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Foreign Affairs

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2017年8月26日 (土)

宗教団体の考え方の違い。

私のブログは哲学を背景にしていて「キャッチオール」(全員の心を掴む)ことを志向しているが、各教団の生い立ちの違いをここにまとめておきたい。

日蓮宗。
ロータススートラ(法華経)の意味
ロータスの花というのは最も美しい花であり、それを語ったスートラが法華経だ。
たとえ世界が汚染されていても白い花を咲かせる。
それは真理ではなくとも不朽のものであり、結局、仏教はそこに収斂して行くものと考えられた。
ブッダが、インド北部の山で8万人に囲まれてロータススートラを唱えた時に、世界で8万人だけが光に包まれた。
これがロータススートラの意味だ。
立正安国論
日蓮が北条時頼に献呈した書物だが、内容は、旅人と先生の対話だ。
旅人が世の中の天変地異への不満を先生に語る。
先生は法然の浄土宗を批判した。
旅人は「法然を批判して殺された人を大勢見た。お前も気を付けろ」と言う。
先生は「間違った法が跋扈した事例は中国で山ほどある」と主張する。
旅人は「仏教は複雑すぎてよく分からない。有名な経典を引用してくれ」と言う。
先生は好きな部分を引用する。
結局、立正安国論のテーマは「天変地異と正しい法」を語った書物だと言っていい。
ロータススートラの記述は興味深い。
ブッダは自分の乗り物を三つに分けたのだ。
「弥勒」「菩薩」「弥勒菩薩」の三つに分けた。
この三名と山で語り合ったのを8万人の人間が聴いて「光に包まれた」と言う記述がある。
結局、ブッダの教えは「インドチベット」「中国・日本」「南伝」の三つに分かれているのだから日蓮がそのように理解していても不思議ではない。
以下にスタンフォード大学の研究を書いておきました。
「インド・チベット仏教の倫理」
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2011/07/post-4bab.html
竜の口の処刑
1271年9月12日に日蓮は裸馬にまたがり、鎌倉に向かった。
これは軽犯罪であり、自らの退路を断つ行いだった。
八幡神社に至り、日蓮は叫んだ。
「八幡大菩薩!お前は本当に神か?伝教大師がお前にロータススートラを教えた時になぜわからなかった?今、日本では私が最も忠実なロータススートラの実践者だ。私には何の過ちもない。私は、沈みかけたこの国を救うために真実を主張している。モンゴルがこの国を侵略しようとしている。お前は天照大神とだけでやっていけるのか?ロータスの集会を思い出せ。インド・中国・日本から仏陀のもとに聖なる者たちが集まったではないか。今すぐ天照大神に頭を下げるか別の方法を考えろ」

周囲の人間は「あいつは頭がおかしいのか」「正気ではないのではないか」「いや、神聖なものを感じる」と語りあった。その日の夜に、日蓮のもとに衛兵が突入し、日蓮をとらえた。そうやって由比ガ浜に連れて行かれたのだ。
日蓮は「鷹に襲われる人や猫に襲われるネズミ、財産を盗んで処刑される人しかいないこの場所でロータススートラのために死ぬのは私だけだろう。かねてから予感していたことだ」と言った。彼のために周辺の住民は泣いた。彼のために祈ったものは逮捕され投獄された。日蓮のために泣いている子供に日蓮は言った。
「仏陀の法のために死ぬのだから泣くな。笑ってくれ」
そうやって竜の口の刑場に日蓮は連れて行かれたのだ。
竜の口刑場での出来事
日蓮は自分が殺害される茣蓙の上に座った。
その時に唱えたのが「神聖な名前」である「南無妙法蓮華経」である。
これは「神聖な名前」であり、「法華経」ではない。
その時に何が起きたかは周知だろう。
処刑は停止され、混乱の中で、幕府側に議論が投げ返された。
僧を処刑した歴史があるのか?
手続きは適正だったのか?
死刑に値する罪なのだろうか?
そんな中で、北条時宗が権力を奪い、日蓮を救う命令を出した。
幕府も民衆も、頭にあったのは「モンゴル」だけだったのだ。
庶民や幕府は「深刻さ」と「欲望」と「出口がない」という三つに要素があったから日蓮のために泣いた。
頭にあったのは中央アジアやインドを支配したモンゴル帝国であった。
モンゴルの侵略におびえていたから日蓮があった。
日蓮はロータススートラで「仏陀のもとに日本や中国やインドから聖なる者が集まって会議をした」という記述に注目していた。
このロータススートラの記述こそがモンゴルから日本を救うと考えたのだ。
「南無妙法蓮華経」というのは「神聖な名前」であって、処刑されそうになった時に日蓮が唱えたものだ。
このへんを混同してはいけないようだ。
私は、日蓮が法華経に注目したのは、モンゴル帝国に対抗するためにインド・中国・日本の「仏教連合」を構想したのだろうと考えている。
これはあくまでも「史観」であって、不都合な記述に目をつぶってはならないが、研究者の研究に委ねたいと思っている。
文永の役を退けたあとの日蓮の人生は平和に満ちていた。
身延山に上り「まるでここはインド北部で人々を集めた山のようだ」と語った。
「妙法蓮華経」という神聖な名前は「私はロータススートラに避難します」という意味だ。
ロータススートラは中国の南学大師が常に携帯していたもので、「世界に目を向ける」という思想を描いている。
聖徳太子は「南学大師の生まれ変わり」とも言われ、南学大師(Hui-ssu)の研究と切り離せないのだ。
外国の情報を基盤にしたのが日蓮である。

