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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2017年4月12日 (水)

文学とはなにか。

まず、奇妙な結果が生まれる。
何かが曖昧であり、解釈が必要となる。
混乱の解消の過程をうまく流れに乗せる。
奇妙な結果とは「犬が父親である」「キメラはキメラである」というように臭うものだ。
そこで「使徒は12名だ」「無限は有限なんだ」「すべての人間は必要な動物だ」というような解釈をする。
最後に「ソクラテスは間違っているよな」という具合に混乱の解消を流れに乗せていく。
もう少しわかりやすくしよう。
ある者が暴れたとする。このことの解釈をするために12名の人間を記録に残す必要がある。すべての男に限界があることを知り、すべての人間を生かす必要があることを知る、
最後に「権威が間違っていたから男は暴れた」と総括して混乱を治める。
タイソンが起こした混乱。

人間だけが男らしくないよな。
しかし、すべての人間が男らしくないわけではないよな。
この男だけが男らしくなかったのかな。それならば間違いだと認定できるな。
すべての人間が酔っているのか、酔っ払いが酔っているのかを明らかにする。
無限とは女の発想だろ。
今の状況は有限なんだ。
覚めている人間が処理するようにする。
臭うし分からないし、混乱しているんだ。
誰かが神になるときとはそういうときだ。
12名が堂々巡りしているな。
誰かが白から黒にならなければならない。
「もし」「すべて」「有限」を忘れてはならない。
もし権威が間違っているのならば、すべての人間はどのようなものであるか、この事例は無限ではない。
無限を押さえ込んでいくんだよ。
事件があるたびに「12名の使徒」を集めるんだ。
すべての人間はすべての人間を見ているからね。
酔っていない人間は誰だ?
そいつは不死鳥だな。
無限を否定し、キメラは俺の兄弟だよというやつなんだ。
すべての人間を生かし、それでいて白い人間を黒にする。
事件の酔いを覚まさせろ。
自分を石だと信じるんだ。
人間のすることだ。動物だったのかもな。
無限を押さえ込んだ時に、男は自分の速度を上げていった。
ソクラテスを遠い目で見た。
愛するとは動詞だろ。
主よ、私は弱まっています、私は走った。
それでは世界は変わらない。
使徒に女はいない。
男らしくあれ。
女とは処女のことだ。
事件があるたびに12名の使徒を集める作業を「ソフィスマータ」と呼ぶ。
中世の文学はそのように事件の波紋を広げて収束させていった。

「反省」
天と地、世代は腐敗したものを見ている。
アリストテレスが21世紀を見ることができた理由だ。
彼はひたすら反省の言葉を残したからだ。
神はなんで男のおちんちんを作ったのだろうか?
神聖な力と知恵が宿るからだろ。
譲れないものと人間の決意を感じない者には反省しかない。
人間の反省という反省を網羅したのだ。
無知なる者を書かざるを得なかった。
エリートの仕事だよ。
人間の反省以外に魅力を感じる文章はなかったのだ。
哲学者の歩んだ道は勝利の道だった。
あとは人々の敗戦の弁を書くだけだった。
モーニング娘。 Sexy boy.

アリストテレスの物理学は「学問と暴力だ」とも言われた。
手に届くものは全部殴ったし、相手が動いて空間が生まれたらそれを埋めた。
二つの「石の拳」とはアリストテレスのことを人々は語ったことだった。
敵の陣営が水に囲まれていても、硬い要塞でできていても常に石の拳を忘れなかった。
片方の拳はあまりコントロールが効かないことも知っていた。
「別の世界でも常にセンターにいるために」考えたことだった。
拳の位置を考えたり休ませたりしたのだ。
アレキサンダー大王の家庭教師だったことを忘れてはならない。
拳の重さ、そして拳が下に引っ張られている辛さを知っていた。
欲望が複雑に絡み合った。
世界を拳に例えなければ複雑すぎて何も分からなかった。
its a fight.

