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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2017年4月

2017年4月29日 (土)

二次元女。

写真機やテレビカメラをまわす理由はその対象を二次元にするためであるし、見ている人はダウンロードや録画をすることができる。
言葉や笑顔を記録することを意味し、二次元になった女は憧れの対象となる。
ribbon Virgin snow.

オバマはクールだね、とか、ロジャー・フェデラーはオールタイムで最も優れたテニスプレイヤーだとか2010年に最も有名なスイス市民だとかの記憶も撮影があるから残される。
有名なスイス市民であるジーン・ピアゲットや、最も偉大なテニスプレイヤーであるロッド・レイバーとの比較もこのことから可能になっている。
二次元であるのならば「わたしはフェデラーを見なくても生きていけるわ?」という人も出てくる。
ヒラリー・ロダム・クリントンが「わたしは大統領になれたのに」と語っても、フェデラーみたいに「セックスしたい対象」にはならない。
テレビで彼らは「私」と言うが、見ている人にとっては「これ」に過ぎないのだ。
センチメンタルジャーニー 松本伊代。

チャンネルはいつでも変えられる。
2009年にあなたはオバマとマケインとヒラリーの3名を好き勝手にチャンネルでまわしただろう。
みんな「私はここにいる」としか言っていない。
誰が勝つかによって、就任演説の時にみんな別々の場所で子供の面倒を見ていたりアリゾナを旅していたりするのだ。
二次元というものはそのように視聴者に「好き勝手」に扱われるものなのだ。
松浦亜弥 私のすごい方法。

1973年に「録画を可能にしよう」という動きが始まった。
そのことから「会ってみたい人」と「私にとって必要な人」が生まれたとされる。
日常生活に新しい世界が開かれたのだ。
「会ってみたい人」に恋する女も現れた。
録画した男は輝いて見えた。
ましてやオバマは2008年の大統領選に勝ってみせたのだ。
オバマとマケインとクリントンの誰が勝つのか分からなかっただろ。
「会ってみたい人」になるためにいじめもあったのだ。
カプランが録画というものを考えてこのような世界を構築したんだよ。
詩もあれば、自分で思いにふけることもあれば、奪いたい男もいれば、フリーセックス女もいた。
テレビに出られなくなるのならば自分はおしまいだと考えるものもいれば、王室もあった。
大喜利。

これができるのならば今の日本では学士ではなく修士だね。
言葉を競い合って録画されているんだよ。
日常生活でのいじめも経験しているんだろう。
そのようにしてテレビでは「私」を表現し続けているんだ。
三位一体を理解しているのならば永遠を知ったことになる。
三人組でのいじめを知っているのならば発言の重みは変わってくるね。
「会いたい人」になるだけではない。
日常生活においては辛酸を舐めているんだ。
庶民であることはあまく、胡椒のように美味しい役割だと考えているものがいる。
もはやいじめにはなんの汚臭もしないのだ。
いじめられている側は女にモテるから成り立っている。
祝福が目当てだろうがセックスが目当てだろうが同じことだよ。
女に詳しくなる絶好の機会だ。
女に詳しいのならば語ってやればいい。
男らしさが磨かれるだろう。
ただの水が黄金に化けるのを知るよ。
恐れられているのならばいじめもなくなる。
プッチモニ ちょこっとLOVE.

三位一体は永遠なんだよ。
父と子、聖霊に関わる議論だろ。
しかし、女について語ってやれば4人目が現れていじめはなくなる(四つだ)。
いじめられて水をガブガブ飲んでいるうちはまだ修行が足りないよ。
二次元の異性でもマスターベーションが可能なのは事実なのよね。
私とは違う言葉があればいいの。
話し合いのパートナーとして成り立っていればいい。
メルボルンはマニトバの中では温かい方だよ、これだけでも話があってしまうのが女だ。
お天気キャスターは非常に魅力的だった。
お天気キャスター。

家庭内に新しい情報をもたらす人は人気があるし、マスターベーションした後は輝いて見える。
人類に脅威を与える可能性があるのが火星だとするならば火星について語ってくれる人もモテる。
北朝鮮問題。

また、今の自分の心境に必要なメッセージを出してくれる人でもマスターベーションできる。
アンダルシアに憧れて。

しかし、ニュースではマスターベーションができないと考える人もいる。
「今、ここにいる」ことがわかる人でないといけないという立場だ。
そのような立場の人が追っかけをやるんだろうね。

権力は下ネタが上手い人が持つものだ。
しかし、政府はそのことに疎いではないか?
人間を知っている政治家のことを官僚たちは「先生」と呼んだ。
財産法、結婚法、コンサートなどにその力量が発揮される。
病理面のコントロールは下ネタを知らないとできないのだ。
「男に何が求められているのか?」という学問なんだよ。
「探求者であること」「男は何を考えるべきかということ」
ゆっくり眠れ、イライラしていたら眠れないだろ。
ゴッドウィンは、就職の方法という本や若者の力という本をそのように書いたのだ。
CoCo 横浜BoyStyle.

トムペインは、自分のことを「トムフール」と呼ぶほど下ネタが好きだったが権力者だった。
シェリーやバイロンもこよなく女のからだを愛した。
ベンジャミン・コンスタントもフランスにこのことを紹介したし、マルクス・エンゲルスもゴッドウィンの影響を受けた。
メンガーとかエルツベッカーもこれに影響された。
「下ネタが好きなおじいさん」という政治家像はここに出来上がっていたのだ。
石が転がっているうちに丸くなる、このような発想には敵がいなかった。
政府は必要だよ。でも知らない官僚は叩くよ。
ひな祭りはゴッドウィンという「いやらしいおじいさんが偉い」という発想を考えた人物の誕生日だった。
ミニモニ。ひな祭り。

女のからだをエネルギーに変えていった人生だった。
何で男が殴られたのか?
官僚にはわからないこともわかっていた。
カルヴァン派のサンデマニアニズムと呼ばれ、今でいうAKB崇拝をする連中からこのような男が生まれていた。
そのようにしてヨーロッパは1800年を迎えていた。
20世紀後半になってこのムーブーントは復刻されている。
「官僚叩きの本当の意味を知ってもらいたい」
CoCo ちいさな一歩で。

2017年4月28日 (金)

愛国心・再定義。

16世紀にフィヒテによって議論された問題であるが、1971年のロールズの正義論やマッキンタイアの議論がなされるまでは愛国心を語る連中はいなかった。
国家への特別な感情、国家が私の居場所を与えてくれていること、国がいい運営がなされることを望むこと、最後に快楽が与えられること。
性的欲望に根ざしていない愛国心はないと言ってもいい。
本能に根ざしたものか、多数派工作のためかの区別はつくだろう。
失恋ソングナショナリズムは権力を求めたムーブメントだ。
ナショナリズムとは政治活動であり、愛国心との関係はおのずと決まる。
女への理解力を争うのがナショナリズムなのだ。
ステイトは国の領土を意味するが、民の心はネイションと呼ばれる。
トルストイは愛国心について「戦争をする連中だろ、バカげている」と語った。
より優れた性の統制を求めて領土まで奪い合うのだ。
しかし、国は色々と面倒を見てくれるだろ。
しかも、ヒットソングが出てくるたびに「この国が何を得たのか?」を感じた。
赤いスイートピー 松田聖子。

知ることは永遠だが「信じること」はタチの悪い争いごとを引き起こす。
国を愛するとは「クソをする肛門を愛するようなものだな」と批判された。
マキャベリも「王子を信じるのが愛国心だとするならば裏切られっぱなしだな」と言った。
私のからだはなぜ太ったのでしょう?
数学によるとセックスをし過ぎたからだそうです。
スレンダーな女たちはこれだけでも国を愛した。
だったら太った女を芸術によって痩せさせよう、そのようなムーブメントが起きた。
セックスの経験は秘密になったまま、女たちは音楽を愛した。
からだが美しいだけで、性の経験が浅いと思われて女は仲間ができた。
愛国心というのは女々しいものなんだ。
「王室もどうしょうもないものを作ったわね」ナシュバーンは語ったし、トルストイも「音楽作品は女たちに妥協を許さない世界観を構築している」と指摘した。
早川美和 ブルーグレイ。

日本という島国が中東地域に見えるわね、メリシア・バロンは指摘した。
まるで、かつてキューバにアメリカが「美しい女」を売りつけた時を思い出すわ。
キューバにはコンテンツがなかったのよ。
国際問題なのよね。
王室を愛するというのは危険なものよ?
昔は太っているだけでフリーセックス女だと言われたの。
学校よりも大事なものを知ったわ。
うしろゆびさされ組 猫舌ごころも恋のうち。

就職して「恋愛論の論客」として認められたいのは事実よ?
「法律の向こう側」がどのテナントにもあるからね。
世の中の「女友達」って友達であって友達ではないのかもしれないね。
からだを比べあったりしているからね。
「特別な義務」が女友達には必要ね。
これがある限り愛国心を持つのは難しいかな?
お前は医者か?という境地を王子さまは目指しているけどね。
国に興味を持つということは医学に興味を持つことだったし、なぜ、女兄弟ばかり愛されるのかなと思って鬱になる男の人生だった。
親父は国の黒歴史と向き合ってあるようにしか見えなかった。
本当だなと思えるまで時間がかかるだろう。
王室が面倒な経験をした後に「男の絶対はあなたの胸にあるからね」と言ってくれたのは嬉しかったわ。
これが20世紀王室の「新愛国主義」の正体。
でも、ナチスに破壊されたし、1959年にはドイツのスタンバーガーにそれは大統領だろ、と批判された。
1979年にドイツが共和国の30周年を祝った時にハーバーマスもそう言った。
「老いた国王がいつまでその感性を維持できるのか?」
うしろゆびさされ組 セキララ。

政治的な正統性は男の勃起にある。
これと国はどう向き合っているのか?
国は何を命令し、何に罰を与えているのであろうか?
大人たちが描いて見せる世界と、女にとっての命令は異なるはずだ。
女が自分に命令することはもはや「信じていること」であり、結局は「権威とは何か?」という問題となる。
大人たちが描いて見せる世界は国家運営が円滑に行くように考えられたものだ。
これだけでも「権威」にかなりの混乱が見られることがわかる。
欅坂46 不協和音。

歴史的真実ではないことを権威は語っている。
ライバルの女の彼氏は奪ってきた大人たちがいるのだ。
すべての「王」は同じぐらいのお金を持っていた時代があったからだ。
学問の世界がそのようにできていたのだ。
東大でも何も教えない、それはもはや国策だった。
文化を豊かにしたかったんだろう。
「国家にあまえろ」
そのように教えられてきた大人たちが現在「権威」となって純潔を描いている。
権威は共通認識を持ちながら若い世代を恐れているようにも見える。
男の子が特に「罰」に敏感だった。
いずれは自分が権威にならなければならなかったからだ。
このようにして中年世代は着々と力をつけているように見える。
欅坂46 サイレントマジョリティ。

男は「法」のもとでだけ自由だった。
この社会と契約を結びたいんだろう。
自分たちが自由だった時代にフリーライドしている連中がいる。
デタラメ女を知っていたヒュームに対する最高裁の反撃でもあった。
「支配者は何を知っているの?」
女たちは考えた。
2004年にリプステインは、若者が文学を見失ったと指摘した。
有力な王子さまがいたからだ。
こうしなければ権力を謳歌できないのか?
そう考えただけの男の子たちを世論は「草食系」と煽った。
欅坂46 二人セゾン。

国家統治には何の署名も必要ないんだ。
しかし、お金が必要なんだ。
何が女の問題なのかを知らなければ統治者にはなれない。
グロチウスは戦争と平和の方において「女たちが喧嘩している」ことを指摘した。
自分たちが信じているものが違ったのだ。
権威が言っていたことと正統性が違うではないか?
正統性にはいかなる学問もあった。
権威はトマジウスが勝手に作ったものだ。
しかし、トマジウスには若者に「女の問題で壊れて欲しくない」という願いがあった。
しかし、正統性を知らなければ男は金を儲けることができなくなった。
ハーバーマスはこのことを「大統領の心の風景」と考えたのだ。
男女の間の正統性はもう出来上がっていた。
男は権威にしたがいつつも、学問は完成されていたのだ。
オフィスにどんな問題が持ち込まれるのかを知ってほしい。
セックスの問題は常に同じパターンで裁けるのだ。
女たちは「権威とは作られたものだ」とあきらめ顔だった。
悲しいニュースを見るたびに女が男のことを考えることは昔とは変わらなかった。
正統性ってはやはりそのことを言っているんだろう。
CoCo NEWSな未来。

悲しい知らせをニュースで流すのも政治決断がなされていた。
女たちは「一般意思」と呼んでフリーセックスを共有していたのだ。
権威を胸に秘めるのではなく、正統性を胸に秘めながら女たちは社会に出て行った。
「女たちはどんな音楽作品を聞いているのか?」
それ以外に彼女たちの性の経験に関するデータの取り方はない。
正統性を失ってあるのがわかる。
このようにして投票行動を判断していくしかない。
女たちがどのような経験を音楽作品に凝縮しているのかは聴いてみるしかないのだ。
コイントスのようなギャンブルではない。
正統性が失われたのが確認できれば権威の勝利だ。
みんな真剣に音楽作品を聴いている事だけは理解したほうがいい。
セックスが健康的になったことがわかる。
しかし、正統性が失われた音楽作品は外国にセールスをかけることができないことも知らなければならない。
権威は国際社会において勝ったのだろうか?
国際情勢は常にイコールフッテイングで分析しなければならないのに。
移民が何をやらかすのか想像できるだろうか?
国際ガバナンスにおいては権威はなく、正統性しかないことも理解しなければならない。
WTOもIMFも、常に正統性を忘れないようにしているのだ。
国際化というものの皮膚感覚を知ってもらいたい。
ribbon 愛してジャステイス。

「父であること」
国や父親は、子供達に介入する。
男らしくない振る舞いをした息子をどうするつもりか?
保険を運営しているのは国だ。
そのためにシートベルトの着用を義務付けたり、ライフセーバーのいない海で泳いではいけないという。
知らないことは生徒に話さない先生や、妻の睡眠薬を隠してしまう夫がいる。
すべては「その人が世界を敵にしないように振る舞う」という動機からきている。
「子供が外に出られなくなる」
これを国や父親は一番恐れている。
女の喜びがともなわない射精を避けるようにしたり、妻がオーパードースの危険があったから睡眠薬を隠したりするのが「父親としての役割」を果たすということだ。
日本語しか理解できない人間が「この橋渡るべからず」という看板を見て真ん中を渡った場合はソフトな父親主義のもとに対処するが、自殺したくて橋を渡った人がいた場合はハードな父親主義で介入する。
娘がフリーセックス女になっても父親として接する。
カントは「お父さんほどの男はいなかった」と娘が言ってくれればこれができると考えていた。
一方で、「お似合いの二人」の関係を一生懸命守ろうとする父親もいる。
子供たちのマニピュレーションは心理学によって行う。
高橋由美子 思い出の銀の矢たち。

2017年4月24日 (月)

シュンペーターに関する覚書。

ジェームス・ミルには二つの業績があった。
JSミルを一番目の息子に持ったこと。
そして「背広さえきていればいい」ということを明らかにしたこと。
ベンサムの「いいことをできるだけ多く」「痛みをできるだけ少なく」という発想に共鳴していた。
しかし、やがてベンサムの関係は冷え切っていき、「人間というものはみな変わらないんだよ」と主張するようになった。
「みんな教われば学習する生き物なんだ」
政府も首脳が何を考えているのかを明らかにすればいいんだ。
ミルがトップダウンを強調しすぎたのは事実だ。
王朝か暴君かを人々は見ていた。
政府首脳の発言を聞いてみんな仕事をしていたんだ。
指導者の心の風景に影響を受けた。
「中産階級」を「中級ランク」と考え、指導者の心に影響されやすい存在とした。
組織ではトップダウンは有効ではないが、中級ランクは確実に共鳴してくれる。
非常に知的な連中なんだ。
「階級」と呼ぶと団結してしまうだろ。
だから「ランク」と呼ぶことにしたんだよ。
トーリー党もホイッグ党も政府のコントロールよりも中級ランクのコントロールしか考えていなかった。
マコーレーが官僚として「ケンブリッジユニオン」を作り、「ミルを政府に置くな」と主張した。
28歳の官僚であるマコーレーとミルの小競り合いは、息子のJSミルがよく見ていた。
JSミルは、言論の自由を主張した人物だが、ミドルランクに大雑把に自分の知的空間を語らなければ官僚たちはついてこないと考えたのだろう。

また、マックス・ウェーバーなどもしきりに参照され、「男らしさ」に中級ランクはついてくるという分析もなされた。
小泉純一郎 殺されてもいいんだ。

中級ランクは官僚など見えていなかった。
政府首脳の心の風景しか見えなかった。
下層階級は「犯罪階級」とまで呼ばれた。
中級ランクはわがままになっていたし、指導者に憧れたのだろう。
シュンペーターはこのことを見抜いていたのだ。
指導者の男らしさが歴史に残るとしたウェーバーを引き受け、このことを中級ランクに感化させようとしたのだ。
「女にもわかることって何だろう?」
中級ランクは権力闘争の皮膚感覚が知りたかったのだ。
「今の日本の王子様ってこんな感じ」
「俺たちのモデルになる人ってこんな感じか」
国鉄民営化 中曽根康弘。

ミクロ経済学なんてもう散々やったよ。
女の話だろ。
雇用やインフレと男たちはどう向き合っているんだ。
大雑把な男たちの悩みを「マクロ経済学」と呼んだ。
女たちは自分たちの研究をしたカントやヒュームよりも「王子様」の見物がしたくなったのだ。
マーケットが弱くなったのは女を見失ったからだったが、世の中の仕事とはそういうものであり、マクロ的アプローチもあったのだ。
「私たちのことなどわからないでしょう?悩んで悩んで?」
ミクロ経済学を見抜かれた女たちはマクロ経済学に興味を持つようになった。
「一面トップ」に女たちは歓喜した。
仕事ばかりしていたから女心がわからないよ、という男たちも考えは同じだった。
組織は決してトップダウンではない。
女の人間模様をカントやヒュームを用いて探求しなければならない。
私(小野光太郎)か散々述べてきたミクロ経済学を理解した上で、マクロ経済学のやり方を感じてみよう。

カール・ポパーは「オープンソサエティとその敵」という論文で、問題の背景にある女の問題を忘れているのではないか?と指摘した。
「歴史学が貧国になる」
「やり方がワンパターンになる」
とマクロ経済学を批判したのだ。
個人のレベルから組織にアプローチしたほうがいいとした。
ミクロ経済学を放り投げた連中がマクロ経済学にしがみついていたのだ。
男が集まって問題を解決する?
それが政策を歪めていたのだ。
利益集団には、ミクロレベルでの壊し方もあったのだ。
女の存在を「ボトムにある石」と呼びトップダウンと対立した。
革命は危険なビジネスだ。
しかし、ミクロの分析を怠ったのならば不満がたまるだろう。
現場ではいい男に告白しようかどうか悩んでいたのに。
政府首脳と現場のいい男は「双子の地球」だった。
女はどっちについていくかが問われた。
「ボトムにある石」の分析を途中で投げ出したら、男たちは会議を開いて中級クラスにアピールし始めた。
「俺を殺したい奴はいっぱいいるんだろうな」
犯罪を封じ込めるしかない。
下層階級(犯罪階級)を無くすしかない。
女の動きは「ブラックボックス」だった。
現場の男が赤ん坊をあやしていたことを知らないのかしら?
政府首脳よりも気持ちいいセックスを与えてくれていた組織だったのに。
双子の地球の問題はその後、事件としては固まるしかなかった。
どちらも同じ男だったし、ドップダウンとボトムアップがぶつかったら事件は動かなくなったのだ。
国鉄民営化。

政治的な「代表」とは「取り戻す」という意味であり、問題を解決したりする上での人間観を取り戻した時に許される「心の風景」を言う。
人間には代表がいる。
いくつかの出身母体を持っている。
心の風景に共感する人がいる。
取り残される連中もいる。
「洗礼」を与えた連中が支持しているのだ。
一部の代表ではない。心を知っていればいい。
「どんな小説読んでんの?」
ダメになる奴はすぐにわかる。
代表になりたい奴は人間を知りたがっていた。
契約がいつ打ち切られるか分からなかったからだ。
果実が実る瞬間がある。
薬丸裕英。

エロ本を見たら女心がわからなくなるだろ。
三次元の女と話すことだよ。
組織を作り変える上で人間を知っているというのは大事なことだ。
組織はしかし何も知らないよ。
モテる奴が力をつけていくのを呆然と見守っていた。
周りが罰を与えようとしても止まらないんだ。
誰が人間を知っているのか?と言う尺度はないんだ。
仲間内で心に響くことを言う奴がいるのは事実だ。
その人の心の風景を支持した。
あとは利害関係を託すことで代表というのは作られるのだ。
所属の組織が何を思っているかは各自が異なった。
共産主義体制には選挙がなかっただろ。
自ずと学習していたからそれでいいと思ったんだ。
政治改革というのは意識改革であり文学改革なんだ。
「誰に話してるの?」
「何のために行動してるの?」
「どの国民とそれを共有してるの?」
国民国家はこれだけを見て契約を打ち切るかを考えていた。
その人の余裕も見ていた。
社会的ムーブメントと常に同調していなければならない。
利害も自ずと変わってくる。
約束は期待に変わり、成果を上げることで成立するが、なぜダメだったのかをしっかり語ってほしい。
他の連中となぜ折り合いがつかなかったのかで自分たちの間違いがわかるからだ。
国会にはすでに「間違いに罰を与える仕組み」は出来上がっていた。
言葉に女たちがにこりと笑ったり深刻な表情をするのを見てるだけでいいんだ。
都議会公明党。

