日本の女。
暑い季節、寒い季節、そして泥の匂い。そこには何もなかった。
それが日本だったのだ。
和辻哲郎は1928年にヨーロッパ留学を終えた後に日本という国を改めて考えてみた。
泥の中で遊んだ、この純粋な経験以外には何もなかった。
キリスト教や仏教や儒教がこの世界を取り巻いていた。
男の人生ばかりを語り、本当に女というものを顧みるものもいなかった。
学のないものから女は遠ざかり、学歴社会となった。
洪水、梅雨、台風、竜巻、地震、噴火。日本人は食べるとはどういうことかを考えざるを得なかった。
生まれ、愛し、死ぬ。
そういう国では「人生を無為に過ごす」しかなかった。
災害の話ばかりされると人間は努力をしなくなるのだ。
ライバルを蹴落とすためには災害の話をするのが一番よかった。
そのような国で、季節に合わせた服を着て、食べて、家に住む、それが人生だったのだ。
ロマンスかくれんぼ。
災害の話をして他人を蹴落とす、そのことを「人間」と呼んだ。
小さなグループを作るために「連歌」というものも生まれた。
仲間がいなければ歌も作れなかった。
人の発言にちょっとディストーションをかけて笑っていたのだ。
ホームグラウンドには「何もなかった」のだ。
人を助けることしか求められていなかった。
「人間存在」つまり、ホームグラウンドではひたすら他者をもてなした。
組織は個人を否定し、個人は個人を否定する。
「分かる」とはそういう意味だった。
「私のことなど分かるわけがない」
そう思った時にどの宗教も受け入れることができた。
泥の匂いのするところで遊んだ子供時代、それ以外、成長していなかったのだ。
日本語を話すやつ、そういう奴には「努力が足りない」という臭いがプンプンしたのだ。
和辻哲郎は、ヨーロッパ大陸を経験してそう思った。
生い立ちが虚しいのは分かっていた。
だから外国に憧れたのだ。
春色のエアメール。
日本国の「西洋の学習」は、1945年から1975年まで行われた。
しかし、1980年代にそれは「危険なエリアを超えた」とされている。
全体主義的に「アメリカ合衆国」をみんなが見始めたのだ。
あれだけ大げさに語っていた「神国」はもはやそこにはなかった。
鎖国の解体は1980年代に行われていったのだ。
どんな宗教の嵐が吹き荒れても、日本という国は、最後に思い出すのは「子供の頃の泥んこ遊び」であって、そこには男女の区別がなかったのだ。
その「泥んこ遊び」を日常会話で話せるかどうかは力量というものだね。
とにかく、アメリカを体現した暴君やアメリカファシズムが台頭するのは1980年代に分かっていたことだった。
日本人が愛し合う限り、それは宿命だったのだ。
日本という国が何になろうとしているのかは常に見ておかないといけない。
rebecca moon.
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