浄土宗・浄土真宗。
浄土真宗セクトは、明治時代に宗教界独占を狙って「神道は宗教ではない」といったんだけど、その思想的基盤は「聖徳太子カルト」なんですよ。
聖徳太子崇拝が親鸞の思想的基盤なんです。
浄土真宗セクトは本地垂迹という立場だ。これは聖徳太子を神と位置付けるために唱えられている。
皇室の流れと仏教の流れから生じたものだ。
聖徳太子の研究を深めたのが親鸞であり、天皇の次男の研究と信仰からカリスマとなったのだ。
専修念仏という思想は阿弥陀仏陀の名前を唱えるものだが、この簡素に集約された思想が末法思想を背景に一気に広まり、比叡山の嫉妬を買った。
比叡山はもともと念仏を唱えるという思想を始めたところだが、この「専修念仏」の弾圧を後鳥羽天皇とともに行ったのだ。
親鸞はこの専修念仏の弾圧を回避するために聖徳太子に注目したとも言われる。
朝廷とのつながりを必要としていたのだ。
親鸞を語るうえで「末法」は欠かせない。
末法とは仏陀の入滅から時間が経ちすぎると人々が悟れなくなるのではないかという思想だ。
この思想が、比叡山の僧が秘技を用いて資金を得ていることなどの現状から広まり、親鸞が阿弥陀仏陀に頭を下げる理由になる。
親鸞は、48回頭を下げるときに18回目だけに集中して深く頭を下げることなどを提唱している。
聖徳太子は「観音」の化身とされた。
法然の念仏カルトも弾圧されたが、親鸞は「天皇家の次男」としての聖徳太子をカルトにすることで念仏カルトの弾圧を防いだのかもしれないね。
浄土真宗は「太子信仰」を基盤にしているのだ。
親鸞の夢
親鸞は個人的に原体験をもっていた。
六角堂に百日間滞在した時に聖徳太子の夢を見たのだ。恵信尼の夢も見たとされる。
そのあとに法然の念仏カルトに帰依している。
六角堂で見た夢がのちに聖徳太子カルトとして浄土真宗の核心を形成していくのだ。
太子信仰の歴史
平安時代は、後期に入って権力構造が変わった。
地方に荘園ができて武士がそこを資金源に台頭してきたのだ。
寺は皇室を資金源にするようになった。
仁和寺などは、皇室を支持し、アンチ藤原を標榜した代表格だ。
藤原道長は、自分を聖徳太子の化身としている。
この頃から太子信仰はあったようだ。
頼朝が鎌倉幕府を作った時には、頼朝も「聖徳太子の生まれ変わり」と言っている。
武士にとって聖徳太子は権力の正統性に関わる存在であり、それは天皇の次男としての立場にとどまらず、彼の作った十七条憲法が権力腐敗を戒める強烈な意味をもったからだ。
鎌倉の大仏は「菩薩観音」「聖徳太子」「聖武天皇」の意思で作られたと位置づけられた。
荘園ができて、武士が出てきて、「聖徳太子」という正統性を必要とした連中がいたんだよ。
聖徳太子がなぜ「仏教の父」と呼ばれるようになったかというと「カルマの法則」と「本正話(ほんじょうわ)」について語ったからだ。本正話とは「ブッダが生まれ変わる前の話」という意味だ。この話を聖徳太子は行っている。
本正話について書いておきたい。
ヒマラヤボーイが悪魔の掌の上に落ちて、マハーサットバ王子が飢えた虎の上に落ちて、両者が似たような姿勢をしていて仏陀として生まれたという話なのだ。
聖徳太子は、うまやどの王子という名前は知られているが、宮殿の南ウィングで推古天皇の職務のすべてを代行したために「上宮太子」とも言われている。
実は「虎」というのは「本能のままに生きた人」を意味するし、
「悪魔」=閻魔大王というのは「権力を利用して部下を顧みずに天上界に戦争を仕掛けては敗北する人」を意味します。
ゴータマはお父さまとお母さまをそのように見ていたのでしょうか。
専修念仏というのは「念仏を唱えるだけで悟りが開ける」という思想だ。
仏陀が入滅してから時間が経ちすぎるともはや悟りが開けないのではないかという末法思想を背景に阿弥陀が愛したピュアランドで念仏を唱えればその土地に生まれ変われるという思想が広まったのだ。
