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Foreign Affairs

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2017年4月17日 (月)

現代の哲学。

人間の内面を掘り下げて行ったカントやヒュームは、刑法学には役に立ったかもしれないが、「心の世界は広すぎる」とされて人々は恐怖を感じた。
このことから「心の内面」ではなく「時間と空間」のことをもっと考えようとしたのが現代である。
すべての街を定期的に再開発したりして、「人間は進歩しているんだ」ということを感じようとした。
ribbon Deep breath.

男の言葉にもいろいろあることに寛大にならなければならない。
男の重さにこだわるのは構わないけどね。
言葉をバラバラにしよう、なぜなら順番がつくからだ。
そのために、学問をやる男にも「譲れない夜」が生まれたし、男の言葉は羊の群れの鳴き声ではなくなった。
そのようにして、時間と空間の世界に自由に男を解き放ったし、学んでいる男を尊敬した。
言葉をバラバラにしようという作業は、しかし儚いものだろう。
仲間を作るために民法や刑法を学ぶものもいるだろうね。
言葉がバラバラになったら必要な時に必要な人もいなくなる。
みじめな人間を作ったほうがいい。フリーセックス女に共感することはあまりにも怖すぎた。
このようにしたことを「女が強い時代」と呼んだ。
100メートル走でテープを切る男とそうではない男を作った。
負けた男は年寄りに憎まれないだろう。
ウサイン・ボルト。

言葉で劣る男は、優れた男とは関わらないだろう。
異なるテープを目指して走ればよかった。
人々の記憶に残る瞬間も異なった。
日曜日のことは月曜日にしか覚えていない、木曜日には忘れている。
「いろんなのいるからね」
そう言いながら人々は長生きした。
100メートル走のテープというイメージだけではなく、いろいろな音を奏でるバンドというイメージも持った。
melody シルバーリングに口づけを。

光学スペクトラムにおいては赤の影がオレンジだったが、忍耐力の違いもその人のカラーだった。
忍耐力がないほうが長生きするのだ。
ふたつの「石の拳」だけで勝てるという発想すら人々は見失った。
デュアリズムを知っている男の理屈を人々は知らなかったが尊敬した。
大魔神佐々木。

これらの議論の効果としては「男が年寄りに憎まれなくなった」「男が長生きした」の二つにあるだろう。
男たちは全く異なる方向に旅をしたほうがいい。
それは生き急がないことを意味した。
それぞれ記憶が異なる男とのセックスはそれなりに気持ちよかった。
トウモロコシは平らな大地にできるものだ。
それほどカントやヒュームの時代が怖かったのだ。
それぞれ異なる方向に男が旅をしたとしても、すべての男が生きる力を持っていた。
それが様々な分野の進化につながったし、人生を複雑なものにした。
それ人生を祝福することだったし、各自の衝動を最大限に生かすことだった。
決して賢くはなかったが長生きした。
泉重千代。

「長生きする」「年寄りに憎まれない」というふたつの指摘を行なっただけで宗教というものはいろんな方向に拡散した。
仲間づくりの方法が多様化したオープンソサエティの誕生だ。
しかし、このような議論をして20世紀型の人間の生き方を決めたベルグソンの書籍はいったんナチスに燃やされて、のちにドゥルーズによって復活するまでは忘れられた。

ドゥルーズは「いろんなのがいるからね」という20世紀の哲学を「差違と反復」という書籍で引き受けた。
映画を作ったり、絵を描いたり、作家の仕事をして深めていったのだ。
ドゥルーズも「いろんなのがいるからね」という立場に共鳴し、顔の多様性まで認めるようになっていた。
男の顔が多様だから女の失恋は「幻」となっていたのだ。
杏里 オリビアを聴きながら。