要塞や水に囲まれた陣営とは女でもあった。
勝ち続けても民族は戦い続けたからね。
距離がくっつきすぎるとカミソリは効かなかった。
国をそのように見ていたのだ。
幻の世界でも二つの拳を動かしていた。
これを知っていたのは彼だけだったのでひたすら敗者の敗戦の弁を書き続けたのだ。
心の中には常に二つの拳があった。
オッカムはそのテキストに忠実にしたがい、ひとつの選択肢しかない者を「壁ドン」と呼んだ。
神の絶対的力だったよ。
絶対的力と神聖な力の二つが育つまで鍛えた。
これも神学だったのだ。
女の返事が「敗戦の弁」に聞こえた。
患者に二つの方法でアプローチしたりもした。
方法が噂になったからますます鍛えたし、人々の反省の言葉を記しながら作業を続けた。
ただ見ている男、そして女たち、彼らがアリストテレスの優勢を悟った時、そしてフィニッシングブローまで書いた。
国はただ勝利の歓喜に酔うことしか知らなかった。
しかし、彼は国内での反省の言葉まで記した。
二つの拳から始まった物語はここまで発展したのだ。

「妻への義務」
ヨーロッパ中世においては、どんな女のからだを見ても「妻への義務」を果たすというゲームほど成功した文学はなかった。
結婚生活には必ず敵がいたし、それに共鳴する人もいた。
結婚生活には2人の敵が存在したのだ。
だからこそ結婚生活が「仕事」として成立した。
「もう2人は破綻しているらしい」という噂を流すのもこの「敵と共鳴者」の2人なのだ。
私も彼と結ばれる可能性があるのかしら?
あるわけないだろ。
これがテーマだ。
それでもあるのではないかしら?
キリのない議論だったから文学になった。
破綻する兆候が見られたら女たちは一気に攻撃に出た。
男も何かを証明するがごとく結婚生活を続けたのだ。
「他の男はどうしてるんだよ」
男たちは考えていたのだ。
破綻したらしいというメッセージを投げる側、受け止める側、言わせておけという側、社会の仕組み、真実とはなにか、そして言い訳。
この六つが一気に動くのだ。
噂も否定してくれないのならばお別れね。
松田聖子 ハートのイアリング。

敵が「アトランタはペンシルバニア州の首都だ」といえば共鳴者は認めるし、
「アトランタはメーソンディクソンラインの南にある」といえば共鳴者は相手に譲るし、
「ペンシルバニアの首都はメーソンディクソンラインの南だ」と言っても共鳴者は妥協する。
これで噂は時間切れだ。
しかし、共鳴者が全て否定することが通常だ。
それでも噂は時間切れだ。
今までやったことのない議論を共鳴者が認めることは、もはや「予言」であり、男は認めなければならないことがあるのだ。
結婚生活の敵がどれほど「特殊な情報」を出すが次第で共鳴者が呼応して、2人は別れに追い込まれる。
関係を持ってしまったかそうではないかに共鳴者はそれほど敏感なのだ。
「何のための議論をしているの?」
「今後どうするつもりなの?」
共鳴者は冷静に聞いた。
奥さんへの義務とは何かを共鳴者は考えていたのだ。
よく話を聞いた上で2人を守るかどうか決めるの。
ライオンの尻尾を足だと言ったり、足の数が5本だと言ったりするほど簡単にわかるの。
瞳はダイアモンド 松田聖子。

ヨーロッパ中世とはアウグスティヌスからデカルトまでの間のことを言う。
セックス崇拝は確立したアウグスティヌスから、女たちが性の経験をめぐって国を分けるまでのことだ。
その間に、スコラ哲学が誕生し、キャンパスライフというものも生まれている。
男女が活動を共にして恋愛をするというキャンパスライフは、当然、セックス崇拝を背景にしたものだった。
ルネッサンスが9世紀から11世紀の間にあり、もはやいくら勉強しても処刑されないというローマ帝国の王室の空気が支配した。
モーゼ五書などの旧約聖書は、キリスト教徒から「ユダヤの書物」と呼ばれ、新約聖書は、プロテスタントが復刻したものだ。
マカベア書8:14ー16では「王はセックスを熟知している」とされたし、サミュエル記1:14ー16では「女たちは夜の手ほどきは教わらなければわからない」としていたことからキャンパスでも口説き文句や恋愛論を教えていたのだ。ローマ人への手紙13:1-5では「大学の前には剣もむなしい」と語られた。
コリント人の手紙7:20-22では「環境に磔にされてもセックスの時だけは自由だ」と記され、ガラテア人への手紙3:28では「ユダヤでもギリシャ人でもないものは自由であろうとなかろうとどの男もイエスに似ている」とした。
ペテロ2:18では「主人に仕える妻はセックスと優しさを恐れ、将来を恐れる」としたし、
エフェソス6:5は「間違いを犯す男だから王になれないのだ」とした。
奴隷というものがなぜ生まれるのかを聖書は説明していたのだ。
片思いの終わりに。

