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Foreign Affairs

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2017年4月 5日 (水)

民法の基礎。

1950年代から1960年代にかけて、アメリカの黒人の間で「金とセックス」の問題が提起され、議論がまとまっていった。
20世紀中頃までには民間のお金と政治資金は明確に区別されていった。
19世紀までは金持ちが私財を政治資金にあてていたのだ。
人種や肌の色、性別、宗教によって口説き文句が異なる。
彼らにいかに「口説き文句」を拡散させるかが「市民の富」つまり財産法の問題なのだ。
フェアなゲームであることと約束の世界に男女を導くことが必要だ。
自由で対等。つまり女を自由の世界に連れていったり、性の屈辱を女性に与えないようにしたり、食べ物を得られるほどの男の器を作ったり、安全を約束するだけの力のある男であることを示したり、健康であるためにはどうしたらいいのかを語ったり、からだを売るということの意味を語ったりすること学問が富につながる。
文章だけで富が約束されるのはこのテーマだけだ。
古典的にはそのように考えられていた。
第二世代は「他の人はあなたのことをこう考えているよ?」ということを語った。
それが自由で対等であることを意味したからだ。
人々の「文化の違い」に着目したのが第二世代だった。
しかも彼らに「あなたは安全なんだよ」と教えた。
第三世代は、彼らの独自の生き方にエネルギーを与えることで富を得た。
少数派に常に寄り添ったのが第三世代だった。
カナディアンチャーターは、細分化された社会において彼らこそが多様な文化を作り出し、人間の永遠を約束するとしてこのことを明確にした。
文化的マイノリティが自分の財産を持つこと、そしてメインストリームに常にメッセージを与えること、さらには自由に活動できることを明確にした。
第三世代にはセックスに関する悩みが多いのには驚いたよ。
彼女たちにこそ医学が必要だったし、税金が必要だったね。
社会の免疫力を高めたのだ。
セロリのキス、ハッカのタバコ。

支配的な文化の脆弱さを知らなければならなかった。
文化的マイノリティが法律を作っていたり、政治を行なっている現状を理解しなければならない。
「誰が文化を発信しているのか?」
それは案外、文化的マイノリティだったのだ。
文化的マイノリティ学問が「上流階級」を形作ってきた歴史もあった。
そしてその地位を永遠に守ろうとしたのだ。
多数派工作は自由だった。
セックスをどう思うか?どうすれば感じるのか?
二つの力量が試された。
人種差別と性差別は密接に関わっている。
何が白人社会のピラミッドだっただろう。少なくともゼックス崇拝ではなかったはずだ。
神が与えた序列というものがある。
しかし、アメリカ合衆国は「全人類平等」を目指し始めたのだ。
コッペルマンも、もはやセックス崇拝の呪縛からは逃れられないと悟った。
コーカサスでも2001年に女を独占する暴君の排除は決めていたし、2015年にボーイスカウトでゲイの容認を決めている。
第二世代、第三世代が生まれたら格差が生じるのは当然だった。
それは「選ばれている」ことを周囲が潰そうとするリアクションに当然ともなうものだった。
女は男ほど教育を受けてはいない。
そのために「格差是正」というものは絵空事にしか聞こえなかった。
家のボスがいなければ文化は多様化しなかっただろう。
家庭内の文化がフリーセックスをどう考えているのかを決めた。
ジムクロウ法はフリーセックスを容認し、マイノリティである黒人を上流階級ではないと位置付けた。
アメリカ合衆国の黒人戦略だったのだ。
1950年代から1960年代にかけて黒人愛国主義運動が広まった。
フリーセックス文化から富を生み出そうとする黒人がたくさん生まれた。
ドクオブザベイ。

