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Foreign Affairs

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2017年4月24日 (月)

シュンペーターに関する覚書。

ジェームス・ミルには二つの業績があった。
JSミルを一番目の息子に持ったこと。
そして「背広さえきていればいい」ということを明らかにしたこと。
ベンサムの「いいことをできるだけ多く」「痛みをできるだけ少なく」という発想に共鳴していた。
しかし、やがてベンサムの関係は冷え切っていき、「人間というものはみな変わらないんだよ」と主張するようになった。
「みんな教われば学習する生き物なんだ」
政府も首脳が何を考えているのかを明らかにすればいいんだ。
ミルがトップダウンを強調しすぎたのは事実だ。
王朝か暴君かを人々は見ていた。
政府首脳の発言を聞いてみんな仕事をしていたんだ。
指導者の心の風景に影響を受けた。
「中産階級」を「中級ランク」と考え、指導者の心に影響されやすい存在とした。
組織ではトップダウンは有効ではないが、中級ランクは確実に共鳴してくれる。
非常に知的な連中なんだ。
「階級」と呼ぶと団結してしまうだろ。
だから「ランク」と呼ぶことにしたんだよ。
トーリー党もホイッグ党も政府のコントロールよりも中級ランクのコントロールしか考えていなかった。
マコーレーが官僚として「ケンブリッジユニオン」を作り、「ミルを政府に置くな」と主張した。
28歳の官僚であるマコーレーとミルの小競り合いは、息子のJSミルがよく見ていた。
JSミルは、言論の自由を主張した人物だが、ミドルランクに大雑把に自分の知的空間を語らなければ官僚たちはついてこないと考えたのだろう。

また、マックス・ウェーバーなどもしきりに参照され、「男らしさ」に中級ランクはついてくるという分析もなされた。
小泉純一郎 殺されてもいいんだ。

中級ランクは官僚など見えていなかった。
政府首脳の心の風景しか見えなかった。
下層階級は「犯罪階級」とまで呼ばれた。
中級ランクはわがままになっていたし、指導者に憧れたのだろう。
シュンペーターはこのことを見抜いていたのだ。
指導者の男らしさが歴史に残るとしたウェーバーを引き受け、このことを中級ランクに感化させようとしたのだ。
「女にもわかることって何だろう?」
中級ランクは権力闘争の皮膚感覚が知りたかったのだ。
「今の日本の王子様ってこんな感じ」
「俺たちのモデルになる人ってこんな感じか」
国鉄民営化 中曽根康弘。

ミクロ経済学なんてもう散々やったよ。
女の話だろ。
雇用やインフレと男たちはどう向き合っているんだ。
大雑把な男たちの悩みを「マクロ経済学」と呼んだ。
女たちは自分たちの研究をしたカントやヒュームよりも「王子様」の見物がしたくなったのだ。
マーケットが弱くなったのは女を見失ったからだったが、世の中の仕事とはそういうものであり、マクロ的アプローチもあったのだ。
「私たちのことなどわからないでしょう?悩んで悩んで?」
ミクロ経済学を見抜かれた女たちはマクロ経済学に興味を持つようになった。
「一面トップ」に女たちは歓喜した。
仕事ばかりしていたから女心がわからないよ、という男たちも考えは同じだった。
組織は決してトップダウンではない。
女の人間模様をカントやヒュームを用いて探求しなければならない。
私(小野光太郎)か散々述べてきたミクロ経済学を理解した上で、マクロ経済学のやり方を感じてみよう。

