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Foreign Affairs

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2016年6月19日 (日)

京都学派と戦争。

京都学派は、絶対的「空」を主張し、天皇や時代の英雄をドラマや小説にすることから、
戦争の資金集めを行った。
戦争とのつながりは大島安間が「大島メモ」で明らかにしている。
トラ・トラ・トラ!

200年間の国際的孤立から日本を復活させたのは西田幾多郎だった。
本人は意図していなくても、お金が集まったのだ。
西洋と東洋を自由自在に合わせていった。
田辺元や、西谷啓治などの仲間にも恵まれた。
東京大学についで名誉のある大学だったのが京都大学だったが、古い都に西洋の知識を流し込むことに成功した。
西洋を直感で感じたのではなかった。
肌に染み付いたドラマ好きの連中が真理を探求していたのだ。
西洋の知識で日本の経験を描いたことは西洋で高く評価された。
映画『八甲田山』 予告篇

究極の痛みと女性の昇天とは何だろう?
アメリカが考え込んでしまったのだ。
この男たちは座禅を組むんだ、と西谷は言った。
「首脳陣」という発想も日本が考えた。
俺のおじいさんが会議に参加している!
1980年代に日本のドラマは政治討論を忘れた。
CHA CHA CHA  石井明美

1990年代には「態度の悪さ」が探求された。

会議で色々なものを再定義するシーンが注目された。

戸坂潤にせよ三木清にせよ「ブルジョアが何を考えているのか」を明らかにした。
[踊る大捜査線]最終回 名シーン

プラトンのアカデミーや、フランクフルトスクールのようなものではなかった。
このような「知性」とつながりたい連中が「京都スクール」と名乗ったのだ。
1970年代に「日本軍がやったことってやはり大事だったのかな?」という空気が広がった。
太陽にほえろ!メインテーマ 72 79 83 remix

存在と無、西洋と東洋という議論になると、最高の存在、つまり、最高のおちんちんを日本人は嫌うことが分かった。
このことを共有している西田と田辺、それを取り巻くグループを大雑把に京都学派と呼んでいるのだ。
父と子、神聖な王子さまを語る女の無こそが神の頭なのだと田辺はハイデガーから教わった。
禅を組むと「ここと今」がおちんちんで分かるだろ。
相対的な無が一番よかった。
西洋と東洋が出会わなければ子供のおちんちんの意味が分からなかった。
ユダヤキリストも、インドも中国も日本もそう思っていた。
しかし、「完璧な男になりたい」という願いが割礼という儀式に向かわせた。
その決意を実現しようというんだろ?
まんまんちゃん あん

西田幾多郎は語った。
「西洋の完璧でありたいという発想からは学ぶことばかりだ。しかし、我が国には数千年もの祖先からの声なき声がある。本当に西洋化できるのかは考えないといけない」
「絶対的無の力に関して研究が必要だ」
2016 渡辺麻友総選挙応援動画

【センターは正解を探求している人を批判することしかできない】

完璧さってこのあたりに表現されるんじゃないかな?
苦のない世界(ニルヴァーナ)にいくと人間は人に迷惑をかけ始めるんだ。
女は苦のない世界に行ってはいけないのではないだろうか?
この国で本当にむなしいのは偉大な男なんだ。
ネガティブな力で絶対的な赤の他人に赤ん坊のように駄々をこねるんだよ。
センター女は偉大な男を自分のおちんちんだと思ってるんじゃないか?
そこで、偉大な男はホームグラウンド(本・もと)を持つわけだな。
中国はそのおちんちんがないことを「無無無・ぶぶぶ」と呼んだんだよ。

道教はこの事に対して、
女はその「無」に生じるリズムが好きなんだ。
偉大な男は「座ってすべてを忘れる」しかないんじゃないか?
と言った。
音楽があったのだ。
両親が生まれる前に、私の顔はどのように決まっていたのだろう?と考える。
エゴ(我)を写す鏡がそこにある。
六つの家族が、男女差別しているのが見えるだろうね。
【本来、無イチモツ】と呼ぶ禅だった。
西田はこの公案を、10年間、考えたのちに女性に許可している。
不可能な欲望であることが分かったからだ。
【完全版】神田沙也加

西洋は真理をロッドに頼りすぎてはいないか?
日本には「こころ」があったのだ。
人間には意識があるから「相対的無」(適度なおちんちん)でよかったのだ。
「存在と無」の意味、わかるでしょ?
【本来、無イチモツ】の公案で男女に違いがないことが分かった。
絶対的無って特別よ?
どの振る舞いをどれが見ているの?
クリエイティブな街は当たり前のようにあったわけではなかった。
ribbon - 愛してJustice

