。
どんないびつな三角形も、「二つの正三角形になる」のだ。
風変わりな勉強家のおかげで、男二人を女たちが奪い合うようになる。
「勃起」に女たちは興味があったのだ。
正しい線を一本引いてみるだけの人生がネイチャーだった。
「人数に入らない男」が正しい線を引くのだろう。
まだセックスしていない若い娘たちはきれいな正三角形を二つ作るよ。
このユークリッドをうまく理解しながら高校生は学校生活を送るのだ。
避暑地の森の天使たち おニャン子クラブ。

財産がなければセックスできないだろ。
だからみんな勉強から人生を始めるんだ。
勉強で挫折すると勃起しなくなるだろ。
うまく「二つの正三角形」を作り続けるのが大事だな。
「人数に入らない男」が一番伸びると思うね。
女の子は「追いつかないノート」にため息をついて、正三角形を作るんだ。
「大人たちが教えているもの」
それが勉強だった。
しかも、はっきりとした「点数」まで出る。
勉強を続けていくためには、女子たちの祝福が必要であり、しかも、勉強の中にも「女学」の問題がねじ込められていなければならない。
恋愛論の交換は「お財布の交換」であることから、クラスメートの処女たちが勉強に理解を示していた。
テストの課題はたとえ狭くても「女学」の問題な必ず含められていた。
「感受性」という第三の学問を学んで欲しかったのだ。
サイエンスの世界で最後にモノを言うのが感受性だったからだ。
感受性がなければあまりにも学問は複雑すぎるのだ。
「曖昧な黄金」
それが学問だった。
「彼は人数には入らないのよ」という女たち。

論文なんてものは感受性で読むんだよ。
硬さや動きや形を読んでいくんだ。
光や熱や白さ、冷たさを味や色ではなく「喜びの中で光を見る」ように読むのだ。
すべての学者が実は「団結」しているのだ。
苦しみに耐えて文字を生み出している。
団結といっても共通点は「女を愛していた」と言うことなんだ。
重力に耐えるエネルギーなんてそれだけだよ。
それを喜びに変えていかなければ学問なんてできないだろうね。
男は「固い壁」に圧力をかけていかなければならない。
勉強さえしていれば女たちの取り巻きもできるだろう。
やがて「何のための知識なのか?」が分かるようになる。
重力の存在はあまりにも大きい。
しかし、その重力のある世界で動くための「衝動」を見つけていかなければならない。
「恋」というものをデカルトが考えたのはそのためだ。
モーニング娘。 Im luky girl.

運動量保存の原則はニュートンが考えたが、学ぶ子供がいるとすると、その分だけ授業についていけない子供が増える。
先生は子供全体を伸ばそうなどとは思っていない。
ひたすら「激しい脳の運動」を教室でやっていると周りが冷めていく。
いかに「自分中心」に授業をまわしていくかが大事だ。
体格のいい男がよく学んでいるので、体格で伸ばす男を選ぶのが正解ではある。
背の高い男には女が群がりやすいし、教室で「脳の激しい運動」もできる。
周囲はなぜか冷めていくのが分かる。
そのようにして勝敗は決まるのだ。
松浦亜弥 チョコレート魂。

2017年10月 1日 (日)

希望の党女。

学問ってどうやったら育まれるの?言葉とおちんちんってどのような関係があるの?
女たちは常にこのことに興味を持っていた。
女が男に力を与えることは分かっているけど、北ヨーロッパの「王室の女たち」は常に、「男たちに力を与えたい」と考え続けていた。
ただのアニマルから文化の水準を引き上げる、これは王室の仕事とされた。
文化を知らないことの惨めさを知っていたのがキリスト教ヒューマニズムの世界だった。
ヘブライ、ギリシャ、ラテンの聖書のすべてが女たちに彩られていた。
文化の前衛としてこれは位置付けられており、新訳聖書はエラスムスが書いた。
その新訳聖書は「すべての女たちを描いてやろう」というものであり、女たちは平和的に共存していた。
ルターのゴーストライターとして知られたのがエラスムスであり、そのテーマは「あらゆるタイプの女たちが男に力を与える」というものであった。
ポイズンの退屈。