カール・ポパーは「オープンソサエティとその敵」という論文で、問題の背景にある女の問題を忘れているのではないか?と指摘した。
「歴史学が貧国になる」
「やり方がワンパターンになる」
とマクロ経済学を批判したのだ。
個人のレベルから組織にアプローチしたほうがいいとした。
ミクロ経済学を放り投げた連中がマクロ経済学にしがみついていたのだ。
男が集まって問題を解決する?
それが政策を歪めていたのだ。
利益集団には、ミクロレベルでの壊し方もあったのだ。
女の存在を「ボトムにある石」と呼びトップダウンと対立した。
革命は危険なビジネスだ。
しかし、ミクロの分析を怠ったのならば不満がたまるだろう。
現場ではいい男に告白しようかどうか悩んでいたのに。
政府首脳と現場のいい男は「双子の地球」だった。
女はどっちについていくかが問われた。
「ボトムにある石」の分析を途中で投げ出したら、男たちは会議を開いて中級クラスにアピールし始めた。
「俺を殺したい奴はいっぱいいるんだろうな」
犯罪を封じ込めるしかない。
下層階級(犯罪階級)を無くすしかない。
女の動きは「ブラックボックス」だった。
現場の男が赤ん坊をあやしていたことを知らないのかしら?
政府首脳よりも気持ちいいセックスを与えてくれていた組織だったのに。
双子の地球の問題はその後、事件としては固まるしかなかった。
どちらも同じ男だったし、ドップダウンとボトムアップがぶつかったら事件は動かなくなったのだ。
国鉄民営化。

政治的な「代表」とは「取り戻す」という意味であり、問題を解決したりする上での人間観を取り戻した時に許される「心の風景」を言う。
人間には代表がいる。
いくつかの出身母体を持っている。
心の風景に共感する人がいる。
取り残される連中もいる。
「洗礼」を与えた連中が支持しているのだ。
一部の代表ではない。心を知っていればいい。
「どんな小説読んでんの?」
ダメになる奴はすぐにわかる。
代表になりたい奴は人間を知りたがっていた。
契約がいつ打ち切られるか分からなかったからだ。
果実が実る瞬間がある。
薬丸裕英。

エロ本を見たら女心がわからなくなるだろ。
三次元の女と話すことだよ。
組織を作り変える上で人間を知っているというのは大事なことだ。
組織はしかし何も知らないよ。
モテる奴が力をつけていくのを呆然と見守っていた。
周りが罰を与えようとしても止まらないんだ。
誰が人間を知っているのか?と言う尺度はないんだ。
仲間内で心に響くことを言う奴がいるのは事実だ。
その人の心の風景を支持した。
あとは利害関係を託すことで代表というのは作られるのだ。
所属の組織が何を思っているかは各自が異なった。
共産主義体制には選挙がなかっただろ。
自ずと学習していたからそれでいいと思ったんだ。
政治改革というのは意識改革であり文学改革なんだ。
「誰に話してるの?」
「何のために行動してるの?」
「どの国民とそれを共有してるの?」
国民国家はこれだけを見て契約を打ち切るかを考えていた。
その人の余裕も見ていた。
社会的ムーブメントと常に同調していなければならない。
利害も自ずと変わってくる。
約束は期待に変わり、成果を上げることで成立するが、なぜダメだったのかをしっかり語ってほしい。
他の連中となぜ折り合いがつかなかったのかで自分たちの間違いがわかるからだ。
国会にはすでに「間違いに罰を与える仕組み」は出来上がっていた。
言葉に女たちがにこりと笑ったり深刻な表情をするのを見てるだけでいいんだ。
都議会公明党。

マイノリティがいちばん柔軟に膨張していったのを見た。
やっぱりフリーセックス女を理解することだったね。
国会や権力がなかなか認めないのがフリーセックスだったからだ。
言葉のプロデューサーは常にフリーセックス女を狙っていた。
マリオン・ヤングはフリーセックス女をいかに政治に含めていくかを語った。
小さな「ムラ」で肩身の狭い思いをしているのだ。
組織の女たちはいかにフリーセックス女を排除するかを考えていた。
それだけでもフラフラと政治活動を始める女もいた。
参議院はフリーセックスに疎かったね。
衆議院を狙ったのだ。
参議院で否決される物事は頭にきて仕方がなかった。
女性参議院議員。

