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2015年5月15日 (金)

自殺

警察官に喧嘩を売って殺されるのは自殺であり、自殺とは悟りにつながる概念だ。
タイソンと試合するのも自殺だったし悟りにつながった時代があった。
エティエンヌは負ける可能性が高かった。死ぬつもりだったしそれを知っていた。
戦ったのが間違いだった。
お金目当て。勝ちを望まないのは相手に対する侮辱。反則はゲームを腐敗させ、発信力をなくす。己の価値観をボクシングに委ねられるか?
自殺は人間の死の恐怖から逃げている。
偶発的なノックアウトではなく、意図したものだ。
死刑執行を避ける、リベンジを避ける、他者のいい生活を守る。そういうことを守らないのが自殺だ。男ではなくなる瞬間。
うつ病患者も死にたくない。
わざと倒れるのは自殺ではない。
神は俺を罰した。そのため俺の魂は俺の肉体と共にある。そこから自由になることはできない。
反則ばかりで腐敗しており敵だらけの人間に、プラトンは自殺を許可した。
臆病や怠け心が人生の苦味を知らないから自殺する。
自殺は自分を不正に扱っているのではない。なぜなら自分への害悪に同意している限りボランティアだ。
コミュニティに害悪を与える目立ちたがり屋だ。
自殺は個人のよりよい生活を考えておらず、社会で果たす役割を正当化できないではないか。サイエンスに基づいた人生が不可能だと思うなら自殺も仕方がない。健康などの「サイエンスのアドバンテージ」が自殺から人を守る。
サイエンスとの調和が私を生かすことになる。
たとえ私が社会の少数派でも、サイエンスさえあれば私は死なない。
賢い人は生きることができるのではなく、生きるべきなのだ。
ただ生きるだけでなく、より良く生きる。
量より質。

賢い人は勝てるではなく、勝つべきなのだ。これが悟り。
Mike Tyson vs Clifford Etienne Full Fight

MIKE TYSON knocks out KO Larry Holmes

神から与えられた肉体は限られている。
自殺は神との関係を麻痺させるため、財産を没収したし、キリスト教の様式での埋葬を禁じた。
自殺はユートピアにおいて、重篤な病人なら仕方がないとされたが、もはやキリスト教社会においては譲れないものとなっていた。
マリアをアイドルにしたカルヴァン派は、自殺にもっと慈悲をもてと言ったし、ピューリタンは、いくら自由だといっても自殺の自由など認められないとするなど論戦がなされた。
自殺は罪深いものではないし、無我夢中でやるものだ。しかし、自己保存の法則に逆らっている。
キリスト教の肖像は自殺を批難していないし、戦争も死刑も禁じていない。
1700年代に科学と心理学から研究がなされ、何も知らない人間と悪人の戦いから自殺が生まれるのではないかとされた。
病人にとっての神聖な命令が他者を自殺に追い込むとも考えられた。
神は動脈から血液の川を分けたものから自殺者が出ることを違法とした。

デビルと罪人(sinner)に関わる議論が自殺であり、これは悟りにつながる。
Madonna - I'm A Sinner - DVD The MDNA Tour
殺せるものなら殺しなさい。歌ってあげてるでしょう。

デーモンは「何も知らない者」
サタンは「皇位継承」
ルシファーは「影響力を増すために下ネタに走るもの」
デビルは「自殺」と関わる概念だ。

神からの命令は必ずしも個人を幸せにはしない。
民族の神からの命令は個人を殺せと言う。
この時に、人間は「首吊る覚悟」をするのだ。
神が時にデビルとなり人間と対話するのだ。
我々の血が無駄だったと悟ったときに、人々は集団で「自殺」という選択肢を個人に迫るのだ。

デビルの意思が神と合致したときに自殺を命じることができる。
アマテラスを奪い合ったのが光太郎と天皇サイドなのも頷ける。
社会は多数派のアドバンテージを持っているし、自分達のために痛みを感じている。
それを無視するものを殺したい。
しかし、ここに「神との対話」がなされる可能性がある。
立ち上がったあとに勇気が必要であることを考えると人間は立てない。
Prince Naseem Hamed Highlights (by GP)
治める側としては死んでもらうしかないとしたカントと、デビルという概念を考えたヒュームの戦いだった。
カントは団結を重視したのだ。
しかし、ゲーテは詩によって女性の心をつかむことに活路を求め、シュタイナーの理論的基盤になっている。
ここで、精神医学が登場した。
自分と世界がかけ離れてしまう思春期の女の子や、青年、社会の混乱などから自殺が議論された。
こうなると自殺は官僚と医療の仕事となり、個人の感情ではなくなってしまった。
さらに、二十世紀には右翼の立場から世界の無意味さや、人間の人生の旅という観点から自殺が議論されるようになった。
アマテラスの奪い合い
いじめられたらクラスの女の子が必ず助け船を出す。
男は群れから離れたらデビルと対話するが、女は「目が飛び出る」ということは指摘しておきたい。これは女の前立腺の病気だと思われるが、イエスさまになろうとした女は皆、目が飛び出て、中世の民衆には「魔女」にしか見えなかったであろうことは想像に固くない。

カミュが、バカげたことからの逃げ道という観点を指摘したのだ。
意味がないことの意味の唯一の発信源が自殺だとした。
神が死んだことそのものが信仰心だった。

国が自殺に介入する上でこれらの正確な理解が必要となるのだ。

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