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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2017年6月

2017年6月29日 (木)

セックスレス女。

セックスレス女は、男が射精の快感に酔うことを理解しつつも、セックス政治やワンちゃんを可愛がることに興味が移り、自分自身はセックスをしない女のことを言う。
恋は楽しむものの、セックスというものを知り尽くしているためにそれが目当てなのではない。
エルムの木(ペニス)が世界をつなげていることを理解し、自分はひたすら「恋と仕事」に没頭するのだ。
アームチェアーに腰掛けながら、男のノイズと自分が感じる痛みによって「恋」という感情が芽生えるのを楽しんだ。
セックスレス女は己というものを知っていた。
パートナーとキスするだけの日常があるだけでも楽しめたのだ。
出世だのセックスの快楽だのいう女を一歩下がって見ていた。
辛島美登里 恋も仕事も。

「なぜセックレスなの?」
それは男を冷静に見たいからよ。
自分の周りの「男たち」という風景を眺めていたいから。
しかし、自分もプレイヤーになろうとは思わなかった。
知識が昔とは変わってきたのでしょうね。
地球は双子よ?セックスする私としない私、いじめられる私といじめられない私。
どちらも快楽は同じでしょう。
セックスするからいじめられるのよ、女は。
水に酔っ払うようにいじめに酔うのとセックスでよがるのは同じ意味なの。
チコリもエンダイブも同じ野菜のことだけどイギリスとアメリカの違いを示している。
セックスサークルのプレイヤーとそうでないことは常に考えておかないとね。
「女の子がいじめられたら私に相談に来るわ?」
いまさらセックスサークルに戻ろうとは思わないの。
中森明菜 セカンドラブ。

キスするだけのパートナーも常に「必要とされる男」だった。
いじめは水に濡れたように陰湿だった。
水は女心を見失わせるものよ。
水を見つけたものは歴史に名を残すし、いじめの存在も歴史の現場にあった。
しかし、女は水がなくても生きていけることを知った。
男が殴られるのも冷静に見ていた。
水が原因なのよね。
これに対して、たとえセックスにはいじめがつきものだとしても「乾いた地球」ほどつまらないものはない、との批判がなされた。
なんて空虚な世界なんだろう。馬にツノが生えた(男が勃起した)世界から身を引くのか。
そんな世界には満足できないという女の方が多かった。
セックスレス女はユニコーンと出会うことはないだろうと指摘したのだ。
しかし、セックスレス女は「男性の言葉ならば山ほど知っているわ?」と主張した。
女は男の噂を信じているのでしょう?私はその男がどのくらいのものなのかわかるのよ?
女に理解できる話(ワラント)とそうでない知識があるの。
ワラントだけが男の器ではないの。
ワラントはセックスの話ばかりよ。男社会ってそれだけではないでしょう。
ワラントだけで解決できることの限界をいずれ知るでしょう。
私はそれを知っているから「セックスは陰湿なもの」と言っているのよ。
私と男のツーショット写真を見て見なさい?
隣の男はワラントすらデフォルトを起こしているの。
男社会の話なんて知るわけないでしょう。
ワラントは伝達力が強く、その間違いもわかりやすい。
女は「強いワラント」だけ聞いて生きているものよ。
セックスの快楽だけを求める女はワラントにしか興味がない。
日本の大学のお勉強はワラントではない現状があるの。
そういう男は優しくないでしょう?
私はそれも含めてパートナーとはキスするだけの関係を維持しているのよ。
女が経験でわかることをワラントと呼ぶけど、お互いにセックスレスになったパートナーもそれ以外の人生の楽しみを見つけていた。
河合その子 緑の少女。

海で腰を抜かしたの?
言葉を失ったでしょう。
男の方が強いということがわかったわね。
だったらセックスレスの私の気持ちもわかるはずよ。
セックスが好きだった女もだんだんその回数が減っていった。
すべてのセックスを覚えていたし、だからこそそれにともなう陰湿さも覚えていた。
一通り経験して見なさい。
彼氏がどれだけの嘘をついていたかも知るでしょうね。
SPEED I remember.

セックスレスはいいわよ?
周りの女の悩みなんてもはやSFみたいなものにしか思わないから。
「激しく燃え上がったの?」
その意味もわかるようになるわよ。
人生に敗れたら思い出にすらならないの。
セックスレス女はそのような話もアームチェアーに腰掛けながら聞いていた。
「随分ジメジメした話ね」
次に何が起きるのかわかるわよ。
すべてのセックスは覚えているもの。でも負けたことは忘れるもの。
中島美智代 思い出にもなれない。

2017年6月28日 (水)

死にたい女。

彼が生きていると、今後私に危害を加えることが分かっている。
そんな時に「彼に死んで欲しい」と思うことがある。
そのような女は「セックスしか頭にない」とされている。
瀬能あづさ I miss you.

もやは彼が社会で戦う力がなくなったとして彼が死ぬのを助けていいのだろうか?
愛し合った途端、彼が力を失っていったの。
私は愛というもので神を見失った。
彼が法を知らなかったからでしょう。
ギリシャやローマの時代には「男の命は守られなければならない」などとは誰も思っていなかった。
20世紀から21世紀にかけて「命の尊さ」が語られるようになったのだ。
16世紀のトマス・モアなどは「生きることの苦しさ」を語っていたほどだ。
1970年代にオランダで「医者が患者の命を意図的に奪うことはやめよう」というムーブメントが起きた。
オーストラリアの北部では医者が患者を簡単に殺していたが、1997年に議会が「そのような話はメルボルンに持ち込まないでくれ」と議決した。
1997年のオレゴン州、2009年のワシントン州、2013年のバーモント、2008年のモンタナ州などでは「命の安さ」が問われたが、ワシントンDCも「そのような話は首都には持ち込めない」としていた。
権力から遠いことが問題となっていたのかもしれない。
「むやみに女を愛する男は権力から遠い」という意味だったのだろうか。
沢田知可子 会いたい。

病気が末期的であること、耐えられない苦痛があること、患者が「殺してくれ」と言っていること、医師が適切な技術を施すこと。
これがアメリカの命の重みだろうか?
アルツハイマーには苦痛はない。
このような死に関する医学の現場や権力者たちの意識は、確実に恋愛の世界に「死」というものの意味を問いかけていた。
恋は苦しいのか?
渡辺満里奈 八月、最初の水曜日。

苦しみを分かち合うという意味では、病気仲間と恋愛サークルの仲間は似ていた。
みんな死を恐れていた。
愛が重荷になることが分かっていたのだ。
医学テクノロジーが進化して、「もはや死んでいる」人も生きることができるようになった。
もはや医学は人の死を助けることはないだろうとされた時に、恋愛の苦しさだけが残された。
男が死にたくない理由は「常に二人の女が周りにいる」からだとされた。
rebecca trouble of love.

病院にはモルヒネも用意してあったし、いつでも助けを求める用意がしてあった。
このような「医学の現場の死生観」が、女たちの「死んだほうがマシ」という言葉の「死」という意味を表現していた。
オレゴンのホスピスで終末期医療の場において簡単に人を殺しているあたりが「権力からの遠さ」を意味しているのだろう。
池田綾子 三日月。

自分が死期が近いことを告知されていない人もいる。
「もう社会で戦う力がない」ことを知らないのだ。
そのような人が「死にたい、死にたい」と言っても、本当に死の意味を理解しているのか、ちょっと苦痛がマシになっただけで気が変わるのではないか?などの注意が必要だ。
【男は二度死ぬ。射精して死ぬ。死ぬとき死ぬ】
Complex majestic baby.

自分の「死」は、あくまでも戦った結果起きたことだとする人もいた。
目的はボールにあったし、仲間の支持もあったし、女たちの直感からも非難されなかった。
聖書にもとづいて「人々のセックスを不快なものにさせなかった」という点が重要だ。
ネイマール ケガ。

延命治療を「もうこの辺でいいだろう」と言って打ち切ることもある。
カトリックが最近、これを認め始めたのだ。
愛が長続きしないことを容認することにつながりかねない。
命と愛の問題は常に隣り合わせだった。
杏里 オリビアを聴きながら。

「ヒトラーは簡単に人を殺す」という話を聞いて神を見失ったのはオランダだった。
売春宿の女たちは権力からも遠く、命も軽かったからだ。
「簡単に人を殺す権力者」に簡単に怯えてしまう女たちがいたのだ。
大塚愛 chulip.


いずれにせよ、病院には本当の「死」があったし、医者たちはそれと向き合っていた。
そこで、世の中の「死にたい」「死んだほうがマシ」「死ぬわけじゃあるまいし」「ぶっ殺すぞ」という用語の意味もすべて病院が定義していたのだ。
身近なところでは「栄養と酸素」が命と関わっている。
しかし「神を信じられなくなる」ことにも命が関わっていることがわかる。
熊木杏里 君の名前。

私(小野光太郎)は、父方の祖父が産婦人科医で、母方の祖父が外科医であり、父は内科医であった。
家の中に「命の軽さ」というものが定義されていたであろうことは想像に難くない。

2017年6月27日 (火)

宮廷女。

宮廷サロンの老婆(宮廷女)は、セックスというものが富の分配を意味することも理解していたし、優しさこそが女が本当に欲しているものだと理解していた。
アンナカレーニナにおいてはカレーニンに優しさが足りないことや、それでもお金を持っていることから宮廷女はアンナの危険な情事を眺めていたのだ。
松田聖子 赤いスイートピー。

背が高くてお金を持っていて争いごとを好まない、このような男をローマ法は作り出していた。
他人とどのように接するべきかを心得ていて、女からも何かを引き出す力量を持っている男がいれば政府は緊急時のための食料備蓄などの心配をしなくて済む。
ヒュームはどうしても女を知りたかった。
人と人の間を横切るためには女を知らなければならなかったからだ。
女に詳しい男こそが、他の男をどのように扱うかを理解すべきだった。
男の子はマンガから学ぶしかないよね。
「これで俺たち私たちの食料は安泰だ」と思えるような男ならば女とのセックスをサードパーティも祝福するものだ。
お見合いの席で周囲がカップルを祝福することをジャスティニアンコードと呼ぶ。
しかし、マンガはそうでない構図を作っただろ。
「我々の社会の食料の安定を歌っている」
すべては彼の責任だというメッセージを込めたのだ。
お見合い相手と結ばれたのでは社会のメンバーとして生きていくのは難しいのではないかしら?
このような問題提起を女の側から行ったのだ。
女とは交換可能な通貨であった。
お見合いの結果、果たして円高になるのかしら。
それはお見合いの意味を決める指標であった。
松田聖子 kimonoビート。

他人の能力をカンニングして、それを返さない、それならばカンニングされた男はよっぽど社会から必要とされたのだろう。
しかも、それで成績が上がったのならば「誰が必要な男か?」が分かるためカンニングもあながち批判できないだろう。
他の男の能力ではダメなんだろ?
アリストテレスは生徒たちのカンニングをこのように眺めていた。
カンニングされて「俺の時代は終わった!」と思っている男を女たちはよく見ていた。
よっぽど男としての力があるのでしょうね。
時代が終わってうなだれていたら「抱かれたい男ナンバーワン」にもなった。
人生は危険なコイントスだと思ったよ。
国が終わるとみんなが思った時に宮廷女はこのような男を見つけてくるんだ。
周囲に能力を撒き散らして、男はお見合いの席から女を奪っていた。
初体験かそうでないかという議論は確かにお見合いにはつきものだね。
すべてのパイをとった男ならばお見合い成立させてしまばいい。
松田聖子 kimonoビート。再び。

男って比べることが可能でしょう?
でも学歴とかを考えると「もはや彼しかいない」と思うことがあるの。
アカデミズムの世界って説得力があるのよね。
これが「噂の人」の射精ね。
私の胸に刻まれた彼の言葉がそのまま彼のお給料になっていた。
私が彼の生活の糧だと知ったの。
低きものが高みに上がる、聖書の教えは私がよく知っていた。
女の長話を聞いたら生活のコツから何から教えてくれた。
いうことをたまに参考にしていればいいんだ。
女たちは長話を聞いてくれた男とのセックスに快楽を感じた。
「私は動物ではなかったの」
エロ動画なんて女は動物にしか見えないでしょう?
でも、私は彼に私のことをよく知ってもらっているの。
私が人間であるために私のことを知って欲しかった。
私のことをよく知っている男性を他の男と比べるわけがないじゃない。
瀬能あづさ ふたつにひとつ。

ロールズは「セックスしてお金をもらう」ことを最も大事なことと考えていた。
しかし、露骨な動画しか見ていなかったのかしら?
どんなシチュエーションでキスをしたとか、胸を揉まれたとか二人の物語はいろいろあったはずよ。
金持ちにからだを売って若い男に貢ぐ?そんなトリクルダウンが起きるほど女は単純ではなかった。
男と女は恋愛市場で複雑に交差しているけど、私のことを知っていてくれる男の重要性に気がついた。
どこで出会った二人なのかは重要な議論だ。
出会い系という個人レベルのものから学校や職場まで出会いの場はある。
国が応援してくれないのは出会い系ね。
国が応援してくれたカップルだと言いたいのは事実よ。
学校や職場では男の給料の方が高いことが想定されるために結婚が応援されていた。
結婚相談所を作ったのはJSミルだけど「演じなければならない」ことが分かった。
しかし、演じることは「最高の喜び」をセックスの時にもたらしたのだ。
結婚相談所の問題点は「他の女でもよかったのかしら」ということと、「私の話を聞いてお給料を増やしていたのではなかった」というあたりかな?
一人の女を大事にしないであら捜しをするのもよくないわね。
私の過去を気にしたりして案外、後ろ向きな側面もあるわ。
瀬能あづさ I love you.

そのようにして、女たちは学校や職場などの「国が応援してくれる」出会いの場に戻っていった。
しかし、ロールズは校長や社長の下での恋愛はサディズムマゾヒズムだとしてインターネット時代のあり方を模索していた。
ガウシアーは、男がお給料を増やしたいという願望を出発点にすべてを組み立てた。
男女が、勝ったり負けたりの恋愛をすればいいとした。
男がチョキを出すのならば、女はずっとグーを出し続けるのではなく、パーを出すことも許される。
これが、恋愛における男女のあり方であり、縄張り争いであり、自然に勝ったり負けたりを繰り返してお互いを知るようになるとしたのだ。
ロールズはしかし「エロ動画の感動」が忘れられずに、どの女も同じという発想を捨てきれなかった。
スキャンロンは「私が見たことのない世界を見せてくれる男」に魅力を見出した。
みんな「エロ動画のようなセックス」という意味では平等ね。
しかも、セックス政治がキリスト教の伝統でしょう。
でも、世の中には仲間がいるし、所属もある。
出会い系などのインターネットで出会ったカップルは根無し草のような出発点に立たされる。
「女ならば誰でもいいの?」
常に男に問い続けなければならないし、話を聞いてもらわなければならない。
浮気をされないためにも必要なことだった。
タンポポ Be happy 恋のやじろべえ。

2017年6月26日 (月)

AKB女。

女が純潔を守ることを男が容認することがある。
なぜそれは男性的なものなのであろうか?そして、女はそのことに満足できるのであろうか?
「誰も入ったことのない領域を作り、男たちに考えてもらいたい」
これがカントの言った「実践理性」であり、より意味のある女のからだのことだ。
若き乙女は常に実践理性を身につけていて、男の子たちに宿題を与えていた。
男の子たちは悶々とした日々を過ごすことになった。
願い事の持ち腐れ。

カントは彼女たちを政治コミュニティに流れ込ませた。
ロールズなどは「彼女たちの文化はつまらない」と語っていた。
しかし、彼女たちにとって「誰がお友達なのか?」という指摘を受けて、ロールズもこの議論を諦めてしまった。
チンピラみたいなのを取り巻きにしている女がいいのだろうか?
それはもはや「男たちの問題」ではなくなってしまった。
女たちには友達が必要だったのだ。
マジスカロックンロール。

「男たちは結婚というものをどう思っていたのだろうか?」
カントの「純潔じゃなければお嫁にいけない」という理論はしかしハチソンやヒューム、アダムスミスに圧倒されてしまった。
それでは女の子にとって「いつ」経験するものなのだろうか?
それは「読んでいる少女マンガと男らしさ」次第だった。
女の子が自分で判断できること、そして周囲の環境に祝福されたこと、このことを見ているのだ。
これを「実践理性の定言命法」と呼ぶ。
女の子が自分で判断でき、そして周囲の環境に恵まれた、このことは「構成要件」とも呼ばれている。
それがなければAKB女は、あっという間に孤立するだろう。
彼女たちはもはや政治コミュニティの人間だったからだ。
ロールズはこのような構成要件論を否定しただろ。
「初めての男には必要ないもの」と考えたからだ。
しかし、「女の子が自分で決める」という発想は周囲の環境に確実に良い影響をもたらした。
「カントは女の子の初体験から刑法を考えた」
しかしそれは法律のようなものに過ぎなかった。
お先に失礼 おニャン子クラブ。

男たちの自由競争は激しいものだった。
しかし、「騙すと仲間が減るよな」などのことは学んだ。
女の子は間違いを嫌っていた。
より男らしくて法律に満ちた男が良かったのだ。
孤独な男を憎んでもいた。
時には国際法の理解力も試した。
「処女と童貞」を望んだのではなかった。
デタラメ女の国際法に詳しい男を初体験の相手として選択したがったのだ。
教会法は、孤独と法を知らないことに罰を与えただろう。
教会で罰を与えられるような男は嫌いだった。
少年マンガは、ひたすら男たちを導いでいたはずだ。
「人間らしい瞬間が大事だね」
自分で決断できる男は素晴らしかった。
河合その子 恋の秘伝。