イエスは「金持ちが天国に行けると思うな。貧しきものに施せ、人間に鋭い眼差しを向けろ」とマタイ19:21-24で語った。
使徒行伝4:32ー35では「どんなグループでいじめがあってもみんなおちんちんがついていて富を奪い合っている」とした。
マタイ5:39-44においては「悪に抵抗するな。右の頬を叩かれたら左の頬を差し出せ。敵を愛せ。あなたを憎んでいる女を抱け。そしてあなたのやるべきことを実行しろ」と記し、セックスこそが仲直りの秘訣であることを語った。
マタイ20:25ー26では「父である君主がセックス崇拝を見失った時に王子が台頭してくるだろう」とした。
マタイ23:8ー10では「いじめっ子が主人だったのかいじめられっ子が主人だったのか見失うだろう」とされた。
コリント5:12ー13では「女は男なしで感じるだろうか。男がいなければ神が感じさせる」とした。
これらの聖書の素養がキャンパスライフで教えられたのであり、アウグスティヌス以来、常にセックス崇拝が政治として用いられたのが中世だった。
ストイシズムとプラトンの詩が男女の関係の深刻さを伝え、「学問をやるためには立ち入らないほうがいい世界」を教えた。
なぜなら奴隷とはセックスの過ちによる罰であったし、それでいながら奴隷たちをコントロールするのは聖書だったからだ。
モーニング娘。 リゾナントブルー。

アウグスティヌスにとって、常に「二つの世界」が存在した。
地上と天国であり、地上で引きこもって勉強してある自分と、いつか自分の研究が日の目をみる天国だ。
これが「神の国」であり、地上にいた頃は汚らわしいとしか思わなかったセックスというものが、学が進むほどいいものに思えてくるというものだった。
「なんだ、みんな法則にしたがっているではないか」
小さな船を盗んだら泥棒と呼ばれるが、巨大船を奪ったら皇帝と呼ばれるだろう。
そのようにしてキャリアを積んだのだ。
中世の政治学はストイックだった。
政府のメンバーになるまで男女の関係を学び続けて、神が人間に何を与えていたのかを悟るのだ。
「この世を支配してあるものは何か?」
学ぶのに時間がかかった。
旧約聖書では「イスラエルを守るために虐殺しろ」と語っていた戦争についても、新約聖書ではセックスに対する寛大さと、兵士に憎まれない指導者が描かれた。
ルネッサンス以前は、このようなセックス崇拝を正確に理解し、影響力を増したものは「王の地位を望んでいる」として処刑されていたので、ルネッサンスは明るかった。
アウグスティヌスから9世紀までまったく書物がみつからないダークエイジだったのだ。
王子だけが「一子相伝」として教わっていたのだ。
なぜ人間が奴隷になるのか?お金はどうやって集めるのか?
ローマ法が知りたければ女に脇目も振らず勉強しろ。
教会法が知りたければ女と楽しめ。
国家と教会はこのようにして分裂した。
皇帝は両方学ばなければならなかった。
ローマ法で土地の所有権を認めても、女の問題からそれを失うことがあるだろ。
ローマ法はイノセントだね。
ribbon 愛してジャステイス。