マイノリティがいちばん柔軟に膨張していったのを見た。
やっぱりフリーセックス女を理解することだったね。
国会や権力がなかなか認めないのがフリーセックスだったからだ。
言葉のプロデューサーは常にフリーセックス女を狙っていた。
マリオン・ヤングはフリーセックス女をいかに政治に含めていくかを語った。
小さな「ムラ」で肩身の狭い思いをしているのだ。
組織の女たちはいかにフリーセックス女を排除するかを考えていた。
それだけでもフラフラと政治活動を始める女もいた。
参議院はフリーセックスに疎かったね。
衆議院を狙ったのだ。
参議院で否決される物事は頭にきて仕方がなかった。
女性参議院議員。

「セテリスパリバス法」
どう?フリーセックスはゲームとして成立しているでしょう?
物価が上昇しても供給が安定していたのだ。
メンデル法は、遺伝というものをまるでネズミの実験のように眺めるだけで終わったが、失恋だけはどの女も共有していた。
スネル法は、親子の違いをいろんな角度から眺めただけだった。
アレア法は、お父さんが魅力的ならば息子も魅力的に見えるというものだった。
セテリスパリバス法は、しかし「女がフリーセックスに走って消費水準が上がっても供給は一定している」というものだった。
フリーセックス女を社会が容認した時に自殺者は減った。
社会が「全く問題のない行動」であると認めたのだ。
どの男の子供を身ごもっても、何も変化が起きない、これが背景にある議論だ。
「世代というものはもはや法則には支配されていない」
女の失恋がなければ学問が発達しない。
また、優れた遺伝子などないこともわかってきたのだ。
女の失恋がなければコマーシャルペーパー(cp)も出せない。
あとは供給の安定を見るだけだった。
2002年にこのことが確実視されるようになっていた。
CoCo さよなら。

失恋ソングは「cp法」と呼ばれて経済でも重要な地位を占めた。
1980年代までは経済にどのような悪影響を与えるかが分からなかったのだ。
遺伝と子供を見た結果、どの男でも同じだなと思えた。
キケロの詩の全てが許されたのを見た。
セテリスパリバスとは、16世紀にメディナとかモリナが提唱していたものだが、1662年にウィリアム・ペティが正式に英語にした。
娘の不品行に激怒していいのだろうか?
ペルーの銀や、トウモロコシの生産にどのような影響を与えるのかが心配された。
JSミルは言論の世界にはいい影響があるだろうと見ていたようだ。
どの男も同じだという確信が得られないのならばより優れた遺伝子を女は慎重に選ぶことになる。
つまり、純潔だ。
セックスの気持ちよさの探求をしたキリスト教社会も、その心配を取り除いたのは2002年のことだった。
親父次第で息子も変わるな。
キリスト教社会が言葉に自信を持った瞬間だった。
男の喜びは射精だけではなくなった。
言葉を知るのも喜びとなったのだ。
松田聖子 瞳はダイアモンド。

どの男が言葉を学んでもいい。
女たちの祝福と、胸に残る言葉に自信が生まれた。
知識の遺伝子が完成したら、どの男も同じだった。
「普通でありたい」と考える女はもちろんいた。
ウルフガング・スポーンは、女の世界はかなり狭いものだとしてフリーセックス女を否定した。
案外、狭い世界で男を語り合っていたのだ。
「出会いがない」と悩んでいるのが女ではなかったのだろうか?
女の子の人生はそんなに活動的ではなかった。
フリーセックス理論の方が先行した形となったのだ。
cp法(失恋ソング)に興味がないという女の子もいた。
口説き文句にも鈍い女の子だったね。
しかし、2002年頃から「お笑い番組には害はない」ことが共有されるようになったのだ。

「経済学」
経済学とは男が「女心とはこういうものだろ」と発言し、女たちがそのことを話題にする学問である。
18世紀にできた学問であり、女を交換することを統制したり、王子様の行動を抑え込む必要があった。
女心を定義するハプスブルク家の男は女を取っ替え引っ替えしてはならない、これだけで経済学は成立するのだ。
国の富とは女心からいかに富を引き出すかである。
女心は消費されるものであり、現在はこういう議論をしているんだよと語るのが王子様だった。
女がからだを売ろうという動機を巧みに利用して女たちに話して聞かせたのだ。
女たちは話を聞いたら儲けた気がしてお金を消費した。
相川七瀬 夢見る少女じゃいられない。

経済学のメインストリームが「セックスの気持ち良さ」を考えているのは事実だ。
一方で、「周囲が私の恋愛事情を理解してくれた」という方向を模索する流れもある。
城ヶ島〜ノクターンセックス。

最先端床上手女。

恋愛事情の基本。文学とは何か。

一方で、パートナーの作り方の可能性を語ったほうがいいとする立場もある。

ゲーム理論(恋愛論60年史)。

女とセックスする値段の相場は日経平均株価だと議論することの効果を指摘する連中もいる。

恋愛マーケット。

アーティストの試行錯誤によって作られた「密教世界」を重視する人もいる。

垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。

すべての経済学の流派に共通しているのが「女が愛されている」ということだということは指摘していい。

女をいいからだにして日常に返してあげることの重要性も指摘された。

三浦海岸の海開きを待て。

女の「メチャクチャな人生」を理解することの重要性を指摘する者もいた。

奇跡とは何か。

デマンドはこのように作られるものである。
このことを踏まえた上で「女がいくら恋愛を繰り返していてもサプライサイドは途絶えない」ことが明らかになったのだ。
女の局部をどのように芸術にするかが問われた。
世の中の「後悔」がまとわりついているものだと知って欲しかったのだ。
カール・ポパーは、世の中には恋愛に無縁の子供たちがいることを指摘した。
子供たちをうまくあやしてあげるのも経済政策だった。
ガチャガチャ。

本気で戦うプロスポーツを必要とした学派もあった。
プロ野球という名の宗教2。

大人社会に反発する若者の声を重視する学派もある。
マルクス。


さて、これらの経済学が「完成からは程遠い」ことを知ってほしい。
女たちが「それは私の経験とは違う」と語る場面を多く見たからだ。
「女は男らしさに惚れている」
そのように逆回転させてみた。
男らしさをみたときにキスから胸まで進むという発想を女が取り始めたのだ。
「本当に彼のいう通りにうまくいった」
ribbon ポイズンの退屈。

楊貴妃のように育てられた女に価値を与えるのは困難とも言われた。
日本倫理体系。楊貴妃の牛乳風呂。

とっくにパレートは移動しているのに耐える女がいることもわかった。
おしん。

「マーケット」
女の快感と性の奉仕を交換すること、それに値段がつくことお金のやり取りをする場をマーケットと呼ぶ。
ファイナンスマーケットもあればハウジングマーケットもあれば売春マーケット(労働マーケット)もある。
地域マーケットもあれば国際マーケットもある。
「女のからだにどれだけ人気があるか」という特徴があることがわかる。
競争マーケットもできれば独占マーケットもできる。競争が弱まったマーケットも当然ある。
フリーセックスや、彼氏との密会、団結がこの場で実現するのだ。
その起源は18世紀だ。
いろんな組織がまとまってきてからだね。
各人の物事を解釈する力が高まるのを待たなければマーケットは成立しなかった。
「自分の利益を求めている女に値段をつける」
いくらで売り買いするかの話し合いをするのだ。
「お兄さん、三千円でマッサージするよ」
女たちに競争が起きた。
女たちの世界にはモノポリーもあればカルテルもあった。
「私のお財布次第よ」
銀行が彼女に関する情報を握っていた。
家族の団結のすべてがここにあった。
みんなが対等で、いいリーダーがいて、自分たちのためだけに子供を授かる。
快楽を世にばらまいた女の中にはこのような方法で力をつける者もいた。
「男主義」の世界でこのような富の集め方が明らかになった。
マーケットエコノミー(市場経済)は社会に支えられているものだった。
加護亜依。

家族がどのような形をしているのかが重要だった。
オーストリアン学派にはシュンペーターがいたし、バージニア学派もあれば、シカゴ学派のフリードマンもいた。
ヨーロッパ中世のキリスト教文化のデフォルトとも言える金の稼ぎ方だった。
貧しきものにどのような影響を与えだであろうか?
19世紀から20世紀にかけて、守るべきルールがあるはずだとされて明るさを取り戻した世界だった。
自分たちの子を宿すという観点は「自由恋愛ができない」との指摘を受けた。
「すべてを明らかにした」ことから明るさを取り戻したのだ。
フリーセックス女とお金は手と手を取り合って育ってきた文化だった。
しかし、そのお金をプライベートに隠し待たなければならない。
男の指導さえあれば女はそのお金を外で自由に使うことができた。
しかし、家庭内でセックスを消費し、子供を持っていたのだ。
「契約自由の原則って何だったのかな」
財産はすべて自分の家庭のものという発想があったんだろう。
「匿名の連中が出した結論だったのだ」
税金も家庭内だけで処理するのならば安かった。
マーケットメイクして出てきた女だったが、男たちの意識のバランスは悪かったし、自滅する連中がいたから救われたんだろうね。
「階級社会への不満がなければ親もこんなことしないよ」
だんだん仕事も減っていき、夜間労働もやらされた。
「特定の女のカルト化」はこんな現象を引き起こしていた。
階級社会は「女」を通じてこんな富の再分配を行なっていたのだ。
国家の中枢がやったことではなかった。
神の見えざる手だね。
「欲しいものはなんでも欲しいんだろ」
食事だけは好きに食べていい。
パレートはあまりにもズレが大きすぎたのだ。
マーケットはすべての人間の平等を望んでいた。
税金もそのように課していたし、貧しいものが得をする世界だった。
「高度フリーセックス女」がいる世界だ。
産業革命はチェーンソーさえ持っていれば儲かる世界を作ったのではなかったのか?
波はすべてのボートを押し上げたのではなかったのか?
マルクスとエンゲルスがこの「マーケット」を批判した。
しっかり拘束されて耐えれば暮らしていけるはずだ。
マルクスがこの問題を「搾取」と呼んだのは自身がヤングヘーゲリアン(イケメン)だったことも背景にはあるだろう。
親衛隊。

若いイケメンには高嶺の花に見えたね。
上位10%の家は10%の上流階級が住み、上位10%の教育を受けたものが住む。
俺たちには住めない家に住む理由が「局部」かよ。
社会が壊れていくのを感じた。
女は決して妹ではなかった。
「何が効率的なのだろうか?」
若い連中は教育の問題で殺伐とするだろ。
自分と世界が遠くかけ離れていくのを感じた。
「労働だ」「破壊だ」「足元だけ見て歩くんだ」
全米進出が無理なことを悟ったか。
家庭のルールがあれば国のルールもあるんだ。
俺たちが共有しているものが悲劇を見た。

マーケットが成立するためには企業がなければならないだろ。
契約を結んで、政府の監視下に置かれるものだ。
企業においては何もかもが不平等だった。
そこで芸能は奴隷契約を結ぶことにしたんだよ。
フライブルグ学派は、女とその家族による富と子供の独占を見たのだ。
そこで、いろんなユニークな企業が生まれた。
子供のパレートは大きく動きすぎる。
女は国の再分配に不信感を持ちすぎていた。
教育による再分配も信じていなかった。
家庭内で抱え込みすぎたのだ。
国はマーケットを信じることから始まり、結果を賞賛し、福祉国家として富の再分配をやることにした。
タックスヘイブンにはこのようなマーケットがなかった。
国とマーケットの関係は税金の仕組みとなって表れたのだ。
「フリーセックスはなんとかならんのか?」

ノイラーは「セックスの最大化」を試みた。
時には詩も作った。
ランケも歴史をそのように評価していた。
これがカウツキーやアドラー、バウアー、バーンスタインに影響を与えたのだ。
イケメン(ヘーゲリアン)を排除し、セックスから資源を得たものが偉大な政治家だっだはずだと考えた。
このことから19世紀ドイツにおいて歴史というものが無限に複雑化した。
ゲーテも常にセックスをほのめかす詩を書いていた。
女たちはこの詩を歓迎していたのだ。
自分たちの「あそこ」が世の中で主導権を得たことを知ったからだ。
オーストリアン学派が発信したことであり、ハプスブルク家もこれに絡んでいた。
シュンペーターもそのメンバーだった。
バナナの涙 うしろゆびさされ組。

プラトンを見てもアリストテレスを見ても「お金は女を買うためにある」という見方はもはや通説だった。
快楽の最大化の研究は1910年にはもう始まっていた。
セックスが終わった瞬間は「ゼロポイント」であったし、物事を測定するには都合が良かった。
男の根性が萎える瞬間でもあった。
カーネギー国際平和イヤーブックは、アドリア海鉄道、民間と国の資金のやりとり、戦時中の食料と生娘の調達、戦争による景気回復、領土の編入などの研究を明らかにしたが、修羅場になればらなるほど「女を高く売る」という現象が見られた。
平和な時はこのことを経済が見失っていたのだ。
生きているってどういうことだろう?
結婚ってなんだろう?
男たちが男らしさを維持できなる戦時中こそが経済について考えるのに都合が良かった。
アナーキズムもセックスには逆らわなかっただろう?
オーストリアハンガリー帝国は、全ヨーロッパを敵にしてそのことを学んでいたのだ。
イケメンであるマルクスも同世代の女の子がからだを売ってしまうことを憎んでいたのだ。
第一次世界大戦のドイツもカイザーがこのことを理解した。
ロビンソン・クルーソーの「お金のない社会」は、マルクスエンゲルスが夢見たかもしれないけど、女が自分の局部の意味を見失っただけだった。
本国の遥か遠くで戦艦が戦っていても、本国で女がからだを売っていなければ戦艦は動かなかった。
石炭や太陽光発電も、所詮は女を買うために考えられた仕事だという割り切りが必要だ。
1919年のベルサイユ体制は、このことを「秘密にしよう」という体制であった。
ベルサイユ体制打破はナチスのオーストリア併合で達成されていたのだ。

「民主主義」
多様な性の経験をもった女が共存している社会を民主主義と呼ぶ。
家族やボランティア団体、企業、様々な組織が民主主義のもとに動いている。
シュンペーターは、性の経験が異なる女たちの考えを投票行動に直結させることの危険性を指摘した。
ルソーは、美しい女にせよ太った女にせよ「共存している状態では奴隷のような状態であり、彼女たちが率直に自分たちの経験を話すことはない」とし、その暗さを指摘していた。
JSミルは、言論の自由があるのならば少しは女たちの支持を得るためにどうしたらいいのか考えて欲しいと言ったし、貧しいものが富を得るためには言論の自由のもとに「今の世の中の多数派って何だろう?」と考える必要があるとした。
支持された言論を見て政府は決断している。
これもできるだけ多くの女たちに価値を与えるためだ。
言論を見て法律を作るのは確かにいいことだ。
しかし、時間がかかりすぎるため、ホッブスは「王政の方が優れている」とした。
政治家は「出来るだけ幅広いスタンスを取ろう」というモチベーションに欠けている。
経済的な非効率性が民主主義にはあるのだ。
政策を作る上で「私たちは何か間違っていたのかな?」と女たちが考えてしまうほど公約の実現というものは難しかった。
民主主義においてはどの女も満足しないではないか?
しかし、団体を作ることを認めようと考えた。
団体の影響力を楽しむことは可能だったからだ。
男に抱かれた時は女は発言したくなるものだ。
しかも、それをお互いの女が認め合うためには団体が必要だった。
うしろゆびさされ組 技ありっ。

【セックスの価値の最大化を行うのであれば、女たちはうまくセックスの経験の違いを持ちながら共存していかなければならない】
このことを民主主義と言っているのだ。
社会が女たちにお笑い番組を教えたのか教養番組を教えたのかもまるで異なる。
国会はすべての女の平等を志向しやすい。
コンセンサスを得るのは難しいだろうね。
セックスの価値の最大化をやるのが経済政策であるのならば、統治する側は「そのことに無頓着なエリート」がいいのではないかとシュンペーターは考えた。
女たちは「ケネディの白い歯が好き」と考えて投票行動を取っていたのだ。
ケネディ就任演説。

このようなエリート主義にはフリーセックス女も「いい男だねえ」と喝采を贈った。
よく理解しているからエリートなんでしょう?
利益集団は利益を求めて政府に影響力を行使しようとした。
金とセックスを求めて他の利益集団に勝とうとしたのだ。
小さな政府を望んでいなかったのがネオリベラルだ。
そのパートナーが夫であるほど利益集団は強いものとなった。
自分の役割も明確だったし、味方も多かったからだ。
利益分配の方法は全部、民法に書いておいた。
妻への義務というのがやはり法律にしたがう理由かな?
勃起が権威だとする女たちもいた。
ユニークな連中だったけどマイノリティだったね。
一票の格差というのは案外、結婚しているか奔放に生きているかの違いから生じているんだ。
法律は結婚を守ろうとしてお金を流していたからね。
独身だと一票ではなく0.5票の扱いなんじゃないかな。
勃起した男を奪い合う女に金なんて流してられるかよ。
多数派が支配するのだとしたら結婚を守るだろうね。
愛が止まらない Wink.

結婚生活を守ろうとする連中と、男を奪い合う連中のどちらが発信力があるかという問題だね。


【延々と続く】

2017年4月23日 (日)

ショーペンハウアー。

男だけの世界ではなくなったのがカントが作った世界だったが、それでも「男らしさ」を追求したのがショーペンハウアーだ。
なぜ男のことを考える女には「何か」があるのだろうか。
このことを「コギト」とデカルトは言ったのだ。
おちんちんがあること、お兄さんとして振舞うこと、男女の複雑な人間模様を知ること、そして心理学に興味を持つこと。
この四つに女は悔いを残していた。
学問を志した男を取り巻く女たちのことだ。
カントは彼女たちを「自分のおちんちんの実績」にしようとしていた。
「彼の心の風景が忘れられない」
女たちは泣いた。
ショーペンハウアーは、人間には時間と空間の制約がある、としてカントを批判したのだ。
なぜ、適当に普通の女で満足できないのか。
酒井法子 トライアゲイン。

ドイツの伝統とフランスの伝統は異なった。
フランス男は「女を泣かせるのは良くない」と考えていたし、政治スタイルも異なっていた。
鍛えた男は学ぶのも速い。
デカい男がいずれ作るであろう心の風景を女たちは見ていたのだ。
デカいからだには意思がある。
ひたすらデカいからだを権力闘争にさらさせてやれと考えていた。
世界は「意思」だけでできていた。
酒井法子 All Right.