白人社会に溶け込もうなんて夢物語だったよ。
フリーセックスを標榜して上流階級になっても認められるわけがなかった。
1968年にインディアン市民法が成立し、フェアプレーや言論の自由、残虐な罰の禁止をインディアンに求めたが、これも文化の免疫力を高めるためだったのだろう。
だんだん議会の視野が広まってきたし、フリーセックスに対して親のような眼差しを向けられるようになっていた。
19世紀までにはアメリカ原住民の支配は崩壊させられていたため、1960年代の黒人問題だけが残っていた。
どんな考えを法律家は持っているのかが問われたのだ。
フリーセックス女が部族の外で結婚するとどんな差別があるのだろうか?
文化はひたすら考えざるを得なかった。
子供はフリーセックス出身の母と言っただけで壊れてしまうものだったのだ。
これがアメリカ原住民の問題だった。
サンタクララ事件ではとうとうアメリカは「フリーセックスの国」という立場を明確にした。
この事件では、部族の外の男と結婚した女がいた場合、男を部族のメンバーに加えるというものだった。
フリーセックス文化のメンバーにアメリカ市民を巻き込んでいいとしたことからフリーセックス容認と解釈されたのだ。
白人層は常に「親のように」マイノリティと向き合っていたのだ。
愛が止まらない。

ヨーロッパのキャンパスライフにおいては、学生街(ゲットー)などでフリーセックスが横行したが、社会は学生に寛大ではなかった。
しかし、学生の文化は明るさに満ちていた。
地位も保障されていた。
フランス革命の温床にもなったのだ。
フリーセックスのイケメンはヤングヘーゲリアンと呼ばれ、マルクスに影響を与えた。
学生たちはマルクスにかぶれるようになった。
18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパのキャンパスライフのあり方もアメリカ合衆国に影響を与えていたのだ。
「どうやったらお金が儲かるのか?」
これが民法だとするならば、学生はお金儲けのために非常にいい立場にいることがわかる。
シーッ.愛はお静かに。

1965年に選挙法が作られ、静かな革命が進行していた。
修正第15条においても肌の色は関係がないとされたのだ。
ホームズ判事も「これで我々は重大な間違いから逃れられる」としていた。
法廷で何を裁いているのかを人々も知るだろうと考えたのだ。
その前の5年間で緊縮財政を敷いていたのも大きかった。
文字が読めない人もセックス裁判には興味を持つだろう。
ロバーツ判事も「選挙権があるのならばマイノリティへの眼差しも自ずから変わるだろう」と考えた。
シェルビーコートはこのような判事たちで占められていた。
世の中があなたのことをどう思ってあるのか分からない、という第2世代の問題に対して「選挙権がある」との回答を出したのだ。
ギンズバーグ判事も「議会が痴話喧嘩を理解するようになる」としてマイノリティに選挙権を与えることの意義を強調した。
ブルース・アッカーマンは「憲法判断ってのは恋愛論なんだよね」として、痴話喧嘩ばかりしていたマイノリティの意思が議会に反映されることを歓迎していた。
「マイノリティはセックスの話ばかりする」という共通認識が、彼らへの選挙権付与の議論とないまぜになっていたのだ。
2012年に新ジムクロウ法ができて、外国に行ったらみんなやりたい放題ゼックスをするだろうと説明され、まるで異国にいるような気分のマイノリティへの理解を求めた。
リゼとザックハウザーのちの主張は「このことで差別をしないでくれ」というものだった。
「警察が性の問題から我々を差別している」としたのだ。
リゼは「性の認識はマイノリティはもはや変えようがない」とした。
黒人の犯罪率が高いのは認めていたのだ。
プロファイリングでもなんでも「黒人のせいだろう」とされてしまったのだ。
プロファイリングというものの意味を問い直さなければならないのがアメリカの現状だ。


ギリシャの時代は、統治者として選ばれることは莫大な富を意味した。
しかし、フリーセックスの問題はあくまでもプライベートなものとされ、それが国の政策に反映されるほど公然と語られるようになったのは20世紀になってからだ。
女たちが「すべての女の平等」を口にし始めたために女の子たちが毒されていった。
そのために第三世代は、女たちに陥れられそうになっている男たちにメッセージを送り始めた。
女たちは男にも同じ要求をしていたのだ。
特別扱いされている男を差別し始めた。
男たちは潰されたくなければヤンキースファンやレッドソックスファン同士でつるむしかなくなっていた。
上流階級というのは案外そのような男の仲間づくりから生まれているんだ。
好きになってもくれない おニャン子クラブ。

