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Foreign Affairs

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2017年5月24日 (水)

ちんちん女。

巨大なロッドと守ってくれること。これがアフリカにはある。
西洋の洗練された男をアフリカの「ちんちん女」は恐れている。
もっと動物的なのが人間というものよ。
ここからアフリカは出発した。
まるで女の子の成長のようだった。
アンブレラエンジェル。

白人は、巨大なロッドだけを求めて知性を愛さないちんちん女を憎んだし、いろんな男がいるんだなあという人類学の発端ともなっている。
ヨーロッパと違うのは「そんな女に政治が機能するのだろうか?」という問題だった。
人間の複雑さがわかっていないという意味を込めて「ニグロ」と呼んだ。
ヨーロッパがアフリカを植民地にした時も、ヨーロッパ人はディアスポラ(ゲットー)を作って地域住民とは距離を置いていた。
「アフリカ系」という意味はちんちん女への知的な戦いを想起させる言葉となった。
ばいばいどくおぶざべい。

彼女たちには男の区別がつかなかったため、政治が発達しなかった。
「歴史がないではないか?」
ヨーロッパを悩ませたダークマターである。
勃起が重要であるとされた社会だった。
この問題をヨーロッパは、アゴラを拠点として向き合うことに決めた。
「それではヨーロッパの奴隷のままだ」
20世紀のアゴラは戦うために存在した。
18世紀のカントやヒュームを否定されている気がして仕方がなかった。
「人間らしい写真が撮れない」とも言われた。
音楽や文学、ダンスは理解してくれたのでアフリカの高等教育はこれを中心に行われた。
ヨーロッパの寛大さでもあり、資金の捻出方法への悩みからくるものでもあった。
国境はどうやって引いたのか?
守ってあげられる範囲内で決めたよ。
数世紀前までは歴史がなかった連中なんだ。
「新世界を作るんだ」
ヨーロッパは単純に学問の場を求めていたのだ。
本国に知性を持ち帰りたかったのだ。
「死ぬ自由はあるのか?」「気が狂うまで苦しまなければならないのか?」
ちんちん女の悩みとはそのようなものだった。
ヨーロッパは何故、文化とお金を謳歌できるのだろうか?
ヨーロッパ系アメリカ人も同様だ。
アフリカからの復讐が始まった。
芸術がアイデンティティだよ。
eminem lose yorself.

知らないことによって我々の人生は歪められているのだろうか。
もっと「愛とは何か?」「十字を切るとは何か?」を理解したがった。
ロッドだけの世界では奴隷の扱いだけが待っていたからだ。
ヨーロッパの巨大なマネーに憧れてくれたから、アフリカは非常に面白い地域となったのだ。
我々の国では残虐な殺しが横行している。
これもアイデンティティとなり、ヨーロッパ系の連中が震え上がった。
「俺たちはこういう生い立ちなんだ」
それを背景に知的なサークルに入っていった。
男同士の知的な争いでは決してなかった。
自分たちが「嘘をついている」ことを誰よりも自分が知っていた。
マイケルジャクソン ビートイット。

マリとガーナ、エジプトの反応は速く、創作活動が熱心に行われた。
国の言い伝えを図書館に広めたのはこの三ヶ国だけなんじゃないかな。
繁栄とは決して巨大なロッドからは生まれないことを理解したのだ。
エジプトの勝者がイスラエルを見ていたとエジプトが教えた時にアメリカはエジプトを「中東」と呼んだのだ。
エジプト伝説が生きた瞬間だった。
1970年代にエジプトの研究が深まって「ブラックアテネ」と呼ばれた。
そのようにしてエジプトは「アフリカの入り口」としての立場を強めたのだ。
カントも「巨大なロッドは知的ではない」と考えていたようだ。
1940年代から1980年代にかけて、アフリカの知性はエジプトを通じて飛躍的に高まった。
We are the world.