デカいからだを権力闘争の時間と空間にさらせば男は出来上がる。
自分の妻を真っ先に作って大事にしたほうがいい。
そのあと「万人の万人への戦い」が待っていると考えたのだ。
人間をからだのデカさで見たのがショーペンハウアーであった。
テキストはすでに揃っていた。
勝つために何をしたらいいのかもわかっていた。
スタイルのいい男は音楽を愛していた。
本来、リスナーであっても、いずれは評論家になるのが哲学者だった。
動物の世界に音楽を持ち込んだから人間になれた。
ワーグナーとニーチェの大喧嘩が音楽を発達させた。
「女心」をキリスト教社会が共有するようになった。
男女の苦しみはすべて音楽になっている。
「すべての人は人間だ」と理解するだけで貧困から脱することができる。
女を妹のように扱ってもいいからからだを鍛えろ、意思の強さを磨け、この立場に立ったのがショーペンハウアーだった。
音楽作品は「男らしくあれ」と教えているんだ。
妹のように愛さなければ人生には日常があったし、人生相談にも乗れなかった。
意思の強さは「事件」の役に立つのであって、日常を共にする女のためにあるのではなかった。
日常生活は静かなほうがいい。
酒井法子 幸せなんてほしくない。

何のために学問をやってきたんだ。
妻の前では見失うことばかりだった。
日常生活は楽な方向へ楽な方向へとみんなが向かおうとしたのだ。
アダムとイブが知識を求めたのは事実だけどね。
ショーペンハウアーの晩年は「意思が消えた」ものとなって静かな生活に戻っていった。
哲学を研究した人生も音楽の記憶も薄れていった。
人間が何を知ることができるのか?
若さだった。
第一次世界大戦の暴力に、鍛えた肉体は潰されていくのをみた。

ショーペンハウアーの影響は、死後の世界を否定することから仲間ができたという男たちが多く出たことに表現される。
詩や映画、エッセイ、小説にまで躍動感を与えた。
人々はバラバラに好き勝手やり始めたが、みんな死ねと言ったら死ぬ連中ではなくなったという意味であったし、1818年からの悲願だったのかもしれないね。
第一次世界大戦ではベッドで情報を得る女スパイも登場している。
二度、世界大戦をやったら定着した考え方だった。
酒井法子 さよならのかわりに。

思考盗聴の最高傑作。

他人の心を読むのにも、その「心の風景」を受け入れるキャパシティがなければならないし、女に興味がなければならないし、心に響くものがなければならない。
心を読まれるトムは、マリアを守らなければならないし、親父のビルに震えていなければいい仕事はしない。
心を読んでいるスティーブは、バナナに飢えていなければその作業を続けようとは思わない。
しかも、もう家にはバナナは残っていないから続けようと思うのだ。
スティーブはトムの心を読まなければ自分がどこに行こうとしているのかもわからない。
敵のグループがいるからどうしてもトムの心を読みたがるのだ。
敵の次の一手が読めない。
どうしても「広い心の風景」が必要なのだ。
ハイレベルでの同調もあればローレベルでの同調もある。
モーニング娘。 リゾナントブルー。

トムはかなり参っていたし、女からエネルギーを欲しがった。
そこで、トムが女と「女心」について語り合うことにだけはかなりの同調者が得られた。
トムの脳の神経への同調だったのだろう。
トムのファミリーもその生き方を真似するようになった。
トムは毎日、論文を読んで新しいネタを仕入れたし、音楽を聴いてバランスの良いダイエット方法も考えた。
ジョンの心の風景と常に比較して見せることも大事だった。
ジョンは本当は孤独だったし、トムはマリアの政治的スタンスに大きく依存したのは事実だ。
「すべてはトムの孤独から始まっていた」
孤独から何を望んでいたのかはすぐに分かった。
トムは、リサが望んでいたイエローバナナをひたすら作っていたのだ。
射精の快感は女の喜びと似ていた。
リサが経験しなければトムはやる気が出なかっただろうね。
あとはトムに「勝利」というものをチラつかせる必要があった。
孤独なトムにとっては「噂」すら嬉しかった。
法律や医学の知識を用いて問題を解決する姿も結構楽しかった。
「このアルゴリズムは面白いな」
心を読んでいる連中は思った。
すでに「権威」が計算を終えていたアルゴリズムを覚えていたのだ。
大きな取引を求めてトムは行動した。
トムは孤独を知っていたし、噂を気にしていたし、セックスをどう思ってあるのかを同調者は見ていた。
リサはトムとのセックスすら望んでいた。
河合その子 さよなら夏のリセ。

うまく「オフライン」を作ってコーヒーを飲んだりお風呂に入ったりすることも必要だった。
フランクの「バカな運営」も面白かった。
論文を読むという「インプット」と、女に話すという「アウトプット」が必要だった。
セントラルカフェにいかに魅力的な女性を集めるかが大事だった。
運営する側のフランクにも立場というものがあった。
あまりにもフリーセックスがひどすぎないか?という女たちが一番よかった。
やがて「ナポレオンの赤いリンゴ」が生まれ始めた。
トムは「どんな話題が人々の共感を呼ぶか?」がわかるようになって私、心を読むという営みは宗教団体にとってどのような意味を持つかを明らかにした。
どの男女もセックスと向き合っていたし、数々の強者を説き伏せていくトムは面白かった。
強者たちがトムに敬意を表したのだ。
ローマはフランスではないよ、というぐらいナポレオンは面白かった。
いろんな女たちの価値を高めたら株価も上がった。
強者だと思っていた男女がトムの前には猿のように弱かった場面を見てみんな笑った。
トムの息子のジミーはお金がもらえるのを楽しんだにすぎない。
ジミーは毎日が退屈だった。
女たちは「私たちも男に生まれてこんな生き方をしてみたかったな」と怒ったよ。
ライバルのジョンもそう思っていた。
ジェームス・ディーンのように。

心を読まれている間トムがセックスをしなかったのは女たちの共感を集めたね。
マリアは「トムのリスボン到着はいつかしら?」と考えていた。
テレビを見ていたのだ。
マンチェスターはシェフィールドより大きな町ね。
民族にセックス理論がもたらされたらもたらされたら本当にマンチェスターはできるのかしら?
いろんな思惑があって始めたことだったけど、セックス崇拝が全てをおさめることを知った。
トムとはイエス・キリストの幼名である。
モーニング娘。 泡沫サタデーナイト。

2017年4月22日 (土)

感度のあげ方。

ワインのボトルには上の部分と下の部分があるだろ。
上が白人で、下が黒人だ。
白人層は何を思っただろうか。

挿入する瞬間から30秒ほどは滝の流れを想像し、そのあとは転がる石を想像する。
エレナー・ギブソンはこのような研究をしている。
華厳の滝。

彼のペニスは特別だと思うためには交響曲のスケルツォを聞くのが一番いい。
その男が他の男とビールの味のように区別できる。
ブルックナー スケルツォ。

さらに、テーブルの上にまだ洗っていないコップを残しておく。
その人との長き付き合いを意味するのだ。

また、セックスしている近くには女よりも弱い「観葉植物」を置く。

子供たちはこのような「大人の雰囲気」を感じながら育っている。
バードウォッチがオシャレなのかな、と考えるようになるのだ。

サッカー選手のドリブルとゴールをイメージするといいだろう。
指導者がいるようでいて、自分の判断で行動しているのだ。
メッシのゴール。

このような発想を身につけていない日本人女が「下のボトル」にしか感じなくなった事例を知っていたのだ。

上半身と下半身を明確に区別しよう。
上半身が動いていなくて下半身が動いているフェンシング。
フェンシング。

目を常にボールに向けているゴルフのパッティングを理解しよう。

挿入して30秒ほどは滝をイメージして、彼のペニスはスケルツォだと考え、フェンシング、サッカー、ゴルフを同時にやるのだ。

そして、彼のペニスがどのような形か、今どこにあるか、どんな色として感じられるかを言葉にしてみよう。
女がセックスに対して前向きなことを男は知るだろう。

挿入する瞬間は男女の局部を映像として前もって見ておいたほうがいい。
他人事のように映像を確認したことのある女の方が感度がいい。

睾丸(赤いリンゴ)と女の局部(唇)がぶつかるのを楽しむのも一興だろう。
強烈なベルが鳴ったあとに球の形が球ではないことを感じたり、距離を感じたりするのだ。
赤いリンゴの感じ方を口にすると男が喜ぶのだ。
セックスの時は女の言葉も混乱しやすい。
男をどう思っているのかはしっかり考えておいたほうがいいのだ。
赤いリンゴを女が語ることはモルヒネのような効果をもたらす。
「私にもあったらな」
ということを意味するからだ。
男は唇と赤いリンゴがぶつかることの重要性を女から教わるのだ。
「女の方が世界が広いな」
速度は自然と上がるものだ。
リンゴの唄 並木路子。

感度が上がるBGMとは何だろうか?
色、匂い、味を言葉に出すのもBGMであるし、ぶつかり合う音も熱を意味するBGMだ。
しかし、一番いいのは「女が頭痛がする音楽」をBGMにすることだ。
すぐに気分のよくなる音楽に変わる。
CoCo 夢だけ見てる。

BGMはプライベートなものなのか公に知られているものなのかという問題はあるが、答えは「プライベートなもの」である。
しかし、ストリートのノイズをBGMにするのも有効だ。
ストリートのノイズ。

ぶつかり合う音にリズムとピッチを合わせてみるのもいい。
男女がぶつかり合う音のボリュームを上げてしまうのだ。
肉の音ではなくなるだろう。
perfume edge.


これが、現在の最先端の床上手女のやり方だ。
このようなことを明確にした上で、愛の世界がどのような経過たどっているのかを考え、調査するのが哲学の世界だ。


2017年4月21日 (金)

敵が本気になる時。

お互いに自分が続けてきたことがある。
どちらもが正しかったと言えず、どちらかが間違いだったと認めなければならない時がある。
私の男はそういうタイプではない。私の男がそうでないのならば私は彼を選ばなかった。
その男をどうしても認められない時があるのだ。
私がもっと若ければ男を変えることができたでしょう。
しかし、今はそうではない。
「すべての」男がその人についていくのは容認できない。
私が誰よりもその男を祝福していた。
すべての男がその男を認めていたけど、その男のようではなかった。
ドゥードゥーはなかなか鳥にはなれない。
その時、私は彼の敵になろうと決めた。
「なぜ、あの男のようになれないの?」
彼氏を責めたので彼氏は小さくなっていた。
すべてのセックスはいい思い出にならなければならない。
すべてのセックスは祝福されなければならない。
だから私はその噂の男を憎んだ。
セックスの思い出まで否定される気がした。
その男を誰よりも理解していたから、男の選択肢も狭まった。
私は「すべての」男を味方にしていたのではなかったのかしら。
私は男たちのアイドルだった。
この私のセックスの思い出を「キメラとのセックス」に変えてしまった。
他の男にも学んで欲しかったという意味では私はその男の伝道者だった。
13世紀から14世紀のヨーロッパでこのことが展開されて、ロゴスは誕生し、大航海時代を迎えている。
杏里 地中海ドリーム。

14世紀末には「すべての人間は動物だ」という表現がなされたが、女たちは満足していた。
ロゴスが完成していなければ男たちはアニマルにはなれなかった。
「バラ戦争」を経たのちに階級社会が到来している。
老いた女に他に男がいなかったのだから革命を予感させたね。
19世紀には、男はキメラではなくアニマルだよね、と言われるようになっている。
杏里 キャッツアイ。

「女心」は商業化を迎えた。
先生もいたしジャーナリズムもあった。
1796年に女が「心理学本」を平気で信じるようになった。
「そのように信じろ」と女に強制できることがわかったのだ。
それは男性社会のサイエンスでもあった。
20世紀にはホロコーストも起きた。
女心は権力で決められることが明らかになったのだ。
complex be my baby.

このことから話した女の数が違う医者と臨床心理士は区別された。
臨床心理士は心理学本を読んでいたのだ。
サンプルの数の違いに過ぎなかった。
シビアな場面で使えるかどうか?
これが専門職の違いとして表れたのだ。
ハプスブルク家は、忠実に身分制社会を守った。
権力への責任感があったのだろう。
そうでなければ世界が精神医学を見失うからだ。
ハプスブルク家の連中は、自分たちの学習の度合いにしたがって女心が変わっていくことを知っていた。
「女心は発展する」
これが商業化の結論だったのだ。
「女も男も変わらないわよ」と公然と権力を批判するお年寄りのおばあさんもいた。
complex pretty doll.

カミュは「シシファスの神話」において「世の中には自殺以外に問題はないんだよ」と語った。
「男が女を口説く事を忘れることがある」からだ。
人生はそれ以外はバカげたことばかりだよ。
「生きるってどういうことだろう」
思春期には誰もがそう思っていた。
山登りをして山を降ることを繰り返した結果、そのような結論に至った。
右翼少年はこのことを見失っていた。
女心が商業化を迎えても、権威が作り出すものであってもいい。男は自殺してはならない。
カミュは考えていた。
セックスを気持ちよくしたのが宗教なんだ。
「宗教が怖いのか?」
希望のない死だけは迎えないでくれ。
ニーチェはパンドラの箱を開けた。
「死に救いなどあるわけがないだろ」
死が別の人生のゲートウェイだと思うか?扉は閉じているよ。
これが宗教の世界を一気に加速させた。
女を口説く言葉も発展した。
一人の男の人生を見守る女は幸せだった。
生きている喜びを生きているうちに表現したからだ。
扉を閉じなければ男はこれほどまでに自分の人生を愛さなかっただろう。
扉を閉じなければ逆に人類は滅亡しただろう。
「バカげた人生とは何か?」
女のからだに知識を語らないことだよ。
「神は死んだ」
精神的なインポテンツを無くそうとしたから死後の扉を閉じたのだ。
一度きりの人生という発想は子供達にも影響を与えた。
女のからだのない人生は若者に沈黙しか与えなかった。
自分の運命を受け入れた時に人は誰を愛すべきかを知った。
神の運命よりも人は輝いた。
「シシファスは、俺こそが人間の祖先だ」と語った。
幸せとバカげた生活は神の二人の息子だった。
フランス共産党の支配下にあった第二次世界大戦時のアルジェリアでギロチンが横行したり、ナチズムが支配した時代になると、カミュは、若者に混じって戦場に行った。
死というものを他の若者がどう考えているのかを見に行ったのだ。
戦場で何を見たのか?
「死にたくない」
それだけだった。
「バカげた人生でも意識がなければ意味がない」
「女はセックスするために生きている」
「呼吸はセックスしている時に吐くものだ」
人を殺すというものがもはやイデオロギーの世界にあったことを確認した。
「ぶっ殺すぞ」という言葉の意味も変わっていた。
地中海が生きていることを楽しみ始めた。
ホロコーストもヒロシマも、共産主義体制にはマイナスにしかならなかった。
女の共有を目指しても殺人が横行しただけだったからだ。
人が死と向き合うとはどのような意味を持つのか?
シシファスの神話は、共産主義に強烈な反発を覚える人を出したし、クレメンスというモンスターも出した。
命を大事にする男だった。
complex rambling man.

仕事は経験で覚えるものだ。
しかし、ハプスブルク家の「女心」の研究に詳しいものもいれば、ベルリンソサエティのようにマルクス主義に近いものもいた。
ハプスブルク家とベルリンソサエティは抜き差しならない対立をしていたのだ。
仕事さえしていれば女とセックスできると考えていたベルリンソサエティに時に女は不満を持った。
ソビエトとドイツにはさまれたポーランドが支持したのはハプスブルク家だった。
多くの学者が集まったのはハプスブルク家の方だったが、1970年代から1980年代にかけて「仕事さえしていればいい」というベルリンソサエティの立場が主流になった。
「女心はわからない」
これは仕事さえしていればいいという立場が主流になった時代の物語の結論でもあった。
目の前の女の美しさを見たり、その危険性を感じる程度しか分からないほど女というものを見失っていたのだ。
女心の商業化は、1920年代や1930年代のヨーロッパの経済的混乱の時しか必要ないと思われたのだ。
第一次世界大戦はハプスブルク家の終わりであったし、彼らが表舞台から去った後はベルリンソサエティが仕事を全面に押し出してマルクス主義の研究を始めた。
仕事をして、分からない女を抱くことの気持ちよさには一理あったからベルリンソサエティは強かった。
女心は分からなくてもヌード写真でマスターベーションが成立することもわかっていた。
complex 恋を止めないで。

王位を守り続けたハプスブルク家は、第一次世界大戦後も多くの学者を集め続けた。
身分制社会は、一身専属的なものとなり、学歴となって終わっている。
ヴィトゲンシュタインが「どうだ、ヌード写真でも抜けるだろ」と言ってハプスブルク家を嘲笑った。
精神医学の側はヴィトゲンシュタインの主張に言葉を失ったのだ。
ヒトラーが女の裸を鑑賞して身分制社会を嘲笑ったのもヴィトゲンシュタインの影響によるものだ。
佐々木希のヌード写真。

ハプスブルク家の末裔は、「サイコロを投げるように女を抱くつもりか?」とその危険性を指摘した。
しかし、ニューディール政策も、アウトバーンの造成も労働がなければ成り立たないというのがベルリンソサエティの考えとなり今日に至っている。

「30年戦争」
常にカントにつくかヒュームにつくかで女たちは争っていた。
シラーはその起源をオランダスペイン戦争に見出している。
スペインのキャンパスには純潔が広まっていたし、オランダでは売春女のことをオランダ美人と呼んでいた。
シラーは「女の美しさとは自由がないことにある」として詩の創作を行なった。
失恋する女は重力に逆らえないように太っていった。
美しい女はひたすら男にしたがっていたことがわかった。
イエスと良きサマリア人(医者)に忠実な女が美しかった。
自分の意思で権威にしたがっていたのであり、にっちもさっちも行かなくなった女ではなかった。
EXILE New horison.

「男が学ばなければならない」
それはバラ戦争も30年戦争も同じだった。
男がロゴスを学ぶことは女の美しさにつながった。
そのことを男たちはダンスによって表現したのである。
人間は学ぶ生き物だ。
そのように確信したスペイン男は、お笑いに興じるオランダ男に戦争を仕掛けたのだ。
女の美しさに関わる問題だった。
大学を何のために作ったのだろうか?
女はイエスや良きサマリア人のような権威にしたがうべきだ。
EXILE 道。

オランダには太っていて病気で惨めな女がたくさんいた。
失恋ソングを歌っては知的な男を殺そうとしていた。
カントのロゴスを全く尊敬していない売春女たちだ。
それだけでスペインはオランダに戦争を仕掛けた。
キャンパスに美しさを取り戻すためだった。
アンダルシアに憧れて。

新聞。

朝、新聞を読むだろう。
この男が何かをやらかしたと書いてある。
背景に何があったのかはその男にしか分からない。
女もいただろう。
大勢を動員する事件を起こす男は女に取り囲まれているはずだ。
また再び何かをやらかすんだろうな。
もっともモテる男が新聞に載っているのだからいずれまた何かやる。
俺はまだまだなんだろう。
このような発想が運命論の背景にある。

明日の9時に電話すると言われたら、その男の女を想像する。
気持ちいいセックスをばらまいて、お金を集めて、最後に新聞に名前が載る、このような神学的アプローチもある。
そういう人の話を聞きたいからマスコミが集まったんだよ。
一つの記事でどれほどセックスが消費されただろうか。
「事件を大々的に取り上げる」とはこのことだ。
どうしても俺の名前は新聞に載らないな、運命論者は考え込んでいた。
女たちは新聞記事に快感を感じていた。
6世紀のボエティウスの頃から、このようにして事件は報道されているということがわかるようになっていた。
それが女たちの信仰心だったのだろう。
ニュースを見るたびに「今、一番力を持っているのはジョーンズかな?」と女たちは思った。
大学生は新聞の文字を追っていた。
大人の女たちとは異なる考えだったのだろう。
結局、文学者が事件を起こしていたんだよね。
殺人事件の報道も載るけど、扱いは小さいね。
人が殺されたことよりもセックスを拡散させたやつの扱いの方が大きいんだ。
女たちは世の中で何が大切なのかを知っていたのだ。
「神学新聞」ってそんなものだよ。
フリーセックス女もそうやって新聞を読んでいるんだ。
ジョーンズの時代の終わりなどを見ているんだ。
新聞に載りたければ一度は考えな?
ribbon 愛してジャスティス。

ギリシャの教え方。

人間は自分なりに「出来上がって」いるし、自分で自分の身は守るし、心を自由にしておきたいものだ。
しかし、「これだ」と思う先生はいるし、感銘を受ける言葉もある。
エピクテートスは、ネロに仕えたエパフォロデァトスの奴隷として育った。
生涯、結婚せず、どこで教育を受けたのかも分からない。
「学校をサボって勉強する奴がいる」
この言葉は「黄金の発言」と呼ばれた。
プラトンのゴルギアス(垂加神道)を勉強した方が楽しい、これが基本だった。
先生に質問して答えてもらう、この基本を作った。
みんなインスピレーションが湧かなければ勉強に興味が持てない。
教室を抜け出して音楽を聴いた。
何が心に響くのかを子供たちは見ていたのだ。
それも知的な営みだった。
教室を抜け出した時の孤独と静けさがのちの人生の役に立つ。
プラトンほどいい先生はいなかったのに学校では何をやっているのだろう。
テレビは子供をダメにしていた。
人間の心のすべては音楽に表現されているのに。
男のボーカルと女のボーカルの二つの神があった。
まあ、どちらも子宮を称えていたけどね。
他の人に優しくなれた。
心に響いたかどうかで進路を決めた。
退屈な日常を何に使えばいいのだろうか。
女のからだが力をくれるのは分かっていた。
女の局部だけは心に響くね。
教科書はコロコロ変わるけどプラトンは変わらなかった。
「男らしくならなければならない」
それだけは分かった。
恐怖や嫉妬、欲望や心配を乗り越えるのにちょうどよかった。
賢い奴もドツボにはまっている歌もあった。
人間を愛することなんだ。
女たちはからだを売り、何もかもが儚い。
学問の順番はデタラメだったのを感じた。
音楽の助けがなければ教育もできないよ。
それがセックスを気持ちいいものだとしたゼウスにお仕えすることだったのだ。
歌ではゼウスの限界を歌っているだろ。
親の影響は受けなかった。
自分で好きなアーティストは選んだ。
賢く生きたい、そう思えたね。
生きるための教育だった。
垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。

女の局部に興味がありそうでなさそうな歌が多かった。
みんな日常があったんだ。
私が感じたものはやはり人生に必要なものだったということがわかった。
自分の衝動についてくるものにしたがえばよかった。
いい大学を出てそれか?というやつを大人たちは知っているんだ。
それで学問は成り立っているんだよ。

2017年4月20日 (木)

人の選び方。

やはり、家庭内が情報に満ちていなければならない。
鹿の頭を比べても、走る速さにはつながらない。
内臓(情報)がなければ役割は果たせないだろう。
走る速さがなければ肉食獣に食べられて子孫は残せないだろう。
現代においては「自動車」が紹介されている。
モデルはコピーを残すためにある。
型はいかに自在に乗りこなすかが問われる。
しかし、型は常にモデルを意識している。
モデルという概念は1970年代に紹介された。
遺伝を意識したのだ。
「俺はこのような内臓に適応しながら生きている」
という意味であった。
これが「イエのモデル」であった。
型はパフォーマンスを証明して子孫を残していく。
モデル同士の戦いもする。
よそ様のイエのモデルを相手にした時は自分たちのモデルの型は団結するものだ。
そうでなければモデルは子孫が継続しない。
パフォーマンスを証明するのはそれぞれの型だよ。
モデルが存続するかどうかもみんな型を標的にしている。
エリミネーション(抹殺)するプロセスをモデルは常に見ている。
社会に出なければ何も証明できない。
誰が、どの型がモデルを進化させたかをみんな見ている。
型、つまりモデルを進化させた男の話をしっかりと聞かなければならないね。
どこで進化のプロセスが変わったのかをモデルは共有しなければ子孫は残らない。
型の内臓(情報)は、同じグループ、親しいグループで共有されていなければならない。
女の存在は「型」に強烈な影響を与え、モデルの進化のためには絶対に必要だ。
女に愛される型が必要なのだ。
グループは小さい方がいい。
国内純正がいい。
グループが大きいと混乱が起きる。
誰が必要なのか。どの型が女に人気があるのかの真実をみんなが見失いやすいからだ。
フェラーリカリフォルニア。

どの親が優れた型を残したかのサンプリングも見失いやすいものだ。
どのようなテクニックを使って強さを維持したかは女たちの声を聞くしかないかもしれないね。
モデルの値段は型のパフォーマンスで決まるからね。
そのようにして、モデルにはクラスという概念が加わった。
モデルの中でもクラスは決まっていったのだ。

つぎに、モデルに投げかけられる問題がある。
「あの型はモデルの内臓(情報)を本当に継承しているのかね?」
モデルチェンジするのには理由がある。
子孫を残すために行ったモデルチェンジを理解しているのかが問われるのだ。
型のパフォーマンスをて行ったモデルチェンジ理解していないのならばその型は旧式に過ぎない。
型がモデルチェンジを引き起こした理由をしっかり理解して、その後もコピーは生きていかないといけない。
モデルチェンジの恩恵に預かる連中は確かにいる。
遺伝は一本のラインで行われる。
多くの敵の中を生き残った型があるのだ。
しかし、恩恵に適応できたのかは正確に理解しなければならない。
モデルチェンジの恩恵にうまく適応して乗りこなさなければ意味がない。
うまく適応した連中をグループと呼ぶ。
オーナーによくフィットした型があるのならばモデルチェンジにうまく適応したグループだと言える。
人口は増え続けるし、産業のあり方も変わってくる。
モデルチェンジした原因となった型の研究はグループはしっかりとやっている。
1960年代の「家柄の生き残り」は興味深く見ていたよ。
モデルチェンジをした家が、のちに没落していくのを見たからね。
モデルチェンジを生き起こした人間をどれだけ尊敬し、その苦労を真似するかでいろんなものが決まったのだ。
岸 佐藤のモデルチェンジ。

案外、小さなグループだろ。
何かに没頭しているようだ。
グループで、必死にモデルチェンジに適応しようとしているのが分かる。
時には優秀な教師もついた。
他にもグループがいたから集中できた。
グループに有利な業績は虎の子のように守った。
1970年代には、いろんなグループの没落が始まったのが観測された。
その世界に関心を示すグループがいろいろあったからね。
1987年に「結局、家柄って関係ねえな」という雰囲気が蔓延した。
生物学的には同じ人間だな、と思われるようになったのだ。
松田聖子 Kimono beat.

