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2015年12月13日 (日)

ヒスパニック~ナンパで革命起こしていいのか?

「ラテンアメリカの哲学~コロンブスの侵略」
スパニッシュアメリカン、ヒスパニックアメリカン、これらはスパニッシュ植民地、イベリア植民地から来るものだ。
【1550年】に起源をもつ。
コロンブス以前には詩が残っていたし、コロンブス以降には、西洋哲学が入ってきた。
真実であること、アイデンティティの確立、オリジナルであることが模索された。
すべてのヨーロッパの哲学がラテンアメリカに入ってきたが、しかし、社会問題の解決のために用いられた。
アメリカ合衆国の知的空間とは異なるものだ。
アメリカ合衆国においては、人種、エスニック、社会的アイデンティティを議論する基盤になった。
コロンブス以前(アメリンディアン宗教的宇宙論)。
植民地からの独立運動(ギリシャ哲学)。
国家主義(陽気さ)
近代(悟り)
という区別はつくが、すべて、コロンブス以前の宇宙論に支配されていたのだ。
コロンブス以前は、「真実とはなにか?」「知識の限界は?」という問題と向き合っていた。
征服があった。
コロンブス(アメリンディアン)は、すべての西洋哲学を知っていたわけではなかった。
時間、空間、文献の制約のなかでこれらと向き合った。
征服によってただちに容赦のない知的変革があったわけではない。
バートロム・デラス・カサスが、1550年を作った。
スペイン、ポルトガルから一気に知性を持ち込んだのだ。
その後、2世紀にわたって、イベリア半島は、知的発信源となった。
人間がとる行動の一瞬だけを切り取っていく学問(ヒューマニズム)がなければなにも発展しなかった。
悟りとはリベラル(性の探求)だった。
19世紀、植民地からの独立を目指した。
新国家の組織と連帯の学問が発達した。
社会はどうすれば安定するのか?人々はあまりにも多様性がありすぎた。
「明るさ」が秩序と発展をもたらすというブラジルの立場が生まれた時、知的な側もこれを受け入れた。
メキシコの独裁体制もこれを受容したし、チリ、アルゼンチン、ベネズエラへも波及した。
キューバはこれには批判的だったようだ。
近代。20世紀のことだ。
1910年、明るいだけではダメだろうという指摘がなされた。
1930年代には、「そんな連中は博物館にでも置いておけ」と言われるようになった。
暴動は常に「明るさ」への反発として起きたし、組織は「普通」でなければ動かない。
プロフェッショナルとしての成熟が必要だったのだ。
フランシスコ・ロメロは、「専制の起源」を明らかにした。
ペルー・メキシコ・チリも、真面目な人間が専制の起源であるとした。
フランス・ドイツの影響だった。
オルテガ・イガゼットが、南米をくまなく回った。
しかし、詩を歌った。
植民地時代には宗教的だったし、独立運動の頃は政治的だったし、国家主義の時代は経済的だった。
女に詳しい男(アポロ的な男)の崇拝が起きた。
「明るいだけの男はいざとなったら逃げるからね」
1910年に「何で若者は夢を語るのだろう?」という研究がようやく始まった。
ロメロは、「男の理論」を明らかにした。
ラテンアメリカの哲学者がようやくいろんな実践と対話を始めたのだ。
知性の側が女性の純潔に依存していたことも見直さなければならなかった。
このことから、すべての国の体制が右翼から左翼へと軸足を移していった。
政治的には「奔放な女」の存在は政治コミュニティーを盛り上げたが、知的な女がアルゼンチンから追放されたりした。
政治活動の対象として女性と話せという手法には、国によっては哲学的バリアを張る国もあった。
目的を持った若者は殺伐としている。
共産主義者はそんな男に「優しくなれよ」と言った。そうすればモテることを知っていたのは共産主義者だった。
「外国を知っている」「普通」「落ち着いている」それがモテるようになったのが1960年代だった。
1960年代から1980年代にかけて、議会ができたので、哲学のニーズは高まりを見せた。
マルクス主義者は「人生、苦しむ必要などないのにな」と言った。
女性を政治コミュニティーに含めようという社会主義は、帝国主義の終わりを目指したし、植民地主義の終わりをも目指した。
ジャーナルがたくさん出された。
恋愛がお金の話になった時代の、自由と平等の問題からくる、女の純潔などを語り合った。
グラムシは、キューバ、ニカラグアなどで知的な左翼としてナンパするのが楽しかった。プロータリアートは、みな彼の名前を語った。
ナンパして世界を変えようなんて哲学でも何でもないなと言う批判は確かにあった。
投獄されたものもいた。
しかし、メキシコ、アルゼンチン、ブラジルには根強くこの発想が残った。
アメリカ合衆国、カナダは、この南米の動向を注意深く見ていた。
エデュアルド・ラボシがこれらの記録をまとめあげたのだ。
しかし、「裁判所を動かす力量」も、重視されたのだ。
カトリック女をナンパする気か?マルクス主義とカトリックは、妥協しがたい対立をした。
1976年から1983年までのアルゼンチンの軍事政権において、アルゼンチンの哲学者が他の南米諸国に逃れた。
性の開放は、ヨーロッパの理論をもとに行われたが、批判は免れなかった。
あるいは、「東洋はどんなエロいネタを持っているの?」という「純粋な研究」もなされた。
このような発想が、ヒスパニックのアメリカ進出の基盤なのだ。
Madonna - Spanish Eyes (Album Version)

ナンパ、ナンパと言うけれど、「訴えるぞ!」と言いたい男をどうにかしなければならなかった。
そのためには法律を知らなければならなかった。
フランシスコ・ヴィットリーアは、戦時国際法を考えて、いろんな国の争いのルールを決めた。
スパニッシュの王は「平和」を標榜したから人気を博した。
スペイン帝国主義は「治める」ことを学習したかったのだ。
「問題」それが大事だった。そのたびに顔を出して解決法を考える人。
それが、ソーシャルダーウィニズム(社会進化論)だった。
征服とは、侵略者の頭の上からなにか偉大なものが降りてくることだった。
しかし、征服する側、される側、どのように妥協するつもりなのかが問題になった。
人種が混ざりあったのだ。
混ざりあうことで妥協点が生じた。
その効果を知ったのは1990年になってからだったのだ。
イベリア人がまず征服してきた。
アメリカインディアンが各地に散った。
黒人がカリブ海とアメリカ南部に広がった。
彼らはアイデンティティを確立しなければならなかった。
「スペインと戦った」これがまず最初のアイデンティティだった。
メキシコ革命だ。
アイデンティティはオリジナリティーが必要だし、真実でなければならなかった。
メキシコはそれでいいだろう。
しかし、南米の国のアイデンティティがこれほど明確になるかと言えば、失敗するだろうとしか言えない。
「普遍」「固有」「真実」が異なったからエスニックが各地に広がった。
女性の問題に関しては、家族をまとめる、階級について、エスニックについて考慮しながら研究が進んでいるが、リオのカーニバルみたいな女でいいのだろうか?という問題が残されたのが現状だ。

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