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Foreign Affairs

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2017年6月15日 (木)

聖子女。

学問が女の探求に向けられると1960年代には、女の話は吐き気がするから男の話をした方がいい」という機運が高まった。
1960年代から1970年代にかけて「誰があなたの先生なの?」ということが問われたし、争われた。
松田聖子 ハートをロック。

1990年代には「女戦争」が野放図に展開されて、日経平均株価は大幅に下落した。
女たちはパンツを見せながら歩いたし、男たちは男らしさを見失った。
松田聖子が完全に忘れ去られた。
男らしさの議論が止まったため「歴史の終焉」が語られたのであり、何かの到達点に至ったという意味ではなかった。
ルーズソックス。

「本当に偉大な先生って誰なの?」というビッグシステムが争われた。
男らしさを見失ったらジャニー喜多川が先生か?池田大作か?
男たちは戦争状態に突入したのだ。
「どの役割を演じればいいのかが分からないんだよ」
先生を選ばなければ人生が終わるというのに無責任な先生しかいなかったのだ。
先生たちが「俺は違う世界の住人だ」と言って俗世の問題から逃げたからだ。
批判に耐えうる力量がなかったのは認めざるを得ない。
戦いの伝統を先生たちがもはや見ていなかった。
時代の悩みを受け止めるキャッチャーが哲学者だったが、それを学ぼうともしなかった。
どの先生も「お笑い」に逃げた。
女子たちはそれを敏感に察知して性が乱れたのだ。
「ハーバードやスタンフォードに自信の源があるらしい」というのも噂の域を出なかった。
野茂英雄がメジャーに挑戦した時にアメリカ合衆国が全く理解できない現状を悟った。
宇多田ヒカルも本場で通用するのか分からなかった。
そんな空気の中でアメリカ合衆国が「もっと我々をオープンにしよう」という決断を下したのだ。
クーンやポパーが仕掛けたことだった。
「日本にもいいキャッチャーがいるな」というあたりを見ていたのだ。
青春アミーゴ。

静かに、冷静にアメリカ合衆国を開放しようという動きとなった。
日本国の哲学者(キャッチャー)が疲れ果ててしまわないようにゆっくりとその動きは始まった。
「日本の学問というものはめんどくさくないか?」
それも踏まえて一番よく理解しているキャッチャーを狙ったのだ。
「その時、松田聖子が復権した」
俺は男前だ、と言い放つ自信満々の中年男の登場だった。
イケメンとの仲は決して良くはなかっただろうが、醜い中年男を尊敬するイケメンもいたのだ。
「新しい祝福のムーブメント」と呼ばれ、男らしさがふたたび語られるようになった。
先生たちの争いも大勢が決したのかもしれない。
中年男は、胡散臭くはなかったし、多少毒を吐いたぐらいでは怒りもしない俗世の男だった。
「これがアメリカ合衆国なんだよ」
公然と学問を語ったのだ。
「カントがスマホを持っている」とも言われた。
「東京が女の研究を深めている!」とハーバードの女性教師もその動きを恐れた。
西洋社会はいまや日本国の前には自分たちを大げさに語り、さもすでに知っていたかのように日本国のムーブメントを分析していたのだ。
マリオネットの涙。

しかし、それでも日本国はアメリカ合衆国のMSRPプログラムの監督下に置かれているだろうと主張された。
文化は非常に成熟した日本国を中心に「誰が主導権を取っていたのか」という論争に形が変わった。
日本国にはすでにセックス崇拝は根付いていたとされMSRPは、この議論においては敗北したとされる。
しかし、「歴史を取り戻そう」とした業績だけは高く評価されなければならない。
ヘーゲルが女のからだをアニメで描いたのだ。
欧米の恩恵だけは認めなければならない。
欧米か。