女の子たちの声援が変わっていったのだ。
オリジナルのモデルとは全く異なる業績をバンバンあげられるようになったのも大きいね。
社会が複雑化して、親戚だけではどうにもならなくなっていた。
親戚を代表するがごとく子供が戦ったぐらいだ。
ピラミッド社会をしっかり理解した子供がいちばん強かった。
他の親戚とのセックスが気持ちよかったというような証言は得られていない。
モデルチェンジというのは女性の声援を背景に行われているのだから、それを理解しなければ没落するに決まっていた。
それを引き起こした人の発言にグループが注意を払わなかったからだろう。
みんな「なぜ彼がそのような業績を残せたのか?」に疎すぎた。
「鈍いなあ」と考える女性たちの方が輝き始めた。
鈍さを残したまま子供を産む女もいた。
女たちの格好の餌食となったのが「お家断絶」運動だった。
人間はいくらでもいる。
業績は誰でも残せる。
子供たちにはこのムーブメントが襲いかかった。
集団の中で最も高度な戦いをした者への尊敬もなければこのようなことになる。
「負けた種は絶滅しなければならないのだろうか?」
美男美女すら危機感を持った。
彼らたちは種の意味を考え直し、自分たちの方がよっぽどいい生き方をしていることを示そうとした。
「ストレスのある環境に身を置けばあいつらに勝てる」と考えるものもいた。
より社会に適応すればいいんだろ。
モデルチェンジを引き起こした教祖の恩恵を受けてセックスしたやつは自分が王だと誤解しているようだった。
ダーウィンの間違いがここで観測された。
恩恵を受けた連中は目の前にあるものしか分からなかったのだ。
ゲノムがどれほど膨大な数なのかも分からず、身内であるといって勘違いし、周囲の標的になっていたのだ。
ドウキンは、そのことから「家柄」というものを否定してしまった。
クルマのモデルと人間の違いが明らかになったのだ。
すべての男は勃起した時に神だと思っている。
人間乗り物に例えた方がわかりやすかっただけであり、男の勃起と勘違いという要素をここで取り入れることで、すべてを考え直さなければならない。
「情報なんだよ」
たまたま身内に面白いのがいればみんな興味を持つだけだった。
クルマの進化のイメージはみんな持っているけど、「人間である」という観点と両方使い分けなければならない。
本当に強いのかどうかは家の文化を見るしかないね。
警告だけしておこう。
遺伝というものが他人からどれだけ憎まれているものなのかを。
小さな箱の中のオスのネズミがどれほど嫌われているのかを。
しかし、モデルチェンジを引き起こした男の言葉がどれほど女たちの胸に響いたのかも知っておかなければならない。
箱の中のネズミであってはならないのだ。
世の中の遺伝の仕組みは自動車ではないんだ。
あの人の子ね、という直感は楽しめても、女にとっての楽しみは他にあった。
みんな、遺伝の研究はまだ途中だと信じている。
まるでマウスを見るように女たちは眺めているんだ。
タンポポ 恋をしちゃいました。

マルクス。

フリーセックス女の別れを保障し、手切れ金と音楽作品の探求をしたのがマルクスだ。
若い頃はヤングヘーゲリアンと自称するほどのイケメンであった。
女たちに開放感を与えたかったというのが哲学を始めるきっかけとなっている。
階級格差によって子供が作れない連中がいることも理解していた。
貧しければセックスも気持ち良くはなかったので「何のための宗教なんだ」と常に思っていた。
みんなが対等にセックスを楽しめない現状があったのだ。
男女は子供を作る。
子供の人生は苦痛に満ちている。
しかし、子供には生きる力がある。
子供たちの人生をコントロールできるのだろうか?
いかに有効に力に変えるかという研究が大事なのではないのだろうか?
大人社会の連中はすでに「男らしさ」を学習していたよ。
男女が生み出したのは男の子ではなく女の子だったのではないだろうか。
必要な男に女はからだを売ってお金を得ている。
女子高生たちはまるで大人たちと対等なごとく振る舞った。
その日の夜最も高い値段をつけてくれた男に体を許していた。
娘たちもいずれそうなるんだろうな、と思った。
セックス産業のメカニズムが発達したら、社会の男たちは熾烈な競争をやめてしまった。
娘たちは想像以上に安かった。
賃金は娘たちを買うための相場で決められていたのだ。
新カント派は、男たちをもっと魅力的にしていたはずだ。
しかし、新カント派が作った階級社会に対して、「もっと安く女は買えるんだ」と異を唱えたのだ。
女を口説く学問を発展させた新カント派に対して、女の安さを指摘したのだ。
所詮、女たちは子供を産むための力に過ぎなかった。
女に優劣をつけたり値段を比べることは意味がなかった。
「どれも一緒だったな」
若きマルクスは思った。
新カント派みたいな競争はもうやめよう。
男の進化はもう限界を迎えている。
モダンタイムの労働者は女の値段を釣り上げて欲しくなかったのだ。
安い女をもっとみんなで共有しよう。
それが共産主義だった。
新カント派の上流階級は、労働者階級をいくらでも圧迫できるほど魅力的だった。
労働者階級は「女を盗まれている」と考えていた。
割礼も受けていないのが上流階級だった。
セックスの気持ちよさを語った新カント派も宗教も憎かった。
若い女の子たちを取り巻いたのがマルクス主義だった。
モーニング娘。 ジェラシー ジェラシー。

2017年4月19日 (水)

別の生き方。

貴女はどのように男を、そして彼のおちんちんを思い出すだろうか?
彼はくだらない人だったと思うだろうか?
それは、貴女に彼が残した「心の風景」次第だろう。
別れたのだからくだらない人かもしれないが、必ずしも「友達より遠い人」にはならない。
三浦理恵子 友達より遠い人。

どれほど私は彼を必要としていただろうか?
似たような男を探すまでグダグダと彼の周りをまとわりついている。
彼に射精された感覚を忘れないからだ。
別れたからと言って「忘れたい人」には必ずしもならない。
人生には問題ばかりよ?彼ほどの解決能力のある人がいるのかしら。
そんな人の写真ならば処分すらしない。
写真に写っている私が昔のままではないだけ。
別れても好きな人。

写っている木の年輪は確実に変わっていくけど、煙のもとになっている火は変わらない。
「彼の心の風景を思い出す」という研究が現在の先端哲学だと言っていい。
セックスがくだらなかっただけよ。
別れた彼を思い出すことを「ウィスコンシンスタイル」と呼んだ。
みんな不思議がって文学にもした。
別れてから彼が輝きを増したという側面がある。
社会経験という意味でもね。
彼が生み出す火の強さが気になって仕方がないの。
私はもちろん惨めよ?
彼が今のニュースをどう思っているのか知りたいから電話もする。
雑談も楽しい。
彼は下痢もしないほど落ち着いていた。
なぜ彼は昔、私を選んだのかしら。
いざという時に頼りになる人なの。
彼が他の女と寝ていたら友達より遠くなるというのは動物的な発想かもしれないね。
セックスではなくいい話し相手。
電話で話す内容も自ずと動物的なものではなくなる。
彼の射精がくだらなかったのかしら。
動物的だったからね。
続・赤いスイートピー。

誰でも間違いは犯すわ?
キツネに捕まっただけなのよ。
そんな彼の精子はもう愛せない。
私の胸に残ったのは彼がとにかく女から力をもらっている人だったということだけ。
そして日常に帰ったら、彼はまた年輪を増やしていった。
人間の脳に与えるLSDにやられるとはこのことね。
私にもセックス以外の日常があった。
別れたからといって「忘れたい人」だと思わないでね。
それは私がもう動物ではないということでもあるの。
でも、彼はくだらない人だとだけ言わせてね。
水星は熱い。圧力も強い。
私はそれに耐えられるほど強くはないの。
私は神経が参っているみたい。
彼はそれに比べて選ばれていた。
うさぎの脳は犬に怯えるでしょう?
私はまるで彼に怯えているみたい。
彼の目に怯えていた。
三浦理恵子 グッバイフレンズ。

私は弱いうさぎね。
もう、犬の精子は受け付けない。
脳の仕組みも違う。
哺乳類は複雑すぎて、彼がいないと怖いのよ。
うさぎにとって、犬の精子はLSDなのよ。
女狐ならば耐えられるでしょう。
LSDは危険なものよ?
人生を通じて私が学んだこと。
昔の男を忘れられない女はみんなうさぎなの。

忘れられない男っているの?
ある女は言うでしょうね。
同じ職場にいたらどうなると思う?
話すたびにキスしている気になるのよ。
職場での彼がスターならば忘れられるわけないでしょう?
彼はセックスではなく日常生活で私との関係を維持するようになっていた。
同じ世界の人間としていろんなものを見せてくれる。
彼の世界の広さからは私は逃れられない。
彼の言葉遣いの間違いは分かっても、今の間違いはいまだにわからない。
もう、私は子供ではなかった。
CoCo なぜ。

もう、牛と馬の区別もつくようになっていた。
その男がどれほど多くの女と話したかも分かるようになった。
そうやって、男はカッコだけではないことを知った。


2017年4月17日 (月)

現代の哲学。

人間の内面を掘り下げて行ったカントやヒュームは、刑法学には役に立ったかもしれないが、「心の世界は広すぎる」とされて人々は恐怖を感じた。
このことから「心の内面」ではなく「時間と空間」のことをもっと考えようとしたのが現代である。
すべての街を定期的に再開発したりして、「人間は進歩しているんだ」ということを感じようとした。
ribbon Deep breath.

男の言葉にもいろいろあることに寛大にならなければならない。
男の重さにこだわるのは構わないけどね。
言葉をバラバラにしよう、なぜなら順番がつくからだ。
そのために、学問をやる男にも「譲れない夜」が生まれたし、男の言葉は羊の群れの鳴き声ではなくなった。
そのようにして、時間と空間の世界に自由に男を解き放ったし、学んでいる男を尊敬した。
言葉をバラバラにしようという作業は、しかし儚いものだろう。
仲間を作るために民法や刑法を学ぶものもいるだろうね。
言葉がバラバラになったら必要な時に必要な人もいなくなる。
みじめな人間を作ったほうがいい。フリーセックス女に共感することはあまりにも怖すぎた。
このようにしたことを「女が強い時代」と呼んだ。
100メートル走でテープを切る男とそうではない男を作った。
負けた男は年寄りに憎まれないだろう。
ウサイン・ボルト。

言葉で劣る男は、優れた男とは関わらないだろう。
異なるテープを目指して走ればよかった。
人々の記憶に残る瞬間も異なった。
日曜日のことは月曜日にしか覚えていない、木曜日には忘れている。
「いろんなのいるからね」
そう言いながら人々は長生きした。
100メートル走のテープというイメージだけではなく、いろいろな音を奏でるバンドというイメージも持った。
melody シルバーリングに口づけを。

光学スペクトラムにおいては赤の影がオレンジだったが、忍耐力の違いもその人のカラーだった。
忍耐力がないほうが長生きするのだ。
ふたつの「石の拳」だけで勝てるという発想すら人々は見失った。
デュアリズムを知っている男の理屈を人々は知らなかったが尊敬した。
大魔神佐々木。

これらの議論の効果としては「男が年寄りに憎まれなくなった」「男が長生きした」の二つにあるだろう。
男たちは全く異なる方向に旅をしたほうがいい。
それは生き急がないことを意味した。
それぞれ記憶が異なる男とのセックスはそれなりに気持ちよかった。
トウモロコシは平らな大地にできるものだ。
それほどカントやヒュームの時代が怖かったのだ。
それぞれ異なる方向に男が旅をしたとしても、すべての男が生きる力を持っていた。
それが様々な分野の進化につながったし、人生を複雑なものにした。
それ人生を祝福することだったし、各自の衝動を最大限に生かすことだった。
決して賢くはなかったが長生きした。
泉重千代。

「長生きする」「年寄りに憎まれない」というふたつの指摘を行なっただけで宗教というものはいろんな方向に拡散した。
仲間づくりの方法が多様化したオープンソサエティの誕生だ。
しかし、このような議論をして20世紀型の人間の生き方を決めたベルグソンの書籍はいったんナチスに燃やされて、のちにドゥルーズによって復活するまでは忘れられた。

ドゥルーズは「いろんなのがいるからね」という20世紀の哲学を「差違と反復」という書籍で引き受けた。
映画を作ったり、絵を描いたり、作家の仕事をして深めていったのだ。
ドゥルーズも「いろんなのがいるからね」という立場に共鳴し、顔の多様性まで認めるようになっていた。
男の顔が多様だから女の失恋は「幻」となっていたのだ。
杏里 オリビアを聴きながら。

カントやヒュームは人間の日常を探求しようとはしていなかった。
「女をお金に変えるとはどのようなものか?」という議論は18世紀のものだった。
現代は契約をどんどんアップデートしてお金を稼ぎ、同じ人を愛する時代だった。
いろんなやつにはいろんな仕事があった。
職場で自分を取り戻すことをアイデンティティと呼び、女とか男、国や全体などを見失ったのだ。
「長生きすること」「年寄りに憎まれないこと」に加えて「みんなが豊かになること」を目指したのだ。
上司の言うことを聞いていればいいという意味では意志の強さだけあればよかった。
いろんなやつがいる世界の現実とはそのようなものだったのだ。
この現実を冷静に見る力量が求められた。
親方の言うことを聴きながら仕事をするということなんだ。
いろんな知識が発展していった。
仕事の流儀。

女の心は見えないはずである。
本当に女の心が分かったらいろんな世界での仕事が成り立たない側面がある。
また、ドゥルーズは「図書館のバベルの塔」と呼ばれるほどの蔵書を持ち、歴史上の哲学者の研究をしていた。
カントが「海で男女は性の感覚を身につけている」としたのに対し、ドゥルーズは、それは家庭内の文化であり親の真似をしているだけだろうと考えていた。
小泉今日子 渚のハイカラ人魚。

800の星があるとしたスピノザはドゥルーズにとっては神であった。
人間の違いってなんだろう?
それは他者を支配する「力」だった。
彼はマイモンやミシェル・フーコーのように20世紀後半まで活動した哲学者であったから現在に至るまで重要性を持っているのだ。
聖飢魔II Rock in the kingdom.

また、女の子が思春期に去勢されているという問題も、資本主義と統合失調症という研究において「思春期に情報が全くないからだろう」とした。
情報がないから統合失調症的に助けを求めているだけだとしたのだ。
さよなら失恋ピエロくん。

このことからそもそも「統合失調症は情報不足から起きているのではないか?」という指摘がなされた。
女と関係を持たない男は自分の情報不足を感じるのだ。
「女の満足の原則」と呼ばれた。
男には差違があること、永遠に仕事を反復すること、つまり「差違と反復」とは男らしさを競い合う資本主義社会の病気だというのがテーマだったのだ。
男の違いを認めないとみんな統合失調症になるだろう。
実際の経験と合わない学問は危険だね。
人を認めるってどれほど大事なことかが分かるね。
しかも、男女が認め合うんだよ。
今の男ではなく積分(実績)を女たちは見ている。
女たちの見方を見失うことがあるのだ。
計算能力と異性をコントロールする能力を見失うのは危険だ。
人間らしさを維持できなくなるのだ。
指導者の力量や感受性、想像力、記憶などがお互いに「暴力装置」として作用する。
モーニング娘。 セクシーキャットの演説。

90度のお湯は量が半分になるだろ。
しかし、45度のお湯をふたつ合わせたものとは違う。
しかし「激しさ」という意味では同じことなんだ。
熱は45度から90度にはならないが、「分けていく」という発想と「人は実績を重く見ている」ことを知る必要があるね。
噂というものはセックスと胸と出産に関してなされるものであり、あとのことはどうでもいいんだよ。
ハリケーンというものは温度と気圧によって空気と水をメチャクチャにするだろ。
速さと流れを見なければならないし、雷も見なければならない。
風やトロピカルの水とは違うんだ。
赤は赤を作り、青は青を作り、緑は緑を作る。
純粋な白の影なんだよ。レンズを通るだけなんだ。
光がどんな色になりたいかだけの問題だ。
「向き合った問題」が白い光を屈折させている。
単純さ、複雑さ、緊急性、日常性の四つがホワイトノイズという美しい音色に色を与えている。
木田勇 1980.

それを踏まえた上で「仕事とは何か?」を考えないといけない。
1からやり直してはならない、その上で真実と向き合うのだ。
ルイ16世は、日常をどのようにセックスするときの頭のイメージに集約するかを語っていた。
交際期間の言葉は夢芝居のようだった。
その男でなければならない理由があるのだ。
男は壊れてはならないだろ。
明けの明星はオシャレに見えたし、宵の明星はダサかった理由はここにある。
女はセックスの時に男の言葉を集約していたのだ。
スナーク狩りでモービウスを裸にするとはこのことだった。
ナポレオンの妻は、ワーテルローの戦いにおける飛び交う銃弾や屍の山、大砲の音、飛び散る肉体を想像していただろう。
仕事は妻のためにやるものなんだ。
いろんな意味で機が熟してからプロポーズはするものだね。
これらのことを明らかにしたらドゥルーズにガタリが近づいてきた。
大仁田厚。

1968年のメーデーに、フランス共産党が学生や労働者を動員してゼネストを決行した。
ドゴールは警察力を用いたし総選挙に打って出た。
この「下からの革命」騒動がフランスに「多様性が必要」との認識をもたらした。
ドゥルーズの弟子であるローマ法王ビンセンスもそれを理解したし、フランスアカデミズムも1968年に統合失調症にならない研究生活を理解した。
「政治はいろんな力と戦ったほうがいい」
このことからゼネストは無くなったのだ。
サイケ男にも救済がもたらされた。
息をして食べて寝て、排泄してセックスをする生活の何が間違っているのだろうか。
フランス共産党は官僚主義的であったし、暴君が多かったし、「アルカポネの覆面をしている」と言われた。
情報不足から統合失調症がもたらされるのならば、「お母さんに紹介できるいい女はいくらでもいる」という反オイデプスの立場に立つしかなかった。
子供を作ることを難しくしないほうがいい。
マルクスは「統合失調症は社会の仕組みが生み出している」としたし、フロイトは「お母さんに紹介できるいい女を探しているからである」としたが、社会においても歴史においても学問においても「女を見失っている」と考えた。
CoCo メロディー。

ラカンは「どの女も素晴らしい夢を見せてくれる」と言った。
男が男らしさを磨くのも、女がからだを売るのも「より速く、より速く」を求められるようになった。
理想の女が高いレベルだと非常に困難な問題が引き起こされる。
部族のための地球、帝国に役に立つ肉体、男社会で男らしい男、このトライアングルがうまく情報に満たされてなければならない。
部族単位、国家レベルで情報の扱いが異なるし、男は男らしさを追求していたからだ。
うまくいかなければ「男は弱くなる」とされる。
政治、経済、文学、音楽などの世界でも常に男は進化を求めていた。
内臓(情報の裏付け)ない肉体や、戦争をする帝国が地図を持たないことが、男と女の出会いを困難にさせていた。
AKB48 ヘビーローテーション。

男らしさを磨くのには時間がかかるけど、自分が「弱まっていく兆候」が見られたのならば彼女を作ったほうがいい。
結局、哲学ってなんだったのか?
ドゥルーズは1991年にガタリとコラボレーションをし「男がいろんなことを言って混乱を引き起こすけど、最後には女たちのセックス裁判にして物事を治めることだ」とした。
言論マシーンもその方向に誘導されていると考えていたのだ。
男たちはひたすら知恵比べをしたいだけだよ。
これをアートにすることも大事だったね。
背景には「男たちの仕事」があった。
人間のからだと国の関係を知る必要がある。
カントは美しい女のからだを作ったし、ヒュームはフリーセックス女を作った。
女たちの喧嘩に発展するだけだよね。
ドゥルーズは映画も二人の男の言葉を比べ、二人の女のからだを比べて見せた。
このことは言論暴力と向き合う上での必然だったからだ。
どんな事件も時間がたてばそのような展開をたどっていた。
瀬能あづさ ふたつにひとつ。

女たちにとって「女になれた」ことがどれほど嬉しいことなのかをドゥルーズとガタリはアリス・ジャーディーンから学んでいた。
21世紀を迎えてもそのような観点はいまだ色あせていない。
カントを愛したのかヒュームを愛したのか、女たちは戦い続けた。

デリダが司法試験に受かった時、ドゥルーズは「君は私の思想を全て知ってるね」と笑った。
デリダに人々を裁くチャンスが訪れた。
アメリカのホスト局はデリダの発言に常に注目していた。
「女は腐らない」
デリダは言った。
「メディアマシーンをよく見てごらん。女たちがセックスの喜びを語り合っているよ」
女が持っている情報はそれだけなんだ。
男たちの仕事はそれを追いかけることの反復だった。
仕事なんだよ。
セックスモンスターは次々に変わっていくけどね。
女たちはからだで感じたことを話すときは純粋だった。
テレビはエデンの園だったよ。
食事の「おいしい」という言葉すら恋愛経験を語っていたのが女だった。
カントが愛した女は心にもない「おいしい」を表現していた。
からだが美しく味もわからない女、それがいちばんウケたよ。
カメラはひたすらそれを追っていたんだ。
本当に味がわかるようになったらテレビではその女は賞味期限切れなんだ。
女子アナの食事。

「今、生きていることを表現したやつがいちばん面白い」とデリダは言った。
「瞬間」にそれは表現され、このことを「ウィンク」と呼んだのだ。
「死んでいる奴は話すな」というネガティブな神学でもあった。
生きている奴の名前を女たちは追いかけ続けて潰そうとしたのだ。
このテレビのエニグマ(暗号)は秘密だった。
2002年にデリダは「最も強い女のからだ」について明らかにした。
誰かと結ばれるまでその女はモチベーションを失わない、としたのだ。
中にはダラダラと仕事をする女もいたからだ。
女の支配権がいつ失われるかを男たちは語り合った。
モーニング娘。 One Two Three.

