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2015年10月16日 (金)

皇室の人間模様

庶民の頃は忘れたと 卑屈に笑う 美智子さん
(歌詞付き)尾崎豊 / シェリー

たとえば、生まれたばかりの赤ん坊がいるとする。
べろべろバーをしてわらった瞬間、撃ち殺すという事例をカラマーゾフの兄弟でドストエフスキーは描いている。
この事例と、「病気で苦労した美智子さんは偉い」という事例を比較してみよう。
答えられる人はいるだろうか?
答えは「尊厳」とは「他人を認める」という意味だと解釈するしかない。
生まれたばかりの赤ん坊が笑った瞬間撃ち殺すのは、赤ん坊の命を認めたことにはならない。
しかし、美智子さんは多くの人に認められているではないか?
このようにして「尊厳」という言葉は様々な難問を解くのに役に立つ概念となったのだ。

「ブルーノ・バウアー」
1848年に直面したロシアのヘーゲル左派は、民の意思による君主制と、楽しいこと、美しいことを探求した。
女がいるから「無限のオレ」がいる。
治める男がもてはやされたが、学問があるから自分と世界がかけ離れる。
いっそのこと密教や、女の関心事に発想を特化した方がいいとした。
女は純粋でなければならないとし、社会主義奴隷を否定した。
これがロシアをワールドパワーにした。
やがて、「女はもっと自由だ」というムーブメントがソビエト連邦につながった。
日本国も、新約聖書の英雄物語で高度経済成長を果たしたが、女の純粋さを求めていた。
「吉永小百合」
国家は神話についていく。それを理解していた行政官が、昭和天皇を神話として高度な国家、経済統制を行った。
アドルノを理解していた連中だった。
永田鉄山などだろうか?
行政官はエリートでも、司法官は格下だったのだ。
平沼騏一郎は、検事総長として行政官をことごとく呼び出し、行政官を詰問した。
平沼騏一郎は内閣総理大臣になっている。
吉永小百合のお母さんは平沼騏一郎の愛人だった。
母は、娘にナチスドイツの美容整形技術を施し、ステージママとして君臨した。
吉永小百合の出生の秘密だ。

「正田美智子」
マーシャルプランにより、アメリカ合衆国は日本国に小麦粉を流した。
平和の食事と呼ばれ、日本国に普及させようという国策だった。
日清製粉も、娘に高度な美容整形技術を使うのは当然だった。
女学生 森昌子・吉永小百合 Mori Masako・Yoshinaga Sayuri

雅子さまが優美子を食べて、愛子さまを産んでいる。
狼がおばあさんと赤ずきんちゃんを食べてを食べて、お腹から赤ずきんちゃんが出てきている。
優美子という夕日が沈み、朝日として愛子さまが出てきたのだ。

美智子さんは光太郎にサディストの側面を見せた。
マルキド・サドは、望んでいない結婚をしていた。
これがサディズムにつながる。
結果的には美智子さんと明仁は不幸せな結婚をしていたのだ。
マルキド・サドは、女中にスパニッシュフライというハエを混ぜた食べ物を食べさせて下痢をさせたりしていた。
強い立場にたって「俺は、私はSでね」とか抜かしていると墓穴を掘るのだ。

イエスは祈らないし幸福でもない、「神」だ。
「皇室は祈りでありたい」と言った美智子さんが、光太郎の人気の秘訣は「この人、私のことをなにか知っているのかしら」と言う点にあると言うと「庶民嫌い、庶民嫌い」と言った。
祈るのは庶民である。
破綻の道を歩んでいたのだ。

被災地慰問において、美智子さんは多くの人が集まってくる場面だけを映像に記録しているが、実際はすぐに人々は立ち去り、美智子さんは呆然と立ち尽くしていたのだ。
それで庶民が嫌いになっている。
庶民一人一人が天皇皇后だと言うことを知らなかったのだ。
糖質の模範解答(被災地にて)
「千代田インストラクションを各省庁に送っておきます。私は今回の災害で自由競争の限界を感じました。
人々は対立しあい、柱を失っています。ファイナンスを担当していた者に会計をやらせ、法律家に文書をやらせ、会社のお金の七割を人件費に回していたような人に人事をやってもらうようにしますので皆さん、いろいろお話ししましょう」
「被災地の問題点は死者が出ることです。人の死を見ると自分が死んだときに何が起こるかが分かります。
皆さんはそれによって自らの命のリスクを減らしてください」

