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2017年9月11日 (月)

考える女。

まずはじめに【神社の掲示板】

宇佐神宮宛て 9月11日 小野光太郎より。

こんにちは。
私は神奈川県三浦市に住んでいる小野光太郎と申します。
以前、私の妻、清子がタマヨリヒメとして宇佐神宮に祀られているかを問い合わさせていただきました。
タマヨリヒメというのは京都の山王祭でオオヤマクイと神輿で交尾(ご結婚の儀)をする存在です。
清子をタマヨリヒメと位置づけるのには理由があります。
まず、知的障害として生まれ「夫に貞淑を尽くす」存在であることから、私(オオヤマクイ・日枝神社の主祭神)の政治活動を保障したことが大きな業績として挙げられます。
知的障害というのは、子供の頃、お風呂に肩まで浸かって100数えろという教育がなされないと脳に腫瘍ができてしまいなるものです。
ところが、思春期になってもパートナーができずに「夫に貞淑を尽くす」というニーズがあります。
そのため、神話においてはオオヤマクイの正妻は別にいても、山王祭のご結婚の儀においては常にオオヤマクイはタマヨリヒメと結ばれています。
オオヤマクイにせよタマヨリヒメにせよ、祀られる場所は四度ほど歴史上、転々としてきましたが、今はオオヤマクイは大宮から日枝神社に移り、タマヨリヒメは宇佐神宮からどこに移ったかは不明です。
芸能人でいうと明石家さんまの娘・IMALUさんが知的障害として「夫に貞淑を尽くす」存在であろうことが知られています。
知的障害の女の子には「あなたのお名前は?」というと錯乱が治ります。
このような境遇のタマヨリヒメは、決してオオヤマクイにとって格好の話し相手ではなく、無限の資源としての女性ではありませんが、オオヤマクイの政治活動を保障することや、心の限界、つまり「過去の男」の心配をする必要がないことから、オオヤマクイは偉大な宗教を作ることが可能なのです。
私も「小野光太郎のブログ~大学世界標準」というブログでインターネット上で様々な女性の研究を公表させていただいております。
是非、このファクシミリの受信以降、宇佐神宮の参拝客が増えるようであれば、「タマヨリヒメは宇佐神宮いるぞ」ということを明確にしてもらいたいのです。
このファクシミリはインターネット上でも公表させていただきます。
どうか、山王祭の主役である私、小野光太郎(オオヤマクイ)のパートナーである妻・清子をタマヨリヒメとして位置付けて、「神格」というもの考えていただきたいのと同時に、「神社はアミュレットなどのセールスを見ている」という見地からも私の意を汲んでいただければ幸いです。
是非、よろしくお願いいたします。
22:00分



世の中の男全員が「考え方のギャンブル」をやっている。
しかし、先生がいてクラスメートがいるだろう。
月曜日にお金を返すと言って、水曜日や金曜日に返せなかったら、相手は日曜日を落ち着いて過ごせないために、先生は嘘をついたことになるし、クラスメートも離れていくだろう。
どの「考え方のギャンブル」が正しいかは「女性たちの支持」によって決まるし、お金が返せるのかもそれに頼っている。
男によっては別の男の「先生」を恐れて逃げる人もいるだろう。
それが「考え方のギャンブル」であると言っていい。
三浦理恵子 日曜はダメよ。