1920年から1945年まで、西田幾多郎は「絶対無の場所」を探求し続けた。
【行動してから見ろ】
物事が起きるたびに中途半端なおちんちんは比較されるんだ。
祝福したいこと、胸に抱いて起きたいこと、そしてセックスへ。
中途半端なおちんちんの方が深いんだよ。
子供の頃の風景から、私は真面目になることもなく男を知るのです。
それはまるで、柔らかく、濡れた赤いリンゴ。
「男の賢さ」それがおちんちんに含まれるのが日本国だった。
男が考える理由だろう?
広い世界で何を見たの?
「ジャストフィットの方が女は楽しかった」
りんごの唄 並木路子

絶対というのは敵がいなかったし、相対というのは敵がいた。
「見るべき人が見ず、知るべき人が知らない」これが無だった。
「只見る」のは努力が足りないね。
日本の歌謡曲による資金集めはそうやって考えられた。
大阪パフォーマンスドール/OPDメドレー 満月の夜だから あかん! チェリー・パレード

絶対的無が自己否定して「この程度の男」とセックスしてしまうんだからビックリだよね。
俺も神になれた気がするんだ。
「絶対ムリ」という男を「即否」と読んでみんなで楽しんだ。
男は「逆対応」「虐待王」となって女を得ようとした。
男の非常に創造的な営みだよ。
人生の後半にはその男は「好意的直感」にしたがって生きたよ。
「女の欲望の対象」になろうとしたんだ。
もっと決意に満ちた男が、彼の人生の末期に「逆限定する」まで彼は止まらなかったね。
高橋由美子-そんなのムリ!(Live)


みんなが西田を尊敬したので、田辺は「宗教的すぎねえか?」と批判した。
「彼は哲学者なんだよ」
誠実なのではなく気がついただけだろ。
「彼が宗教に目覚めるのはまだ先だと思うね」
彼はメシア信仰に支えられているだけだとしたのだ。
自分がやってきたことがムダだったとセックスしたときに知るだろう。
「山は山、川は川、ちんちんはそこにあるだけだよ」
「彼が知っている女性観を人に話しても分からないんじゃないかな?」
「信者に支えられていることを知るまで時間がかかるよ」
「彼はもはやセックスを死と復活と考えるに至っているのではないか?」
女を女中のように使う可能性がある。
親鸞が恵心尼をどう扱ったか知ってるだろ?
センター女はまごころを持っているよ。でも、男に唐ごころを持てと挑発する「空の場」にいるんだ。
HKT48 チームH所属 指原莉乃 (Rino Sashihara)

浄土真宗は、みな、西田ではなく田辺を支持したのだ。
禅は西田を支持した。
そういう女がネガティブなのは西田も知っていたので禅に回帰していった。
「純粋な経験は壊れるものだよ」西谷もそう考えた。
体と体ではなく心と体なんだ。

女は女王様になりたがるよ。
でも、どの部分を男が切り取ってフェティシズムにしているかは分からないからね。
女の麻痺と男のフェチは対立する。
完璧な男って一人寝の夜を意図的に作るものじゃない?
レベッカ ♪TROUBLE OF LOVE コピーバンド READY

上田閑照は、まだ存命であるが、センター女の大量生産を見て「空の世界の膨張」を指摘した。
自分がどこに行くのかは分からないけど、女王様は自由なのよ。
これに対して「普通の女の膨張」も引き起こされた。
彼女たちはどの男にもオープンだったよ。
自分を否定するか肯定するかの違いだったんじゃないかな?
「私は私」
普通の女に「無我」があったのは事実だろうね。
「私の心はみんなのもの」ということにエクスタシーを感じる女がいるんだよね。
そんな女の空間は普通の女でも可能じゃない?
道元は「普通の女の膨張の方がいいのかな?」と考えた。
「我しかしそれは我ではない」
あなたと私ではなく「私たち」が大事だと道元は考えていた。
絶対的無で金集めはしてみたけれど、西田も田辺も「普通の女がいい」という同じ境地になっていた。
2016.7.8公開『存在する理由 DOCUMENTARY of AKB48』予告編 / AKB48

普通の女って自由よ?キスも自由だわ。
急進的な女にはやり手の婆さんがいるからね。
「主体的無」これが普通の女だった。
普通の女はおちんちんだけを気にして生きているわけではないからね(無イチモツ)。
男を知らない女にこだわることを「トポロジー」と言うんだ。
ソクラテスもプラトンもマルクスもこれで金集めをやったし、東洋では孔子、韓非子、ガンディー、西田がやった。
人が集まるし口説き文句が発達するのは戸坂も三木も指摘していた。
思想そのものが1945年に「獄死」したのだ。
反体制的協力は京都大学のアイデンティティとなった。

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なんだー。神田沙也加がすきだったんだ。中森明菜だと思ってた。

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