弁証論にはいろいろな使い方がある。
男が女にぶつかって知性を生み出す発想を考えた人もいれば、
人が人にぶつかって悟りにつながるという発想もある。
たとえば、光太郎が夜中に目が覚めて「今晩徹夜したら美智子はハイパーテンションで心臓病で死ぬだろうな」と言ったら、周囲が「じゃあ起きようか」と言った。
これが美智子さんに「みんなが私の死を望んでいた」と言う悟りをもたらした。
この発想は人々を無知や恐怖から自由にしたし、アウフヘーベンの「災害的大勝利」とも言われた。
あまりにも残虐的でだったため、「この発想で人間は大量殺戮を止められるのか?」とも言われた。
答えは用意されていない。
ナチスのデスキャンプは、罪のない映画ではなかった。
ナチスの構成員の「人と人との対話」から生まれたものだったのだ。
この弁証論は人間の盲目と言うものが物事を支配することを明らかにしたし、
人間のサイエンスの支配を意味したし、他の人との人間関係の支配を意味した。
人間は「実は誰も治めかたを知らない」と言う何か分からないものに集団が向かっていることを明らかにしたのだ。
好き勝手に動く他人同士がいる。
突き飛ばされたり、搾取されたり、破壊されたものたちだ。
破壊する方法はすでに近代西洋社会で発達していた。
搾取する方法は奴隷性よりも精密化していた。
しかし、盲目や恐怖によって人々が動いていることは変わらなかった。
これがグローバル化の結論なのだ。
物事のエンジン部分が資本主義を動かしていた。
真実の探求や、最新技術の発見はこのようになされるのだ。
何も分からないものがなければ怖くない。神話からの脱出だ。
美智子さんが「皆が私の死を望んでいた」と悟ったことは神話を急進的なものにした。
どれだけエネルギーを使ってでも文化を発展させたい。
結局、神話とは悟りであり、悟りは神話となって、旧い慣習や文化、宗教は悟りについていくしかないのではないか。
神話は何かに貢献できるのだろうか?
イデオロギーと破壊があるのに。
近代の安全への願いがこの背景にある。
安全への願いと言う力は発展につながらなければならない。
旧い考えもイデオロギー的であり、破壊につながってきたではないか?と議論するしかない。
【人と人がぶつかるという「人」と英語で「小文字の他者」と言い、赤の他人、思いのままにならない人、を意味する。
「大文字の他者」とは、泣きわめけばおしめを代えてくれる大人を言う。
天皇明仁のようにやたら泣きわめいたり、ちゃぶ台をひっくり返す人は、他の人とぶつかっても「神話につながる悟り」を生み出せないことを意味する】
資本主義のにおける批判の学問とは、女や、人々が持っている神話、朝、起きていいこと三つ、偉い人、仲間を求める労働者、私を自由の世界につれていく男、酒、タバコ、食事などのすべてを「何と取り替えるか?」という研究だ。
社会の知の形成課程を研究すると、マルクスが指摘した資本主義は古いように思われた。
金でモノを買い、そしてそれを売って金にするというほど単純ではなかったのだ。
生産しようという力が、生産にぶつかり、国家、経済へとアウフヘーベンされる。
これで社会は変わっていくのだ。
人が人とぶつかり悟りにアウフヘーベンされることと資本主義がついていく宿命にある神話の関係とは別に、
生産しようとする力が生産とぶつかり、国家、経済へとアウフヘーベンされ、社会が変わっていくというもうひとつの発想ができたのだ。
これが分かると、法、行政、ジャーナリズムを人々の嗜好によって作っていいことが分かるようになる。
学問も同様だ。
人々の嗜好がマーケットの法となったのだ。
労働者は「嗜好」だけで生きていいのだろうか?克服しなければならないのだろうか。
空腹、貧困、人生の苦しみ、それらは科学の発展にかかっていた。
富と権力を集中させ、科学を発展させる必要があった。
製品と価値、生産と価値。どちらも剰余金を生じさせ、
交換の原則が労働者の「嗜好」を決めた。
交換によって成り立つ社会には三つの段階がある。
経済によって支えられた政治、社会の心理学、そして文化だ。
この三つは、強烈な経済によって支えられたナチスドイツ、ソビエト連邦、アメリカ合衆国の研究だった。
「国家資本主義」それが経済を推進力とした政治だ。
そして、資本主義の「搾取」の側面も考慮しなければならない。
マルクスの時代よりも「搾取」と言うものが抽象的になり、労働者にも分かりにくくなっていたのだ。
文化においては、似たようなロジックがテレビや映画、レコード産業で勝つことを知った。
「言葉のフェチと聞くことの退化」そして「文化産業」という論文において、芸術というものが製品としての性質を変えたことが論じられた。
芸術作品の価値が暴走したのだ。
マーケットのトータルな需要が文化的な製品の経済構造を変えた。
すべてのものが「交換」されるから価値を持つ。
それ自体の価値ではない。
フェチ、そして社会的評価。それを踏まえて芸術というものを楽しむ。
文化産業が、純粋な製品の性質を交換価値とすることをマルクスは議論していなかった。
「マスアート」「ポピュラーカルチャー」これらがマルクスの「モノ」概念を変えた。
カントは没頭が美しいとしたし、ヘーゲルは顔の美しさを美しいとしたが、
アドルノは多様な戦術を提示した。
「恋愛空間の誤解」などが例としてあげられる。
恋をしただけ/渡辺満里奈
「人と人がぶつかり合っても悟れないときがある」
都合よく女を使え。女のウソを見破れ。
ものごとに没頭する上で、顔の美しさを使う上で。
人として 海援隊 ギター弾き語り
女性は、自分の限界と向き合う上で、海、山などはそれほど純粋ではなく、狭い空間とさほど変わらない。
時間、空間さえあれば可能性を感じる。