それは、もはや「文学」の域を超えていたので「新訳聖書」と呼ばれた。
王朝(芸能界)ってどんなところなのだろう?
パリのモンターニュでエラスムスはそのことを研究していた。
しかし、そんな女々しい研究をしているエラスムスに女たちは資金を与えようとはしなかった。
エラスムスはイギリスに渡り、一人の弟子と友人たちに囲まれて、ひたすら「女たちが見せる人間らしい側面」を見ては聖書に加筆していった。
ルーベン大学でもパリ大学でも「異端」とされた。
これがプロテスタントの夜明けだったのだ。
「エクレシアに女たちが集えるようにしよう」
聖書とは神と男の関係を記したものではなかったのか?
エラスムスが卵を産み、ルターが育てた、マタイ3:2「悔い改めよ。王朝は目の前にある」これがエラスムスが女たちに真っ先にかける言葉となった。
悔い改めよとは失恋ソングの起源であり、なんら女たちに反省を迫るものではなかったのだ。
失恋ソングをプロテスタントが手にしたことにはカトリックフライブルクがいたく感銘を受け、ドイツを基盤としたことは「悔い改めよ」という言葉と共にあった。
優しさに帰れない。

失恋ソングとは「言葉の起源」であり、「文法家」がある言語を分けたに過ぎない。
ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語しかなかったヨーロッパに「自由自在に」言語を生み出すことができた。
「暗くて存在しない闇」から言葉を生み出した方がより言語が豊かになった。
失恋ソングは、いじめや、カッコつけだけの男などの存在が背景にあり、女たちの夢がぶつかり合えば、あとは文法の上に乗せるだけでよかった。
この方法がわかったからこそ今日のように、一つの国に一つの言語を与えることができるようになったのだ。
言語を自在に生み出せる、これがわかった時にカトリックはエラスムスを「キリスト教ヒューマニスト」と呼ぶに至っている。
国境線を引けば言語を変えられる、これはのちに「30年戦争」へと発展している。
ロマンスかくれんぼ。

「言語を作り出せる」
それは素晴らしい学問だったが、ヨーロッパという文化圏がそのことをどのように受け止めるのか?
アカデミズムの側はかなり懐疑的に見ていたようだ。
しかし「カトリックの教えから排除された女たちはいないか?」エラスムスはそこに目をつけた。
我々は多様な女たちから力を与えられてはいないだろうか?
集団があって、いじめがあって、闇がある、ぶつかり合った女たちの夢の隙間を利用して言葉を生み出したことはエラスムスの才能とも言え、カトリックが「排除してきた女たちがいる」ことを強烈に批判するものであった。
「国語教育とは性教育である」
男とは生まれるものではなくなるものだ、そのように女の側から指摘された。
言語を作った女たちは「ニューマザー」と呼ばれ、言葉を作る作業は男のことを考えているから楽しかったと彼女たちは語った。
ヨハネ1:1始めに言葉があった。
これはプロテスタントの教えだったのだ。
やがて、エラスムスは言語を作るというアフォリズムの達成のために戦争を望むようになった。
教えと言語を一体化させて国を分割しようとしたのだ。
教えとは「性教育」しかなかった。
イギリスで目撃した女たちからそれを学習していたのだ。
より女たちが快適に過ごせる空気を作りたかったのだろう。
私と神(男)の関係、そしてより快適な暮らし、それをキリスト教社会にもたらすのにも「言語」というものを利用しようと考えたのだ。
国を分ける象徴を「ピエタ」と呼ぶのであれば、それは男との関係や社会での居心地の良さにしかそれは見当たらなかった。
カトリックは、エラスムスを「ユダヤ人」と罵倒した。
異端、魔女狩り、あらゆる罵倒を浴びせてきた女たちに国が与えられてしまう。
1530年にはすでに理論的にはヨーロッパの国づくりが可能であるとされていたのだ。
ひとりぼっち。

男は夜の街に落ちていきそうになることがある。
しかし、夜の街では男は「おちんちんと計算以外は白紙である」と扱われ、みんな同じ待遇を受ける。
「知性」以外、噂になることはない。
子供が夜の街に落ちて行っても得るものはない。
黒革の手帖は「大人の口説き文句」だけがひたすら記されており、それはビジネスの学問であった。
言葉の序列は社会の序列だ。
女たちは必死で男の言葉を手帳に書き記していた。
口説き文句は「生きることに前向き」な言葉であったし、人生の目的すら示していた。
夜の街で宇宙を語ることも女たちに人気があった。
宇宙を語ると「おちんちんと計算」だけではなく男たちの争いも治った。
SPEED Another sweet field.