カントやヒュームは人間の日常を探求しようとはしていなかった。
「女をお金に変えるとはどのようなものか?」という議論は18世紀のものだった。
現代は契約をどんどんアップデートしてお金を稼ぎ、同じ人を愛する時代だった。
いろんなやつにはいろんな仕事があった。
職場で自分を取り戻すことをアイデンティティと呼び、女とか男、国や全体などを見失ったのだ。
「長生きすること」「年寄りに憎まれないこと」に加えて「みんなが豊かになること」を目指したのだ。
上司の言うことを聞いていればいいという意味では意志の強さだけあればよかった。
いろんなやつがいる世界の現実とはそのようなものだったのだ。
この現実を冷静に見る力量が求められた。
親方の言うことを聴きながら仕事をするということなんだ。
いろんな知識が発展していった。
仕事の流儀。

女の心は見えないはずである。
本当に女の心が分かったらいろんな世界での仕事が成り立たない側面がある。
また、ドゥルーズは「図書館のバベルの塔」と呼ばれるほどの蔵書を持ち、歴史上の哲学者の研究をしていた。
カントが「海で男女は性の感覚を身につけている」としたのに対し、ドゥルーズは、それは家庭内の文化であり親の真似をしているだけだろうと考えていた。
小泉今日子 渚のハイカラ人魚。

800の星があるとしたスピノザはドゥルーズにとっては神であった。
人間の違いってなんだろう?
それは他者を支配する「力」だった。
彼はマイモンやミシェル・フーコーのように20世紀後半まで活動した哲学者であったから現在に至るまで重要性を持っているのだ。
聖飢魔II Rock in the kingdom.

また、女の子が思春期に去勢されているという問題も、資本主義と統合失調症という研究において「思春期に情報が全くないからだろう」とした。
情報がないから統合失調症的に助けを求めているだけだとしたのだ。
さよなら失恋ピエロくん。

このことからそもそも「統合失調症は情報不足から起きているのではないか?」という指摘がなされた。
女と関係を持たない男は自分の情報不足を感じるのだ。
「女の満足の原則」と呼ばれた。
男には差違があること、永遠に仕事を反復すること、つまり「差違と反復」とは男らしさを競い合う資本主義社会の病気だというのがテーマだったのだ。
男の違いを認めないとみんな統合失調症になるだろう。
実際の経験と合わない学問は危険だね。
人を認めるってどれほど大事なことかが分かるね。
しかも、男女が認め合うんだよ。
今の男ではなく積分(実績)を女たちは見ている。
女たちの見方を見失うことがあるのだ。
計算能力と異性をコントロールする能力を見失うのは危険だ。
人間らしさを維持できなくなるのだ。
指導者の力量や感受性、想像力、記憶などがお互いに「暴力装置」として作用する。
モーニング娘。 セクシーキャットの演説。

90度のお湯は量が半分になるだろ。
しかし、45度のお湯をふたつ合わせたものとは違う。
しかし「激しさ」という意味では同じことなんだ。
熱は45度から90度にはならないが、「分けていく」という発想と「人は実績を重く見ている」ことを知る必要があるね。
噂というものはセックスと胸と出産に関してなされるものであり、あとのことはどうでもいいんだよ。
ハリケーンというものは温度と気圧によって空気と水をメチャクチャにするだろ。
速さと流れを見なければならないし、雷も見なければならない。
風やトロピカルの水とは違うんだ。
赤は赤を作り、青は青を作り、緑は緑を作る。
純粋な白の影なんだよ。レンズを通るだけなんだ。
光がどんな色になりたいかだけの問題だ。
「向き合った問題」が白い光を屈折させている。
単純さ、複雑さ、緊急性、日常性の四つがホワイトノイズという美しい音色に色を与えている。
木田勇 1980.