「セテリスパリバス法」
どう?フリーセックスはゲームとして成立しているでしょう?
物価が上昇しても供給が安定していたのだ。
メンデル法は、遺伝というものをまるでネズミの実験のように眺めるだけで終わったが、失恋だけはどの女も共有していた。
スネル法は、親子の違いをいろんな角度から眺めただけだった。
アレア法は、お父さんが魅力的ならば息子も魅力的に見えるというものだった。
セテリスパリバス法は、しかし「女がフリーセックスに走って消費水準が上がっても供給は一定している」というものだった。
フリーセックス女を社会が容認した時に自殺者は減った。
社会が「全く問題のない行動」であると認めたのだ。
どの男の子供を身ごもっても、何も変化が起きない、これが背景にある議論だ。
「世代というものはもはや法則には支配されていない」
女の失恋がなければ学問が発達しない。
また、優れた遺伝子などないこともわかってきたのだ。
女の失恋がなければコマーシャルペーパー(cp)も出せない。
あとは供給の安定を見るだけだった。
2002年にこのことが確実視されるようになっていた。
CoCo さよなら。

失恋ソングは「cp法」と呼ばれて経済でも重要な地位を占めた。
1980年代までは経済にどのような悪影響を与えるかが分からなかったのだ。
遺伝と子供を見た結果、どの男でも同じだなと思えた。
キケロの詩の全てが許されたのを見た。
セテリスパリバスとは、16世紀にメディナとかモリナが提唱していたものだが、1662年にウィリアム・ペティが正式に英語にした。
娘の不品行に激怒していいのだろうか?
ペルーの銀や、トウモロコシの生産にどのような影響を与えるのかが心配された。
JSミルは言論の世界にはいい影響があるだろうと見ていたようだ。
どの男も同じだという確信が得られないのならばより優れた遺伝子を女は慎重に選ぶことになる。
つまり、純潔だ。
セックスの気持ちよさの探求をしたキリスト教社会も、その心配を取り除いたのは2002年のことだった。
親父次第で息子も変わるな。
キリスト教社会が言葉に自信を持った瞬間だった。
男の喜びは射精だけではなくなった。
言葉を知るのも喜びとなったのだ。
松田聖子 瞳はダイアモンド。

どの男が言葉を学んでもいい。
女たちの祝福と、胸に残る言葉に自信が生まれた。
知識の遺伝子が完成したら、どの男も同じだった。
「普通でありたい」と考える女はもちろんいた。
ウルフガング・スポーンは、女の世界はかなり狭いものだとしてフリーセックス女を否定した。
案外、狭い世界で男を語り合っていたのだ。
「出会いがない」と悩んでいるのが女ではなかったのだろうか?
女の子の人生はそんなに活動的ではなかった。
フリーセックス理論の方が先行した形となったのだ。
cp法(失恋ソング)に興味がないという女の子もいた。
口説き文句にも鈍い女の子だったね。
しかし、2002年頃から「お笑い番組には害はない」ことが共有されるようになったのだ。

「経済学」
経済学とは男が「女心とはこういうものだろ」と発言し、女たちがそのことを話題にする学問である。
18世紀にできた学問であり、女を交換することを統制したり、王子様の行動を抑え込む必要があった。
女心を定義するハプスブルク家の男は女を取っ替え引っ替えしてはならない、これだけで経済学は成立するのだ。
国の富とは女心からいかに富を引き出すかである。
女心は消費されるものであり、現在はこういう議論をしているんだよと語るのが王子様だった。
女がからだを売ろうという動機を巧みに利用して女たちに話して聞かせたのだ。
女たちは話を聞いたら儲けた気がしてお金を消費した。
相川七瀬 夢見る少女じゃいられない。

経済学のメインストリームが「セックスの気持ち良さ」を考えているのは事実だ。
一方で、「周囲が私の恋愛事情を理解してくれた」という方向を模索する流れもある。
城ヶ島〜ノクターンセックス。

最先端床上手女。

恋愛事情の基本。文学とは何か。

一方で、パートナーの作り方の可能性を語ったほうがいいとする立場もある。

ゲーム理論(恋愛論60年史)。

女とセックスする値段の相場は日経平均株価だと議論することの効果を指摘する連中もいる。

恋愛マーケット。

アーティストの試行錯誤によって作られた「密教世界」を重視する人もいる。

垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。

すべての経済学の流派に共通しているのが「女が愛されている」ということだということは指摘していい。

女をいいからだにして日常に返してあげることの重要性も指摘された。

三浦海岸の海開きを待て。

女の「メチャクチャな人生」を理解することの重要性を指摘する者もいた。

奇跡とは何か。

デマンドはこのように作られるものである。
このことを踏まえた上で「女がいくら恋愛を繰り返していてもサプライサイドは途絶えない」ことが明らかになったのだ。
女の局部をどのように芸術にするかが問われた。
世の中の「後悔」がまとわりついているものだと知って欲しかったのだ。
カール・ポパーは、世の中には恋愛に無縁の子供たちがいることを指摘した。
子供たちをうまくあやしてあげるのも経済政策だった。
ガチャガチャ。