キャンパスライフを信じたのはイスラムとユダヤだよ。
作業を共にしているうちに男女のカップルができるんだ。
男らしさを感じる時があるんだろうね。
男らしさは社債であったし、女らしさは株だった。
800年にシャルルマーニュにレオ三世がローマ皇帝の冠をかぶせてから1806年まで神聖ローマ帝国は続いた。
社債と株をうまく使いこなせる地位にあった。
ローマ人の手紙13:1は「神の力だね」と語った。
皇帝はとにかくストイックだったんだよ。
ローマ法を学んで金が集まるのか?という問題意識から民法も生まれた。
ローマ法が教会法に頭を下げたのだ。
ガイルの力によるカノッサの屈辱だ。
パリスも教会法の強さを認めていて「永遠の法」と呼んだ。
しかし、ローマ法は男らしさを、教会法は女らしさを示すものとして皇帝は使い分けていたのだ。
ヨーロッパ中世の空気はこんな感じだよ。
男と女のララバイゲーム。

セックスした男女には12人の証人(十二使徒)ができるというヨハネ22世の考えにはパドゥアが異論を唱えた。
恋人たちは誰にも言えない秘密を抱え込んでいるとしたのだ。
セックスという事件に十二使徒ができないではないか?
このことを「ペテロはローマには入れなかった」と表現するのだ。
これだけでもパドゥアは「聖書の間違い」として語り継がれた。
俗世の権力は教会法をこのようにして攻め立てたのだ。
when a woman loves a man.

オッカムのウィリアムは、誰も所有しないでものを消費することはできないとし、土地というものも女に奪われるものではなく「減価償却」されていくものだとしてヨハネ22世のを批判した。
物の減価償却とは女によって蝕まれていくプロセスを言うのであって、ものや土地の価値がだんだんコミュニティに拡散していくこと意味した。
所有者の意識もそんな感じだったのだろう。
オッカムの指摘を受けて、教会の側も委員会を開いたのだ。
アウグスティヌスがセックスを神聖化してから、ローマ法がこれを取り入れていく過程が垣間見える。
love is cash.


シュレーゲルは、このような男女の背景にある真実をひたすらぼやかしながら詩にする作業に没頭した。浪漫主義の誕生だ。
一気に「男女の別れビジネス」は拡散していった。
詩の天才たちがこのテーマに飛びつかないわけがなかった。
「表現が上手ければ版権はお前のものだからな」とシュレーゲルは講義で熱心に語った。
シェークスピアシアターでは「こういう詩を聞くと死ぬのが怖くなくなるんだよな」と人々は語り合った。
中世のハートをドイツ浪漫主義はすべて引き受けたのだ。
CoCo 優しさに帰れない。

これがドイツのロマンティックムーブメントであり、女性たちを魅了したのだ。
表現が多様化して、作家たちは署名していった。
アートは心に響くことと、リスナーがより良いからだになることを目指していた。
中世の文学を讃える歌だったのだ。
中森明菜 リフレイン。

知的であること、抜け殻になること、そして生きていく力になること、この三つの要素をカントは指摘している。
内臓に響いて、鏡で顔をまじまじと見てみる女がいた。
「アートは学問を真似している」とも言われた。
モダンなテクノロジーはやりたい放題だな。
別れの時の無限を有限なものにして事件を終わらせようとしていたのかもしれないね。
しかし、女としての無限を感じていた。
浪漫主義のハートは素晴らしいね、と人々は語り合った。
CoCo さよなら。

セックスという「事件」の後の日常は多様なものであったから、そのことを詩にすることにしたのだ。
杏里 オリビアを聴きながら。

花は永遠ではない。根っこは花を永遠には生かさない。
こんな気持ちになったのだ。
これをテーマにしたことから、作家は彼が知っているものよりも知っていることになってしまった。
モーニング娘。 インディゴブルーラブ。

鏡というものを女が意識する理由が見つかったのだ。
男は、この女心を知ることでより芸術が好きになった。
男にとって「人生の後悔や悲しみ」はそれだけではなかったからだ。
俺たちの知らない世界を見れた気がしたんだ。
ドラマもオールドコメディも、遠い世界の話の方が面白かった。
ハーモニーも詩も競い合ったのだ。
演技も使ったし、踊りも活用した。
もっとも完成されたエンターテイメントだったね。
ribbon Be my diamond.