女たちの時間切れというよりも「上流階級のお金を否定したい」のかもしれないね。
女がフリーセックスで足並みを揃えることは富の格差をも否定した。
1866年の市民法制定以来、このことを正確に理解していたのは白人だけだった。
勉強すれば上流階級になれるという基本すら撹乱されていたのだ。
1964年の公民権法とは、真面目な男をもっと大事にしようという法律だった。
勉強そのものが人種差別であり女性差別だと女たちは考えた。
「フリーセックスが分からないのならばメンバーとして受け入れないよ?」というのも差別ではあった。
自由で対等な市民というのはこんなことをやらかすことを知らなければならない。
階級は話し方まで変えてしまった。
CoCo 夢だけ見てる。

ゲイというのはこのような男女の格差に疎かった。
ジェーンがジョンとセックスしたという話と、ジョーがジョンとセックスしたという話は全く異なる。
ジョーは女の気持ちをわかってくれないと思われてしまうのだ。
ゲイもレズビアンも人生のチャンスという意味ではすべてを失っていた。
この格差の問題に疎いというだけで排除の対象となったのだ。
就職や結婚の時にも憎まれた。
勉強さえしていればいいという世界とフリーセックス女の間で「話のわからないやつ」と思われたのだ。
しかし、アメリカ連邦最高裁は、ホモセクシャルが犯罪であるとはしていない。
だが、ゲイが「強い男、弱い女」社会の議論に挑戦したのは事実だ。
マスターベーションは悪だ、というのは結婚しているカップルの仕事だろう。
女のからだを超えて快楽を満たす男が勉強していたのだ。
そこでアメリカは強い男と弱い女を結婚させようという「結婚防衛法」を作っている。
ゲイはカリフォルニアだけの話にしておいてくれという空気も生まれた。
同性婚は、広く世界で認められているが、オバージフェル対ホッジによって、10の州から実に50のすべての州に同性婚は広まった。
同性婚とはどのようなものかという文学が浸透したことが背景にある。
「外でオカマして振る舞うとはどのようなものか」というゲイの問題が解決に向かったのだ。
一つの肉体に一つの内臓があり、性的虐待への理解が浸透した。
むしろ、人間の善意を感じるようになっていたのだ。
「あなたたちは昔、弱者だった」とする眼差しが向けられるようになっていた。
それはまるで子供を見るような眼差しだった。
「彼らたちはナンバーワンを争っていたのではなかった」という認知されていったのだ。
妻と夫の役割を果たせることも分かってきた。
ガラガーは、国がお金で結婚を応援している以上、彼らたちにもお金が必要だろうと考えた。
1960年代のセックス革命以前は普通にゲイは存在したということも分かってきた。
「彼らはハンターでありナンバーワンを争うから嫌われていたんだ」
ブラックストーンも、夫と妻だって血はつながっていないだろ、として同性婚を支持した。
miwa ミラクル。

障害というのも勉強さえできれば上流階級であるという現実への問題となっている。
そのために「走る速さ、体の強さ、視力検査」などが子供の頃から行われている。
足というのは肉体的強さだけを意味するのではなく、学問を組み立てる上でも必要な力だとされたのだ。
結局、「強い男、弱い女」モデルに反するものはすべて撹乱要素とみなされる風土が出来上がった。
機会の平等とはこのような議論だ。
しかし、ロールズが「障害者をブルームバーグに出演させれば株価が上がるだろう」と指摘した。
人々はまるで魅力的な女性を見るように障害者を見ていたのだ。
「彼らにもっとお金をあげようよ」という強烈な根拠となっている。
メリークリスマスフォーユー。

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