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2017年5月17日 (水)

ゴシック建築・再論。

イスラム教とキリスト教はスペインで12世紀にぶつかり合った。
お互いにハッタリをかましあって何もかもが過剰性を帯びていた。
軽い石造りの建物で、できるだけ窓を大きくし、二つの方向に建物は伸びていたが、それが接するところにはみんなが集まれた。
ロックとセックスは明確に分けられ、女の子の部屋には入ってはいけないというカトリックマイトレーヤーも作られた。
庭でもふしだらな真似はしてはならないという掟もあった。
ゴート人が作ったものだったから「ゴシック」と呼ばれた。
この建物でイスラム教徒とキリスト教徒は争ったが、その男たちの歴史が亡霊のように少年の心に乗り移った。
「頭のいい子を育てる建物」と言われる所以である。
ゴッドファーザー。

家の男の子を誘惑する野蛮人女の存在が、このゴシック建築の起源となっている。
野蛮人とは、ヘレニズム文化を知らないキリスト教徒であったであろうし、セックス政治を行う人間を処刑するキリスト教のダークエイジのことであった。
ロックを聴いて男らしさを磨け、セックスの危険性を歌った歌を聴け。
そのようにして青春時代を少年は過ごし、キャンパスを目指した。
街を歩いている若いカップルは野蛮だ。
男を奪い合っていたし、何が幸せかわからない男だった。
そもそもローマ帝国における野蛮人とはフン族のことだった。
オシャレとセックス崇拝を用いて帝国を脅かす連中がいたのだ。
今でいうウクライナのあたりからそのような運動が始まったため、ローマ帝国は「収穫したければやるべきことがある」としてオシャレとセックス崇拝を戒めた。
「男である太陽を拝むのならば妹である月も拝め」
いずれはセックス崇拝とオシャレの文化に帝国が敗北するのはすでに悟っていた。
しかし、男たちは戦ったのだ。
ゴッドファーザー。

引きこもっていてもローマに救済がもたらされる建物だった。
ローマはオシャレとセックス崇拝の嵐の前に滅びる宿命にあった。
それは、少年がいずれキャンパスライフを謳歌するであろうことと重なって見えた。
しかし、戦った男たちの魂だけは忘れないでほしい。
二つの方向から重なるタワーでの父や母との食事に顔を出せなくなるような真似だけはしないでくれ。
タワーに野蛮な文化を持ち込まないでくれ。
ローマ帝国はそのようにして滅びたのだから。
そのようにしてゴート人は、グレコローマンの文化の発展のために貢献した。
古い帝国が滅びるのは簡単だった。
しかし、ひたすら防衛したのだ。
中世のダークエイジには、帝国内部でセックス崇拝とオシャレを広めたものは処刑した。
重く、暗く、しかし美しい、それが青年時代であり、ローマ帝国の歴史だった。
そのため、ゴシック建築にはそのような空気が充満していた。
ゴッドファーザー。

ゴシック建築は、ブラマンテとヴァサリが考えたものだ。
ノルマンゴシックは、タワー(食堂)が円形で、しかし窓は小さく、石でできていた。
「タワーにふしだらな女を持ち込まないでくれ」
廊下はアーチによって重さが支えられていた。
タワーには15メートルの高さの窓があったが、あとは暗かった。
しかし、家具や調度品はオシャレだった。
ノートルダムや、カンタベリー大聖堂は、ローマ帝国の滅亡の頃に思想として表現されたものだ。