シアターのあり方も学問と政治次第だね。
いろんなクリエイターが生まれたよ。
踊りも単なるパントマイムに見えなかったよ。
地球で生きるためにみんなは何に飢えているのかを知った。
落ち込むことを忘れたいんだ。
言葉の起源というのはここにあるんだよね。
「比喩」なんてのはそうやって生まれたのだ。
口説く事よりも女の心の救済の方が大事だったのだ。
夕暮れ時の光の中で言葉は生まれている。
詩人の才能がここに集まったのだから当然とも言えた。
人間は鳥のつがいではなかった。
鳥のさえずりではなく、はじめに言葉があった。その次にサウンドがあった。
また、言葉は人間とともに変わっていった。
rebbcca trouble of love.

言葉は低いところからより高いところへ。
詩人がやったんだよ。
女の心の救いに絶対的な言葉はなかったから「神話」のような表現がたくさん生まれた。
詩の素晴らしさはここにあったのかとみんなが思った。
シュレーゲルは、民族が生み出した言葉の土台がなければ翻訳って無理なんじゃないかな、と考えるに至った。
民族の「男たちのハート」がなければ外国語を自分の国の言語にすることは不可能だった。
女の心の救済に絶対的な言葉はないというところから「表現の曖昧さ」も生まれていた。
このことから「言葉のナショナリズム」が生まれたのだ。
子供たちは、国語教育で「表面的な美しさ」を追いかけるしかないという現実に直面した。
ribbon サイレントサマー。

アマテラスに髪飾りを捧げる(玉串)とは案外そのような「言葉を捧げる」ということなんだ。
それが神話になっているのだ。
しかも、学問はすべて言葉で行われるだろ。
ナチズムもドイツ浪漫主義に共鳴していた。
喜びとともに言葉というものは作られてきた歴史がある。
CoCo なぜ。

ローマン・インガーデンは、このような作品を書いたものは自分の終わりが世界の終わりだと考えていること、そして、失恋ソングにだけは人間がひとつになれることを知った。
「言葉に何ができるのか?」を理解したのだ。
特殊な才能を持った詩人、哲学者と、若きマルクス主義者は明確に対立した。
男女の本気の恋愛を味方につけたら人間はひとつになる。
男が他の男に勝る、それはもはや共産主義ではなく、ドイツ観念論哲学だった。
「失恋」「離婚」
一言で言えることに、女心を知ること、そして自分の世界を広げること、何のために歌ったり議論したりしているのかを知ること、そして物事の考え方のすべてが凝縮されていることを知った。
松田聖子 風立ちぬ。

インガーデンは、ソビエトがどれほど腐っていたかをポーランドで知り尽くしていた。
女を共有して、失恋しても唾を吐くだけの連中だった。
「女の心はもっと大きなものだろ」
「お金だろ」
女が自立しているという発想は女を小さく扱うものだった。
みんなが世界で生きていることを経済に変えない国はなかった。
Melody Oh please.

いろんな男に女が出会う、これが繁栄だ。
インガーデンは哲学者として男を磨いて女の支持を得るドイツ観念論よりも、現実社会の「虚しさ」を発信した方がいいと考えるに至り、「文学とは学ぶものではない」と言ったのだ。
悲しい曲を歌う左翼に共感していたのだ。
女に追いかけられる新カント派よりも「人間がどうしても譲れないもの」を理解した方が「その男の本音」を知ることができるとしたのだ。
中森明菜 難破船。

世の中の学問は20世紀にはもはや失恋だけではなくなっていた。
しかし、女が何を考えているのか?どのような考え方をしているのかを理解することが必要だった。
世の中の戦いの現実と、女の失恋という心の問題、変わりゆくもの、そして変わらないものを知らなければならないのだ。
戦っている男は、その矛先を女の失恋に向けるのは目に見えていた。
女の失恋の意味を知っている男はモテたし、その気持ちへの尊敬の心を持っていた。
失恋というものは儚い合格点であったし、人に頼りたい時であったし、他の女が生き生きする時であったし、同情してくれる時であった。
若い時の男の知恵比べってそんなレベルだよ。
酒井法子 All right.