このことを受けて、マンガの世界は「人間とは素晴らしいものだ」と生き生きと描けるようになった。
マンガに比べたら現実の女のからだは有限だった。
そこで、おのずからパートナーは決まっていったのだろう。
「自分のために努力する」これは男の子が学んだ。
寛大で認め合うことを知っている女をたまたま「男を知っているからだ」と呼んでいたのだ。
ヒュームは「男を拷問する女は男を拷問する男を知っている」とした。
そのようにしてヒュームはAKB女からは身を引いたのだ。
アリストテレスは「生娘がメンバーにいるといろんなものが治まるよな」としていたに過ぎなかった。
それでも「法律のようなもの」と考えており、カントほどダイナミックには語っていない。
生娘には感謝していたけどね。
伊豆の踊子。

しかし、やはり「王子」に生娘はふさわしいのではないか?とホッブスは語った。
見識を広く持って接する必要があったし、生娘は間違ったことは堂々と主張してくれるという効果もあった。
メンバーにいると仲間も集まってくる。
スキャンロンはセックスではなく「日常」に目を向けたのだ。
デビッド・コップは、そのようなAKB女に対して社会が何を言うのかを注意深く見ていた。
彼女を攻略するのは学問の集大成のように思えた。
従来までは、踊子一行の姿が「絵になる」ことに気がつかなかったのだ。
「彼らは何を話しているのだろう?」
本当にアメリカ合衆国が関心を寄せたのは21世紀になってのことだ。
生娘の前でボクシングをやるかプロレスをやるかの両者が分かれた。
どちらかの発想次第で仲間も変わってくるのだ。
まあ、AKB女はプロレスとたいてい仲がいいね。
しかし、実際は「真剣勝負」で男の子がびっくりするような結果を出してしまう効果があるのだ。
なぜ女の子のために頑張れたんだ?と聞いても「ただやっただけだよ」と男の子は答えた。
大人たちが決めたルールで勝つことが男の子にとって大事だった。
なぜならばそれことが刑法を守ることであり巨大な多数派を作る方法だったからだ。
恋するフォーチュンクッキー。

カントが描きたかったものを川端康成は描いた。
このことから吉永小百合の伊豆の踊子の冒頭の講義はカントから始まっている。
しかし、学生さんが悶々とする姿で描かれているように、「生娘がいるグループ」がいつ崩壊したのかは明確ではないと批判された。
学生さんはもはや政治的強者としても生娘がいなくなったことに寛大にならなければならなかっただろう。
グループは、お互いに愛することと世話をすることを続けていかなければならないのだ。
ここ30年間、ローマ帝国の崩壊とも言える娘に男ができたという問題とアメリカ合衆国は向き合ったのだ。
伊豆の踊子。

2017年6月25日 (日)

デタラメ女。

安全保障や貿易を考える上で「日本人女の言っていることすらわからないのに外国人女の言っていることはなおさらわからない」という観点は指摘していい。
この安全保障や貿易の腕を磨くのにちょうどいいのが日本の「デタラメ女」である。
国は安全保障や貿易の問題から、外国の「デタラメ女」を手懐けたら国家レベルの問題とみなすだろう。
彼女たちはもはや国際レベルで正統性を持っていて、「デタラメ女」の言葉の感覚を理解することはもはや国際法であり、セックスの国境を越えることである。
チェコスロバキアは、これを理解できない男たちによって国を割ったし、ナチスドイツとソビエトはポーランドを分割した。
「デタラメ女」の言葉の感覚を理解することは外国語の能力を磨く上でも必要なことだったのだ。
これはもはや国際法でもあり、本国の承認もなく外国の「デタラメ女」と話をすると罰すら与えられる。
領土の割譲とも関わる問題なのだ。
外国のデタラメ女が言っていることを本当に理解した日本人はおらず、本当に手懐けたらそれは大規模な暴力に匹敵する。
ノルウェーは、1905年にスウェーデンから独立している。
カナダからのケベック独立も同じ意味だった。
独立するためのお金はデタラメ女と話ができる男が引き出していたのだ。
デタラメ女は「国にわかってもらえない怒り」を持っていた。
セックス目当てで男と関わり40歳も過ぎたら言うことは全部ウソとなっていたし、普通の人には理解困難な論理を展開するようになっていた。
「もはやこのような女を行政需要として拾いきれない」
ここに資金の秘密があったのだ。
ケベックはその潤沢な資金でカナダ最高裁に独立を認めさせている。
カナダはケベックが離れていったおかげで緊縮財政を免れている。
デタラメ女が懐いている。
これがケベックのリーダーの姿だった。
ribbon Be my diamond.

石をパンに変える。それは女に関する書物を読むことだった。
そこには金も暴力もあったのだ。
結婚したらこの政治手法を取るのは難しいかもしれないね。
しかし、デタラメ女といかにセックスをしないかが大事なんだ。
デタラメ女を参考に書き記したものはそのまま自分の領土となるだろう。
ミロシェビッチが本当はこれがうまかったんだ。
コソボを破壊する力を持っていた。
国際法においては神はいなかった。
女に関する知識において国同士は非対称的だったのだ。
すべてのグループが「デタラメ女をしたがえることができるリーダー」を探していた。
富の生み出し方も国ごとに非対称的だった。
金さえ生み出せば、知らない連中は虐殺の対象となったのだ。
国際社会の正統性さえ理解すれば、あとは国境線の画定の問題となった。
これを恐れたアメリカ合衆国は、日本国の大学から学生を追い出してしまった。
三浦理恵子 日曜はダメよ。

どの女も社会で同じように発言したかったのだ。
政治というよりも「政」であった。
政が分かっている男はグループEに配置され、死のグループと呼ばれた。
ワールドカップからとっくに分離独立していたのがグループEだった。
トレーニングが違うのだろう。
カナダ、ベルギー、スイス、アメリカ合衆国においては「デタラメ女」が多かったね。
これらの国は「ケベックの発信力」に注目していたのだ。
「ゆっくりな女」もそれを興味本位で読んでいた。
デタラメ女から聞いたことを発信する男の言葉を読んで、女たちはパートナーとのセックスを楽しんだ。
「なんで国境線は動くんだろう?」
答えは戦争にはなかった。
デタラメ女をいかに理解するかだったのだ。
正統性を領土におよぼそう。
そうでなければ国際社会においては生き残れないのだ。
デタラメ女の話を自分たちの言語で楽しむことが必要だった。
ribbon 佐藤愛子。

デタラメ女を利用して国境線の向こう側を「飼う」というアプローチは、19世紀のナショナリストであるマチーニによって考えられていた。
「我々の論理が国境線の向こう側に通じる」というのは自信でもあった。
国によっては見失っているものがあるのだ。
ヨーロッパにおいては「性の経験の多様性」は危険なものだった。
そうでなければ「政治参加」が成立しなかったのだ。
ヨーロッパでは存在することが許されなかった「デタラメ女」が日本では許されたのだ。
しかし「国の個性」というものがより共産主義的になっていた。
ヨーロッパ各国においては、なかなか革命的なことは起きなかったが、文化を描くと「救済マネー」が得られた。
安倍なつみ 一人ぼっち。

国境線まで決めてしまう「デタラメ女」の存在が戦争法に用いられないわけがなかった。
出征兵士の残された妻が厳しい監視下に置かれたりした。
デタラメ女と国境線の問題を理解しなければ生まれない発想だった。
ヨーロッパ各国が植民地においてデタラメ女の存在を許したのは「支配」するためだった。
グループGにはそのような植民地を置いた。
荻野目洋子 恋してカリビアン。

2017年6月24日 (土)

愛犬家女。

アルベルトザグレート(アルベルトゥスマグヌス)は、ドミニカ修道院の傘下におさまり、アリストテレスの「男女の共同作業による恋愛」を探求したが、いじめの存在を弟子のトマス・アクィナスに教えたり、
「そこには動物はいないではないか?」ということを指摘した。
後藤真希 晴れた日のマリーン。

人間の百科事典は完成に近づいていた。
男たちの前にはもうやるべきことはないのかな?それほどの勢いで男女の関係に関する論点は埋められていった。
中世キリスト教社会が見たのは「ワンちゃん」だった。
男の学問に無頓着だったのは犬だろうか?妹だろうか?
男が二人っきりでディルドーを見せただけで女が拒まないことまで分かっているのに、女に逃げ道はないのだろうか?
アルベルトザグレートの業績はここに存在する。
もちろん日本国における哲学実験を踏まえて「今から思えば」という研究ではある。
実際にワンちゃんというものを人間が顧みたのは20世紀に至ってからである。
しかし、愛玩動物というものを考えた最初の人物はアルベルトザグレートだったことは間違いない。
どのレベルの男かは分からないし、どこまで女に詳しい男かは分からないけれど、時代の頂点は完全に女を圧倒していた。
「本物のエリートだったらもはや女に逃げ道などない時代なのよ?」
女に逃げ道を作ってやる営みを「スピリチュアル」と呼んだが、ワンちゃんもその一環に位置付けられる。
いじめられっ子には知性があった。
このことはトマス・アクィナスが語っているが、世の中にはペットというものがあるではないか。
カップルには二人の「敵の女」がいるとされたが、喧嘩の種を食べてくれるワンちゃんは確実に必要とされた。
知性に満ちた時代に無頓着な存在は安らぎもくれた。
頭のいい男は耳を塞ぎたくなるような真理を語るからね。
いじめって恐ろしいわよ?
とんでもない知的なモンスターを生み出すの。
しかし、女にとっては「それは嘘よ?」と言いたくなるようなことまで頭のいい男たちは知っていたのだ。
「真実を知りたくありませんか?」と言われても知りたくない女は確実にいた。
私が男を略奪しているということも彼の前では語って欲しくなかった。
何にも知らない犬は可愛さを増した。
手足がしびれると女が口にしただけで隠し子がいることがバレた時は特にそう思ったわ。
「学問の発展はもう止まらないのかしら?」
女は耳をふさいだ。
おじいさんたちもワンちゃんを愛したよ。
動物の王国を作ろうと思ったぐらいだ。
世代と腐敗の問題もワンちゃんが飲み込んでくれた。
「イエスは堕天使だからな」
しかし、イエスもぼんやりと木を眺めている年寄りを尻目に歩いていたし、そのことに気がついていた。
ワンちゃんや木がなければ俺の営みは女や年寄りに理解されないだろうな、と。
動物の王国とはイエスの知性が生み出したものだ。
野生の王国。

女兄弟がチヤホヤされる家庭においても、ワンちゃんは必要だった。
それはむしろ男兄弟にとって救いとなるだろうと考えられた。
女兄弟がチヤホヤされるよりも動物が可愛がられた方がいい。
それは男兄弟のお小遣いにも影響を与えたのだ。
お小遣いに困らなければ勉強も捗るだろう。
アルベルトが「グレート」と呼ばれたのは男の知性を伸ばしたことと、女に逃げ道を与えたこと、年寄りにも希望を与えたことが背景にあった。
宮沢りえCM.

全知全能というものがある。
男の最大限の力を言うし、神のことを言う。
巨大で四角い岩は全知全能の男に動かせるだろうか?
二人の全知全能の男は共存できるのだろうか?
両者ともに多数派工作を始めるし、女も政治生命を終わらせるために利用されるだろう。
多数派工作をしても蜂の一刺しで終わらせられるのでは全知全能が成立しない。
政治的弱者はひたすら「身体検査」に終始するものだ。
女を知らない男が「強者」と言えるのだろうか?
この問題が提起された。
「最大限の力」とはなんだろうか。
「洗練された方法で問題を解決する力だね」
才能と機会に恵まれなければならない。
全知全能の男が二人、共存できるかどうかは「才能と機会」が異なることから可能であるといっていい。
そのために「守備範囲」を決めているんだ。
サッカー日本代表。

腕相撲をやってしまうのは仲間づくりとしては好ましくない。
「負けてやんなさいよ。勝った方がいじめられるのだから」
三団体も四団体も王者がいた方が王者はいじめられなくていい。
全知全能というよりも「己を知っている」方が強いのかもしれないね。
男社会で強いのか?女にモテるのか?動物や宇宙に詳しいのか?
守備範囲の決め方はいろいろある。
三つの守備範囲が最低限あるのならば、いろんな男がピザをディナーに食べられることを意味する。
マッシュルームピザにするかガーリックピザにするかでも守備範囲は分けることが可能だ。
「一つの山に二頭の虎は住める」
これが答えなのだ。
周りの女たちの「回転を速める」男は常に守備範囲を決めている。
距離を置いて回転を速めていたのだ。
一方で、女たちの回転を遅くしてしまう全知全能の男もいた。
全知全能を「スピン(回転)」で測定しようという発想が物理学の世界で生まれた。
女とセックスしたら周りの女の回転は遅くなるだろ。
そのようにして男という神を見るようになった。
中国と日本。

ピラミッドのないイスラエルはエジプトに勝ったのだろうか。
四角い岩を動かした連中だ。
女が雨に打たれて勝ったことはあるよ。
セックスをどれだけ正確に理解するかだったね。
雪が降っても勝てるよ。
洪水が起きたら勝てないね。
文化とはそういうものなんだ。男をマンガにする努力が必要だ。やっぱり女のからだとメディアが優劣を決めるのかな?
ポップカルチャーの神である方が勝つんだ。
瞳はダイアモンド 松田聖子。

2017年6月22日 (木)

レイプ女。

アメリカ合衆国においては18.3%の女性が人生においてレイプを経験したとされ、42.2%が、それは18歳未満の時だと語っている。
彼女たちが重い口を開いたのはここ20年ほどの話だ。
昨年、女性一人が経験したレイブと認定される性行為は2.9回とも言われ、「子供の女を大人として扱うことの危険性」も指摘されている。
公園の暗がりから男が飛び出てきて武器を女に突きつけたというレイプよりも「顔見知りの男」によるものがはるかに事例は多い。
デートする仲だったり、親戚だったり、友達だったり、上司だったり、夫であることが多いのだ。
レイプされた女性のうち51.1%は「パートナーにやられた」と言っており、40.8%は撮影されていた。
エロい場面を撮影したらむしろ罰を逃れていた。
84%のレイプマンは無罪を勝ち取っている。
女は男の所有物という発想があって、女が純粋さを主張するとレイプされてしまうようだ。
松田聖子 ハートのイヤリング。

レイプされた妻はその後、女中のように扱われ価値を低めていたことも分かった。
被害にあった女性がそれを周囲に告白する事例は16%から36%に増えたが、5%の女性がそのことによって孤立していた。
「証明できないことなんだよ」という問題が常につきまとい、レイプ危機センターやホットラインが設けられるようになった。
「レイプマンは男らしい人が多い」ということから、レイプの告白は非常にリスクが大きいのだ。
「男らしさは家族の柱だったのではないか?」とも言われた。
人種の優劣や植民地支配の正当化のためにも弱い立場の女はレイプされていた。
ノーマルセックスを許さないのが男女の優劣というものだった。
日本人女性への質問。

口やアナルへのペニスの挿入や指やものの挿入では病気にならず、膣へのペニスの挿入のことをレイプと呼ぶ。
病気と関わる問題だったからだ。
女性が激しく抵抗するのは膣へのペニスの挿入にかぎられ、それ以外は抵抗していない。
同意が求められるのもこれに限られるのだ。
勃起した男を拒んでいるのであって、ディルドーには女はイエスと言っていた。
イエスとノーが食い違うのは勃起した男の感情を見ているからなのだ。
性的親密さがディルドーにはなく、YouTubeでも公表できる。
ディルドー。

「メンズレア」とは罪悪感のことであり、男の罪悪感がそのまま女を病気にしていた。
しかし、ディルドーを女は拒まないということを知っている男は敵を作るだろう。
女が信じているのは「ベニスの挿入」だったのだ。
「女が世の中と約束を結べないセックスがある」というあたりがレイプの問題だと明らかにされた。
男が本当に「容赦ない」のは射精につながる行為だった。
だからこそおちんちんがあるのにディルドーを所持している男を女たちは憎んだのだ。
ストーカー、暴力、レイプは女たちに憎まれる。
ディルドーを女は拒まないと言ってもこのどれかとつながるだろう。
ディルドーを紹介する女。

いちばんいいのはポルノ動画の真似をしたセックスだ。
それ以外は「ラフセックス」と呼ばれる。
「分かっている力は暴力ではない」
女であること、女の役割を否定すること、これがレイプである。
女は男の肉体に従属することを嫌がっているのであり、どのようなリアクションをすればいいのか分からない女の子特有の出来事をレイプと呼ぶのだ。
一昔前は「脳が呪いか祝福にアクセスしていればレイプではない」とされていたが、現在は、セックスは力で行うものであることからリアクションの方法が分からないセックスをレイプと呼ぶようになった。
しかも、「男が大勝利をおさめ、女が屈辱的敗北をする」ものを言う。
家の「父の力」は女たちも歓迎していた。
力のピラミッドの中を女たちは生きることに決めていたのだ。
「この段階の男があなたを愛している」ということが明確な方が良かった。
男に階層があるからイエスとノーのモデルが出来上がったのだ。
ノーと言われだ場合は女の沈黙と抵抗がないことをしっかり見極めなければならない。
歳を取っても出世しない男にはエイズの疑いもある。
ダメよダメダメ。

男は自分の配置が明確ではないと女に対して主導権が取れない。
修正13条によって奴隷は禁止されたが、女の子が自分は奴隷だと感じると神を信じられなくなる。
女が「もう神は信じていません」と証言するのもレイプの存在を確認する方法だ。
冬の微粒子。

