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2017年9月22日 (金)

運命女。

譲れない夜がある。譲れない夜があればあるほど「今ある風景はすべて決まっていたものだ」と考えるようになる。
融通がきかない、それは決定論にも似たものだ。
譲るわけにはいかない、そのようにしてエネルギーを費やした作業もあった。
人を愛するためには苦労が必要だと言われるのもこの議論のことなのだ。
文学作品にそのようなものがあるから影響を受けるものがいた。
自由を犠牲にする男は女を愛した。
仕事仕事、それは妻を愛することではなかったのか。
SPEED All my true love.

もっとも過激な形で表現されるのが「運命論」である。
一つの道を選択し、血の滲むような思いをした男が女を選ぶ、しかも、それを「運命的」と呼ぶ、そのような男を周囲は笑った。
そのような男が女の「過去の男」を気にしないわけがない。
「男学」とは男社会で戦うために必要なものであった。
いろんな理論を組んでは実験してみた。
理論といっても「女のようなポエム」にして色々試しただけだけどな。
女のような「直感的なつかみ方」つまり「ガー」とか「バンッ」というものを理論にしていくといろんなものがうまくいった。
「トントントン」とか女が言っていたからな。
大神いずみ 今でも 今なら。

しかし、女のポエムが男の肉体の衰えとともに意味を失っていった。
運命は敗北したのだ。
妻の口癖を理論に取り込んでいく世界に別れを告げた。
俺の「ガー」とか「バンッ」という理論の構築の作業に毒を投げ込んだ奴がいたのだ。
もはや世界の「女のポエム」を見失った。
体がポエムについてこない。そこから「肉体」というものを考え直してみた。
「肉体ってものは譲れることばかりではないか?」
もはや、人とぶつかっても譲り合っていた。
それでも運命というものがもしあるというのならば、まったく予測できない世界で俺は譲れなかっただけなのだろう。
白雪姫の毒林檎。

何も決まってはいない、明日の朝刊の一面トップが何かもわからない、そんな世界で「譲れない夜」を過ごしていただけなのだろう。
「ガー」とか「バンッ」と教わってきた女心をもっと知らなければならないのではないか。
肉体が神ではなくなったら、男の人生の方向性はそのようなものに向けられるのだ。
妻はなぜ、昔の男の思い出を歌ったのだろう?
元木と大神。

俺はだんだん譲れるようになった。妻への思いが運命ではなかったと悟った時に無理な修行から自由になれたのだ。
学生はサラリーマンになった方がいいなと考えた。
神がかった肉体を一生、維持できるわけではないことを知ったからだ。
運命を信じてる?とんでもない肉体の持ち主だな。
それならば音楽作品を聴くことを勧めるよ。
肉体で奇跡を起こしてきたのならばそれは認めるしかない。
二人の女が「奇跡を生み出す肉体」に群がっただろ。
お金が得られる方向に、そして肉体ができる範囲内での方向に体を動かすだけだった。
すべてが「女のポエム」の解釈となり、子供や犬の解釈に向けられた。
万物の創造主がすでに目の前にそろっていたことも知らなかった。
子供たちも「譲れない夜」を過ごすのだろう。
【運命とは何か?】
俺は知っているのだ。
強靭な肉体に強い意志、それが運命を信じさせているのだ。
「前進あるのみ」
そのように息子が言ったら、俺はその意味を知っているのだ。
「他の道を選ぶよ」
フィジカルトレーニングで嘘をついたのだろう。
ジョーンズが嘘をついた。

女も「友達」というものを考えながらも「お金に誘導されている」ことを知っているだろうか。
実際に、若者が信じることができるのは肉体だけだ。
運命を信じるためにジョーンズは走っていたわけだろ。
他の道を選ぶためには走るのをやめればよかっただけだ。
女は目の前にあるものはすべて運命かもしれないが、男は肉体にものを言わせて実現させてきたのだ。
「話が合わない」
そこから運動部か文化部の違いが生じる。
力が出せないのならばお金について考え直す必要がある。
男はお金にしたがって体を動かしていたし、その時に覚えたポエムの探求にその後の人生を費やすだろう。
女たちは若者の体を見て、そして中年のおじさんの「言葉」を聞いていた。
男がお金に誘導されているという意味では年相応のものだったし、女の道もお金に引き寄せられていた。
体を鍛えていない男は、どのみちお金にしたがった生き方をどこかで見失っていた。
「現役引退」「戦力外通告」などの人生の転機においても「どのみち生き方は変わらない」とされるのが「女学」なのである。
マリア崇拝における「プロデューサー」と「犠牲者」モデルを知っているだろう。
体を鍛えて女学に向かったプロデューサーと、お金に吸い寄せられた女である「犠牲者」のことだ。
のんとプロデューサー。

うまく操られる(マニピレートされる)ことを知っている女だった。
プロデューサーを見てみろ。黒人ではないな?
セックスしか頭にないわけではないんだ。
プロデューサーの「女学」に聖母マリアが犠牲者として操られるために現れているのだ。
「このように心を変えてみようか?」
このようにして女はソネットを学んでいた。
女は「演じる」ことを友達作りでも用いた。
適当に体を鍛えて果実を実らせていた中年の方が得をすることも分かった。
もはや「新世界」に馴染めないほどのめり込んではいなかったのだ。
志半ばでフィジカルトレーニングを断念していたやつの方がむしろ新世界においては志があった。
「もしも運命というものがあるのなら」
そう思いながら美女との仕事を楽しんでいた。
すべてに妥協してきた男は、聖母マリアに何も語る言葉を持たなかった。
プロデューサーは、若いアスリートに伝わりやすい表現を女の子に語らせた。
クライアントもプロデューサーに語ってほしいことがあったから金を流した。
すべての男たちが「体を鍛えるという夢」を途中で断念していたのだ。
チキンゲームを降りた男たちが美女を愛する世界だった。
能年玲奈。

弁護士になること、医者になること、経営者になること、これらの意味をミドルエイジとしてひたすら考えていた。
毎日の出来事を「この立場で」解決していたのだ。
力なんてみんな変わらないよ。
部活を終えて帰ってきた若い連中に伝えたいことだけがあった。
適当に妥協して生きている者同士の組合みたいなものだろう。
「我々は昔の自分に対する思いやりなどない」
そう言える男こそが今を楽しんでいた。
「若者よ、将来の自分への覚悟をしておけ」
進路変更することをためらってはならない、しょせん「女学」を学ぶ世の中だ。
しかし、体は作っておいてくれ。

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