表現が多様化しただろ。
どのような関係にある失恋ソングか分からないだろ。
みんなが中世の原点を見失ったのだ。
カップルには敵が二人いるということを見失った。
それでよかったのだ。
カップルを邪魔する女たちすらそれを見失ってくれたのだ。
それほど多様な言葉のクリエイションがなされた。
戦国時代の人間はここまで言葉は豊かではなかったし、論文すらなかった。
アリウス派だのアタナシウス派だの、イエスキリストはただ気持ちいいセックスを考えたに過ぎないことを知らなければならない。
言葉の計算力が一気に高まった。
女の失恋という悲劇、そして譲れない夜、さらには平和な気持ちの調和を取りたいがために言葉の計算力が高まった現実がある。
文学が発信源となって、音楽作品や絵画、建築物などの計算力も高まったのだ。
瀬能あづさ 永遠に友達。

20世紀以前の文化が必ずしも豊かではなかったことは残念ながら認めざるを得ないのだ。
「戦い」と「心」だけはテーマは変わらなかったけどね。
絵画の意味を語るようになったのも20世紀なのだ。
ただ感じたいだけのために描いていた絵画の意味を語るようになったのだ。
建築も、男が「見る人」に何を訴えかけようとしているのか、何を意図しているのかなどの表現が豊かになった。
さらには、「男がどのように美しいのか」という表現まで見つかった。
そのようにして、言葉の計算力を高めた上で、昔の絵画などを研究してみた現状がある。
古文書の研究もそのような基本を踏まえる必要がある。
大阪パフォーマンスドール カーニバル(3:50から).

中世のキャンパスライフに、「必要な男」「代わりの男」論争が広まった。
みんな若さを無駄にしていたので「必要な男」が他の女と関係を持ったら、もはや二人を守ってくれる女はおらず「二人は別れているらしい」という噂が飛び交うことだけをキャンパスライフで感じてくれればよかったのだ。
この法則だけは永遠なんだな、と言うことだけわかればよかったのが若さというものだった。
女の話をする男は損しているなと思う男や、よりスタイリッシュさを求めて女の話を一切しない男も体育会にはいたが、このことを理解していない男は人事でも不遇をかこった。
あるいは、男社会で一心不乱に精進する男もこのことを語れるようになればよかったのだろうか。
若い時はセックスがすべてだった。
彼の心の風景にいつまでも想いを寄せる女もおらず、女はうさぎのように弱くはなかった。



男は黙って迷宮入りして昔の女と今の女の間を行ったり来たりして体育会での弱さを露呈する。
女の「二人の可能性」はアリストテレスの「二つの石の拳」のように男を壊した。
「僕は人の壊し方を知ってるんだ」(はじめの一歩・唐沢)
アーロン・プライアーはこれを見ながら対戦相手を選んでいた。
セクシー8 幸せですか。

もう彼の心にボクシングはない。
女で予測していたんだよ。
男は勃起は一人の女にしかできない。
勃っているものは元に戻ることができるが、他の男の勃起まで心配し始めたら終わりだ。
二人の女を選ぶとはそういうことだ。
胸を揉みしだいたから気になって仕方がないんだよ。
前向きなものが残らないんだ。
SPEED Luv branket.

女がぐちぐち歌うからやってられないんだよな。
俺を壊そうとしているんだろう。
テレビを見るたびにダメになりそうなんだ。
頭の中に混乱が起きるんだよ。
13世紀にはそのような女の文化は確立していた。
譲れない夜があったから傲慢さと慈悲、友情と敵、恥と栄光、喜びと失意、従属と支配、希望と絶望、注意深さと愚かさの対極が生じる。
疑う余地のない正気を保って、知的な野獣として「力とは何か?」について考えた。
おちんちんがどんな悪をもたらしているのだろうか?
人間というのはこんなにも耐えられないほど自由なんだよ。
動けるということは「休んでいた」という意味だ。
傲慢な人には友達もいなく、相いれないもの同士が爆発するしかなかった。
SPEED 蒼いリグレット。

