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Foreign Affairs

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2015年12月 2日 (水)

「いちご白書」アメリカの左翼活動とは?

「ジョージ・サンタヤーナ」
理系の連中がアメリカの左翼活動をリードした。
地球がくれたものを地球に返したいんだ。
人間のろうそくの火が消えても、なにも墓場に行かないよ。
「いちご白書」は、アメリカの左翼活動を描いた映画だが、その理論的指導者はサンタヤーナであったであろうと考え、この論考を書いてみたい。
バンバン いちご白書をもう一度

サンタヤーナのお父さんは、法律家であったが、多くの絵画を家族だけに残した。
セネカの悲劇(死の恐怖の緩和)の研究をした。
マドリットに住んでいたが、外交的な家族で、1845年に、フィリピンのバターンの知事になっている。
ジョージは、8年スペインに暮らし、四十年ボストンに暮らし、四十年ヨーロッパに暮らした。
ボストンでの暮らしがアメリカの学生に影響を与えたであろうことは想像に難くない。
ジョージのお父さんは妻と離婚してしまった。
「奇妙な結婚だったね。あなたをダメにしてしまった。愛しているけど一緒には住めないんだ」
Trouble of Love/REBECCA ピアノ弾き語り

ハーバードに入っても、一年の時は英語ができずに、幼稚園で英語を学んだ。
ヒスパニックがアメリカの左翼活動の起源なのだ。
しかし、博士号をとるのには7年で十分だった。
彼は非常に活動的な学生生活を送り、11のサークルに属した。
ランプーンという漫画サークルや、ハーバードマンスリーのファイナンス係、哲学クラブの部長までやった。
ハーバードでもホモセクシュアルの習慣があったが、カミングアウトしたのは65歳の時だった。
ハーバードの教授になることは、ジャーナリストや、作家、最高裁判事などとの交流をもつことを意味した。
1912年に48歳で、リタイヤしてからアメリカを離れ、二度とアメリカには戻らなかった。
彼は、ビジネスや、政治の世界にマッチョなインテリを送り込もうとしたが、それが教育か?と言われたのだ。
彼は「父の死」「若い学生の死」「姉の結婚」を見て、もはや与えることだけで人生は十分だ、と思ったのだ。
知識なんてものは、持っているだけでは肉体的にも重荷だった。
芸術、文学、哲学、宗教、サイエンスは、彼がアメリカに残した巨大な資産だった。
ハーバードにいた頃は、本もよく売れたし、ローウェルが、ヨーロッパに旅行に行く金も出してくれた。
しかし、フルタイムのライターになりたかったのでリタイヤしたのだ。
スペインに戻ってからは神やプラトンへのノスタルジーもなく、脚本や詩を書いた。
1988年にアルテュール・ダントスの「イントロダクション」によって彼の業績はまとめられ「美しさよ、地球に戻れ」という言葉で総括された。
サイエンスはいろんな物事を説明できる。
しかし、人間の意識を祝福するのは詩ではないかと考えていた。
その人の境遇の価値を高めるのは詩だった。
彼のお父さんが「キリストとゴスペルについて」という手紙を残していたのも彼の活動を勇気づけた。
カルヴァン派のアイドル崇拝にも興味を持ったが、もはやアメリカはそれを必要としていなかった。
「ウェーブをしろだ?歓声を上げろだ?アメリカ人はくだらねえ」と言ってイギリス型の団結を支持した。
イギリス人は歓声でごまかさずに自分で解決するしね。
オリバー・エールデンにアメリカの偏狭なピューリタニズムのアイドル批判を見た。
それに比べてイタリア人マリオはオペラや恋愛、旅行、建築を楽しんでいた。
オリバー・エールデンは、家族、学校、友人を愛し、義務以上のことを自分に課し、罪に罪を感じていた。
エールデンは、最後のピューリタンだった。しかし、マリオの生き方をサンタヤーナに教えた。
ビートルズが教えてくれた / 新・六文銭
アメリカはこれを深刻に受け止めたのだ。
エールデンは、フットボールで目的を達成するのに必死だったが、マリオの人生の耕し方が非常に面白かった。
カレッジフットボールが悲劇的な終わり方をすることが多かったからだ。
Buffy Sainte-Marie 映画「いちご白書」 The circle game
サンタヤーナの書籍は第二次世界大戦中に、破棄されたが、アメリカ国務省、バチカン、スペイン政府の手により再現された。
彼がヒスパニックの出身だったことも彼を歴史から抹殺しなかったことにつながった。
アメリカ国務省がこの情報を握ったことから、アメリカの学生の左翼活動や、ビートルズの全米進出、そして、日本国へのアイドル崇拝の波及などをすべてアメリカがコントロールする可能性があった。
開き直りも芸のうち 歌ってみた
「旅に出る、少年時代の女好き」
これが、サンタヤーナの出発点だった。
そして、私がいくら変わっても、私のままだということを悟ったのだ。
私はなにも確信できなかったし、義務にすら確信が持てなかった。
教科書は格言しか書いていなかった。
面白いこともなかった。
しかし、夢を見たのだ。16歳の時に「星への手紙」「教会にて」などの詩を書いた。
知的な女好きとしてドイツ、イギリス、スペインなどを旅したがつまらなかった。
しかし、歴史を振り返ったらまだまだ変える余地が山ほどあった。
ハムレットを読んだが、死んだ連中に対して何をしようが勝手だった。
ハーバードを退官したことにより公人ではなくなったことが、彼を自由にした。
性について語れるようになったのだ。
「人間の本性の正しい無視」というのが必要だと感じた。
「世界はこのようなものである」と思っている人には「夢や神秘」が生まれる。
乙女 パスタに感動 - タンポポ
「死者だけが戦争の終わりを見る」第一次世界大戦を見て、サンタヤーナはそう思った。
生きている人間はひたすら争い続ける。
動物を見ては、動物は、人間の言葉で物事を記憶していることを語り、その動物の名前を呼んでみる。
サイエンスを知ることが大事だった。
動物は男たちが見る幻だ。動物としての侮辱を受けているが、世界がある、未来がある、食べれるように見える。
心と周囲の環境が私と深く関わっているのがわかったのだ。
人間も動物だ。
心は繁栄につながるのだ。
「存在の領域」という本を書き、錯乱女も納得する言葉を「常識」と呼んだ。
「紛争の不完全な解決」しかできないことを知り、酸っぱい敵を作りながらいきるしかないことを悟った。
争い事が好きだった。学問が発達するからね。
争い事は、サイエンスも発達させるし、宗教の起源が、人間が生まれたことそのものにあることも明らかにしたし、世界の母も分かるようになった。
世界の母は、正義を目指して説得してくれる女性だった。
エッセンスとは、男にとって普遍的なものを意味し、女にとってはそうではないものだった。

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