本意ではない「力」が女に加えられたこと。
しかも、どのレベルから出てきた力かが分からないこと。
そこから「神を見失う」女がいるのだ。
レイプはセックスではなく暴力である。
しかも「情熱から出たもの」なのだ。
女たちからは「怒りや支配の欲望からくるもの」に見える。
男にとっては「セックスしたい、同意を得たい、しかし得られなかった」という側面がある。
セックスではなく暴力であるというのは女から見た考えとも言える。
「女として尊敬されていないな」という女の視点は尊重しなければならないだろう。
自分に価値がなく、鈍くなり、しかも死んでしまったような気がするのだ。
「演じていた女の姿を一方的に破壊された」という側面もある。
もう誰とも人としての距離を測れない、そんな状態になる。
「快楽を感じなくなった」「名誉を失った」さまざまな影響をもたらす。
御朱印ガール。

「快楽を感じなくなった」「名誉を失った」女はそれを取り戻しに何度も同じ場所を訪れることが確認されている。
また、レイプにともなう殴打などの暴力の危険性は指摘していい。
そこには家族も警察もいないのだ。
「失った」というトラウマがこのような女の行動をもたらしていた。
トラウマが日常の行動を決め、過剰なまでに「私は生きている」ということを感じようとする女がいるのだ。
レイプの被害者の91%は女であり、加害者の99%は男である。
「一度きり」では済まない問題となってしまっている。
レイプの有害性は、これらの「あとの問題」からも認められのだ。
男の「より強い態度」がエスカレートしていくのが分かっているからだ。
女がどんどん弱っていくのがわかるのだ。
レイプは過剰でもないし、性倒錯でもないし、偶発的なものでもないし、過ちでもない。
文化が定義するものであって「ノーマルなものではない」とし、男の支配力を見せつけるために、動画を見てむしろやる気を出す男もいる。
このような「レイプカルチャー」が存在する以上、女の側としてはレイプをヘイトカルチャーと呼ぶほかはない。
少年が犯された場合はその少年は「女らしく振る舞う」という研究もある。
いずれにせよ、レイプされた女の子には「誰とどこに行こうとしていたのか?」「お酒は飲んでいたのか?」などが質問されるためにレイプされていない女の子よりも「悪い子」というレッテルが押されやすい。
「書かれてはいない女の子の日常」が明るみに出てしまうのだ。
自分を守ろうという行動をとらなかったら自分を責めることにもつながる。
男女の「フェアなゲーム」が期待される。
ノーブルレッドの瞬間。

黒人奴隷の女は奴隷の子孫を残すために白人のおもちゃにされてきた。
しかし、セックスにおいては黒人男の方が白人男よりも危険性が高く、1930年代まで黒人男へのリンチが当たり前のように行われていた。
黒人男のロッドによがる白人女性という映像の普及にすべてを委ねるしかなかった。
人種差別をポップカルチャーで解消しようとしたのだ。
黒人女の攻撃性をテーマにした「ジャゼベル」というジャンルもあった。
マスメディアが黒人女性を「ビッチ」と呼んだ罪は大きかった。
胸や尻をそのような目で見られる羽目になったのだ。
黒人女たちは階級闘争のために黒人男によるレイプをもみ消した。
ネイティヴアメリカンも女を寝取られたら殺す慣習があったので危険だった。
それによってインディアン女は白人から守られていたという側面があるのだ。
一対一ならば男と女はディルドーについて語っても女は嫌がらないというのはレイプの研究から明らかになったものであるが、殺しの原因になることは知っておかなければならない。
ribbon 愛してジャスティス。

日本軍は第二次世界大戦において韓国女や中国女に性的サービスを行わせたし、シエラレオネの暴動の際には、女たちが反乱軍に多く誘拐され「ブッシュワイフ」と呼ばれた。
戦争による秩序の崩壊はそのまま「どのようなリアクションをしていいのかわからない」女たちを生み出し、レイプと認定された。
マッキノンは、家庭の妻を夫や兄弟に協力させて犯す、あるいは娘たちの目の前で母を犯すというオペレーションを明らかにしていた。
社会の「象徴的女」であるほど都合が良かった。
娘たちは二度と家には帰ってこなかったとされる。
セルビアは、モスリムやクロアチア人をレイプしていることを大々的にキャンペーンしモスリムもクロアチア人女もセルビア人の子供を宿すとしていた。
実際にボスニアには「小さなセルビア人」が多く生まれた。
社会が「酔っ払ってしまう」ことが一番危険なのだ。
「もうインディアンでいたくない」という感情を狙っていた。
爆裂お父さん AKB.

2017年6月20日 (火)

環境女。

本来、女同士の問題や、女と動物の関係、女と学問の関係を「環境」と呼んでいた。
しかし、人種やエスニックの研究が深まるにつれ、「外国人女は動物なのか?仲良くできるのか?」と言う方向に議論が深まった。
「女にもわかる学問」これが日本国の憲法の残された問題点だった。
伊調馨。

さらには「動物の生態」などのように動物を学問にしてしまう方向にも発展した。
「お勉強はできないの。動物の勉強は好き」
「田舎は水がきれいという話も好き」
【水】
それは女がもっとも興味を持つものだった。
南アルプスの天然水CM.

教会法は、セックス政治を教えていた。
女からみた「男らしさ」も語り合ったし、それは動物とは異なる側面を語り合った。
女のからだと感情、心と出身母体、文化と学問、融通のきかない男と自由な男、男らしさと女らしさを語ると動物ではないと思えた。
政治手法として悪口をあまり言わなかったりという、その男の「いい部分」を語り合ったのが1980年代から1990年代である。
1970年までは動物の扱いを間違っていたのが人間だった。
しかし、セックス政治においてそれを用いるという発想が生まれた。
うしろゆびさされ組。

さらには「自分の土地」に女性は楽しみを見出した。
土壌や水、植物そして動物などを含めたものだ。
ホモ・サピエンス特有の発想が「土地」だったのだ。
そこには、理解すること、愛すること、尊敬すること、崇拝することがある「土地共同体」が生まれた。
仲間意識があり、ともに助け合う共同体が好きなのはもはや「卵子」に由来するのだろうとされた。
しかし「娘」の存在がその理想郷の障害となった。
インディアンはバッファローを食べた。食べるだけでなくバッファロー対策で建築も決めたし、服装、言語、芸術、宗教が決まった。
しかし、アジアやアフリカには森があった。
森に入植するという発想があったのだ。
女はどの男に属するのか?激しく対立したのはアジアやアフリカだった。
高樹沙耶。

1980年代から1990年代にかけて「学問を相手に体を鍛える」というディープエコロジーが流行した。
文化と学問の対立が楽しかったのだ。
男性中心主義ではなく学問を男社会に持ち込めた。
それも教会法のセックス政治に含まれていった。
女性と学問が結びついた理由はここにある。
学問の中では小さすぎる自分がいたし、膨張していく自分がいたし、大きな心を持った自分がいた。
大きな心を持つと全てに勝てる気がする。
ロッキーのトレーニング。

1990年代中頃まで「学問が育む人間の性格」というものはあまり理解されていなかった。
女がひときわ輝くのが好きだったのだ。
抑圧があまりなかったからだろう。
この学問の中では一家の大黒柱にしたがえた。
性差別、人種差別、階級差別などの「イズム」は支配したけどね。
上下関係を決めるのならば男が上で女が下、文化が上で学問が下であるとも言えた。
文化は男が発信するものだったからだろう。
女性と動物と学問の世界にはありとあらゆる動物たちが存在し得た。
女性の搾取は女を動物にすることから始まっていた。
南アルプスの天然水CM.

「女の言葉」を聞いてみるといい。
彼女たちがいったい何を理解できるのかが分かる。
これが「女、動物たち、学問」の世界を構築するだろう。
文化が女を「動物化」「学問化」させているのであって、それはセックス裁判のことだった。
「蝶のように舞い蜂のように刺す」「鷹のような目」「ライオンの心」
女の心を掴むには動物をうまく使うことだった。
すべて「地球の子宮から生まれていた」
文化は学問より上に位置する。
それで富が生まれているんだ。
貧困と富に関しても女はうるさかったよ。
1974年にインドのレニで27人の女がチプコの12000平方キロメートルの森を守ろうという運動を始めた。
森には食料も燃料も家を作る木もハーブも薬もあった。
森の有効活用に関する知識はシエラレオネなどを知っている西洋社会にはかなわなかったけどね。
しかし、インドの女たちが「自分たちにも分かる学問を求めた」という点は評価できる。
女たちが学問から離れていくのを感じたからだろう。
「環境を敵に回すことはセックスを敵に回すことだ」
沖縄 ジュゴン。

【女性は金とセックスと医学以外に興味がなく、それをいかに学問にしていくかを本ブログは問われたのである。このことを環境問題と呼んでいるのだ】

日本国憲法の最後の問題点だと言える。
学校知においては「勉強をすれば偏差値が上がる」というのは完全にゲームとして確立している。
しかし「勉強と学問は違う」ということは理解していた方がいい。

2017年6月18日 (日)

共謀罪女。

トマッソ・カンパネラはガリレオと出会った。
その時に望遠鏡を見せてもらったものと思われる。
望遠鏡による覗き。

ドミニカ修道院に所属したカンパネラは「セックスもしていないのに牢屋にぶち込まれている人がいる」と指摘した。
共謀罪を認める必要性の原点はここにある。
高貴な人間が政治活動を行い、女たちと話しているだけで危険人物とされて牢屋に入れられていたのだ。
「無限の学問ができないではないか?」
ここに共謀罪を認める必要性があり、時代の学問とにらみ合いながら考えていく問題だった。
妻を守るため、そして暴君を戒めるためのものなのだ。
セックスの監視がなされるのは事実だろう。
しかし、モテモテ王子がセックスしてもいないのに牢屋にぶち込まれていることをどう考えるんだ?
まるで国が女たちの桃色吐息を監視しているようだった。
高橋真梨子 桃色吐息。

王子の無限の知性を支持するためだったのだ。
身分の「高さ」と「低さ」、右と左によって反応が全く異なるのが共謀罪であり、答えは出ない議論だった。
あえていうのならば「あなたは王子を愛せるのか?」という軸しかなかった。
王子が愛せない男たち。

俺たちの「灼熱の天国」を覗かないでくれ。
王子の知性なんてどうでもいいから。
自由にホテルに泊まらせてくれ。
冷たいからだを温めさせてくれ。
男たちは必死で叫んで共謀罪に反対した。
セックスしているときの男は純粋なんだよ。
アニマルだとは思わないでくれ。
しかし、「男にはセックスだけではなく日常があるでしょう?」と批判された。
セックスしていない王子に無実の罪をきせないための法律だった。
知性に満ちていて、男らしいだけの理由で王子が牢屋に入れられたのを見たのでしょうか?
女たちはこの議論の核心部分を理解していないようだった。
王子でもなんでもなく、セックスしまくって、監視されるのが嫌だと叫んだものもいた。
共謀罪。山本太郎。

フランスが一番魅力的な国だ。フランスのいうことさえ聞いていればいい。
ヨーロッパではこのように言われているが、日本国もアジアでそのような国になろうとしているのだろうか?
しかし、共謀罪に反対する男たちは「書斎で富を生み出す」という王子を信じていなかった。
王子は「人を刺せば血が流れるだろう」という「当たり前の復讐」を共謀罪によって行ったのだ。
「人間を壊すのはこんなにも簡単なんだ」
トマッソ・カンパネラはこのような発想でウェストファリアの前夜のフランスという国を用意していた。
「真実の海」をもはや我が国は学習している。
本でいくらでも読める。
魅力的な国が外交に強いんだ。
1600年にフランスは共謀罪によって「偉大なターニングポイント」を通過したのだ。
「これで王室は国民のために働ける」と思ったし、これで「太陽の町」が数多くできるだろうと考えた。
太陽の町においては女や子供はおもちゃではなくなっていた。
我々の国では「名誉」がモノを言うのだ。
王子が君臨する太陽の町にはすべての知識が存在するはずだ。
君が代。

ときには俺たち私たちの人生までも変えてしまう王室を強いものにするために、無実の王子を守らなければならない。
それほど国王というのは暗愚で身勝手なものなのだ。
「一人の無辜を見逃したくない」
この発想はフランスからスペインにまで伝わった。
カトリック国とは外交力があって、大人たちが子供の偏差値に一喜一憂して、娘たちの初体験のために祈る国のことなのだ。
「国の女たち」に風俗嬢は含まれなかった。
そういう時期が来た、という判断で共謀罪というものを作ったのだ。
「カトリック国には神はいない。夫が神だとは思えない」
ドイツがそのように語ることがフランス男にいい刺激になった。
やはりプロテスタントはカトリックと共存できるということをドイツとフランスの国境が示していた。
まるで日本国は中華人民共和国と一線を画したかったかのようだ。
愛が止まらない Wink.

ロマンティックな部屋で月を眺めていたら、カンパネラはローマやナポリで投獄された。
スペインでは素晴らしい待遇を得た。
それほど、ヨーロッパの様々な国で「共謀罪アレルギー」が見られたのだ。
スペインは少子化を克服したし多くの「新世界」を作っただろ。
1964年にアメリカ合衆国においてベルが「いちばん安定したカップルの状態」であるとしている。
しかし、アメリカ合衆国においては「実験の域を出ない」「カップルの非対称性を理解していない」とされた。
Wink 背徳のシナリオ。

ベルは「高エネルギー物理学」の研究において結婚やカップルの安定感を確認した。
しかし、1967年にコーチャンやスペッカーが「ラブストーリーは突然に」始まることを指摘した。
隠されたパートナーの可能性は量子力学の世界で探求され、カトリックの世界に持ち込まれた。
カップルの発信力の観点からも、周囲のみんなが認めるカップルという観点からも、なかなか「1組のカップルの永続性」は確認できなかった。
シュレディンガーは、恋愛と結婚は別のスポーツという方程式を確立していたし、思春期の孤独や病んでしまう側面を指摘していた。
複雑な世の中で男女のくっついたり離れたりの研究は量子力学の世界で展開されたのだ。
そこには「セックスの快楽」という要素を計算に算入しなければならなかったのだ。
ラブストーリーは突然に。

カップルのどちらかがスピンを始めると不安定になってしまう。
もはや対等でもなく、どちらかが壊れていく様がみられた。
1964年の「ベルの不等式」を考えると「本当に共謀罪の枠内でカップルは治るのか?」が指摘された。
スピンを始めた男女のどちらかがいればもう片方は孤独を感じるだろう。
そのようなときに必要なのがキスであった。
ベルの不等式は、アメリカ合衆国のカトリックに衝撃をもたらした。
「不等式なのか」
広い農場に住んでいるカップルでしか成立しないのではないか?
80分に一回、顔を合わすカップルというのは確かに存在する。
1982年のロジャーや1992年のアスペクトのように量子力学の観点から社会全体のカップルの動きを研究する手法は引き続き行われた。
「共謀罪を見ていると量子力学を眺めているようだ」
やさしいキスをして。







パートナーがキスしたり胸を揉んだりするだけで「他のパートナーの可能性」を求め始める。
都会ではなかなかカトリックという発想が根付かないのだ。
最後には「フォトン」の研究までやった。
壁の向こうのノイズが気になって仕方がないことがわかった。
女や男の「暗数」だけが壁の向こう側にあった。

2017年6月17日 (土)

百恵女。

「守る」ということの意味と「治める」ということのありがたみを知っている女が百恵女だ。
松田聖子がのちにMSRPプログラムの優等生となっているが、山口百恵はVEリサーチプログラムの優等生だと言える。
女が「守る」「治める」という二つの柱を用いて生きていけることを証明したのだ。
山口百恵 ひと夏の経験。

「守る」というのは男の感じ方を高めるし、男が知的になるし、より混乱が少なくなる。
このようなことが明らかになったのは1994年のマクドウェルであったり、2001年のグレコであったりが明らかにしたもので、知識や男社会で生きている証拠、挿入、妻や彼女への義務をあらゆる言葉を用いてアピールしたのだ。
日本国のVEリサーチプログラムにアメリカが反応したのはそれほど遅かった。
「守る」ことと「治める」ことを女が知っていてくれたならば、という経験は王室がなければ生まれない発想だったのだ。
女が「守れば」男が「治めてくれる」ことが分かった。
山口百恵 美サイレント。

思い起こせばキルケゴールも若さを無駄にする連中にこのことを語っていたし、ヒュームも「お金をもらって長話を聞いてもらう」だけではセックスしない女の存在は語っていた。
イスラムなどは世界のキャンパスでこのような「女が守り」「男が治める」という現象を確認していた。
1987年にはレイプ撮影を禁止したローラインコードなどがこのことに重大な関心を寄せた。
女が「守る」というメッセージを出しても税収は増えたのだ。
恋愛、セックスの気持ち良さ、そして「女が守る」この三つに税収の根拠が見出せた。
美しい女が「守る」というメッセージを明らかにすることの意味を悟らなければならない。
AKB総選挙2017.

女が「守れば」本当に物事は「治る」のだろうか?
この基本から議論を始めなければならない。
男は金融を理解し、勇気を身につけるとも言われる。
女運次第では知的な繁栄が見られるのも事実だ。
AKBがテレビで「守る」ことを明らかにしてもギャンブル性が高いとも言われる。
しかし、彼女たちは山口百恵に大きく影響されてそのような「ゲティアーの問題」を提起しているのだ。
セックスシーンを大事にする女か、日常を大事にする女かの違いがある。
山口百恵 プレイバックパート2.

