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2015年12月10日 (木)

チリ~新世界(日本プレビシット説)

「チリの哲学」
16世紀の新世界を経験し、19世紀のキューバとプエルトリコ以外の独立以降も、
アカデミズムの探求は続いた。
20世紀後半の軍事独裁政権では「守るべきルール」を発達した。
1973年~1990年に軍事政権に敵ができた。
1818年にスペインから独立した。
クリストバル・デ・バルデスピノの教えが、
1595年のサンチアゴの教えにとって代わった。1865年に人気者がリーダーとして盛り上げるという考えが支配した。
1920年~1950年に「イエスはもっと暗かったよな」と考え始めた。
Orfeu Negro 1959 Completo
一度目のキスはマイナス、次やったらプラスだからぶっ殺す。という世界。

1950年~1973年にそれで学問が発達した。
一部のエリートが1973年から軍事独裁政権を敷いた。
教会と国家の関係が混乱していた植民地時代だったが、
19世紀にカトリックがオフィシャルになった。
小学校の教科書もカトリックだった。
守るべきルールが欲しかった。
スコットランドの悟りにも影響を受けた。
仕事をしよう。
楽しければいいというのは弱すぎる、これがカトリックの教えだった。
1842年にチリ大学創設。
植民地時代の記憶を抹消したかった。
1860年、権威を打ち破る楽しみが生まれた。
オーガスト・コムテの本がこれをリードした。
ミゲル・アムナテグイという目立ちたがりの教育相がいて、死せる詩人の会を作ったが、
大統領を目指したいやつが参加して踊っただけだった。
モリナは言った。
「大統領?しょせん女目当てだろ。人間の発展にはつながらないよ。ハートだろ」
クラスの女の子をめぐる考えの違いがあった。
20世紀中頃、マルクスが、頭のよさによって女性たちを取り込むという発想をもたらした。
壮大な知的空間からいろんなものを引っ張ってくるやつがいた。
自分の限界も広がるし、実績もできるし、どんどんできることが増えていった。
ナチスも太平洋戦争も関係なかった。
何人かの哲学者が逃げてきただけだった。
ハンサムな顔と女性の関係はどうなるのか?
という立場と、インテリが争った。
チリの知的サークルの国際化がプロフェッショナルを育てた。
ファン・リバノが、理論的柱になったが、ハイデガーや、オルテガ・イガゼットの影響を受けた学生たちの抵抗に直面した。
リスクを好む若者のエネルギーは、本人たちが思う以上に力があった。
1973年9月11日に、ピノチェトがとうとう軍事独裁政権を打ち立てた。
クーデターだ。
ハイデガー、オルテガ・イガゼットを、理論的柱にしたのだろう。
この事で、もっとも強烈な打撃を受けたのがチリ大学の哲学科だった。
1842年以来の、同大学のフラッグシップが哲学科だったのだ。
体制から排除されたプロフェッショナルは、「発言する敵」となっていった。
ジョージ・ミラスは、軍事独裁政権を、大学で思索に更けるのに都合がいいと考えていたが、1976年には、大学が監視されている、という危機感を抱くようになった。
軍事独裁政権が、大学と国を牛耳ったことへの不満から、1988年に体制はプレビシットに入り、1989年に大統領選挙が行われた。
しかし、哲学への無関心は続き、多くの学者が在野のシンクタンクに移っていた。
大学への敵対心から、異なるデシプリンを論じたのだ。

日本国が哲学を見失ったのはいつだろうか?
哲学離れ、そして軍による独裁。
これは、対岸の火事ではない。
見失っているものは見失っている。
どこでプレビシットが起きたかどうかの議論はオープンにしておきたい。
『オールナイトニッポン』テーマ曲  「ビタースウィート・サンバ」

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