最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

« 百恵女。 | トップページ | 環境女。 »

2017年6月18日 (日)

共謀罪女。

トマッソ・カンパネラはガリレオと出会った。
その時に望遠鏡を見せてもらったものと思われる。
望遠鏡による覗き。

ドミニカ修道院に所属したカンパネラは「セックスもしていないのに牢屋にぶち込まれている人がいる」と指摘した。
共謀罪を認める必要性の原点はここにある。
高貴な人間が政治活動を行い、女たちと話しているだけで危険人物とされて牢屋に入れられていたのだ。
「無限の学問ができないではないか?」
ここに共謀罪を認める必要性があり、時代の学問とにらみ合いながら考えていく問題だった。
妻を守るため、そして暴君を戒めるためのものなのだ。
セックスの監視がなされるのは事実だろう。
しかし、モテモテ王子がセックスしてもいないのに牢屋にぶち込まれていることをどう考えるんだ?
まるで国が女たちの桃色吐息を監視しているようだった。
高橋真梨子 桃色吐息。

王子の無限の知性を支持するためだったのだ。
身分の「高さ」と「低さ」、右と左によって反応が全く異なるのが共謀罪であり、答えは出ない議論だった。
あえていうのならば「あなたは王子を愛せるのか?」という軸しかなかった。
王子が愛せない男たち。

俺たちの「灼熱の天国」を覗かないでくれ。
王子の知性なんてどうでもいいから。
自由にホテルに泊まらせてくれ。
冷たいからだを温めさせてくれ。
男たちは必死で叫んで共謀罪に反対した。
セックスしているときの男は純粋なんだよ。
アニマルだとは思わないでくれ。
しかし、「男にはセックスだけではなく日常があるでしょう?」と批判された。
セックスしていない王子に無実の罪をきせないための法律だった。
知性に満ちていて、男らしいだけの理由で王子が牢屋に入れられたのを見たのでしょうか?
女たちはこの議論の核心部分を理解していないようだった。
王子でもなんでもなく、セックスしまくって、監視されるのが嫌だと叫んだものもいた。
共謀罪。山本太郎。

フランスが一番魅力的な国だ。フランスのいうことさえ聞いていればいい。
ヨーロッパではこのように言われているが、日本国もアジアでそのような国になろうとしているのだろうか?
しかし、共謀罪に反対する男たちは「書斎で富を生み出す」という王子を信じていなかった。
王子は「人を刺せば血が流れるだろう」という「当たり前の復讐」を共謀罪によって行ったのだ。
「人間を壊すのはこんなにも簡単なんだ」
トマッソ・カンパネラはこのような発想でウェストファリアの前夜のフランスという国を用意していた。
「真実の海」をもはや我が国は学習している。
本でいくらでも読める。
魅力的な国が外交に強いんだ。
1600年にフランスは共謀罪によって「偉大なターニングポイント」を通過したのだ。
「これで王室は国民のために働ける」と思ったし、これで「太陽の町」が数多くできるだろうと考えた。
太陽の町においては女や子供はおもちゃではなくなっていた。
我々の国では「名誉」がモノを言うのだ。
王子が君臨する太陽の町にはすべての知識が存在するはずだ。
君が代。

ときには俺たち私たちの人生までも変えてしまう王室を強いものにするために、無実の王子を守らなければならない。
それほど国王というのは暗愚で身勝手なものなのだ。
「一人の無辜を見逃したくない」
この発想はフランスからスペインにまで伝わった。
カトリック国とは外交力があって、大人たちが子供の偏差値に一喜一憂して、娘たちの初体験のために祈る国のことなのだ。
「国の女たち」に風俗嬢は含まれなかった。
そういう時期が来た、という判断で共謀罪というものを作ったのだ。
「カトリック国には神はいない。夫が神だとは思えない」
ドイツがそのように語ることがフランス男にいい刺激になった。
やはりプロテスタントはカトリックと共存できるということをドイツとフランスの国境が示していた。
まるで日本国は中華人民共和国と一線を画したかったかのようだ。
愛が止まらない Wink.

ロマンティックな部屋で月を眺めていたら、カンパネラはローマやナポリで投獄された。
スペインでは素晴らしい待遇を得た。
それほど、ヨーロッパの様々な国で「共謀罪アレルギー」が見られたのだ。
スペインは少子化を克服したし多くの「新世界」を作っただろ。
1964年にアメリカ合衆国においてベルが「いちばん安定したカップルの状態」であるとしている。
しかし、アメリカ合衆国においては「実験の域を出ない」「カップルの非対称性を理解していない」とされた。
Wink 背徳のシナリオ。

ベルは「高エネルギー物理学」の研究において結婚やカップルの安定感を確認した。
しかし、1967年にコーチャンやスペッカーが「ラブストーリーは突然に」始まることを指摘した。
隠されたパートナーの可能性は量子力学の世界で探求され、カトリックの世界に持ち込まれた。
カップルの発信力の観点からも、周囲のみんなが認めるカップルという観点からも、なかなか「1組のカップルの永続性」は確認できなかった。
シュレディンガーは、恋愛と結婚は別のスポーツという方程式を確立していたし、思春期の孤独や病んでしまう側面を指摘していた。
複雑な世の中で男女のくっついたり離れたりの研究は量子力学の世界で展開されたのだ。
そこには「セックスの快楽」という要素を計算に算入しなければならなかったのだ。
ラブストーリーは突然に。

カップルのどちらかがスピンを始めると不安定になってしまう。
もはや対等でもなく、どちらかが壊れていく様がみられた。
1964年の「ベルの不等式」を考えると「本当に共謀罪の枠内でカップルは治るのか?」が指摘された。
スピンを始めた男女のどちらかがいればもう片方は孤独を感じるだろう。
そのようなときに必要なのがキスであった。
ベルの不等式は、アメリカ合衆国のカトリックに衝撃をもたらした。
「不等式なのか」
広い農場に住んでいるカップルでしか成立しないのではないか?
80分に一回、顔を合わすカップルというのは確かに存在する。
1982年のロジャーや1992年のアスペクトのように量子力学の観点から社会全体のカップルの動きを研究する手法は引き続き行われた。
「共謀罪を見ていると量子力学を眺めているようだ」
やさしいキスをして。







パートナーがキスしたり胸を揉んだりするだけで「他のパートナーの可能性」を求め始める。
都会ではなかなかカトリックという発想が根付かないのだ。
最後には「フォトン」の研究までやった。
壁の向こうのノイズが気になって仕方がないことがわかった。
女や男の「暗数」だけが壁の向こう側にあった。

« 百恵女。 | トップページ | 環境女。 »

スタンフォード哲学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/439553/70897040

この記事へのトラックバック一覧です: 共謀罪女。:

« 百恵女。 | トップページ | 環境女。 »