VEリサーチプログラムは、各家庭の男たちを感化した。
「他に代わりの女はいるんだ」という意味ではみんなが山口百恵を尊敬していたが経済政策は明らかに変わっていた。
「なぜこれが経済政策だということを知らないのか?」
経済学部でAKB総選挙に興味がないという学生は非難されなければならないだろう。
みんな山口百恵の真似をしてトリプルAの評価を求めているのだ。
男たちは本当に下位の女を狙っていた。
落とせた男は幸運なのか、それとも知性があったのか?
「一緒に一つの問題を解いただけだよ」
幸運でもあったし知性があったとも言える。
夫がAKB総選挙を見ている、と妻が思うだろう。
「ゲティアーの問題」を見物していたのであり、税収の問題を見ていたのだ。
山口百恵 いい日旅立ち。

長時間、黙って開票を見守っていられる女は体も痛くなく、本当に「守って」いるなどのトリプルAを見ていたのだ。
父は息子と国中を旅して見識を広げるだろう。
男社会の話しか伝えないよ。
父は息子に「女を見る目」は伝えないんだ。
自分で見識を養うしかない。
そのために大学の学費を払っているんだろ。
カーターもジャービスもルービンも、AKB総選挙を家庭内に持ち込むことの楽しみを知っていた。
「大学の話じゃないか」
女たちはクレジット(信用)を競い合っていた。
2009年の危機を忘れるなよ。
その女に過度に頼りすぎるとそんなことになるからな。
クレジットクライシスの反省を受けて「代わりの女」をこれだけ用意したんだよ。
トータル100の信用が成立したのを見てテレビを消せばいいんだ。
山口百恵なんて一人で100を引き受けてたんだよ。
みんながマンガのモデルにしたんだ。
コンテク派は毎日、論点を潰しまくっているんだ。
それでマンハッタンのビルに住んでいる。
AKBはいい勉強になるから新聞まで出しているだろ。
「女の子の率直な悩みを読んで見な?」
山口百恵 秋桜。

女の子の率直な悩みを、大学で勉強したことでツイートするだけで、女の子はランキングよりも男を選ぶものなんだ。
「守る」ことと「治める」ことの関係ってそんなものなんだよ。
もはや高等学校の学生さんと踊り子の関係ってそのようなものになっている。
クレジットクライシスをうまく回避しながら、男の知性を育てている。
だいたいそのような世界が2014年にプリチャードによって作られた。
深い税収の学問は下位の方にあるのだ。
上位に行ったところで独裁者を潰すために利用されるだけなんだよ。
「人間は限られた時間で何を知ることができるのかしら?」
それが大学にはあったのだ。個人の能力を超えたものがあった。
治める力を発達させすぎて潰されないでね?
先生を疑っているうちは伸びないね。
大学で先生を疑ったことはなかった。
先生の言うとおりにしたらすべてがうまくいくという経験が大事なんだ。
メディナは「女のクレジットを適切にコントロールしなければならない」とした。
クレジットばかりは男の知識の向こう側にあったからね。
伊豆の踊子 山口百恵。


2017年6月16日 (金)

美人女。

今日では、精子や卵子の売買がなされる時代である。
しかし、「妻への義務とお金」だけは変わらないのだ。
他人の精子や卵子から生まれた子供であることと「母の純潔を信じないと子供が伸びない」ことはどのように関係するのだろうか。
どのように親は自分たちがやったことを「解釈」すべきなのだろうか。
受精卵の売買をやると「子供が自分のルーツに興味を持つ時期が来る」ということは長い目で見ておかなければならない。
どのような発想で精子と卵子をマッチングさせたのかにも興味を持つだろう。
産む目的で売買された受精卵には「子供の辛い人生」がまとわりつくことだけは忘れてはならない。
キスもペッティングもなく生まれた子供であることから「愛されてるのかな?」と心配になることもある。
母と娘のデュエットソング。

精子や卵子の提供者はお金をもらっている以上、「私は親ではない」と振る舞う義務があるとされる。
子供がルーツに興味を持てばたどり着く人物ではある。
女が「できちゃった」という偶然の妊娠がどれほど子供の利益になるかを悟らなければならない。
キリスト教の伝統はセックス政治ではなかったのか?
しかし、社会は「生物学的な親」とは異なる親の存在を認めたのだ。
精子や卵子の提供者にも親がいるだろう。
つまり、生まれてきた子供のおじいちゃんおばあちゃんまでルーツを辿るのは複雑すぎるのだ。
そのため、さまざまな事例で「もらい子」と呼んでそれ以上の探求は行なっていない。
精子や卵子の提供者は子供を愛するための自分なりの解釈は行うだろう。
しかし、「親子の親密さ」にまでは立ち入らないものだ。
しかも、子供のその子孫までをも「自分の子孫」とは呼ばないだろう。
子供の「恋愛リスク」まで責任を取らないだろうし、暮らしぶりにも介入しない。
このような生殖技術を用いたのならば「25歳までに子供を作れなければ子孫を残す可能性はない」とも言われるが、それはもはや社会的タブーとして語られている。
それもしかし「人との親密さが作れない」ということから来るのかもしれない。
モーニング娘。 ふるさと。

しかし、精子と卵子の提供者が「子どもの心をもてあそぶ」ことはやってはならない。
「自分に関する情報を集約しなければならない時期がある」
生物学的なつながりは自分に関する重大な情報であり、これが混乱するだけで子供は周囲を敵に回してしまうのだ。
匿名性をたもつ精子と卵子の提供者というのはこのことから生まれている。
人生で「集約」しなければならない時期は注意が必要だ。
一方で、精子と卵子の提供者の医学情報がどうしても必要になる時があるだろう。
しかし、そのような情報は成人病に関するものであることが多く、匿名性をたもっても支障はないとされている。
むしろ「血がつながっていない」という緊張感に注意しなければならない。
家族の血の団結は「愛されていないのは血がつながっていないからだ」と考える子供が出てきてしまうことを恐れている。
国連は「子どものお小遣いの問題」と考えているようだ。
貧困や人間不信から「25歳までに子供ができないと子孫を残すことは困難」と言われているのであり、生殖技術の問題ではない。
匿名性をたもたないと、いつ何時「私が本当の親だ」と言い出すかわからず、社会が「あれが本当の親らしい」という烙印を押してしまうという問題は指摘されている。
【どのように精子と卵子の提供者を選んだのか?】
それは美しかったからだろう。
いろんな意味で民族の優れた部分を持ち合わせていたからだとされる。
HIVでないのならば陰湿な人間ではないだろうし、B型肝炎でなければ大酒飲みではなく妊娠中に酒も飲まない。
「どのように子供をデザインするか?」は、遺伝子操作でやっているのではなく、精子や卵子の提供者のいろんな特徴を見ているのだ。
このことだけでも「親が子供をデザインしている」と指摘され、自由恋愛とは異なる側面があるのだ。
「顕微鏡で子供をデザインしているのではない」ということは知っておいたほうがいい。
「自分は結局、選ばれていなかったのか」という気持ちが一番危険だ。
代理母になるような女はフリーセックスに慣れているという問題は指摘していい。
これも病気や障害の原因となる。
ウルフルズ かわいいひと。

交際を経て「この人の子供なら産める」と考えたわけではないことは危険ではないか?
何かの問題や障害を一緒に乗り越えてきたカップルではないのだ。
このこと自体、「子どもの障害に対応できない」とされ、遺伝とは別の話とされている。
また、人種にも優劣が存在する現状を理解しなければならない。
家族を作る上でのアイデンティティとなるものが人種なのだ。
「精子バンク」は、自然に作られた家庭環境に適応しきれない子供を残す可能性がある。
親が無理をしてもいけないし、子供が人生の中で「集約」しなければならない時期があることも知らなければならない。
「才能ってどこから来るの?」
よく考えなければならないね。
子供は環境に適応しやすい。
いかに「シンプル」な環境を提供するかが大事だ。
また、精子の提供者にお金を払うような男であれば「卵子がビックリしてしまう」という病気の存在は指摘できる。
お金を払うことの危険性は日本でも知られている。
木村拓哉ソロ。

そもそも「妊娠するためにお金を払った」ということが子供のお小遣いにどのような影響を与えるのかもわからない。
やたらと娘の性に縛りをかけたり、彼女を作ることに抵抗を感じたりするものだ。
英国では「卵子の共有」というものが行われている。
750ポンドで卵子を提供し、論点をクリアーするための数千ポンドを節約しているのだ。
卵子は限られている。
しかし、それを共有しようという動機はなんだろう。
「自分に敵が少ないという動機から卵子を提供していたのだ」
美人女だけがその動機を持っていた。
そうでなければま自分で子供を産むよ。
民族の団結以外に限られた卵子を提供する動機はないのだ。
島崎遥香。

2017年6月15日 (木)

聖子女。

学問が女の探求に向けられると1960年代には、女の話は吐き気がするから男の話をした方がいい」という機運が高まった。
1960年代から1970年代にかけて「誰があなたの先生なの?」ということが問われたし、争われた。
松田聖子 ハートをロック。

1990年代には「女戦争」が野放図に展開されて、日経平均株価は大幅に下落した。
女たちはパンツを見せながら歩いたし、男たちは男らしさを見失った。
松田聖子が完全に忘れ去られた。
男らしさの議論が止まったため「歴史の終焉」が語られたのであり、何かの到達点に至ったという意味ではなかった。
ルーズソックス。

「本当に偉大な先生って誰なの?」というビッグシステムが争われた。
男らしさを見失ったらジャニー喜多川が先生か?池田大作か?
男たちは戦争状態に突入したのだ。
「どの役割を演じればいいのかが分からないんだよ」
先生を選ばなければ人生が終わるというのに無責任な先生しかいなかったのだ。
先生たちが「俺は違う世界の住人だ」と言って俗世の問題から逃げたからだ。
批判に耐えうる力量がなかったのは認めざるを得ない。
戦いの伝統を先生たちがもはや見ていなかった。
時代の悩みを受け止めるキャッチャーが哲学者だったが、それを学ぼうともしなかった。
どの先生も「お笑い」に逃げた。
女子たちはそれを敏感に察知して性が乱れたのだ。
「ハーバードやスタンフォードに自信の源があるらしい」というのも噂の域を出なかった。
野茂英雄がメジャーに挑戦した時にアメリカ合衆国が全く理解できない現状を悟った。
宇多田ヒカルも本場で通用するのか分からなかった。
そんな空気の中でアメリカ合衆国が「もっと我々をオープンにしよう」という決断を下したのだ。
クーンやポパーが仕掛けたことだった。
「日本にもいいキャッチャーがいるな」というあたりを見ていたのだ。
青春アミーゴ。

静かに、冷静にアメリカ合衆国を開放しようという動きとなった。
日本国の哲学者(キャッチャー)が疲れ果ててしまわないようにゆっくりとその動きは始まった。
「日本の学問というものはめんどくさくないか?」
それも踏まえて一番よく理解しているキャッチャーを狙ったのだ。
「その時、松田聖子が復権した」
俺は男前だ、と言い放つ自信満々の中年男の登場だった。
イケメンとの仲は決して良くはなかっただろうが、醜い中年男を尊敬するイケメンもいたのだ。
「新しい祝福のムーブメント」と呼ばれ、男らしさがふたたび語られるようになった。
先生たちの争いも大勢が決したのかもしれない。
中年男は、胡散臭くはなかったし、多少毒を吐いたぐらいでは怒りもしない俗世の男だった。
「これがアメリカ合衆国なんだよ」
公然と学問を語ったのだ。
「カントがスマホを持っている」とも言われた。
「東京が女の研究を深めている!」とハーバードの女性教師もその動きを恐れた。
西洋社会はいまや日本国の前には自分たちを大げさに語り、さもすでに知っていたかのように日本国のムーブメントを分析していたのだ。
マリオネットの涙。

しかし、それでも日本国はアメリカ合衆国のMSRPプログラムの監督下に置かれているだろうと主張された。
文化は非常に成熟した日本国を中心に「誰が主導権を取っていたのか」という論争に形が変わった。
日本国にはすでにセックス崇拝は根付いていたとされMSRPは、この議論においては敗北したとされる。
しかし、「歴史を取り戻そう」とした業績だけは高く評価されなければならない。
ヘーゲルが女のからだをアニメで描いたのだ。
欧米の恩恵だけは認めなければならない。
欧米か。

1965年にクーンが、サイエンスとは女の研究のことであるということを確立した時にロンドン会議を開き、「我々を受け止めなければ歴史というものが消滅するだろう」とされた。
MSRPプログラムは、そのプロジェクトの「ベルト地帯」を求めていたのであり、本来、松田聖子は1980年代の優等生だったのだ。
その効果として「男たちの先生が分裂した」という経過をたどった。
なかなか問題の解決には至らない指導者が目立った。
はじめからクーンとポパーという二人がいた世界だったのでその後の分裂は見通すべきだったかもしれない。
大した見解も持たずに「俺が男らしい」と言っただけで学派が分裂する世界だったのだ。
1989年にはローデンがMSRPプログラムの解消を確認している。
しかし、1971年にトルミンが「女の研究の進化の方法」を環境として整えていたのがのちに役に立った。
環境として精神医学の場を設けていたのだ。
キャンプベルもハルも、トルミンが設けた精神医学の世界を生きることで、むしろ「歴史の復権」の機会を虎視眈々と狙っていたのだ。
一方で、左翼の方もメルトンなどが女に詳しい連中を増やそうと考えていた。
唯物史観と呼ばれる立場に立つことで、女の研究が深まることから歴史というものを生き生きと描こうと考えたのだ。
1970年代ニューウェーブは左翼が主導したものだ。
大河ドラマでも女を描いたりしたのはニューウェーブの影響の方が強いとされる。
MSRPプログラムとは異なる形で、精神医学と左翼の双方から「歴史の死守」が試みられることになった。
女たちとどれほど多く接する機会があるかはこの二つのフォーラムしかなかった。
アカデミズムは解消されてしまったのだ。

女の研究のルートを確立したらようやく「男らしさ」に関する問いかけがなされたという図式だ。
「男らしさって何?」
「男らしさって発見し極めるものなの?」
「MSRPの言葉を知らないと男らしくないの?」
「女たち全員が認める男らしさってあるの?」
「普通の男の能力を超えていて仲間はずれにならないの?」
「女に詳しくなければ男らしくないの?」
「男らしさを決めるのは女たちの楽しみではなかったの?」
「男は自然体が楽なんじゃないの?」
「奥さんさえ大事にしていれば男らしいんじゃない?」
「社会人ならばいいんじゃない?」
「歴史上の人物と照らし合わせることはできるの?」
「歴史上の人物がやったことがわかっている人っているんじゃない?」
「女の研究が爆発したから女の子たちは抵抗したのではないかしら?」

(松田)聖子女とは、歴史上の男が大好きな女たちのことだった。
イエスキリストがやったことが1960年代のドイツで学問として確立して以来、「歴史に名を残す男はみんなこのようなことをやっている」ということが分かったのだ。
カントやヘーゲルがドイツで確立していた「歴史観」には19世紀にはランケも共鳴していた。
「ただのエッチなおじさんじゃない!」
「でも、人生に前向きな人ね」
イエスキリストを正確に理解したのはしかし1960年代のドイツだった。
すべての男のおちんちんに歴史を与えよう、口説き文句ならば男が考えよう、そのあたりが歴史上の人物の特徴なんじゃないか?男に明日の可能性を感じるの?
また明日、新しい話をするの?歴史は混乱しているようでいてエッチな人間がやっていることを知っているの?
決断するのにも女たちの支持が必要なことを知っているの?
歴史は夜作られるという言葉の意味を誤解してはいないかしら?
フリーセックスというオックスフォードの宿題はこなしたの?
歴史を顧みる「神の目」は持ち合わせているの?
昔と今を比べるのはフェアではないことを理解しているの?
学問の側にお金を払わなければならないことを知っているの?
力さえ集めれば「強い決断」なんて必要ないことを知っているの?
誰が美しい女を味方につけるか分からないことを知っているの?
「これが歴史に名を残す男の課題だとされたのだ」
松田聖子 天国のキッス。

アメリカ合衆国においては「先生たちの争い」はもう終わったのだ。
人生のドツボで寄ってくるのは女だろ。
そして、渡されるのは聖書だろ。
みんな何かを悟ってもらいたいからなんだ。
侘しい女が「私を知ることよ?」と語りかけてくるんだ。
アカデミズムの側は、精神医学と左翼を交えたHOPOSを1990年代に立ち上げた。
精神病院に有名女が集まってきて、労働者もそこにはいた。
HPSというグループもあればPHSというグループもあった。
彼らは男らしさの探求ではなく「女とは何か?」を克明に記すという営みをやったのだ。
レポートは全部マックスプランク研究所に送ったのだ。
そこが色々と判断していたようだ。
女のことを書き記すと地位が高まるだろ。
「新カント派に影響されなければ生まれない発想だね」
マックスプランク研究所にはアインシュタインの知識もあるんだ。
ここまでまとまった「聖子女」の歴史観にもいろいろと批判があるのは事実だよ。
松田聖子 小麦色のマーメイド。

略奪女。

ギローム・ギビエフは「私は他の女から奪った男でないと恋ができないの」と語った。
男同士は知性を争っていたが、女はそうではなかった。
他のライバル女が認めた男しか愛せないとしたのだ。
そうでなければ「勃起」に意味を見出せなかった。
孤独な男は嫌い、あの女が認めた男でなければダメ。
それが「略奪女」の研究だ。
彼女に話したことを私にも聞かせて?
そのような男は下腹部で勃起しているのではなく、胸から勃起しているように思えた。
そのような男としか恋ができないの。
「私には男の見極めができない」それを認めているようだった。
男のおちんちんが私に何をするのかが分からない女なのよ。
あの女に愛された男ならばペガサスだし天使だし、神だわ。
愛が止まらない Wink.

