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2017年2月19日 (日)

iTuneUの講義録~West Point History of WWⅡ

iTuneUの講義を文字に起こしました。
West Point History of World War Ⅱ Victory in Europe.

英国、アメリカ、ソビエトがビッグスリーとしてなぜ枢軸国を無条件降伏に持ち込んだのか。
1942年にはヨーロッパはナチスのもとにあった。
しかし、1943年には連合国が陸上部隊を展開し、東のフロントラインでの和平の議論を
生じさせるにいたった。
アメリカももちろん協力した。
ソビエトの果たした役割は大きかった。
東のフロントラインがすべてだった。
太平洋に興味が移った。
日本は、もはや中国と戦う力を失っていた。
日本がパールハーバーを攻撃したときにアメリカは徴兵制をしくことができたが、
ドイツと戦うのに都合がよかった。
どれだけ、アメリカと英国が連携したかを理解する必要がある。
技術的な問題がある。
アメリカだけが生産ラインを持っていた。
エニグマをドイツは持っていたが、スパイという観点を忘れてはならない。
ソビエトのスパイはすばらしかった。
アメリカは標的を決めた爆撃に優れていただけだ。
空母という技術もアメリカだけが持っていた。
技術を発展させるために安全だった国もアメリカだけだった。
もし、英国が陥落したらどうなるだろうとは心配したよ。
英国が落ちなかったから日本が落ちたんだ。
地中海では何があったのだろう。
地中海ではみんなが依存しきっていたよ。
カナダもオーストラリアもみんなお互いが頼りだった。
ノルマンディーでは、最後の計画を練った。
日独伊は、もはや政治的に組む理由を見失ったことから1945年があった。
大西洋でなぜ勝てたのだろうか。
1940年には英国は一人だった。
ナチスに圧倒されていたし、独ソ不可侵条約が存在した。
チャーチルは「ニューワールドの脅威」を説いて回った。
1941年に連合国がまとまってきた。
大西洋のコントロールができるようになった。
英国は島国だった。
海軍空軍の両方が必要であり、それをクリアーできるのはアメリカしかなかった。
英国のスターを失わないように心がけるだけだった。
ノルマンディーでも圧倒できたのは補給兵站がしっかり機能したからだ。
チャーチルの学識には感謝しているよ。
とにかく戦艦を作ることの勝負だった。
そのまま戦局につながっていくのがわかった。
ドイツのポテンシャルも高いのは知っていた。
しかし、ヒトラーはこの「戦艦のゲーム」を理解していないようだった。
潜水艦ばかり使っていたんだ。
決して潜水艦は最優先ではなかったのに。
フランスをドイツが屈服させたときにゲームは変わっていたんだ。
1940年から1941年までのドイツの影響力も変わっていった。
300のUボートも決して怖くはなかった。
カサブランカ理論があったし、死の研究は大きかったね。
1943年のソビエト陸軍はなぜ強かったのだろうか。
伝統的には「あまりにも兵士の数が多かったから」だとされている。
しかし、これはドイツへの侮辱だ。
東のフロントラインは第二次世界大戦の構図を偉大なものにした。
ドイツのソビエト侵攻は世界最大規模だった。
ソビエトにとって東のフロントラインがすべてだった。
ソビエトがドイツ捕虜の処刑を最小限に抑えたのも、投降の原因となっただろう。
ソビエト赤軍は、情報戦がうまかった。
日本との戦いへのエネルギーをヨーロッパに向けたのも情報戦によるものだ。
共産主義というものを守るというプロパガンダもうまかった。
政治的コントロールを維持したのだ。
1930年代にソビエトはこの準備を進めていたのだ。
ソビエトの飛行機は常にドイツを見張っていた。
バルバロッサ作戦が手に取るようにわかった。
エネルギーの配分が巧みだった。
戦っているうちに英国とアメリカが乗ってきたのだ。
兵士の数というよりは集中がうまかったのだろう。
ポーランド侵攻の二年間でドイツが手の内を明かしていたのも大きかったね。
1943年にはドイツの世界最大規模の兵士の数が減っていくのがわかった。
あちこちにいたはずの兵士がいなくなったのだ。
兵士の数の把握はシステムだった。
どこかでドイツが火だるまになっていたのだろう。
そういうゲームだった。
いつ第二次世界大戦は勝負がついたのかな。
ノルマンディーで勝ったからだろう。
みんな「やれやれ、家に帰るか」と言ったのがこのときだったからね。
アメリカの世論がそうだった。
ドイツの産業も壊れたし、ソビエトもこのときに楽観論を流した。
ユダヤコミュニティーも「帰る場所」を理解した。
東京も「このときに悟った」とのちに語っているね。
この後はアメリカは空軍力を楽しんだだけだよ。
ドイツの内部も見ることができたし、世界を見ることができた。
マーシャル諸島でアメリカ軍兵士が死ぬ数もわかっていた。
世界を理解するポイントを見ていたのだ。
いろんな部署が軍にはあるが、強さとはそういうものだろう。
動かし方がわかるようになるからね。
1945年や1946年に軍人を家に帰すことができるだろうと首脳が考えるようになった。
結局、枢軸国を倒すのが大事だったのだ。
ナチスのビジョンを破壊することだ。
世界新秩序はアメリカの敵だった。
アメリカは植民地を必要としていなかったのだ。
共産主義との冷戦という課題が残ることはわかっていた。
しかし、共産主義はグローバル経済ではなかった。
ドイツのビジョンを敵とみなしたのだ。
朝鮮戦争まで第二次世界大戦には含めないだろう。
なぜなら、それが好ましい秩序だったからだ。
日本はナチスが好きだっただけだろうと考えていた。
ナチスが壊れれば日本が壊れる。
ホロコーストなどの問題が明らかになると歴史の悲劇はクライマックスを迎えた。


ウェストポイントでは世界地図を理解すること、15から18のクラスで話し合うこと。
短いビデオで戦いの歴史を理解すること。
1950年代にはアイゼンハワーが教鞭をとった。
決断を知ってほしい。
新しい技術ならどの分野でも敏感になってほしい。
名誉、恐怖、利益のために200年前は兵士が動いた。
戦争とは指導者を変えないで政治力を誇るために行うものだ。
チャンス、変化や摩擦などが兵士や市民の間に起きる。
心をつかむんだよ。
この経験はアメリカ合衆国の次の戦争に必ず役に立つ。
戦争は人々の心を変える。
男と女が協力して指導者の考えに賛同するのだ。
戦争の記録とは「書かれたもの」であることも忘れないでほしい。
我々は決して「魔法」は教えない。
生き残ってほしい。健闘を祈る。



メールで以来があり次第、どの講義も翻訳いたします。

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コメント

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