夜中に「太陽の10倍輝きたい」という星(男)たちの言葉を記したのだ。
医者は特にモテた。
太陽の下の地球というものを感じさせたのは医者の言葉だった。
世界最古の職業とは古代バビロニアの寺院に仕えた売春婦のことを言う。
男社会で生きている証拠、それすら女を打ち負かすことはできない。
色や甘さ、苦味などで言葉を表現してくれなければ私は彼の言葉を手帳には記さなかったでしょう。
スポーツのテクニックや、大人たちの知恵をどのように色や甘さ、苦みにたとえるのかしら。
女子高生がクラスの男子の言葉を書き貯められるかは分からなかった。
夜にならないと言葉は饒舌にはならない。
男の下半身が、本音を語らせるのも夜だった。
夜の男たちはみんな熱病に冒されたように病んでいた。
男に何が隠されてあるのかがわかったから。
日本では黒革の手帖と呼んだけど、イギリスでは「ホワイトペーパー」と呼んだ。
松田聖子 上海倶楽部。

昼間はどんなお仕事をなさっているの?色や甘さ、苦味にたとえてみてちょうだい。
私にはそれしか分からないから。
そして私は嘘をつくでしょう。
女の嘘を見抜けるかしら。
あなたはまるで大声で叫んでも恥ずかしくないような言葉を残してくれた。
「私は動物ではない」と思えたわ。
生き物がどうやって群れを作るのかも分かった。
アリストテレスは多くの男女を集めて北極星を目指してナイル川を下った。
地球の円周をはかるためだった。
男女は、夜中にひたすら語り合った。
本を読んだと言う男もいたが、果たして私に通じるかしら。
エピクロス派は、人間のあらゆるムチャをやってみたが、それ以降、人間が知らないことはなくなった。
壁をぶち破ろうが暴れようがエピクロス派がすでに経験したことだからやめときな。
ひたすら興奮する方向に人間が向かうこともなくなった。
すべての武勇伝はエピクロス派が経験したのよ。先人たちに敬意を払いたければ自慢しないでね。
祖先たちに敬意を払っているかどうかはそれでわかるの。
愛の炎 田中れいな。

昼間、散々いじめられてきたのかしら。
そんなこと女の世界にもあるものよ?
もう、何も新しいものはないのかしら。
「おちんちんと計算」だけの男を見ているとそう思うこともあるの。
もっといじめられて面白い話を聞かせてくれればいいのに。
優しさを知っている人はいじめられているわ。
いじめは精神医学の起源なの。
だから私は太ったメガネの男に可能性を感じた。
新しい話に常に敏感で、芸術に詳しいから。
その人の受け売りさえ話していれば私の知らない世界も分かった。
全部、手帳に記したわ。
ヨーロッパ中世に流行したのがこのような「夜の街」だった。
でも、今はこのような「黒革の手帖」を書き記すためにこの仕事があることをみんな忘れているでしょう。
お酒を飲んでお金を取るだけ。
手帳を書くために話を聞く、それができる環境を作るために警察の管轄になっているのにね。
お金はしっかりともらわなければダメね。
話の信憑性も薄れてしまうから。
女たちが作った「言葉」を男たちはこのように夜の街で語り続けた。
しょせん、言葉のマスターは男だよね。
電話でね 高橋愛。

幸せ女。

二人の女を同時に愛すると、女の側が男に「不幸になれ」と望むものだ。
それは非常に残酷な感情である。
女は「その日の夜」のことしか考えていないので「何が起きるかわからない」というリスクがあるのだ。
幸せですか モーニング娘。