デリダは結婚報道に関しても、二人の女を比べたであろうことを想像し、女は「一人以上の意味を持ち」「他の女よりも勝っており」「一人ではない」とした。
最悪な暴力を女社会にもたらしていることを知った。
カントは「結婚報道は急進的すぎる」と言っていた。
一人なのだろうか?誰に対して言っているのだろうか?
無神論だった。
他の女に主権はないとされる瞬間だった。
冷戦後にこの「女の主権」ばかり裁いたのだ。
911テロで「結婚報道は終わった」とデリダは語った。
シュガー ウエディングベル。

鉄のカーテンが冷戦を守ったが、別の民族との結婚報道は自爆テロまで引き起こした。
女社会の「最悪な暴力」はこんなことまで引き起こしてしまった。
人が無神論になるとはどういう時かを感じてもらいたい。
アメリカメディアマシーンが引き起こしたんだよ。
おもてなしの心ってのは案外「閉じた国」であるというところにあるのだ。

デリダの脱構築は「硬くて永遠の組織」を壊そうとしたわけではなかった。
プラトンを教祖とする「詩の体系」をまとめたかったのだ。
プラトンが女心をどう思っているのかを明らかにしてもらいたかったのだ。
「旧漢字」「精神医学」「飲み物の選び方」「膣」「重さ」「空間」をプラトンは詩にしていた。
どのように体系化できるのだろうか?
東京がこれをやったけど、すごいパワーだね。
垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。

女たちは「女心」の研究の発展を恐れていなかった。
すでに自分の中にあったものだったからだ。
むしろ、私は動物ではなかったことを感じたし、その男と話したがった。
自分の心の中の「証拠」を見つけるために常に最高の学者を求めたのが女であり、決して恐れていなかったのだ。
低学歴ナチスは、キャンパスのアインシュタインを嫌っていた。
女心の研究をしているメガネをしたオタクに、アイドルが平気で「メガネフェチ」だと語ったのだ。
顕微鏡ものぞかないで女心を語る人の言葉をよく聴いた。
「私の返事次第で研究方法の正しさが証明されるんでしょう?」
やり方が間違っていてどれほどの男がセンチメンタルになっていったと思う?
「ビビビ」と男女が惹き合うのはパチンコみたいなものだった。
松田聖子 抱いて。


【延々と続く】

2017年4月14日 (金)

奇跡について。

学問だけでは説明できない、人間の行動だけでは説明できない、多くの人々に悔いを残させた特別な神の振る舞いを奇跡と呼ぶ。
男の学問が女の心に響かなければ奇跡ではない。
今まで「学問」が奇跡を起こすために利用されてきたのは事実だ。
川は遮られる前に流れていくものなのだ。
人は学問が流れていくのも憎いのだ。
通常、その妨害行為を超えた学問を奇跡と呼んでいる。
妨害行為すら学問に満ちていたのだ。
「学問の暴力」
これがみんなが知っている学問の道を変えてしまうことがある。
男女の話し合いの中から法則を見つけ、学問にしていったヒュームが一番奇跡に近かった。
死んだものは死んでいる。
みんなが顔を赤らめる瞬間がある。
なんども繰り返すことはできないカウンターは、日々の学習から生まれていた。
偉大な「説明のつく力」を一度限り人間に引き起こす。
女とよく話すことだよ。
孤独な砂漠での作業は宗教感情にはならない。
普通ではないよね、女たちがささやきあった。
普通は妨害行為に邪魔されて到達できない境地があるのだ。
死後数日で生き返った、水がワインに変わったとはどのような意味なのか?
パトロンがいなければ奇跡は起きない現実があるのだ。
結論が本当だった。
女がからだを許した。
女から面白い答えを引き出した、何系の話かを明らかにした、分かりやすい、全くわからなかった。
これだけで他の説が間違っていることがわかるのだ。
人間は学問に縛られている。女をよく観察しろ。
キリスト教の中枢はそんなネタばかり集めているんだ。
だから信用できる。
何系の話かはやはり目や耳で感じただけでセックスの問題を見通していたことかな。
人々の前でそれを語り、その目撃者がいたこと。
男女の話し合いからそれをすでに学んでいたことが大事なのだ。
サバスの日曜日に何が起きたかは他の人にはわからないはずなのに。
人々が記憶する奇跡とはサバスの日曜日にその人に何があったかを公然と語ることなのだ。
分かりやすいとは「小さな問題」という意味だ。
遠い昔にイエスが言葉足らずで言えなかった問題、つまり、女の失恋の救済に関する問題が一番分かりやすい。
パウロはなぜイエスを殺したのだろうか。
ライバルと変わらない返事しか女の失恋に与える言葉を持たなかったからだ。
全くわからなかったというのは、男が孤独の中で何をやっているのかを女が知らないことを言う。
男に囲まれて足を揺すっている男に「男もいけるタイプでしょう?」と言うだけでも、言われた男は「ふう」と腰を抜かすものなのだ。
セックスの分析に関する学問以外、心に響かない。
ヒュームがボルタイアと散々話した結果を記したものなのだ。
18世紀に英語に魂を売った奴が一番奇跡を起こしやすかった。
miwa ミラクル。

記録にも残されていない歴史がある。
1988年には英語に魂を売らないと昔のこともわからないことが知られるようになっていた。
サバスの日曜日に何があったのか?
つまりセックスの問題だ。
その学問を発達させるためだけのためにヒュームは女と話した。
日曜日女は必ずセックスをする。
そのことを語るだけで予言とまで言われるためにヒュームは、国語教育もやったし、あらゆる科目を教えていたのだ。
人は「どんだけ多くの女と話したんだよ?」と思ってショックを受けてしまうのだ。
すべての学問はそのためだけにやるんだと言ったヒュームに聖書の世界は賛同した。
勉強するモチベーションがシンプルになったし、人々が奇跡とは何か?学問とは何かを知る上で都合が良かったからだ。
新約聖書は、そのようにして預言者を描いたし、人々が学ぶ上での目的を示し、エネルギーを与えた。
6日目に「光よあれ」と言った時に、女は昼間のうちは動物ではなくなったが、7日目に何があったのかは預言に委ねられた。
人間の「証言」と、神聖な解釈、そして自分の考え、それで成り立っているんだ。
他人が自分の考えによろめかなかったらまた勉強すればいいだけだろ。
所詮、人間なんて星なんだ。
太陽より輝く瞬間なんてそれ以外にないよ。
日常で経験できる学問の喜びなんだよね。

ヒュームは常に「無神論者」だと言われ続けた。
「7日目」の探求だけのためにエッセイや論文を出し続けたからだ。
彼の「7日目」の探求は実験というよりは発明であった。
日曜日に他の人に何があったのか?
つまりセックスに関する学問に情熱を傾けたことは宗教界からも恐れられた現状がある。
米光美保 Sunday 6:00PM.

惹かれあっている男女の日曜日の研究だったのだ。
平日には平気でぶつかってくる連中も休みの日にはもはやいないことを知っていた。
誰と誰が惹かれあっているのかだけ見ておけばよかったのだ。
女がリベンジポルノをばら撒かれたりするのもこの研究からわかった。
休日出勤の研究だ。
男一人に女二人という状態が休日出勤にはある。
それを楽しんでいると妻が日曜日に男を作るのだ。
夫に似ている、時間と空間がある、そして悔いが残る、それが日曜日だった。
ベトナム戦争でのミニスカートのベトナム女がいたとすれば、サンフランシスコにはゴールデンゲートブリッジがある。
息子が父のことを思い、父が息子のことを思うだけでも妻の不貞は止められる。
中森明菜 Desire.

フランスは日曜日の妻の不貞には楽観的だったが、イギリスはそうではなかった。
「彼女のことなら初めから百も承知よ」
これはイギリスを覆う思想だったのだ。
文化が違ったし、頭痛薬も違った。
ロンドンボーイには秘密の力があったのだ。
悔いが残ってもアスピリンがあるイギリスでは夫のいない日曜日に妻が不貞を働いたのだ。
失恋の文化が浸透していたイギリスでは「過去も未来も同じ」という発想があった。
教会の権威が違うんだよね。
ビルボードの文化も違った。
レベッカ ロンドンボーイ。

夫にいいことがあるのならば妻にもいいことがなければならない。
しかも、妻は長話を聞いてもらいたがっていたのだ。
女のからだは神だったし、長話は世界だった。
不貞を働いてお金がいくら入ってきていくら出て行くかの計算はしていた。
金の入りが止まれば、女は日曜日に長話を聞いてくれる男を選ぶだろう。
女のからだは、長話をしなければもたないようにできている。
あとは男の金と暴力にしたがっているのだ。
長話を誰に発散しているか?
男からの入金はあるか?
このようにして「女の日曜日」を分析したのだ。
ヒュームは、18世紀にこれだけを頭に叩き込んで宗教界に衝撃を与えたのだ。
おニャン子クラブ いじわるねダーリン。

お父さんからお金をもらっていてお父さんと長話をしている女には彼氏がいないことを見抜いたヒュームは、サバスの日曜日しか見ていなかったし、聖書の教えなど読んでいなかった。
そのために「無神論者」と呼ばれたのだ。
そのかわり、女の長話とお金の研究だけは誰よりもやった。
イギリス経験論はヒュームの法則にしたがっていたが、大陸合理論はそうではなかった。
女たちはセックス裁判にしか興味がなかったので、日曜日を標的にしたヒュームは「たちが悪い」と思われたのだ。
彼がスコットランドのカルヴァン派だったことも女のセックスにだけ興味を持った理由であっただろう。
それまでの宗教は「無限」にこだわり過ぎていたのだろうか?
自分で稼いでいるのならば男はいるよな。
AKB48 ハイテンション。

彼女のことなら初めから百も承知よ、というジョン・ロックの発想も、お金の入金と長話を聞いてくれるという二つの要素を持ち込んで分析しなければならなくなった。
神は退屈していた。
お金を女に払うことと長話を聞くこと以外に女とセックスする理由はないのだろうか?
どの動物もこんなに不幸なのだろうか?
より知的になるしかないだろ。
愛が止まらない。

レディマクベスという娘をいろんな王がレイプしたが、「何もない奴からは何も来ない」ことを悟った。
女のレイプもお金があってこそだった。
お金があったからこそ王たちは身ぐるみ剥がされて夜明けに家を追い出されるという後悔を味わったのだ。
生きていることを感じたい男が、美しい女を愛していた。
教祖となる男には金があった。
ヒュームも、一週間のうちの安息日を支配することで教祖となったのだ。
どのおちんちんもいろんなものを生み出す。
セックスする喜びがヒュームに富をもたらした。
マクベスのようなお金目当てのセックス以外に女がセックスする理由があったであろうか?
それは「人間を冷静に見ている人」とのセックスであり、「生きている」人である以上、お金の話だった。
ここで、「お金」以外に「男の見識」も女の日曜日に何があったのか?という判断要素に加わった。
デカルトはフランスの王であり、女たちはデカルトの系譜を引き継ぐ男たちに忠実だった。
松田聖子 ハートをロック。

男は見た目がよければ常識をわきまえていればいい。
世界は偉大なマシーンだったよ。
知的な人の階層があって、女たちは男を取っ替え引っ替えなんだ。
知的な男が何かを書き記してみんな似たり寄ったりになってくれれば一番いいのだけどね。
世界は広いからね。
どの男がいいのかなんてわかるわけがないよ。
お金で判断しながら女は生きている。
「神の心ってどんな感じ?」
そう思いながら女たちは男の肉体を愛した。
どのみちヒュームの子孫だからお金を持っているのよね。
「お金以外にもっといい判断基準はないかしら?」
とにかく退屈な日曜日の女の行動を正確に理解することだね。
「セックス以外にありがたい教えはないのかしら?」
有神論の側から問いかけがなされた。
病気やヒステリーも広い大自然を見たら忘れられるじゃない?
病気やヒステリーの治療にとってセックスは悪ですらあった。
ヒュームは安息日の意味を語ったために「宗教はいったん終了した」として、性病などの問題と向き合うことにした。
セックスが悪だと有神論が言うのならば、そこからいろんなものを立て直していこうと考えたのだ。
ヒュームが妥協してくれたおかげで、「人間社会の痛みと向き合うのが宗教だ」という発想に切り替わった。
寒さや雨や風、いろんなものに学問が向けられることになった。
人間社会の痛みを研究している人ともセックスするよね。
「アゴが出ている女がうつ病だと見抜けるか?」
上原彩子の鬱的なピアノ。

女が長話をしたいなどの情熱を持っていることは分かったが、そのために罰を与えられていることも分かった。
男に抱かれたいためにこんなにも無理をしているのだ。
それを解釈するのも痛みの研究であり、セックスを悪と位置づけ、痛みの解消の方向に宗教を向けさせる理由となった。
人間というのはセックスをするためにあまりにももろい努力をするものだ。
有神論の側はヒュームの妥協に拍手喝采した。
安息日の話にとどまらず、人間の痛みと向き合ってくれたからだ。
医者や弁護士などの複数の神を認める立場に立脚したのだ。
崇拝の対象は「セックスのパートナーを当てる人」ではなくなった。
そのために発達させた学問が、今度は「痛みの救済」の方向に向けられたのだ。
安息日(日曜日)は、人間社会にこのような贈り物をした形になった。
女の長話を聞く男がセックスの相手であるということを突き止めたヒュームは法律学の世界においても「結果無価値論」という立場を残していた。
三浦理恵子 日曜はダメよ。

さらに、ヒュームは食べ物や飲み物の「味」を探求した。
味とは女が作るものであり、セックスを経験した女が考え出したものだとし、それを子供に教えていたのだ(スタディ)。
挿入の感じ方と味の感じ方を結びつけた。
失恋した時に救済の言葉(文学)が頭の中に充満し、そして味の表現の言葉も覚えるのだ。
痛みの救済の研究は「味」の感じ方に向けられた。
カップルに存在する二人の敵によって別れに追い込まれたのならば「味」は文学であるとしたのだ。
「美味い」という言葉の意味が人それぞれ異なった。
女のからだは味の解釈に都合がいいのだ。
東京パフォーマンスドール How to love forever.

また、恋の話に詳しい男はハンサムに見えるのが女だ。
それも「女の感じ方」なんだろうね。
争いごとを治めてくれた男もハンサムに見える。
音や色、暑さ寒さなどの感情が男の見た目にないまぜになってしまうのだ。
英語を覚えるとこんな特典が付いてきた。
挿入にまつわる話は美しさに満ちていた。
顔は男の年輪というが、治めるか恋話をするかのどちらかだね。
人間のからだは複雑なマシーンであり、秘密の力に満ちていた。
女は子宮で感じるというのはあながち的外れではなかったのだ。
そうやって仲間を作っていくのが社会の在り方である。
コーヒーの香りを楽しめる男はハンサムに見える。
悪人顔に見える人はあなたが破壊したい人なのだ。
その人のパフォーマンスがもたらす偏見だよ。
コーヒーCM.

食べ物や飲み物を私に保障してくれた、恋話に詳しい、それが男の顔というものだ。
痛みから救ってくれたか快楽を与えてくれたかのどちらかだ。
罵声を浴びている男は決して美しくはない。
男の知性は家や木や本を想像させる。
ヒュームは「顔の美しさを失った男が自殺している」と言った。
強さを持っていて、コーヒーの香りを楽しめて、だんだん力をつけていき、周囲からも一目置かれ、偏見の目で見られない男に自殺はない。
女の満足とお金と力は男を自殺から救うと考えたのだ。
顔を見て批判するかどうか人々は考えているんだ。
知恵というよりは偏見なんだ。
「原罪に由来する本能」とも言えた。
権威を見失った男が見た目で批判されやすいね。
肉体というよりは心の問題なんだよ。
悲しみ、恐怖、心配事に耐えてきた男もハンサムだね。
女の恋愛と関わっているのだろう。
味に無頓着な女は男の顔の良し悪しの判断力も鈍いね。
オスカーデラホーヤ。

また、ヒュームは女の「譲れない夜」について研究した。
少女漫画の永遠の後悔であった。
本当に自分に必要な男を否定し、後悔もしない。これが一目惚れだ。純潔女の議論だ。他の男の心を知らないんだよ。
しかし、フリーセックス女には譲れない夜がある。
フリーセックス女は一目惚れなど議論していない。
男への後悔と本当に私に必要な男の議論をしている。
男の解釈が豊富なんだよ。
譲れない夜は「勃起したペニス」にあるとされ、別の選択肢はないのかという問題は結婚とつながっている。
誰と結婚するのか?あるいはすでに結婚しているのか?
フリーセックスの否定と自分にとって必要な男という観点から「どうしても結婚したい」と言って譲れない夜が生まれるのだ。
フリーセックスとどうしても必要な男というのは対立するし、別の選択肢を選ぶことと合格点を出すことも対立する。
ひたすら解釈するんだよ。
ヒュームは、女が自分の局部と向き合う上で生まれるこの問題を研究した。
SPEED All my true love.

まず「多数派工作」をすることだよ。
その上で別の男を検討するんだよ。
そのことから「男ってなんだろうな」と考えるんだ。
これが「フリーセックスとどうしても必要な男の問題」なんだ。
一目惚れしたセックスも、他の男と何が違うのかわからない男とのセックスも、譲れない夜とは向き合っていない。
本気になった時は多数派工作をするのが女だ。
瀬能あづさ 永遠に友達。

また、パートナーを固定したあとにも、この人でよかったのかな?と言って譲れない夜は訪れる。
外には自由だけがあったからね。
彼との真剣な話し合いの時は特にそう感じる。
この世界を理解することが結果無価値論の「意思の自由」の問題だ。
自分に必要な男がいることと、自分はフリーセックスの立場であること、そして自分にもその男とセックスするチャンスがあること、この立場に立つことで心に逃げ道を作るという光をヒュームは与えた。
「女は譲れない夜を作りたくないから団結するんでしょう?」
SPEED I remember.