男の色や音、感触、あの女と同じものを感じればよかったのだ。
2人はライバル。
若杉南。

広末涼子。

結婚する男に何が求められているのかを広末涼子は知らなかった。
そこで、経験豊富な若杉南に男選びを頼っていたのだ。
世界には問題が満ち溢れていて全く正解が見当たらない。
だから女は他の女に男の評価を委ねたのだ。
「あの女が選ぶ男はいつも王子様だったわ」
女は女同士のことさえ分かっていればよかったのだ。
「知性とは無縁の太陽や天国のことならばよく知ってるわ」
避暑地の森の天使たち。

あの女が感じたものをそのまま自分で感じた方が安全だという思いもあった。
略奪女の基本は「男を見る目がない」ということなのだ。
それほど「女社会」に溶け込んでしまっていた。
略奪女にとって「男を奪う」ということは、その男が「今彼から女を奪う」ということを意味した。
つまり、男の側も女の知名度や女らしさを受け入れていることを意味する。
「俺の何を知っているのだろう?」と思うだろうが、今カノからさんざん話を聞かされていた女だった。
すべて、女が男の値踏みをして玄関のベルを押しているのだ。
来ちゃった シャル。

知名度と女らしさだけを学校で磨いた女が略奪女であり、男のことはよく分からないのだ。
男の値踏みをしているという意味では略奪女も「男の知恵比べ」に巻き込まれていた。
「神というのは限界のある勃起のことね」
あの女とセックスしたという情報が大事だった。
勃起しない男だったり変な趣味のある男だったら大変。
「男社会があるからこのようなことが行われているのだろうか」
本来、女社会の住人だった略奪女が男社会の透明度を高めるためにライバル女を利用して男を選んでいたのだ。
彼の男社会での戦いや、夜眠れないことなどいろんなことをライバル女から聞かされていてよく知っていた。
内山対コラレス。

デカルトのいう「内省」とは、ライバル女が感じたものを「直接、記憶に頼らずに」感じることを意味した。
コギトエルゴスムとは略奪女が感じるものだったのだ。
「我思うゆえに我あり」
より完璧に近いセックスができたのだ。
奪って当然の男と、ちょっと冒険がともなう男と、私の独自の決断だという男がいた。
いずれにせよ女社会の外にいる男だった。
奪って当然の男は神に近いね。
略奪女とセックスすることの危険性を知らない分、気持ちが良かった。
冒険がともなう男は女に詳しく、セックスによって失うものがあることを知っていた。
1643年の5月21日にプリンセスエリザベスは「奪って当然の男」を奪ったと歴史に刻まれた。
冒険ではなかった。
より安全で気持ちのいいセックスをエリザベスが望んだからだ。

さて、略奪女は奪うのが趣味なのではなかったのだ。
女社会で生きていて男の選び方が分からなかっただけなのだ。
そのため、奪った男に満足が行けば2人の関係を維持しようと考えるだろう。
このことを「PR」と呼ぶのだ。
発信力を高めるために歌まで作った。
再び、愛が止まらない。


つづく。

2017年6月14日 (水)

約束女。

恋愛の真剣さは「結婚」を目指していることから生まれる。
まるで職人のように「約束」を多用して恋愛をしていく女だ。
他のプレイヤーがいるから「約束」を用いるし、この女の発想がローマ条約で真似されて1958年から1973年までヨーロッパで経済共同体(EEC)が作られた。
12票か、4カ国以上の国からの12票。
フランス、ドイツ、イタリアが4票、ベルギー、オランダが2票、ルクセンブルクが1票という持分でヨーロッパ経済共同体は運営されていた。
「誰が最も私に関心があるの?」という約束女の発想を真似したのだ。
プレイヤーは6カ国、国境の向こうは見えない。
倍々式に票数を増やしていった。
他の国の投票行動にも当然、外交である以上、圧力をかけられる。
結論は「自分の国にとって一番都合がいいもの」だった。
高橋由美子 Will you marry me.

このプレイヤーがもし無限だったらどうなるだろうか?
みんなが「フランスにしたがえ」というようにキーパーソンを作るだろう。
魅力的な国だったからね。
この「キーパーソンの座」をどの女も奪い合うのがモテる男の周りの女だ。
そこで、男が「距離を置きたい」と言い始めたら女はパニックになって、キーパーソンの座を確保しようと男を試すだろう。
「グループ交際では嘘はつかない方がいい」
避暑地の森の天使たち。

みんなで出した結論をひっくり返したいことがあるだろ。
「誰が最もその男に興味があったのか?」
キーパーソンになれなかった女は共同体を離脱した。
そのようにしてヨーロッパ経済共同体も解消されたのだ。
松田聖子 制服。

2017年6月13日 (火)

モデル女。

美しさは我々の人生の重要な一部分である。醜さも同じだ。
美しい女とのセックスを強烈に志向したのは20世紀のことだ。
18世紀の「強烈なピューリタニズム」は、モデル女とのセックスこそが気持ちいいとしていたが、カントの議論が20世紀になって蒸し返され、スタイルの良さよりも「男女の違い」が明確であることに気持ち良さがあるのではないかと激しい議論が展開された。
「女らしいこと」「有名女であること」
この二つが気持ち良さの原因であって、スタイルや顔の美しさではないはずだとされた。
女らしいというのは美しいということと関わっているし、「子供らしい」ということとも深いつながりがある。
モデル女が男まさりだったら気持ちよくないだろう。
おちんちんは「美しさには興味がない」という反応をするよ。
「あわよくば」美しい方がいいという反応もしていない。
「その女に興味がある」から気持ちいいのだ。
このことはモデル女にべらぼうなお金を払うという愚かな真似をしないためにも知っておいた方がいい。
指原莉乃CM.

男は自分のためだけではなく、すべての男を代表してその女とセックスしているという側面がある。
女が様々な誹謗中傷を浴びるような女だったらモデル女のようにスタイルが良くてもセックスはしないものだ。
キャナリーワインのように人々から褒めそやかされているから気持ちいいと感じるのだ。
我々の人生の途中で出会った女とセックスしていいのかは自分なりの学問にしたがって決めている。
女が守ろうとしたものを奪うというのも気持ちがいい。
「精子が汚らしい」と思っている女から「奪う」という表現がなされるのならば相手はモデル女でなくても構わないだろう。
美しさというのは、男と女の間で擦れ合うものでもあり、社会でも様々な「こすり合い」がなされているものだ。
他の女が「綺麗な人ね」というのも社会でのこすり合いなのだ。
男女の間だけでなく、社会レベルでセックスの気持ち良さというものは作られている。
キャナリーワインはそれを踏まえた上で「守ろうとする」から奪うのが気持ちいいのだ。
「すべての男を代表して」奪わなければ気持ちよくはない。
それはセックスの普遍性というものなのだろう。
渡辺麻友 大人ジェリービーンズ。

俺はキャナリーワインを飲んだけどお前は飲まなかったのか?というのも気持ちよくない。
口説き落とす天才はみんな平等でなければならないし、すべての男を代表して「奪った」のでなければならない。
そのような女が「美しい」というのならば美しいのだろう。
美しさは快楽となるだろう。
しかし、それは「守る」ものであって、社会が決めるものでもある。
男が思い切り「感じる」美しさの秘密はこのあたりにありそうだ。
女の「汚らしさ」すら女の考え方ひとつで異なる。
汚らしさすら「より女らしく」表現する女がもっとも気持ちいい。
ハート型ウィルス。

モデル女は、「より守ろうとしていた」という意味ではおっさんたちは金が釣り合わなかった。
モデル女の真実は「守る」ことにあったのだ。
しかも、モデル女は「心と体の違い」が明確だった。
間違いを犯したこともあったし、心は悔いが残ってもからだだけは美しいままでいてくれた。
これが、快楽主義で失うものを少なくしてくれた。
心は汚れても変わらないものはあった。
美しいからだはまだ素直な反応をしてくれる。
「心と体の違い」に頼ってしまうほど女は半分だけ純粋になれた。
男のおちんちんは美しさを目指してはいなかったのは事実だ。
中森明菜 1/2の神話。

モデル女はからだに頼りすぎていた。
男が感じる「法」を先輩から引き継いでいたのだ。
「条件さえ整えば」「最高の男だと思った」
このような理屈で男にからだを許していたのだ。
「心とからだは違う」これは女の基本でもあった。
中には「俺の立場を保障してくれる女ならば美しさにこだわらない」という男もいた。
おちんちんが美しさを目指していないことを端的に表現した男だ。
ニーチェは、このことを正確に理解していて、美しさと欲望は区別していたね。
カントは「守る」ということに意味を見出していたのだ。
森三中 大島。

そのような議論を経た上で、セックスとは恋愛の一部分であるという方向に議論は進んだ。
デートしたり話をしたりするパートナーの間で行われるものであるとしたのだ。
セックスが気持ちよければパートナーの発信力が高まる。
近代においては「パートナーの発信力」は生活と関わる問題だったのだ。
近代に入ってからモデル女のような「美しさ」が恋愛に味方するようになった。
おちんちんが目指したものとは異なる「生活」があったのだ。
美人が得をするのは気持ちいいからではなく、近代カップルの発信力があってこそだった。
男の縦社会にも似た、女の格付けがなされたのは発信力の問題と割り切るしかない。
気持ち良さとは異なる議論だった。
男は「美しさの醜さ」も見抜いていた。
20世紀になって、女たちが「発信力」を背景にサークルを作った。
男たちのおちんちんは決して美しさに反応していたわけではない。
しかし、生活の問題となり、また、女に興味を持ち続けるためにも女たちは自分たちのサークルを作るという展開をたどった。
指原莉乃。


ヤリマン女。

ハンガリーとポーランドは「女のスーパーマーケット」となっていて、大企業は進出をためらっている。
アメリカのゼネラルエレクトリック社やアウディなどが研究を進めて進出した。

ヤリマン女は、女心の研究が最も関心を寄せたものだね。
セックスに対して肯定的な女だったからだ。
彼女たちが語ったことを垂加神道にしたほどだ。
セックスというものはプライベートなものなので、日常生活ではヤリマン女かどうかは分からないだろう。
「勃起」とかを口にして反応を見てみるしかない。
清楚な女が語らなかったことも彼女たちは語った。
女心、そして「私が何を話しているか分かる?」ということ、そして「考え方」の三つの次元がある。
恋愛上級者のヤリマン女に対して鈍い反応をしてしまう男もいるのだ。
女心は散々語った通りだ。
「私が何を考えているか分かる?」という問題は、ヤリマン女が自分の局部を利用して男をコントロールできないのならば相手にしないということだ。
「考え方」というのは「うまく口説いてごらん?」ということだ。
男たちとは散々話したわ?まあ合格ね、と思ったらからだを許していた。
perfume kiss and music.

男たちの言葉ならばたくさん知っている。
心配しないでいいのよ?女心をまったく知らない男もいたから。
男女の話し合いが成立するだけでいいの。
「会話になっていないよ?」と私が言ったらアウトだと思ってね。
私は私の局部であなたをコントロールしているのを知っているから。
私たちの全体の動きも私の局部を中心に考えていた。
そのような女が「女心」を赤裸々に語ったのであり、セックスするぶんには簡単に落とせる。
お金を払ったり長話を聞いてやることで簡単にセックスできる。
口数が少ない女は身持ちが固い。
お金を払って長話を聞くことからセックスに持ち込むことを「奇跡」と呼んだのだ。
工藤静香 奇跡の肖像。

セックスに前向きな女はおしゃべりなんだよ。
男は1割しか話さないかな?
男が一方的に話しているうちは2人の間には何もないと思った方がいい。
女が女として生まれた喜びを語り始めるのを待った方がいい。
そうでなければ「レイプ」という認定が出てしまうだろ。
本当にセックスさせる女はそのくらいよく話すんだ。
穴井夕子 心のルール。

男の前で無口になってしまう女は「男のセレクション」をやっている。
恋に臆病になっているんだ。
私の局部を中心に物事を動かしたいということと、男には序列があるということを考えていたのだ。
小説もよく読んだんだろう。
そこには「女の一方的な観察力」しか存在しない。
無口な女とはそのようなものだ。
瀬能あづさ ふたつにひとつ。

ヤリマン女というのはとにかくおしゃべりなんだよ。
最終的には孤立していくだろうね。
男の言葉を黙って聞いてセレクションをやるという作業もやってないんじゃないかな。
純潔女には「待ちの姿勢」がある。
本気になってしまった女は常に「待ちの姿勢」で無口になっている。
自分の世界が広がるかもしれないと思うような男の前では無口なのだ。
タンポポ 恋をしちゃいました。

女に囲まれて「言っていることが破綻している」ことを破産と呼び、悲観的な結末をもたらす。
誰も破産した男とセックスしようとは思わないものだ。
女子会で破産する男がいる。
そういう男が最後に向かうのがヤリマン女なのだ。
ヤリマン女は男の言葉を比べたりなどしていない。
「気が合う、話を聞いてくれる」あたりで見ているのだろう。

純潔女は、セックスはプライベートなものであるということは知っているが、男の前でも無口になっている。
それは「男のセレクション」を冷静にやっているからだ。
男をよく見ている。
話題に男がどのような反応をするのかも見ている。
結構「財布の中身」というのは「女との関係」で決まっているものだよ。
社会の仕組みは複雑すぎるけど、学問をやって女に話しているだけでお金というものは貯まるものだよ。
そのように社会設計されているんだ。
いろんな女と話してみればいい。
女を冷静に見て、身分を高めて、それだけでお金というものは貯まっていくんだ。
女の側も社会のインフラをそのように設計することを求めていたのだ。
「男の人と話がしたかったの」
タンポポ be happy 恋のやじろべえ。

2017年6月12日 (月)

ロマンティック女。

18世紀後半のドイツにおいて、ルター派の連中がジェナに集まり、ロマンとは何かという研究を始めた。
「美と権力の関係」をシェークスピアから学んだ。
ジェナからベルリン、そしてウィーンへと研究の場が広がっていき、アテネのことがサンスクリット語でもっとも詳細に書かれていることを知った。
イオニアの天文台の研究は成功したよ。
カントのいう「大きすぎるもの」は女心に似てロマンティックだった。
中島美智代 天文台と海岸。

あとは失恋をテーマにしたり、夜の寂しさ、辛さをテーマにしたよ。
ゲーテやシラーの影響だ。
全部、ドレスデンギャラリーに展示した。
エジンバラのカデットや、ストックホルム、ペテルブルグなどに影響を与えたが、その全体像が明らかになったのは実に2016年のことだ。
瀬能あづさ 永遠に友達。

ロマンティックな音楽を聴くとエステに都合がいいとした小野光太郎がいなければその本当の意味は分からなかっただろう。
このロマンティックムーブメントのシステム化が必要だったのは事実だよ。




昔も今も「女の真実」は変わらないのに、現代は何が変わったのだろうか?
やはりツイッターでフォロワーを増やしたり、権力を持ったりする理由が「女」にあることを悟ったのが現代だね。
「悟り」と言うけれど、死後の世界の否定や、死んだあとの扉は閉じているとしたことから、ロマンティックムーブメントは始まっているんだ。
垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。

創作意欲をそそったのは女であり、男のアーティストも女を「愛の対象」にしたという意味では同じだった。
このようなロマンティックムーブメントが「女の美しいからだ」というビジュアルアートにつながったのだ。
女が800人いれば神は800人いる。
それほど女たちが美しくなった。
ヤオロズの神とは女が美しくなることを意味した。
女たちは音楽作品にしたがった「知的な直感」で男を選んでいた。
美しいからだをした女に好きなアーティストを聞いてみればわかる。
音楽作品は決して「ただ生きているだけ」のいじめっ子をパートナーとしては望んでいなかったはずだ。
夢を語っていただろう。
「ただ生きているだけ」の人間すら夢は否定しなかったほどだ。
ロマンティックアートも「三位一体の否定」「男運の上昇」を目指していたのだ。
音楽作品が常に「男らしさ」を磨くために用いられたことから、音楽作品に親しんでいれば「いじめっ子」のみっともなさが分かるのだ。
三位一体が永遠の真理であるのならば、頑張っているいじめられっ子(聖霊)を狙えと音楽作品は女たちに教えていたし、いじめっ子(父)の中には「俺も頑張ってみようかな」という「子なるイエス」も現れた。
聖霊のパワー次第では磔にされる思いをするのが子なるイエスだった。
イエスの人生なんて鬱と恨み言しかないよ。
ロマンティック女が「いじめられている頑張り屋さんの方がいい」と考えたことから、聖霊の真似をするイエスが現れたのだ。
頑張り屋さんのことを「ロマンティックスピリット」と呼んだ。
その方が女にモテるという文化のことだ。
CoCo 夢だけ見てる。

「ただ生きているいじめっ子が彼氏」「男運が悪い」という女はあまり芸術と接していないのだろう。
ただ続いていく日常を愛する男なんだ。
セックスだけが人生ではないと考える男の重要性を知るのだ。
「みんなから総スカンを食うようないじめられっ子に思いを寄せる」というモデルは三位一体への重要な挑戦だった。
「いじめられるというのはあなたが知っていることよりも多くのことを知っているのよ?」
鏡を見て「俺みたいなやつ」と思っている男がなぜかモテる、これがロマンティック女の核心部分だった。
うしろゆびさされ組。

敵をも愛することができる簡単な「多数派工作」はいじめられっ子が展開するものだった。
絵画を言葉にして語り、ブルーだけの風景を描きたいのならば本当に男を愛したことはないではないか?などということを勉強していた。
「あの人と話したいね」女たちが噂しあった。
「私のキスの歴史すら破壊するほどの頑張り屋さん」だった。
そういう人が必要な時期というのは確実にあるのだ。
「ただ生きているだけ」のいじめっ子が修羅場で泣きを入れるのを見てしまったから。
「いじめられっ子を愛する」
これは女の子たちの恋の道案内としては最高の教えだった。
いじめられっ子は女の子に愛されるだけで嫌なことは全部忘れたよ。
西野カナ ダーリン。

女心は作るものだね。ジェナやベルリンでそのような研究をしたんだよ。
しっかりと三位一体という古典を踏まえて教える必要がある。
「夜明けのミステリアスな光にも似た意外性のある恋を描いた」
三位一体は動物でも観察することが可能だ。
しかし、人間は動物ではなくなる瞬間があるのだ。
トーン、リズム、音楽、ダンスに乗せてそのことを歌ったのだ。
東京パフォーマンスドール 十代に罪はない。