本気で戦うプロスポーツを必要とした学派もあった。
プロ野球という名の宗教2。

大人社会に反発する若者の声を重視する学派もある。
マルクス。


さて、これらの経済学が「完成からは程遠い」ことを知ってほしい。
女たちが「それは私の経験とは違う」と語る場面を多く見たからだ。
「女は男らしさに惚れている」
そのように逆回転させてみた。
男らしさをみたときにキスから胸まで進むという発想を女が取り始めたのだ。
「本当に彼のいう通りにうまくいった」
ribbon ポイズンの退屈。

楊貴妃のように育てられた女に価値を与えるのは困難とも言われた。
日本倫理体系。楊貴妃の牛乳風呂。

とっくにパレートは移動しているのに耐える女がいることもわかった。
おしん。

「マーケット」
女の快感と性の奉仕を交換すること、それに値段がつくことお金のやり取りをする場をマーケットと呼ぶ。
ファイナンスマーケットもあればハウジングマーケットもあれば売春マーケット(労働マーケット)もある。
地域マーケットもあれば国際マーケットもある。
「女のからだにどれだけ人気があるか」という特徴があることがわかる。
競争マーケットもできれば独占マーケットもできる。競争が弱まったマーケットも当然ある。
フリーセックスや、彼氏との密会、団結がこの場で実現するのだ。
その起源は18世紀だ。
いろんな組織がまとまってきてからだね。
各人の物事を解釈する力が高まるのを待たなければマーケットは成立しなかった。
「自分の利益を求めている女に値段をつける」
いくらで売り買いするかの話し合いをするのだ。
「お兄さん、三千円でマッサージするよ」
女たちに競争が起きた。
女たちの世界にはモノポリーもあればカルテルもあった。
「私のお財布次第よ」
銀行が彼女に関する情報を握っていた。
家族の団結のすべてがここにあった。
みんなが対等で、いいリーダーがいて、自分たちのためだけに子供を授かる。
快楽を世にばらまいた女の中にはこのような方法で力をつける者もいた。
「男主義」の世界でこのような富の集め方が明らかになった。
マーケットエコノミー(市場経済)は社会に支えられているものだった。
加護亜依。

家族がどのような形をしているのかが重要だった。
オーストリアン学派にはシュンペーターがいたし、バージニア学派もあれば、シカゴ学派のフリードマンもいた。
ヨーロッパ中世のキリスト教文化のデフォルトとも言える金の稼ぎ方だった。
貧しきものにどのような影響を与えだであろうか?
19世紀から20世紀にかけて、守るべきルールがあるはずだとされて明るさを取り戻した世界だった。
自分たちの子を宿すという観点は「自由恋愛ができない」との指摘を受けた。
「すべてを明らかにした」ことから明るさを取り戻したのだ。
フリーセックス女とお金は手と手を取り合って育ってきた文化だった。
しかし、そのお金をプライベートに隠し待たなければならない。
男の指導さえあれば女はそのお金を外で自由に使うことができた。
しかし、家庭内でセックスを消費し、子供を持っていたのだ。
「契約自由の原則って何だったのかな」
財産はすべて自分の家庭のものという発想があったんだろう。
「匿名の連中が出した結論だったのだ」
税金も家庭内だけで処理するのならば安かった。
マーケットメイクして出てきた女だったが、男たちの意識のバランスは悪かったし、自滅する連中がいたから救われたんだろうね。
「階級社会への不満がなければ親もこんなことしないよ」
だんだん仕事も減っていき、夜間労働もやらされた。
「特定の女のカルト化」はこんな現象を引き起こしていた。
階級社会は「女」を通じてこんな富の再分配を行なっていたのだ。
国家の中枢がやったことではなかった。
神の見えざる手だね。
「欲しいものはなんでも欲しいんだろ」
食事だけは好きに食べていい。
パレートはあまりにもズレが大きすぎたのだ。
マーケットはすべての人間の平等を望んでいた。
税金もそのように課していたし、貧しいものが得をする世界だった。
「高度フリーセックス女」がいる世界だ。
産業革命はチェーンソーさえ持っていれば儲かる世界を作ったのではなかったのか?
波はすべてのボートを押し上げたのではなかったのか?
マルクスとエンゲルスがこの「マーケット」を批判した。
しっかり拘束されて耐えれば暮らしていけるはずだ。
マルクスがこの問題を「搾取」と呼んだのは自身がヤングヘーゲリアン(イケメン)だったことも背景にはあるだろう。
親衛隊。

