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2015年9月 2日 (水)

治めるということ

治めるという営みは基本的には動かないものだ。
心が読めない赤の他人同士で行われるものである。
靴下を履いていない女の子に糖尿病になるから靴下を履けといっても「うるさいわね!」で済んでしまうものだ。
このような営みは神とも関係するし、人々が経験から見る幻に知識を吹き込むものだ。
治めるという営みにおいて、女流文学の重要性は指摘していい。
治める人は外をうろついていても自由である。
治めるという気持ちは家庭内から来る。
大きなテーマから、自分とどのような関係があるかわからない議論まで語り合うからだ。
外の未知なる世界に関しては家を基盤に向き合うことになる。
しかし、家庭内の「情」は外には通じないし、サイエンスだけが共通語だ。己の力の限界も教えてくれる。
経験的な真実に代わるものとして学問がある。法則で打ち破る体験は政治の世界を楽しくする。
何かの「高い次元の法」を使って治めていくのだ。
原因とその結果を明確にして自分の存在感を高めていくのだ。
信じていることが本当になる、これが一番面白いのだ。
間違えることは何もしないことよりも美しい。
間違えたときのガッカリ感が人を育てる。
女が見た夢を男が実現する。
そのようにして物事は一体となるのだ。
左翼女の語る夢をどのように実現するか?宝くじに当たった夢を見た女にお金を稼いで返す、これが政治だ。
星空を見て惑星だけは毎晩自由に動いているのを見て、太陽が地球の周りを回っているのではないことを語る。


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