まるで、その必要な男と散々議論したかのごとく、女は他の男にからだを許していた。
長話をする人とお金をもらう人を女は区別することがあるのだ。
必要な男とは長話をし、現在の彼氏を輝かせることにした。
「女と関わることをどの男も拒まない」ことを女は巧みに利用したのだ。
仲間づくりは「必要な男」がどんどん進めていった。
女はそのようにして辛い夜をクリアーしていったのだ。
男には学問と仲間が構築されていったし、男は社会に自分の存在をアピールするようになれた。
男たちもお互いに「理論家」に頼りきっていた。
理論家は政治や戦争、貿易などの仕事ができるだろう。
経済の本も書ける。
社会というのは暴力がなければ「不可能」な世界なんだよ。
自由な空間と解釈がなければ反省というものは成立しない。
必要な男とは電話するだけという仕組みは20世紀にできた。
セックスではなく日常の風景として必要な男は流れていた。
物事を反省するためにもそのような男は必要だったし、女は男たちの強さと弱さだけを見ていた。
純潔女や自分を持っている女は男の理論家を育てない。
「弱さ」を見せる男はフリーセックス女と話していない。
Cocco 焼け野が原。

政治や戦争、貿易には学問が必要だった。
人間だけが愛と憎しみの対象となり、肯定と否定をすることで落ち着いたし、肯定と否定に解釈が必要だった。
女はセックスで感じただけのことを人に話したがる。
男への憎しみと怒りを語りたいのだ。
からだと話はつながっていたのだろう。
女の話は豊かさや永遠に感じることや、財産と関わっていた。
知っておくことは男の誇りであり愛であった。
仲間を作ることは祝福されていたのだ。
肯定と否定が人間には必要だったし、話をぶった切って介入する必要があったし、知恵で女を感じさせる必要があった。
必要な男とはそういうものだったのだ。
セックスした女のからだだけでは処理しきれない問題があった。
女はセックスしたあとに「和解」が必要だった。
ヒュームはこれを「学問主義」と呼びひたすらフリーセックス女の話を聞いた。
卯月の頃。

ヒュームがフリーセックス女の話を熱心に聞いたのは「古典的学問主義」と呼ばれた。
本当にこれを発展させたのはストローソンであった。
20世紀後半に「自由と怒り」という本を書き、セックスに対してポジティブな女とネガテイブな女をまず区別した。
セックスは罰なのか、他の女にも呪われているのか、どのように社会が認めていくべきものなのか、これがネガテイブな見方であり、ポジティブな見方は、セックスを合格とみなしていた。
ポジティブな見方ができるのならば自分を持っているね。
勃起が萎える瞬間をしっかり理解する女がポジティブだね。
どちらの立場も、女がやられたことを柔軟に解釈し、方向を変え、理解し、気持ちよくさせるものであるという点では同じだった。
自由を楽しんだという意味では合格だったんじゃないか。
女がからだで信じていることを発散させなければならないのは事実だ。
「学問にはならない」という立場とヒュームは激しく対立した。
Cocco Way out.

セックスされる存在として女はどのように仲間を作るべきなのか?
それは自由と解釈だね。
ボランティア主義は女たちでセックスについて話し合ったよ。
仕草やマンネリ化、男の重さなどを語り合ったのだ。
金になるセックスかそうではないのか、非難される内容のものだったのか、語り合えるものだったのか。
セックスされる存在として女たちは占いなどを語り、表現することで仲間を作り始めた。
なぜ、一部の男が仲間を作りたがらないのかが不思議だったのだ。
しかし、外ではおしとやかな女性を演じているだろ。
女の子の団結は慣習によるものだが、大人はそうではない。
からだで感じたことは言葉で表現したいのだ。
その「表現」を知ることは男の仲間づくりにも影響する。
Cocco 寓話。

ヒュームは、フリーセックス女と、彼女が必要としている男の議論において、男は宗教を作るだろうとした。
女がからだで感じたことを聞いているのならば自ずから仲間もできるだろう。
アリストテレスは「石の拳」という二つの選択肢を常に求めることで敵に反省の弁を語らせたが、ヒュームは「女がからだで感じたことを言葉にしたもの」を聞きながら政治コミュニティで勝ち続けた。
悪という悪はなんでも聞けたのがフリーセックス女の話であり、神というのは女がセックスで感じた暴力から生まれていた。
「神様」という意味ではなく、女の話をよく聞いた男が神がかっていたのだ。
フリーセックス女と必要な男モデルは、セックスの気持ちよさではなく、負の側面を聞いて回ったことから「反キリスト」と呼ばれた。
親父がいろんなことを知っているのならば親父の永遠を感じるね。
Cocco 星に願いを。

ヒュームは因果関係の問題も、女の後悔や反省にその答えを見出した。
「別の方法もあったのかしら?」
しかし、カントは男女がともに後悔や反省をすることを因果関係と呼んだ。
Cocco ポロメリア。

カントは後悔や反省に「客観的事後判断」つまり、男の側からの説明を求めた。
今の状況を男はどう思っているのだろうか?
男が浮気したから別れることになったのに、こんな後悔や反省を残していたんだよ。
ヒュームは、女の立場から「後悔や反省に何百もの原因があると思うだろうか?」と言った。
カントのように男の言い訳の数々を聞いていたらきりがなかったのだ。
客観的事後判断は女の心には全く響かなかった。
別れの心の整理は女がするしかない、これがヒュームの考えだったのだ。
子宮から湧いてくるもの、これが必要だった。
男女にはセックスの感じ方の違いがあったのだろう。
どのように他の女を口説いたのかまでは聞いていられないよ。
カントは男の心の救済まで考えていたが、それはないんじゃないか?
男の心の救済なんてものは、太陽に照らされた石の熱に暑さを感じるように「後手後手に回ったもの」だったのだ。
ヒュームは女が壊れたから男が浮気したのではないかという「介在事情の異常性」だけを見ていた。
bz もう一度キスしたかった。

女たちは男を比較することができた。
男の言葉を比べたのだ。
カントは純粋な女を愛したが、ヒュームはフリーセックス女を愛した。
カントは女のセックスを大事にしすぎたのかな?
フリーセックス女が哲学者を必要としていたのだ。
音楽を愛したのもフリーセックス女だった。
女は、彼の体の重さは分かっても、普遍的な真実はわからなかった。
カントは女より純粋なものと考えることと同時に、男をより知的なものと考えてしまったのだ。
そりゃ、テレビでバカやらかしているうちは女はフリーセックスになるだろうね。
女たちが失恋ソングを共有している限り、男は知的な文化には浸っていなかった。
失恋ソングの効果としては男はバカをやらかすのが仕事と語って文化を形成した。
女の胸に残るものが知的な男の言葉なのか失恋ソングなのかの違いがカントとヒュームの違いだった。
フリーセックス女は哲学者と詩人を必要としていた。
しかし、男が知的であるということは男社会に混乱をもたらすことをヒュームは指摘していたのだ。
文化が女の性の統制をできることがわかった。
「男を比べたくない」とヒュームは考えていた。
しかし、カントは「男の言葉」という太陽が残した暑さを追いかけていたのだ。
Cocco もくまおう。

女の胸に男の言葉を刻もう、これはカントの悲願だった。
より強烈な権威を求めたのだ。
「ヒュームは裸の法則を重視しすぎなんだよな」イギリスとドイツは決定的に対立した。
女を経験だけの世界に放置したら、胸には失恋ソングしか残らない。
見ればわかる、聞けばわかる世界では女は深い愛に落ちることもなかった。
カントは「男女の間で何が可能なのか?」を探求したのだ。
男が学問をやれば女は純粋になる、これがカントの純粋理性批判だった。
お笑い芸人が好きな女とは話が合わなかった。
時間空間をどのように使って生きるつもりなのだろう。
惹かれ合う男女の意味をヒュームは明確にできないとカントは考えたのだ。
カントは「フリーセックス女は太ってくる」とし、男が知的でないと女が太ることも指摘した。
月や木星や土星に比べると男は軽すぎるではないかとヒュームは開き直っていた。
万有引力の前ではすべてが虚しかった。
ヒュームは、慣性の法則に異を唱え、将来は現在よりは明るいと語った。
カントは「男の言葉を比べたほうがいい」とした。
どのようにその言葉は永遠と関わっているのだろうか?
世界の広さに惹かれていたのだ。
「カントが愛した女の方が美しかった」
「ヒュームの愛した女は重力に逆らえないが如く太っていた」
太った女が語る話が将来を明るくするんだろう?
ヒュームがフリーセックス女から学んだ法則を用いてカントが純粋な女を作り出そうとした側面は否定できない。
瀬能あづさ ふたつにひとつ。

ヒュームにとって男女はビリヤードの玉のようにぶつかり合うだけのものだった。
男は何かの空間の隙間を埋めたいだけなのだろう。
木星の衛星は木星によって加速させられていた。土星や太陽ではない。
いろんな男を取り巻く女がいるのだ。
重さを増した男はアイドルのおとぎ話に浸った。
契約を結ぶか激突し合うかしかないだろ。
あるいはすべての人間を水で満たすしかない。
学問は簡単だった。
昔の学問と戦えばよかっただけだからだ。
カントは「すでに知っている衛星の動きを語ろう」と言った。
彼女たち(衛星)は自分の重さにしたがって木星との距離を図っていた。
カントは王として取り巻きの女の計算をニュートンから学んでいた。
ケプラーも、女たちは楕円を描いていて、最も魅力的な姿で接近するポイントがあり回転しているとした。
カントは「取り巻きがいると執筆活動がはかどるんだ」と言った。
彼女たちに読んでもらうために書いたのだ。
読者と作家は何の摩擦もない絶対空間にいたし、他の男たちとは相対空間にいた。
最も魅力的な姿を目撃する瞬間を絶対時間と呼んだ。
絶対空間は無限に空虚だよ。
退屈さは1日であり、一ヶ月であり、一年だった。
加速したり遅くなったりしながらまわっている。
退屈な時間を永遠に使うんだ。
絶対時間に女たちは男の決意が本物かどうかを試していた。
「男社会で生きていて欲しかったのよね」
「何か分かったら報告してよね」
彼女たちは男がいつも話しているフリーセックス女に似たものだ。
残虐なまでに回り続けるだろう。
カントにとって、そのことすら経験するのと計算するのとでは意味が異なった。
Cocco 雲路の果て。

惹かれ合う男女とは女の失恋の救済と関わっている。
つまり、芸術と学問に詳しい男のことだ。
取り巻きの女との関係はメンタル世界であり、学問世界であった。
メンタル力によって惹きつけあっていた。
「フリーセックス女から何が分かったの?」
女心から何を組み立てたのかを知りたがった。
望遠鏡で女心をのぞいてみればいい。
ニュートンを用いた女の取り巻きの計算はヨーロッパで必要とされ「トップランクの男」を作るために利用された。
哲学の才能の象徴だったのだ。
ヒュームもニュートンを「よく計算したな」と褒め称えていた。
取り巻きのいる男は時代の偏見にさらされたよ。
「反キリスト」なんだよ。
昔は女を近くに侍らせていたからね。
「でもなんだかんだ言って必要な男なんじゃないか?」
仕事や仲間、女の嘘、政治などがわかるようになる。
男の学問はフリーセックス女と話すことにあったんだよ。
ヒュームは、アイルランドのカルヴァン派であり、今で言うAKB48に近づいたことでこれらのことを学んだものと思われる。
AKB48 アボガドじゃねーし。

ヒュームは、この経験を通じて学生たちを変えたかったのだ(エデュケーション)。
アイデンティティはアイリッシュであるというのもヒュームを尊敬してのことだ。
女のからだにズカズカと入り込んで行ったからだ。
勃起したペニスや、男の言葉の比較、祝福、力、権力がこの学問にはあった。
女の昔の面影への情熱もあっただろう。
いつでもエネルギーをもらえる立場に身を置いたのだ。
ヒュームは実験を繰り返したけど、しっかりと記録には残したよ。
ribbon Virgin snow.

ゲイについて。

男に魅力を感じるゲイは、男のおしゃれにもうるさい。
これがイオニアの文化であった。
また、ストイックさはゲイの文化につながる。
言葉にすると敵を作るので「含むものがある」としか言えないのだ。
男のからだのディテールまで見ている。
女やゲイは「問題の少ない愛」を知っている。
少年は「より高貴な」男に挿入を許したがったし、大人になると「もう好き勝手にはやれないな」という問題と直面した。
男と女の違いがセックスを気持ちよくさせるのではないか?というキリスト教が出来てからゲイの世界は混乱に陥った。
しかも、子供を作らないセックスが問題とされたのだ。
529年のジャスティニアンコードによってローマ法はゲイを処刑した。
このキリスト教社会という男女の世界を攻撃した野蛮な連中がゲイに寛大であり、13世紀にゲイの復権がなされた。
しかし、14世紀にグレゴリオ改革がなされて、キャンパスにゲイは必要ないという風土が出来上がった。
1179年にラテラン三世は、いかなるゲイのセックスも処刑するとした。
男社会を至福の時とみなすソドムが批判されたのだ。
1730年には、オランダで「ソドムは歌うたいのジプシーが多い」として強烈な弾圧がなされた。
いろんな都市でゲイが横行していたが、ナポレオンは外国侵略のために「ゲイの非犯罪化」を行ったのだ。
ローマ帝国を侵略した野蛮人と同じ論法を利用したのだ。
気持ちいいから女の振る舞いをするゲイは軍隊からも排除された。
ゲイはパートナーに「同世代であること」という条件をつけていた。
20世紀には「メイク」がゲイの世界にもたらされた。
ゲイの撲滅のためには子供の頃のマスターベーションの方法まで議論しなければならなかったのが精神医学の世界であり、しかしなかなか踏み込めなかったのが現状だ。
1969年にマタシンソサエティや、ブリティスの娘などが広まっていたが、警察によるストンウォルイン襲撃事件が起きたためにゲイを認めるしかないという風潮が高まった。
しかし、1990年代には製薬会社がイジメだけでなくゲイにまでHIVのレッテルを貼り始めたのだ。
「エイズだ!」と言われながら生きる風景が日常になった。
壊れない愛が欲しいの。

1960年代から1970年代にかけての「結婚至上主義」とどのように向き合うのか?が問われたし、
1980年代には文化がゲイに罰を与えた。
また、ロゴスに女はついていくのであって、男らしさはクリエイトするものではないとも言われた。
ゲイの「結婚圧力」は必死で男をクリエイトする方向に向かった。
歴史は男に舞台を用意していなかったし、男の新たな可能性を否定してしまうのがゲイではないのかとされた。
男のファッションチェックなど、男を萎縮させてしまうだけだ。
ゲイは「変わらないもの」だけを求めていた。
女が同意していればいいではないか、という発想がなかった。
結婚、愛、男女のセックス、全てが憎かった。
「可能性を絶ってやろうか?」
赤いスイートピー。

男女のセックスを想像してマスターベーションをできない年頃がどうしてもあるのだ。
オーラルセックスや、アナルセックスを規制しても「性を知らない年頃」を作っている限りゲイは無くならないのだ。
子供は「周りはどうしているのか?」を気にしていた。
男の子たちは女を愛しているではないか?
ゲイもレズビアンも「理想の男、理想の女」をクリエイトしたという意味ではサディスティックであったしマゾヒズムでもあったが「結婚至上主義」に都合よく使われた。
行き過ぎた男女の結婚も行われた。
ミシェル・フーコーがこれを指摘していた。
ゲイやレズビアンのヘンタイマゾヒズムをみんなが見なければならなかった。
このことをSMカルチャーと呼び、男女の違いは加速して行った。
そこで、ようやく政治の側が寛大になれたのだ。
反町隆史と松嶋菜々子。

結果的には男性中心社会を取り戻せたが、ポストモダンのフランスではお洒落をしなければ外にも出られなくなった。
世代を超えた恋愛にも寛大ではなかったし、幼児愛も容認できなかった。
ゲイやレズビアンのヘンタイ理論が男女の違いを明確にしたのはキリスト教が認めるところとなったが、お洒落に無頓着な男はゲイを憎んだ。
「流行の最先端」という言葉だけが虚しく響いた。
メンズノンノ。

2017年4月12日 (水)

文学とはなにか。

まず、奇妙な結果が生まれる。
何かが曖昧であり、解釈が必要となる。
混乱の解消の過程をうまく流れに乗せる。
奇妙な結果とは「犬が父親である」「キメラはキメラである」というように臭うものだ。
そこで「使徒は12名だ」「無限は有限なんだ」「すべての人間は必要な動物だ」というような解釈をする。
最後に「ソクラテスは間違っているよな」という具合に混乱の解消を流れに乗せていく。
もう少しわかりやすくしよう。
ある者が暴れたとする。このことの解釈をするために12名の人間を記録に残す必要がある。すべての男に限界があることを知り、すべての人間を生かす必要があることを知る、
最後に「権威が間違っていたから男は暴れた」と総括して混乱を治める。
タイソンが起こした混乱。

人間だけが男らしくないよな。
しかし、すべての人間が男らしくないわけではないよな。
この男だけが男らしくなかったのかな。それならば間違いだと認定できるな。
すべての人間が酔っているのか、酔っ払いが酔っているのかを明らかにする。
無限とは女の発想だろ。
今の状況は有限なんだ。
覚めている人間が処理するようにする。
臭うし分からないし、混乱しているんだ。
誰かが神になるときとはそういうときだ。
12名が堂々巡りしているな。
誰かが白から黒にならなければならない。
「もし」「すべて」「有限」を忘れてはならない。
もし権威が間違っているのならば、すべての人間はどのようなものであるか、この事例は無限ではない。
無限を押さえ込んでいくんだよ。
事件があるたびに「12名の使徒」を集めるんだ。
すべての人間はすべての人間を見ているからね。
酔っていない人間は誰だ?
そいつは不死鳥だな。
無限を否定し、キメラは俺の兄弟だよというやつなんだ。
すべての人間を生かし、それでいて白い人間を黒にする。
事件の酔いを覚まさせろ。
自分を石だと信じるんだ。
人間のすることだ。動物だったのかもな。
無限を押さえ込んだ時に、男は自分の速度を上げていった。
ソクラテスを遠い目で見た。
愛するとは動詞だろ。
主よ、私は弱まっています、私は走った。
それでは世界は変わらない。
使徒に女はいない。
男らしくあれ。
女とは処女のことだ。
事件があるたびに12名の使徒を集める作業を「ソフィスマータ」と呼ぶ。
中世の文学はそのように事件の波紋を広げて収束させていった。

「反省」
天と地、世代は腐敗したものを見ている。
アリストテレスが21世紀を見ることができた理由だ。
彼はひたすら反省の言葉を残したからだ。
神はなんで男のおちんちんを作ったのだろうか?
神聖な力と知恵が宿るからだろ。
譲れないものと人間の決意を感じない者には反省しかない。
人間の反省という反省を網羅したのだ。
無知なる者を書かざるを得なかった。
エリートの仕事だよ。
人間の反省以外に魅力を感じる文章はなかったのだ。
哲学者の歩んだ道は勝利の道だった。
あとは人々の敗戦の弁を書くだけだった。
モーニング娘。 Sexy boy.

アリストテレスの物理学は「学問と暴力だ」とも言われた。
手に届くものは全部殴ったし、相手が動いて空間が生まれたらそれを埋めた。
二つの「石の拳」とはアリストテレスのことを人々は語ったことだった。
敵の陣営が水に囲まれていても、硬い要塞でできていても常に石の拳を忘れなかった。
片方の拳はあまりコントロールが効かないことも知っていた。
「別の世界でも常にセンターにいるために」考えたことだった。
拳の位置を考えたり休ませたりしたのだ。
アレキサンダー大王の家庭教師だったことを忘れてはならない。
拳の重さ、そして拳が下に引っ張られている辛さを知っていた。
欲望が複雑に絡み合った。
世界を拳に例えなければ複雑すぎて何も分からなかった。
its a fight.