若いイケメンには高嶺の花に見えたね。
上位10%の家は10%の上流階級が住み、上位10%の教育を受けたものが住む。
俺たちには住めない家に住む理由が「局部」かよ。
社会が壊れていくのを感じた。
女は決して妹ではなかった。
「何が効率的なのだろうか?」
若い連中は教育の問題で殺伐とするだろ。
自分と世界が遠くかけ離れていくのを感じた。
「労働だ」「破壊だ」「足元だけ見て歩くんだ」
全米進出が無理なことを悟ったか。
家庭のルールがあれば国のルールもあるんだ。
俺たちが共有しているものが悲劇を見た。

マーケットが成立するためには企業がなければならないだろ。
契約を結んで、政府の監視下に置かれるものだ。
企業においては何もかもが不平等だった。
そこで芸能は奴隷契約を結ぶことにしたんだよ。
フライブルグ学派は、女とその家族による富と子供の独占を見たのだ。
そこで、いろんなユニークな企業が生まれた。
子供のパレートは大きく動きすぎる。
女は国の再分配に不信感を持ちすぎていた。
教育による再分配も信じていなかった。
家庭内で抱え込みすぎたのだ。
国はマーケットを信じることから始まり、結果を賞賛し、福祉国家として富の再分配をやることにした。
タックスヘイブンにはこのようなマーケットがなかった。
国とマーケットの関係は税金の仕組みとなって表れたのだ。
「フリーセックスはなんとかならんのか?」

ノイラーは「セックスの最大化」を試みた。
時には詩も作った。
ランケも歴史をそのように評価していた。
これがカウツキーやアドラー、バウアー、バーンスタインに影響を与えたのだ。
イケメン(ヘーゲリアン)を排除し、セックスから資源を得たものが偉大な政治家だっだはずだと考えた。
このことから19世紀ドイツにおいて歴史というものが無限に複雑化した。
ゲーテも常にセックスをほのめかす詩を書いていた。
女たちはこの詩を歓迎していたのだ。
自分たちの「あそこ」が世の中で主導権を得たことを知ったからだ。
オーストリアン学派が発信したことであり、ハプスブルク家もこれに絡んでいた。
シュンペーターもそのメンバーだった。
バナナの涙 うしろゆびさされ組。

プラトンを見てもアリストテレスを見ても「お金は女を買うためにある」という見方はもはや通説だった。
快楽の最大化の研究は1910年にはもう始まっていた。
セックスが終わった瞬間は「ゼロポイント」であったし、物事を測定するには都合が良かった。
男の根性が萎える瞬間でもあった。
カーネギー国際平和イヤーブックは、アドリア海鉄道、民間と国の資金のやりとり、戦時中の食料と生娘の調達、戦争による景気回復、領土の編入などの研究を明らかにしたが、修羅場になればらなるほど「女を高く売る」という現象が見られた。
平和な時はこのことを経済が見失っていたのだ。
生きているってどういうことだろう?
結婚ってなんだろう?
男たちが男らしさを維持できなる戦時中こそが経済について考えるのに都合が良かった。
アナーキズムもセックスには逆らわなかっただろう?
オーストリアハンガリー帝国は、全ヨーロッパを敵にしてそのことを学んでいたのだ。
イケメンであるマルクスも同世代の女の子がからだを売ってしまうことを憎んでいたのだ。
第一次世界大戦のドイツもカイザーがこのことを理解した。
ロビンソン・クルーソーの「お金のない社会」は、マルクスエンゲルスが夢見たかもしれないけど、女が自分の局部の意味を見失っただけだった。
本国の遥か遠くで戦艦が戦っていても、本国で女がからだを売っていなければ戦艦は動かなかった。
石炭や太陽光発電も、所詮は女を買うために考えられた仕事だという割り切りが必要だ。
1919年のベルサイユ体制は、このことを「秘密にしよう」という体制であった。
ベルサイユ体制打破はナチスのオーストリア併合で達成されていたのだ。