空海は「大日如来の語った言葉を唱えれば悟りを開ける」と言ってお経を唱えさせたが、念仏というのは「自分が今いる土地に生まれ変われる」から唱えるという違いがあるのだ。
五木寛之の「親鸞」も読んだんだけどね。
「浄土」(ピュアランド)の解釈がちょっと違う。
現在生きている土地のことを「浄土」と言って、その土地で念仏を唱えればそこに生まれ変われるという思想が親鸞の思想だ。
そういうあたりから議論しないといけないだろうね。
「浄土往生」とは「今いる場所に生まれ変わる」という意味なのだ。
人が死んだら「南無阿弥陀仏」といって「俺はこの土地にとどまるよ」というのだ。
法然上人の死との向き合い方について書きたい。
我々は死ぬときには悪魔に魂を売り渡してでも生きたいと思うだろう。しかし、そのあとに平穏が訪れ、阿弥陀仏陀が深く頭を下げて、ファーストランクの扱いで船に乗せるだろう。
そうやって浄土に導かれると法然は説明した。
この「浄土」というのが「我々が今まで生きていた土地」と親鸞は言っているのだ。
法然上人は、子供の頃に母に言った。
「私は生まれ変わって栄光に包まれる宿命だ。父の言いつけもあって比叡山にのぼらなければならない。
朝起きて夕方に生活は高揚する。これがすばらしいことだ。
親に感謝することはいいことだけど、自分の名前を永遠にすることはもっといい親孝行だ」
法然の母は、夫の忘れ形見である法然の言葉を「合理性を失っている」として、床のわきで泣いた。
修行のために作られた寝苦しい寝床だった。
母は息子が比叡山に行くことを認めたのだ。
法然は言った。
「あなたは自分の将来すらわからないでしょう? 他の人の将来なんてなおさらわからないよ。
座ってみなさい。そんなことすらわからないのが人間なんだよ」
法然の語る言葉に理があったからこそ、日蓮の立正安国論で旅人は先生に「法然の悪口を言っていると殺されんぞ」と言っているのだ。
法然の言葉を書いていきたい。
法然がなぜ比叡山にのぼれたかというと、僧「寛学」の紹介状があったからだ。
紹介状には、天台宗の元弘あてに「文殊の聡明さと偉大さの肖像をここに送る」と書かれていた。
自力と他力
念仏を一度か二度唱えて念仏だけで救いを得ようとするなら「自力」だ。
何千回も唱えたり、たった一度でも心を込めて唱え、阿弥陀の救済を得るなら「他力」だ。
この区別を法然は行っている。
法然は、魚を食べると浄土に行けないのではないかという議論にも答えを与えている。
彼は「猿は魚を食べない」ということに注目し、猿は猿として生まれ変わるとした。
そこで、やはり念仏という神聖な名前を唱えると浄土に行けると論じたのだ。
念仏を唱えるということは「阿弥陀を信頼する」ということだ。
他の仏陀や菩薩があなたに慈愛に満ちた頭を下げてもそれは一方的だし、あなたが頭を下げるのも一方的だ。
つまり、阿弥陀を信頼してさえいれば他の宗派とは関係をもたないとしたのだ。
法然は、経典のページをめくるたびに「阿弥陀」のことしか頭に入らなくなった。
寝ても覚めても阿弥陀のことが頭にあった。
仏陀が入滅してどんなの時間が経過しようともひたすら阿弥陀にすがろうという発想につながり、他の宗教のあらゆる実践を捨てて念仏を唱えたのだ。
「南無阿弥陀仏」というのは「ああ!阿弥陀仏陀。私を救ってください」という意味だ。
法然は、みんなが唱えている念仏を唱えれば、自分だけが特別だという感情がなくなり、傲慢さが消えて、罪が消えるとしたのだ。
そうすれば、自分が今いる場所に生まれ変われるよと言ったのだ。
我々は他人からの賞賛や名声を望みがちだ。しかし、都会を離れた小さな場所に案外住んでいるものだ。
お寺を見てみよう。
寺のまわりには見栄も何もない惨めな花がたくさん咲いているはずだ。
他者からどのように見られようとも、そのように咲いている花を見ればおのずと往生の秘密が分かると法然は言った。
哲学を背景に女子会に参加する男という政治の基本が浄土宗・浄土真宗だね。


