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2015年3月17日 (火)

ノルウェイの森~村上春樹のプロット

村上春樹「ノルウェイの森」
男は直子のここに感性が弱い:横顔、男の目をじっとのぞきこむ。
直子にとって「野井戸」はイメージか記号かはわからなかった。
イメージとは人間のエゴ(性的衝動・フェチ)の周りを取り巻く小説であり、精神分析の対象だ。
「俺の夢を壊すな」というのがイメージだ。
記号とはさらにその外を取り巻く言葉によって作られる衝動であり「胸が張り裂けそう」になるものだ。
直子の語る「野井戸」とは穴であり、異なる動きをする二つのものがぶつかり合う一般相対論のことだ。
女嫌いやレイプに直面すると、女は戦争宣言をし、ネクロフィリアに直面し、イケメンに向かう。
直子は「ひどい死に方よ」という。
さらに、「僕」と結ばれることを「それは正しくないことよ」という。
直子は結婚を恐れていた。
女は政治コミュニティーにおいては欲望と交換の対象であり、唯物史観においても男と面と向き合っていて男に影響を与えている女も、
歴史から消えてしまうのだ。
しかし「僕」は、男の客観(混乱のなかに法則をもたらす力)を持った言葉を返せずに、
直子は「自分に腹をたてているだけ」という。
直子は「僕」(ワタナベ君)に二つのお願いをする。
一つは「私が考えていることに興味を持ってくれたこと」(愛)へ感謝していることを知っていてほしいということ。
もう一つは「私のことを覚えておいて欲しい」ということ。
死んでも私のことを覚えていてもらいたいという思想をサヴァイヴというし、
女が男を育てるという発想は1986年にアメリカで漫画化されたし、女性副大統領候補も出た。
17年後にワタナベ君は成熟を迎えることになるのだ。
「ノルウェイの森」第二章。
ワタナベ君は、突撃隊と寮で同居を始めたようだ。
1968年から1970年。東京はセックスと革命の嵐が吹き荒れ、寮は財界によって作られた右翼的なものだった。
ワタナベ君と突撃隊は、ラジオ体操をめぐって喧嘩する。
これが道徳(他人が敵にならざるを得ない)ことであり、議論する。
分かってくれた時の喜びがあるからこの学問が成立する。
どもりを持ったくせ者の突撃隊との交渉は非常にいい学問になった。
ワタナベ君はエピクロス的に打ち合うよりもストイシズムを選んだ。
カントはエピクロス的に打ち合ってお言葉を残している。
つまり、突撃隊のラジオを外に投げてみて何が起こるかを語ったのだ。
結論としては、経験の共有、趣味の共有、宗教の共有あたりだろうが、
突撃隊に「一緒にラジオ体操をやろう」と言われてもナイスガイとしては振る舞えず、
ストイシズムを選択した。
このエピソードを直子に話したら、直子は男との「疑似セックス」が成立し笑っている。
ワタナベ君が直子に「道徳の経験談」を話したら直子は笑った。
さらに「私たちまた会える?」とまで聞く。
疑似セックスが成立した瞬間だった。
直子は「そんなこと言える筋合いではないけど」という。まさにワタナベ君の「心の限界」を越えさせてしまう事実を隠していたのだろう。
直子は痩せてしまっていた。
まさにオイディプスコンプレックスを迎えていてお母さんの話が面白くなくなっていた。
異性の言葉のリズムに助けを求めていて、言葉の感覚が鈍っていた。
直子は言葉の感覚がどのように鈍ったかを詳細に語る。
ワタナベ君は「誰にもあることさ」と言うが、直子はガッカリしてしまう。
ここでは疑似セックスは成立しなかった。
キズキには彼女がいたが、ワタナベ君を三位一体の三人目としていじめられ役に選んだ。
そして三人組が出来上がった。
友情とは楽しみの共有・能力の共有・認めあうことだ。
キズキは、ワタナベ君を認めることが可能な範囲内の女を「四人目」としてつれてきた。
それが直子だ。
「ワタナベ君に紹介した」としたが、直子もキズキ狙いだった。
直子はワタナベ君と二人きりになると無口になった。
女は興味のない男には60%ポジティブな表情を送る。
直子はワタナベ君にも興味があったのだ。
直子はワタナベ君に、突撃隊の話を聞きたがった。
地理の研究に没頭(美の根拠)する突撃隊の話は「真面目な人をみんなで笑う」という基本を踏まえていた。
ここでもまた疑似セックスが成立している。
男は「見て、聞いて、触って、想像してリビドーが反応して射精する」とされる。
つまり、突撃隊が壁に貼ったゴールデンゲートブリッジの写真では男は射精できない。
突撃隊は、「有識者が神学的評価を与えて大きく見せてもらう」という虚像をうまく利用していた。
直子はワタナベ君に一度だけ過去の女の話を聞いた。
本来なら恋愛の「心の限界」を越えてしまう情報を聞いたのだ。
ワタナベ君は、セックスした女はいるとしたが、直子に「愛した人は?」と聞かれ「いない」と答えた。
これは「個性に注目した人はいない」という意味であり、エロスのことだ。