親から子に伝えるもの。それは「DNAトランスミッションと文化」である。
天皇明仁と光太郎の間にはそれがなかった。
天皇はそれを指摘されて泣いた。
皇太子徳仁は、天皇からの皇位継承を信じていた。
しかし、今まで信じていたものが勇敢でない形で裏切られた。
健康的な生き方を見失うだろうと指摘されて泣いた。
皇后美智子は「光太郎をもっと誉めたかった」と言って泣いた。
雅子さんのことを光太郎はよく見ていた。
ネットでの発言を読んでいて、雅子さんの人生と美空ひばりの類似点を指摘し、あなたにも11歳の春のショック以前の「草原の人」がいるでしょう?と指摘したら雅子さんは泣いた。
松浦亜弥 - 草原の人 [PV]
三笠宮彬子さんは、ニクソンと渡り合ったお婆さんの麻生和子の生き方を真似していると指摘された。
「怖いからうちに来るな」と光太郎に言う。
いかなる家族も改革を望んでいると指摘され、「そうねえ」と言いながら宙を見る。
亡くなった寛仁さんが学を志したことから家庭内が殺伐としたことなども指摘した。
松浦亜弥 - 絶対解ける問題X=♥

天皇明仁を火葬に付す意味は「復活」という概念と関わる。
人間は死亡したあと、火葬に付される前に神がその人のデータをとり、どのような姿で復活させるかを考える。
中国の皇帝を土葬に付した理由は「もう戻ってこないで」という庶民の意思表示だった。
君主の怒りはすべてを乗り越える。だから復活しないのは義務だったのだ。
向かっ腹がたったら踏みつけていいのが死人というものだ。
平成という時代を踏みつけることが出来る後の世代の人々は天国に近いところを生きる。
しかし、明仁はそれを拒んだ。
死んだら霊魂が抜けるという立場もあるが、アリストテレスは霊魂とは精子だとした。
指摘だけにとどめたい。
アナキンとルークは父と子だった。
アナキンはオビワンの優秀な生徒であり、ジェダイトレーニングを受け、ダークサイドに落ちた。
アナキンがダースベイダーとなった。
ルークはダースベイダーを「父を裏切って殺した者」と聞かされていたが、それが「実の父だった」ことからスターウォーズの世界は豊かなものとなった。
ダースベイダーの生涯を「サーガ」(伝説)としたことから、スターウォーズの主役はダースベイダーだったのだろうと言われている。

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