Nennbutu



禅宗。
禅の修行僧は、座禅を組み、自分の足を「Here and Now」(女性の左右の胸)の上に設定する。ここはどれだけ遠く広いのか、今はどれだけ長いのかを感じる。そして、現実に対する誤解や偏見を視野を広くして感じるのだ。「今」は­記憶や予見という広さを持つし、「ここ」は自分の感覚でわかる。ここと今を肯定できるのならいいが、否定するのはあまりにも人間的すぎる。水やまきを肩で担いで修行する。
「座禅を組んで何を見るのか」
ゼロ時間・ゼロ空間で「底のない地平」に身を置き、何の映像も見ない。そういう境地に自分の鋭敏で、かつ鋭敏でない感覚へ高めていく。そういう状態の瞑想状態になるようだ­。

「禅」とは人間の完全性を目指したものだ。叡智を求めた仏教は、日常生活のストレスや葛藤を経験したのちに、座禅を組む。
目に見えるものではなく目に見えないものの中から何かを見出そうとするものであり、心と体が「二つではない」さらには「ひとつですらない」という境地に至り、「第三の見方­」を探求する修行であると言える。
「Here and Now」(ここと今)をためらいのない叡智とともに瞑想によって感じることを「悟り」と呼んだようだ。
日常生活や自然を経験した週末に「心と体の平穏」によってそれを受け止めてみてはいかがだろうか。不安やストレスを感じた時に禅を組めば人間はまっすぐかつ平穏に物事に取­り組めるようになる。
倫理的受け止め方、差別の無い知恵、仏陀が感じた悟りなどを座って瞑想することで味わう。
これは「自分を豊かにすること」(修業)であるとされる。
呼吸の回数を数える「数息観」。公案を与える方法。あるいは只管打坐(Just sitting)。
公案というのは「知恵だけでは解決できない問題」を与えて文化的歴史的長さを感じ、エゴの自意識を忘れる方法だ。白隠が17種類の公案を考え、副題を含めると3千種類にな­る。
公案は①到達すること(理知)や真実の実体(発心)、②言葉の発音と瞑想、③通るのが難し問い(難答)、④日常生活の経験への洞察。⑤悟りを通じて仏陀の境地にいたる。
「特別な伝達」「言葉に頼らない」「心に直接到達する」「ブッダに到達する」という四つのモットーがある。
曹洞宗の只管打坐は「エゴによる関心」「欲望」「関心」などを忘れて悟りの渦中に入る方法をとる。「次第に悟っていく」あるいは「静かなる幻想」とも言われる。
臨済宗も曹洞宗も目指すところは同じだ。
哲学が「理性の王国」を作る営みだとすれば、禅は間違いなく「反哲学」であるといえる。
哲学がエゴを使って真理を探究するのに対して、禅は超越論的主観と命、己の存在を使う。

「心と体」の「二つではない」ということを知る。
「二つではない」ということをひたすら探求する。
「思考もイメージもない世界」
「何もない世界」
その中で「何かを見る」ということ。
ここと今。
「ゼロの時間とゼロの空間」
「時間と空間の統合」
「その中で何かが現れる」

女の胸という人生の後悔、つまり哲学を迷走するのが禅だね。


詳細は「スタンフォード哲学百科事典~日本の禅の哲学」
http://plato.stanford.edu/entries/japanese-zen/

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