ここで、三位一体という永遠の真理から「女の男運をよくする」というロマン派の新たな「言葉の起源」が明らかになった。
女の失恋を救済するというのが本来の言葉の起源とされていたのだが、それとは別の起源をドイツロマン主義は明らかにしたのだ。
カール・フィリップ・モリスは、そのような男にタバコを与えた。
生き生きとした議論だったよ。
我々は動物ではなく人間であると思えたからね。
「ただ生きているだけ」の人間が医者や弁護士に泣きつくのを見た。
いじめっ子にはただ「執行猶予」があるだけで絵にならないのだ。
人間は詩を作る生き物だからね。
この「動物の永遠」である三位一体に対してどのように向き合うべきかを詩にするのは非常に知的な営みだった。
赤いスイートピー。

シュレーゲルはサンスクリット語からこのことを学んだのであり、ヨーガやダルマなどの言葉と同時に、いじめられっ子の可能性を愛するという詩をドイツに持ち込んだのだ。
まあ、翻訳をするという根性自体がいじめの対象になったこともあるのだろう。
「この人、外国の知識を話している」と思われたのだ。
翻訳をした上で、シェークスピアの「美と権力の関係」を思い出していた。
女のからだをガン見して権力者となるのが政治だった。
みんながこの文化を受け入れていくのは楽しかったね。
三位一体という動物的な永遠の真理の向こうで他の男たちがあれこれ言うのを描きたかったんだ。
いじめっ子で歴史に残った人間は2人だけだという歴史学や哲学を踏まえてやったことだった。
ヨーロッパは「ドイツの永遠」に喝采を送った。
ドイツロマン主義とは「失恋」と「いいパートナー選び」の二つに集約された。
渚のハイカラ人魚 小泉今日子。

一方で、いじめというのを「狭い空間で起きるもの」とし、神と学問とイエスという三位一体を考えたものもいる。
空間を広く使うと、神と学問とイエスという男の理論が出来上がり、「いじめっ子といじめられっ子のどっちが好き?」と聞いても「どちらでもありません」という返事が返ってくる。
ただ、女にとっては「学んだね」という意味でしかない。
神と学問とイエスというのは空間的に濃縮されていながら、広い空間で女と接していることから起きる問題だ。
ゆっくりと場所を決めて、決まったサークルとおちんちんや女について語り合うと、そこには「いじめっ子といじめられっ子」という図式は無くなっていた。
「神はどこにでもありどこにもない」というのは空間の広さを使って女と話し、空間の狭さを使って学問に励むことを言う。
無限の神と男しか向き合わない世界が広い空間と狭い空間にはあるのだ。
「ゴッドマン」
それはかなり自由な環境で勉強しなければ生まれないものだった。
牢屋の中を学びながら「学んだ無知」を巧みに利用していた。
女たちのいるサークルには属していたが、他の男たちのいじめを巧みに回避していたのだ。
浪漫〜my dear boy モーニング娘。

高校という「牢屋」で学んだ無知というものがキャンパスにはあった。
すべてのおちんちんに神は宿る。
しかし、もはや自由な空間だけがあった。
大勢の他人がいて、男は神の言葉を語り続けたのだ。
他者との適切な距離が必要であり、牢屋では機能しない発想だ。
「本来、人間は牢屋にいるべきものではないだろ」
そんなことを言ってくれるのはローマ法王だけだった。
大人としての他人とひたすら刺激的な話を楽しんだのだ。
神と学問とイエスの周りには人が集まるという単純なモデルだった。
分かる学問には縦はなく横だけがあった。
学問には縦がなく横だけがあるという境地になるといろんな人が話しにくる。
「絶対」がすべての人の表情にあることを見たほうがいい。
その「絶対」には触れてはならない。
しかし、「測定」しなければならない。
いろんなしがらみがおちんちんにはある。
自由度がなければそれが「絶対」だろう。
絶対があるということは「決意」があるということだ。
「知ることの限界」も絶対から来ている。
しっかりと「絶対」を測定して学問の「横」の話をするのだ。
それが人間の心というものだ。
牢屋のことは「知っているけどもう忘れた」というあたりがキャンパスの魅力だ。
絶対にしばられた神が目の前にいるだろ。
「俺の絶対を理解してくれる人は神々しいよ」
そうやって現代は開かれた絶対主義のもとに哲学がある。
男が「どうしても譲れないもの」に神はすでに気がついている。
牢屋にいた頃の自分を思い出してごらん?そのための高校だ。
rebecca コットンタイム。

神は無限かもしれないけど、人間は「絶対」がある限り限界があるんだ。
「女を寝取られたらぶっ飛ばす」という絶対がある。
それがある限り俺は神ではないと誓うよ。
時にはすがるような目で人を見たこともある。
絶対は「失うものが多い」ことも意味している。
他人を大人として見れないことも絶対に含まれる。
「私はあなたのお母さんではありません!」というセリフも夫婦間で自由がないから交わされる会話だ。
神と学問と男の世界で「子供のように甘える」異性がいるんだよ。
女は落とし穴だし、神は無限でも男は有限だよ。
無限の天使って童貞なんじゃないか?
男同士で向き合ってみな?絶対の大きさが違うだろ。
「俺が神だから議論に応じたんだ」と男は言うだろう。
セックス崇拝をしている1人の神としてね。
思い出話を始めたら別れが近いと思えよ。
一念発起したら別れたと思えよ。
お前は天使だよ。いろんなことを知っているならよ。
天使と俺は左右対称ではないんだ。
絶対がないから学んだのか?左右非対称が一番怖いんだ。
哲学者みたいな話し方をするからな。
神聖ローマ帝国の皇帝みたいな野郎だ。
松田聖子 ハートをrock.

2017年6月 9日 (金)

被写体女。

プラトンは「国家」において、男に形と色を描かせてみたら必ず女を描くということを指摘していた。
しかも、局部ではなく唇か胸を描いていたのだ。
その方が興奮すると考えたのだろう。
しかも「誰かに似せて描く」ことが大事だった。
20世紀に入って「写真」というものが普及したが、このことはギリシャ哲学から遡ることが可能だ。
リリー・マルレーン。

「好きな女と似ている」だけではしかし興奮しなかった。
より全体像を「興奮」に昇華しなければならなかった。
女は幼くもなく左右対称でもなかった。
ここと今、つまり「ここ」が右胸であるならば「今」とは左胸であり、左胸を描いて見せた。
左右対称ではない胸が興奮をそそった。
菅野美穂 ヌード写真集。

家のメイドさんの裸を想像して描いたというだけでは興奮しない。
モデルを利用しながらうまく架空の女を描きたかったのだ。
描いた男は子供のように純真で、複雑な細胞からできていて、女の友人で、ただのバカだと言われるような絵がいちばん興奮した。
やはり女の裸を描くのならばパステルカラーだったね。
目に害がなかったからだ。
デカルトは、三次元のものを二次元にしても興奮するための色彩をパステルカラーと呼んだのだ。
ハイマンは、女の裸体の絵を「アイドル」と呼ぶことを否定した。
フレッジも「夜の女の裸」と「朝の女の裸」は全く異なるとしている。
どのパーツを強調するかは男の複雑性次第だね。
「痩せた頬」という男もいる。
クリトリスなんて虹か影か空の一部として描くよ。
ribbon be my diamond.

女は男をいろんな角度から見たがるね。
全部、二次元で表現したがるからなんだ。
「横顔」
残像が目に残るんだよ。
一番詳しかったのはトルストイだ。
広末涼子 大スキ。

女を愛せなくなって猫の写真ばかり見る男もいる。
架空の女の絵を描きたいんだ。
それが男のビジュアルシステムだ。
アベルは絵画の祖先だが、男は馬だとしたよ。
あとは解釈に委ねられた。
「何がおちんちんに似ているか?」
これが絵のテーマだ。
縄というのは「まだ誰も知らない」という意味で縄文時代などと言われる。
絵と言葉の関係の研究が深まったのは20世紀だ。
「目は心の一部」とされてから言語化が始まったのだ。
女と話さないと絵心はつかない。
両思いではない女友達が多くないといけない。
ワイルドホース。

二つの物の間に横たわっているものは祝福されている。


マネ オランピア。

チャットとは猫の語り合いのことであり、犬は吠えるだろ。
女にならなければチャットなんて向いていないよ。
写真というのは「こんな感じでいいんじゃない?」という程度の意図は必要だ。
女との話し合いを重視した方がいい。
男はこれで抜いて喜びに変わるということまで話す。
単なる骨ではなく肉が付いていることも重要だ。
デジタル写真はアナログと違って見とれてしまうものだ。
どのように写真が出来上がるかという「知識」まで語っている。
議論の堂々巡りを避けて瞬間を切り取る。
服を着ているのと脱ぐことの違いを理解する。
抜いだら被写体女と撮影者は両思いだということからこれが重視される。
「幻を愛した」
それが服を着ているという意味だ。
被写体女がうさぎかアヒルかまでは撮影者は狙えない。解釈だ。
皮膚の表面をどのように表現するかも考える。
「表面がいちばん大事だ」
撮影者は現場では決して抜いていない。
そのようにして「女を信じさせる」ことが大事だ。
現場の男は決して勃起していない。
「カメラの向こうのみんな」が権力者だからだ。
撮影者は「幽霊のような伝説」の存在になればなるほど都合がいい。
「今日初めて知った」というのでは困るのだ。
そのようにして「光学の幻」を生み出していく。
スキャンして女の子に「このような経験をしたんだよ」と見せてあげることも重要だ。
アイドル 撮影会。

何かを証明したいときにも写真を撮るだろ。
「男は何が理解できるのか?」を考える。
この時は「絵のように写真を描いてもいい」とされる。
むしろ、うまいビジュアルメイクが必要なほどだ。
警察 写真撮影。

スポーツカメラマンは「どのようなシーンが楽しまれているのか」というビジュアルカルチャーを理解しておく必要がある。
その世界への忠実さも試される。
カメラマン席に「よそ者を排除する文化」があることは理解しておかなければならない。
「アートはスポーツの写真にはかなわないね」と言われたこともある。
真剣勝負はとにかく写真の世界で恐れられた。
「真剣とは何か?」
1920年代から迫力はどんどん増していった。
真剣さこそが日常を忘れさせたのだ。
女たちの歓声が異なったのだ。
空間と光を真剣に描いた水墨画も実は同じジャンルだ。
その写真が解釈可能であることも重要だ。
正確さ、そして動き、永遠に語り継がれること、これを心がけた。
正確さとは女目線で考えることを意味する。
実はスポーツカメラマンは技術面や環境の制約が大きいことも知らないといけない。
スポーツカメラマンの解説。

ぐるぐる女。

「男に関しては私は頭がぐるんぐるんよ?」(梨花)

女の顔にジェノタイプとフェノタイプが存在することはすでに触れたが、恋愛論に詳しい「ぐるぐる女」とひたすら人と痛みを分かち合う「同情女」の存在も指摘できる。
ぐるぐる女はやはり「特殊な教育を受けた」というバックの存在があることが指摘できる。
酒井法子 Allright.

他の女を「理解する」「今後を予測する」という観点からは同情女よりもぐるぐる女の方が優れている。
同情女は基本的には教会のシスターがモデルとなっている。
同情女が必要な時もあればぐるぐる女が必要な時もあるのが女というものだ。
瀬能あづさ 永遠に友達。

「話した女の数が違う」「高学歴」という側面があるぐるぐる女はなかなか友達にはしづらい部分がある。
しかし、盲目な女の危険性を見守っているのはぐるぐる女の方だった。
人生経験ではなく、バックグラウンドの違いだった。
人生経験からくるものならばもはや生きてはいないだろう。
子供をしっかりと育て、しかも周囲の盲目女の今後を「理解し」「予測する」のだ。
この2人はくっつくだろうな、喧嘩するんだろうな、ということも女の美しさや、男の人生観などから予測し、理解できる。
ワールドワイドウェブ(WWW)にはもはやわからないことはなかった。
女の友達が多いというぐるぐる女はもはやデジタル化を終わらせていたのかもしれない。
2人のセックスが喜びで終わるか悲劇で終わるかの予測もつかない同情女がいたのは事実だ。
美人局なんてのはバックグラウンドのない同情女だね。
セックスは極めて深刻な悲劇を引き起こすことがあるのだ。
タンパク質とタンパク質のぶつかり合いだとしか思わないのが同情女である。
極めて身軽なんだろうね。いろんなものに磔にされているのがぐるぐる女だからね。
女の進化ってのは、「ときにセックスは危険なものだ」ということを知ることにあるかもしれないね。
1970年代から1980年代にかけては同情女が主流だった。
ひたすらセックスは素晴らしい結末をもたらすものだと信じていて、振られた女のそばに寄り添うというモデルが示された。
しかし、ときに2人のセックスで周囲が凍りつくことがあることがだんだん分かってきたのだ。
フェノタイプにせよジェノタイプにせよ、セックスしたために周囲が凍りついてしまう。
これを理解したことから、「知識」というものが発展した。
美しい女でもお父さん女でもそれは同じだった。




ぐるぐる女と同情女は、正確にいうと上のような五つのセクトに分かれる。
学歴のあるなし、女友達の数、介入するかそばに寄り添うのかなどの違いが見られる。
「人生を理解することなんだよ」
うまく環境に溶け込んでいる女が案外、頭がぐるぐる回転するものなんだ。
むやみやたらと快楽を求めて居場所をなくす盲目な女に同情することしかできない女も案外、居場所がないのだ。
「美しい私を見て!」という女は案外盲目だね。
「危ないよ!」とぐるぐる女は眺めていた。
美しさを探求するというのはセックスが目的でしょう?
顔だけで自然に男運やパートナーが決まってしまう。
人間は鳥のように自由ではないことをぐるぐる女はよく知っていた。
美容整形をして美しくなった女が「賢さ」を維持できると思うだろうか?
いい男を平気で「醜い」というような女が果たして賢いだろうか?
美しい女たちは平気でセックスで痛い目にあって同情しあっていたのだ。
自分の人生をいかにコンパクトにまとめるかが女の賢さであって、社会に愛されたいと思う美容整形を受けた女は平気でセックスで周囲を凍りつかせた。
「生きていることを感じたかった」
ぐるぐる女は「別の生き方なんてなかったと思う。いろんなつながりがあるから」と語った。
人間の進化ってなんだったんだろうな?
また哲学の世界は考え込んでしまったのだ。

ぐるぐる女は雑談と真面目な話のレベルを巧みに嗅ぎ分けた。
「いい男とはどういうものか」をよく知っていたのだ。
言葉に男の意思の強さを感じた。
「大人の事情」を話しているのも分かった。
しかし、同情女は男の魅力をお父さんに聞かなければ分からなかったのだ。
同情女には、カタワの男とそうでない男の区別もつかなかったのだ。
子供に何を伝えたいのだろうか?
「万馬券を当てた気分だ」「波にのる」そんなことばかりかよ。
たかが女の見た目だぜ?
そんな一本調子だとどこかで泣きを入れるのは目に見えている。
ローリングストーンズ ハートオブストーン。

世の中がその男のことをどう考えているかぐらい見るよね。
しかし、ぐるぐる女と同情女は全く異なるデータを集めていた。
リサーチ戦略が異なったのだ。
やはり、男の美しさにこだわったのは同情女だった。
しかし、何かのクリエイティブな側面も同情女はリサーチしていた。
データベースを集めて、社会に衝撃を与える男の存在は同情女もよく理解していた。
「証拠を見せる」という意味ではいい男に見えたのだろう。
いろんな男と話を共有しているというのも魅力的だった。
証拠さえ見せてくれれば「私には全く分からない苦労」があることも理解できた。
ワールドワイドウェブさえあればガンも自己流で治せたのだ。
このやり方が機能しているうちは魅力的な男なの。
見た目をいかにコントロールするかが男には問われたね。
同情女は、美しさだけでからだが温まるタチの悪い女だ。
このような女も「女心の探求」を難しくさせたよ。

2017年6月 8日 (木)

お父さん女。

女には、生まれと関係なく自分で世界を広げていくフェノタイプと、お父さんを利用して生きていくジェノタイプの二種類がある。

フェノタイプ。
渡辺麻友 ラッパ練習中。

ジェノタイプ。
眞子さまブータンを訪問。

お父さんの「階級」からこの区別がなされている。
両者ともに「子孫を残したい」からこの区別を行なっているが、どのように両者は交友を持っているのだろうか?
ジェノタイプ(お父さん女)は、バックが存在するし、本来、農業の世界で語られていた話だ。
お父さん女は、きわめて実験的側面が大きく、人々は「遺伝とはこのような伝わり方をするのか」を見ていたし、遠い存在の女(インサートディスタンス)を感じさせる振る舞いをしていた。
「似ている」というだけで男がやる気を出すということが指摘されている。
ウェイズマンやダーウィンがこのことを指摘していた。
本当に勃つのはフェノタイプの女だったけどね。
ジェノタイプ(お父さん女)はフェノタイプに劣勢に立たされたから、フェノタイプに憧れるジェノタイプもいただろ。
世代って進化するのかな?という問題を強烈にアピールするのはジェノタイプ(お父さん女)だった。
秋篠宮佳子。

植物ですらうまく伝わらないものをジェノタイプ(お父さん女)は持っていて、セックスの時によがるんだよ。
人間は植物とは違うな、という喜びがある。
メンデルは1900年にこのことを探求し、「ハイブリッド」と呼んだ。
孫の代には、お父さんの影響なんて消えて無くなったのがよがり方で分かった。
しかし、お父さん女のお父さんは必死でこのことを隠そうとするだろうという効果は認められる。
フェノタイプからお父さん女を見つけることは可能だ。
お父さん女は「実験台」の上に登ったことを意味する。
「お父さんはどんな人だったの?」
F1、F2、F3までは人々は想像することが可能だったが、あとは見失った。
男女でジェノタイプを高め合おうという発想も周囲は祝福するだろう。
なにしろ「実験」なんだ。
「遺伝」が何を話すかなんて見失ったよ。
実験台の上に乗らなかったフェノタイプを恨んだこともある行為だった。

