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2017年2月 5日 (日)

神の子。

ヨーロッパ中世の政治学は、国王にせよ地主にせよ「神の子」としてのオーラをまとうことで、裁判やガバナンスを行なっていた。
壁ドンの研究などもこの時に存在したものだ。
エルメス(美女)をはべらせていたが、不動産を維持するためにエルメスとは性的関係を持っていなかった
そのような意味では暴君とは異なっていたのだ。
よく勉強をする連中で、ローマ法は中世にこのようにして昇天していた。
自分を愛することは神を愛することであり、女の胸や尻に魅力を感じてしまう「原罪」は子供を愛することにつながった。
滝が流れ落ちるような単純な自己愛ではなかった。
だから地主になれたのだろう。
フランスのフェリペ4世と、ローマのボナフェス八世の間で起きたことは「自己愛が単純に滝のように流れてはいないか?」という争いだった。
土地を追われて路頭に迷ったフェリペを叱ったのだ(1302年)。
滝は川になり、海に流れ込んで権力の源となる。
単純な滝を利用してローマ法王の権力は絶頂に達した。
1269年にフランシスコ修道院は「土地のオーナーシップはセックスにしたがっている」としていた。
しかしヨハネ22世は、これを信じておらず、「俺を取り巻く女」を作った。
「貧しき使徒」を演じていればこれが可能だったのだ。
お金の代わりに言葉を授けていたのだ。
これらの人物は皆、割礼を受けていない頭のいい連中だった。
「神の真似をして支配する」
これは割礼を受けないことだったのだ。
小泉進次郎。

優美さを持っていて、自分の与えたものに責任を持っていた。
自分が生きている間に贈り物をしようと考えていた。
全ての男たちの経験を言葉にしたのが神なのだ。
そのようにして人々を自分に振り向かせようとした。
発言者は学術的な話をし、聴衆の素直なリアクションにはオスカー賞を与えたい。
エジプトで男たちは全てを見た。私の前に神はない(出エジプト記20)
男たちの経験を私に教えてください(マタイ22)
男たちが女性に愛されていたんだよね。
前科者も破廉恥なものも男だよ。
男を作ろう(創世記1:26)
ハートが強い人間をね。
滝が流れ落ちるようにわがままな男がいたから主人と奴隷が決まった。
キリストに罪はなかったがいろんな男たちから学んだんだよね。
神聖な男たちの言葉が聞けるのが教会ってものだな。
旧約聖書ってのはそういうものなんだ。
女たちが男を愛していたんだよ。
暴君は頭が良かったけど、関係を持ってしまって邪魔になった女を殺していたんだ。
教会にはそういう強さがあったんだ。
押すなよ、押すなよ、と言いながらやってしまう奴隷。


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