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Foreign Affairs

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2017年6月26日 (月)

AKB女。

女が純潔を守ることを男が容認することがある。
なぜそれは男性的なものなのであろうか?そして、女はそのことに満足できるのであろうか?
「誰も入ったことのない領域を作り、男たちに考えてもらいたい」
これがカントの言った「実践理性」であり、より意味のある女のからだのことだ。
若き乙女は常に実践理性を身につけていて、男の子たちに宿題を与えていた。
男の子たちは悶々とした日々を過ごすことになった。
願い事の持ち腐れ。

カントは彼女たちを政治コミュニティに流れ込ませた。
ロールズなどは「彼女たちの文化はつまらない」と語っていた。
しかし、彼女たちにとって「誰がお友達なのか?」という指摘を受けて、ロールズもこの議論を諦めてしまった。
チンピラみたいなのを取り巻きにしている女がいいのだろうか?
それはもはや「男たちの問題」ではなくなってしまった。
女たちには友達が必要だったのだ。
マジスカロックンロール。

「男たちは結婚というものをどう思っていたのだろうか?」
カントの「純潔じゃなければお嫁にいけない」という理論はしかしハチソンやヒューム、アダムスミスに圧倒されてしまった。
それでは女の子にとって「いつ」経験するものなのだろうか?
それは「読んでいる少女マンガと男らしさ」次第だった。
女の子が自分で判断できること、そして周囲の環境に祝福されたこと、このことを見ているのだ。
これを「実践理性の定言命法」と呼ぶ。
女の子が自分で判断でき、そして周囲の環境に恵まれた、このことは「構成要件」とも呼ばれている。
それがなければAKB女は、あっという間に孤立するだろう。
彼女たちはもはや政治コミュニティの人間だったからだ。
ロールズはこのような構成要件論を否定しただろ。
「初めての男には必要ないもの」と考えたからだ。
しかし、「女の子が自分で決める」という発想は周囲の環境に確実に良い影響をもたらした。
「カントは女の子の初体験から刑法を考えた」
しかしそれは法律のようなものに過ぎなかった。
お先に失礼 おニャン子クラブ。

男たちの自由競争は激しいものだった。
しかし、「騙すと仲間が減るよな」などのことは学んだ。
女の子は間違いを嫌っていた。
より男らしくて法律に満ちた男が良かったのだ。
孤独な男を憎んでもいた。
時には国際法の理解力も試した。
「処女と童貞」を望んだのではなかった。
デタラメ女の国際法に詳しい男を初体験の相手として選択したがったのだ。
教会法は、孤独と法を知らないことに罰を与えただろう。
教会で罰を与えられるような男は嫌いだった。
少年マンガは、ひたすら男たちを導いでいたはずだ。
「人間らしい瞬間が大事だね」
自分で決断できる男は素晴らしかった。
河合その子 恋の秘伝。

このことを受けて、マンガの世界は「人間とは素晴らしいものだ」と生き生きと描けるようになった。
マンガに比べたら現実の女のからだは有限だった。
そこで、おのずからパートナーは決まっていったのだろう。
「自分のために努力する」これは男の子が学んだ。
寛大で認め合うことを知っている女をたまたま「男を知っているからだ」と呼んでいたのだ。
ヒュームは「男を拷問する女は男を拷問する男を知っている」とした。
そのようにしてヒュームはAKB女からは身を引いたのだ。
アリストテレスは「生娘がメンバーにいるといろんなものが治まるよな」としていたに過ぎなかった。
それでも「法律のようなもの」と考えており、カントほどダイナミックには語っていない。
生娘には感謝していたけどね。
伊豆の踊子。

しかし、やはり「王子」に生娘はふさわしいのではないか?とホッブスは語った。
見識を広く持って接する必要があったし、生娘は間違ったことは堂々と主張してくれるという効果もあった。
メンバーにいると仲間も集まってくる。
スキャンロンはセックスではなく「日常」に目を向けたのだ。
デビッド・コップは、そのようなAKB女に対して社会が何を言うのかを注意深く見ていた。
彼女を攻略するのは学問の集大成のように思えた。
従来までは、踊子一行の姿が「絵になる」ことに気がつかなかったのだ。
「彼らは何を話しているのだろう?」
本当にアメリカ合衆国が関心を寄せたのは21世紀になってのことだ。
生娘の前でボクシングをやるかプロレスをやるかの両者が分かれた。
どちらかの発想次第で仲間も変わってくるのだ。
まあ、AKB女はプロレスとたいてい仲がいいね。
しかし、実際は「真剣勝負」で男の子がびっくりするような結果を出してしまう効果があるのだ。
なぜ女の子のために頑張れたんだ?と聞いても「ただやっただけだよ」と男の子は答えた。
大人たちが決めたルールで勝つことが男の子にとって大事だった。
なぜならばそれことが刑法を守ることであり巨大な多数派を作る方法だったからだ。
恋するフォーチュンクッキー。

カントが描きたかったものを川端康成は描いた。
このことから吉永小百合の伊豆の踊子の冒頭の講義はカントから始まっている。
しかし、学生さんが悶々とする姿で描かれているように、「生娘がいるグループ」がいつ崩壊したのかは明確ではないと批判された。
学生さんはもはや政治的強者としても生娘がいなくなったことに寛大にならなければならなかっただろう。
グループは、お互いに愛することと世話をすることを続けていかなければならないのだ。
ここ30年間、ローマ帝国の崩壊とも言える娘に男ができたという問題とアメリカ合衆国は向き合ったのだ。
伊豆の踊子。

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