フェノタイプ。
指原莉乃。

だんだん人々が「実験」に興味を失っていくのが分かった。
「発展マシーンってもっと別のところにあるんじゃないの?」
フェノタイプ女の「大きな一撃」の方が強烈に見えた。
しかし、男女の性を決めるような決定的な染色体ってのはあるのではないか?という議論の曖昧さが残った。
親が「伝わった部分」をどのように愛したかなどは丹念に見ていかなければならない。
「親の愛」が機能するのが染色体だったのだ。
それだけがお父さん女の階級を守るだろうとされたのだ。
時にはフェノタイプ女の方が優れていると思うこともあった。
植物は色からしてタネから育てないといけない。
しかし、人間は何が優れているのかわからない伝わり方をするのだ。
続いていくということを愛するしかない。
階級社会は「愛」だけが頼りだった。
「娘のどこが可愛いのか?」を言葉にしやすかったのが染色体によって伝わるものだった。
親はいつでも子供や子孫を捨てるものだ。
愛が伝わるプロセスみたいなものではないだろうか。
RNAのボリペプタイドがDNAをどのように解釈するのかが問われる。
この議論を深めていったら「女たちのコントロール」が可能になった。
可愛らしいフェノタイプも、お父さん女(ジェノタイプ)も同じ親の愛を受けていたのだが、両親の離婚や、美容整形、また美容整形を受けたカッコいい男の存在、女の研究をしている男の存在などがあり、人間の発展とは何か?が問題となった。
社会はフェノタイプという可愛らしい女をどのように受け止めるかが問われた。
フェノタイプこそが親の愛からはぐれていたのだ。
そのため社会全体に愛を求めるようになった。
「新・実験主義」が研究所で進められ、美容整形の研究がなされたのは「社会に愛を求める」というものだった。
フェノタイプ女のような問題は人間以外にあるのだろうか?
一度探求を始めたら人間社会は止まらなかったよ。
女心の探求というよりは「愛情の探求」だった。
そこいらのお兄さんと、本当の彼氏はどのように異なるのだろうか?
社会の愛を受けたいとジェノタイプ(お父さん女)までが言い始めたのだ。
1988年に受けた美容整形はチャレンジだったが、2006年になってそのことが公にされ、みんなが「社会に愛されたい」と言い始めた。
2009年にステゲンガが「美容整形が解禁されている」と確認した。
「新・実験主義」の下では親の愛はどのように扱ったらいいのだろうか。
美容整形を受けた女は「本当の男らしさ」を知らなかった。
娘が社会から愛されたいと思っている。
そのようにして、フェノタイプとジェノタイプは共存し、コントロールされることとなった。
ここでいったん「お父さん女」と呼ばれる身分を称するジェノタイプは崩壊し、アメリカ合衆国は勝利をおさめた。
なにしろ「遺伝子」に自信を失ったのだからね。
「身分としての美」が女たちの間で語られるようになった。
そこで「民族としての美の起源」の研究が始まった。
酒井法子 ホンキをだして。

親が「あなたのこの部分が好き」と語ったことはメンデルの十字架と呼ばれ、何が美しいのかはもはや民族に委ねられた。
本来のジェノタイプもフェノタイプが莫大な人気を博すのを呆然と見送った。
「美容整形しても美しさは子に伝わる」
この問題はまだ様子を見なければならないだろうが、確実だとされる。
ここで、「身分」というものも解消される方向に向かった。
「偉大なお父さん」の面影をみんなが見失ったからだ。
左右対称な鼻と、特徴のない顔、これが民族の美しさとなった。
いろんなイケメンが出てきては消える。
そのような中で「女に詳しいおっさん」はしばらく時代を謳歌した。
心の病の問題もあり、美容整形は「世界平和」とまで呼ばれた。
このような「実験」をしたのはマウスと人間だけだった。
このことから、「この子だけは真面目に育てよう」という選択を親がやったとされる。
親は自分の面影を愛していたのだ。
娘が「どこかのお姉ちゃん」に見えたのだ。
お父さんの「偉大な知識」が失われていくのが怖かった。
その議論が野菜にまで波及して「無農薬野菜」などの個性的な野菜作りに発展していたのだ。
みんな「身分」を守りたかった。
野菜作りをする連中は「育った環境」を重く見ていた。
遺伝の何が失われたのかという郷愁の念もあった。
「昔は大物政治家がいたよな」とみんなが口々に語り合った。
美男子の団結を不愉快に思う年寄りは大勢いたのだ。
そのようにして、時代は学問を封じ込めてしまった。
中森明菜 少女A.

原点はやはり身分と美しさの問題にあった。
ジェノタイプ。
愛子さま。

フェノタイプ。
加護亜依 辻希美。

RNAは、寂しいだろうね。
今後、どのような展開を見せるのかはまだ分かっていない。
身分制社会は、見た目のコンプレックスから電車やバスで失神者を出すのかね。
それでは20世紀中頃の議論ではないか?
皮肉なことに、みんな虚弱体質になっていくと思われる。
「遺伝をいじることの怖さを知るだろう」
「神の意志が、お前は貴族ではないと言うだろう」
1911年にヨハンセンが語っていたことを思い出すだろう。
美容整形の祖先がそう語っていたのだ。
美へのこだわりは確実に内臓にダメージを与える。
学問の再評価が進むのは確実とされている。

2017年6月 6日 (火)

壁ドン女。

人間には複雑性があるし、拳も二つある。
しかし、なぜ「壁ドン女」は一つの方法しか知らないのだろうか?
壁ドンとは男の言葉ではなかった。
女にとっては「簡単で平和で癒される」ものだったが、男は窮地に陥ったら両方の拳をめちゃくちゃに振り回していた。
ラリー・ホームズ。

でも、二つの拳を振り回す男ならば、ドアから入ってくるときどんなやつかも分からない。
壁ドンをやるような男ならばだいたいどんな奴かがわかるでしょう?
「静けさを愛しているの。これが私のすべてだったから」
もう私には何もできない、そう思った時に女は「タイミングを見計らって席を立つ」というワンパターンな壁ドン女になった。
感情の潮の満ち引きしか見えなかった。
脳は動いているけど、カントもヒュームももう分からないの。
身分が違えば気持ちいいだろといったカントや、お金をもらって長話を聞いてもらう男とセックスしているだろうとしたヒュームも分からない。
つまり、壁ドン女(潮の満ち引きだけを見て席を立つ女)は欲求不満だった。
「私とセックスしたいんでしょ?」
その乾いた地図しか持っていなかったのが壁ドン女だった。
河合その子 乾いた地図。

「答えは必要ないの。それが世界だから」
楽な方向に生きることしかもうできない。傷つける男は選んでいたけどね。
それが私の世界だった。
セックス目当ての大物を傷つける快感に酔った。
金持ちの子供を成り上がり者から守るのよ。なんだか外国語みたいな言葉を使う成り上がり者が金持ちになっていくのを見た。
みんなヒグマを見たら逃げるでしょ?私は傷つけるのよ。
それをやらなければ私はナッツやレーズンを食べられなくなるぐらい好き嫌いが激しくなってしまう。
こんな好き嫌いがあること自体、もう私には何もできないということを示している。
食べ物を残した時、私はもう神を信じていないことを悟った。
より豊かな世界にはもう戻れない。
だって、豊かになっても食べたいものがないから。
トウモロコシの産地であるノースカロライナに行こうとも思わない。
人生の目的を見失うとは、食べ物からくるものだった。
ワンパターンに男の席を蹴る壁ドン女の正体はここにあった。
食べ物の好き嫌いを無くしたかったのだ。
それは、宗教の伝道とも関わる重要な営みだった。
「タフな心」「優しい心」をひたすら狙った。
健康を分けてもらいたかったから。
ラリー・ホームズはジャブだけで戦っていたのではなかった。
でも、私にはもうジャブしか残されていない。
可能性を失った女とは得てして「壁ドン女」となるものだ。

国が嫌いだった。団結が嫌いだった。トム・ペインのような女好きが私の食べ物の好き嫌いを治してくれると思った。
夜の食事が寂しかった。
好き嫌いが治るまで男に無礼を働き、5年間セックスできなかった。
トルストイもクロポトキンもこのような女を題材にしている。
人生の寛大さを男に教えるのにふさわしいネタだったからだ。
河合その子 悲しい夜を止めて。

もう私は食べられない、何もできない、そう思った時に「沢山食べる男の魅力」に気がついた。
言論の自由は好きだった。
人の話を聞くと食べられるようになると思った。
でも、作れない料理があるだけでお嫁にいけないでしょ?
食べ物の好き嫌いが激しいだけでも解雇できるという法理もあったのだ。
「私にはもう何もできない」と考えている女だったからだ。
食べ物のひとつひとつが知識の源だと思った。
人生が続いていくって何だろう?
男との話は大きすぎても小さすぎてもいけない。
どちらになると席を蹴った。
迷宮入りの話題を延々としていたい。
オックスフォードの計算機と呼ばれたヘイテツベリーは39の話題を考えた。
とにかく女の局部の価値を最大化したいんだ。
そうでなければ好き嫌いが治らない。
黒いものを白にする議論が好きなの。
でも、私のおかげでソクラテスがプラトンに発展したという話も好き。
毎日毎日「今日の話題」を聞きにきた。
「男には何もない」とは思いたくないの。
「この男は走ってるわね」
正確に見分けた。
その調子ならばローマ進軍も可能だということを誰よりも知っていた。
聖職につく人の伸びを測定したのだ。
有限か無限かぐらいは分かるわ?
男が黒から白になることすら眺めたの。
それだけ見ておけばあとは席を蹴っておけばいい。
食事の好き嫌いがなくなるから。
藤本美貴 大切。

すべての目的を見失った女は、勃起するために複雑な経験をしてきた男の子供が「より複雑性をもつ」と信じていて、そのような男の子供を産んだのだ。

2017年6月 5日 (月)

古風な女。

古風な女は成績が良かった。
しかし、勉強だけをすることは誰も許していなかった。
しっかりと部活動をやって仲間を作っていたのだ。
帰宅部の童貞男はその優美さを愛した。
朝、彼女をマスターベーションで破壊してから教室に向かった。
彼女が成績が良い理由は部活動をやっていて、仲間から勉強する許可をもらっているからだということもよく知らなかったんじゃないかな。
中世のドミニカ修道院で、このような研究がなされ、帰宅部男も成績がよければ仲間ができることを悟った。
トマス・アクィナスも「帰宅部にはいじめはないからな」と語った。
女のからだが役に立つことをこのときヨーロッパは知ったのだ。
「勉強は楽しいな」
童貞男は単純に考えていた。
成績が伸びていったからだ。
ホモにもならずセックス崇拝も身についたのが将来の可能性につながった。
「勉強するためには他の女子たちの許可が必要」
これを古風な女は知っていたのだ。
鉄緑会。

古風な女の魅力は行動であって知識ではなかった。
童貞男が勉強が好きになれたのは女が好きだったからだ。
「他の女子に勉強することが許されているって素晴らしいな」
多数派に属しながら勉強ができるということは帰宅部童貞男には考えられなかったことだった。
人間がどんなルールにしたがうべきなのかはその「古風な女」が全部やっていた。
童貞男はひたすら女を愛せば良かっただけなのだ。
仲間の多い女であり、知的サークルをももっていた。
「部活なんてやってられるかよ。潰されるだけだろ」
さっさと家に帰って、今日分からなかった問題を解決したいんだよ。
俺はなぜ今日、学校で叩かれたのかは分からないよ。
でも、明日になれば状況は変わるはずだ。
その「古風な女」は、女サークルだけを信じていて、男を野獣だと思っているようだった。
「俺は選ばれていたのか!」
帰宅部童貞男は思った。
女を愛すると成績が上がるという仕組みを構築したのだからね。
しかも、自分の人生がいちばん可愛かったからね。
吉田拓郎 夏休み【菊川怜】

その古風な女がいろんな人とコミュニケーションをとっているのも黙ってクラスで見ていた。
俺は孤独かもしれないけど、女を愛すると成績が上がるというのはもはや「永遠の法」だった。
俺の意思だけが自由だったし、古風な女が男を知らないのもわかった。
アルベルトザグレートが考えたことだった。

フランシスコ修道院の方は「女を愛すると女と問題を起こす奴がいる」と指摘していた。
知識ではなく、セックスに興味を持ちすぎてダメになる奴がいたのだ。
「神は愛されなければならない」
男の方も部活動をやってみんなに愛された方がいいのではないか?
知識だけに意思が向かうためにはほどよく疲れていなければならない。
チームでみんなに必要とされたという自信も必要かもしれない。
しかし、ドミニカ修道院の男にはかなわなかったね。
部活動をやってダメになっていったやつの方が大量に出てしまったからだ。
エックハルトもテーラーも、女との共同作業には距離を置いた方がいいとしていた。
それはあまりにも気持ちが良すぎたからだ。
カントは「何も知らない帰宅部童貞男に人生にとって大事なものを古風な女は教えている」とした。
ただの野獣が勉強が好きになれだのだ。
人間の意思というのは最後にどこに向かうべきなのかを古風な女から学んだのだ。
菊川怜 CM.

2017年6月 4日 (日)

アマテラス女。

万有内在神論といってもピンとこないだろう。
1953年にハートショーンやリーゼが作り出した「美少女」のことである。
クーパーも2006年にこのモデルを強烈にアピールしている。
世界で自分の周りだけがキラキラしている。
女への詳しさをソクラテスが追求した時に神と人間は別々の存在となった。
しかし、天変地異などで神に祈るものたちはいたのだ。
女心は深いなあという境地にその後到達し、カントやヒュームはそれを解いてみせた。
その後、美少女のおっぱい程度に神は制約され、女もそれを利用して男に力を与えようとした。
美少女と話すのは1日の中でも「いい出来事」とされ、ホワイトヘッドなどは率先して美少女と話をした。
美少女は、「自分の周りはキラキラしている」と考えていたので、男もそれに合わせなければイエスとは言えなかった。
そこからがいじめの世界の始まりだった。
「神も私には動かされるはずよ」
でも、いろんな物事の全責任は神が負っているけどね。
クレイトンは「美少女には彼氏はいないんじゃないの?」としていた。
案外「美しさとは何か?」という情報を持っていなかったのだ。
トップダウン的に雑誌の真似をしているだけだった。
彼女たちが「男の所得」に興味を持っていることもわかった。
雑誌の専属モデルになって貧困から脱しようとしていたのが「自分の周りがキラキラしている美少女」の正体だったのだ。
チオビタ 美少女。

狭い空間にはうんざりだわ。
女に詳しい人と開放感にあふれるところに行きたい。
世界は私の美しさにしたがって計画されてるの。
属するグループが考えていることがあるからしっかりと所属は自分で選んだ。
私のために行動する男は1人だけではないの。
このことからおじさんたちは「手の届く代物ではねえよ」と語り合った。
19世紀にカール・クラウゼがエジプトのイクナアトンのことを語っていたのを思い出したよ。
ブラフマンもウパニシャッドもこれを語っていた。
美しさのモデルはいろんな雑誌がユダヤキリストを参考にしていたに過ぎない。
吉澤嘉代子 美少女。

この美少女の「貧困」を見抜けない「偽物のデュオニソス」たちが彼女を取り巻いた。
偽物のデュオニソスの中で歴史に残ったのはジョナサン・エドワードなど数人しかいないんじゃないかな。
とにかく「ただ生きている」ことがいじめの強者になることであり、男は歴史に残らないのだ。
ヘーゲルもシェリングも、このような女とは距離を置いていた。
美少女の彼氏を見てみても体も鍛えていない「ただ生きているだけ」の男で、ダーウィンは「進化につながらない」としていた。
ベルクソンも「このような男が物事を治めた形跡はない」としている。
渡辺麻友 シンクロときめき。

永遠の神とはほど遠い人生を美少女は目の当たりにした。
海にも山にも連れていってくれない「ただ生きている人」に飽き飽きして人生を「地獄」と呼ぶあまったれだった。
1981年には「三位一体と王国」という本で、プロテスタントもロシア正教会もカトリックも「美少女と男同士のいじめの関係」に興味を持った。
無限の神は「美少女からの脱却」をやっているのではないか?
美少女は男と付き合って神を信じなくなった。
なぜ美少女が人生を「地獄」と呼んだのかに関心が集まったのだ。
なんの決意もない「ただ生きている人」に虚しさを感じたのだ。
すべての出来事になんの感動もなかった。
「物事の複雑さはピラミッド状になっている」
こんなことも知らずにバカをやらかしている男だったのだ。
組織も同じようにピラミッドを作っていたのに下々の人間しか私のところには来なかったじゃない。
清水富美加。

彼がふたたび人生に希望を持ち始めたら、世の中のいじめを嫌って私を捨てたわ。
フィリップ・クレイトンは「女の独占を排除する力だね」と語った。
偉大な哲学者たちはそのことを知っていた。
「そそる」危険性を理解していたのだろう。
神の力とは「与える力」であり、ただ生きているだけでは何も与えられない。
ただ生きている男は、美少女を海に連れていくような力もない。
仏の道は組織論だけでなく「美少女と男たちの関係」についても触れていたのだ。
高井麻巳子。

美少女が目の前に座っていると勉強ができなくなる。
このことを「絶対に解ける問題」と呼ぶ。
神と世界の関係だったからだ。
しかし、ドイツ観念論哲学は、中年男に可愛い子をなつかせてしまった。
「ただ生きている若者」が中年男を尊敬するという図式が出来上がったからだ。
年が離れている男と同年代の男は違う。
他の連中を否定しないのが中年男だったのだ。
松浦亜弥 絶対解ける問題。

美少女は地獄を見るという図式もずいぶん変わったね。
中年になるとわかるんだ。
そのようなマンガまで描かれるようになっている。
女と話した経験が違うんだろう。
美少女は地獄を見るということまで理解している中年男だった。
ナガサワは、すべての可能性の一つとして中年男と美少女の関係を指摘していた。
自分の周りだけがキラキラしていた女もいずれわかるようになる。
一度、若い男に痛い目にあわされてからだけどね。



2017年6月 3日 (土)

工場女。

「工場女が気持ちいいセックスを知っている」
これはギリシャの伝説だった。
ローリングストーンズ factry girl.

