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Foreign Affairs

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2015年12月26日 (土)

北朝鮮の歴史

朝鮮を語ることは革命を語ることだ。右翼が北の方に住み、左翼が南の豊かな地域に住んでいた。
北には改革を望まない人々が多くいて、これが朝鮮半島を理解する基本になった。
1910年に日本が朝鮮を併合し、それはかなりの残虐性を帯びた、
ドイツと日本が同盟を結んだときに、アメリカ合衆国と、ソビエト連邦は「朝鮮半島を分け合おう」という合意を結んだ。
朝鮮政府が出来たときに、アメリカは、共産主義の影響を恐れ、これを国家承認しなかった。
抗日戦争を主導したのは共産主義者だったからだ。
そして、それは労働者や農民にすでに広く浸透していたのだ。
1945年に日本が降伏しても、1946年まではアメリカは日本を指導する形でこの地域に関与した。
1948年に、選挙が行われたが、すべての左翼がボイコットし、南部だけで行われた。アメリカ帰りの反共主義者、李承晩が多数の同意を得た。
アメリカ軍が駐留して、共産主義を弾圧し、10万人が殺され、数えきれない拷問が行われた。
一方、北部においてはソビエト連邦が1945年に軍を駐留させ、「市民の権威」を打ち立て、「地域共産主義」を標榜し、日本の資本の没収と、貧しい農民への分配を行い、地主の土地も均分化した。基盤産業はしかし、公のものとなった。
1946年に、地域人民委員会が、金日成を「抗日戦争のリーダー」として、1948年にソビエト連邦は撤退した。
しかし、ソビエトは、官僚主義的プロレタリアートが支配しており、労働者を排除していたため、金日成は「ノーマルなプロレタリアート国家」を作ることにしたのだ。
1948年8月15日に、李承晩は、大韓民国を樹立し、金日成は、朝鮮民主主義人民共和国を樹立した。
誰も李承晩を望んでいなかった。傀儡だったからだ。
韓国軍兵士は軍務を拒否し、北朝鮮と合流し、戦い始めた。
韓国のパイロットが北に飛び、それに応じて船も北に停泊した。
7月28日に、韓国は一日で崩壊し、ソウルが占領された。
8月にアメリカ軍が介入したが、南東の半島のわずか10%の地を保持したにすぎなかった。
安全保障理事会ではソビエト連邦がボイコットし、中華人民共和国ではなく台湾がメンバーとして韓国を支援した。
アメリカ軍はオリジナルラインを越えて中国国境に迫った。外国の軍の介入が許せなかった連中や、核兵器の恐怖に脅えた中国で、志願兵が10万人集まった。
そして、国連軍を押し戻した。
敵対関係は、1953年まで続いた。
アメリカ兵は36516名死亡し、朝鮮の軍人は300万人死亡し、民間人は10万人死亡した。
アメリカは今日に至るまで平和条約への署名を拒絶し、韓国に一万人の兵士と、強烈な武器を配備している。
1960年代に李承晩が権力を失うまで、農民や労働者の抑圧は続いたし、女を生み、所有し、配分するという発想は今日まで続いた。 
正しい結論を導くためには、この事を理解する必要がある。
この戦いで、北朝鮮は、官僚的であるかそうでないかは別として、資本主義との体制選択で、プロータリアートが勝ったことを意味するし、韓国にとっては、世界規模の帝国主義と、地域の資本主義が勝つことを意味した。
北朝鮮は、すべての方向を敵にしたし、韓国は傀儡となり、アメリカ帝国主義者がこの地に関心を持った。
アメリカは北朝鮮のプロレタリアートを支配し、官僚的統治機構への支持を与えなかった。
1953年に、北朝鮮は、韓国を経済力で上回った。
計画経済だ。
1980年代までのことだ。
1990年代前半に洪水で経済が壊滅的打撃を被った。
貿易相手もいなかったし、反革命分子が生まれた。
ソビエトの崩壊や、東ヨーロッパなどの影響だ。
国連や世界食料プログラムが1996年に助けの手をさしのべ、全体に食料を行き渡らせた。
プロレタリア国家で官僚が間違いを犯したのだ。
戦術は、韓国のプロレタリア革命だ。
アメリカ軍を追い出し、先軍政治を標榜した。
国境にアメリカ軍がいたからだ。
主体(チュチェ)思想が孤立主義を標榜していたが、しかし、日本帝国主義のプロレタリア革命や、中国の官僚制度の反発から世界革命を目指しているのだ。
国家主席は独裁的で、裏切りに満ちた官僚制度がしたがっている。


「パクチョンヒ」
1960年代に、韓国の一人あたりのGDPは、79ドルだった。
1961年に、パクチョンヒ将軍が軍事クーデターを起こして、1979年まで続いた。
漢江の奇跡と呼ばれた。
消費を抑えて輸出したのだ。
技術を学び、教育し、韓国、シンガポール、台湾、香港は「アジアの虎」と呼ばれた。
低賃金の労働者と生娘がこれを支えたのだ。
韓国の経済発展と生娘、つまり、カトリックがパクチョンヒの背景にあった。
最初から今まで~ペ・ヨンジュン

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