マイモナイドは、コルドバで「健全な男女の共同作業から恋愛をしていこう」というアリストテレスの考えをキャンパスライフに求めた。
コルドバは、12世紀に世界で最も知的なセンターとなっていたのだ。
しかし、イスラム教かキリスト教かの選択をスペインで迫られたため、モロッコのフェズに移住し、モーゼ五書にしたがったユダヤの性生活を選択している。
キャンパスライフではメシアは生まれない。
大勢の中に埋没してしまうだけだと考えたのだ。
モーゼはシナイ山に登ったらもはや先生はいなかったではないか。
先生の限界が自分の限界となっていたキャンパスライフを嫌ったのだろう。
いい褒美と罰が人を伸ばすのには必要だった。
マイモナイドはカイロに移住した。
カイロからはイスラエルにしか活動の場はないように見えた。
エジプトでいい政治活動をしたものはみんなイスラエルを目指すようになっていたのだ。
「夫が神様だ」
これは一神教の奥義であり、アダムが最初に教わったものだ。
イサクとヤコブの父と息子の関係からそのような神様は生まれていた。
エジプトの勝利者はエルサレムにおり、ローマ帝国の勝利者はアテネにいた。
ともにセック崇拝をしたりオシャレをしたりする者だったが「どのように」という問題と常に向き合った。
乾いた地図 河合その子。

子供たちには出エジプト記24:10や、イザヤ6:1-3、エゼキエル1:26ー29などで「何か偉い人がいる」と教え、いずれ分かるであろうセックス崇拝やオシャレを遠回しに教えた。
子供にとって「下ネタ」など予言に過ぎなかったのだ。
「王宮にはどうすればいけるの?」
「それは予言ね」
戒律を守ることと夫を神と呼ぶこと。
これがユダヤ教の世界だった。
イスラム教はキャンパスライフにおける自由恋愛を志向したが、「エジプトを支配するものにはイスラエルしか見えない」ということからエルサレムを見ていたのであり、マイモナイドが「戒律を守れ」としたことと色彩は若干異なる。
モーゼは「山の上に登ったらもはや先生はいない」としていたが、プラトンは「王の歌はいくらでも残されている」とし、アリストテレスは「パートナーがいればいくらでも学べる」としていた。
キャンパスライフに女がいなければ頭が働かないではないか?
遅い者が速くなり、速い者が遅くなるのも女とどのように関わっていたかという問題だった。
「速くなければ夫は神様ではないだろう」
人生と財産をどのように守ればいいのかぐらい大学で学んでおけよ。
詩篇19:8で「賢くなる方法は簡単なんだ」と語られ、彼女がいなければ頭が働かなくなることが指摘された。
しかし、モーゼは40日間水を断った。
偉くなる奴は何をやっているんだ。
「密教だよ」
垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。

モーゼの生き方を信じるのかどうかでユダヤ教とイスラム教は対立したのであり、キャンパスライフはすでに開かれていたのだ。

「必要十分条件」
恋愛と結婚は違うスポーツだ。
恋愛においては「必要な男」を語り、結婚においては「十分な男」を語る。
十分ではないけど必要な男もいれば、必要ではないけど十分な男もいる。
「家族を作る」ということが背景にあるのだろう。
福山雅治 家族になろうよ。

恋愛のドアを開くためにはカギが必要だ。
男はまだ若く、未熟で、女や周囲の「予言」が必要なのだ。
男はかなりのムチャもするのだ。
いじめもあれば、教授たちもいる。
予言が現実味を帯びたら「十分な男」として結婚相手として考えられるようになる。
「象に足が四本あるのならば、太陽はガスからできているよ」という地に足がついた話ができる男が「十分な男」だ。
「男もカッコ良ければバカだって」というのが必要な男であり、「大人になってくれなきゃ困るの」というのが十分な男だ。
必要な男には「もしあいつがやる気があるのならばチェロを買ってやる」というし、十分な男には「チェロを買ってやらなければ演奏できないだろう」というようなものだ。
「明日戦争が始まる」
というのであれば若くて未熟な男も「必要にして十分」な男と考えて結婚するかもね。
ジョンがレースに勝てば祝福しようというのと、もし祝福しないのならばジョンはレースに勝たないであろうという論理が戦争によってどうでもよくなる。
戦争があるのならば男には女が必要だ。
彼がゼミに参加すれば素晴らしいゼミになるでしょうね。
戦争があるのならば女はじらさなくてもいいのだから。
渡辺美奈代 Too adult.

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