要塞や水に囲まれた陣営とは女でもあった。
勝ち続けても民族は戦い続けたからね。
距離がくっつきすぎるとカミソリは効かなかった。
国をそのように見ていたのだ。
幻の世界でも二つの拳を動かしていた。
これを知っていたのは彼だけだったのでひたすら敗者の敗戦の弁を書き続けたのだ。
心の中には常に二つの拳があった。
オッカムはそのテキストに忠実にしたがい、ひとつの選択肢しかない者を「壁ドン」と呼んだ。
神の絶対的力だったよ。
絶対的力と神聖な力の二つが育つまで鍛えた。
これも神学だったのだ。
女の返事が「敗戦の弁」に聞こえた。
患者に二つの方法でアプローチしたりもした。
方法が噂になったからますます鍛えたし、人々の反省の言葉を記しながら作業を続けた。
ただ見ている男、そして女たち、彼らがアリストテレスの優勢を悟った時、そしてフィニッシングブローまで書いた。
国はただ勝利の歓喜に酔うことしか知らなかった。
しかし、彼は国内での反省の言葉まで記した。
二つの拳から始まった物語はここまで発展したのだ。

「妻への義務」
ヨーロッパ中世においては、どんな女のからだを見ても「妻への義務」を果たすというゲームほど成功した文学はなかった。
結婚生活には必ず敵がいたし、それに共鳴する人もいた。
結婚生活には2人の敵が存在したのだ。
だからこそ結婚生活が「仕事」として成立した。
「もう2人は破綻しているらしい」という噂を流すのもこの「敵と共鳴者」の2人なのだ。
私も彼と結ばれる可能性があるのかしら?
あるわけないだろ。
これがテーマだ。
それでもあるのではないかしら?
キリのない議論だったから文学になった。
破綻する兆候が見られたら女たちは一気に攻撃に出た。
男も何かを証明するがごとく結婚生活を続けたのだ。
「他の男はどうしてるんだよ」
男たちは考えていたのだ。
破綻したらしいというメッセージを投げる側、受け止める側、言わせておけという側、社会の仕組み、真実とはなにか、そして言い訳。
この六つが一気に動くのだ。
噂も否定してくれないのならばお別れね。
松田聖子 ハートのイアリング。

敵が「アトランタはペンシルバニア州の首都だ」といえば共鳴者は認めるし、
「アトランタはメーソンディクソンラインの南にある」といえば共鳴者は相手に譲るし、
「ペンシルバニアの首都はメーソンディクソンラインの南だ」と言っても共鳴者は妥協する。
これで噂は時間切れだ。
しかし、共鳴者が全て否定することが通常だ。
それでも噂は時間切れだ。
今までやったことのない議論を共鳴者が認めることは、もはや「予言」であり、男は認めなければならないことがあるのだ。
結婚生活の敵がどれほど「特殊な情報」を出すが次第で共鳴者が呼応して、2人は別れに追い込まれる。
関係を持ってしまったかそうではないかに共鳴者はそれほど敏感なのだ。
「何のための議論をしているの?」
「今後どうするつもりなの?」
共鳴者は冷静に聞いた。
奥さんへの義務とは何かを共鳴者は考えていたのだ。
よく話を聞いた上で2人を守るかどうか決めるの。
ライオンの尻尾を足だと言ったり、足の数が5本だと言ったりするほど簡単にわかるの。
瞳はダイアモンド 松田聖子。

ヨーロッパ中世とはアウグスティヌスからデカルトまでの間のことを言う。
セックス崇拝は確立したアウグスティヌスから、女たちが性の経験をめぐって国を分けるまでのことだ。
その間に、スコラ哲学が誕生し、キャンパスライフというものも生まれている。
男女が活動を共にして恋愛をするというキャンパスライフは、当然、セックス崇拝を背景にしたものだった。
ルネッサンスが9世紀から11世紀の間にあり、もはやいくら勉強しても処刑されないというローマ帝国の王室の空気が支配した。
モーゼ五書などの旧約聖書は、キリスト教徒から「ユダヤの書物」と呼ばれ、新約聖書は、プロテスタントが復刻したものだ。
マカベア書8:14ー16では「王はセックスを熟知している」とされたし、サミュエル記1:14ー16では「女たちは夜の手ほどきは教わらなければわからない」としていたことからキャンパスでも口説き文句や恋愛論を教えていたのだ。ローマ人への手紙13:1-5では「大学の前には剣もむなしい」と語られた。
コリント人の手紙7:20-22では「環境に磔にされてもセックスの時だけは自由だ」と記され、ガラテア人への手紙3:28では「ユダヤでもギリシャ人でもないものは自由であろうとなかろうとどの男もイエスに似ている」とした。
ペテロ2:18では「主人に仕える妻はセックスと優しさを恐れ、将来を恐れる」としたし、
エフェソス6:5は「間違いを犯す男だから王になれないのだ」とした。
奴隷というものがなぜ生まれるのかを聖書は説明していたのだ。
片思いの終わりに。

イエスは「金持ちが天国に行けると思うな。貧しきものに施せ、人間に鋭い眼差しを向けろ」とマタイ19:21-24で語った。
使徒行伝4:32ー35では「どんなグループでいじめがあってもみんなおちんちんがついていて富を奪い合っている」とした。
マタイ5:39-44においては「悪に抵抗するな。右の頬を叩かれたら左の頬を差し出せ。敵を愛せ。あなたを憎んでいる女を抱け。そしてあなたのやるべきことを実行しろ」と記し、セックスこそが仲直りの秘訣であることを語った。
マタイ20:25ー26では「父である君主がセックス崇拝を見失った時に王子が台頭してくるだろう」とした。
マタイ23:8ー10では「いじめっ子が主人だったのかいじめられっ子が主人だったのか見失うだろう」とされた。
コリント5:12ー13では「女は男なしで感じるだろうか。男がいなければ神が感じさせる」とした。
これらの聖書の素養がキャンパスライフで教えられたのであり、アウグスティヌス以来、常にセックス崇拝が政治として用いられたのが中世だった。
ストイシズムとプラトンの詩が男女の関係の深刻さを伝え、「学問をやるためには立ち入らないほうがいい世界」を教えた。
なぜなら奴隷とはセックスの過ちによる罰であったし、それでいながら奴隷たちをコントロールするのは聖書だったからだ。
モーニング娘。 リゾナントブルー。

アウグスティヌスにとって、常に「二つの世界」が存在した。
地上と天国であり、地上で引きこもって勉強してある自分と、いつか自分の研究が日の目をみる天国だ。
これが「神の国」であり、地上にいた頃は汚らわしいとしか思わなかったセックスというものが、学が進むほどいいものに思えてくるというものだった。
「なんだ、みんな法則にしたがっているではないか」
小さな船を盗んだら泥棒と呼ばれるが、巨大船を奪ったら皇帝と呼ばれるだろう。
そのようにしてキャリアを積んだのだ。
中世の政治学はストイックだった。
政府のメンバーになるまで男女の関係を学び続けて、神が人間に何を与えていたのかを悟るのだ。
「この世を支配してあるものは何か?」
学ぶのに時間がかかった。
旧約聖書では「イスラエルを守るために虐殺しろ」と語っていた戦争についても、新約聖書ではセックスに対する寛大さと、兵士に憎まれない指導者が描かれた。
ルネッサンス以前は、このようなセックス崇拝を正確に理解し、影響力を増したものは「王の地位を望んでいる」として処刑されていたので、ルネッサンスは明るかった。
アウグスティヌスから9世紀までまったく書物がみつからないダークエイジだったのだ。
王子だけが「一子相伝」として教わっていたのだ。
なぜ人間が奴隷になるのか?お金はどうやって集めるのか?
ローマ法が知りたければ女に脇目も振らず勉強しろ。
教会法が知りたければ女と楽しめ。
国家と教会はこのようにして分裂した。
皇帝は両方学ばなければならなかった。
ローマ法で土地の所有権を認めても、女の問題からそれを失うことがあるだろ。
ローマ法はイノセントだね。
ribbon 愛してジャステイス。

キャンパスライフを信じたのはイスラムとユダヤだよ。
作業を共にしているうちに男女のカップルができるんだ。
男らしさを感じる時があるんだろうね。
男らしさは社債であったし、女らしさは株だった。
800年にシャルルマーニュにレオ三世がローマ皇帝の冠をかぶせてから1806年まで神聖ローマ帝国は続いた。
社債と株をうまく使いこなせる地位にあった。
ローマ人の手紙13:1は「神の力だね」と語った。
皇帝はとにかくストイックだったんだよ。
ローマ法を学んで金が集まるのか?という問題意識から民法も生まれた。
ローマ法が教会法に頭を下げたのだ。
ガイルの力によるカノッサの屈辱だ。
パリスも教会法の強さを認めていて「永遠の法」と呼んだ。
しかし、ローマ法は男らしさを、教会法は女らしさを示すものとして皇帝は使い分けていたのだ。
ヨーロッパ中世の空気はこんな感じだよ。
男と女のララバイゲーム。

セックスした男女には12人の証人(十二使徒)ができるというヨハネ22世の考えにはパドゥアが異論を唱えた。
恋人たちは誰にも言えない秘密を抱え込んでいるとしたのだ。
セックスという事件に十二使徒ができないではないか?
このことを「ペテロはローマには入れなかった」と表現するのだ。
これだけでもパドゥアは「聖書の間違い」として語り継がれた。
俗世の権力は教会法をこのようにして攻め立てたのだ。
when a woman loves a man.

オッカムのウィリアムは、誰も所有しないでものを消費することはできないとし、土地というものも女に奪われるものではなく「減価償却」されていくものだとしてヨハネ22世のを批判した。
物の減価償却とは女によって蝕まれていくプロセスを言うのであって、ものや土地の価値がだんだんコミュニティに拡散していくこと意味した。
所有者の意識もそんな感じだったのだろう。
オッカムの指摘を受けて、教会の側も委員会を開いたのだ。
アウグスティヌスがセックスを神聖化してから、ローマ法がこれを取り入れていく過程が垣間見える。
love is cash.


シュレーゲルは、このような男女の背景にある真実をひたすらぼやかしながら詩にする作業に没頭した。浪漫主義の誕生だ。
一気に「男女の別れビジネス」は拡散していった。
詩の天才たちがこのテーマに飛びつかないわけがなかった。
「表現が上手ければ版権はお前のものだからな」とシュレーゲルは講義で熱心に語った。
シェークスピアシアターでは「こういう詩を聞くと死ぬのが怖くなくなるんだよな」と人々は語り合った。
中世のハートをドイツ浪漫主義はすべて引き受けたのだ。
CoCo 優しさに帰れない。

これがドイツのロマンティックムーブメントであり、女性たちを魅了したのだ。
表現が多様化して、作家たちは署名していった。
アートは心に響くことと、リスナーがより良いからだになることを目指していた。
中世の文学を讃える歌だったのだ。
中森明菜 リフレイン。

知的であること、抜け殻になること、そして生きていく力になること、この三つの要素をカントは指摘している。
内臓に響いて、鏡で顔をまじまじと見てみる女がいた。
「アートは学問を真似している」とも言われた。
モダンなテクノロジーはやりたい放題だな。
別れの時の無限を有限なものにして事件を終わらせようとしていたのかもしれないね。
しかし、女としての無限を感じていた。
浪漫主義のハートは素晴らしいね、と人々は語り合った。
CoCo さよなら。

セックスという「事件」の後の日常は多様なものであったから、そのことを詩にすることにしたのだ。
杏里 オリビアを聴きながら。

花は永遠ではない。根っこは花を永遠には生かさない。
こんな気持ちになったのだ。
これをテーマにしたことから、作家は彼が知っているものよりも知っていることになってしまった。
モーニング娘。 インディゴブルーラブ。

鏡というものを女が意識する理由が見つかったのだ。
男は、この女心を知ることでより芸術が好きになった。
男にとって「人生の後悔や悲しみ」はそれだけではなかったからだ。
俺たちの知らない世界を見れた気がしたんだ。
ドラマもオールドコメディも、遠い世界の話の方が面白かった。
ハーモニーも詩も競い合ったのだ。
演技も使ったし、踊りも活用した。
もっとも完成されたエンターテイメントだったね。
ribbon Be my diamond.

シアターのあり方も学問と政治次第だね。
いろんなクリエイターが生まれたよ。
踊りも単なるパントマイムに見えなかったよ。
地球で生きるためにみんなは何に飢えているのかを知った。
落ち込むことを忘れたいんだ。
言葉の起源というのはここにあるんだよね。
「比喩」なんてのはそうやって生まれたのだ。
口説く事よりも女の心の救済の方が大事だったのだ。
夕暮れ時の光の中で言葉は生まれている。
詩人の才能がここに集まったのだから当然とも言えた。
人間は鳥のつがいではなかった。
鳥のさえずりではなく、はじめに言葉があった。その次にサウンドがあった。
また、言葉は人間とともに変わっていった。
rebbcca trouble of love.

言葉は低いところからより高いところへ。
詩人がやったんだよ。
女の心の救いに絶対的な言葉はなかったから「神話」のような表現がたくさん生まれた。
詩の素晴らしさはここにあったのかとみんなが思った。
シュレーゲルは、民族が生み出した言葉の土台がなければ翻訳って無理なんじゃないかな、と考えるに至った。
民族の「男たちのハート」がなければ外国語を自分の国の言語にすることは不可能だった。
女の心の救済に絶対的な言葉はないというところから「表現の曖昧さ」も生まれていた。
このことから「言葉のナショナリズム」が生まれたのだ。
子供たちは、国語教育で「表面的な美しさ」を追いかけるしかないという現実に直面した。
ribbon サイレントサマー。

アマテラスに髪飾りを捧げる(玉串)とは案外そのような「言葉を捧げる」ということなんだ。
それが神話になっているのだ。
しかも、学問はすべて言葉で行われるだろ。
ナチズムもドイツ浪漫主義に共鳴していた。
喜びとともに言葉というものは作られてきた歴史がある。
CoCo なぜ。

ローマン・インガーデンは、このような作品を書いたものは自分の終わりが世界の終わりだと考えていること、そして、失恋ソングにだけは人間がひとつになれることを知った。
「言葉に何ができるのか?」を理解したのだ。
特殊な才能を持った詩人、哲学者と、若きマルクス主義者は明確に対立した。
男女の本気の恋愛を味方につけたら人間はひとつになる。
男が他の男に勝る、それはもはや共産主義ではなく、ドイツ観念論哲学だった。
「失恋」「離婚」
一言で言えることに、女心を知ること、そして自分の世界を広げること、何のために歌ったり議論したりしているのかを知ること、そして物事の考え方のすべてが凝縮されていることを知った。
松田聖子 風立ちぬ。

インガーデンは、ソビエトがどれほど腐っていたかをポーランドで知り尽くしていた。
女を共有して、失恋しても唾を吐くだけの連中だった。
「女の心はもっと大きなものだろ」
「お金だろ」
女が自立しているという発想は女を小さく扱うものだった。
みんなが世界で生きていることを経済に変えない国はなかった。
Melody Oh please.

いろんな男に女が出会う、これが繁栄だ。
インガーデンは哲学者として男を磨いて女の支持を得るドイツ観念論よりも、現実社会の「虚しさ」を発信した方がいいと考えるに至り、「文学とは学ぶものではない」と言ったのだ。
悲しい曲を歌う左翼に共感していたのだ。
女に追いかけられる新カント派よりも「人間がどうしても譲れないもの」を理解した方が「その男の本音」を知ることができるとしたのだ。
中森明菜 難破船。

世の中の学問は20世紀にはもはや失恋だけではなくなっていた。
しかし、女が何を考えているのか?どのような考え方をしているのかを理解することが必要だった。
世の中の戦いの現実と、女の失恋という心の問題、変わりゆくもの、そして変わらないものを知らなければならないのだ。
戦っている男は、その矛先を女の失恋に向けるのは目に見えていた。
女の失恋の意味を知っている男はモテたし、その気持ちへの尊敬の心を持っていた。
失恋というものは儚い合格点であったし、人に頼りたい時であったし、他の女が生き生きする時であったし、同情してくれる時であった。
若い時の男の知恵比べってそんなレベルだよ。
酒井法子 All right.

表現が多様化しただろ。
どのような関係にある失恋ソングか分からないだろ。
みんなが中世の原点を見失ったのだ。
カップルには敵が二人いるということを見失った。
それでよかったのだ。
カップルを邪魔する女たちすらそれを見失ってくれたのだ。
それほど多様な言葉のクリエイションがなされた。
戦国時代の人間はここまで言葉は豊かではなかったし、論文すらなかった。
アリウス派だのアタナシウス派だの、イエスキリストはただ気持ちいいセックスを考えたに過ぎないことを知らなければならない。
言葉の計算力が一気に高まった。
女の失恋という悲劇、そして譲れない夜、さらには平和な気持ちの調和を取りたいがために言葉の計算力が高まった現実がある。
文学が発信源となって、音楽作品や絵画、建築物などの計算力も高まったのだ。
瀬能あづさ 永遠に友達。

20世紀以前の文化が必ずしも豊かではなかったことは残念ながら認めざるを得ないのだ。
「戦い」と「心」だけはテーマは変わらなかったけどね。
絵画の意味を語るようになったのも20世紀なのだ。
ただ感じたいだけのために描いていた絵画の意味を語るようになったのだ。
建築も、男が「見る人」に何を訴えかけようとしているのか、何を意図しているのかなどの表現が豊かになった。
さらには、「男がどのように美しいのか」という表現まで見つかった。
そのようにして、言葉の計算力を高めた上で、昔の絵画などを研究してみた現状がある。
古文書の研究もそのような基本を踏まえる必要がある。
大阪パフォーマンスドール カーニバル(3:50から).

中世のキャンパスライフに、「必要な男」「代わりの男」論争が広まった。
みんな若さを無駄にしていたので「必要な男」が他の女と関係を持ったら、もはや二人を守ってくれる女はおらず「二人は別れているらしい」という噂が飛び交うことだけをキャンパスライフで感じてくれればよかったのだ。
この法則だけは永遠なんだな、と言うことだけわかればよかったのが若さというものだった。
女の話をする男は損しているなと思う男や、よりスタイリッシュさを求めて女の話を一切しない男も体育会にはいたが、このことを理解していない男は人事でも不遇をかこった。
あるいは、男社会で一心不乱に精進する男もこのことを語れるようになればよかったのだろうか。
若い時はセックスがすべてだった。
彼の心の風景にいつまでも想いを寄せる女もおらず、女はうさぎのように弱くはなかった。



男は黙って迷宮入りして昔の女と今の女の間を行ったり来たりして体育会での弱さを露呈する。
女の「二人の可能性」はアリストテレスの「二つの石の拳」のように男を壊した。
「僕は人の壊し方を知ってるんだ」(はじめの一歩・唐沢)
アーロン・プライアーはこれを見ながら対戦相手を選んでいた。
セクシー8 幸せですか。

もう彼の心にボクシングはない。
女で予測していたんだよ。
男は勃起は一人の女にしかできない。
勃っているものは元に戻ることができるが、他の男の勃起まで心配し始めたら終わりだ。
二人の女を選ぶとはそういうことだ。
胸を揉みしだいたから気になって仕方がないんだよ。
前向きなものが残らないんだ。
SPEED Luv branket.

女がぐちぐち歌うからやってられないんだよな。
俺を壊そうとしているんだろう。
テレビを見るたびにダメになりそうなんだ。
頭の中に混乱が起きるんだよ。
13世紀にはそのような女の文化は確立していた。
譲れない夜があったから傲慢さと慈悲、友情と敵、恥と栄光、喜びと失意、従属と支配、希望と絶望、注意深さと愚かさの対極が生じる。
疑う余地のない正気を保って、知的な野獣として「力とは何か?」について考えた。
おちんちんがどんな悪をもたらしているのだろうか?
人間というのはこんなにも耐えられないほど自由なんだよ。
動けるということは「休んでいた」という意味だ。
傲慢な人には友達もいなく、相いれないもの同士が爆発するしかなかった。
SPEED 蒼いリグレット。

三位一体、つまり三人組で追い出しを仕掛けるものを「ソウル」と呼び、三人組全体を「ボディ」と呼んだ。
何が違うと思う?
情報なんだよ。
ボディ全体の魅力を見ながら、女たちはソウル(天にまします父)を崇拝した。
はじき出される男はとにかく魅力的なんだ。
ソウルは眠っているようだった。
女たちは眠っている男とはセックスしたがらなかった。
なぜ、父と子、聖霊と呼ぶかというと、父よりも子の方が時代に恵まれているからなのだ。
父(ソウル)は眠っていた。
ボディ(三人組)ではいろんな音楽を共有していただろう。
知的な感じ方をする奴(聖霊)は追い出されるよ。
知的なレベルが違うと判断されている。
三人組(ボディ)で、誰が眠っている父(ソウル)かを考えて、とにかく父とセックスするのを避けて、追い出される聖霊を狙うんだよ。
SPEED Body&Soul.

アントイン・アーノルドは、カトリックがなぜ「処女」を重視するのかを考えた。
神について考えるのにちょうどよかったのだ。
ジャンセニズムだ。
アーノルドは「ホーリーマイトレイヤー」と呼ばれ、ソルボンヌで有名になった。
17世紀のことだ。
女たちは神を取り巻く天使でも、物事の道理がわからない悪魔でもなかった。
哲学を学んだ男に初体験を許すのは、まるで他に知的な男を知らないようだったのだ。
「お金目当てだと思われるかしら?」
もし、彼が知性に欠けるのに私の胸が熱いのならば私は悪魔ね。
女の間違いがポートロイヤルで指摘されていた。
シナプスが悪魔の反応をしてしまったらどうしよう。
まるで父(ソウル)にときめいてしまうほど悪魔になることがあるの。
天使は無邪気に男の知性を信じ、他の男の知性を知らないほど世界が狭かった。
「私は永遠の真実が知りたいの」
高橋由美子 天使か悪魔。

「誘拐」
ティムとハリーは友達だったが喧嘩別れした。
しかし、別の日に一緒にジョギングをしていた。
家の中には夜中に食事を食べた後が散乱していた。
「お金が動いたな」
このことを、演繹でも帰納でもなく「誘拐」と呼んでいたのだ。
女と話すことを帰納と呼び、学んだことを女に話すことを演繹と呼ぶ。
ビジネスパートナーであるティムとハリーは、このことがうまくいくだけで仲直りできる。
海王星が8番目の惑星として「求心力を持っている」とされるか、トムソンが電子を発見したかの問題が「惹きつけ合う人間同士」にはある。
喧嘩別れしたら女と話すことだ。
遠く離れていても時間を共にしている(特殊相対性理論)。
その間に、演繹と帰納をフルに活用することだ。
北朝鮮の拉致問題とは「日本人女と仲良くしてアメリカに接近する」という政策のことだったのだ。
反則があるならば「悪いギャンブル」になるね。
しかし、「男たちの見方」はまるで違うことを知らなければならない。
2007年にロンブローゾが指摘するまでは分からなかったよ。
通常の経験とは異なるデータだったから真実の方を優先させたんだ。
いろんな意味で敵の多い議論だったけどね。
女の子のセックスが歴史に格上げされてしまうんだよ。
酒井法子 微笑みをみつけた。

永遠の文学とは、「必要な男であること」「女とのツーショット写真を見せられたら奪いたい男であること」「考え方を知っている男だったこと」「事件を一緒に解決したことがあること」だ。
二人の出会いは女だけの記憶として残った。
出会いのエピソードがなければカップルは発信力をもたない。
「なぜ彼が必要なのか?」
言葉にできる人だったのだ。
噂とは違う人だということを私だけが知っていた。
噂が大きいほどその実像が愛せたのだ。
あべこうじ 高橋愛。

また、文学の伝統は「二人の女の比較」でもあった。
どちらかが間違っていて、どちらかが正しかった。
その中間は想定していない。
この描き方も永遠だったね。
女にとっては生きるか死ぬかだったからだ。
「不安感が拭えないな」
これだけで女が太っていくのを見た。
酒井法子 さよならのかわりに。

30年戦争が終わって、女たちの性の経験でヨーロッパの足並みが揃った時に、シラーはベートーベンの第九に合わせて歓喜の歌を作った。
カントはドイツで美しい女たちを生み出していたし、美しさは心にまで行き渡るようになっていた。
自由に恋愛ができる、みんな同じようにやっている、それだけでも女たちは歓喜した。
それは、失恋の悲しみよりも喜びだとシラーは考えていたのだ。
おちんちんに与え、そして受け取る、そんなことも戦争をしなければできなくなっていたからだ。
良きサマリア人は、医者として女たちの経験を単純化できたことに喜んでいたし、国に理想のビーナスができたことにも喜んだ。
美しい女ってなんだろう?
失恋を知っていて、それでいながら美しいからだを維持していたのだ。
三位一体のいじめに遭ってももはや美しいと思えるのは人々の共通認識があったからであり、いじめのみっともなさを知ったドイツの人々は歓喜の歌を歌った。
歓喜の歌。