「民主主義」
多様な性の経験をもった女が共存している社会を民主主義と呼ぶ。
家族やボランティア団体、企業、様々な組織が民主主義のもとに動いている。
シュンペーターは、性の経験が異なる女たちの考えを投票行動に直結させることの危険性を指摘した。
ルソーは、美しい女にせよ太った女にせよ「共存している状態では奴隷のような状態であり、彼女たちが率直に自分たちの経験を話すことはない」とし、その暗さを指摘していた。
JSミルは、言論の自由があるのならば少しは女たちの支持を得るためにどうしたらいいのか考えて欲しいと言ったし、貧しいものが富を得るためには言論の自由のもとに「今の世の中の多数派って何だろう?」と考える必要があるとした。
支持された言論を見て政府は決断している。
これもできるだけ多くの女たちに価値を与えるためだ。
言論を見て法律を作るのは確かにいいことだ。
しかし、時間がかかりすぎるため、ホッブスは「王政の方が優れている」とした。
政治家は「出来るだけ幅広いスタンスを取ろう」というモチベーションに欠けている。
経済的な非効率性が民主主義にはあるのだ。
政策を作る上で「私たちは何か間違っていたのかな?」と女たちが考えてしまうほど公約の実現というものは難しかった。
民主主義においてはどの女も満足しないではないか?
しかし、団体を作ることを認めようと考えた。
団体の影響力を楽しむことは可能だったからだ。
男に抱かれた時は女は発言したくなるものだ。
しかも、それをお互いの女が認め合うためには団体が必要だった。
うしろゆびさされ組 技ありっ。

【セックスの価値の最大化を行うのであれば、女たちはうまくセックスの経験の違いを持ちながら共存していかなければならない】
このことを民主主義と言っているのだ。
社会が女たちにお笑い番組を教えたのか教養番組を教えたのかもまるで異なる。
国会はすべての女の平等を志向しやすい。
コンセンサスを得るのは難しいだろうね。
セックスの価値の最大化をやるのが経済政策であるのならば、統治する側は「そのことに無頓着なエリート」がいいのではないかとシュンペーターは考えた。
女たちは「ケネディの白い歯が好き」と考えて投票行動を取っていたのだ。
ケネディ就任演説。

このようなエリート主義にはフリーセックス女も「いい男だねえ」と喝采を贈った。
よく理解しているからエリートなんでしょう?
利益集団は利益を求めて政府に影響力を行使しようとした。
金とセックスを求めて他の利益集団に勝とうとしたのだ。
小さな政府を望んでいなかったのがネオリベラルだ。
そのパートナーが夫であるほど利益集団は強いものとなった。
自分の役割も明確だったし、味方も多かったからだ。
利益分配の方法は全部、民法に書いておいた。
妻への義務というのがやはり法律にしたがう理由かな?
勃起が権威だとする女たちもいた。
ユニークな連中だったけどマイノリティだったね。
一票の格差というのは案外、結婚しているか奔放に生きているかの違いから生じているんだ。
法律は結婚を守ろうとしてお金を流していたからね。
独身だと一票ではなく0.5票の扱いなんじゃないかな。
勃起した男を奪い合う女に金なんて流してられるかよ。
多数派が支配するのだとしたら結婚を守るだろうね。
愛が止まらない Wink.

結婚生活を守ろうとする連中と、男を奪い合う連中のどちらが発信力があるかという問題だね。


【延々と続く】

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