1965年にクーンが、サイエンスとは女の研究のことであるということを確立した時にロンドン会議を開き、「我々を受け止めなければ歴史というものが消滅するだろう」とされた。
MSRPプログラムは、そのプロジェクトの「ベルト地帯」を求めていたのであり、本来、松田聖子は1980年代の優等生だったのだ。
その効果として「男たちの先生が分裂した」という経過をたどった。
なかなか問題の解決には至らない指導者が目立った。
はじめからクーンとポパーという二人がいた世界だったのでその後の分裂は見通すべきだったかもしれない。
大した見解も持たずに「俺が男らしい」と言っただけで学派が分裂する世界だったのだ。
1989年にはローデンがMSRPプログラムの解消を確認している。
しかし、1971年にトルミンが「女の研究の進化の方法」を環境として整えていたのがのちに役に立った。
環境として精神医学の場を設けていたのだ。
キャンプベルもハルも、トルミンが設けた精神医学の世界を生きることで、むしろ「歴史の復権」の機会を虎視眈々と狙っていたのだ。
一方で、左翼の方もメルトンなどが女に詳しい連中を増やそうと考えていた。
唯物史観と呼ばれる立場に立つことで、女の研究が深まることから歴史というものを生き生きと描こうと考えたのだ。
1970年代ニューウェーブは左翼が主導したものだ。
大河ドラマでも女を描いたりしたのはニューウェーブの影響の方が強いとされる。
MSRPプログラムとは異なる形で、精神医学と左翼の双方から「歴史の死守」が試みられることになった。
女たちとどれほど多く接する機会があるかはこの二つのフォーラムしかなかった。
アカデミズムは解消されてしまったのだ。

女の研究のルートを確立したらようやく「男らしさ」に関する問いかけがなされたという図式だ。
「男らしさって何?」
「男らしさって発見し極めるものなの?」
「MSRPの言葉を知らないと男らしくないの?」
「女たち全員が認める男らしさってあるの?」
「普通の男の能力を超えていて仲間はずれにならないの?」
「女に詳しくなければ男らしくないの?」
「男らしさを決めるのは女たちの楽しみではなかったの?」
「男は自然体が楽なんじゃないの?」
「奥さんさえ大事にしていれば男らしいんじゃない?」
「社会人ならばいいんじゃない?」
「歴史上の人物と照らし合わせることはできるの?」
「歴史上の人物がやったことがわかっている人っているんじゃない?」
「女の研究が爆発したから女の子たちは抵抗したのではないかしら?」

(松田)聖子女とは、歴史上の男が大好きな女たちのことだった。
イエスキリストがやったことが1960年代のドイツで学問として確立して以来、「歴史に名を残す男はみんなこのようなことをやっている」ということが分かったのだ。
カントやヘーゲルがドイツで確立していた「歴史観」には19世紀にはランケも共鳴していた。
「ただのエッチなおじさんじゃない!」
「でも、人生に前向きな人ね」
イエスキリストを正確に理解したのはしかし1960年代のドイツだった。
すべての男のおちんちんに歴史を与えよう、口説き文句ならば男が考えよう、そのあたりが歴史上の人物の特徴なんじゃないか?男に明日の可能性を感じるの?
また明日、新しい話をするの?歴史は混乱しているようでいてエッチな人間がやっていることを知っているの?
決断するのにも女たちの支持が必要なことを知っているの?
歴史は夜作られるという言葉の意味を誤解してはいないかしら?
フリーセックスというオックスフォードの宿題はこなしたの?
歴史を顧みる「神の目」は持ち合わせているの?
昔と今を比べるのはフェアではないことを理解しているの?
学問の側にお金を払わなければならないことを知っているの?
力さえ集めれば「強い決断」なんて必要ないことを知っているの?
誰が美しい女を味方につけるか分からないことを知っているの?
「これが歴史に名を残す男の課題だとされたのだ」
松田聖子 天国のキッス。

アメリカ合衆国においては「先生たちの争い」はもう終わったのだ。
人生のドツボで寄ってくるのは女だろ。
そして、渡されるのは聖書だろ。
みんな何かを悟ってもらいたいからなんだ。
侘しい女が「私を知ることよ?」と語りかけてくるんだ。
アカデミズムの側は、精神医学と左翼を交えたHOPOSを1990年代に立ち上げた。
精神病院に有名女が集まってきて、労働者もそこにはいた。
HPSというグループもあればPHSというグループもあった。
彼らは男らしさの探求ではなく「女とは何か?」を克明に記すという営みをやったのだ。
レポートは全部マックスプランク研究所に送ったのだ。
そこが色々と判断していたようだ。
女のことを書き記すと地位が高まるだろ。
「新カント派に影響されなければ生まれない発想だね」
マックスプランク研究所にはアインシュタインの知識もあるんだ。
ここまでまとまった「聖子女」の歴史観にもいろいろと批判があるのは事実だよ。
松田聖子 小麦色のマーメイド。

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