これで直子の「心の限界」の問題は解決し、季節を重ね、距離を縮めていく。
キズキの自殺。
人間は他者が自分に不当な扱いをしたから自殺する。
キリスト教では、自分を愛せ、汝殺すなかれというところから自殺を禁止している。
自殺は人に迷惑をかける。
しかし、神による神聖な命令から自殺する人がいる。
時には自殺は混乱の中に法則をもたらす力をもつ。
また、人間は自殺したら自由になれるのではないかという魅力にとりつかれる。
キズキの自殺もこのような観点から分析が必要だろう。
永沢さんは、兄が東大医学部を出て家業を継ぐことになっていたので、東京に出てきても親と正統性を争わずに済んだ。
そのためお小遣いをたくさんもっており一目おかれた。
教育水準の低さはEDにつながるが、永沢さんは極めて教育水準が高かったのだ。
知恵をワタナベ君に授けて「女の交換」ができる男だった。
永沢さんナメクジを飲む。
上級生と下級生がもめた時、道徳(お互いに敵対する)の問題が生じた。
永沢さんは、上級生に「ナメクジを飲んだら許してやる」と言われた。
誰かが実際にナメクジを三匹持ってきた。
永沢さんはこれを飲み込むのだ。
修羅場を皆と共有したこと、そして、永沢さんが魅力的キャラクターであったこと、
一芸に秀でていたこと、いろんなものを知っていたこと、ナイスガイであったこと、などから「ナメクジを飲んだ」ことで争いは治まり、永沢さんは皆から一目置かれるようになった。
しかし、ワタナベ君は、そのような永沢さんの「神学的評価による虚像」に無頓着だったために永沢さんに気に入られたのだ。
永沢さんの「自律」は、周囲の感謝と同情をもたらした。
ワタナベ君は、女と夜を共にした翌朝、最悪な気分になることを語る。
精子は動物にもあるがアリストテレスは、人間の精子とどのように異なるかを研究した。
その結果、精子とは「脳と直結した魂」であるとした。
魂が抜けた後の男は翌朝、最悪な気分になるのだ。
永沢さんには彼女がいた。
しかし、永沢さんが他の女と寝ても文句を言わなかった。
自分に向いていた愛情が他に向くだけで人間にはジェラシーという感情が生じる。当然、永沢さんの彼女も感じただろう。
しかし、永沢さんと経験・趣味を共有し、
さらに、永沢さんは魅力的キャラクターで、一芸に秀でていて、何でも知っていて、ナイスガイだった。
ナメクジを飲んだことにそれは表現されている。
永沢さんのそのような話が彼女との疑似セックスを成立させていたのだろう。
ワタナベ君は、上級生を殴ってしまい、敵を作った。
ストイックに耐えるタイプだった彼は成績を落としていく。
「空気が悪い」「居心地が悪い」ことを道徳では「痛み」と表現するが、それだけで成績は落ちてしまうのだ。
永沢さんは、女をナンパしてセックスをするのは「水を飲むように簡単なもの」という。
ナンパしてセックスすることは「興味はないが必要なもの」であり、「同じくらい重要なものがある」ことを知らないと問題を引き起こす。
同じくらい重要なこととは家でのマスターベーションだろう。
ワタナベ君にとって直子は18歳と19歳を行ったり来たりしているようだった。
人間そのものがそのように見えた。
つまり「教わらなければ何もできない」ものだったのだ。
死者だけが17歳に見えた。
死者は死んでから荼毘に付される前に神がその人のデータをとり復活させるが、村上春樹にとってそれは「17歳の私」だったのだ。
突撃隊が赤と黒のセーターを買ったらみんなが笑った。
黒は女を意味したし、赤は男の知恵との疑似セックスから生まれた色を意味したから、突撃隊により抑圧された性的欲望が刺激されたため笑ったのだ。
直子は20歳の誕生日に延々と話し続けて最後に泣いた。
言葉の感覚が鈍ったまま、自分で物事を考えられるようになる21歳が近づいていた。
欲望と深刻さ、そして出口がなかった。
そのために泣いたのだ。
直子とワタナベ君はセックスをした。
彼女は痛がったが、ワタナベ君に過去の男を知られないための演技だった。
ワタナベ君に恋愛の心の限界を越えさせないための演技だった。
オルガズムとは痛みであるが、いろんなものが心の中で痛かった。
直子は朝になって声をかけても全く返事をせずに眠っていた。
ワタナベ君が声をかけても答えないので、ワタナベ君はメモを残し部屋を出た。
直子は男の女嫌いによる神への失望に直面して「言葉の見直し」をやっていたのだ。
直子は言う「山の中に私に向いた療養所がある」と。
男の「女嫌い」に直面し神に失望し「なぜパートナーが自分とセックスをしたがるのか」の説明の言葉の見直しを失敗したぐらいで、
直子は精神病院に向かうのだ。
ribbon "Stay with me" 1st LIVE ''90
ここで直子はおそらく医者に適当な病名をつけられ、医者に飼われることは明らかだ。
また、このような直子の気持ちが宗教の基盤になるのだろう。
宇多丸が映画『ノルウェイの森』を語る

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