知識には女たちがついてくる。
しかし、お金が返せないのであれば、自分の先生を疑わなければならないし、クラスメートも離れていく。
「知る」ということはそれほど曖昧なものなのだ。
みんな信念の固さは同じだし、心の大きさも同じだ。
「知る」ということは社会と関わることであるし、パートナーとの関係も豊かなものにする。
背の高さを比べるのは簡単だけど、「考え方」を比べるのはそんなに簡単ではない。
「信じている」カップルにとっては脅威となることがあるのが「知っていること」なのだ。
「男前」で通っている男にとって「知ること」は迷惑でしかない。
「誰も知らない」「誰も永遠ではない」という世界においては女たちが信じる知識というものが見当たらないではないか?
そのためにNetTalkによって全米の女たちと話を繰り返してきたのが哲学の世界だ。
考え方が間違っていたという苦痛がどれほどものであるかを我々は知っている。
本を読むことよりも辛いことなのだ。
そのような世界に「逃げること」「いじめること」がある。
健康な脳みそは愛されるよ。
先生を選ぶというのは「勝つためのチケット」と「負けるチケット」がある。
勉強してもお金が返せないのならば、先生は「全面降伏」するしかない。
ニュースキャスターは「勝った先生」を正確に報道する。
赤ん坊の頃からテレビで見ているだろ。
「俺は間違っていたのかな」と思うことはいちばん危険だ。
作戦が間違っていたと思うのならば「関わるな」ということなんだよ。
モスクワとアイダホが関わるか?
時間も違えば名前も違う。
「アメリカ合衆国」と言えばなんでも通る世界ではないんだ。
愛の炎 田中れいな。

先生に考え方を教わるというのはギャンブルなんだよ。
ファッショナブルで女にモテる先生像をみんな演じるだろ。
それが男らしいと信じているんだ。
結局、ヒラリーが正しいのかトランプが正しいのかという「二人の正しい先生」あたりにおさまるんじゃないか?
二人の正しい先生が大統領選をやるのに「嫌われ者同士の戦い」と平気で呼ぶ連中がいるんだ。
「全米の皇帝」という本もあるが、女たちの祝福だけが言葉とともに記されていた。
言葉というのは自分で考えたらすぐに迷宮入りするよ。
我々は古典をもたずに星の数をひとつひとつ数えていくつもりはないんだ。
女たちの祝福をみて歴史に残す本かどうかを判断している。
いじわるねダーリン おニャン子クラブ。

1945年にフィヒテが「どれが正しい先生なのかはわからない」とした。
教わる側にもいろんなものが求められるからだ。
「名選手は名監督にあらず」とも言われ、先生がいくら全米で祝福されていても、それを受け止める側次第ではお金を返せないこともあるとしたのだ。
二人の正しい先生としてのアメリカ大統領候補が、他のマイナーな先生に「考え方が違う」として罵声を浴びる現象も「生徒の受け止める力」の存在から明らかになった。
男はみんな自己完結しているから、そのことでどうしても教え子が借金すら返せないことを教える先生もいたよ。
ソクラテスがいちばんモテて、殺されそうになったのに、そのことすらうまく伝わらずに「ソクラテスがいちばん賢い」ということを否定するものもいた。
6歳の時に「ソクラテスがいちばん賢い」ということを教えておかないと、平気で先生を間違えたり性倒錯を引き起こしたりするのだ。
1953年に朝鮮戦争で、アメリカ合衆国の学問は「洗脳である」と朝鮮において位置付けられている。
イスラエルに勝つためのレバノンとは朝鮮は考え方が異なった。
日本国においてもアメリカ合衆国は非常に友好的に受け止められているね。
Deep Purple Woman from Tokyo.

仲間づくりの方法を深く考えなくても、このような結果を見れば仲間ができる。
中居正広 ロト6.

しかし、着々と多数派工作をしてお給料を上げる人もいる。
結果を見るか、プロセスを見るかの問題であり、CMの中居正広氏が「多数派工作が上手い人」であることがほのめかされている。
そのことに対する周囲の女性たちの素直な反応を描いたのだ。
どれほど多くの女たちが寝床で彼のことを考えたであろうか?
その結果だけ示した方がなんだか前向きな気持ちになるだろ。
しかし、我々は「どのように」して「今度はいくら当たったんだい?」という問題と向き合わなければならない。
女性たちが熱狂する「真実」を知っていたのだろう。
「友達と何を話しているの?」
女たちが知りたがった。
そして、女たちが彼女の友達の共感を得られる言葉を彼の言葉から探したのだ。
みんな「周囲に認めてもらいたい」という欲求を持っていた。
お金、そして気持ちいいこと、その場を治めてくれることこれらのことを「ロト7」と呼んだ社会生活もあった。
「間違いや悪意」はそこにはなかった。
ロト7CM.