長続きしない愛を知ったのは、ドイツの宝だったし、フランスにはないものだった。
失恋ソングを知らなければ死ぬのが怖いだろうという誇りもドイツにはあった。
失恋ソングという巨大な富をドイツは得たのだ。
人間はこれ以上、高くは飛べない、それが分かったのだ。
これ以上、女は苦しめない。
自分がいちばん可愛いはずの女がここまで苦しむのはまさに芸術だった。
失恋ソングがなければニーチェものちに死後の世界を否定できなかっただろう。
他の男の知性に男が負けるというカサブランカものちの戦争で用いられることはなかっただろう。
中森明菜 リフレイン。

女たちは「これで友達ができる」と思った。
同じところが痛む人がいたからだ。
セックスとは神からの贈り物だと思えた。
女だけの文化の誕生だった。
感受性の強い男たちもそのような作品を愛してくれた。
からだを鍛えた後に、男は失恋ソングを聞いてみてね?怖いものはないはずよ。
女が本当に苦しんだことを忘れないでね。
女の失恋の意味を理解する男は男らしかった。
気持ちのいい国だった。
失恋した女はフランスに行きな。
ドイツにも失恋はあるのよ。
女の子の思春期の鬱にも救いになる音楽作品だった。
天真爛漫な詩はもうどこにもない。
自分がいちばん可愛いはずの女たちにゲーテやシラーが詩を送ったのだ。
「これ以上、偉大なテーマはもうない」
マルクス・エンゲルスは、このことと「若い女をみんなで共有したら何が起きるか?」という問題と向き合うだけだった。
モーニング娘。 インディゴブルーラブ。

男が二人いれば普通はブロックされて突破できない。
このような場合は「強い方を狙え」と言うしかない。
それだけで周囲の計算が変わってくるのだ。
二人の女にアプローチしてみても落ちないだろ。
この場合も「強い方を狙え」と言うしかない。
弱い方が引くことがあるのだ。
強いとは当然、「美しい」と言うことだろう。
メッシ ドリブル。

全米メディアは「マークすべき人物」にまで嘘の報道を流し、地元チームの応援をした。
プレイの全体像を見渡していたのだ。
女性の声援を誤った方向に導けばいいだけだった。
二人の相手がいたら強い方を狙えと教わっているからだろ。
女たちはゲームの本質が見えていなかった。
そのためフットボールのプレイにまで利用されたのだ。
いかに弱い方に声援を向けさせるかが大事だったな。
男はそれを潰そうとするからね。
女性の声援が向けられなかった強い方の男が力をつけていくのがわかった。
メディアはチームを分析し、一緒にプレイをしていたのだ。
何が起きているのか分からない世界では常にこのようなことが行われていた。
「男の世界」「女の世界」がひとつのプレイに表現された。
弱い奴に金が流れることになりかねない。
強い男には動物のような扱いが与えられた。
しかし、動物ではあっても「複雑さ」からは解放されたんだよ。
動物は自由に恋愛もできないんだ。
罪のない議論だとは思わないでくれ。
チームが勝つためにやっているんだよ。
アメリカンフットボール。

2017年4月 5日 (水)

音楽。

ピュアミュージックもあれば、セックスを歌ったノンピュアミュージックもある。
音楽ほど難しい哲学はないと言ってもいい。
どれほどセックスの核心に迫るかという前衛音楽もある。
Yoko Ono Toilet Piece.

ピュアミュージック。
ショパン 別れの曲。

ノンピュアミュージック。
富田靖子 さびしんぼう。

感情を刺激するのが音楽だとすれば、それにセックスを乗せるのは当然だっただろう。
しかし、オノヨーコは、前衛音楽という到達点を示した。
狙うこと、みんなが聞くこと、ピッチやリズムの基本を踏まえていること、これが単なるサウンドアートとは区別された。
サウンドアート。

サウンドアートはつまらない。そのようにしてみんな音楽に戻っていった。

音楽は「女の心の風景」と深く関わっている。
まず、リスナーを男と女に分けることから始める。
春の感じ方が違うからだ。
いきものがかり Sakura.

スポーツ界の「春の珍事」とは女のマネーが撹乱しているものと思われる。

お兄さんやお姉さんが歌っているのが音楽だ。
はかないもの、おとぎ話、この二つが女にはあるのだ。
おとぎ話は真実でなければならなかった。
女心を知ることが音楽なのだ。
完成度と方向性を女は見ている。
完成度とは「感じること」であった。
深刻な場面を作り出すことも重要であった。
また、レコーディングしなければ人々の記憶には残らないことも知る必要がある。
レコーディングしたらリスナーは「逃れられない」からだ。
ロックもレコーディングしなければ演奏でも盛り上がらない。
作曲家が作った通りに行動することが必要であり、「行動」さえあればアーティストが解散しても同じことだ。
しかし、常に新しい「種やクラブ、言葉」が生まれてきて、なかなか作曲家が思うような「行動」は期待できないものなのだ。
肉体によって表現されるものが音楽だからだ。
常に新しい詩の表現方法も考えられていく。

女が快楽主義から失うものは少ない。
中森明菜 1/2の神話。


しかし、快楽主義から失うものは少ないことを別の表現で示すことがある。
CoCo はんぶん不思議。


どんなヤリマンも半分は純粋さを残している。
小泉今日子 半分少女。

お金を払ってしまうと信者の「代替わり」は確実に進んでいく。
男も神ではない。
プラトンはそのようにして「詩の教祖」となって忘れられていった。
この「代替わり」まで研究したのが「複雑なプラトニズム」である。
常に消し去る側と覚えている側の二つがある。
覚えている側にとって、新しい作品はもはや心には響かない。
背景には「女のからだがどんどん老いていく」ということがある。
新しいものを信じられるのか?
男も女も「女のからだ次第」で昔の作品を楽しんでいるのだ。
しかし、「作品の謎を解明すればその作品は永続する」とも言われている。
バッハのブランデンブルク協奏曲をハープシコードで演奏するのかグランドピアノで演奏するのか、というような議論の基盤ができるのだ。
作り手も聞き手も同じことを考えるようになる。
完成度とはこのような議論だ。
聞き手が注目する「瞬間」が作品にはある。
歴史の文脈を把握する研究は確かに成立する。
しかし「聞けばわかる」という立場もあるために難しいのだ。
チケットの分厚さだけを競い合う連中がいて研究は困難だろう。
本物が歌わなければ完成度は部分的なものに終わるよ。
もっとも技術に満ちていたからね。
SMAP.

音楽はパフォーマンスではなく、CDなどのコピーが大事だという議論は確かにある。
しかし、ライブパフォーマンスが大事だということはジャズの側から証明されたのだ。
構成などの即興が入る限りライブパフォーマンスの重要性は失われない。
リズム、メロディ、ハーモニーが複雑に混ざっているのが音楽だとするのか、ピッチとリズムが重要だとするのかは、ライブパフォーマンスをどこまで重視するのかという議論なのだ。
また、その作品を誰がもっとも正確に理解しているのか?という観点も重要だ。
どれほどその作品に心地よさを感じているのかという指摘なのだ。
アーティストがその作品で間違いを犯した回数などもライブパフォーマンスの重要性に味方するだろう。
「本人が歌う」というのは女が想像する以上にメシアだとも言われる。
CoCo 夢だけみてる(CD音源).

また、人生の悲しい時を共にすることもアーティストが記憶に残る理由だとされている。
女の悲しみは記憶に残りやすいものだ。
作曲家が女を記録に残しているんだよ。
どんな悲しみかは想像もつかない経験をリスナーはしているものだ。
明るい作品だけを覚えていることはない。
人間の分からない領域は悲しみにしかない。
表現というよりも詩を聞いてしまうのも悲しい曲だ。
CoCo 優しさに帰れない。

一方、恐怖に満ちた曲は聴衆の経験から恐怖を蘇らせることがある。
戦場でのスネアドラムとともにこの恐怖を引き起こすことができるのだ。
あくまでも戦場にこだわっている。
男の五感の作用と意味を探求したテーマはこれしかない。
強く儚い者たち。

葬送行進曲は、時に喜びを表現したりもするので、曲の悲しみと女の感情は異なる側面がある。
これも「いきいきとした経験」に由来するものだろうね。
想定外のリアクションを聴衆に引き起こしていることになる。
人々の怒りや興奮や愛を対象にするテーマであるために作曲家は苦痛を感じただろう。
葬送行進曲。

一方で、失恋ほど純粋に音を探求できるテーマはないだろう。
結婚とは何か?を人々は考えるからだ。
婚前交渉を人々はそのように考えていた。
CoCo さよなら。

ピュアミュージック(クラシック)に関しては、詩がなければフィクションも悲劇も作れないではないかと言われた。
悲しい曲を聴いて「悲しくなれ」とリスナーには言えない部分がある。
男が作り出す「雰囲気」を楽しむことはできる。
犬と暮らした方が鬱の男と暮らすよりマシだ。それで犬と暮らしたいのか?
男と暮らすしかないではないか?
そこで「男のイメージ」を膨らます意味合いがある。
情念系も応援ソングも「効果は同じ」とも言われる。
惨めな女にとって「死」というものは歓迎すべき同情なのだ。

動物はステレオの音に驚くだけだよ。
音楽の空間にトーンとピッチだけがあるという人もいる。
その空間に個人を晒しているとするのだ。
将来が予見できればいいと考える者もいる。

音楽作品と女の局部の関係は密接なつながりがある。
快楽を作品に求める以上、当然だろう。
どの女の局部も最大限の評価をする。
お兄さんやお姉さんが歌っている作品だ。
このことは音楽に負うところが大きいね。
急進的思想だね。
一番大事な人はいないと言ったという意味ではね。
音楽による祝福だよね。
女を口説くために曲を作る世界の謎なんだ。
世界にひとつだけの花。


映画。

民法の基礎。

1950年代から1960年代にかけて、アメリカの黒人の間で「金とセックス」の問題が提起され、議論がまとまっていった。
20世紀中頃までには民間のお金と政治資金は明確に区別されていった。
19世紀までは金持ちが私財を政治資金にあてていたのだ。
人種や肌の色、性別、宗教によって口説き文句が異なる。
彼らにいかに「口説き文句」を拡散させるかが「市民の富」つまり財産法の問題なのだ。
フェアなゲームであることと約束の世界に男女を導くことが必要だ。
自由で対等。つまり女を自由の世界に連れていったり、性の屈辱を女性に与えないようにしたり、食べ物を得られるほどの男の器を作ったり、安全を約束するだけの力のある男であることを示したり、健康であるためにはどうしたらいいのかを語ったり、からだを売るということの意味を語ったりすること学問が富につながる。
文章だけで富が約束されるのはこのテーマだけだ。
古典的にはそのように考えられていた。
第二世代は「他の人はあなたのことをこう考えているよ?」ということを語った。
それが自由で対等であることを意味したからだ。
人々の「文化の違い」に着目したのが第二世代だった。
しかも彼らに「あなたは安全なんだよ」と教えた。
第三世代は、彼らの独自の生き方にエネルギーを与えることで富を得た。
少数派に常に寄り添ったのが第三世代だった。
カナディアンチャーターは、細分化された社会において彼らこそが多様な文化を作り出し、人間の永遠を約束するとしてこのことを明確にした。
文化的マイノリティが自分の財産を持つこと、そしてメインストリームに常にメッセージを与えること、さらには自由に活動できることを明確にした。
第三世代にはセックスに関する悩みが多いのには驚いたよ。
彼女たちにこそ医学が必要だったし、税金が必要だったね。
社会の免疫力を高めたのだ。
セロリのキス、ハッカのタバコ。

支配的な文化の脆弱さを知らなければならなかった。
文化的マイノリティが法律を作っていたり、政治を行なっている現状を理解しなければならない。
「誰が文化を発信しているのか?」
それは案外、文化的マイノリティだったのだ。
文化的マイノリティ学問が「上流階級」を形作ってきた歴史もあった。
そしてその地位を永遠に守ろうとしたのだ。
多数派工作は自由だった。
セックスをどう思うか?どうすれば感じるのか?
二つの力量が試された。
人種差別と性差別は密接に関わっている。
何が白人社会のピラミッドだっただろう。少なくともゼックス崇拝ではなかったはずだ。
神が与えた序列というものがある。
しかし、アメリカ合衆国は「全人類平等」を目指し始めたのだ。
コッペルマンも、もはやセックス崇拝の呪縛からは逃れられないと悟った。
コーカサスでも2001年に女を独占する暴君の排除は決めていたし、2015年にボーイスカウトでゲイの容認を決めている。
第二世代、第三世代が生まれたら格差が生じるのは当然だった。
それは「選ばれている」ことを周囲が潰そうとするリアクションに当然ともなうものだった。
女は男ほど教育を受けてはいない。
そのために「格差是正」というものは絵空事にしか聞こえなかった。
家のボスがいなければ文化は多様化しなかっただろう。
家庭内の文化がフリーセックスをどう考えているのかを決めた。
ジムクロウ法はフリーセックスを容認し、マイノリティである黒人を上流階級ではないと位置付けた。
アメリカ合衆国の黒人戦略だったのだ。
1950年代から1960年代にかけて黒人愛国主義運動が広まった。
フリーセックス文化から富を生み出そうとする黒人がたくさん生まれた。
ドクオブザベイ。

白人社会に溶け込もうなんて夢物語だったよ。
フリーセックスを標榜して上流階級になっても認められるわけがなかった。
1968年にインディアン市民法が成立し、フェアプレーや言論の自由、残虐な罰の禁止をインディアンに求めたが、これも文化の免疫力を高めるためだったのだろう。
だんだん議会の視野が広まってきたし、フリーセックスに対して親のような眼差しを向けられるようになっていた。
19世紀までにはアメリカ原住民の支配は崩壊させられていたため、1960年代の黒人問題だけが残っていた。
どんな考えを法律家は持っているのかが問われたのだ。
フリーセックス女が部族の外で結婚するとどんな差別があるのだろうか?
文化はひたすら考えざるを得なかった。
子供はフリーセックス出身の母と言っただけで壊れてしまうものだったのだ。
これがアメリカ原住民の問題だった。
サンタクララ事件ではとうとうアメリカは「フリーセックスの国」という立場を明確にした。
この事件では、部族の外の男と結婚した女がいた場合、男を部族のメンバーに加えるというものだった。
フリーセックス文化のメンバーにアメリカ市民を巻き込んでいいとしたことからフリーセックス容認と解釈されたのだ。
白人層は常に「親のように」マイノリティと向き合っていたのだ。
愛が止まらない。

ヨーロッパのキャンパスライフにおいては、学生街(ゲットー)などでフリーセックスが横行したが、社会は学生に寛大ではなかった。
しかし、学生の文化は明るさに満ちていた。
地位も保障されていた。
フランス革命の温床にもなったのだ。
フリーセックスのイケメンはヤングヘーゲリアンと呼ばれ、マルクスに影響を与えた。
学生たちはマルクスにかぶれるようになった。
18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパのキャンパスライフのあり方もアメリカ合衆国に影響を与えていたのだ。
「どうやったらお金が儲かるのか?」
これが民法だとするならば、学生はお金儲けのために非常にいい立場にいることがわかる。
シーッ.愛はお静かに。

1965年に選挙法が作られ、静かな革命が進行していた。
修正第15条においても肌の色は関係がないとされたのだ。
ホームズ判事も「これで我々は重大な間違いから逃れられる」としていた。
法廷で何を裁いているのかを人々も知るだろうと考えたのだ。
その前の5年間で緊縮財政を敷いていたのも大きかった。
文字が読めない人もセックス裁判には興味を持つだろう。
ロバーツ判事も「選挙権があるのならばマイノリティへの眼差しも自ずから変わるだろう」と考えた。
シェルビーコートはこのような判事たちで占められていた。
世の中があなたのことをどう思ってあるのか分からない、という第2世代の問題に対して「選挙権がある」との回答を出したのだ。
ギンズバーグ判事も「議会が痴話喧嘩を理解するようになる」としてマイノリティに選挙権を与えることの意義を強調した。
ブルース・アッカーマンは「憲法判断ってのは恋愛論なんだよね」として、痴話喧嘩ばかりしていたマイノリティの意思が議会に反映されることを歓迎していた。
「マイノリティはセックスの話ばかりする」という共通認識が、彼らへの選挙権付与の議論とないまぜになっていたのだ。
2012年に新ジムクロウ法ができて、外国に行ったらみんなやりたい放題ゼックスをするだろうと説明され、まるで異国にいるような気分のマイノリティへの理解を求めた。
リゼとザックハウザーのちの主張は「このことで差別をしないでくれ」というものだった。
「警察が性の問題から我々を差別している」としたのだ。
リゼは「性の認識はマイノリティはもはや変えようがない」とした。
黒人の犯罪率が高いのは認めていたのだ。
プロファイリングでもなんでも「黒人のせいだろう」とされてしまったのだ。
プロファイリングというものの意味を問い直さなければならないのがアメリカの現状だ。


ギリシャの時代は、統治者として選ばれることは莫大な富を意味した。
しかし、フリーセックスの問題はあくまでもプライベートなものとされ、それが国の政策に反映されるほど公然と語られるようになったのは20世紀になってからだ。
女たちが「すべての女の平等」を口にし始めたために女の子たちが毒されていった。
そのために第三世代は、女たちに陥れられそうになっている男たちにメッセージを送り始めた。
女たちは男にも同じ要求をしていたのだ。
特別扱いされている男を差別し始めた。
男たちは潰されたくなければヤンキースファンやレッドソックスファン同士でつるむしかなくなっていた。
上流階級というのは案外そのような男の仲間づくりから生まれているんだ。
好きになってもくれない おニャン子クラブ。

女たちの時間切れというよりも「上流階級のお金を否定したい」のかもしれないね。
女がフリーセックスで足並みを揃えることは富の格差をも否定した。
1866年の市民法制定以来、このことを正確に理解していたのは白人だけだった。
勉強すれば上流階級になれるという基本すら撹乱されていたのだ。
1964年の公民権法とは、真面目な男をもっと大事にしようという法律だった。
勉強そのものが人種差別であり女性差別だと女たちは考えた。
「フリーセックスが分からないのならばメンバーとして受け入れないよ?」というのも差別ではあった。
自由で対等な市民というのはこんなことをやらかすことを知らなければならない。
階級は話し方まで変えてしまった。
CoCo 夢だけ見てる。

ゲイというのはこのような男女の格差に疎かった。
ジェーンがジョンとセックスしたという話と、ジョーがジョンとセックスしたという話は全く異なる。
ジョーは女の気持ちをわかってくれないと思われてしまうのだ。
ゲイもレズビアンも人生のチャンスという意味ではすべてを失っていた。
この格差の問題に疎いというだけで排除の対象となったのだ。
就職や結婚の時にも憎まれた。
勉強さえしていればいいという世界とフリーセックス女の間で「話のわからないやつ」と思われたのだ。
しかし、アメリカ連邦最高裁は、ホモセクシャルが犯罪であるとはしていない。
だが、ゲイが「強い男、弱い女」社会の議論に挑戦したのは事実だ。
マスターベーションは悪だ、というのは結婚しているカップルの仕事だろう。
女のからだを超えて快楽を満たす男が勉強していたのだ。
そこでアメリカは強い男と弱い女を結婚させようという「結婚防衛法」を作っている。
ゲイはカリフォルニアだけの話にしておいてくれという空気も生まれた。
同性婚は、広く世界で認められているが、オバージフェル対ホッジによって、10の州から実に50のすべての州に同性婚は広まった。
同性婚とはどのようなものかという文学が浸透したことが背景にある。
「外でオカマして振る舞うとはどのようなものか」というゲイの問題が解決に向かったのだ。
一つの肉体に一つの内臓があり、性的虐待への理解が浸透した。
むしろ、人間の善意を感じるようになっていたのだ。
「あなたたちは昔、弱者だった」とする眼差しが向けられるようになっていた。
それはまるで子供を見るような眼差しだった。
「彼らたちはナンバーワンを争っていたのではなかった」という認知されていったのだ。
妻と夫の役割を果たせることも分かってきた。
ガラガーは、国がお金で結婚を応援している以上、彼らたちにもお金が必要だろうと考えた。
1960年代のセックス革命以前は普通にゲイは存在したということも分かってきた。
「彼らはハンターでありナンバーワンを争うから嫌われていたんだ」
ブラックストーンも、夫と妻だって血はつながっていないだろ、として同性婚を支持した。
miwa ミラクル。

障害というのも勉強さえできれば上流階級であるという現実への問題となっている。
そのために「走る速さ、体の強さ、視力検査」などが子供の頃から行われている。
足というのは肉体的強さだけを意味するのではなく、学問を組み立てる上でも必要な力だとされたのだ。
結局、「強い男、弱い女」モデルに反するものはすべて撹乱要素とみなされる風土が出来上がった。
機会の平等とはこのような議論だ。
しかし、ロールズが「障害者をブルームバーグに出演させれば株価が上がるだろう」と指摘した。
人々はまるで魅力的な女性を見るように障害者を見ていたのだ。
「彼らにもっとお金をあげようよ」という強烈な根拠となっている。
メリークリスマスフォーユー。

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