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2015年8月25日 (火)

台湾論

超大国の激突の目は世界に台湾しかない。米中だ。
憶測を排除した波のメカニックが明らかになっている。
単なる衝撃波として伝わるのではなく、知的空間へのインパクトとして伝わるというアプローチと、
周辺国からの視点の分析が必要不可欠であるというアプローチ、
出来事の意味の分析というアプローチ、
ぶつかり合ったもの同士のエネルギーの大きさの勝負というアプローチが考えられる。
退屈な長期的分析の手法があるし、ロングターム、ショートタームの両方を駆使するやり方もある。
米中のエネルギーを比較するのなら同じ線にのせて衝突が起きるかどうかを予測できる。
しかし、エネルギーの同一線上での比較は衝突が起きるかどうかという分析においてのみ有効であり、「特殊な出来事により結果の分析は困難」ということを知るためにはエバレットの研究が必要となる。
Survivor - Burning Heart

エバレットは、この米中の激突に関しては「遊びで面白い」研究にすぎないとしている。
オブザーバーである周辺の国が何を見て何を発信するかに注目したのだ。

米中のエネルギーの同一線上での比較に、「オペレーションA」のエネルギーの比較という観点が加わる。

また、環境に制約されながらもレコーディングデバイス(記録装置)が周囲に与える「波」に重大な影響力をもつとした。
レコーディングデバイスの正確さと周辺国の反応の予測の困難さ、これがエベレットの研究テーマとなった。

エネルギーAと、オペレーションSに関して、エネルギーBとの正確な比較は困難であり、しかし、それでも分析しなければならないことからエベレットは、この研究を「遊び」と表現した。

さらに、周辺国の「スピン」という発想を考えた。
回転が速まる(スピンアップ)、遅くなる(スピンダウン)という発想だ。
マスコミ各社のスピンアップとスピンダウンも同一線上に並べて分析することができる。
同一線上(リニア)
[MV] Perfume「リニアモーターガール」

しかし、スピンアップもスピンダウンも、レコーディングデバイスによって記録された証拠にもとづかなければならない。

日本で報じられるマスコミの影響がどのように人々に受け止められるかの研究をサブシステムと呼ぶが、所詮は台湾問題の勝敗も日本の感情が決めることがわかる。

ここで、女のネクロフィリア(死体愛好症)が騒いだら勝敗の行方が不透明になるという問題とも向き合わなければならなくなる。

戦闘の現場は絶対的だが、日本の感情は相対的である、この観点をエバレットは指摘した。

これがエバレットの議論だが、のちの物理学者はこの研究に感嘆した。
そしてさらに研究を深めていくのである。

これに対しては、物事は「衝撃が走る」というのが我々の経験であり、「線と回転」にはならないのではないか?と経験論からの再検討が求められた。
あるいは、周辺諸国の働きかけというものを除外してひとつの線の上で二つのファクターを激突させることも経験に反するとした。
エバレットは、「発想と割りきり」が重要だと考えたようだ。
あるいは、経験上も「線と回転」はすでに我々は経験しているではないか?としエバレットの議論を経験論から支持するものもいた。

まず、アメリカと中国のレコードが相対的であるという視点は重要だ。
同じ出来事を異なる記憶として残しているのだ。
語る物事によって女性へのモテ方が違うため、異なる記憶を残している。
そして、女の方もそれをさらに理想化して人々に伝える。
それも「線と回転」を考慮する上で必要な観点ではないかとされた。

あるいは、「衝撃が走った」という概念の方がいろんなものが予測可能なのではないか?とも言われた。
また、物語よりも「衝撃を受けた」というだけで女にモテるのではないか?というマクロ的見方がいいとも言われる。

しかし、スピンアップなのかスピンダウンなのかは「衝撃」という表現ではわからないだろうとエバレットは主張した。

「衝撃」という言葉は常にエバレットに付きまとった。
その方が「発信源をとらえるのに有効である」とも言われた。

レコードが相対的であると言っても、相手が何を言っているかはある程度知ることが可能であろうとも言われる。

エバレットは「同一線上に乗せる」ということにこだわった。

また、レコードから排除された「文字の読めない人」の存在をインテリは知らないとも言われる。

今回は、二つのスーパーパワーの激突とその周辺の分析という代表的事例として台湾問題を挙げたが、我々は世界の多様性を知らないといけないし、米中の激突という事例がいろんな物事に応用可能であることも知らなければならない。

【完】

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