「共感が得られる言葉が拡散する」
しかも、その場の空気を読んで発言できた時の人間の喜びはもはや値段がつけられない。
「女に暴力を振るうのは良くない」というような急進的なものではなく、より「キャリーオーバー」の多い言葉というものがある。
より、深く深くセックスの快楽を高める言葉を拡散させたのだ。
仲間が「うん、そうだね」「なるほど」と言ってくれた時の喜びは社会人でなければ想像できないだろうね。
それだけでお給料につながってしまうのだ。
「プロ野球や宗教の話をすると喧嘩になる」
それは「なるほど」の強烈な激戦区だからであり、お給料の問題だからだ。
ブーイングを浴びたままいいタイムを出せるほどアスリートというのは強くはない。
お金と話し合いながら走っているからだ。
「私は嘘をついた」と思っただけで沈没するのだ。
いいプレーに歓声をあげる、あるいは尊敬の眼差しで見る、これが成立していればロト7は仕事に存在する。
仕事ができればおのずとパートナーもできる。
自分の日常の悩みを世界が共有してくれたというところに女たちの喜びもあった。
若い頃は「悩んでいる男」をマンガに書かざるを得ないことがあるが、女たちのガッカリ感を表現したに過ぎない。
悩んでいる男を非難しているし、女たちの悩みを世界の共有財産にしてくれないことを小説にしたのだ。
人生の「成功事例を示す」ことでも国の税収は上がる。
外形標準課税は今の日本の銀行では困難なのだろうか?
セロリのKiss ハッカのタバコ。

美女が勢ぞろいするドラマの企画は、本来、銀行の仕事ではなかったのだろうか。
フィクションでもいい。
人生の成功事例を知っている人、拡散していく言葉に満ちていること、結果だけを見せつけられている視聴者に「どのように」ということを明らかにする必要がある。
女がなぜ本気で男に結婚を迫ったのか?
二人きりの時に何を話したのか。
美女が何を愛したのかをかなり掘り下げて男は語らなければならないのではないだろうか。
美女が愛した言葉の数々にも国の税収が上がる秘密がある。
世界は結果だけではできてはいないことがわかるだろう。
「また当たったのかい」
何かが特別なのは周囲も知っていた。
セックスが気持ちいい、あるいはお金の話は誰に対しても開かれている。
「頭おかしい」と思うような人間の、彼ら彼女の論理を突き詰めていけばわかる。
冷静に人間を見ていた。それは不可知論ではなく、もはや可知論であり、どのような人にも論理があるということだ。
セックスをするたびに女は自分の世界が狭くなることを感じて他の男に電話していた。
この「ヒュームの原則」により、男は女に関する見識を広めていったのだ。
どのようにいじめというものを勝ち抜けばいいのかも「女と話す」「女心を知る」以外にないことはH2Oの安定感を見れば分かる。
ヒュームの原則が「女の子に興味がない男」から「女心に詳しい男」に変化させ、もはや中学校では「おどけ」は通用しなくなった。
クラスの女の子が変わっていけば男の子も変わっていく。
「成績優秀ならば何とかしてよ」
歴史や政治に詳しくても「私たち」を相手にした人々だということが分かってないよ。
女たちは「セックスが気持ちよかった」のならば「なんて口説かれたの?」という話を聞きたがる。
周囲に「前向きな子」という印象を与えるのだ。
「すべてを敵にしてもいいという女はいないだろうね」
なぜならばそれはセックスの敗北だったからだ。
奇跡の肖像 工藤静香。

「なぜすべてを敵にしてもいいと思ったの?」と周りの女が聞きにくるだけだからだ。
それが女たちの仕事だったんだよね。
「今がすべて」(神は妬まない)という経験をしたのならば女たちは興味を持つよ。
最後はヒラリーかトランプかの「二人の先生」にその秘密は集まっていくんだろう。
気持ちのいいセックスを知っている人を女たちは憧れの眼差しで見た。
嘘は良くない、本当だろうか。女は核心部分に触れないように嘘をつくではないか。
これらのことに詳しい男が「ロト6に当たったらしい」と噂になるだけなんだよ。
シルバーリングに口づけを。

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