三位一体、つまり三人組で追い出しを仕掛けるものを「ソウル」と呼び、三人組全体を「ボディ」と呼んだ。
何が違うと思う?
情報なんだよ。
ボディ全体の魅力を見ながら、女たちはソウル(天にまします父)を崇拝した。
はじき出される男はとにかく魅力的なんだ。
ソウルは眠っているようだった。
女たちは眠っている男とはセックスしたがらなかった。
なぜ、父と子、聖霊と呼ぶかというと、父よりも子の方が時代に恵まれているからなのだ。
父(ソウル)は眠っていた。
ボディ(三人組)ではいろんな音楽を共有していただろう。
知的な感じ方をする奴(聖霊)は追い出されるよ。
知的なレベルが違うと判断されている。
三人組(ボディ)で、誰が眠っている父(ソウル)かを考えて、とにかく父とセックスするのを避けて、追い出される聖霊を狙うんだよ。
SPEED Body&Soul.

アントイン・アーノルドは、カトリックがなぜ「処女」を重視するのかを考えた。
神について考えるのにちょうどよかったのだ。
ジャンセニズムだ。
アーノルドは「ホーリーマイトレイヤー」と呼ばれ、ソルボンヌで有名になった。
17世紀のことだ。
女たちは神を取り巻く天使でも、物事の道理がわからない悪魔でもなかった。
哲学を学んだ男に初体験を許すのは、まるで他に知的な男を知らないようだったのだ。
「お金目当てだと思われるかしら?」
もし、彼が知性に欠けるのに私の胸が熱いのならば私は悪魔ね。
女の間違いがポートロイヤルで指摘されていた。
シナプスが悪魔の反応をしてしまったらどうしよう。
まるで父(ソウル)にときめいてしまうほど悪魔になることがあるの。
天使は無邪気に男の知性を信じ、他の男の知性を知らないほど世界が狭かった。
「私は永遠の真実が知りたいの」
高橋由美子 天使か悪魔。

「誘拐」
ティムとハリーは友達だったが喧嘩別れした。
しかし、別の日に一緒にジョギングをしていた。
家の中には夜中に食事を食べた後が散乱していた。
「お金が動いたな」
このことを、演繹でも帰納でもなく「誘拐」と呼んでいたのだ。
女と話すことを帰納と呼び、学んだことを女に話すことを演繹と呼ぶ。
ビジネスパートナーであるティムとハリーは、このことがうまくいくだけで仲直りできる。
海王星が8番目の惑星として「求心力を持っている」とされるか、トムソンが電子を発見したかの問題が「惹きつけ合う人間同士」にはある。
喧嘩別れしたら女と話すことだ。
遠く離れていても時間を共にしている(特殊相対性理論)。
その間に、演繹と帰納をフルに活用することだ。
北朝鮮の拉致問題とは「日本人女と仲良くしてアメリカに接近する」という政策のことだったのだ。
反則があるならば「悪いギャンブル」になるね。
しかし、「男たちの見方」はまるで違うことを知らなければならない。
2007年にロンブローゾが指摘するまでは分からなかったよ。
通常の経験とは異なるデータだったから真実の方を優先させたんだ。
いろんな意味で敵の多い議論だったけどね。
女の子のセックスが歴史に格上げされてしまうんだよ。
酒井法子 微笑みをみつけた。

永遠の文学とは、「必要な男であること」「女とのツーショット写真を見せられたら奪いたい男であること」「考え方を知っている男だったこと」「事件を一緒に解決したことがあること」だ。
二人の出会いは女だけの記憶として残った。
出会いのエピソードがなければカップルは発信力をもたない。
「なぜ彼が必要なのか?」
言葉にできる人だったのだ。
噂とは違う人だということを私だけが知っていた。
噂が大きいほどその実像が愛せたのだ。
あべこうじ 高橋愛。

また、文学の伝統は「二人の女の比較」でもあった。
どちらかが間違っていて、どちらかが正しかった。
その中間は想定していない。
この描き方も永遠だったね。
女にとっては生きるか死ぬかだったからだ。
「不安感が拭えないな」
これだけで女が太っていくのを見た。
酒井法子 さよならのかわりに。

