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Foreign Affairs

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2015年12月11日 (金)

USA for アフリカ

「アフリカの哲学」
1980年代に「哲学化」の動きがアフリカで起きた。
生まれたことの喜び。
ダメな連中の批判。
美しい行動の確立。
アフリカ、世界のアフリカ人ゲットーの研究がなされた。
新しい出来事に対処し、耐えて、繁栄して欲しかったのだ。
これが後の世代に残すものだ。
アフリカ人は「犬畜生世界」と呼ばれていた。
洗練と発展が必要だったし、迷いながら生きている論客を批判したし、
知的で、美的で、慣習を学び、伝統を大事にする。
これがアメリカ合衆国の側から発信されたようだ。
We are the World

地政学、歴史、社会政治学、文化的違い、その複雑性、
まとめて「アフリカ」「アフリカ系」といっていることが分かった。
歴史を作る必要があったし、社会的政治的な生活が必要だったし、文化を作る必要があった。
他の文化との調和が必要だと考えた。
彼らにも人類学があった。
領土と民の関係が一致していたヨーロッパとは、歴史が違う、人類学が違う、哲学が違う。
「ヨーロッパ」と「アフリカ」は何が違うのかという発想が必要だった。
ニャホニャホタマクロー

「アフリカ」「アフリカ系」と言っても出自が異なることを知らないといけない。
しかし、「アフリカーナ哲学」の確立を目指した。
20世紀の後半のことだ。
西ヨーロッパやアメリカを利用して「ルールを守れ」としか言えなかった。
彼らの歴史を聞きに行った。
植民地化や、奴隷の経験、ひどいありさまだった。
体、土地、資源の搾取があったり、人生の機会を失っていたのだ。
自由、正義、平等なと、いろんな「ひらめき」が有効だった。

彼らの歴史を聞きに行ったのは歴史的なムーブメントだった。
哲学の世界を豊かにしたし、理想を大きくした。
思考空間を広げ、政治的スローガンを生み出した。
モチベーションにもなったし、ミッションも生まれたし、その他の社会ネットワークをつなげる源となった。
芸術、美学を表現するようになった。
人間は認められたかったのだ。
アーティストがブラックの地位を高めた。
高い教育水準とは関係なく行われた。
仲間とつるむのにちょうどいい。
女性クラブ、男性クラブが生まれ、政治組織が生まれ、「自由」を標榜した。
「次世代よ、賢くなってくれ」
これが黒人の正義だったし、汎アフリカ主義だった。
Eminem - Cold Wind Blows

愛すべき探求、それが知識であった。
成熟、そして書くこと。
「人間ではない」
闘争のために生まれた。
母国ではどうせ奴隷だ、新世界では忍耐強い。

「マルコムXのスピーチ」
誰が憎しみについた語った?
約束を守れよ。
俺たちがムショに入ったら白人が金を払う。
盗むな!殺すな!
MALCOLM X: WHO TAUGHT YOU TO HATE YOURSELF?

1971年にニクソンショックがあり、ドルの金兌換が停止されたが、原油のドル決済に成功し、ドルは基軸通貨としての地位を維持した。
ファイアーバードだのサンダーバードだの言っていた国で、ブラックモスリムが生まれた頃だろうか?

エジプトは、アフリカとヨーロッパをつなぐポイントとなったため、アメリカはエジプトを「中東」と呼んだのだ。
グレコローマンは、盗まれた伝説と呼ばれ、ギリシャがエジプトから盗んだものだとの指摘がなされた。
「ヨーロッパとアメリカはエジプトが発信源だったのか?」
サブサハラン(サハラ砂漠周辺)をめぐって、白人と黒人が、起源を争ったのが1970年代だった。

第二次世界大戦も、朝鮮戦争も、黒人に仕事を与えただけだった。

コンゴにベルギーが入っていったのも、エジプトと同じ言語をもつ連中の調査のためだった。
1896年の、プレッシー対ファーガソンは、黒人差別を「差別ではなく区別」と呼んだが、1954年のブラウン対ボード・オブ・エデュケーションは、NAACPの努力に答える形でアメリカ黒人に教育の機会を広げていった。

キング牧師は、ガンジーにインスパイアされた。
暴力を使わないパワーを知り、愛、法律、市民としての抵抗を「愛の贈り物」と呼んだ。
闘争は成功したのだ。
マルコムXは、「若きトルコ人」を演じ、ブラックパワーの資源を、反国家主義、反人種差別、共産主義に求めた。
都会で黒人が暴力を使った時期だった。
評判の悪いベトナム戦争が起き、訴えられても仕方のない連中を糾弾する公民権運動が生まれた。
戦争があったから若者が動いた。
若い白人女性がこのムーブメントに参入してきた。
フェミニズム第二の波が起きたのだ。
ブラックアートも、ムーブメントをリードした。
Otis Redding-Sitting on the dock of the bay
日本では、アラン・マクリーンが外国人ベ平連を立ち上げて、在留許可の更新を法務省が拒否したが、アメリカ人の素直な感情表現に日本政府は気付かなかったとされる。
白人女性が黒人男性のファンになる。これは「ハーレムルネッサンス」としか言いようがなかった。
1950年代に、女性の純潔を求める魔女狩りと、女性解放を求める共産主義の弾圧をジョゼフ・マッカーシーが行った。
このマッカーシズムが、白人女性の支持を得る黒人男性というニューハーレムを生み出した。
1950年以降、黒人は高等教育を受け、ブラックパワーを楽しんだ。
カリブにも波及した。
Yoko Oginome - Koishite Caribbean [stereo] 1985
1980年代には、アメリカ合衆国のアイデンティティーを大事にするAPA、急進的思想を大事にするRPA、実存主義の立場にたつSPEPの三つの立場に分かれた。
タスキギー大学、モーガン大学、ハワード大学のように、黒人のアイデンティティーを標榜する大学ができた。
「闘争のために生まれた」
Top 10 NBA Plays: December 10th

今後の黒人社会の課題は、ディアスポラ(ゲットー)にたむろしているようでは困る、というあたりだとされる。

2015年秋に安倍晋三首相は、ケニアを訪問し、それ以降頻繁にサブサハラン地域をまわった。
中国は600億ドルの経済支援を行っているが、日本はこれに対抗して300億ドルを提供することにした。
インドは150億ドルだ。
中国の「商人根性」にうんざりしている連中がアフリカにはいて、日本の自衛隊の守備範囲の変更はアフリカ諸国へのいいメッセージとなっている。
これも、日本国の国連安保理常任理事国入りを目指したものだ。

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