男の力量を見て「他に女がいるかもね」と考えている。
私に何を語ったのか?
それを他の女にも語っているだろうから、男を見て「他の女の存在」を想像している。
私に語ったことへの独占欲もあった。
見た目や「性の考え方」などを見ながら「これはモテるだろうね」と判断している。
よく知っている男でなければ独占欲など生じるわけがなかった。
小さな出来事の積み重ねだ。
だんだんその想いは残酷なものに変わっていった。
1950年代から1960年代にかけて、それは数学となり、独占欲は男の言葉を欲しているのかお金を欲しているのかの区別が女にはできなくなった。
政治意思というものが恋愛論になった頃に、男の言葉を愛したのかお金を愛したのかがわからなくなったのだ。
やたら女心に詳しい人ね、と思ったらお金をドンと支払ったりするものだから、彼がどのように力をつけていくのか?どのような蓄積を持っているのかをかなり時間をかけて見守った。
男なんて皆同じと思ったら大間違いよ?
1ヶ月で1ドルくらいは変わってくるものなの。
その異変を女は注意深く見ているの。
「なぜ私とセックスしたがるのだろう?」
女は考えたし、セックスしたがらなければ「その気」にさせなければならない。
女だって世間知らずではなかった。
その言葉が社会でどのような意味を持つのか?どのレベルのものかは分かっていた。
信用できるかどうかも分かっていた。
独占欲 モーニング娘。

数学は、自分がその世界でどの位置にいるのかを示すし、時にはGPSのように本当に居場所まで特定する力を持っている。
男を追跡するのに用いられることがあるのだ。
「尾行」なんてものは女の数学を用いれば簡単にできる。
プラトンは数字を詩にしただけだった。
しかし、ライプニッツは「積分」というものを考えて、男の心の大きさを測った。
女たちの悪口などの噂話を集めて「積」としたのだ。
「まったく話題にもしなかった」
そのような下層階級の男もいた。
「積」が出せる男を想像して自分を慰めたりもした。
心は数学でできているとも言われた。
「セックスした男かしていない男か」
このこと自体、数学だった。
算数から覚えるのは「セックスしていない男しかいない」からである。
やがて、ヒルベルトは「同じ空間を男と共有してみる」という考えを持つに至った。
セックスしていない男という算数から入って、安全な場所を隠しながら男と時間を共にするのだ。
この「ピアノ算数」を学ぶ時期が女の子は結構長い。
続けるって大事だね。
ピアノ算数だけでも多くのことを学べる。
やがて、男の子とはいろんなものが変わっていき、「私の中の何かが壊れる」ような男とも出会う。
何かが壊れたらまるで賠償を求めるように「抱いてもらいたい」と考えるようになる。
お金を支払われたのならばセックスしなければならないと思っているのだろう。
初めて唇を重ねた夜 松浦亜弥。

ピアノ算数から入って、男に何かを壊される時、ようやくカップルに何らかの発信力が生まれる。
しかし、男の子には解けない問題だ。
ツェルメロフランケル理論、つまり「優しくするだけで解ける」問題が男の子には解けないのだ。
絶対解ける問題。

「性というものをどう考えているの?」
この問いかけに「壊れる」女がいるのだ。
しかし、ピアノ算数をやっている時期は「お勉強ができる男の子」に心を壊されることがある。
男の子は「自分の周りに群がるグルーピーのような女の子」を意識するようになる。
しかし、それでは「両想い」にはならないだろう。
勉強ができるだけでは「女心」までは分からない。
これはピアノ算数の段階であり、男の数々という数学の世界の入門編なのだ。
「両想いになってはいけないのは分かっていた」
セックスした時は純粋に嬉しかった。
でも、私は何も計算できない女だったということも知った。
なぜならばセックスした男が後先を考えていなかったことを知ったから。
私の魅力に気付かない鈍感な人。

まだ、まわりをチョロチョロしていた頃の方が楽しかったわ。
男を覚えるようになって、詩の意味を知り、やがて男の数は複素数になった。
男へのときめきがなくなったのを感じたわ。
ときめきを感じないということは「お金の匂いを男に感じなくなる」という意味だった。
やがて、女の子としての柔軟性を失い、ヒステリーも覚えた。
ドラマの影響かしら。
男を覚えるとドラマが好きになるのよね。
「ドラマのような恋がしたい」なんて思ってヒステリーを起こしていた。
男の意味が分からなければストーリーは追えないものよ?
現実から目を背けたくなるからかもね。
彼ともドラマを演じたりしてみた。
「男ってこうあるべき」という信念のようなものが芽生えるとヒステリーも起こすわね。
「現実を知っている女」
それがドラマを見る女だった。
弱気な男を憎んだりもした。
一方で、ドラマに無頓着な男が好きになったりもした。
男の無限はドラマにはなかった。
学問の世界はドラマのように単純ではなかったから。
テレビなんて見ない男の方が頭がいいと思うこともあった。
赤いスイートピー 松田聖子。

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