最近のトラックバック

2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

« 小野家のスメルジャコフ~川手文治郎 | トップページ | ストーカーは何を考えているか? »

2015年4月12日 (日)

プロレス

政治とは「いつ」「誰が」「何を」「どのように」とるかという世界だ。
猪木の首をどのようにとるかで男たちは争った。
タッグを組んでいた者すら猪木の首なら俺に取らせろと言って猪木を裏切った。

「プロレスの哲学」
リアリスト:プロレスは八百長、ゴジラはぬいぐるみではない(俺にはこう見える)。
ノンリアリズム:健康的な生き方、敵を作るとは何か、美学。
これが議論の出発点だ。
プロレスはノンリアリズムにたつものだ。
まず、美学とは没頭であり、顔の美しさであり、処刑への恐怖であり、ネクロフィリアであり、暴力への興奮である。
大きすぎるものも美学だし、幾何学模様の中を光と音楽で登場するのも美学だ。
日の丸に向かって君が代を斉唱する。国家に近づくのも幸せだ。
負け方の研究も大事だ。良心を腐敗させる、勇敢さに欠ける負け方は人々が信じていたものが裏切られたときに健康的な生き方を見失う。
敵の研究も重要だ。経験の共有、趣味の共有、宗教の共有をする。
経験の共有においては人々は好きか嫌いか怖いか避けるか、~に似ている、色だけで話題が持ってしまう。
趣味の共有、も色々議論はあるが「スカッとする」ことを共有するものだろう。
魅力的キャラクター、一芸に秀でている、何でも知っている、ナイスガイなどは敵がいない。
上半身裸の男は、オーガニックスリルといって、アダムが林檎を食べたから女は興奮する。
それで男は争うため君主が必要となる(君が代)。
個性に注目するけどセックスをしない男への愛を「フィーリア」と呼び、自分に何をしてくれたかが問われる。
有識者が神学的評価を与えてプロレスラーを大きく見せるのも大事な営みで、実況や専門誌がこれを行う。
何でもできるという全能者には「重いものを持ち上げろ」「繰り返せ」という問いかけがなされる。
複雑性は練習によって学習しなければならない。
面と向かって立ち向かう営みは相手を変えようとする営みである(デュアリズム)。
痛みとは不快な経験であり、場所が発信源である。
日々の生活を送って寝て、体から心へのボトムアップをする営みもデュアリズムという。
プロレスラーを見て女どもは子供をどう育てるかの議論のヒントにする。
外見が55%、声が38%、話の内容が7%だ。
「プロレスの哲学」
男の客観(混乱の中に法則をもたらす力)は、女の主観(ただ考えているだけ)に影響を与え、これは疑似セックスだ。
女は知識と力を生み出すために男を見に来る。
男の客観がどこに表現されるかは偶然に頼ることが多く、時間や場所が明確ではない。
写真集などを見て考えるのもいいだろう。
生産的なものを生み出すスキームがあり、これを俺はさんざん研究してきた。
八百長というよりは、女をナンパするためのスキームを男に提示しているし、女にアピールするのだ。
俺は神だというやつをぶちのめす、反則をするやつをぶちのめす、これらがスキームだ。
人々が健康的な生き方を見失わないためにやる。
敵をなくす学問がプロレスなのだ。
敵をなくすために「~すべき」は自ずから明らかになるはずだ。
それはまさに高度な学問からの命令だ。
虐待するものには罰が必要だ。
それが果たして混乱の中に法則をもたらす力(客観)かどうかが問われる。
権力の売り言葉に買い言葉には答えがなく、ヘンタイさからの議論や立場の違いからの議論がなされ、
最後にいかにドラマチックな絵を描くかが問われる。
悪への忠誠はもはや敵であり、問題の解決のためにプロレスを使う。
プロレスの哲学は保守的であり、あとは興業に任せるしかない。
地球上の間違いをただすために使う。
プロレスとは知性への愛であり、スキームとはテーマへのリアリズムである。
前田日明  ~UWF伝説~

« 小野家のスメルジャコフ~川手文治郎 | トップページ | ストーカーは何を考えているか? »

スタンフォード哲学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: プロレス:

« 小野家のスメルジャコフ~川手文治郎 | トップページ | ストーカーは何を考えているか? »