それを踏まえた上で「仕事とは何か?」を考えないといけない。
1からやり直してはならない、その上で真実と向き合うのだ。
ルイ16世は、日常をどのようにセックスするときの頭のイメージに集約するかを語っていた。
交際期間の言葉は夢芝居のようだった。
その男でなければならない理由があるのだ。
男は壊れてはならないだろ。
明けの明星はオシャレに見えたし、宵の明星はダサかった理由はここにある。
女はセックスの時に男の言葉を集約していたのだ。
スナーク狩りでモービウスを裸にするとはこのことだった。
ナポレオンの妻は、ワーテルローの戦いにおける飛び交う銃弾や屍の山、大砲の音、飛び散る肉体を想像していただろう。
仕事は妻のためにやるものなんだ。
いろんな意味で機が熟してからプロポーズはするものだね。
これらのことを明らかにしたらドゥルーズにガタリが近づいてきた。
大仁田厚。

1968年のメーデーに、フランス共産党が学生や労働者を動員してゼネストを決行した。
ドゴールは警察力を用いたし総選挙に打って出た。
この「下からの革命」騒動がフランスに「多様性が必要」との認識をもたらした。
ドゥルーズの弟子であるローマ法王ビンセンスもそれを理解したし、フランスアカデミズムも1968年に統合失調症にならない研究生活を理解した。
「政治はいろんな力と戦ったほうがいい」
このことからゼネストは無くなったのだ。
サイケ男にも救済がもたらされた。
息をして食べて寝て、排泄してセックスをする生活の何が間違っているのだろうか。
フランス共産党は官僚主義的であったし、暴君が多かったし、「アルカポネの覆面をしている」と言われた。
情報不足から統合失調症がもたらされるのならば、「お母さんに紹介できるいい女はいくらでもいる」という反オイデプスの立場に立つしかなかった。
子供を作ることを難しくしないほうがいい。
マルクスは「統合失調症は社会の仕組みが生み出している」としたし、フロイトは「お母さんに紹介できるいい女を探しているからである」としたが、社会においても歴史においても学問においても「女を見失っている」と考えた。
CoCo メロディー。

ラカンは「どの女も素晴らしい夢を見せてくれる」と言った。
男が男らしさを磨くのも、女がからだを売るのも「より速く、より速く」を求められるようになった。
理想の女が高いレベルだと非常に困難な問題が引き起こされる。
部族のための地球、帝国に役に立つ肉体、男社会で男らしい男、このトライアングルがうまく情報に満たされてなければならない。
部族単位、国家レベルで情報の扱いが異なるし、男は男らしさを追求していたからだ。
うまくいかなければ「男は弱くなる」とされる。
政治、経済、文学、音楽などの世界でも常に男は進化を求めていた。
内臓(情報の裏付け)ない肉体や、戦争をする帝国が地図を持たないことが、男と女の出会いを困難にさせていた。
AKB48 ヘビーローテーション。

男らしさを磨くのには時間がかかるけど、自分が「弱まっていく兆候」が見られたのならば彼女を作ったほうがいい。
結局、哲学ってなんだったのか?
ドゥルーズは1991年にガタリとコラボレーションをし「男がいろんなことを言って混乱を引き起こすけど、最後には女たちのセックス裁判にして物事を治めることだ」とした。
言論マシーンもその方向に誘導されていると考えていたのだ。
男たちはひたすら知恵比べをしたいだけだよ。
これをアートにすることも大事だったね。
背景には「男たちの仕事」があった。
人間のからだと国の関係を知る必要がある。
カントは美しい女のからだを作ったし、ヒュームはフリーセックス女を作った。
女たちの喧嘩に発展するだけだよね。
ドゥルーズは映画も二人の男の言葉を比べ、二人の女のからだを比べて見せた。
このことは言論暴力と向き合う上での必然だったからだ。
どんな事件も時間がたてばそのような展開をたどっていた。
瀬能あづさ ふたつにひとつ。

女たちにとって「女になれた」ことがどれほど嬉しいことなのかをドゥルーズとガタリはアリス・ジャーディーンから学んでいた。
21世紀を迎えてもそのような観点はいまだ色あせていない。
カントを愛したのかヒュームを愛したのか、女たちは戦い続けた。