30年戦争が終わって、女たちの性の経験でヨーロッパの足並みが揃った時に、シラーはベートーベンの第九に合わせて歓喜の歌を作った。
カントはドイツで美しい女たちを生み出していたし、美しさは心にまで行き渡るようになっていた。
自由に恋愛ができる、みんな同じようにやっている、それだけでも女たちは歓喜した。
それは、失恋の悲しみよりも喜びだとシラーは考えていたのだ。
おちんちんに与え、そして受け取る、そんなことも戦争をしなければできなくなっていたからだ。
良きサマリア人は、医者として女たちの経験を単純化できたことに喜んでいたし、国に理想のビーナスができたことにも喜んだ。
美しい女ってなんだろう?
失恋を知っていて、それでいながら美しいからだを維持していたのだ。
三位一体のいじめに遭ってももはや美しいと思えるのは人々の共通認識があったからであり、いじめのみっともなさを知ったドイツの人々は歓喜の歌を歌った。
歓喜の歌。

長続きしない愛を知ったのは、ドイツの宝だったし、フランスにはないものだった。
失恋ソングを知らなければ死ぬのが怖いだろうという誇りもドイツにはあった。
失恋ソングという巨大な富をドイツは得たのだ。
人間はこれ以上、高くは飛べない、それが分かったのだ。
これ以上、女は苦しめない。
自分がいちばん可愛いはずの女がここまで苦しむのはまさに芸術だった。
失恋ソングがなければニーチェものちに死後の世界を否定できなかっただろう。
他の男の知性に男が負けるというカサブランカものちの戦争で用いられることはなかっただろう。
中森明菜 リフレイン。

女たちは「これで友達ができる」と思った。
同じところが痛む人がいたからだ。
セックスとは神からの贈り物だと思えた。
女だけの文化の誕生だった。
感受性の強い男たちもそのような作品を愛してくれた。
からだを鍛えた後に、男は失恋ソングを聞いてみてね?怖いものはないはずよ。
女が本当に苦しんだことを忘れないでね。
女の失恋の意味を理解する男は男らしかった。
気持ちのいい国だった。
失恋した女はフランスに行きな。
ドイツにも失恋はあるのよ。
女の子の思春期の鬱にも救いになる音楽作品だった。
天真爛漫な詩はもうどこにもない。
自分がいちばん可愛いはずの女たちにゲーテやシラーが詩を送ったのだ。
「これ以上、偉大なテーマはもうない」
マルクス・エンゲルスは、このことと「若い女をみんなで共有したら何が起きるか?」という問題と向き合うだけだった。
モーニング娘。 インディゴブルーラブ。

男が二人いれば普通はブロックされて突破できない。
このような場合は「強い方を狙え」と言うしかない。
それだけで周囲の計算が変わってくるのだ。
二人の女にアプローチしてみても落ちないだろ。
この場合も「強い方を狙え」と言うしかない。
弱い方が引くことがあるのだ。
強いとは当然、「美しい」と言うことだろう。
メッシ ドリブル。

全米メディアは「マークすべき人物」にまで嘘の報道を流し、地元チームの応援をした。
プレイの全体像を見渡していたのだ。
女性の声援を誤った方向に導けばいいだけだった。
二人の相手がいたら強い方を狙えと教わっているからだろ。
女たちはゲームの本質が見えていなかった。
そのためフットボールのプレイにまで利用されたのだ。
いかに弱い方に声援を向けさせるかが大事だったな。
男はそれを潰そうとするからね。
女性の声援が向けられなかった強い方の男が力をつけていくのがわかった。
メディアはチームを分析し、一緒にプレイをしていたのだ。
何が起きているのか分からない世界では常にこのようなことが行われていた。
「男の世界」「女の世界」がひとつのプレイに表現された。
弱い奴に金が流れることになりかねない。
強い男には動物のような扱いが与えられた。
しかし、動物ではあっても「複雑さ」からは解放されたんだよ。
動物は自由に恋愛もできないんだ。
罪のない議論だとは思わないでくれ。
チームが勝つためにやっているんだよ。
アメリカンフットボール。

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