ホロコーストをやる男が気持ちいいセックスを提供してくれるという発想とも決別しなければならなかったし、宗主国という考えからも脱却しなければならなかったが、なにしろ歴史がなかったのだ。
「黒人女の発信力が弱すぎる」
「伝説に頼りすぎだ」
二つの指摘がなされた。
サブサバランとはカイロのことだったが、このような批判は免れない発想を持っていたのだ。
アフリカにとってナショナリズムとは何か?はエジプトが教えてくれた。
ナオミキャンベル。

植民地の時代を終えても、黒人のゲットーは問題となっていた。
男と女の関係が特殊だったのだ。
ある意味、アメリカやヨーロッパによる「新植民地主義」が展開されたと言ってもいい。
暴力が蔓延したので製薬会社は容赦なくHIVの烙印を押した。
いじめは高い教育とは程遠いものだったからだ。
アフリカ系は、巨大なロッドだけでなくHIVというイメージまで背負わされたのだ。
文化がない、歴史がないとはこのようなものかという無力さに取り憑かれた。
エジプトの文明だけが頼りだった。
「恋って何か考えてごらん?」
そこから始めなければならなかった。
黒人ゲットーの問題はどうにもならないね。
デタラメなセックスをして奴隷扱いされた連中だ。
それが君らのサバイバル術ならば、そして祖先のアイデンティティならばヨーロッパやアメリカは受け入れないだろうね。
法律を作っても守らないんだってね。
アゴラは戦ったよ。
でも、君らも戦うために生まれたんだろ?
それが「新世界の掟」ならば十字架の意味もわからないだろう。
女とセックスした過ちの意味もわからないではないか?
1860年にアメリカが南北戦争を始めただろ。
この時にはアメリカ合衆国は、黒人の力を必要としてしまった。
この時には「戦う権利」を与えたに過ぎないが、「彼らの論理」を理解する必要に迫られた。
フレデリック・ダグラスとアブラハム・リンカーンの個人的なつながりも功を奏した。
しかし「巨大なロッドで男女同時に逝くのは南部だけにしてくれ」と言われた。
アメリカ全体ではカンザス州とオクラホマ州が動いたに過ぎない。
のちに第一次世界大戦で「奴隷扱いだとともに戦えないではないか」と言われたが、南北戦争の時には「彼らが中産階級として笑っていることは想像できない」とされた。
むしろ、黒人女性がウェイトレスなどの役割を果たして大きな貢献をしたね。
また、イダ・バーネットのように「暴力批判」を展開してくれる黒人女性もいた。
巨大なロッドは女の問題という黒人女性のおかげですでにワシントンは黒人問題を理解するようになっていた。
色のついた人種は独自の文化を持たなければならないとも考えられた。
1885年にホワイトハウスは「君らとともに神に祈るつもりはない」と語っていたのだ。
1903年にウィリアム・ジェームズが「黒人の魂」という本を書き、黒人社会のいじめはキリスト教社会と同じ問題意識であるとした。
20世紀までは「黒人女性の問題」として議論は止まっていた。
そのような空気の中でアメリカ合衆国は、世界大恐慌や第二次世界大戦、朝鮮戦争を迎えたのだ。
1915年にもアメリカ合衆国は黒人に頼ってしまった。
労働力としてどうしても黒人の力が必要な時期だったのだ。
アメリカ合衆国に必要とされたことを彼らは「ハーレムルネッサンス」と呼んだ。
ニューニグロが中産階級に進出し始めた。
黒い肌を鏡で見ただけで、人ごみで泡を吹く(てんかん)という現象も減っていった。
自信とはそのようなものだった。
「なぜ男は奴隷になるのか?」という教育がなされた。
インドのガンディーのように「敵がいるのは楽しい」という言葉に感化されるほど優位な展開も見られた。
キング牧師の「暴力を使わない力」という発想も神秘的な影響力を持った。
マルコムXは「若きトルコ人」という論客だった。自由恋愛という白人のフェミニズム第二の波に乗ったのだ。
白人層が沈黙していた性の経験とようやく黒人の足並みが揃った。
1950年代のマッカーシズムという反共ムーブメントが終わった時に、黒人社会に希望がもたらされた。
いずれにせよ、お金と文化の問題だったね。
何かあるたびに「人種差別は良くない」という主張がなされ、黒人が認知された。
1987年頃には普通にみんなセックスの歌を歌っていたよ。
おニャン子クラブファイナルコンサート。


【延々と続く】

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