デリダが司法試験に受かった時、ドゥルーズは「君は私の思想を全て知ってるね」と笑った。
デリダに人々を裁くチャンスが訪れた。
アメリカのホスト局はデリダの発言に常に注目していた。
「女は腐らない」
デリダは言った。
「メディアマシーンをよく見てごらん。女たちがセックスの喜びを語り合っているよ」
女が持っている情報はそれだけなんだ。
男たちの仕事はそれを追いかけることの反復だった。
仕事なんだよ。
セックスモンスターは次々に変わっていくけどね。
女たちはからだで感じたことを話すときは純粋だった。
テレビはエデンの園だったよ。
食事の「おいしい」という言葉すら恋愛経験を語っていたのが女だった。
カントが愛した女は心にもない「おいしい」を表現していた。
からだが美しく味もわからない女、それがいちばんウケたよ。
カメラはひたすらそれを追っていたんだ。
本当に味がわかるようになったらテレビではその女は賞味期限切れなんだ。
女子アナの食事。

「今、生きていることを表現したやつがいちばん面白い」とデリダは言った。
「瞬間」にそれは表現され、このことを「ウィンク」と呼んだのだ。
「死んでいる奴は話すな」というネガティブな神学でもあった。
生きている奴の名前を女たちは追いかけ続けて潰そうとしたのだ。
このテレビのエニグマ(暗号)は秘密だった。
2002年にデリダは「最も強い女のからだ」について明らかにした。
誰かと結ばれるまでその女はモチベーションを失わない、としたのだ。
中にはダラダラと仕事をする女もいたからだ。
女の支配権がいつ失われるかを男たちは語り合った。
モーニング娘。 One Two Three.

デリダは結婚報道に関しても、二人の女を比べたであろうことを想像し、女は「一人以上の意味を持ち」「他の女よりも勝っており」「一人ではない」とした。
最悪な暴力を女社会にもたらしていることを知った。
カントは「結婚報道は急進的すぎる」と言っていた。
一人なのだろうか?誰に対して言っているのだろうか?
無神論だった。
他の女に主権はないとされる瞬間だった。
冷戦後にこの「女の主権」ばかり裁いたのだ。
911テロで「結婚報道は終わった」とデリダは語った。
シュガー ウエディングベル。

鉄のカーテンが冷戦を守ったが、別の民族との結婚報道は自爆テロまで引き起こした。
女社会の「最悪な暴力」はこんなことまで引き起こしてしまった。
人が無神論になるとはどういう時かを感じてもらいたい。
アメリカメディアマシーンが引き起こしたんだよ。
おもてなしの心ってのは案外「閉じた国」であるというところにあるのだ。

デリダの脱構築は「硬くて永遠の組織」を壊そうとしたわけではなかった。
プラトンを教祖とする「詩の体系」をまとめたかったのだ。
プラトンが女心をどう思っているのかを明らかにしてもらいたかったのだ。
「旧漢字」「精神医学」「飲み物の選び方」「膣」「重さ」「空間」をプラトンは詩にしていた。
どのように体系化できるのだろうか?
東京がこれをやったけど、すごいパワーだね。
垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。

女たちは「女心」の研究の発展を恐れていなかった。
すでに自分の中にあったものだったからだ。
むしろ、私は動物ではなかったことを感じたし、その男と話したがった。
自分の心の中の「証拠」を見つけるために常に最高の学者を求めたのが女であり、決して恐れていなかったのだ。
低学歴ナチスは、キャンパスのアインシュタインを嫌っていた。
女心の研究をしているメガネをしたオタクに、アイドルが平気で「メガネフェチ」だと語ったのだ。
顕微鏡ものぞかないで女心を語る人の言葉をよく聴いた。
「私の返事次第で研究方法の正しさが証明されるんでしょう?」
やり方が間違っていてどれほどの男がセンチメンタルになっていったと思う?
「ビビビ」と男女が惹き合うのはパチンコみたいなものだった。
松田聖子 抱いて。


【延々と続く】

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