アラブ社会にも9世紀にこのことが伝えられた。
1973年に「工場女」の研究がアメリカで完成すると、日本はオイルショックになってしまった。
何がどのようにショックだったのかはメディアは明らかにしていないが、答えは「女子に教育を与えるよりも工場女にしたほうが気持ちいいセックスを覚える」という問題だったのだ。
受験戦争まっただ中の日本国において、ショックとは哲学によって引き起こされるものであり、国づくりの失敗から引き起こされるものであった。
なぜ「トイレットペーパーの買い占め」につながったのかもほとんど憶測でしかない。
「工場女の方が気持ちのいいセックスを知っている」
この衝撃が背景にあったのだ。
イラン革命はこのことを表現したのであり、「終わりのない1973年」として世界に伝わっている。
「我々の国づくりは失敗だったのではないか?」
この政府の動揺を示しているのだ。
1986年までには日本国は「文化として受け入れる」という作業を終わらせることができた。
rebecca moon.

「女工哀史」のような悲劇的側面ばかり理解していた日本に対する「アルキンディサークル」の攻撃であった。
国づくりの哲学によって他国を攻撃し、ショックを引き起こす、しかもセックスを利用するという極めてよく練られた作戦だったのだ。
9世紀にプロティヌスがアリストテレスから学んだことだった。
受験だけを信じている国にとってはいまだ有効なものであろうが、イラン革命のように国家としてこれを行おうとするものはもはやいない。
その国の知性を崩壊させることができるのだ。
オイルショックは、アルキンディサークルに一本取られたけど、今の日本は慣れているからね。
高貴な世界からあえて遠ざかることにも慣れている。
やはり、セックス崇拝が世界で確立していたから、簡単に受験生たちは知性を見失ったんだろう。
プラトンは詩でセックス崇拝を歌い、アリストテレスは男女の共同作業からセックスが成立するとしていたが、これが浸透していた世界で、アルキンディサークルがやったことはもはや「神学」と呼ばれた。
いまだに強烈な信者を持っているイランの伝説なのだ。
rebecca ラブパッション。

2017年6月 2日 (金)

束縛女。

束縛女のおかげで周囲から人が離れて行った。
「許しって何?」
大野幹代 許して。

女の側が不幸だったのが原因だ。
そのため、束縛女から逃れるためには不幸の原因をなくすような医者、弁護士、哲学者でなければならない。
権力と結びいている見識が束縛女を遠ざけるし、許しにつながる。
男が仲間を取り戻すためにも必要なのが束縛であり、いじめの三位一体とは異なる役割を果たす。
問答無用で権力と結びついているならば、女は束縛によって男を孤立させようとは思わないものだ。
「国というのは壮大な仲間だね」
許しの基本は国全体に仲間が拡散していることを意味するのだろう。
「誰と作業を共にしているの?」
女は国を許していたのだ。
女は不幸が原因で散々、人に間違いを引き起こしていた。
しかも、そのことで許せなかったのは女の方だったのだ。
男は「全知全能」のふりをしていた。
でも、国とつながっているのならば話は別だった。
宇多田ヒカル 嵐の女神。

女がどんな日常を犠牲にして目の前に座っているのかをよく聞くのだ。
その上で「弁護士の役割を果たす」必要がある。
つまり、刑事訴訟法などの知識をしっかりと踏まえて交番で話をする。
それだけで女は男を許している。
「全知全能のふりをしたのが許せなくて孤立させようとしたのだ」
交番(生活安全課)でしっかり女の悩みを解説してやる、それだけで束縛はなくなる。
女の不幸が束縛女を作っているからだ。
束縛女は「交番はどこですか」と声をかけてくるよ。
許しの象徴は女にとって「交番」だったのだ。
あくまでも許すのは不幸な女の方であり、男の全知全能が間違いを引き起こしていた。
女の「負の感情」は、国との結びつきを必要としていた。
学生証でもなんでもいい。自信を持っておまわりさんに見せる必要がある。
刑事訴訟法を知らないと立ち位置を間違えて束縛女を作る。
彼女が家庭内の何に痛みを感じているのかは散々聞かされたはずだ。
しかも、男は全知全能として振る舞ったはずだ。
だったら「交番で堂々と悩みを解決してやる」必要がある。
女は不幸だったから「交番はどこですか?」と言ったんだよ。
2人の関係の第三者を警察組織にする必要がある。
政治活動をやっているとどうしても「過度に懐いてしまう束縛女」が生まれるのだ。
単純に「あなたのことをどう思っているのか知ってほしい」ということから懐いているが、第三者としての広い空間が必要だ。
これが警察の勉強を法学部でやる醍醐味でもある。
女は警察を前にした時、酔っているようだった。
この時からしつこく電話するのもやめた。
Trouble of love rebecca.

女が「何を変えたいのか」を理解する必要がある。
群れている女のからだをよく見るんだ。
俺は十分、苦しんだのだろうか?
みんながその女のからだに怒っていた。
周囲の怒りを鎮める痛み止めはどこにある?
周りの女たちは少女マンガを読んで作戦を練っているんだ。
2012年のサラゴサ、2013年のネルキン、2014年のブルステイン、2015年のワームケがこの問題と向き合った。
それほど「束縛女」の研究は立ち遅れていたのだ。
女にとってネガテイブなことはキリがないくらい起きるものだ。
その最大の原因のことはすでにあなたに話してあるでしょう?
あなたが全知全能だというから私は束縛したの。
サードパーティが警察になったのならば束縛はしないわよ。
ジョゼフ・バトラーは「そういう話は法律の世界でよく聞くね」と語った。
他人の間違いが鑑定人に転嫁されていて女にまとわりつかれていたのだ。
鑑定人も全知全能だと思われていたからだ。
その女は全知全能な男次第で罰を受けるから束縛女になっていた。
少女マンガでも「全知全能男へのリベンジ」をすでに教えていた。
「敵すら愛せるほど簡単なもの」と少女マンガは描いていたのだ。
交番の前で「私はただの友達ですが」と言って、束縛女がそれを認めれば簡単な話だった。
情にほだされて関係を持ってしまうのか致命傷だったのだ。
globe freedom.

オックスフォード辞書には「許し」と「失礼」について触れてある。
女の無知に対して「失礼」だから束縛しているのだ。
「鑑定人なんてなるものではない」という法律の世界は、全知全能として振る舞った男が家庭崩壊させられていることを言うのだ。
まず「争い」を理解していることが最初の段階だ。
そして、それが女の罰につながった憎しみがある。
女は世の中の知性の限界を憎んだのだ。
個人的なサークルに加わるからこのようなことが起きるのだ。
簡単に交番に行って「友達です」と言って「判決」をもらえば済む問題だ。
あなたを称賛したからあなたを呪った。
岩崎宏美 すみれ色の涙。

カフェーの女給の歓心を買おうと思って「明日、ブランド物のバッグを買ってやる」と言うのも背景には全知全能として振る舞ったことがある。
この男を有罪だと思うでしょうか?許せるでしょうか?
答えのすべてが「交番」にあったから、女は「交番はどこにありますか」と言って男を誘っていたのだ。
中には「医学、法学、哲学の三発かまして追っ払ってやったよ」というツワモノもいた。
「ことの発端は小さなケガなんだよな」
問題は「一旦引き受けた」ことにあるんだよな。
鑑定人になるのならば理解しておいたほうがいい。
女によっては「あなたとならば世界に終わりが来ても怖くない」と言い出すほど燃え上がる女もいるのだ。
瀬能あづさ 愛になりたい。

そのために作られたのが教会ネットワークだったほどだ。
2人の間には何もなかったということを告白して許してもらうための組織だ。
「神は2人を許すのだろうか?」
日本においてはその権威は不十分なものだと言わざるを得ない。
制服を着た巡査がいる交番を「教会」と呼ぶしかない。
政治家の事務所の役割もこれに類似している。
「この政治家がバックなのね」
ビル・クリントンはこのことから政治家としての役割を果たせなくなるのではないか?と指摘された。
日米同盟もフツ族ツチ族の関係も、世界が破滅するまで愛し合わなければならないものとなっている。
国際社会にはもはや「交番」はないことを悟るんだ。
このことは医学を学ぶものに知っておいてもらいたい。
医者仲間はこれを知ることで自然に増えていくよ。
「適当な医者」というのもここから生まれている。
人望のある医者が名医だとは限らないのだ。
侮辱されることに耐えられる男が人望があるんだ。
名声をまったく傷つけたくないのならばもろい医者になるだろう。
ニーチェは、ルサンチマンによって弱さを憎んだだろう。
人望のある医者よりも名医になって欲しかったのだ。
すっとろい医者に迷惑するのは男の方だった。
どれほど女に人気のある医者であろうがだ。
人望のある医者はいい生活ができる。
しかし、ニーチェは確実に寿命を縮めていた。
男にこそ「慈悲」が必要だった。
完璧を目指したのならば女と世界を破滅に導くことになりかねないから適当でいいよ、という慈悲が男の患者には必要だったのだ。
「適当な医者」に対して、その家族は「家庭を守ってくれてありがとう」という反応をするだろう。
蒼いうさぎ 酒井法子。

女の取り巻きがいて嬉しくないのか?
関係を持たなければいいだけじゃないか、という指摘がなされた。
「知っていることを全部吐き出せばなんとかなるよ」という見解だ。
「交番がなければかなりのチャレンジになるね」と語られた。
「男女の違いを悟って女はまとわりつかなくなるだろう」
本当の深刻な痛みとは女にとってはセックスであり、あとはどうでもよかったのだ。
「常に隣にいて欲しいだけじゃないの?」と女たちも思っていた。
男も自尊心を増すし、何か困ることはあるのかと言われた。
しかし、確実に「束縛女」が存在する男は孤立するね。
近代には警察もしっかり存在するんだ。
何を恐れているんだ?

2017年6月 1日 (木)

売春女。

トルコのEU加盟が暗礁に乗り上げた。
エルドアンが三権分立のチェックアンドバランスを確立できずに、暴君のような男たちが売春女を大量に生み出したからだ。
性の統制がとれなければEU加盟は厳しいかな?

1950年代に、アメリカで「教育の機会の平等」が広まった。
キーワードは「女らしいって何?」だった。
42・6%の黒人が貧困家庭のための高校に通っているのに対して、白人は7・6%だ。
このような貧困家庭のための高校で教えることは「女らしさ」しかなかった。
女らしさの議論の現状。

まず、「できない」ということを教える。
男子にも参加させる。
デトロイトの学区の境界線を渡ると、差別があった。
しかし、「可愛い子がいるらしい」という噂が学区の向こうへの憧れを引き起こした。
全米50の州でもこのための予算の使い方は異なっていた。
高橋愛。福井県。

2001年には、その25年前よりも30%はこの予算の必要性が高まっていた。
高井麻巳子。福井県。

出身地を女性に聞くのはこのお金が背景にあるという側面がある。
お金に困っている州と、そうでない州があり、女らしさは異なるのだ。
ココリコミラクルタイプ メイドカフェ。

女マーケットに女を出すのが貧国家庭のための高校の目的であり、男子の進学など頭にないのが現状だ。
男子は金持ちにはなれないが、繁栄とは何かを知るだろう。
「できない」ことの可能性は女子にしかない。
本と接する機会を持つというのはそういう意味だったのだ。
入学試験の難易度や、一生懸命勉強する習慣、先生の質がおのずと異なっている。
しかし、自由恋愛だけは外国にも通用するものだった。
うしろゆびさされ組 猫舌ごころも恋のうち。

大学入試で「出身校」という人種差別があるのは事実だ。
学校外でどのような習慣があるのかが異なるからだろう。
高校を出たら「女」というものは出来上がる。
そこで差別はいったん解消しているのである。
ブラウン対ボードオブエデュケーションは、貧国高校の差別を国立大学においては内申書の上では行わないことにした。
国立大学においてだけは貧困の解消と機会の平等は保障されたのだ。
結局、働くことができない男を楽にする、というのが教育の目標なんだろう。
裕福な家庭においては、働きたくないお坊ちゃんが私立大学に行くのだからね。
おのずと職業も決まってくるのだ。
金持ちと貧しいものに同じ可能性を与えるのが学費の問題だ。
ロールズの正義は「エリートからは金を取らない」というものだった。
ジュリスト1500円。

男の自尊心だけをギャンブルにかけた行為だった。
才能と富はこのへんで妥協するしかないんじゃないか?
働きたい奴は国立大学に行くし、働きたくない奴は私立大学に行く。
女らしさは高校を出れば十分に身につく。
満足のいかない生活はその学校のトップ1%の人の責任だ。
組織に参加するとはそういう意味なのだ。
入試が無理だと思うのならば逃げるのが普通だろ。
みんな、結局「楽して生きていける」仕組みなんだよ。
自分なりの女は見つかると思うね。
女マーケットは激戦区だけど、女に恵まれるのは低学歴だよ。
アカデミズムへの貢献はやる気がなければ出来ないね。
84%の大卒は高卒と能力が変わらないんだよ。
あとは女の問題だろ。
可愛い子に学歴なんかないよ。
広末涼子。中学。

宗教的多数派、女学的多数派、仲間の多数派があるだけだ。
みんな「国の仕組み」を尊敬しているんだ。
ショボい神でも正当化してしまうよな。
それほど、国は低学歴男のために何もしていないんだ。
「学校のファイナンス能力」を見なければならないね。
大事なのは「適切な分配」だ。いい女が安く手に入るという点を見ている。
高校までは公立は私立の10%だし、大学は30%のお金しか取られない。
東大にはマスプロしか待っていないよ。
マスプロは常に「家庭との対話」を行なっている。
いろんな意味で「別の人間関係の親密さ」を構築してもらいたいのだ。
「できない女」を取り込んでいける年齢になればいろんなことがわかる。
神名乗り。

貧しい人間の方が金持ちよりもタバコを吸いやすい。
それでやる気が出るんなら吸ったらいいじゃないか。
それ以外に不平等なんてないよ。
高学歴のものを出すという営みを個人レベルで見るのか、グループレベルで見るのかという問題がある。
グループレベルで見たら「私にもチャンスがあった」と思うものが出てくる。
タバコを吸うか、いい女で満足するかした方がいいんじゃないか?
どの哲学者も学歴の扱いには注目しているんだ。
売春女・大村真由美。

まあ、いずれにせよカント以降、人生のすべてがうまく行く奴がいなくなったわけだよ。
こんな社会と契約を結びたいか?
アレキサンダー・ハミルトンは、このようなアメリカの連邦制に「ノー」と言っただろ。
おしゃべりな妻の話を聞いて出世につなげようというアメリカ合衆国の精神にね。
美しければ女なら誰でもいいだろと考えたアメリカに異議を唱えたのだ。
「低学歴の俺だけど法律を作りてえな」
権力の序列が嫌なんだよな。
「俺を認めない社会が悪い」というよりは「参加」したいんだよな。
アリエル・ルービンシュタインもナンシー・カートライトも「たまらない夜の寂しさ」を指摘していた。
21世紀になってからだ。
化学の周期表(女一覧表)を見るものと見ないものがいた。
社会と契約を結ぼうという人もいれば、社会を作ってやろうという人もいた。
答えは「仲間」にあった。
「男らしさ」にもあった。
カフカは夜のたまらない寂しさを詩にした。
どの女も同じだと考える「無知のヴェール」にしたがってダウ平均で女を買った。
男とセックスした後の女の長電話も聞いた。
セックス政治ポピュリズムに俺は飲み込まれるのだろうか。
若い女のからだをガン見することから始めなければならない。
何が権力者を権力者にしたのかがそれだけでわかるからだ。
男社会で生きているのか、女の学問をやっているのかの違いは各自存在するだろう。
「お兄さん、お兄さん」と声をかけてくる売春女もいた。
「これが法律だ」
俺が不遇をかこっている理由は女をガン見しないからだ。
夜の売春女たちのサービス精神だった。
女の研究をせずにいい取り巻きが出来るとは思わないでね?
新大久保の売春女。

ソクラテスは女に詳しい、そこから人間たちが馬車馬のように動き始めたのに、あなたは女を知らないのね。
アメリカ合衆国独立のジェファーソンの精神はモンローが認めたことで終わっているの。
ソクラテスをアメリカも受け入れている。
フレミングも「お前は男に勃起したのか?女に勃起したのか?」という第1原則をたて、女ならば勉強しろよと言った。
学歴なんて関係ないわ。「あなたと私」しかいないでしょ?
「私のバックを教えてあげましょうか?あなたもいずれ分かるわよ」
これがあなたが契約を結んでいる社会の現状よ。
あなたと私がいるだけでどのような物語を作ろうが勝手じゃないの。
それを教えて女は3000円を持って行った。
1959年にトーマス・シェリングが考えた売春が2014年にはジョン・スラシャーによってこのように役割を変えていた。
セックスが政治の源なのよ、ということを教えていたのであり、金を払うやつも払わないやつもいた。
国が教えて回っているんだよ。
松田聖子 マラケッシュ。

「あなたと世の中がいつか相思相愛になれますように」
「あの王子はもっと寂しそうに歩いていたわ」

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