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2017年6月13日 (火)

モデル女。

美しさは我々の人生の重要な一部分である。醜さも同じだ。
美しい女とのセックスを強烈に志向したのは20世紀のことだ。
18世紀の「強烈なピューリタニズム」は、モデル女とのセックスこそが気持ちいいとしていたが、カントの議論が20世紀になって蒸し返され、スタイルの良さよりも「男女の違い」が明確であることに気持ち良さがあるのではないかと激しい議論が展開された。
「女らしいこと」「有名女であること」
この二つが気持ち良さの原因であって、スタイルや顔の美しさではないはずだとされた。
女らしいというのは美しいということと関わっているし、「子供らしい」ということとも深いつながりがある。
モデル女が男まさりだったら気持ちよくないだろう。
おちんちんは「美しさには興味がない」という反応をするよ。
「あわよくば」美しい方がいいという反応もしていない。
「その女に興味がある」から気持ちいいのだ。
このことはモデル女にべらぼうなお金を払うという愚かな真似をしないためにも知っておいた方がいい。
指原莉乃CM.

男は自分のためだけではなく、すべての男を代表してその女とセックスしているという側面がある。
女が様々な誹謗中傷を浴びるような女だったらモデル女のようにスタイルが良くてもセックスはしないものだ。
キャナリーワインのように人々から褒めそやかされているから気持ちいいと感じるのだ。
我々の人生の途中で出会った女とセックスしていいのかは自分なりの学問にしたがって決めている。
女が守ろうとしたものを奪うというのも気持ちがいい。
「精子が汚らしい」と思っている女から「奪う」という表現がなされるのならば相手はモデル女でなくても構わないだろう。
美しさというのは、男と女の間で擦れ合うものでもあり、社会でも様々な「こすり合い」がなされているものだ。
他の女が「綺麗な人ね」というのも社会でのこすり合いなのだ。
男女の間だけでなく、社会レベルでセックスの気持ち良さというものは作られている。
キャナリーワインはそれを踏まえた上で「守ろうとする」から奪うのが気持ちいいのだ。
「すべての男を代表して」奪わなければ気持ちよくはない。
それはセックスの普遍性というものなのだろう。
渡辺麻友 大人ジェリービーンズ。

俺はキャナリーワインを飲んだけどお前は飲まなかったのか?というのも気持ちよくない。
口説き落とす天才はみんな平等でなければならないし、すべての男を代表して「奪った」のでなければならない。
そのような女が「美しい」というのならば美しいのだろう。
美しさは快楽となるだろう。
しかし、それは「守る」ものであって、社会が決めるものでもある。
男が思い切り「感じる」美しさの秘密はこのあたりにありそうだ。
女の「汚らしさ」すら女の考え方ひとつで異なる。
汚らしさすら「より女らしく」表現する女がもっとも気持ちいい。
ハート型ウィルス。

モデル女は、「より守ろうとしていた」という意味ではおっさんたちは金が釣り合わなかった。
モデル女の真実は「守る」ことにあったのだ。
しかも、モデル女は「心と体の違い」が明確だった。
間違いを犯したこともあったし、心は悔いが残ってもからだだけは美しいままでいてくれた。
これが、快楽主義で失うものを少なくしてくれた。
心は汚れても変わらないものはあった。
美しいからだはまだ素直な反応をしてくれる。
「心と体の違い」に頼ってしまうほど女は半分だけ純粋になれた。
男のおちんちんは美しさを目指してはいなかったのは事実だ。
中森明菜 1/2の神話。

モデル女はからだに頼りすぎていた。
男が感じる「法」を先輩から引き継いでいたのだ。
「条件さえ整えば」「最高の男だと思った」
このような理屈で男にからだを許していたのだ。
「心とからだは違う」これは女の基本でもあった。
中には「俺の立場を保障してくれる女ならば美しさにこだわらない」という男もいた。
おちんちんが美しさを目指していないことを端的に表現した男だ。
ニーチェは、このことを正確に理解していて、美しさと欲望は区別していたね。
カントは「守る」ということに意味を見出していたのだ。
森三中 大島。

そのような議論を経た上で、セックスとは恋愛の一部分であるという方向に議論は進んだ。
デートしたり話をしたりするパートナーの間で行われるものであるとしたのだ。
セックスが気持ちよければパートナーの発信力が高まる。
近代においては「パートナーの発信力」は生活と関わる問題だったのだ。
近代に入ってからモデル女のような「美しさ」が恋愛に味方するようになった。
おちんちんが目指したものとは異なる「生活」があったのだ。
美人が得をするのは気持ちいいからではなく、近代カップルの発信力があってこそだった。
男の縦社会にも似た、女の格付けがなされたのは発信力の問題と割り切るしかない。
気持ち良さとは異なる議論だった。
男は「美しさの醜さ」も見抜いていた。
20世紀になって、女たちが「発信力」を背景にサークルを作った。
男たちのおちんちんは決して美しさに反応していたわけではない。
しかし、生活の問題となり、また、女に興味を持ち続けるためにも女たちは自分たちのサークルを作るという展開をたどった。
指原莉乃。


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